はてなキーワード: カワイイとは
少女まんがって 陰キャ主人公女子がかっこいい男子に好かれる っていうのがアーキタイプじゃんか(雑)
「違国日記」読んでそれを思い出したわ。
主人公(作者(漫画家)の分身(小説家)でもあり、想定読者が自分を投影するキャラクターでもある)のダメな点
「自称する”薄情”」もイケメンに「いやあなた実は熱いキャラでしょ」と肯定される。
うわー メガネの下の素顔がカワイイの、オレは知ってるぜアピール!
少年漫画のヒーローっぽく、あるいはTVドラマの主役みたいな憧れられる対象。美人で仕事ができて稼ぎがあって楽しい友人たちがいる主人公。
けれど…陰キャブスと見なされていないだけで、20年前の少女漫画読者ターゲットにマーケティングばっちりや
最新刊ではどうなってるか知らんけど
。
確かに誰でも一発で理解できるようなシンプルな勧善懲悪なんかじゃないと思う。
冒頭部分からちゃんと映像を見て、キャラのセリフもちゃんと聞いてないと誤解するような部分がある。
実況を見るのに夢中になっていたら見落としてしまうような所なのかも知れない。
語るならせめてその部分は理解してもらうか、そうじゃないならおっこカワイイだけ言って終わらせていて欲しかった。
おっこが何を感じて何を乗り越えたのか、山ちゃん(山寺宏一)の演技のどこが凄かったのか、そういうのが分からないならあの場面について何も語って欲しくなかった。
自分は、何者も拒まないような高潔な心の持ち主にはなれなかったからそう思ってしまう。
どこの話だよ?って
ネタバレを回避するために自分の気持ちを先に書いたから分かりにくい文章になったのは謝る。
自分が言いたいのは「木瀬文太(キャスト:山寺宏一)が起こした交通事故は貰い事故であり、彼は加害者でもあると同時に被害者でもある」ということだ。もっと言えば「木瀬文太に対して怒りや憎しみの感情をぶつけることが正義であるかのような態度を取るのは、この映画の描いたものを貶めるような行為だと理解して欲しい」ということである。
冒頭の事故において、木瀬文太本人に落ち度があったかといえば、間違いなくあった。
彼が完璧なハンドリングをしていれば、二次災害で死ぬ人は居なかったかも知れないからだ。
同時に、彼が全てを諦めてしまえば、もっと大勢の人が死んでいたかも知れない。
そしてこれが何より重要なのだが、『彼自身の落ち度は彼の運転者としてのモラルに起因するものではない』。不可避の貰い事故の被害を最小限に食い止めるに足るだけの神業じみた運転技術を持っていなかったことにある。
これで彼が責められるのは理不尽と言っていい。
だが、ハンドルを握るということはその理不尽を背負うということだ。
そのことを彼は理解していた。
彼の口にする「俺なんか」という言葉は、彼があの事故に対して責任を感じている証拠であるし、周りに八つ当たりのような態度を取るのも後ろめたさにより精神がいつも張り詰めていたからだと分かる(それらが観客に伝わるように演じてしまう山寺宏一がこれまた凄いんだが)。
では、本人が自分を責めているのなら、彼を許すべきなのか?
それを決める権利があるのはおっこだ。
おっこはとんでもない小学生だ。
今自分が書いたようなことを、事故の当事者という立場でありながら理解している。
許せないという気持ちが自分の中に湧き上がってくる中で、自分が今思っているような気持ちと鏡合わせの「許されない」という気持ちを木瀬文太が抱え続けていたことを理解してしまう。
彼が自分と同じ被害者であることを感じるだけの極めて高い共感能力を発揮する。
だが、それはおっこ自身を板挟みにすることになる。
小学生の身で事故で両親を失った悲しみだけでなく、事故で誰かの両親を奪った人の悲しみに対する共感まで背負い、許すか許さざるかの決断までもを迫られる。
この世界にある理不尽に対してどう向き合うかの答えをいまここで出せとばかりに現実が迫ってくる。
ある種の限界状況(カール・ヤスパース)を前にして、おっこの出した答えは「花の湯温泉の若おかみとして全てを受け容れる」ということ。
この選択が『正解』であるとういことは理解できても、それを小学生が選ばされるということ自体があまりにも理不尽であり、そこがこの映画最大の精神的にキツいシーンとも言われていますね。
このシーンに対して「うるせー木瀬文太死ね!」とか「コイツ人を殺しておいてのうのうと塩気が足りねえとかステーキうめーとか信じられねえよ」なんて感想を出して欲しくないんですよ!
こういう人達がどうしてこんなに怒れるのかって結局の所「自分は木瀬文太みたいなことは絶対にしない」と思ってるからだと思うんです。
自分が同じ立場になる可能性なんて考えてもいないから、木瀬文太がどういう気持ちで暮らしてきたかも考えられないし、彼に対してぶつける怒りなら絶対的に正義だと勘違いできるんでしょう。
ちょっと考えれば分かりますけど、貰い事故食らって半分被害者で半分加害者になるような事象に遭遇する可能性が0%の人生なんてどこにも存在しませんよ。
車の運転なんてしなくても、自分がドミノのパーツに組み込まれて意志とは無関係に他人の人生を破壊する羽目になる可能性なんてどこにも潜んでます。
そんな理不尽なことだらけの世の中で、みんながお互いに支え合って許し合っているのって尊くて暖かいなあって映画じゃないですか。
嫌なことがあったらそれっぽい理由をつけて攻撃的になるのは当然だと思います。
実際この映画でだって、最初のお客さんを通して観客にそのことを思い出させて来てますもの。
でも、それと対比するように自分の気持ちを飲み込むおっこが凄いって感動する映画でしょ。
そのおっこの健気さがあるからこそ、おっこに感情移入して、だからこそそれを傷つける相手が許せないから怒る、そこまでは分かりますよ。
でも怒ってるから相手に対して何言ってもいいみたいなのってどうなんでしょうか。
ましてや滅茶苦茶な屁理屈で相手の人格を否定するなんてアニメのキャラクター相手でもやるべきではないでしょう。少なくともこの映画の感想としては。
貰い事故であっても木瀬文太が交通事故を起こしたことは許されないことかも知れない。
でも木瀬文太が交通事故を起こした人間だから、正義の鉄槌でボコボコにしてもいいとか、事故を起こすような奴が幸福に生きようとしてはいけないとか、そういうのは違うでしょ。
ひき逃げした人がインターネットで叩かれているのを見て、交通事故の加害者は無限大にその人間性を否定していいと勘違いしているんでしょうか……。
こんな言葉を使いたくはないですが「同じ映画を見ていたとはとても思えない」ような感想が沢山あって驚きました。
以上です。
うちは女の子で3ヶ月。ほんと乳幼児の世話って大変だよね。自分はちょっと手伝ってるってだけでほとんどは嫁さんに任せっきり。24時間つきっきりで3時間ごとにミルクあげるとか絶対自分には無理だと思うからただただ感謝と尊敬の毎日だよ。
割とマインドが強い嫁さんでも結構弱音を吐いていたから、多かれ少なかれ誰でもそういうものだと思って今はただ頑張って欲しい。旦那さんにもできる限り甘えて手伝ってもらったらいい。
まだ1ヶ月だと大変さが上回るかもだけどこれからどんどん可愛くなるよ。うちは2ヶ月過ぎた頃に時折笑顔を見せるようになって、それで全て癒やされる。ほんと感動するほどカワイイよ。
小さい頃からずっとだ。
家で飼ったことのある生き物は金魚すくいの金魚と兄弟が捕まえてきたオタマジャクシぐらいか。
母が金魚の水槽を洗うのを見るにつけ、面倒くさそうだから自分は絶対やりたくないなと思っていた。
私はバツイチで元夫は大の犬好きだった。
彼の家族も当然のように全員犬が大好きで、犬を家の中に入れている日もあった。
私は彼の実家に行く度に、犬臭い家だな、不潔な感じがするな、と思っていた。
口には出さなかったけれど、わたしはあまり犬に触れなかったし、犬を褒めるようなことも言ったことがなかったから、犬が好きな人間でないことは伝わっていたかもしれない。
夫と別れたのは犬が理由ではないけれど、あの犬臭い家から解放されたのはとても清々しい。
インターネットを見ていると犬や猫の写真や動画に沢山いいねがついていて、普段別のクラスタに属している人たちも可愛い可愛いと愛でている。
彼らはSNSで飼っているペットの写真などをアップしているけれど、私はいいねを付けたりしないし動画は開くこともしない。
別に彼らが動物の写真をアップし続けることは構わないし、特に嫌な気持ちも無い。
ただ私が「動物に興味が無い」と言える場があまりにも無いな、と思いこの文章を書いている。
動物に興味が無い人間はおそらく私と同じように他人の目を気にして大声で主張することはしないと思うので、相対的に動物が好きな人間が目立つようになっているとは思うのだけれど、動物に興味の無い人間はとても少ないように感じる。
そして動物が好きな人たちは動物を嫌いな人なんてほとんどいないよね、と思っている気がしてしまう。
彼らが自分のテリトリーで動物を愛しているのは構わないのだが、ペットの写真を見せられたりすると心にもない「カワイイネ」を言わないといけないので大変苦痛だ。