はてなキーワード: 反自民とは
表現規制反対派として有名な山田太郎前参議院議員の自民党公認が決まった。
そして、その一方で、ダウンロード違法化の対象拡大が棚上げされそうだという情報も飛び込んできた。
これでもう確信した。
(言っておくが、ここで言う「表現規制」は、漫画・アニメなどについてだ)
自民党は一切耳を傾けてくれなかった。だから必然的に規制反対派は反自民志向になっていった。
しかし、自民党が政権を奪還した後、第2次安倍政権以降になってからは、
規制反対派の言うことを聞くようになった。
出版業界が望んだ、軽減税率導入と引き換えの有害図書規制も潰した。
そして、今回のダウンロード違法化の対象拡大もそうなりそうだ。
安倍政権が規制推進派だったら、どんなに業界団体が反発しても、どんなにネット民が反発しても、
ゴリ押しするだろうが、そんなことはしなかった。
何故、安倍政権は自ら手を汚して表現規制するつもりはないのか。
それは、「規制推進派=左翼」というイメージを作り、ネット世論を操作するためだ。
安倍政権が表現規制しなければ、左翼の市民団体やネットユーザーばかりがギャーギャー騒ぎ、
安倍政権にとって、自民党が表現規制をすると思われることはあってはならないことなのだ。
だから、猟奇殺人はアニメの影響だとテレビ番組で発言した山本一太参議院議員も謝罪させられたし、
ネット上で規制推進派として槍玉に挙げられた、土屋正忠前衆議院議員も、
あの菅元総理が対抗馬なのにも関わらず、党幹部が応援に入らず落選した。
ひとたび表現規制すれば、自民党はネット上での支持を一気に失い、
民主党政権の悪夢の再来につながりかねないと恐れているのだろう。
麻生政権の末期に児ポ法改正案が審議され、「俺たちの麻生」に揺らぎが生じ、
繰り返すが、あくまでも「安倍政権は」であって、「自民党は」ではない。
なので、安倍政権が終わって、例えば、石破政権なり岸田政権なりになったらどうなるかは、
俺は知ったこっちゃない。
別に安倍総理の次の総理総裁の政権が山田太郎氏と対立して、山田太郎氏が離党しても、
はじめに
人がある思想を持つとき、ある程度の一貫性を持たねばならない。
日本人を殺してはいけないという思想を持つ人が、外国人なら殺しても良いとする思想をもつというのは難しい。
反原発を叫ぶときに、反自民にならなければいけないというような一貫性を要求されるときに私達は困難に直面する。
確かに自民党が原発肯定派であったとして、原発に反対するのであれば自民党に反対しなければ一貫性を保てないことになる。
この困難がそうであるように、思想上でもある思想を持っているのであれば、別の思想を持っていなければならないといういことがある。
私が考えた中でフェミニズムが持たなければ一貫性を損ねてしまう思想をリストアップする。
反原発がそうであるように、自民党を肯定していてても反原発は主張できる。
しかしこういった困難は先に見えていれば冷静さは装うことはできる。その意味では無駄ではないのだ。
女性性と男性性の違いを述べるときにそれは文化や社会によって違いが異なる。
例えば日本では、女性性の特徴であるものが、海外ではそうではないことがあるかもしれない。
そうなると主張が弱くなるので、国内限定にするか、全世界を射程に収めなければならない。
世界主義的に考えるのであれば、女性性を普遍的に考えなければいけないだろうし
国家主義的に考えるのであれば、女性性を特殊的に考えなければいけないだろう。
女性の権利を拡大を目指すときに、男性性、女性性を語らなければいけない。
そういったときに、男性性、女性性を語ることが女性性を規定してしまう時がある。
すべてを包括する女性性など不可能なので、男性が持つ権利を人間が持たなければいけない権利とし
こういった思想を持つと、人間という種族を肯定しなければいけないし、世界主義へ接近することになる。
そうだろう?
https://www.sanspo.com/geino/news/20180920/pol18092011580003-n1.html
石破と安倍の討論をテレビで見たけど、石破の意見は安倍・プラス・アルファみたいな感じで
安倍に足りないところがあるみたいな意見だったけど、必要なのは別軸を語れる人間でしょう?
これは歴史の流れなんだと思うが、野党という批判するだけの勢力を含み、私達は健全な批判勢力として肯定している。
対案なんて必要ない。私はあなたとは違うといえる人間がいればいいだけだ。
それは単純な批判だけでも成し遂げられるということだ。
そして野党がしょぼくなれば、自民党内部に批判するだけの勢力が生まれ
その批判するだけ人間が政権を取る。それは民主党の時と一緒だ。
私はあなたとは違うということから出発すれば、それは別の軸に移動する必要性が生まれるだろうし。
現時点で対案がないことが、悪いことではない。
それは批判するだけでもいいってこと。別の案がなかったとしても。
しかし、考え方を変えれば批判とは、私はあなたとは違うという標だ。
マスコミや市民は私はあなたとは違う、ということを永遠にできる。
別軸に移動する必要性がない。
それは反自民でずっとやってきたと述べた報道ステーションの古舘伊知郎のように。
言い直そう、つまり批判するだけという問題は野党ではなくマスコミや私達、市民にある。
それは対案を考えるという意味ではない。対案を欲するべきだということだ。
(ここでツイッターなどで政治議論されている方は当然除く。彼らは誹謗中傷にさらされて別軸に移動する必要性があるかもしれない。)
私はあなたとは違うということが必要なのか?という疑問はあると思う。
なぜ健全な批判勢力を求めているか、というのと同じ答えになると思う。
同じ人間であるなら、権力構造に従属するしか無いということがある。
それは学校でもそうで、ヒエラルキーが決まると、上の階層の人間は意見を出しまくるが、下の階層のものは意見がまるででなくなるのに近い。
自己批判ということはできると思うが、同じ人間ということで適用できるわけではない。
同じ人間ではあるが、批判するだけで別の人間になってしまうぐらい弱い論理的な繋がりにすぎない。
しかし自己は違う。私自身を批判した所で、私でなくなるというぐらい弱いものではないのだ。
安倍政権は消極的支持者が多いと言われているが、積極的支持者もいる。
以下のような人々だ。
まあ改元先送りやサマータイムはこれぞ安倍政権といった政策なわけで、そういう政権を若いIT屋さんはせっせと応援してきたのだから、
彼らは安倍政権支持者を衆愚とみなし、自分達は「愚かな民衆とは違う」ために野党を支持する。
彼らは「愚かな民衆とは違う」ことが大事なので、野党の支持者が増えることを望んでいない。
安倍政権が大多数の支持を集め続け、自分達が特別な少数派であることを望んでいる。
5秒考えれば、上記のような相手をバカにした発言が、自分の支持者を増やすことはありえないとわかるはずだ。
こんな風に書かれて、書かれた側が「すみませんあなたの言う通りです、僕がバカでした」なんて思うわけがない。
彼らも勿論それは分かっていて、あえてこんな発言の仕方をしているのだ。
まともな安倍政権批判が増えて安倍政権が支持を失うと、自分達が特別ではなくなってしまうから。
民主主義の世の中で意見を通すためには、自らの思想を理解してくれる人を増やし、支持者を集めることが肝要である。
そして自分の思想の別の側に居る人間こそ、実は最も説得しやすい。政治に興味を持っているからだ。
世の殆どの人は政治になど興味がないので、どれだけ熱意をもって話しても伝わらない。
自分と対極にいるということは、実は少なくとも同じ線の上にいるということなのだ。
今回のサマータイムの件は、(少なくともはてな界隈では)ほぼ全員が反対するという、千載一遇の機会である。
自民支持者の中でも「え、これはちょっと……」と思う人が多いはずだ。
つまり反安倍・反自民勢力が話を聞いてもらい、自分達側に引き込む絶好の機会なのである。