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はてなキーワード: サリドマイドとは

2021-01-30

anond:20210123164933

若い頃に見聞きしたサリドマイド薬害エイズ医療行政に対する認識が固まってしまってるんだろう。

副反応で苦しむ人はわかりやす被害だが、ワクチン接種率が下がることにより死者が増えるという公衆衛生上の被害はわかりにくい、

そういう人間一般的な傾向に従っているとも。

2021-01-22

新型コロナワクチン安全性

なんて一般人の俺には分らんのだけど、薬害被害者としては今の時点で”よし打とう!”となってる方は幸せ人生を送られているなぁと。

サリドマイド薬害エイズ・薬害肝炎などの有名どころから最近では薬害ではないがノバルティスファーマ化血研正真正銘薬害小林化工。

国外を見てもロクでもない、人倫に悖り続けてる業界しか思えない。

というのは俺のバイアスで、業界従事されてる大半の方は誠実なんだろう。

俺の場合臨床試験データ捏造からの、まぁなんだこの業界の”悪意”のせいで健康が損なわれたんで、もう新薬(ワクチン)なんてコリゴリなんだけども、

開発・治験製造・処方・その他諸々ひっくるめてクジ引きみたいなもんだからな。引きたいなら引けばいいけどさ。

コロナ罹患するリスク(過疎地・都会・行動様式)、罹患した場合重症リスク(年齢・持病)、健康以外のリスク(人間関係・金)、新ワクチン接種時の危険性と利得。他いろいろ。

百人いたら百通りの判断があるわけで、それを他人にどうこう言うのは抵抗感あるわ。

数の論理公衆衛生からそんなの知ったこっちゃねぇ、マクロモデル作って一番効果出るやりかたやるねん!

ってのは政治理屈として分かるけども、個人としてはそれこそ知ったこっちゃねぇ。って言うのはフリーライダーか。そうか。

2020-03-07

anond:20200307143055

サリドマイド母親受益した結果として子供けが一方的に害をこうむってる、という非対称性がまた別の論点として入ってくるじゃん。

サリドマイドも本人ひとりだけで利益衡量をとったら、そのナントカ?っていう病気?には効くんでしょ?じゃあコロナウイルス治療だって奇形性とかなけりゃ使えばいいじゃん。

anond:20200307141552

効果があったら使ったら良いんじゃない?と使って事故起こしたのがサリドマイドって薬なんよ。

睡眠薬として効果があるって使ったら、どうも妊娠中に飲むと奇形児が生まれしまうという副作用があったの。

そしてサリドマイドは使われなくなった。

ただ、抗多発性骨髄腫みたいな重い病気デメリットが多いから再び使われるようになった。

2019-01-02

anond:20190102131623

化学世界には鏡像異性体という概念があります

右手左手は、構造相対的位置関係が全く同じであるにもかかわらず立体的に重なり合うことがありません。

それと同様に、結合している元素が同じで、元素同士の相対的位置関係が全く同じであるにもかかわらず立体的に重なり合わない分子化学世界には存在します。そのような、構造が同じであるにもかかわらず立体的に重なり合わない2種類の分子関係を「鏡像異性体関係にある」と言います

鏡像異性体関係にある化合物は、R体、S体という呼び方区別されます生化学の分野では、L体、D体と呼ぶことも多いです。L-メントールとか、L-アスコルビン酸という名前を耳にしたことがある方も多いと思います

R体を鏡に写すと、鏡に写ったR体は、S体の立体構造をしています。逆に、S体を鏡に写すと、R体の構造が鏡には写っています。ですから、R体とS体の関係鏡像異性体と言うわけです。これは右手左手関係と全く同じです。右手を鏡に移すと、その像は左手と同じ立体構造のものです。

鏡像異性体関係にある分子は、化学的な性質(沸点や色や反応性など)が全く同じであるにもかかわらず、生体内での働きが全く異なることがあります。これは、生体内の酵素が立体的な分子であり、薬理効果酵素の立体構造分子の立体構造作用した結果であるからです。右手にピッタリと合うように設計された鍵穴に、立体的な配置以外は全く同じ構造をしている左手を入れてもはまらないのと同じです。酵素は鍵穴のような形状をしていて、多くの薬理作用を持つ化合物は、鍵穴に適切な分子がはまったとき薬理作用を発揮します。

例えば、ミントに多く含まれるL-メントールは皮膚に対して清涼感を与えることで知られますが、その鏡像異性体であるD-メントールは清涼感を与えません。

また、サリドマイドと呼ばれる物質は、R体のみ薬理効果を示し、S体は催奇性を呈します。睡眠薬として販売されたサリドマイドは、S体のみがもつ催奇性により、重大な薬害事件引き起こしました。有機化合物の多くは鏡像異性体を持つため、薬学的には、R体とS体を区別して考えることは非常に重要です。

薬理作用、すなわち生体内での働きというのは、匂いについても同様です。ある分子は良い匂いがするけど、その鏡像異性体はそうではないというケースは十分に考えられます

したがって、元増田は、ええニオイがしない分子化学合成しようとして、ええニオイがする物質ができあがってしまったため、分子の立体構造上下左右前後全部逆になっている分子、すなわち鏡像異性体を作ってしまったのではないかと考え、そのおかしから腹が痛くなってしまったのではないかと考えられます

2016-12-15

サリドマイドサン

Sally go round the sun~て歌をうろ覚えで歌おうとしたら、サリドマイドサーンと言ってしまい、thalidomide sonとは不謹慎だなあ、と思いました。おわり。

2016-01-13

[]手塚治虫「なんという舌(ブラックジャックより)」

★★★☆☆

前置き

3巻8話。

あらすじ

サリドマイド児で短肢症の子どもがいた。

子どもは舌でそろばんをするのが得意だったが、

友達に笑われるのがいやでそろばんをやりたくないと言ったところ、

母親が腕をつけかえてくれるようBJに頼み、手術を行った。

訓練の甲斐あって、限られた時間であればそれなりの速度で珠を弾くことができるようになり、大会に出場。

しかインターバルなしで手を酷使しすぎたため、決勝で指がしびれてしまう。

子どもは、封じていた舌を使って残りの課題を始めた。

感想

これめっちゃ印象的で覚えてる。

最初はなんでこんなそろばん大会BJがわざわざきてんだと思っちゃった。

いちいち見に来るって相当面倒見いいよなあ・・

実際に舌でやった人とかいたのかなあ・・・

あと今読むとサリドマイド児ってのが時代を反映してるなあと思う。

それについては特につっこんだりしないんだよな。

下手な医者ならサリドマイド服用した母親糾弾すらしそうだけど。

BJはそんなに出てこなかったな。

でも記者軽率ヒューマニズムに対する現実的な回答は地味に刺さる。

指が使えなくなったとき子どもが意を決して目の前をにらむようにしてから舌でやりはじめるところの表情芝居がすごく印象的。

ピノコor印象に残ったセリフなど

ねえあんた 全国には りっぱな腕に つけかえられない子どもが ゴマンといるんですぜ

村岡くんは 特別な例なんだ

村岡くんの 記事を書けば そうでない子どもたちが うらやむだけでしょう

ランキング 

1.ときには真珠のように

古和医院

ピノコラブストーリー

ピノコ愛してる

六等星

二度死んだ少年

コマドリ少年

焼け焦げた人形

アリの足

はるかなる国から

えらばれたマスク

友よいずこ

めぐり会い

白いライオン

シャチの詩

つの

幸運な男

上と下

なんという舌

の子を殺すな!

閉ざされた三人

報復

目撃者

ある教師と生徒

万引き

タイムアウト

奇胎

からだが石に…

ダーティー・ジャック

2015-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20151203224309

楽にしようとした結果がサリドマイドみたいになったりするわけで

2011-01-26

青い鳥はいなかった』とサリドマイド児の親コピペについてもう一度

親が障害を持つ子供権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。

  普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学ゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。

  サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。

  生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。

  「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。

  さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。

  が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。

  「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地旅行に行きたかったのに」

  「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか

  どれだけ、危険屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。

  で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。

  一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」

  「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」

  「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。

  養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」

  「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」

  結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」

  「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。

上手い「コピペであると思う。

サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたか現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである

既に

http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html

といった記事で述べられているように、このコピペ真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ飯田 進)』というものがある。

上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。

にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。

ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文から引用を交えてネット上に残しておきたい。

なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分から抜粋になることを付記しておく。

http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E2%80%95%E8%96%AC%E5%AE%B3%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0-%E9%A3%AF%E7%94%B0-%E9%80%B2/dp/toc/4835032993

この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。

目次

わが内なる罪

父母の会創設

国際的な連帯を求めて

噴出する矛盾と内部対立

理念現実のはざまで

集団訴訟をめぐって

親の止まり木を目指して

裁判有利の展開のかげに

疑惑の根源

裁判の終結

和解の落とし穴

父母の会の解散

息子伸一の死

実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。

青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないか想像するが、どうだろうか。

「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進であるかのように錯覚できるのは否定しない。

しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。

  まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)

  たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)

「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。

  知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)

  彼は結婚前もその後も、しばしばタイインドネパールチベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行はいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)

  いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)

さらに終章では

  伸一は母子感染C型肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎ウイルスが混入していたのである。(312頁)

  もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)

  事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)

青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。

飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペ元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。

障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別ネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペ「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別である

最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。

  「サリドマイド裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えいであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]

  「つまりサリドマイド裁判薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)



※に関する追記

サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学卒業する時期もある程度類推が可能であるコピペ記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。

30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペ記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるか就職に有利であった時代に「普通学級で大学いかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。

コピペに「危険屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある

2009-07-17

7 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/07/03(金) 23:19:06 ID:T4rR2vse0


普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、以前に見たドキュメンタリーを思い出す。


サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。


が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地旅行に行きたかったのに」「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。


で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」

「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」

「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」

「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」


結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。

2006-11-14

科学技術資本主義

誰でも実験できて,大量生産・大量試験できて,状況さえ整えれば誰でも扱えるような技術が,世の中に広まる⇒ゆえに正しい,とされるのは,科学技術の性質であると同時に資本主義の性質でもあるなあと思う.だから「みんなの前で実験してみろ!」という立場は,科学技術的な立場であると同時に資本主義的な立場でもあるのだろう.

逆に,資本主義でなくて区切られた世界であれば,例えばソ連でルイセンコ主義なんていう似非科学流行ったように,万人が実験できるわけではないことでも広まってしまったりする.別段,その(科学技術で,安価大量生産して世界制覇してやるという考えでないのならば,ヤマギ○ズムでも大躍進政策でもご自由に,ということになる.まあ,ルイセンコ主義や大躍進政策の場合は,(数百万人,数千万人の)「みんな」の前で実験してみて,それでも暫くは誤りを認めなかった場合の,反面教師としても重要な事例なのだけれど.ただ,それらは世界中の人を納得させるには至らなかったわけだ.

科学技術資本主義コンボは,「みんなの前で実験する」ことを行動原理として,「正しさ」を生産してきた.もちろんそれは効率のいいやり方で,だからその方法論は今後も力を持ち続けるだろうと思う.ただ問題なのは,サリドマイド禍のように,「みんなの前で実験する」ことが結果として非常にリスキーなことになってしまう場合だ.そういう危険性あるよという意味では,「みんなの前で実験する」メソッドには,弱点が確かにあるとは思う.

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