はてなキーワード: 土地とは
これはかなり早い段階で言われてたね
パトリック・ハーランが言ってたの聞いて
「はえー、なるほど」
って思った
そもそも増田という場所はフリーレンより漫☆画太郎の方が面白いよねと本気で語り合う場所だったのに、
それがいつの間にかフリーレンのことしか話題に上らないような場所となり、「石鹸はどれが良い?」みたいなどうでもいいライフハックできゃっきゃっ盛り上がる場所に成り下がっている。
そういうのは別の場所でやってくれ。いくらでもあるだろ、そういうことを楽しく語り合う場所というのは。
ここはそういった場所じゃない。それはホームレスが屯する高架下でネイルアートを自慢し合うようなもんだ。ティーピーオーをわきまえてくれ。
そういったマジョリティが我が物顔で跋扈するので俺みたいな原住民は土地を追われ、数多のエグザイルを生み出し、彼らは罪悪感を覚えないどころか気にも留めない。
そして俺らの増田をせせら笑い、同情するのでもなく共感するのでもなくブクマをつける。その感情を表すのに適切な言葉は「侮蔑」ということにも気づかぬままに。
別に見下されることに腹を立てているわけじゃない。そんなことには慣れているからな。俺が憤るのは、それに対して無自覚だからだ。
それでもいい。もういいよ。こんなことしたって無駄だ。そんなこと、分かってるよ。
それでも言わせてほしい…ああ、昔は良かった…ほんとうに良かったんだ。
俺はもう立派なロートルで、老兵は死なずただ消え去るのみというやつかもしれない。
それでもさ、思い出すんだよ。昔のことを。あの殺伐とした、それでいて心地の良かったあの頃を。
拠り所を求めて、初めて増田に来た頃のことを。
だがその故郷は、もうどこにもない。
ホキ美術館って医者としてめっちゃ稼いだオッサンが自分の趣味に金をかけまくった結果みたいな流れだったよな?
育休中の母です。5ヶ月の娘を育てています。
どうしてもどこかに今の自分の心の内を吐き出したかったので、ここに書かせてください。
タイミングの悪いことに娘が生まれてから夫の仕事が急に忙しくなり、ここ数ヶ月は朝早くから出社し帰宅は23時を過ぎるのもざらで、おまけに今月頭からオーストラリアへ一ヶ月間の出張中。
一方育休中の私は近くにママ友もおらず朝から晩まで息子と二人きり。終わりの見えない孤独な育児で精神的に疲れて毎日泣いたりイライラしたり。支援センターに出かけたりもしますが、他のママたちがみんな自分より上手に育児しているように見えて、精神的に疲れてしまいます。
日々激務をこなし馴染みのない外国へまで行って働いている夫は心身ともにさぞかし大変だろうと思います。愛する娘にも会えず異国の地で一ヶ月を過ごすのも辛いことでしょう。
そう感じているのに、どこかで夫のことを羨ましいと思ってしまいます。
職場から必要とされ、業績を評価され、そのおかげで順調に昇給もしていて。もちろん本人の努力の賜物です。きっと私が同じ立場でもそうはいかない。尊敬もしています。
それに対して私は、産休育休でキャリアはストップ。今は育休手当が出ていますがそのうち支給はなくなります。
働いていたときは、職場で関わる人から「ありがとう」と言ってもらったり、仕事の出来が良ければ上司から褒めてもらえることもありました。今は、夫が「いつもありがとう」と口に出してはくれます。でも、お情けで言ってくれてるいだけだろうとネガティブに受け取ってしまったり、他人からの社会的な評価が得られないことが寂しい。
わがまま、強欲なのは分かっています。ないものねだりなんだろうとも思います。
私のことを誰よりも必要としてくれている娘がいて、私が家事育児を担っているからこそ夫に仕事に集中してもらえる今がある。それも頭では分かっているのに、自分が何の役にも立っていない、社会の中で価値のない存在である気がしてならないのです。
実母に夫の激務のことや出張のことを話したら、「旦那さん、大変だね。子どもにも会えずに可哀想に」と言っていました。きっと、夫の職場でも「小さいお子さんがいるのに大変だね。頑張ってね」と労われ、帰国したら「お疲れ様」「よくやった」と評価されるんだろうと思います。
それじゃあ、私のことは誰が褒めてくれるんでしょう。自分の性格が悪いのは分かっています。夫からの感謝だけでは満足できないのも欲張りだし、私の普段の家事育児など夫の仕事と客観的に比べれば大したことじではなく褒められるような出来ではない。誰かに褒めてほしいとか認めてほしいとか、そんな理由で育児をするのも間違っているとは思います。でも、自分の中の承認欲求が暴走して、夫を羨む気持ちを止められないのです。
出張先の夫から送られてくる、海外の風景を映した写真を見て、涙が止められない。新幹線に揺られ、飛行機に乗って、遠い土地に降り立って。仕事のために仕方なくその状況に置かれている夫には申し訳ないけれど、そういう刺激的な事柄がすごく羨ましく思えてしまう。私は娘とほぼ家の周りだけで完結する日常を送っていて、毎日が同じことの繰り返し。幼い娘と過ごす一日一日が、かけがえのないものだとは重々分かっています。それでも、この繰り返しの日々はいつまで続くんだろうと、ふと考えてしまうのです。
夫には、普段から「お疲れ様」「今日も家族のために働いてくれてありがとう」と伝えているつもりですし、出張中の今も、夫の心の支えになれるようにLINEや電話で明るく会話するよう心掛けています。でも、ネガティブな気持ちを夫にぶつけてしまうことがあるのも事実です。醜い羨望が夫に伝わってしまっているのではないかという不安も拭えません。夫の前で後ろ向きな態度を見せてしまう度に、不甲斐ない自分が情けなくて落ち込んでしまいます。気分の落ち込みが娘にも伝わっていたらと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もっと明るく楽しく、幸せな子育てがしたい。最近は自分が何と戦っているのかよく分からなくなってきました。このメンタルの崩れはホルモンバランスのせいではないかと夫に指摘されたので、明日婦人科に行って来ます。何か変わるといいな。
自分は夢の内容を、具体的には全く覚えていることができない。ぼんやりとしたイメージしか残っていないから、どうしても言語化はうまくできないのだが、それでも夢のほうが本当だと感じる。
もちろん、現実と夢の区別はついている。ついていて、そのうえで夢のほうが「おもしろい」という感じ……それはちょっと違うかもしれないが、なんというか、夢を見ているときのほうが「生きている実感」があるのだ。
起きたあとにぼんやりと残っている内容は、ちょっと冒険っぽいイメージのことが多い気がする。仲間と一緒に、知らない土地を旅するようなもの。
ちょっとしたトラブルがあると本気で困り、うれしいことがあると本気で喜ぶ。次々といろんなことが起こる。退屈しないし、すべてのことが感情を揺さぶってくる。
たまにエロい夢もある。もちろん本気で興奮する。でも、別にいつも楽しい内容ではない。怖い思いをすることもある。
犯罪を犯して警察に追われるようなパターンも多くて、汗だくで目覚めたときに「夢でよかった」と胸を撫で下ろしたりするのだが、それでもやっぱり夢のなかのほうが「生きている実感」がある。
現実の自分は、友人も特にいないし、家族もない。彼女はいるが、本当に好きだった人ではない。
仕事は、自営でのんびりやれており、嫌なことでもなく、食っていく分には稼ぎも不足ないが、これも本当にやりたかったことではない。
考えて見ると自分は、これまでの人生で、なんとなくやりたくないことの諸々を拒否してこれた代わりに、本当に欲しいもの、やりたいことも手に入れられず、中年になったようだ。
現実では得られなかったものを、夢の中で埋め合わせようということなのか。もしかしたら、そういうことが関係しているのかもしれない。
あるいは、夢の内容はファンタジーではないけれど、ファミコンばかりやっていた小学校のときの記憶、ドラクエとか、FFとか、パーティーを組んで冒険する、ああいうイメージが、自分のなかに残っているのかもしれない。
結局、ファミコンのRPGが、人生最良の思い出だったのだろうか。
普段の生活では、心から何かを楽しいと思うことはもうほとんどない。酒や飯で脳に強制的に快楽を感じさせ、誤魔化すくらいしかやれることがない。現実では性欲もなくなってきた。風俗にも行ってみたがすぐに飽きた。
昔見たので記憶が曖昧だが、たしか「笑ゥせぇるすまん」のアニメで、自分の見たい夢を見られる枕みたいなのが出てきて、喪黒福造の忠告を無視してそれを使いすぎるというお約束で、その人は目が覚めなくなり、寒風吹き荒ぶビルの屋上かどこかで永久に幸せな夢を見続ける、みたいな話があった。
作品としてはもちろんバッドエンドなのだけれど、ずっと夢のなかにいられるならそっちのほうがよっぽど幸せじゃないかと、自分は思った。
引越し先の物件を調べていたら、近くに創価学会文化会館という巨大な建物があった。この建物は全国にあるらしい。正直、怖い。土地建物の購入費が信者のお布施だとしたらゾッとする。
すずめの戸締りを金ローでみた。
終始、震災を扱う手つきが雑で、物語のエモの舞台装置にされていて不快感があった。
以下、ネタバレ注意。
見てて気になったところ。
震災は「閉じ師」が封じられるという世界観なので、大震災が起きたところは「しくじった」とされる。
人間の及ばないところだからこそ納得せざるをえなかった生死が、震災を操作できるものにすることで、個人の責任に帰結してしまう。あまりに自然災害の本質とかけ離れている。
・「人の想いがその地を沈めてきた」というセリフ
じゃあ大震災の起こった土地はその想いが足りなかったんですか???と詰め寄りたくなってしまう
・おばとすずめの言い合いの言葉のえげつなさ、なのにテンプレートなところ
「あなたがいるせいで家に人も呼べず婚活も上手くいかない」「重いの!」という言い合いのなんかいきなり生々しくエゲつないとこ、でもリアリティがないとこ。
いや、なんか新海誠の思い描く「アラフォーの独身女の苦悩=コブ付きのせいで婚活上手くいかない」っていうテンプレ感というか、取ってつけた感。今までバリバリのキャリアウーマンで年下の同僚からの恋心にも気づかなかった叔母さんの人物像とかけ離れてね?
そんで言い合う叔母さんの顔に、今までなかったほうれい線が出現して醜くなる。
「ヒステリックってブスだよね〜」みたいな偏見があるのか?という穿った見方をしてしまう。なんでおばさん、いきなり老けた?
つーかこの言い合いは、新海誠曰く「前に進めるように、ダイジンの親切」らしいけど、ハア?? 自分で選びとった言葉じゃないなら何の意味があるんだよ、この会話。
叔母さんが必死に隠してきたことがあるとして、それをすずめに伝えるとして、それが彼女の意志でなければ前に進める訳ないだろ。
・ダイジンが震災孤児だという無神経さ、そして救われないのかよ
ダイジンはかつての震災孤児が要石として名乗りを上げたらしい。この設定、いや、絶句するんだが。悲しい過去!とか自己犠牲!とか、そういう泣きのために入れていい設定じゃないだろ。なんで震災孤児がそんな苦痛の自己犠牲の選択をして、解放されて誰かの子供になれるかと思ったら無理で、また自己犠牲に戻るなんて言うストーリーを安易に作るんだよ。本当に手つきが雑!震災は感動エモ泣きのための舞台装置じゃないが…?
・結局世界は何も変わらない
すずめがうっかり抜いた要石を元に戻した。起こった現象としてはそれだけだ。別につらい役目を担っていた要石のダイジンが解放されるわけでもなく、閉じ師の運命から草太が解放されるわけでもない。
世界は前には進まない。ただすずめが、「おばさんと本音を言いあえたし過去の自分を抱きしめられた」だけだ。
上っ面のSDGsは単なるお題目に過ぎないことも分からんのか。
(発電所付近に住む田舎者が灰や放射能で汚染されることについては知ったこっちゃない。
(音が小さいことによって轢かれそうになる奴がいたらクラクションを鳴らせばいい。
そもそも車のエンジン音で接近を感知しようという安全意識で街を歩いているのが図々しい。
盲目の人間は危ないから家から出るな障害者は社会に迷惑をかけないように暮らせ)
いいか、EVってのは「心優しい人が地球の未来を考えて乗るような車」じゃねえんだよ!
自分さえよければそれでいいサイコな金持ちが、ソイツにとってメリットがあるから乗る車なんだ!
排ガスモクモクのスーパーカーを格好いいからブンブン振り回して大気を汚染するカーマニアとの間に大きな差なんてねえんだよ。
乗ってる人間にとってメリットがあるかどうか、結局はそこに帰結するんだ。
環境問題的に意味があるかどうかなんておべんちゃらに価値はねえよ。
単に技術競争において優位に立ちたい企業と、ソイツらに金を投入して国力を増やしたい政府の間でやってるSDGsごっこでしかねえ。
そんなの真に受けるな。
「俺が排ガスを吸いたくない(発電所の近くに住むやつが排ガスを吸うのは自己責任」
「俺が静かに暮らしたい(接近に気づかずに轢かれるクソガキは社会不適合者だから死ね」
がEVの強みだ。
二度と勘違いするなよ。
おかしくねえか??
俺は毎日毎日Eテレを見ているので、そんじょそこらの大人よりはSDGsに詳しいつもりだ。
1:貧困をなくそう (英: No Poverty)「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」
2: 飢餓をゼロに (英: Zero Hunger)「飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する」
3:すべての人に健康と福祉を (英: Good Health and Well-Being)「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」
4: 質の高い教育をみんなに (英: Quality Education)「すべての人々へ包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」
5: ジェンダー平等を実現しよう (英: Gender Equality)「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」
6: 安全な水とトイレを世界中に (英: Clean Water and Sanitation)「すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する」
7: エネルギーをみんなに、そしてクリーンに (英: Affordable and Clean Energy)「すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する」
8: 働きがいも経済成長も (英: Decent Work and Economic Growth)「包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する」
9: 産業と技術革新の基盤をつくろう (英: Industry, Innovation and Infrastructure)「強靱なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及び技術革新の推進を図る」
10: 人や国の不平等をなくそう (英: Reduced Inequalities)「各国内及び各国間の不平等を是正する」
11: 住み続けられるまちづくりを (英: Sustainable Cities and Communities)「包摂的で安全かつ強靱で持続可能な都市及び人間居住を実現する」
12: つくる責任 つかう責任 (英: Responsible Consumption and Production)「持続可能な生産消費形態を確保する」
13: 気候変動に具体的な対策を (英: Climate Action)「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」[注釈 2]
14: 海の豊かさを守ろう (英: Life Below Water)「持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」
15: 陸の豊かさも守ろう (英: Life on Land)「陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する」
16: 平和と公正をすべての人に (英: Peace, Justice and Strong Institutions)「持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する」
お前らもSDGsが何の略蚊くらいは知ってるだろうと思うが、(S)ustainable (D)evelopment (G)oal(s) すなわち持続可能な開発目標と言ってるものだ。
俺の理解するところ、持続可能性、というのは、究極のとこ地球のリソースは有限に決まっているのだから、それを使い潰さず、人類が恒久的に存続し発展していける可能性を残している状態ということだ。
俺はその究極目標は気に入っている。人類が無限の未来までその足跡を残せるよう、俺たちは最大限努力すべきだろう。それが先祖と子孫と、人類が見つけてきたすべての叡智のために、現在の我々ができることだ。
6、7、8、9、11、12、13、14、15あたりはわかる。
公衆衛生、エネルギー持続性、経済と雇用、産業と都市のインフラ、マテリアルリサイクル、気候変動対策、生物多様性……
1、2、3、10、16もまあわかる。貧困だの飢餓だのを放っておくと人間が死ぬし、社会がある程度公正でないと戦争が起きたりする。
俺が意味わからんと思うのは、4と5だ。高い教育とジェンダー平等だ。これが人類の持続可能性に資するかどうか、まだ誰もわからなくないか?
いやもろちん、高い教育、ジェンダー平等、まことに結構だ。やったら良い。より良い社会のために、是非とも必要なことだ。
だがこれ、持続可能な開発目標か??こいつら無理やりねじ込まれてないか??
もちろんすべての目標は未だ人類社会で達成されてないことばかりだが、それにしたって、この4と5が持続可能な社会を作れるかは不明すぎやしないか?
(おまけ)
また、正直なところ、俺は特にジェンダー問題については、このままやって本当に大丈夫か?と思ってもいる。
率直に言って、ここまでの人類の存続は、男女の役割という苛烈な人権制限の上に成り立ってるんじゃないだろうか?
特に女だ。狩猟の時代が終わって男の肉体の役割はずいぶんマシになったと言えるだろうが、女の肉体は相変わらずとんでもない無理をして次の世代を作っている。
こんな状況では、ジェンダー平等なんてのは土台無理な話なんではないかと思っている。
何万年前と同じように、俺たちは女たちの本能に期待する以外に種としての持続可能性を持っていない。
ジェンダー平等が達成された世界で、古い男女の役割(女の役割)をやってくれる人間たちだけで人類を持続させられるのだろうか?
200vの一般家庭電源で充電すると、10時間で80km分ぐらいしか充電できない問題があるから
自宅充電を中心に行動すると結構つらい。
もう少し大容量の充電器を付けることもできるけど、そんなのがあちこちにたくさんついたら本当にインフラが辛い。
電源の方のイノベーション、核融合とか夢のような話を除き、地に足のついた動きは水素エネルギー輸送だよな。
土地の安い所で大量の太陽光パネルや条件の良いところで風力発電をして、水素、または水素にし、安定した物質にしてタンカーで運ぶ。
あるいは、褐炭などの質の悪い化石燃料を改質して水素を得て、残りのCo2などを地面に埋め戻すと行ったプラントなどで作ってタンカーで運ぶ奴。
充電て給油にくらべてめちゃ時間かからんの?という素朴な疑問がある
ガソリンだったらものの数分だけどEVだと急速充電でも結構時間いるんじゃないの?
調べたら急速でも1時間かかるとか。街の充電スタンドで満充電しないにしても
充電時間考えるとEVの普及がすすめばすすむほどスタンド用の土地の必要面積がすごいことにならん?
ガソリンスタンドだったら給油時間は早いから、都市部の需要の高さを活かして回転率を上げればそのコストは吸収できるけど、
EVの充電だったら仮に技術革新で15分になったとしても一時間で4台しかまわせないわけじゃん?
都市の密度が高ければ高いほどスタンドの需要は大きくなるけど、その需要を取り込むにあたって土地面積の確保で対応するしかないってのは都市の高密度化と逆行しないといけなくなるのキツくない?