はてなキーワード: 古色蒼然とは
何故怖いのか、何が怖いのかと言われたらこういう人が多いでしょう。
そもそも女性ってのは先天的に性的なものを感じ取り恐怖し避ける能力が備わってますよね。
望まぬ行為に巻き込まれないための、大切な防衛本能です。ガチで思ってます。
でもそれ、理性でやめませんか?
マジでこれ女性を敵視して言ってる訳じゃないです。理性でやめましょう、それ。
何故俺はこんなことを言うのか?俺は最低なのか?そんな気持ちも湧いてきますが、あえて言いますよ。
そもそも女性は理不尽な「生物的な本能」と戦ってきた方々じゃないですか。
例えば男性からのセクハラ、モラハラ。これって男性の性欲、マウント欲から来る行為ですよね。
社会としてはこんなものマジでとんでもないことです。男でもそう思います。当然。
立場を誇示したい、上に立ちたい、エロい接触をしたい。女は弱そうだしこっちの方が強い。
男のそんな「生物的本能」は唾棄すべきものだって基本的にはみんな思ってますよ。
今の社会では。
社会は今までそうじゃなかったじゃないですか。女ってだけで低評価受けたり、出産するってなったら嫌な顔されたり。
まあ今でもそういう古色蒼然とした職場とかありますけど、社会全体としてはやめていこうとなってる。
「生物的な制限を社会の構造で受け止める」って風にやっていこう、いくべきだって思ってるんですよ。基本的に。
つまり、女性は色々な「生物的な本能」「生物的な制限」と闘い今の立場を得たわけです。(現状女性の立場問題は解決したとは言えませんけど)
じゃあ、ですよ。
無意味な一貫性って言葉があります。この詭弁を使う人は俺も嫌いです。
でも、今の社会を生きる「トランス」という新たな枠組みのことを考えると、これは無意味な一貫性を求めていることにはならないと思います。
その人たちは現実にいるんだから。そして「生物的な本能」と「生物的な制限」を前に苦しんでいるんだから。
じゃあ社会に参加する我々としてはどうするべきですか?
少なくとも、「生物的な本能でダメ」みたいな悲しいことは言うべきじゃないんじゃないの。
女性はずっとその生物的な本能に苦しめられ、闘ってきたんだから。
まあこれ、女性側だけの問題とも言えませんけどね。男は怖い、男の裸は怖いって認識を拭い難いものにしたのは何か?って考えたら当然男も悪いですよ。
男も女も両方悪い。というか女性はこの理屈を大っぴらに言うことで悪くなりつつある。
だから、まずはやめましょ。「トランス女性が怖い」って言うの抑え込みましょ。
まずはそうしないと、今までの女性の努力が無に帰すことになりかねないっすよ。
アズレンの話。
その知り合いは一昨年から既にアズレンをやっていて、去年秋に自分がアズレンを始めた頃には既に引退していた。
なんで引退したかといえば、半年周回しても夕立が出なくて心が折れたからだそうな。
なお夕立狙いの前に赤城が出るまで数百周、そっから2隻も赤城がダブり、やっと加賀が出るまで更に数百周という憂き目に遭っていることも尾を引いた模様。
アズレンは、クソゲー化著しい艦これの元提督をガッツリ取り込めたこともブレイクの理由になっているくらい、「クソゲー化せず今のトレンドを取り込んで進化した艦これ」と言っていい代物。
だから艦これの古色蒼然なクソ仕様に苦しめられた人間にとっては、基本的に楽しく遊べる。
これは艦これがクソなせいなのか、アズレンが優れているからなのかはさておき。
ただ完全無欠とか完璧な代物はこの世になかなかないわけで、アズレンにも色々気になる点はある。
そのうちの一つが、重桜こと日本艦の扱い。
レア度ノーマル(≒コモン)の子でさえ、日本艦に限っては他国の艦よりも建造率・ドロップ率ともに明らかに渋い。
なので、これがドロップや建造ガチャで狙える最高レア度であるSSレア(金レア)、しかも建造なし一部海域のボスドロップのみとかになった場合、何が起こるかはお察し下さいという感じ。
冒頭に紹介した一航戦や夕立なんかはこの枠に入り、彼女らがドロップする海域は「堀のメッカ」などと揶揄されている。
まあ自分の場合、日本艦なんて艦これでうんざりするほど使ってきたので、引退して久しい今でも、たとえ他のゲームであっても見るのも嫌という感じだから、むしろ日本艦出現率の低さは大歓迎の万々歳で、大いに溜飲が下がるところではある。
しかし艦これから引き続き日本艦を使いたい人にとって、アズレンは少なからずしんどいゲームじゃないかと思う。
そして、そういうプレイ傾向の日本人プレーヤーは多分かなりの数になるはず(というか自分のようなやさぐれ系は珍しい方だろう)。
それで冒頭の知り合いみたく周回に疲れて興味を失うとすると、どうにも残念に感じてしまう。
とはいえ、艦これが日本視点の太平洋戦争ゲーだとすれば、アズレンは通常海域がアメリカ視点、イベント海域がイギリス視点のゲームなので、「そんなの最初から分かってたじゃん」という話かも知れないが。
元増田で欲求のコントロールのしやすさについて論じてるのでここでもそのコントロールに影響してる因子について仮説を述べただけ。
何回目だよ&根拠もってこいよという
だいたい性犯罪はまた別の話だろ。
大半の人間は腹が減っても腹が減った瞬間いつでも食うんじゃなくてある程度決めた時間に食べることで食欲をコントロールしてる。
だが食欲溢れて自制できないデブは腹が減るととりあえず食う。制限なく食う。それが食欲コントロールの話。
だが、それでも通勤時に突然空腹になっても目の前の人間の弁当箱奪って食い始めたりするやつはほぼいないしそういうやつがいたらそれはまた食欲コントロールとは別の話だろ?
・バカの話は長い
・バカはへんてこな例え話が好き
の標本のようだ
何を言いたいのかわからない
性犯罪ってのはそういう話だぞ。
お前の中での性犯罪の設定を語ってるのだけはわかった
それを言うなら議題とかじゃね?
これは打ち間違いとか誤変換じゃないよな
こういう語彙1つとっても適切なものが出てこない人間は論考もレベルが低い
頭よくない奴は自分の手に余ることを考えなくて宜しい
何で天皇は自分の心がつまらないことも理解できないのか。明治憲法にしろ現行憲法にしろこういう子供に何の夢も希望も与えない保守的なものを作るべきでない。私が公民で初めて憲法を見たときは「何が平等だよつまんねえこと言うな」「何だこの古色蒼然とした漢字の羅列は」と思ったものだ。「君が代」も歌詞が意味不明でつまらない。とにかく全体的に退屈で、なぜこんなものが日本国家の礎になるのか、その発想自体が理解不能だ。また天皇の実施する学校制度も極めてつまらない上、ここ30年は失敗している。これでは救いようがない。他方、民間の作るものは実に面白い。天皇が大学入試競争の存在を認めない反面、予備校や出版界は入試競争や偏差値差別の存在を認め、学生の心を明るくする情報操作に満ちている。こういう面では、天皇より、民間やヤクザの方が優れている。しかし、天皇制にはかなりの程度支配力があって、楽しんでいる者の邪魔さえする程度に達している。今の日本の真っ暗さをみれば明らかだろう。つまり天皇制とは鬱の象徴であって、せっかく躁状態になっている社会を脅かす存在なのである。日本は常に躁状態で世界制覇を目指せばよい。ところがなぜか日本の歴史には常に天皇制という厄介なものがあって、つまらない真面目腐ったことを言って楽しんでいる人の邪魔をしてくる。しかもその程度が尋常でないのは裁判所の長ったらしい判決文や警察の取調べをみても分かる。精神を殺しにかかってくるレベルなのである。なぜこうなるのか。それはもともと日本社会に鬱的傾向があって、それが支配的だからだろう。民間やヤクザのように、差別のある明るい躁状態の社会は例外的で、日本人なんて何をやってもだめだし、どうせ地道に生きるしかないという本質的な諦念がこの国に鬱という原則をもたらしている。それがここ数十年のグローバリズムで、何が何でも躁にならなければいけないという風潮が、天皇制を抑圧し、民間やヤクザの価値観の伸張を可能にしてきたが、二度の経済失敗によって再び日本全体が鬱状態になり、天皇制にすがろうという空気と、ここまでやったからには諦め切れぬという民間やヤクザの勢力が拮抗状態になっているのが現状である。しかし、鬱の天皇制と躁の民間ヤクザが戦争をするうちに、日本人の精神はズタボロになって、様々な紛争や事件が起こる中で絆を喪失し、気がついたら精神が空洞化した地獄が現出していたわけである。このように鬱と躁が戦争をするとろくなことにはならない。しかも鬱勢力の執拗さはすさまじいものがある。日本はそろそろ鬱の天皇制をかなぐり捨てて、差別のある明るい躁社会のデザイン設計をしなければならないのではないか。それにはまず受験競争を認めたうえで、東大を中心とする帝国社会へと再編成して、学力により人間を序列化することだ。それによって日本は極めて面白い社会になるはずだ。
辞任した前原誠司前外相に「違法献金」したのは、30年以上も近所付き合いをしてきた京都在住の同胞だ。鬼の首を取ったかのように騒ぐ一部政治家とメディア、あっさりと辞任してしまった前原氏に対し、団員たちは残念に思い、そして憤った。多くの日本人からも「『在日』をそこまで隔離するとは」と呆れる声があがった。
「国籍を超えた人情、善意が結果的に法律に抵触し、大臣の辞任にまで発展したことは残念」(金徳彬洛東支部支団長)、「これを正式に外国人の政治献金とするなら、ほとんどの議員が辞職しなければならない。複雑な事情を抱えているのが『在日』と議員の関係だ」(王清一京都本部団長)、「前原氏がなすべきは、在日の歴史的背景と特殊性を考慮することであり、冷戦構造の残滓とも言うべき古色蒼然の政治資金規正法の在り方を問うことだ。辞任は善意の住民としての在日の切り捨てに他ならない」(薛幸夫鳥取本部団長)。