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はてなキーワード: 殺戮とは

2012-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20120207021913

あとこういうこと言うと大袈裟だとか何だとか言いそうだけど、

ビジネスモデルなんぞは作る側からしたらどうでもいいのです。

自分がよければいい」と言って核兵器生物兵器、より効率的に大量殺戮を行うための兵器の開発とかをガンガンやるのはどうなの?ということ。

2012-01-11

母親自殺で失った女子高生にも「捨てられたのは自己責任」「ウザキャラ」「メンヘラ化したのが悪い」と言えるはてな民すげーよ。

カウンセラーにでもなったら大量殺戮できるな。

2012-01-04

綾瀬はるかの『ICHI』がクソすぎ

ソ映画だとわかってて見たのにそれでも見てられないぐらいの凄さだった。

一応全部見なきゃいけないと思い録画して早送りしながらなんとか最後まで見た。

メモする価値あるぐらいのクソ加減だったので以下備忘。




綾瀬はるかが全く演技をしない

他の映画での綾瀬の演技を見た事がないので断定できないが

おそらくはそもそも度を越えた大根なのだろう。

が、『ICHI』では演技が下手っていうレベルを超えているのでまるで演技する気がないように見える。

一瞬何か意図的な演出なのかと思ってしまうほど演技をしない。




だいたい綾瀬演じる市は

極度に感情も表情も乏しく能動性の無い女、というつまんない人格に設定されていて

ほとんどのシーンでただ周囲の人の話を無表情無反応に聞いてるだけということになる。

こんな役を大根にやらせるので、本当に「ただ立ってるだけ」「座ってるだけ」をしていて、演技する気がさらさら無い。

(このただ座ってるだけの女にオッケーをだす監督も凄い。

 そんなのモブでもあっちゃいけない筈だが綾瀬は主役だ。)




アイドル映画ならもっと必死に頑張るような役をあてるべきで、

そういう役ならちょっと大根でも客もわかってるので楽しめる。

静かな役なんかだけはやらすなと言いたい。




まりの異様さに「こいつなんなの……!?」と違和感を覚えるのも最初だけで、

視聴者はすぐに市がどうでも良くなる。

他の登場人物も全くキャラが立ってないにもかかわらず。

まり映画全体がどうでも良くなってくる。

眠くなるのとも違う新感覚




お話幼児向け以下

悪役は中村獅童演じる「万鬼」という剣客が頭目の不良グループだが、

この万鬼は顔の火傷で仕官出来ないのを悩んでるだけのしょっぱい奴で

万鬼党は狂気破壊衝動で暴れるだけの、バカが好んで描くタイプの悪役。

経済観念すら乏しくわざわざ住み心地悪そうな岩場に男だけで住んでおり

唯一の寄生である宿場無意味殺戮を始めるようなアッパッパーから

話の溜めもクソも何も無い。




悪い親分のところに市が上がりこんで行って

下手に出たりとぼけたり脅したりするような駆け引きも全く無い。

ほとんどショッカーレベルの悪役なので中学生以上だとシラフで見ていられない。

日曜朝の30分戦隊物でも『ICHI』よりはマシな脚本を書いている。マジで




(一方、善良な民衆側の宿場の顔役は復帰直後の窪塚洋介がいつものあの抑揚で演じているが

 全てが意味不明な『ICHIワールドの中では大変好感の持てる常識的なアンちゃんに仕上がっている。

 この映画を見た人間はみんなちょっと窪塚洋介を好きになれる。)




多分時代劇も全く知らない

・八州周りが宿場にやってくると街道民衆が総出で土下座大名か。

・八州様を宿場の顔役達が供応してるところに脈絡も無く万鬼党襲来。

 よりにもよって八州様の目の前で住民の殺戮を始める。

時代劇ではヤクザと結託するワル八州が珍しくないので、

「やや展開が無茶だけど万鬼党に抱きこまれてる八州だったかー」と思って見ていたら

 血刀下げた万鬼党は震える八州の胸倉を掴み「見なかったことにしろよな!」恐喝




無頼の主人公が八州周りを殺しちゃうトンパチ展開も時代劇では稀にあるが、

田舎ヤクザが八州周りを単純に脅しつけて帰す展開は何気に史上初なんじゃないだろうか。

カツアゲ現場を目撃した下級生ぐらいのノリで扱われる八州様。

脚本書いてる奴〇ね。




そもそも市は盲人なのか?

綾瀬演じる市はただ杖持って伏し目がちにしてるだけ。

盲人の剣客、という役作りが物凄く大雑把に、

1「ちゃんと盲人の挙動研究し真似する」

2「その上で自分なりの市の癖を作る」

だとして、

1すらやる気が全く無い。




歩き方も話掛けられたときの反応も何もかもが健常者。

一応目をはっきり相手に向けないことだけはしているが

内向的な市の性格なので多分目が見えても同じような動作になる。

平時でも修羅場でも、耳や全身で周りを窺う演技がまったく無い。

製作陣にも綾瀬にも多分その発想すらない。

市の挙動は常に、ただ物事への反応が鈍い重度の鬱病さんかなんかにしか見えない。




というか、これさあ、製作陣は盲人を描く気なんか無かったんじゃないか

なんか意図があっての事か、単にめんどくさかったのか、なんだかわからないが。

(少なくとも市の盲目設定を取り除いても『ICHI』には全く支障が起きない。

 ただの性格暗いいじめられっこ女剣客、で成立する。)





また、斬り合いだったら斬り合いで、

どんな大根でも大根なりにやるような、

息を詰めたり飲みこんだりするような演技も綾瀬は全くやらない。実力伯仲の命懸けの斬り合いでも。

クールビューティとかそういう問題ではなく、もはや製作陣は脳や神経に障害がある。

こいつらが持ってる感情演出手法は目の端からポロリと流れるふざけた一粒涙だけ。

映画の山場に凄くいい加減なラッシュで明かされる市の過去

 ダイジェストレイプされる市の目の端から同じ涙がポロリと流れるのはもう完全にギャグ




殺陣シーンが無茶苦茶

酷すぎる。

下手とかじゃなくてもはや意味不明

監督剣劇なんてもんに全く興味が無い上に勉強する気すら無いのが雄弁に伝わってくる。

ピンポン』の卓球シーンでもスローモーションの絵さえあれば

動きの流れにケレンミ・リアリティどっちも求めない凄い奴なのはわかっていたが

ICHI』ではそういう酷さが悪化している。




例によって綾瀬はるか大根を越えた大根であるうえに

その綾瀬の棒みたいな動きばっかりクローズアップする撮り方するので

もうどういう攻防なのか誰にもわからない動きをする。

手傷を負うシーンは必ず腕や腿がアップになって服が破れるカットで説明し

どういう流れでそこを斬られたかは多分考えるつもりすらない。




時代劇を見てれば殺陣の下手糞な役者なんかはいくらでも出てくるし

アクション映画見てれば動きの悪い役者もいくらでも目にするが

ICHI』はそういうのとは次元の違うことが起きている。




スローモーションでバチャバチャと血を出すのだけはお気に入りみたいで、

 市も蹴られて盛大に血を吹くがあれはどう見ても内臓破れてるレベルの量。

 何も考えて無いからどうでもいいんだろうが。)




主役は大沢たかお

市が能動性皆無なので

実質的な主人公は大沢たかお演じる浪人

稽古中の事故母親に怪我させてから真剣が抜けなくなった」という

万鬼の顔面コンプレックス匹敵するぐらいしょーもないトラウマでグジグジ悩む男で

万鬼党との戦いに加勢しては刀と鞘を持って「抜けないいいい」とパントマイムをするのが持ち芸。




毎度渾身の力で刀を抜こうとするが

鞘が磁石でくっついているかのように1ミリも抜けない。

いや、真剣が抜けない」ってそういうことじゃないだろ。

この演技指導した奴も素直に従う大沢たかおも、脳腐ってんのか。





一応筋を最後まで書くと

この浪人は市に「心を閉ざすな!」とか説教をして

それを綾瀬はるかはお得意の何も演技をしてない「本当の無表情」で聞き流し、

でもなんか心が動いて戻ってきて

大沢と相討ちになった万鬼にごっつぁんトドメを刺します。

宿場は救われた!終わり。




だんだん浪人に惹かれていった(ような描写は乏しいので鑑賞者が補わないといけないけど)市の脳裏一杯に

フラッシュバック的に大沢たかお笑顔が映し出されるとこが感動シーンの最高潮ですが

盲人の市がどうして浪人の顔を知ってんでしょうね。

そこは聞き覚えた声とかかつて握った手とかで演出しろよと感じます

前述の通り市の盲人性を真面目に扱わない製作陣にはどうでもいいことだった。




やっぱり市の性格おかし

根本的な間違いとして、

盲人という重要感覚器が一個閉じてる主人公に、

更に自閉的な性格をあててしまったらどうにも話が成り立たない。




もともとの勝新太郎座頭市

なんだかんだ言いつつ相当な世話焼きで、

腰は低いけど欲も意地もあるし優しいしよく怒る。

性根の悪いヤクザからかったり脅したりもする。

これぐらい濃い人格が噴出してくるから目の見えない体と釣り合いが取れる。

北野武座頭市だって勝版とは相当に色々違うが、

 主役の人格はやはりアクの濃い悪い奴になっている。)




いっぽう綾瀬はるか座頭市

中学生が初めて書いた小説の主人公みたいにおもしろみのなーい傷心由来の内向的性格

こんなもんを目の見えない体に入れたらそりゃ話が動かずつまらん事になるのは当たり前。

監督脚本は何考えてたんだろう一体。

おわり。

2011-12-24

ハーモニー リマインダー

一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの

01

 いまから語るのは、「私」の物語

02

 高校生時代

 私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。

 リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。

 自分の体は自分ものなのだ世界に主張してやろうと。


03

 私は大人になり、WHO螺旋監察官をしている。

 その仕事をしていれば、自分の体を自分ものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから

 

 しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分ものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。

 高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。

 私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?

 私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。

 でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから

04

 螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。

 こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。

 高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。

 ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。

 この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。

05

 上司オスカーシュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。

 そのため、私は日本に返される。

 だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。

06

 私は日本に帰ってくる。

 かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。

 三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。

 私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。

 ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会リソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。

 私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。

 キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、

「うん、ごめんね、ミァハ」

 キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。

 同時に世界で、何千人もの人々が自殺していた。

2

01

 自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。

 キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。

 が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。

02

 無数の自殺者のなかで、キアンだけが意味のある言葉

「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。

 だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。

 ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。

 ミァハはレイコ遺伝子的な子供ではなく、チェチェン戦争孤児だったと知らされる。

 そしてミァハが自殺後、献体されたことも知らされる。

 献体された研究者は、ヌァザ――私の父。

03

 キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。

 キアンの告白

「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」

 私は、

「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」

 キアンは、

「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころ世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」

 そして、キアンの葬儀彼女はこれから液体になり、社会リソースになる。

 父はバグダッドにわたっていた。

 一方、父の共同研究者ケイタは、日本に残っていた。

 ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。

 ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。

 意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。

 精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。

 上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、

いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。

 キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか

 螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女電話をしていた。

「ううん、ごめんね、ミァハ」

 そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。

 ミァハ曰く、

「善とは恒常性のこと。

 現在ほど、世界恒常性に満たされた時代はなかった。

 昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。

 私たちは、そんな社会から飛び出して、自分自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。

 その勇気を、いますぐ見せて」

 そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。

01

 名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。

 友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。

 インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺自己紹介した。

 そのとき世界は、あの集団自殺のせいでゆがんでいた。

 優しさを与えあう社会、互いに互いを信頼しあう社会

 しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。

 ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正アクセスすることが可能な組織

 その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類監視しようということを大儀銘文としている。

 しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺引き起こしたらしい。

 ヴァシロフとの車中、テレビでミァハが人類に宣言する。

「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます

02

 ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。

 そして、生府が醸し出す、息苦しい空気

 それらについて思いを巡らせているうちに、「医療ドバイ」、バグダッドにつく。

 そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。

03

 バグダッドガブリエル・エーディンと会う。

 彼女曰く、

人間価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である

04

 私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。

「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」

 アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。

 アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーカフェインアルコールハレンチなほど。

 そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。

05

 父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。

 その父と、バグダッドで再会する。

 父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。

 組織人間意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。

 組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。

 当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会ストレス限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織システムを組もうとしていた。

 キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織モルモットになっていた。

ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。

 それを実行すると、人類から意識が消滅する。

06

 意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。

 結局、プログラム人類に実装されてはいものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。

しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。

「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」

 父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。

 ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。

 父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。

 ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。

 ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。

 死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。

01

 高校時代の回想。

 日本の、学校という権力のなかに、私もミァハもキアンもいた。

 ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。

 でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。

 ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮自殺心中が頻発している。

 その問題についての、螺旋監察官会議(ARセッション)。

 わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。

 しかし、どこまで情報をつかんでいるか組織スパイされないために、セッションシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。

 と、シュタウフェンベルク彼女自身が組織の一員なのだと明かす。

 ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。

 私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。

 シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。

 チェチェンにいる螺旋監査官、ウーヴェに協力を要請する。

02

 チェチェンのウーヴェと会う。

 ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。

 ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。

 ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。

 すぐに、〈対ロシア自由戦線からの返事がくる。

 一人で、ARの通じない山を登れ、と。

03

「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。

 進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。

 バンカーの中、ミァハと再会する。

 ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。

「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。

「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。

 私たちの望みは、人類ハーモニクス

04

 高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。

 私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。

物語のコア〉

 ミァハは、

「私の意識は、ここの、チェチェンバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。

 でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。

 私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。

 ……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だからボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。

 それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスボタンを押すはず。

 私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」

〈/物語コア〉

 私は、

「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやか復讐になるかな。

 あなたの望んだ世界は実現してあげる。

 だけど、それをあなたには与えない」

epilogue

 そして、人類意識を失った。

2011-09-07

ねこきもち

箱の中がすっかり暗くなってしまってから、もう随分と時間が経ちました。

入れられる以前に小耳に挟んだことなのですが、どうやらこの箱の中には猛毒の入った小瓶が置かれているそうです。小瓶は口を溶接されて密閉状態にあるものの、すぐ側には振り上げられたまま固定された金槌が設置されていて、その金槌とある時間がきた途端に振り下ろされるのだそうです

そのとある時間なる時がいつを指すのか、私には全くわかりません。いまこの瞬間にもその時が来ているのかもしれないし、あるいはもっと先のことだったり、考えたくないことではありますが、もう過ぎてしまったことだったりするのかもしれません。金槌は誰の影響を受けるでもなく、独立した一つの事象として、完全な確率五十パーセントで振り下ろされることになっているのです。小瓶は割れてしまうのかもしれないし、割れないままかもしれない。私は死んでしまうかもしれないし、生きたままいられるのかもしれない。

まったく、とんだ状況の中に押し込めてくれたものです

激しい憤りを覚えずにはいられません。私の生死という何よりもの大事項が、私はもとより誰からの手も離れて、唯一、五十パーセントなどという無機質極まりない確率だけに委ねられているなんて。ほとほと酷いにも程があるのではないのでしょうか。

加えて理不尽まりないことに、この五十パーセントという確率をより厳密なものにするために、箱に入れられた私には様々な枷が与えられたのです

例えば視覚について。小瓶と装置が見つかっては壊されかねないとのことから、箱には完璧な遮光が施されることになりました。完璧な暗闇。暗黒と呼んでも差し支えのない暗さが用意されたのです。よって私には、少し先の様子はもちろんのこと、私自身の輪郭さえ視認することができません。そこに本当に私の身体があるのかどうか、馬鹿げた話ではありますが、疑いすら持ち得てしまえる暗さなのです

また聴覚についても、同様の理由からか、自ら発した声さえ聞きとれない程に徹底した遮断が施されています。どのような原理が働いているのかは不明です。そもそもなにも見えないのですから、確認のしようがありません。ですから以下は推測になりますが、もしかしたらここに入れられる前に鼓膜を破られたのかもしれないし、あるいは箱を形成する外壁に特殊な吸音板が使用されているのかもしれません。

兎にも角にも、防音吸音共に優れすぎた暗い箱の中で、私の視覚聴覚は文字通り死んでしまっているのです

極めつけとばかりに、全身を支配する身じろぎひとつ取れない虚脱感もまた、私に与えられた枷のひとつでした。暴れないようにとの理由から、箱に入れられる際に何かしらの弛緩剤を投薬されたのでしょう。半ば強制的に同じ姿勢のまま横たわらねばならなくなったので、次第に皮膚感覚麻痺していきました。

何も見えないし聞こえない。嗅覚も味覚もあてにならない上に、触覚までも機能不全に陥った。つまるところ私は五感を全て支配されてしまった木偶のような有様を晒しているのです非情まりない状況です。これほどまでに不自由を徹底するくらいなら睡眠薬を投与してくれたらよかったのにと思わずはいられません。一つも外傷を与えられないまま生殺しにされている気分なのです。私という生命存在について、これ以上ないほどに蔑ろにされているという屈辱感が、辛うじて私の精神を狂わせず律してくれているのです

私は、私の生命を、その生き死にを決定する何よりも重大な決定権があからさまに奪われてしまっていることが憎い。生命の存続を決定づける要素というものが、たった一つ、誰から意図から独立した、純粋まりない確率にだけ寄っているという事実が、憎くて憎くて堪らないのです

どうして私はこんな箱の中に入れられなければならなかったのでしょう。こんな馬鹿げた箱の中で、徹底して自由を奪われたまま生死の恐怖に怯えなければならないのでしょう。

こんなに理不尽なことがあっていいのでしょうか。こんなに残酷なことがあっていいのでしょうか。

はいま、とても孤独です。胸にぽっかり穴が開いたとか、むせび泣いてしまうとか、そんな孤独よりももっと深淵にある、一面の虚空とでも言うべき孤独感にやられてしまっているのです。すごくすごく、ものすごくさびしいのです。独りぼっちのまま、永劫の暗黒に投げ出されてしまったものですから絶対零度にも等しい肌寒さに打ち震えることしかできないのです

箱の中からは一切の遠近感が失われています。暗黒だけが広がっていて、どこかにあるはずの小瓶と金槌は当然のごとく、箱の壁も底も天井も全て消えさってしまたかのようです。無論、実際にはそこにあるのでしょう。けれども、ありとあらゆる感覚器が閉ざされ麻痺してしまった私には、当然のようにそこにあるはずの物ども(実際にはそれ自体に何かしらの存在意義が与えられているはずなのに)が、ないも同然になってしまっているのです

正直に告白しましょう。私にはもう、箱の中に私がいるという前提にさえ自信が持てなくなってきています。確かに私というもの存在している。こうして取り留めもないことを考え、あるいは空想している私の自我ないし意識とか精神などと呼ばれている唯一性は確保されている。けれども、その唯一性が本当に箱の中に閉じ込められているのかどうか。本当はもっと違う、どこか異質な空間を漂っているのではないか。疑念を払拭し切ることができないのです

しかしたら、いまこうしてここにある私は、どこか遠く宇宙の果てを漂っているのかもしれませんし、マリアナ海溝の水底に横たわっているのかもしれない。あるいはキラウェア火山の火口からマントルの方向に向かって沈下しているのかもしれません。

私には私自身を覆う箱がどうなっているのか知る術がないし、五感が死んだままではここが箱の中なのかどうか判別がつかないのです

加えて、いまここにある私が本当に生きているのかどうか。そんなことさえも私には確認する方法が与えられていません。ともすれば私は、二分の一の確率をすでに通り過ぎてしまっているのかもしれないのですから。私はもう死んでしまっているのかもしれませんし、運良く生き残っているかもしれません。弛緩剤を打たれた身体で浅い呼吸と僅かな拍動を続けているのかもしれないし、その全てが停止したままだらんと横たわった肉塊になっているのかもしれません。

私は私自身の肉体を自由にできるだけの力を奪われてしまっているのです。私という思考が生命活動を続ける健全な肉体に宿っているなどと、一体誰が認めてくれるのでしょう。完璧な暗闇に毒された五感は、すでに感覚器としての意義を失くしています。私にはもう本当を確かめるだけの機会さえ与えられていないのです。ありとあらゆる想定は、もしかしたら私自身が作り出した捏造なのかもしれない。私を巡る様々な状況や、そもそもの私という唯一性についても、プログラムされたロールプレイにすぎないのかもしれない。

私という存在について、口惜しいことに、ゆらぎの只中にある私には振る舞い方を決めることができないのです

叶うことなら、誰かに私を見つけ出してほしいくらいです。私を閉じ込めた狭い箱をこじ開けて、私がどうなっているのかを観測して、私の有り様を決定して欲しい。私にはもうそれだけの力が残されていませんから。身動きも取れないまま、孤独に身を震わせ続けることしかできないのですから

全能の神であれば、光あれと呟くこともできることでしょう。無茶な願いだと承知のうえですが、そう告げることができたのならどんなによかっただろうと感じずにはいられません。

自身を巡るありとあらゆる不確定なゆらぎを自らの意思で確定できるなんて!

あこがれは、しかし一方で臆病な陰影を生み出すものです。箱が開かれ、私が見つけられて観測され、結果的に私の有り様が決まることについて、嘘偽りなく告白すると、確定されるいまに不安を感じていることから目を逸らすことができなくなるのです

生きているのか死んでいるのかさえも自分自身では確かめようのない私ではありますが、それでもやっぱり死ぬことは怖いのです。死んでいると決定してしまうことが生理的に恐ろしいのです。どうしても受け付けられない。きっとそれは私がまだ具体的な死という現象を体感することも想像することもできていないからなのでしょう。

いいえ、なにも私に限った話ではないのでしょう。人徳有望な仁君名君であっても、極悪非道殺戮者であっても、遍く存在する人畜無害一般人であっても、誰だってそうだろうと思うのです。年老いた人や、病床に伏せる難病患者であるのならば、もしかしたら限りなく近しい想像を働かせることが可能かもしれません。が、それでもやはり具体的な体験については一生不明なままだと思うのです

結局、死とはゆるがせにできない圧倒的な意味を持つ終着点だと思うのです時間というもの、あるいは意識というものが絶対的な不可逆性を有しているように、たとえそれが儀礼的な通過点や他に類を見ない印象深いイベントであったとしても、決して覆すことのできない絶対的な事柄に違いないのです

私は、いまここにある私という思考は、私を巡る様々な有り様が決まった瞬間にここから存在しなくなります。頭までどっぷりと浸かった、熱くも冷たくもない、温度を感じることのできない完璧ぬるま湯を抜かれてしまって、否応なしに外気に触れざるを得なくなってしまからです

そんな取り返しの付かない変化が恐ろしい。死んでいると決定づけられるだけに限らないのです。私にはもう、生きていると決まってしまうことさえ不安不安でたまらないことなのです

きっといまここにある私は、永遠とも感ぜられる点に留まった小さな小さな幻想のようなものなのでしょう。それ以上広がることもなければ縮まることもない、伸びることもなければ短くなることもない。拡散することも閉塞することもない、数学的に正しい唯一一点に留まったまま自己同一性勘違いしてしまった幽霊のような存在なのでしょう。

その点は、座標平面上の至る所に存在し、同時にとある一箇所には存在していないのです一心同体も同然となった私のことなんて気にも留めないで、ある特定の事象が起こった瞬間に、その事象が起こったありとあらゆる時空間の中のたった一つに、まるでバスから降ろすかのようにして私を収束させるのでしょう。

またそんな点に留まってしまった幻は、実物になる可能性も、霞となって消え去る可能性も平等に有している。

はいま、どんな時空間にも存在し、ありとあらゆる性質を有していながら、同時にどんな性質からも見放された孤独に苛まされています。誰かに見つけて欲しいと願う一方で、その時一体私がどこにいるのか、どのような姿になっているのかが不安でならないのです

因果の理から放たれてしまった私は、何時迄経っても不確定なままなのです

2011-06-13

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。



翌日。Aはどこにもいなくなっていた。



あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

2011-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20110225221823

Angel Beats!だろ。天使たちの殺戮ってことだよ。単体ならただの殺人じゃん。

2011-01-07

[][]通化事件

通化事件について雑記

はてなキーワード

昭和21(1946)年2月3日に、かつての、満州国通化省通化市で、日本人に対して一週間にわたって拷問銃殺が行われ、あるいは凍死させられ、軍とは何のかかわりもない民間人2000人(一説には、数千人)が殺害された事件。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%CC%B2%BD%BB%F6%B7%EF

問題映像が「凛として愛」。公式サイトhttp://www.hanadokei2010.com/rintositeai/index.php)が「愛国女性のつどい 花時計http://www.hanadokei2010.com/

wikipedia

通化事件(つうかじけん)とは1946年2月3日中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府要請呼応した日本人の蜂起とその鎮圧後に行われた中国共産党軍と朝鮮人義勇軍南満支隊(李紅光支隊)による日本人及び中国人に対する虐殺事件。日本人3000人が虐殺されたとされている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%8C%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

脚注が「PHP研究所」と「新しい教科書づくり委員会」。

はてなダイアリー

戦後、無抵抗の日本人に対してこのような掠奪と暴行殺戮が、中国人朝鮮人によって行われたことは事実である

中国人朝鮮人が一方的な被害者で、日本人加害者だとそんなに簡単に決められるのか?

http://d.hatena.ne.jp/nay/20050707

中国人朝鮮人が一方的な被害者で、日本人加害者だ」って誰が言ってるのだろう?歴史に携わる者たちの多くは、「日本人」と「日本軍」を切り分けているように思われる。こういうのを被害妄想というのではないのかい

Yahoo知恵袋

ベストアンサーに選ばれた回答

片や「通化事件」もポツダム宣言日本武装解除約束していたにも関わらず、外地

占領軍の預かりしらぬ軍行動に出たのは、明らかに約束違反

日本の恥をばら撒いて、ホント「新しい教科書系の人」は反日ですぅw

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113616176

日本が一方的に虐殺された類の事件ではないらしい。ただ、「日本の恥をばら撒」く人たちがいる以上、ウェブ上で事実をはっきり提示する必要性があると思われる。

2010-12-17

二次元少女大量虐殺される事件が発生

http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52410978.html

これはひどいwwwひどすぎるwww

氏賀Y太先生です

「この発想はあったけど残酷すぎると思ってやらなかった」と言い出すレベル

綾波の大量廃棄処分とか御坂シリーズ殺戮可愛いと覚えるレベル

オラ、非実在青少年の被害は許さないとか言ってたやつ出てこいよとか叫びたくなる。




本当にあのまま法律可決してたら

今頃彼らはこの所業に対して厳重抗議しなければいけなくなったはず。

どうせならあの時に「どーぞどーぞ」と通しておくべきだった。

そんでこの事件に関して「これは東京の外ですから」とか「これは芸術ですから」とか

言質とっておけば、法案は全く適用できなくなってただろうね。

あるいは

素朴にカッコイイと思うけど全然グロくはない。元のフィギュアの方が余程グロいと思うのだけれど、これそんなに怖いのかしら。よくわかんない

こういうコメントをするバカを捕まえてきて、「じゃあ問題かどうかの基準はあなた勝手主観なんですね」という言質をとっても良かった。

そうすれば、犠牲になるのは東京都民税金だけですんだかもしれない。

2010-11-18

『プチ・フェティシズム』とキチガイ

バイト先で『何フェチか?』という話になりまして」

「ほう」

「みんな『首筋フェチ~』とか『うなじフェチやね』とか言ってて、僕の方にも順番が回ってきたので」

「はい」

「『あ、僕はヒエフィリア(Hierophilia.宗教的なシンボルなど、聖なるものに性的興奮を感じる性的嗜好)ですぅ~』って言って『何? ヒエフィリアって』って言われたので説明したらガチ引きされまして」

「当たり前だ」

「いや、でもそういう話じゃなかったんですか! みんなフェティシズムについて話していたのではないですか! それなのに、ひどい! あんまりだ…」

「まぁ以後気をつけることやね」

「気をつけるって、何を?」

何を。

その答えを、僕は今でも聞けずにいる。



■参考文献~まだまだあるぞ! フェティシズム一覧

エメフィリア(嘔吐嗜好)

ネクロフィリア死体フェチ

アガルマトフィリア人形フェチ

エキシビジョニズム(露出狂

フォミコフィリア昆虫性愛

クタフィリア(母乳嗜好)

メノフィリア(生理血嗜好)

レアフィリア(食うか食われるかの殺戮フェチ

シンフォフィリア(大規模自然災害フェチ

オートネピフィリア赤ちゃんなりきり嗜好)

アポテムノフィリア(四肢欠落フェチ

ハイポクシフィリア(低酸素フェチ

アスフィクシオフィリア(低酸素フェチ)

ペドフィリア小児性愛

エフェボフィリア思春期児童性愛

アルトカルシフィリアハイヒールなどの靴で踏まれることに性的興奮を感じる性的嗜好

ウロフィリア:尿に性的興奮を感じる性的嗜好

エストペクトロフィリア:鏡に映ったものに性的興奮を感じる

オートアサシノフィリア自分が殺されることに性的興奮を覚える性的嗜好自殺願望自傷行為とは別物

クリスフィリア浣腸行為を見ることで性的興奮を感じる性的嗜好

シトフィリア:食物を使った性的行為で興奮を感じる性的嗜好

タナトフィリア:死を連想させるものに性的興奮を感じる、ネクロフィリアとは別もの

デンドロフィリア:樹木に対して性的興奮を感じる

ヒエフィリア宗教的なシンボルなど、聖なるものに性的興奮を感じる

ヘマトフィリア:血に性的興奮を感じる

2010-10-31

武器輸出

日本国内だけでも戦後累計で交通事故50万人も死んでるんだから、三菱重工ミサイルよりもトヨタカローラの方がよっぽど危険殺戮兵器だよなぁ。しかも既に世界中に輸出されている。

「人々を傷つけるのが許せない」と武器輸出に反対している人達は、まずクルマ輸出に反対した方が良い気がするんだ。ミサイル戦車に殺される人より、自動車に轢き殺される人の方が圧倒的に多いんじゃないのかな。

2010-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20100914064531

実際に物事を動かすのは常に「惻隠」や「配慮」や「手加減」だろう?

それは日本人特有の感覚。徹底的にやり尽くし、相手の抵抗、反抗の意志を完膚無きまでに叩き潰すのが彼らの正義だし、それで世界はおおよそ回ってる。

原住民を駆逐してきた今のアメリカ人にそんな発想は無い。

国民ですら数千万人を殺戮して平然としている中国共産党にも、当然無い。

2010-09-13

そんなに女性の身の安全を確保したいのなら

ヤリチン殺戮してまわるのが良いと思うんだけど、どうなんだろう。

2010-07-02

http://twitter.com/akcanon/status/17415399237

戦争が弱い事をただ強調するんじゃなくてキチンと理由まで説明すべきだと思うな。

市民じゃなくて兵隊だし、戦場の殺戮大切なことだよ。

武器貰ってるから見張りだけしてればいいってもんじゃないよ。

10:51 PM Jun 30th

まぁ、出来るだけ殺戮されないように気をつけたい。戦争が弱いことを強調する。

6:53 PM Jun 30th

2010-06-07

競争とは本来殺し合いであ

動物世界では、戦う理由はだいたいエサの取り合い、獲物をとるとき、

メスを巡ってオス同士が争う時ぐらい。

相手が負けを認める態度を見せるか逃走してしまえば、ほとんどの場合、、

深追いせず命まではとらない。(同種間の争いの場合

ところが、人間は闘争本能以上の競争を好む。

ほうっておいたら殺し合いに発展する。

1人殺すのは殺人、集団を組んで大量殺戮するのが戦争

だから、殺してはならないという教えが宗教に、

殺したらこういう処罰に諸せられると内容が法律に。

ただ、不思議なことに抜け道はある。直接手を下さなければ、

殺人が裁かれない例外もある。

経済というものを間に挟んで間接的に争い・競争し戦えば、

それで追い詰められた相手が自殺した場合は合法なのだ。

ゆえに社会化して高度になった人間頭脳や腕力を駆使して

抜け穴を探し出し殺し合いをする。

動物より、強欲で残酷だな。

2010-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20100326193634

してる作品もそれなりにあるけどな。

スプラッター物とかも十分「殺戮」されてる。たとえば「13日の金曜日」とか。

http://anond.hatelabo.jp/20100326193255

殺戮シーンそのものを描写してないだろ。

逆にいえば映画みたいにがっちり規制しても、それくらいの自由はあるってことだ。

2010-02-23

AppStoreでエログラビアアプリが大殺戮状態について、雑感

ttp://fladdict.net/blog/2010/02/kill-the-erotic-apps.html

コンテンツが浮いちゃった人はみんなAndroidに移住して、Androidエロデバイスにしちゃっても面白いかも。

2010-02-12

小泉、安部、福田麻生のたった8年間でこれだけの悪行

GDP世界上位3位から19位に転落、出生率低下・少子化戦後最悪

労働法改悪貧困率先進国中ついに2位。雇用者賃金は30超円減少

非正規労働者率30%、新卒者は60%、超格差社会突入

消費税180兆円から150兆円を大企業減税に適用

年金積立金152兆円から92兆円を外郭団体に流用させ不良債権

三角合併持株会社改正で日本株を叩き売り。外人持株26%超えで日本人奴隷状態

・国有資産郵貯物件を時価評価60分の1で外資へ払い下げ

在日46万人へ生活保護を毎月17万の大盤振る舞い

発狂状態でアメリカ国債受入、為替損だけで30兆円計上

育英会を廃止し日本人の就学機会を奪いながら、中韓留学生には2兆円奨学金を無償供与

国家債務をたった4年で70%増発。国、地方、外郭団体債務は1219兆円超え。財政破綻加速

ゼロ金利政策によって国民預金304兆円を銀行収益に付け替え

・「改革」診療報酬引き下げにより全国で250以上の病院倒産

移民外国人過去最高77万人受け入れ、日本人労働者賃金デフレ失業率加速、治安悪化

定率減税撤廃、公的控除廃止をしながら、課税最高税率引き下げで富裕層を優遇

・無貯蓄世帯の割合23%、20代は36%。貧困層激烈に拡大

生活保護160万世突破過去最高

後期高齢者医療制度を強行し75歳以上の高齢者1300万人を国民健康保険から排除

・60万人の民間人殺戮したイラク戦争を支援。兵站を担い、米国債引受で43兆円の戦費を拠出

一般会計予算70兆円全額を公務員、外郭団体職員給与天下り補助金に充当。郵貯年金簡保

など国民資産勝手に取り崩し、国債増発を加えた特別会計を本予算とし、毎年260兆円を使いまくり

自民が残した公債1219兆円は国民1人あたり約955万円。金利は1時間あたり1596億円となり、

現在も膨張中。結局、増税社会保障費増、医療教育産業振興費切捨てで国民が負担することなる。

2009-12-08

シモ・ヘイヘ

シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä, 1905年12月17日 - 2002年4月1日)は、フィンランド軍人、狙撃手。フィンランドソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、フィンランドが生んだもう一人の天才スナイパー、スロ・コルッカと並んでソビエト赤軍から恐れられ、史上最多の確認戦果2505名射殺の記録を残している。






当時のロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトゥヤルヴィで生まれ、幼い頃から猟師を営む。1925年に軍へ入営。1939年から1940年にかけて起こった冬戦争では、フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に所属し、故郷の町に近いコッラー河付近での防衛任務に就いた。

ヘイヘは平均気温-20℃から-40℃という酷寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行い、その活躍によりソビエト軍兵士からロシア語で"白い死神"を意味する "Белая Смерть"(ビェラーヤ・スミェールチ。フィンランド語では"Valkoinen Kuolema")や“災いなす者”等と仇名された。

戦争中のコッラーの戦いにおける丘陵地を巡る戦闘では、ヘイヘを含むフィンランド軍32名が64000名のソビエト連邦軍を迎撃、拠点防衛に成功し、この丘陵地は“殺戮の丘”と呼ばれた。フィンランド軍は終戦までコッラー河付近の領土を守り抜き、この戦果は後に“コッラーの奇跡”と呼ばれた。

ヘイヘは冬戦争中、防寒着の背中を砲弾の破片がかすめて切り裂かれた以外はほぼ負傷する事はなかったが、終戦直前の1940年3月6日ソヴィエト軍兵士の銃撃を頭部に受け、あごを撃ち抜かれる重傷を負う。友軍に救出されて一命を取り留めたが、意識不明のヘイヘを回収した兵士は「彼の頭は半分なくなっていた」と述べており、後年の写真でも傷痕が確認される。3月13日意識を回復したものの、すでに冬戦争はその前日のモスクワでの講和条約締結を以て終戦を迎えていた。

戦後、ヘイヘはグスタフ・マンネルヘイム元帥と面会し、コッラー十字章を受勲、兵長から少尉へと5階級もの特進を果たしたが、その後戦場に出ることは無く猟師兼猟犬の繁殖家として余生を過ごし、かつて自らが守ったロシアとの国境線近くのルオコラハティで、2002年に96歳でこの世を去った。






ヘイヘは狙撃において、ソビエト側では旧式になりつつあったモシン・ナガンM28を使用していた。冬戦争当時、物資や銃弾が極端に不足していたフィンランドは、戦前からソビエトの軍事的影響を受けていた為、多くの制式装備がソビエト製だった。このため戦場で鹵獲した敵の装備をそのまま使用でき、ヘイヘも敵の武器であるモシン・ナガンを使用することになった。ヘイヘは身長約152cmと小柄ながら、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。後にその活躍から、サコ社によって調整された特製のモシン・ナガン[1]を与えられている。

モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、ヘイヘはこれを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。これは、猟師時代からの射撃姿勢への慣れ[2]と装備の軽量化に加え、レンズによる光の反射で自らの位置を悟られるのを嫌ったことによる。当時の狙撃にはスコープの使用が当たり前になっていた中で、あえてこれを用いずに多くの敵を倒したヘイヘの名声はさらに高まった。ヘイヘの使用したモシン・ナガンのうちの1丁は現在フィンランド国立軍事博物館に展示されている。

ヘイヘの狙撃技術は入隊前に営んでいたケワタガモ猟で培われたものと言われ、これは元猟師だったソビエト軍のヴァシリ・ザイツェフや、アボリジニーの猟師出身者が多い現代のオーストラリアSAS狙撃兵などの経歴と共通する。ヘイヘの狙撃は連続的な射撃と精度を両立していたとされる。狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に46発の射的に成功したという逸話[3]が残され、実戦でも300m以内ならほぼ確実に目標の頭部を狙撃したと言われている。

ヘイヘが狙撃で殺害した人数は最終的に24500名から25540名と言われ、いずれにしても世界記録となる[4]。この中には狙撃銃以外の火器によるものや、未確認の殺害数は含まれていない。またヘイヘはサブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では3200名以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した10505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間のうちに残されており、1939年クリスマス直前の12月21日だけでも525名の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が4138名に達していたという。

1998年晩年を迎えたヘイヘは狙撃の秘訣を問われた際、一言「練習だ」と答えたという。また、自らの残した記録については、「やれと言われたことを、可能な限り実行したまでだ」と述べている。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%98

2009-11-15

幼女レイプエロゲとか殺戮ゲーム現実への影響とかいうと「フィクション現実を一緒にするな!」となるのに

お笑い番組いじめを助長してるというと「その通り!」となる。

不思議

2009-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20091110003605

社会的責任の大きな大企業

社会的責任企業規模は比例するのか、比例するとして殺戮ゲームなるものを売ることの問題は社会的責任の大小と関係あるのか

こういうアホみたいな言説はマスゴミ由来だよな

2009-10-27

私は、これでも何かを嫌ったり憎んだりすることが苦手な人間だ。そりゃあ、確かに厭うことはある。煩わしいことは勘弁願いたい。

けれども、憎悪とも呼べるような強い感情で何かを嫌ったり憎んだりすることは少なかった。一番上の姉を、一時期恨んでいたくらいだった。



だがしかし、蚊、てめえだけは違う。

なにが理由で、こんな秋も深まった物静かな深夜の読書邪魔されなければならんのだ。

死ねよ。存在が目障りなんだよ。どうして死角から耳元へ接近して来るんだ。

生物進化は、その多様性によって生命を存続させることを目的としているのかもしれない。

あるいは、昆虫生命活動の中には、蜘蛛の糸のように思いもしないような使われ方を期待されるものもあることだろう。

蚊にしたって、その口の形状を研究することによって、注射針の形を痛くないよう改良させたり、蚊ではないが血を吸う昆虫を使って動物血液を簡単に採取できることもあるだろう。



でも、それでも、蚊、お前だけは駄目だ。

存在を許してはならん。今すぐ滅殺されるべきだよ。根絶されるべきなんだ。そうすれば、マラリヤだって少なくなる。伝染病の拡大が、わずかばかりでも収まるかもしれないのだから。

そして何よりも、心静かな読書時間邪魔した罪は万死に値する。否、臆死でも足りない。兆死。京死。その他諸々の単位を用いた造語にいたるまで、貴様殺戮されるべきである。







死ね







……あー、すっきりした。

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