はてなキーワード: マイクロバスとは
朝飯くってさっきまで朝寝してたときに見た夢2つ
どっちも胸糞悪い自分の糞さが露呈した嫌な夢だった
1つ目
なんか犯罪してマイクロバスで犯罪者集団のいち員として逃げる話
夜0時前になったから怪しまれる前に宿とろうってなってホテルに入って他のやつが飯だか温泉だかに行くすきをみはからって自分は逃げようと思ってたけど今いる場所が家から遠いからマイクロバスの鍵をパクろうとしてたところに、どっか言ってた仲間が戻ってきて自分が逃げようとしてたことがバレてうわあああああああああみたいな
2つ目
バイオ7の地下みたいなところをゲームっぽく俯瞰で見ててでも実際は自分がそこにいる感じの
マリオのヘイポーみたいなやつがいて、そいつら神出鬼没だけどちょっとでも触れられてしまうと変なところに飛ばされてしまうよ
って教えてくれた、先にいたプレイヤーの先輩みたいな人がいた
でもその人が中にいるのに自分は鍵をしめてその人を閉じ込めたままゲームリセットしてしまった
そんで何回かプレイしようとしてたけど自分が悪いことしてその人を閉じ込めてしまった意識はあったから毎回鍵閉めて、その人が出てきて自分が責められることがないようにしてたつもりだったのに、
あるときに自分がプレイ中に変な物音がして、あっそういえばさっき鍵閉め忘れたからあの人が出てきてしまったのかも、と思って、
奥さんが辛い時、自分にして欲しいことをカードかプラ板に書いて、旦那さんに示せばいいと思う。
辛いときはノーミソもぐわんぐわんになって言葉にしづらいときがあると思う。
母乳や母体に影響がないが、ササッと食べる事が出来るレンチン料理があるといいなあ。
赤ちゃんをどーのこーのじゃなく、掃除選択や皿洗い、ゴミ捨て、簡単な料理作りだけでも奥さんは助かるんじゃないかな。
母親にしか出来ない事がある。それを夫にやってくれというのは辛い。昭和の頃のように、近所のおばさんに安心して子供を預けられる時代ではない。
ファミサポは宿泊がないのが辛い。介護の場合宿泊デイサービスがあるから、その間介護者は少し休む事ができるけれど。
乳児と母親をマイクロバスで迎えに来て、母子の食事の支度や乳児の世話、滞在中のオムツの始末等色々やってくれる施設があるといいのにね。施設の昼寝室で母親少しでも眠ったり。勿論それなりの費用はかかると思う。収入の厳しい世帯では利用が難しいかもしれないけどね。
個人も自治体も金がない。金を一番持っているのはでっかい法人。本当はその法人が将来社会人となる子供達の育成にお金や時間を掛けて欲しいと思い、色々思う事があるけれど長くなるので割愛する。
同業として感じるのは、送迎時に降車確認をしそびれたとの言い分はまずあり得ないということ。
入所施設なんかはマイクロバスを所有しているところもあるけど、生活介護事業所の送迎車なんて大きくてもハイエースクラス。
かつ、事件の施設は障害種別問わず受け入れをしてたみたいだから、後部座席は車椅子が積めるリフトになってることも想定できる。その限られたスペースの中で、降車確認ができないという事実があり得るのかって話。
おおかた、送迎中に調子を崩してパニックを起こした利用者(決して珍しいことではない)を懲罰的に、もしくはクールダウンの目的で車内に留め置いていたのを、現場の忙しさにかまけて忘れてしまったとかいう顛末なんじゃないかなと思う。
事件の施設は40名定員の生活介護だから、恐らく職員体制はカツカツだと思う。利用者が一人欠けているぐらいじゃ確かに職員も気付かないだろうし、朝の送迎時の申し送りが行き届いてないこともあり得たんじゃないだろうか。
これから事実が明るみになるだろうけど、安易な選択で人が死にうるということは、自分も強く肝に銘じないといけないと感じた事件だった。
神様に感謝するほどでは無く、実際に助けてくれた人たちに感謝したい
スイスの細い山道で正面から夏休みの学生を乗せたマイクロバスがやってきた
やめとけばいいのに、まあしかたがないので道を譲るために慣れない左ハンドルのレンタカーゴルフをバックさせたら案の定、脱輪した
次にマイクロバスからロープを持って来てゴルフを引っ張ってくれたが、ロープが切れた
結局マイクロバス(小さいトレーラーをつないでいた)がバックしてくれて、デカいトラクターを呼んできてくれた
とりあえずサンキュー、ダンケ、メルシィと言って皆さんをお見送り
その模様はYouTUbeにあるので興味があれば探してください
30~40年ほど前に作られた住宅街で、庭付き戸建の家がほとんど。
自分が小さかったころは、近所に救急車が来ることがほとんどなかったので、何年前にどこどこの家に救急車が来てた、ってのを覚えてる程度だった。
しかしここ数年、異常に救急車が来る頻度が増えた。だいたい1、2週間に1度の割合。
自分の家は少し高いところにあって、部屋からはだいたい100軒ほどの家が見える。
救急車が到着するのは毎回違う家。
そしてなぜか到着してから忘れたころに出発することがほとんど。そのへんの事情はよくわからないけど。
夕方5時ころ買い物しに郊外の量販店なんかに行くと、何台ものマイクロバスとすれちがう。
白いハイエースとかそういうので8人乗りくらいのやつ。
これ、昼間施設に預けられた老人を家まで送るバスなんだよ。ちょっと住宅街を抜けるだけで何台も見かけるから
全体では相当な数なんだと思う。
さらに、もっと変なのはそれを運転してるのがだいたい老人なんだよ。
働き盛りの人はまずいない。いても50歳くらいの感じの人まで。
いま、団塊の世代はまだここまでの年齢ではないと思う。
しかしあと10~20年後くらいか、これがピークになる。
もうほんとやばいと思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140412184724
上の元増田の話
・部活担当教師が見えない形で被っている負担(この場合は車代差額…維持管理費差額含め、おそらく遠征時のガソリン代も自腹)
・対する待遇の低さ(元増田が書いてる一日当たりの手当額は、高額な方。県によっては1,200円とかのところもある。そして「年度末に予算が苦しくなれば打ち切り」。部活動への外部講師の話はしばしば検討されるが、進まないのは「一日1,200円で来てくれるまともな技術指導者・講師など、普通はいないから」。)
ということも付け加えるべき。(一日1,200円で来てくれる酔狂な講師がいたとしても、「生徒の怪我等には、あなたも個人として責任も負うことになります」と言えば、また、ためらわれる。というかそれ以前に、頼む側の常識が疑われる案件だろう。)
移動なんて、本来は、マイクロバスなどを借り上げて、その費用を部員の保護者に請求すべき筋合いのものだが、公立校でそんなことできようはずがない。請求・取りまとめ・精算にかかる事務の手間だけで、あっという間に部の運営は立ち行かない。だから、元増田のようなことになる。でも、こういう「自己判断でこっそり移動」をさせるせいで、もし事故などが起きれば元増田を守る方法がない。「生徒を自分の車で移動させていた先生が悪い」となる。下手したら「遠征費を浮かすためにやっていたのだろう」などと批判されかねない。
遠征費!何にでも使える遠征費!そんな便利な金があればオレにくれ!生徒には、選手のお前らには学校や県から補助が出てるからな、と言って、連れて行って飯を食わせてた。出てるのは全国大会ですら、片道交通費の8がけと宿泊費一日3,000円くらいだよ。練習試合じゃ出ねんだよ。残りの交通費は学校経費かオレの金だよ。そんで、お前らが今食ってる飯代は10割オレの金だよ、なんて、頑張って全国大会に選ばれた生徒に言えないだろう。保護者から金集めろって? じゃあ「金のない奴は代表辞退しなさいね、つーかそもそも部活なんてやらないでね」って言えんのか? 言っていいのか? どうなんだ? ……すまない。興奮してしまった。(ちなみに私立の学校が代表に入ってる場合はいくらか楽ができた。1/5が1/2くらいにはなったよ。)叩きたきゃ叩いてくれ。頭悪いから、自腹切る以外にいい方法思いつかねんだよ。
これは社会が悪いのではなく、そもそも部活動というものが一般社会の想定する常識とかけ離れたところで運営されていることが悪い(どこの社会人が、毎週土日を潰し、自分の子どもをほったらかし、余所の子どもの習い事を、足代飯代に身銭を切って面倒見るというのか。しかもそれが、事実上、『業務命令』として下されるとは! そんな人がいることを想定してないのは、社会が悪いんじゃない。そういうことを当たり前にやってる組織が悪いに決まってる)。
自分も、教育の隅に席を占める立場で、かねてからこういう不健全な組織は学校から切り離すべきじゃないのかと思ってきた。
(ちなみに、公立校で、教師の自己犠牲や奉仕活動によらないで成立する部活動は、運動部文化部問わず原則一つもない、と言い切ってもいい。)
ただし、これを一種の「社会奉仕活動」だと考えれば、いくらか納得がいかないでもない。海外では休暇などを使って、学校教員が積極的に社会奉仕活動やプログラムに参加したりする。社会奉仕活動をするのは、教員が社会常識を身に付ける上で非常にいい機会だと思うので、本当はそれができるように法や制度を整備すべきだと思うのだけれども、残念ながらそういう風土がない日本では、それに代わる一種の社会奉仕活動として、学校の部活動があると考えてもよい。その意味では、「学校の部活動」という概念を捨てて、「地域社会・一般からの参加を積極的に受け入れる社会運動団体」化を段階的に進めていくというのが一案だ。つまり、クラブチーム化する、ということ。学校の部活に、地域の小学生や社会人、お年寄りまで受け入れるってこと。んで、事務・運営にも一般の方(当面はPTAなど)に入っていただく。プロのある運動競技などなら、プロとの提携も視野に入れる。これにより、
・活動の拡大
……などの利点が見込まれる。だが、その反面以下のような課題も考えられる
・部活動が学校から離れ始めると、学校運営への部活動利用が難しくなる(指導困難な学校ほど、生徒指導と部活動が一体化している現状がある。運動部員がいるから学校が落ち着いている、など)
・現状、これも教員が負担している、大会運営などを行う都道府県の事務組織運営を誰がするのか、という問題(これは、部活顧問に成り立ての若手教員などは余り分かっていないと思うが、地味に相当の負担)これは、たとえば運動部の場合、特定の運動部の都道府県組織だけではなく、都道府県の運動部全てを扱う高体連組織、更にはブロック高体連、全国の高体連の事務局運営なども含めての話。ブロックや全国の事務局となると、予算立てをしてそれ用の事務員さんなどを雇うことになるが、それ以下の大半の組織では、そんなお金はどこからも出しようがない)
……そのため、こういったこと(一度は考える教員も多いと思うが)には、ちょっと手を出しかねて、結果現状維持、となっていると思う。
それらを踏まえて、個人的には、いまの部活動の現状はやっぱりおかしいと思うし、変えるべきだと思う。しかし、「よりよい対案」や「その対案へソフトランディングさせる方法」というのは、なかなか難しい。従って、こういう場合には、むしろトップダウンで(たとえば文部科学省から「全ての部活動は段階的に社会体育に移行すること」という通達を出すなど)進めるのが、改革するにはベストの方法だと思う。
買い物帰りに、市営の100円バスに乗った(マイクロバス)。乗車したバス停から、20分ほどで降車するバス停に着く。スマホでメールチェックをしながら、バスに揺られた。
2つほどバス停を過ぎると、私の右隣に中年女性が座った。私はこのときもスマホをいじっていたので、中年女性ということしかわからなかった。
またいくつか目のバス停に止まったとき、15歳ほどの男の子たちが5人くらいのグループで乗車してきた。バス車内に足を踏み入れるや、大きい声で話しだす。
数分停車したバスは、中年女性と彼らと私とその他のひとたちを乗せ、また次のバス停に向かって走りだした。
すると、DQN少年A(私の斜向かい、中年女性の真向かいに座っている子)が「ヤベーこれマジ」みたいなことを言いながら爆笑しだした。そして、私のすぐ左隣に座っている少年を促して席をトレードして、また集団でバカにした笑いをする。
私は、自分のことを笑われているんじゃないかとビクビクしながら、少年たちの方をチラ見した。すると、視線を見るにどうやら笑っている対象は私ではなくて、すぐ右隣の中年女性らしい。なにがそんなにおもしろいのかは、わからなかった。でも、顔面を凝視していたから、たぶんそういうことだろう。あと、「くせー!」と言っていたから、体臭もしたのかも。ちらっと目に入った彼女の衣服には、洗濯をしていないときにできる汗ジミが見えた。
誰かが誰かを嘲笑している空間にいることがとても嫌だったが、顔はともかく、体臭をさせてしまう中年女性にも落ち度があった。だからといって、ヒトがヒトを嘲笑していい理由付けになんてならない。じゃあ、私は注意するべきだったのか。でも、今日は炎天下を久しぶりに歩いて、注意するほどの体力がなかった。でも、これも注意しなくていい理由付けになるのだろうか。誰が悪くて、誰が悪くないのか、よくわからなくなって、ただ暗い気持ちになって帰宅した。
阪神淡路大震災から震災遺児支援のボランティア活動に細々関わっていて、昨年の福島にも休日を利用して出張っていたりした。
夏になり、仕事が繁忙期に入ったのと、現行の活動内容に一定のめどが立ったのもあって、しばらく活動から距離を置いていた。
そして少し前、福島での活動を通じて知り合った人から、よければ手伝って欲しい事があるとメールが来た。
諸事情あって今は福島へ通う余裕が無いと返答したら、いや福島へ行く必要は無い。あなたのお住まい(相手は俺の住所を知っている)からそれほど時間がかからない場所だと。
それならば話だけでも伺いますと返事したら、紹介したい人がいると返事があり、会うことに。
とりあえずA氏としておく。彼とは喫茶店で合流し、そして俺に説明した。
端的に言えば、震災で保護者を失った子供達をこの近く(この近辺では一番大きな市)に呼び、レジャーランドに招待したり一緒に食事会を開いたりして親睦を深めようというもので、A氏が主催をつとめるボランティア団体がそれを取り仕切る、というものである。「会員制のあしながおじさんみたいなもの」とAは言った。
当然だが子供達の交通費、食費などは会員が払う会費から捻出される。食事代は顔なじみの店に話がついており、まとまった人数が見込めるのでリーズナブルでそれなりに贅沢な内容に出来る、と。
ボランティア歴がそこそこ長いので、こういった寄生虫のような連中は嫌と言うほど見てきた。ワードかエクセルで作られたようなパンフレットの最初の1、2ページを見た時点で断る気満々で居たら、Aはその空気をかぎ取ったのか、俺に別の紙切れを見せてきた。
『第一回親睦会』の参加予定者の名簿なのだが、全て小学生~中学生とおぼしき女児で、顔写真とセットで名前と年齢が記載されており、備考欄に「千円くらい」とか「1万円」などと書いてあった。
そしてAは声を細めてこう言った。
「最近の子供というものは色々と入り用なようで、『お小遣い』などを欲しがっている子もいますし…」
「一応、『食事会』は20時までという事になっていますが、迎えのマイクロバスは翌日にもう一度来ますので…」
『名簿』の中には俺が見知っている子もいた。当時小学五年生で、震災で父親と弟(妹だったかも)を自宅もろとも失った子だった。ただ、名簿の名前は別名だった。
『会費』の額が額なのでちょっと考えさせてくださいとだけ答え、見せられたパンフレットを受け取り、Aとは喫茶店でそのまま別れた
『名簿』も要求したが「今はこれ一部しかありませんので」と渋られたため、入手は出来なかった。
以上を洗いざらいぶちまけたつもりだったが、生活安全課の職員の反応は淡々としていた。
「情報提供ありがとうございます」「調査いたします」とだけ。
この顛末を冒頭のメールを送ってきた人に伝えると、涙ながらに謝ってきた。
「そんな事をする人だとは知らなかった」「子供達をとんでもない事に巻き込んでしまった」と。
知っている限りの人にこのことを伝えてくれと言い、そのまま電話を切った。
ちょうど今くらいの時間だったな、とふと気が付いて1年前のことを思い返してみました。
1年前の今日は6時に市ヶ谷に着いて、そこから神奈川まで団体で行動していました。
お昼に会食を済ませてバスで移動中、建物の中からたくさんの職員が走り出てくるのが見えました。
私たちはバスに乗っており、揺れには全く気が付いていませんでした。
速度を落とすために設置されているデコボコの上を走っているのかな、程度にしか思っていませんでした。
緊急地震速報なども鳴らず、建物から人がわらわらと出てくるのを見て
呑気に「今ってお昼休みでしたっけ?」という会話を交わしたほどです。
一度目の揺れはほとんど体感していなかったこともあり、危機感はあまりありませんでした。
外出先でしかも移動中、TVはありませんし、ネットにも繋がらない状況でした。
辛うじて繋がったYahoo!のトップページを見て震源地は福島で震度5強らしいということを知った程度でした。
さぁこれからミーティングという段になって二度目の揺れがきました。
二度目は建物内にいたこともあって、一度目よりも危機感がありました。
それでも私は「この程度の揺れなら心配ないのではないか」と甘いことを考えていました。
建物内にいた人が“Everybody get out!!”と叫んだことでようやく現状を認識しました。
あぁ、これはどうやら非常事態らしい、と。
二度の大きな揺れがあったことによって、只事ではないという雰囲気が周囲を漂っていました。
緊迫感と焦燥感、戸惑いが溢れる中、私の携帯には祖母から電話がありました。
今思えばこの段階で電話が繋がったことは奇跡的だったのですが、
この期に及んでも正しく事態を認識できていなかった私は、
祖母に自身の無事と現在地、家族とは別行動であることを告げ早々に電話を切ってしまいました。
すべての予定はキャンセルされ、とりあえず東京まで帰るということになりました。
マイクロバスに全員乗り込み、帰路に着いたのでした。
しかし、交通は麻痺し、徒歩での帰宅者が溢れる中の移動は想像を遥かに超えた時間を要しました。
行きは2時間半程度だった道程も、帰りは9時間以上度かかりました。
それでも、ガス欠になることもなく車で安心して都内まで帰ることができたのは
不幸中の幸いだったと思います。
帰路の間、家族と連絡を取ろうと試みましたが電話もメールもパンク状態でした。
神奈川にいる間は普通にメールができていたのですが、都内にいる人とは連絡が取れませんでした。
こちらから発信できても、あちら側が受け取れない状況が続いていたように思います。
都内に戻ってからは、電話もメールも繋がらない状態が続きました。
このとき、従姉が災害伝言板を活用し連絡してきたことで親戚一同が災害伝言板の存在に気付き
メールが不通の間は災害伝言板でお互いの現在地や安否を確認していました。
私が帰宅したのは午前1時を回った頃でした。
帰宅してテレビを付けて驚いたのは、想像すらしていなかったレベルの未曾有の大災害であったこと。
何度も何度も繰り返し放映される津波の映像を見て、放心状態になったことを覚えています。
とは言うものの、私は都内の住まいなので食品の買い占め等以外は特に切実な問題はありませんでした。
震災直後、「物流が滞っているのでガソリンがいつなくなるか分からない」と
タクシーの運転手さんが話しているのを聞いて、そこまで緊急の事態なのだな、と再認識しました。
*
ここからは余談です。
当時、災害派遣中に自衛官が「やっと税金の無駄遣いが役に立ったな」と言われたという話があります。
自衛官の誰一人、感謝してくれとは言わないと思いますし、思ってもいないと思います。
私が話した自衛官も「仕事だから当然のこと」とさっぱり言い切っていました。
「殉職するならそれも本望」とも言っていました。
そこに至るまでにどれほどの葛藤があったのかは民間人たる私には量ることはできませんが、
覚悟と責任感、使命感を持って、自身の寝る間も食事の時間も惜しんで災害派遣に勤しんでいた自衛官に
非常時にあってもなお、そのようなことをいう人がいるのだなと知り、悲しい気持ちになりました。
「我々が活躍する日なんて来てほしくなかった」
まず、私、メス。引きこもり大好きな妻。
来週から大阪に住んでいる夫の父(=以下「舅」「糞爺」)が、自分たちの住む北海道に来ることとなりました。
最初は楽しみにしていました。
それが、今すげ~ブルー憂鬱最悪・市んで頂きたく候という気持ちです。
お得なバスのオプショナルツアーはいっぱいあるが、これを嫁の私が全部調べろと・・・?ざけんな糞爺。市ね。
定年退職してからも、もちろん家事全てするのは自分の配偶者。服もたためない。ご飯も炊けません。戦後生まれの団塊の貧弱なことよ。(ひとのこと言えないけれど)
でも、旅行に持っていく荷物とか洋服とか、こちらへのお土産とかは、全部妻まかせである。
ぐだぐだと愚痴だけかく自分はジメジメした女だよなぁ、と思う。
もともと一人絵を描いたり工芸したり、むちゃくちゃしたいことがいっぱいあるので、正直舅の訪問はうざい。
貧乏で生活力の無い舅が、とにかくあと2週間後にうちに来るのだ。
姑から、「旅行の舅の荷物を発送します」連絡で、衝動的にぶちぎれた。
姑はいまだ現役で家政婦を二つ掛け持ちし、更に料理には決して手抜きしない。
姑マジ尊敬してるよ。こういう生活力のある自分でも稼いで、かといって、偉ぶらない、ご飯も栄養のことしっかり考えることのできる人間に私はなりたい。人間としてあの糞爺にはもったいなすぎる妻だ。姑はマジ尊敬してる。大事なことなので二回言った。
結局、定年退職してお金を稼げなくなった男は去勢されたオスだ。しかも自覚が無い。
都合が悪いとすぐに「赤ちゃんかえり」するだろう。かわいこぶって、うぜー舅。
この人の糞尿の世話は絶対したくないわ。
都合の悪いときばかり逃げてきた、負債をすべて自分の息子たちにまかせた嫌なやつ。
私はすごく冷たいし、わがままだし、すぐ疲れるからもう、頼るな。勝手にしろ。
別にもう年齢が年齢だし仕事無いのはわかってるんだよ。
朝、どうせ早く起きるんだから、姑さんに朝食くらい作ってやれよ。
姑さんが家政婦の仕事に出かけているときくらい、家の中の掃除くらいすれよ。
なんにもできない能無し男。生活力ゼロ。選挙には一度も言ったことの無い馬鹿。気がつけば過去の栄光ばかり(それもくだらん!!)語りだしたらうざいうざい。
ちなみに私の父も、定年退職後、母親べったり。最初は気を使っていたけれど、疲れた。夫が定年したら、妻が一番忙しい。なんで、文句いわないの?今まで養ってもらったから?
そういう人ばかりではないとは、思ってます。
でもね、嫁さんというだけで、親の介護とか世話するとか、これからのこと考えると、ほんとうにネグレクトしたいです。正直、垂れ落ちる糞尿をそのまま放置、床ずれ放置。悪妻と呼べばいい。
老いぼれて使えなくなった爺に嫌われたって全然平気なんだから。
http://anond.hatelabo.jp/20081114090156
を書いた元増田(♀)です。
私の体験を、誰かの葬儀で繰り返してもらわないために、あえて書かせていただきました。
思いもかけず、色々なご意見が伺えて大変勉強になりました。私が思う通りではなく、批判的なご意見もあり、それも大変勉強になりました。
この場を借りてお礼申し上げます。
http://anond.hatelabo.jp/20081114103910
親族だけで拾骨したのなら、火葬場の人に伺う機会もあったかもしれません。
火葬場の人がそれを言うのなら、私達も納得したでしょう。
ですが、親戚は勝手に茶色い骨髄を「黒いとこ」に仕立て上げていました。とても悲しく思います。
叔父(葬儀委員長)は、火葬場へ向かうマイクロバスに続々乗り込む人々を止めなかった事をしきりに悔やんでいました。実際には行きたがるのを止めるわけにもいかないのですが、あらかじめ「血縁者のみ。」とアナウンスしておけばと悔やんでいました。
生花を出した両家の伯父家族は皆、母の死を悼み悲しむそぶりはありませんでした。
ですが、母の死を悲しんでいないようなのはこの2家族だけです。
広く知らせず、新聞などにも掲載しなかった分、母の死を本当に悼む方ばかり訪れて下さいました。
葬儀屋さんも、トラブルなく全てスムーズに進み良かった、と仰っていました。
http://anond.hatelabo.jp/20081114092649
「人を見る目」とのご意見がありました。(ご意見有難うございます)
ですが、残念なことに、親戚は選べないのです。
はっきり言えば親戚中から距離を置かれている伯父ですが、葬式に呼ばないわけに行きません。
それどころか全然呼んでいない通夜前日からやって来て、葬儀に対し色々と、母や我々遺族を無視した注文を押し付けてきました。
彼の香典だけは、初七日の香典袋もついていて、黄色い水引でした。
田舎であるここでは、誰もそのようにして来ませんでした。
伯父はこれが本当のマナーだと言いたいのでしょう。
ですが、伯父の言動には誰よりも、母に対する心がありませんでした。
誰よりもマナーがありませんでした。
母が死んだ。
父は、家族葬にし、葬儀は極力地味にすると決め、親族以外一切連絡しなかった。
父が家族葬に決めたのには理由がある。母と同世代の人は大抵年金生活者だから、気を遣わせて無用な出費をさせないよう、
「極力派手な事はしない。」
と方針を決めていたのだ。
少人数なので、不快な出来事は起きにくいはずだった。
通夜の前日、母方の伯父が生花を出すと言い張り聞かなくなった。その伯父は元町会議員((実は、祖母の連れ子だった母とは直接血は繋がっていない。))。葬儀委員長だった父の弟((近所に住んでいて、私たち家族とは深い付き合いがある。冠婚葬祭に詳しい。))が渋々それを受け入れると、今度は父方の伯父が声を荒げて生花を出すと言い出した。
嫌な雰囲気になった。
翌日、火葬場で母が焼かれた。程なくして、骨を拾う事になった。マイクロバスが用意された。
私たち家族だけだろうと思っていたら、母方の親類が押し寄せるように乗り込んできた。それにつられてか、父方の親類まで乗り込んできた。マイクロバスは、満杯の親類縁者を乗せて火葬場に着いた。
生花にこだわった父方の伯父は、焼却炉を覗き込んでしたり顔で頷いていた。
母方の伯父の一族は、母の骨を見て、
「ほらほら、骨が黒くなってる。あっちも、あっちも。黒いところが病気のところなんだよね。」
とざわめき始めた。
「焼くと、病気だったところの骨が黒ずむ。」という俗説は、私も火葬場に行くたびに聞かされた。時には火葬場の責任者が骨を指して、
「ここが病んでいたところ。」
などと言う事もあった。
しかし、母の病巣は肝臓で、蛋白質主体であるその病巣が800℃以上で1時間30分以上焼かれてその痕跡を残すとは考えられない。
さらに、母が骨に転移などを起こしていなかった事は死の直前に行われた検査で明らかになっている。
しかも、彼らが「黒くなっている。」と騒いでいたのは、淡褐色になった骨髄の部分だった。そこに病巣はない。
生焼けなら可能性はあるが、いつからこのような俗説が流行り始めたのだろう。
親戚はざわめき始めた。
「こりゃあ、痛んだろう。」
「辛かったろうね。」
母は自宅療養だった。癌であるにもかかわらず痛みを一切覚えず、モルヒネを最期まで使わなかった。
父の献身的な介護で、母は快適に過ごしていた。死の6日前まで穏やかだった。笑顔もあった。
医師が何度も「痛みは本当にありませんか?」と聞くのがおかしいと笑った事もあった。
そして、医師が驚くほど母は長く生きた。念のためと入院してすぐに死んでしまった。
何も知らない親類縁者が、2年にも及ぶ父の献身的な介護を見ることもなく、穏やかだった母の生活を見ることもなく、勝手に母を苦しんだ事にし、母は辛かったんだ、不幸だったと言い始めた。
奥歯を噛み締めながら母の頭の骨を箱に収めていると、伯母((生花を出すと言い張った伯父の妻))が私の背後に近寄り、こう言った。
「○○ちゃん、あの黒いとこが病んでるとこ。」
怒りで涙が溢れた。
火葬場を出る時、私の顔を見て従兄弟((生花を出すと言い張った伯父の長男))が
「あいつ、大丈夫かぁ?」
と言った。
彼は、母が病気を克服するために頑張ろうとしていた2年前に家に来て、まるで通夜のような顔をしていた。
2年前には通夜のような顔をしていた従兄弟だが、初七日法要には最前列の端っこでいびきをかいて眠っていた。
通夜の前に母方の叔父と競って生花を出すと言いだした父方の伯父は、母の祭壇をカメラで何度も撮影し始めた。宗派が違うので面白かったのだろうか。
その夜、葬儀委員長だった叔父と、もう一人の伯父と父と私とで、遅くまで飲み、話し込んだ。
「火葬場に、野次馬が来てしまったんだな。」
父は私にこういった。
「所詮、花を並べて皆に見せることでしか、母との関係を示せない人たちなんだ。」
葬儀に行く人にお願いしたい。
どんな形であれ、ずっと一緒にいた者が骨になっている家族の周囲で、あれこれ言い立て騒ぐのはやめて欲しい。
葬儀で眠いなら、席を外して欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080601232231
出会い系サイト、Yahoo!パートナーに入って、いきなり三十代女の間でモテモテとなってしまった非モテオタクの感想記。今日はその番外編。
H社の「テレホンH」というのにアクセスしてみた(中略)仕事で転勤した春からH社に何度かアクセスしていて、10人くらいと相手をしたらしい。その中の1人とお付き合いされていると。で、条件を聞いてみると、タダでいいらしいんで、今週か来週、平日の夜に会うことになりました。
この日曜日、出会い系サイトで見つけた、その♀34歳(自称)と会ってきました。
某大都市から100kmほど離れた郊外の田舎町。中小の工場や大手の下請けがたくさん集まっていて、その一つにその子は働いているらしい。もともとは某大都市に住んでいたけど、仕事にあぶれて、人間関係がうまくいかなくなって、3月からこの町に流れてきた。どういう立場で働いているのか本人もよく分かっていないらしい。半年限りの労働と言うことだから、期間工か派遣なのか。月収はパートでスーパーに働きに行くよりマシな程度。
工場までは毎朝送迎のマイクロバスが迎えに来るらしい。集合場所は寮の隣にあるコンビニ。帰りもそこまで送ってくれると。で、夜に自転車でスーパーへ行って飯を買って、食べて、それで一日が終わり。それが週に6日間続く。
この町、典型的な田舎町なんで、クルマがないと遊びにもいけない。だけど、34歳期間工の♀が持っているのは自転車だけ。だから、ヒマなときには携帯で出会い系にアクセスして、♂を探し、それに晩飯代&ホテル代を出させて、"遊ぶ"らしい。飯代とホテル代は♂持ち。その他、カネの要求は一切なし。この春から集めた♂は20人以上。そんな1人が自分ということだ。
20時に、指定されたコンビニで♀を回収。自分と同世代なんだが話しや発想はまるで外国人みたい。なんとかあわそうとはするのだけど、相手は好きなことを好きなだけ喋っている。俺もそうだけど、話し相手が欲しいんだろう。5歳下の彼氏がいる。それも出会い系で知り合った。年下のカワイイヤツでと携帯の写メを見せてくれるけど、完全にヤリ相手としか見られていないんだろうな。
そのうち、クルマを運転する俺の股間をもそもそとさすりだした。本人なりのサービスらしい。されるがままにさせた。
ちょっと小洒落た飯屋で1時間ほど過ごし、ラブホがステイになる時間にチェックイン。風呂の中で、ベットの上で絡み合う。なんか激しいなあ。付いていくのがしんどい。顔も肌も心も年相応に、いやそれ以上に疲れ果てている。
終わった後、テレビを付けたら、昼間の秋葉原の無差別殺戮事件をニュースでやっていた。おぱーいを揉みながら、2人で見ているが、あんまり関心はないらしい。というか、そういう事件があったのも知らなかったし、そもそも秋葉原ってなんなのかもよく分からないとか。
この子の人生って、いったいなんだったんだろう。もう34歳だぜ。ヤンママになって子どもが小学校に通っているヤシもいれば、「アエラ」に出てくるようなキャリア系の女もいる。オタ系で増田に書き込んでいるようなタイプもいる。
でも、この♀はどうするんだろう。将来に展望も何もなさそうだし、それに不安はあるのだろうけど、他人にはおくびも出さない。ただ、通りすがりの♂とセックスをするだけ。それでカネを稼ごうとしているわけでもない。「負け犬」とかなんとか以前の段階である。
そんな♀も、この日本には何千人もいるのかな……とか考えた。でも、そのうち俺の下半身をペロペロし始めた。しかたない。また絡み合うことにした。
翌朝、♀を寮の隣にあるコンビニまで送って別れ、俺も仕事場へ行った。
糞尿まみれの不隠のきっつい年寄りばっかりを選んで、有名どころのホテルに特攻させるらしい。
ホテルには前もって、「桜の会 30名様」みたいな無難な名前で予約を押さえておいて、
マイクロバスで乗りつける。
バスからロビーまではスタッフ総出で移動。ご老人がたがロビーを占拠して騒ぎ始めた頃には、
寝たきり老人は臭くてうるさくて、一人では絶対に移動できなくて、お誂えむきに失禁したり
会場に移動しようにも、車椅子もない老人を一人で運ぶの無理だから、ものすごい時間がかかる。
ころあいを見計らって、交渉役がロビーと交渉。会場をキャンセルしてきたホテル側から
「キャンセル料」を受け取ったら、そのままホームに撤収するんだと。
「結構うまく行くんだよ」。
笑ってた。