はてなキーワード: ゲゼルシャフトとは
(前略)利益社会関係(フェアゲゼルシャフトゥング)を通じて作り出される・支配の特殊の安全装置は、一般的な形で云えば、次の点にある。すなわち、指導者の命令に服従することに慣れ・支配とそれのもたらす利益とにあずかることによって支配の存立に個人としてみずからも利益を感じている・一群のひとびとが、ひき続き命ぜられるままに動き、かつ、支配の維持に役立つような命令権力や強制権力の行使に参加するということ(「組織(オルガニザツィオーン)」)、がこれである。自分たちが要求しまた実際に行使している命令権力を、他の指導者による授権から導き出すのでない単数または複数の指導者は、われわれはこれを「ヘル」と呼び、上述の仕方で特にヘルの命令のままに動くひとびとをヘルの「装置(アパラート)」と呼ぼう。
マックス・ウェーバー。世良晃志郎訳。『支配の社会学1:経済と社会第2部第9章1節ー4節』。(創文社。昭和34年)。27ぺーじ(底本548ー549ぺーじ)。
そこに富野が言ってるような「成長できる少年」の像は無いし、これを異常と思わない方がどうかしてる。『萌え化』で片づけられて当然だとは思うよ。
ゲゼルシャフトだか何だか知らんが、もうちょい公共性を帯びないと、オタクの作品は一生一般には認められないと思うぜ。哀しいけど。
わけワカンネ。
市場をそういう風に形成すべきは、一般の方々であって、オタクの使命ではない。
萌えに走ってない作品を作りたければそうすれば良いし、一般の方々が、そういうものを見たいと思うのなら、それに金を払えば良い。
簡単な話だ。
これがどうして、オタク批判になるのか、全然理解できない。
「男性性の不在」なの。その結果が女性まみれ=萌え化って話なの。
ラブひなをはじめとした多くのハーレムラブコメにおいて、主人公以外の男性キャラは、大抵の場合存在が希薄であったりそもそも存在しない場合も多く、ごく近年においては主人公自体が、どの男性性を「背が小さい」だとか「女の子と良く間違われる」だとか「男子にも好かれる」などの属性により去勢する傾向にあるってのが萌え化の本質なの。
最近の代表例だと「宇宙をかける少女」「ストライクウィッチーズ」なんかがそう。「ふたりはプリキュア」なんて例を出すと怪しまれるかもしれんが、こういうのが『オタクの理想とする主流アニメ』なわけよ。
わかるよ、それぞれ内容が違うってことは。
でもさ、「ひだまりスケッチ」にしろ「けいおん!」にしろ、「スケッチブック」にしろ「らきすた」にしろ、上記のとおり男性性が全くと言っていいほど無視されているのは厳然たる事実なわけだろ?
そこに富野が言ってるような「成長できる少年」の像は無いし、これを異常と思わない方がどうかしてる。『萌え化』で片づけられて当然だとは思うよ。
ゲゼルシャフトだか何だか知らんが、もうちょい公共性を帯びないと、オタクの作品は一生一般には認められないと思うぜ。哀しいけど。
おじさん(笑)釘宮(笑)オラクル(笑)トリックスター(笑)メタ視点(笑)
人間関係の希薄化(笑)共同体の崩壊(笑)ティピカルネス(爆笑)
ゲゼルシャフト(笑)テクノラティ(笑)理不尽ネス(笑)増田リティ(笑)
デウス=エクス=マキナ(笑)俺、恋ヶ窪派だから(得意)
「ある日突然隣のマンションの美少女の恋愛騒動に巻き込まれる」
おそらく大団円的な結末に落ち着くっていう、
「起承転結」
になっていない、
お遣いっていうか、その場しのぎの尻拭い系のストーリーが多くて
飽き飽きしてたところに新鮮だった。
まあ、otsune的には「観測範囲が(ry」なんだろうけど。
でもよー、
何なんだ、あの、
独身(30)もあんまり首突っ込まないし、
誰もが無根拠に物語進めてるのな。
ちょっと、おじさんには信じられない感じだよ。
でも、それが現代的なのかもなって思った。
それで、思い出したことなんだけど、
嫁つれて父と一緒に父の田舎に行ったんだわ。
結論からいうと、祖母は大してボケてなかったんだが、
それで、どうしたかっていうと、父はその弟を連れて、
そんとき、俺は「自分の父ながら賢いなー」って思ったんだよ。
その長老の私見は実質どうでもよくてさ、
次男夫婦には
外野にとやかく言われたくない。」
的なところがあったんだけどさ、
多少、状況を相対化できるわけよ。
それでよ、話は「とらドラ!」に戻るけどよ、
「無根拠に物語を進めているのが現代的かも」
って、書いたけどさ、
そういう風に、いろいろ言い出せずに、
誰にも首突っ込ませずに、
なんか仲良いようにつるんで
青春しているように見えるけどさ、
「共同体の崩壊」
っていう、
みんなさ、自分ひとりで解決して乗り越えちゃうんだよな。
登場人物たち。
そこにさ、オラクルは必要ないわけよ。
でも、おじさん思うけどさ、
オラクルが必要ないなんてことは絶対ないよ。
うん、絶対ないって言い切りたい。
アメリカじゃさ、
とか聞くことあるけど、
日本にもそういうの必要なんじゃねぇの、
たぶんよー、
いまだにカウンセリングは「病んだ人が受けるもの」的なさ、
偏見があるから、広まらないんだろうけど、
自分の話を聞いて反応してくれる人がいないとさ、
超ふらふらしちゃうじゃん?
いや、正解を教えてくれなくてもさ、
反応してくれるだけで、
救われるところってあるじゃない?
根拠ができるわけじゃない?
現代社会みたいに、
ゲゼルシャフトが進みまくるとさ、
ようするにカウンセラーを
見つけてこないといけないってのが、
寂しい気がするけど、
現代社会だからこそ得なこともあるしな、
そこはバランスだよなって思う。
大河がさ、クリスマスプレゼントを
恵まれない子供たちに送るシーンでさ、
それでも誰かが見ているから、って、私は伝えたいの
って、言ってるけど、
「おうおう、そうだよそうだよ」って思ったんだよ。
xevra先生が、「プリント(ry」っていつも言ってるけどよ、
カウンセリングが一般化してねぇから、
わりと問題のなさそうな人でも、
テクノラティで日本語ブログの多さが際立ってるって話があったけど、
カウンセリングが一般化してないってのが
その理由の中にあるんじゃねぇかな?
んなわけで、「とらドラ!」面白かったよ。
10巻で終わるらしいけど、
うまく落とし前つけてほしいね。
あ、あと、大河派・実乃梨派・亜美派とかあると思うけど、
俺、恋ヶ窪派だから。
(後述)
続編もリンク。
成人の自由意志に基づく(債務奴隷等ではない)売買春を私は悪だとは思わない。ただ集団買春、集団飲酒運転には営利組織として腐敗しているという印象を受ける(これは個々人が同僚に対してフランクに売買春を含む性生活を話すこととはまったく違う)。この直観は何に由来するか? 社会学用語でいうゲゼルシャフトとゲマインシャフトの混同ということだが
営業行為自体がいろいろな便宜供与を媒介とする側面は否定しがたいので、白黒つけるつもりはないが、道徳水準の低い顧客に対して営業活動が最適化されているとすると、顧客の仮想売買などの背任行為の片棒を担がされる危険性も高いのではないか?