皆は知ってるけど私には伝えてないだけ?あれ、私が理解してないだけ?何故か、周りが普通に出来ている事が自分には出来ない。会話にもついていけない。皆気づかないふりをしているだけ?私が馬鹿なこと。もう、本当の事を教えてほしい。私のことを。子供のことも。
ないものねだりだって分かっているけど、身長があと少し低ければと思う。
そしたら身長が165,6とかになる。
きっと男の人は自分と数センチしか変わらない身長の女はあまり可愛く見えない。
少しでも抵抗したくて、デートの時は絶対ペタンコの靴を履いていく。
ペタンコの靴は可愛くない。
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苦い。皮入れるな。以上。
自分は元増田より低スペックな増田で、30代まで彼女無しだったのだけど、こないだお見合いしたら彼女ができた。
経済力低いし自信なんぞもっとなかったし、そもそもお見合いって仲人の顔も立てないとで面倒だと思っていて、全然乗り気じゃなかった。一方で断る理由もなければ、程度に軽くも考えてた。だけど、実際に会ったら話も弾むしかわいいし、正直自分なんか不釣り合いかもしれんけど、付き合いたいと思ってしまった。
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http://anond.hatelabo.jp/20160220142801
ソシャゲのガチャ問題の中で語られる言葉の中に「射幸心を煽る」というものがあります。
ガチャキャラの確率操作などの詐欺的な行為が問題視されることが多いのですが、
実際にはこの「射幸心を煽る」ことそのものがかなり問題である、という話をします。
さて、ところで、私は犬を飼っています。
犬のしつけをするとき、命令を出して犬がいうことを聞いた場合、「おやつ」をあげます。
ここで突然問題ですがいうことを聞いた犬に
1)毎回かならず「おやつ」をあげる。
のどちらが効果が高いかご存知でしょうか?
日常的な感覚としては1)の毎回いうことを聞くたびに「おやつ」をあげる、
こちらの選択の方がより学習効果が高いように思われるのではないでしょうか。
しかし、違うのです。実際には2)のときどき「おやつ」をあげる、が正解です。
「常に」ではなく「ときどき」もらえる報酬の方が学習効果が高い。これを覚えておいてください。
猿の檻に自動餌やり装置を設置します。ボタンを押すと餌が出てきます。
猿は、ボタンと餌の関係を学び、餌やり装置のボタンを押すようになります。
ここで犬のしつけと同じように設定を変更してみましょう。
1)ボタンを押すと常に餌が出てくる
猿がより、ボタンを押すようになるのは、犬の例と同じく2)の選択肢です。
犬よりも猿の実験のほうがより具体的な事例として実感しやすいことがわかるでしょう。
まさに「パチンコ」であり「スロット」であり「くじ」であり「ガチャ」です。
なぜ、この部分強化のような不可解な現象がおきるのでしょう?
言い換えると、
2)不確実な報酬のボタンを叩いてメダルを出すこと(賭け事)を好む人がいるのでしょう?
それは、脳の仕組みにあります。
このドーパミンは「意外な報酬」であればあるほど分泌が促されることが分かっています。
先日、有名元野球選手が使用していたことで脚光を浴びている「覚せい剤」も、
脳の報酬系に作用しドーパミンの分泌を促すとともにその効果を増強させます。
詐欺的なお金のやりとりそのものも問題なのですが、人間の報酬系に直に作用するような
遊戯の代償として対価を貰う行為は自由社会では認められるべきですが、
多くの人が社会生活を営めなくなるような可能性があるものは規制されなければならない。
そういうロジックなわけです。
「ガチャ」の問題において「射幸心を煽る」ことが問題となるのもそのためです。
「詐欺的な確率表示」でお金を振り込ませる商売は確かに問題です。
しかし、考えてみてください。そうした問題が散々明らかにされているにも関わらず、
「それでもガチャは回る」のです。
通常の詐欺的なモノの売買では考えられないことです。
「報酬が獲得できなければできないほど」意外性は上がり、報酬系への作用は大きくなります。
非常な低確率である人々に「価値がある」と認識されているものを供給する行為そのもが、
「射幸心を煽る」行為であり、多くの人間の社会生活へ負の影響をもたらす可能性が高いので、
これを覚えて頂ければ、と存じます。
もうすぐ、父が死ぬ。
父は、ろくでもない男だった。
そんな父のことを、よく思ってはいなかった。
重度のアルコール依存症だった父は、末期の肝硬変と診断された。
父はきっぱりと酒をやめた。毎晩一升瓶が空になるほど飲んでいたが、
診断されてからは一滴も飲まなかった。
離れていた家族は、父の元へ戻った。
忘れていた。
父は、優しい男だった。
父は、僕のことを大事にしてくれていた。
笑顔を与え、僕を何よりも案じてくれていた。
対立することもあったが、父は僕のことを愛してくれていた。
僕は父を許した。
本当は、大好きだったのだ。
ろくでもない男だが、僕達に見せた愛情に嘘偽りは無かった。
気持ちを伝えた。
小っ恥ずかしいことを、何回も何回も伝えた。
溢れた涙は、少しだけだった。
街で出くわす犬はなんというか、ウェーイ系っぽくて苦手なんだ。
昔、犬に追いかけまわされたことがあって怖くなった。でも、この件についても向こうの犬はじゃれようとしただけ。遊んでるつもりだったとか言うんだ。
……って、まずはもちろんお金のためだよね。今の世の中、旦那の稼ぎだけで子供育てられる夫婦なんてごく限られてるし。
あとは女性の社会進出の影響?女性だって一生働く前提になってきてるから、長く仕事を休んでたらその後のキャリア設計に影響するもんね。
わかっちゃいる。自分も産休明けで即復帰したクチだし。でもなんだかずっとモヤモヤしたものを感じていて、それがなにかようやくわかってきた。
例えばこれ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
これってつまりさ、仕事しないで育児している人は活躍してることにならないってことだよね。元増田がそういうつもりかは別として、世間全般どっかそういう意識あるよね。
そうなの?妊娠・出産という命がけの大仕事をして、24時間待ったなしで体力をガリガリ削られながら子供の世話をしてるのに、活躍してないって判断されちゃうの?
あとよく言われる、医学的に妊娠・出産に適した年齢が、社会的なキャリアを形成するために重要な時期と重なるから子作りが難しいってやつ。これも一緒。
要するに、「人間」としての文明的・経済的活動と、「ヒト」としての生命活動が、完全に分離しちゃってるのが諸悪の根源なんだよね。「人間」活動のキャリアを選ぶと「ヒト」としてのキャリアが積みにくい。逆はもっときっつい。どっちをとるか選べる時間は限られてるのに、一旦選んだら変更不可能とかどんだけですか。
これがもし、「人間」のキャリアと「ヒト」のキャリアが地続きに評価される社会だったら。履歴書の職歴欄に妊娠・出産・子育てを書き込めるような世界だったら。出産へのハードルはぐっと低くなるし、出産後も仕事復帰を無理に急ぐ必要がなくなる。男性の育児参加も増えるんじゃない?だって育休自体がキャリアとして評価されるんだもん。
そのために例えば、所謂「地域での子育て」ってのをキッチリ制度化してみるのはどうだろう。保育所に育休中や専業のママが子供と一緒に自由登園できて、基本自分の子供は自分で見るんだけど、交代で園の掃除や給食調理とかの保育補助をする代わり、費用は食材などの実費のみ。ママ達の保育補助が入る分、保育人数を増やす、とか。要は子育てそのものがなんかしらの地域活動、さらに言えば経済活動になるような仕組みを作る。
子供を持たないバリキャリもワーキングマザーも、もちろん専業ママだって、みんな等しく活躍してる。「一億総活躍」ってそういうことじゃないのかなぁ。
ふと、小学校の時ママレードがえらく嫌われていた事を思い出した。
バターとの相性はイチゴジャムよりはるかに良いと思うし、正直イチゴジャムはお菓子用であって、パンに塗るものではないと思うんだよね(嫌いなわけではない)
こんな美味いものがなんであんなに嫌われてるのか理解に苦しむ。
なんで?
一度に受けるの受験者は25人程度
それが 3人1グループに振り分けられ1台の車を共有する
普段の学科の座学を観察してると、男でAT限定も少なくないのだが
助手席に教官、運転席に受験者、運転席の後ろの席に、同じグループで次の受験者が座る
二人目、三人目が後ろに座る場合は、前の人の運転を見て安心するだか緊張するだかがあるけれど、
一人目が、三人目の運転を見るのは何の意味があるのか分からない
一人目にとってはもはや何も得るものはないのだが
運転者にとって、後ろに人が座っているのは、何かしらの足枷になるのだろうか
左寄りにただただぐるぐる回る
S字・クランクをこなす
脱輪をすると即座にアウトだと事前に脅されていたが、
脱輪しても停止して、バックでコースに戻れれば、それだけで一発アウトというほどの減点ではないらしかった
あと、踏切 (ただ窓を開けて進んで停止して窓を閉める、という手順をこなすだけの茶番) と坂道発進
さっさと終わらせたい余りに、初めスピードを出しすぎて、
そうするとカーブの手前で速度を落としきれなくて、教官を驚かせてしまったが、
S字なりのイロモノをとりあえず無事こなして終了した
後ろにグループの二人目が座っていたが、バックミラー越しに偶に目が合う以外は別段気にもならなかった
走行が終って発着所と呼ばれるところに停めると、後ろの二人目を降ろして、
緊張してました(てへへ
みたいな。
そういえば、
検定は、教習を受けた同じ日には受けられなくて、
必ず新しい日の一番初めに受けさせられる
スピードをついつい出し過ぎたのはそれがあると思う
グループの二人目が運転してる間は、自分は適当な部屋で待たされ、
それが終わると、三人目の運転の後ろに座る
事前の説明で、運転者 (受験者) へのアドバイスは絶対にしないことと言われた
何のために座るのかやはり分からない
人の運転に付き合って、女性の人の運転はとても優しい (つまり遅い) のだなと感心した
自分なら、いくらカーブでもここまで落とさないのに、という速度だった
15キロか10キロくらいまで、カーブの手前までで落とせと習った気がする
速度を落とすときにいちいち速度計はみないが、
だから、ここまで、自転車に追い抜かれるような速度までわざわざ落とすのだなあと感心していた
1つめは、右折で入ってクランクをして、細い道を横断してS字に入り、左折で抜ける
自分はこの、S字から左折に抜けるときに2回だけ脱輪をしたことがあるので、苦手意識があった
検定では運良く、2つめを一度通るだけで良かった
2つめというのはちょうど1つ目の双対で、左折で入ってS字を通り、細い道を横断してクランクを通ると右折で抜ける
右折のためには左車線を垂直に横断するので、脱輪のチャンスが減り、1つ目に比べて容易なのである
三人目のコースもやはり、この2つめの、クランク・S字であった
初めのクランクで後輪を脱輪した
教官が、バックして戻して、と指示し、少しバックしたが、コースを正さず、全く同じコースで前進するものだから当然ながら同様に後輪を脱輪した
教官は脱輪を気にせず先に行くよう指示した
検定の事前の説明では、脱輪した場合は、バックしてコースを正せば良いが、
脱輪したまま進んでしまう行為は即座に検定を中止する行為だと説明していた
そのまま発着所に行くよう指示し、終了となった
ネット (知恵袋) の話によると、全てのルートを完走した場合は、またその場合に限り、
検定は合格だと思って良いらしい
狭いロビーで30分ほど待たされる
壁に1から50くらいまでの番号のついたランプがあり、合格者は点灯によって知らされる
残念ながら三人目は不合格であった
3,4人、ランプがついていなかった
ちゃんと数えてたわけじゃないけど
暗記科目はもともと苦手であるが、今だけ (卒業する二週間後まで) 覚えさえいれば良いという覚悟で、つまり一夜漬けの要領で勉強していたので、何とかなった