はてなキーワード: 紅茶とは
今回の目当てはモーニングメニュー
私も1回買った事がある
この店のパン使ってたのかな?
メニューにモーニングメニューは明記されてなかった
店員さんに「カフェコーナーにモーニングメニューはありますか?」
早速注文して奥の厚めでふかふかのクッションが敷かれたアンティークソファーでくつろぐ
テーブルの天板の下は木樽を4個並べてテーブルの椅子代わりにしている面白い
モーニングは飲物(コーヒーOR紅茶ORあと忘れた)とワンプレートに
レタスとパプリカ?のサラダとソーセージ2本とプレーンオムレツ
パンコーナーのゴボウパンが1個160円、カフェのコーヒーの最安値が350円だから
かなりのお得感と満足感
アンティークのフォトフレームに花瓶に挿した花の絵が飾ってあるのを見て
花を部屋に飾る替わりに「こういうのもありかな」と思ったりガラスケースに入れてある
アンティークの小皿などを見て楽しみました
もし登録しても、誰も質問してくれないことは目に見えているので、ここで全部の質問に答えますよ。
カモン。
※3つで頭打ちか、充分だな。では、さらばだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110916105901
頑張って質問してやるから 得意分野ぐらい書けよ
特にない。むしろ、そんなものがあったらザ・インタビューズに登録して、ドヤ顔で答えています。察してくれ。
小学6年生の時。中学に進んでから、好きな子に告白しようと思っていたら、その相手は私立に行って離れ離れになった。泣ける。
http://anond.hatelabo.jp/20110916110003
今日の朝食の時刻とメニューを答えよ。
見た目の良さは度外視している。
本当にずぼらでめんどくさがり(しかも貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。
そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。
俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクしやすい人間だ。
ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう(直すってのは方言らしいです、すまん))などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。
だからできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつの工程のハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。
■オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい
■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)
■↓意外ににめんどくさくないこと
金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。
メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。
メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、
体に良い(マシ)なものを、いかにインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。
ご飯やスープを冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。
■↓失敗した!!
■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと
続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。
アルコールティッシュなんかも、
なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、
ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。
■追記(11/08/29)
もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります。
服も何度もたたもうとしたんだが、
最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまる→パンクする、ということの繰り返しになってしまう。
確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。
でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。
その条件下でいかにサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。
実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。
これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。
そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。
まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。
なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、
掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。
俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。
でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、
こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。
それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、
それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、
ところが、小さい頃から母に、
「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、
家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。
「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」
とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。
野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。
そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。
よく「自分がない」と言われる。
誰かと一緒にいて、「何食べたい?」「どこ行きたい?」ときかれて、
「なんでもいい」というタイプ。
(最近これはよくないと思って「AかB」という風に答えるようにしている)
そういえば、好きなキャラクターも特にない。好きな色も即答できるほどない。
好きなモチーフも、明確にあるわけではない。よく言えば(?)こだわりがない。
本当は細かい所に強いこだわりがあるんだけど、それが表面化することはあまりないし、
言わないとバレないことが多い。
自分は小さい頃から、兄弟を優先することがいいと教え込まれてきた。
兄弟の次は親、と優先順位が決まっていて、いつも自分は最後だった。
だから自分の希望を言うチャンスはなかったし、あったとしても、
自分よりも誰かを優先した方が丸く収まることを覚えていったので、
そんな風にして大人になり、「なんでもいい」が基本になっていった。
そして、それは、自分の中での「正解」な気がしていた。
どこにでも自分の意思を通したい人はいて、その人の意思に任せていた。
それでいいと思っていた。
先日、突然親戚が家に来た。
やかんでお湯を沸かしている間に顔を洗い、少し着替え、
ササッと片付け、お菓子を出した。
「相変わらず気が利くね~」「良い子だね~」と口々に言われ、
ハッと気付いた。
もう、長子の肩書きは捨てたはずなのに、体は覚えているんだと。
どうしたら「気が利く良い子」と褒められるか知っているんだ。
急に怖くなった。
お菓子食べたいとか、自分は紅茶が好きだとか、そんなことは関係なくて、
相手の好みに合わせたものを出した方が、気が利く良い子になれるから。
ある程度の「正解」を知ってしまい、その正解を追い求めてきてしまったので、
正解のないことが一番苦手だ。
しかし年を取るにつれ、それもよくないとやっと気付いてきたので、
少しずつ希望を言うようになってきた。少し楽になれてきた気がする。
慣れないことをすると疲れるし、「相手の希望と違っていたら嫌だな、申し訳ないな」と、
申し訳なく思う自分も嫌だ。自分だけが我慢すればいいのになあ、と思ってしまう。
結論は特にない。ごめん。
すぐに財布に手を出してくる女子のほうが、早く打ち解けて幸せな恋愛をすることができます。男子の皆さんはどのような流れで女子と仲良くなり、そして正式な恋人になりますか? まずは何度かデートを重ねて、女子に対して「いいな」という感情が強くなったら告白するといった感じですよね。
しかし女子の多くがデートよりもまず「金がほしい」と考えています。とにかく金がほしいのです。デートは一緒の時間を楽しむ場ではなく、男子に合わせて仕方なくやっている行為なのです。
女子は男子のデートに応じた時点で「金がほしい」という感情が心に芽生えています。ケータイのメールアドレス交換をした時点で金がほしいと考えているといっても過言ではありません。でも男子の多くは、デートで性格が合う人かどうか確かめたいと思いますよね。その部分で、男子と女子に思考の違いがあるのです。
男子は「おごるにしてもデートを3~4回してから」と考えますが、女子は最初のデートから金がほしいと思っています。とにかく金がほしいのです。でも、最初から金をせびると嫌われる可能性があると考え、仕方なくデートを繰り返します。
ですが、よく考えてみてください。早くおごろうが、デートを重ねてからおごろうが、女子の基本的な本質は変わりません。デートを3~4回してからおごったとしても、その女子が「はやく金がほしい」と思っていることに違いはないのです。
意味がわかりますか? たとえデートを重ねても、そのデートは彼女があなたに合わせてそうしているだけであって、「金がほしいけど彼に嫌われたら嫌だからとにかくデートを何回かこなしてからおごらせよう」という考えをした女子なのです。逆に考えれば、自分の本性を隠してデートしているということになりますので、偽りの姿をした女子とデートしていることになります。
そもそも、いくらデートをしたところで女子の良し悪しなんてわからないのです。何度も言っているように、女子はあなたに気に入られて金を手に入れようと思い、自分を偽っているのですから。デートをして楽しかったと思っているのは男子だけです。家に帰って「あぁ~♪ 今日のデートも楽しかった♪」とか「いい思い出になった♪ 今夜もお紅茶が美味しいわん♪」と思っていてもそれはあなただけ。女子は「今回はガマンガマン、ガマンやで」と思っています。
では、しょっぱなから財布に手を出しててきた女子がいたとします。あなたは「強盗?!」と思って拒否するかもしれませんが、偽りの本性でデートを重ねる女子より、よっぽど気持ちに忠実な女子だと思いませんか? 嫌われるリスクを負いながらも手を出してくるということは、あなたに本気なのです。よって、気持ちを正直に出し、あなたを愛してくれる女子は、財布に手を出すのが早いということになります。
「本当はすぐにでも金がほしい」と思っているに自分の本性を隠してデートをしたりお世辞を言ってくる女子より、すぐに財布に手を出してくる女子のほうが素直でいい子の場合が多いのです。そもそも、あなたはデートを繰り返して女子を選り好みするほどたいそうな男子なのですか? 自分をもったいぶるのは「自分を買いかぶりすぎている」と言うものです。
大手コンビニチェーンのローソンが伊藤園と共同で21日より「魔法少女まどか☆マギカ」キャンペーンが始まる。伊藤園といえば「お~いお茶」という程浸透したブランドイメージから、各店舗で入荷量を増やしているとみられるが、そこに大きな”落とし穴”があるという。
自称業界通は「魔法少女まどか☆マギカには巴マミという紅茶を好む人物が登場しています、アニメなどを好む層、とりわけライトな層は形から入る人が多いので、緑茶より紅茶を選ぶ可能性が高いんです。」と語る。「お~いお茶」より「TEAS’TEA」の方が売れるだろうという”予測”だ。
また、氏は同じアニメのファンの中の”派閥”も影響するのではないかと予測しているという。
「美樹さやかという登場人物は、巴マミを強く尊敬していました。つまり彼女を好む層が紅茶を選ぶ確率は他に比べて高いと思われます。またその層の一部過激な人達にとって緑は邪悪な色なので、緑茶を選ぶ確率が更に下がる可能性は否定できません。」
その事実に気がついたのがあまりにも唐突かつ脈絡の無いことだったので、わたしは心底びっくりした。
夜中に一人でテレビを見ていた最中のことだった。マグカップに紅茶を満たして、いやにCMが挟まれるアクション映画を眺めていたわたしは、ふいにわたしという内実が空虚であることを悟った。
それはもう天啓というか、ピンと光り輝く雫が頭の上に垂れてきたような発見であり、驚愕に眼を見張るだとか愕然のあまり硬直してしまうなんていう身体的反応をも許さず、呆れんばかりの正当性でもってわたしの身に降り掛かった。否定することも拒否することも叶わない。ただひたすらに、ああそうなんだ、と納得することしかできなかった。
わたしという人間は、その精神の底に到底見過ごすことのできない黒穴を孕んでいる。穴は、いわば吸引力を持たないブラックホールのようなもので、わたしが見たり聞いたり触れたりして得た感動なり情動をするすると呑みこんでいってしまっている。
思い返せば、わたしは誰かからよく冷めやすい性格をしているよね言われたことが多かった。マグカップをサイドテーブルに置いて記憶の糸を手繰り寄せてみると、出るわ出るわ、級友や部活友達、先生やサークルの仲間、同僚や上司からも、冷めやすい性格であることを示唆する言葉をたいへん多く頂戴していた。
家族からも頻繁に言われていたくらいだった。ぼんやりと映画を眺めながら、わたしはわたしの中にぽっかり開いた黒穴を意識してみる。
膨らみを持った円筒形のわたしの底に、黒い点がちょこんと穿たれているようなイメージ。上の方から注ぎ込まれたたくさんの感情は、円筒形のわたしに認識されながら、やがて黒穴へと近づいていく。ぎゅーっと引き伸ばされるように圧縮されて、底の見えない穴の中へと落ちていく。
なるほど。確かにそういうことになっている。それは紛れもない事実だった。確認はできないけれど、わたしはどうしようもなく確信してしまったのだ。気付かされて、受け止めてしまった。わたしの中にはびっくりするくらい何でも呑み込む黒い穴が存在している。
わたしは、助け出したヒロインを目の前で殺されてしまった主人公をぼんやり見やりながらふと、黒い穴に落っこちた感動や情動はどこへ行ってしまったのだろうなあと思った。わたしの中にある黒穴に落ちたのだから、当然わたしの中にまだ残っていてもいいような気がするのだけれど、なんとなくそれは間違いであるような気がしてならない。
なにせわたしには、受け取ったはずの感動を絶対的に手放してしまっているという実感があったのだ。いや、実感などというあやふやな判断で論じなくてもいい。事実として構造上わたしはそれらのものを汲み取ることができていないのだった。
記憶として、あるいは思い出としてならば、確かに追想することは可能である。感傷に浸ることだってできる。身悶えするようなこともいくつかは経験してきたのだから、そう言った記憶を思い返すことなら、わたしにだってきっとできる。たぶん絶対にできる。
でも、追体験だけは絶望的に不可能だ。わたしはその時その時で落ちゆく感動を確かに観測してはいたものの、それがいったいどのような感動なのか、どのような実像を持つ『もの』であるかを、記録すること以外に汲み取ることができなかった。いつどんな時であっても、わたしは落ちゆくものどもについて、実体があるものとして肉体的精神的感覚で感じ取ることができなかった。
つまるところ、それらの経験はただただわたしの前を通りすぎていっただけで、最終的に穴に落っこちたのだ。その先のことは全くわからない。どうなってしまったのかなんて今まで考えたこともなかった。
どうしてなのだろう。どうして穴の奥のことがわからないのだろう。考えて、わたしは黒穴の底を覗き込んでみようと意識を傾ける。わたしの中にある黒穴。きっと見つかると信じていた。目の前の画面では派手な爆発が断続的に生じている。誰かが大声で叫び声を上げている。紅茶は半分ほど飲んでしまっていた。結局黒穴の底はちっとも見通せなかった。
不思議なものだ。少し疲れたわたしは眼を閉じて深く息をついた。それからもう一度、不思議なものだと思い直す。わたしの中にあるはずの黒穴は、わたしではないどこかへとその穴をつなげているのである。その精神的構造上の不可思議さが奇妙だった。わたしはわたしとして今ここにいるはずなのに、そのわたしの中にわたしではないどこかへとつながる穴が開いている。わたしはわたしであるはずなのに、同時にわたしでない何か、あるいはどこかを内包している。受け皿としてわたしは、決してその穴の行く末を確認できず、ただただ呆然とすることしかできないのである。
すごいな。素直に感心した。わたしとわたしの中にあるわたしじゃない黒穴との間に生まれた関係性にひれ伏さんばかりに感心してしまった。不思議なことがあるものだ。三度そう思ってわたしは紅茶をすする。ずるずるずるずると。たいへん美味しく頂く。上手に淹れられたのだ。少なくなっていくのが惜しいくらいだった。空になってからも、寂しい気がして紅茶を吸い込み続けた。どんどんどんどん、吸い込み続けた。するとマグカップが、マグカップを持っていたわたしの手のひらがきゅーっと引き伸ばされて口の中に流れこんできた。音もなくわたしはわたしの身体を呑み込んでいく。するするするすると呑み下していく。右手を、肘を、肩を。喉は一度も嚥下していない。それでも勢い良くずずずと呑みこんで、右胸を下半身を、左脇腹を胃を肺腑を心臓を左腕を両耳を頭蓋を眦を鼻頭を、どんどんと口の中に含んでいく。
ついには口まできゅるるんと吸い込まれて、わたしはわたしの中にあった黒穴になる。黒穴がわたしで、わたしは黒穴の中にありながらまたその中に黒穴を抱いており、何度も何度も吸い込み吸い込まれていくことを繰り返している。
わたしという内実は空虚なのだ。
一際大きな爆発音と閃光がテレビから発せられた。はっとして我に返る。いつの間にかマグカップを手にしてぼんやりしてしまっていたようだった。
映画の中で助けだしたヒロインを主人公が抱きしめている。この先彼女は殺されるのだっけ。思ってぼんやり見ていたけれど、結局最後までヒロインは死ぬようなことはなく、悪役は倒されて幸せなエンディングを迎えることができた。
チープな物語。あんまり面白くなかった、と感想を抱きながら、淹れてから一度も口に付けなかった紅茶を飲もうとマグカップに手を伸ばした。
http://www.youtube.com/watch?v=nwxxtYCVOR4
汚れとる とろくさい ビョーキになっとる
(サテ)
世間じゃマミさんをバカにするけどよ
無理に大人ぶってる証拠だでよほだよ
いきなりやったろみゃーか ティロ・フィナーレ
マミさんはええよ もう、何も怖くないがね
(やっとかめ)
(ハイ!)
待ってりゃあよ 見てりゃあよ 天下を取るでよ!
じわり、じわり、とマミさんファンが増えつつあることを!
もしも、ほむらのソウルジェムが変化し魔女化したとしたら、そう!
終わっとる たるくさい 魔女になっとる
(サテ)
もしもマミさんが怒ったらよ
弱いとか狂っとるとか たわけにするけどよ
マミさんは何をやっても才能あるでね
杏子を仲間に従えてよ
まあいっぺんやったろみやぁか魔獣退治
(やっとかめ)
(ハイ!)
待ってりゃあよ 見てりゃあよ 天下を取るがね!
ケーキ屋に連れて行かれかれこれ30分間、同じことの繰り替えしという拷問を耐えていた僕にとってこの言葉は完全に寝耳に水だった。待ってくれ。じゃあなぜケーキ屋に来たのか、そしてなぜその甘そうなモンブランを注文したのか、なぜそれを食べているのにそんなことを言えるのか、ぼくには全く分からなかった。
ぼくは甘いものが苦手だ。特に生クリーム系とチョコレート系は胸焼けがしてしまう。だから洋菓子を食べることは滅多にない。付き合いでそういうところに連れて行かれるのも嫌いだから、そうはっきり公言している。
「甘いものが苦手」と言うとみなが「人生損している」という。しかし、好き嫌いによって人生が損するかどうかということについては、全くの謎である。あなたの人生にとってはそうかもしれないが、ぼくの人生にとってはそうではない。むしろ、甘いものを避けて生きていけるのならばそれは幸せだろう。
しかし、彼女は言った。その言動には矛盾しかない。モバゲーが無料ですという方がまだ信用できる。苦手なものを食べに連れて行くとはどういうことなんだ、何がしたかったのか。お互いが苦手なものを克服しに行くということならばごめんだった。少なくともぼくは、彼女は甘いものが好きだと思っていたから黙ってついて行ったのだし、ケーキ屋で珈琲だけを頼むという店員からしたら首を傾げる行為を取ったのもそのためだ。
しかし、一定数で信用しない人間もいるのはまた事実だ。甘いものが苦手というのは信じられないことらしく、食わず嫌いだろ、とか、はいはいかっこつけるなって、とか言われたい放題の時もあるくらいだ。想像力の欠如はもはや害である。ややもすればこちら側がマジョリティではないばかりに不当な扱いを受けるだろうし、それに対する対応策をこちらは持たない。
同性愛者や性同一性障害者への偏見も同じことに起因する。根底は同じく根続きの感情は常に場を支配する。俺の辞書にそれは載っていない、と。男が男を愛すること、また女が女を愛すること。自分がそうではないからという理由で非難し貶し異端とみなすことは暴力性を纏った正義であるらしい。だが、そんな馬鹿げた正義がどこに存在するのだろう。
論理的必然性を持たない行為は全て愚かなのだろうか。またはそれは容認されえないのだろうか。
彼女はフォークを几帳面に置き、紅茶を一口啜ると、ゆっくりと口をひらいた。
「何で何も言わないの?」
少し意識を形而上で遊ばせていたのがなんだかよくわからなかったが、時間は過ぎていたようでその顔は少し不安とか心配みたいなものがにじみ出ているような気もしたけれど、無表情だった。どうやら甘かったのは僕のようだった。
童貞が何を語るのかという論理にもまた同様の甘さを感じる。常に優位性をもたらすとされるその考え方の背後には、女性を人間としてではなくてむしろ、女性器として見るような奇妙さを見受けられる。そしてそれは恋愛市場における需要と供給の均衡を妨げるものだと言っても過言はないと思う。童貞のどこが悪いと論を始めることは既に非童貞へのルサンチマンを排除できていない、陳腐なものに成り下がっている。(けしてちんこなものではない。)さらにいえば、風俗業への偏見の付与と排除性がないという点で 素人童貞 という言葉もできていて、これも嘲笑の的になっているのが現状だ。ここにも違和感しかない。
現実ではある子と10,000円で寝れるイケメンもいれば、いくら積んでもATMとして利用されて終わりの人もいる。しかし、風俗ではそこの境界線がない。だが、それが何をもたらすのだろう。
と聞くことは野暮なのかもしれない。けれど、これが核心をつく尤もな質問なのだと思う。ただ、この言葉を使ってしまうにはまだ早いとかそういうレベルでもない。核心をつく質問を中々口に出せないのはなぜなんだろう。
たとえば、タイプの子が目の前にいてその子と寝る手っ取り早い方法は ○○円で俺と寝ない? だろう。この○○に入れる数字は現実的であればいくらでもいい。そうだなぁ、200万とか。そして頷いたら金額交渉に入ればいい。この女は金出せば寝る女だからだ。条件次第で寝るなら金額交渉ができるから値切ることも可能かもしれない。
まだたまに勘違いをしているのは、なぜ彼女と寝るのは無料なのに風俗へ行くのかということなのかもしれないという。はて、どういうことなんだろう。彼女と寝るのには風俗に行くよりも多くの金もかかっている上に、それ以上の時間も失っている。 性行為をする ということに限っていえば、彼女は割に合わない。だから、身体目的の男はよりその価格を値切ろうとする。よりその時間を削ろうとする。
僕はカップを持ち上げ半分くらい残っていた珈琲を一気に飲み干し、その顔でついにあの言葉を言った。
「」
彼女はごちそうさまといい店から出ていった。甘さとは何を指すのだろう。珈琲にミルクと砂糖を入れて苦味を消すことが甘さを生み出すことなのだろうか。それとも甘いものそのものは毒にも薬にもならないのか。人生そのものが無駄な繰り返しの中の一部分だとしたら、その中で起こる全ての事象が無駄であり、意味を付加することの方が滑稽なのかもしれない。
そのケーキ屋に1,360円を払い一人でその足で帰路につく。どこにでもある何も言わない信号機が今日はその目に灯りをともしていなかった。
彼女の言った言葉を聞くことはもう二度とないだろう。しかし、モンブランを食べる女を見る度に、思い出すことになるのは間違いないのかもしれない。
世界を敵に回せ。
今。その情熱の炎がともる時。
なんでもいいけど自己満足。
出てくる言葉を試行錯誤。
だってそれだって面白いじゃん。
これだって面白いじゃん。
面白いことって続けていくべきじゃん。
なんでもいいんだよ。ほんとなんでも。
末期がん患者になったら笑う。大声で。
ああ、そんな俺には天罰が下るのでしょうか。
嘘ばっかりいってたのが本当になってしまうのでしょうか。
本当に怖いのは、嘘が嘘じゃなくなってしまう時さ。
ふっふっふ・・
笑っている。心のどこかではいつも笑っているよ。
ふっふっふ・・
ほら瞳を閉じれば笑い声が聞こえてくるでしょう。ヴォルデモート。
だってヴぁ!
元気出していきましょう。
何度でも、何度でも俺はつぶやくぞ。
何度でも何度でも何度っでも
やってやんぞ。俺はしっかりしているんだぞ。
いみふな世界がまた大きなパワーとなり、俺を伝う。
今こそ真のパワーを発揮する時。
そう思うだろう?君だって、そう思うだろう?
思うより早く打てるか?
俺は試されているんだぜ。
喋っていたいくらいだぜ。
なんでもかんでも、喋ることに意味があるのであれば。
そこらへんのおまじないとは桁外れなことをやってしまうんだぜ。
びっくりするほどユートピア!天国とはここのことだ!
なんでこんなに最高な気分なの。
教えて。誰か教えてよ!!
僕は満たされている。そんなことをわざわざ呟くためにここへ?
どうでもいいんだよ。ハリーポッター。黙れマルフォイ。
笑えてくるよね。なんか知らないけど笑えてくる。
何度でもつぶやくぞ。俺は何度でもつぶやいてやる。
それが俺の託された使命なのだから。
何も否定はさせやしねぇ。何もできやしねぇ。
さらにぶっ飛んだ世界へ連れていきましょう。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アッー
最高だアッー
申し分ない。くるしゅうない。
この世をば我が世とぞ思う。
全く、海の向こうを知らない藤原氏なんだから。
眠くなってきてからが本番なのよ。もうどうしたらいいんだい
脳みそに流れてくるものがあるんだぜ。脳みそ常に震わせて粗々と運命に背きたい。
元気、元気、元気だよ。病気だよ。どっちでもいいよ。
更に、作り笑いを浮かべながら君は僕に冠をかぶせる。
多分、何もかもが存在しているんでしょう。
何もかもが存在していて、どうしようもないくらいなのでしょう。
僕は全てを容認するし、それでいいと思ってる。
何をば、しなきゃいけないのかよくわかってない?
なんなら吹き飛ばすまでやっちまうぜ。
このままダッシュアンドアウトだぜ。
shake your money makerか?
かっぱらったら一気にばっくれ。
大盤振る舞いNo.1になるために。speed kingになるために。
俺は俺は俺は俺は叫び続ける。
世の中の大抵のものは、コストとリターンは(傾きの違いはあるにせよ)ほぼ正の比例関係だというのが持論だ。
それがちょっとコーヒーに凝り始めて
増田が「おいしいコーヒー」を得るために使った時間と労力とお金というコストに比例する。
マクドナルドではほとんど時間のロスなく、コストもさほどかからずに得られるコーヒーは、
でもその「おいしさ」に価値を見出さなかったり、一定以上のレベルであればよしとすることもある。
凍えててとにかくあったまれればいい、コーヒーでもスープでもなんならお湯でも、という場合は、
おいしさよりも温度第一。
とりあえず緑茶でも紅茶でもなくてコーヒーならなんでもいいこともある。
たま~に1杯だけ飲みたいのでコストパフォーマンスを考えて妥協することもある。
まあ、増田がおいしくないと思っても、それでいいと思う人もいるんだから、いいんだよ。
もちろん、高いのにクソまずいのもあれば、安いのになんでこんなにおいしいのってのもある。
それはあくまでも例外であって、傾向としてはコストとリターンは正比例すると思う。
まず最初にwwwwwwwwwwwwwww
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まず最初に、ごめんなさい。
私もその方法はわかりません。
あなたの純粋な心を傷つけてしまったのであれば心から謝ります。本当にごめんなさい。
このタイトルを見て続きを読んでくれたあなたにお聞きしたいことがあって、こんなタイトルにしました。
もしまだ続きを読んでくれている人がいるのなら、少し私の話を聞いてほしい。
私はアニメや漫画が大好きで、小さな頃からそれらに触れて育った。
気が付けばお話のキャラクターに強い感情を持つようになって、思春期はぜんぶ彼ら彼女らとともに過ごしたように思う。
その頃私の世界は本の中やテレビの中にあって、たぶん他にはなにもいらなかった。他人とも話さず、ただただ自分の中にいる彼ら彼女らと共にいられればそれでよかった。その気持ちは今でも覚えてる。
でも時間が経って、私もいつしか仕事に就き、人並みの分別を持つようになった(本当はまだそんなもの持っていないのかもしれないけど)。
彼ら彼女らがどこを探しても、どんなに夜の町に繰り出しても現れないことも知った。
学校の中庭で一人ご飯を食べていても図書室のどの席を見ても行っても夜の学校に忍び込んでも遠い地へ旅行へ行ってもクリスマスの夜にツリーの下で待っていても同じ本を読んでも同じように紅茶を淹れるようになっても同じようにジンジャークッキーを作っても同じようにテトラポッドの上を歩いても、なにをしようと私の大好きな人たちは現れなかった。
話が変わるけど、社会に出てからはどんな生き方をしてもそれが他人に干渉をしない限り、その人の生き方として捉えてもらえた。よく言えば自分の生き方を迫害されることも否定されることもなかった。おそらく私はとても恵まれた環境にいたんじゃないかと思う。
時折私の心は『果たしてこのままでいいのか』と迷うこともあったけど、依然として私の気持ちは心の中にいる彼ら彼女らに向けられていた。
私はその頃には、自分はいつしか“アニメや漫画を楽しみつつ、現実世界にも大事な人のいる一人の人間”になっているのだろうと想像していた。
今まで私を支えてきてくれた彼ら彼女らに対する背徳心をとても強く感じていたが、それが普通で、それを越えてみんな生きているのだと思ってた。
でもここ最近のことだ。
私は連休を利用して実家に帰り、久しぶりに学生時代と同じ曲を聴き、あの幸福感に満たされていた時代を過ごした道を同じように歩いてみた。
それはすごく楽しくて、やっぱり彼ら彼女らが私にとってとても大事で愛しい人だということを再確認した。
それで、その人たち以上に私を支えてくれた人がいないことも本当の意味で思い知った。
彼ら彼女らは思春期の私とずっと共にいて、辛いことがあれば元気をくれ、本当に数え切れないほどの楽しいことをくれた。私の半身みたいなものだった。
途端にそれまで自分が築き上げた人間関係だとか打算的な関係の異性が、そんなものを必死になって築いた自分が嫌になった。
私が本当にほしかったのは私を支えてくれていた彼ら彼女らで、その別のなにかじゃない。
もともとこんなものはいらなかった。
なんで私はこんなものを抱えて生きているんだ。
なんであの人たちはいないのに、彼ら彼女らのお話はあの最後のページをめくった瞬間に終わりを迎えていたはずなのに、なんで私はまだここにいるんだ。
彼ら彼女らのお話は終わって、どうして私の話だけはまだ終わってないんだ、おかしいでしょ。
今は、その気持ちだけがずっと胸の中にある。
あの人たちはやっぱりここにはいなくて、私の気持ちも誰かが作ったサブカルチャーの上で踊っているだけのものだということも理解しているつもり。
でも私の心は長年の間もう彼ら彼女らの存在を在るものだとして捉えてしまっているし、今さら彼ら彼女らの存在を否定する気もない。彼ら彼女らは確かに私の中にいる。笑われるだろうけど、私の中ではいる(ゆのAAの『お前がそう思うんならそうなんだろう』と同じです)。
あと数十年、この葛藤に悩まされながら生きていけるほど私は強くない。
ここまで書いてなんだけど、私自身なにが問いたいのかいまいちよくわかってない。
みんな最後にはこんな場所に辿りついているのか。
だとしたら、なんでまだ生きていられるのか、それを教えてください。
最後には結局一人になって、胸が張り裂けそうになって叫びだしたい衝動に駆られても、それでも寿命だけはまだまだ残ってる。
考えても考えても私には今日までわからなかった。少しでも知っている人がいるならお願いだから教えてください。お願いします。
追記:長文だから『続きを読む』が入れたかったんだけど、よくやりかたがわからなかった。
目ざわりな方もおられると思う。ごめん。試してみてもできなかったので、間違ってるところのご指摘いただけるとありがたい。