はてなキーワード: 区画整理とは
http://anond.hatelabo.jp/20121209000955
自分がネットを始めたのは1999年で小3からだったけど、あの頃は自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった。
個人サイトは、その個人がネットという世界で表現したいリビドーが詰まっていたように見えた。
整理されていない雑多なサイト構成や、稚拙に濫用されたTABLEタグも、材木や廃品を用いたDIYによって作られたアジトみたいで楽しかった。
サイトを漁る時にはロボット検索エンジンは利用していたようにも思うが、登録型検索エンジンや、個人サイト同士のリンクから辿るのが主であり、それは草木の中で目当ての物を探す、面白い場所を求める冒険のようだった。
でも、気が付いたら、それまでとは異質で、均質な形をもった、ブログが目立つようになっていた。
いつの間にかGoogleは、検索単語をダブルクオーテーションで囲まなければ、まともに使えなくなっていた。
Web2.0(死語)の頃から、どんどん都市開発の波が押し寄せて、区画整理がはじまり、個人サイトは廃墟と化し、Infoseekは楽天都市開発に買収されたまま打ち捨てられてしまった。
DIVタグにより整備されたサイト構成は、その見た目も、どこか没個性的で無味乾燥としたものを感じるようになったと思う。
残ったのは画一的な建造物ばかりが建て並ぶソーシャルサイトやブログ、WIKIの都市圏で、そこではWeb1.0の頃よりも人間個人がクローズアップされるようになったけども、個人サイトは消滅した。自分は個人のウェブサイトとして作られ、サイト同士が繋がるネット上の表現物が好きだった。
あれだけ雑多で手作りな感覚があった個人サイトは消えてしまったのに、個人サイト周りに巣食っていた、対人関係を消費するネットウォッチャーや、揉め事と言う名の床屋談義は、未だに息衝いているどころか、情報の流通・蓄積を効率化していく流れに乗って、TogetterやSBM、まとめサイトを牙城に、ネットの娯楽として定着し、規模を肥大させたきらいすらある。
ネットにワクワクしないなら自分で面白いのを探せ、作れ、本を読め、リアルに出ろ他のものに目を向けろ、というブコメ/TBが付いているけども、それは違う。
ネット以外でワクワクしても、ネットでワクワクしたかった感情とは関係がない。
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書とかで語られるテキストサイト文化圏付近の諸処ではなく、それらについてはどうでもよく、全く無関係に、自分が見ていて、自分が好きだったインターネットの楽しさについて。
自分が見ていたインターネットの楽しさも、総体すればテキストサイト文化圏をも内包した2000年代前半の日本語圏インターネットとして言えると思うけども、今は時代によるサイト構造の発展と、均質性の中に取り込まれて、消えてしまった。
さる土曜日、国立国会図書館の関西館にヒマを潰しに行ってきました。存外良かったのでみなさんにお知らせ。
Official サイトはここ。http://www.ndl.go.jp/jp/service/kansai/index.html
外観がこれ。
http://mbp.tumblr.com/post/13545972949
中は天井が異常に高く、吹き抜けみたいなホールを下っていくのでなんか得した気分になれます。
なかはあんまり写真とっちゃダメっぽい雰囲気だったので写真ありません。
設計どこだろ。
第一の目的はこれ。最近論文読める環境にないのでネタ探しと興味本位で行ってみた感じ。
しかし!蔵書はされていても全部のジャーナルが電子化されているわけではありません。
化学系だとScience Direct系は読めるんですが、ACS系やNature系は書物としてなら読める感じです。
車で行くしか方法がないと言っても過言ではないほど区画整理された土地にあります。
SPring-8を彷彿とさせる。しかしあそこよりは都会かも。
場所は京都府相楽郡精華町といって京都の南、奈良との県境くらいの場所です。
B5以上の書類が入るバックはロッカーに入れる必要があります。電話とかも原則禁止。
カメラ禁止。持ち込みPCは場所を限定して許されているようです。
入るために一時入館証を発行する必要があります。住所電話番号まで必須。
館内でインターネットするためには継続カードみたいなのを発行する必要あり。
こんな僻地の国会図書館来てまでスポーツ新聞やらインターネットしてるひと、
かたや難しそうな本を読んでいるひとなど。
ビニール袋みたいなのに入れれば持ち込みできる?のかな、
隣のおじさんはずっと縮刷版の新聞読んで唸ってました。
ボロクソ書いたとこもありますが、みんなの財産なので国会図書館、一回暇つぶしに行ってみてはどうでしょう。
自分の中で、今まで書いて整理できなかったものとして、「部落」というものがある。
部落っていうと関西のイメージが強くて、有力者なんかだと食肉業界で成功したりしている、みたいな感じなんだけど、それとうちの近所の部落との整合が取れないなあ、と。多分東北とかまで行くとあまり部落ってイメージもなくなっていて、松本大臣VS地元メディア、みたいなこともあったのかなあ、と思う。
あと、田舎。割と構成員が変わらないってのがあった。そのへんが世間一般の感じてるものと自分の感じてるものが違うなあって思った。
自分の地区の隣の地区が、行政的にそういう位置付けのところである、ってのを、まあ成人するかしないかぐらいのところで知るわけです。行政的に、っていうのは隣保館とかがあったり、区画整理がされてこのへんじゃ珍しい2車線道路が走ってたり、地区に入るところに信号や横断歩道がついていたり、市営住宅がたくさんあったりするってことなんですけどね。
自分ちのそばに解同の事務所なんかがあることなんか知らずに育つわけですよね。
でも、その地区が特殊な地区であることは知っている。うちの隣のその地区は食肉とか皮革とかではあんまりなかったみたい。あとでちょっと調べたけど、民間陰陽師とかそういうこともあったらしい。まあどういう区別なのかよくわかんないけど。
で、部落の歴史としては、全国的なことなのか、農地を持っていなかったり小作していなかったりする人たちなので、戦後困窮したらしい(民間陰陽師も禁止されたとか)。卵が先か鶏が先か、って話だけど、その地区は生活レベルが周囲より下がってしまった。そういう歴史はもちろん僕らは知らなかったが、その地区の子たちの学校での勉強が芳しくなかったのは体感している。(ちなみにその地区は土建と自営が多く、他の地区は農家と勤め人が多かった印象)
これもあとから知った話で、というか母が小学校教諭として自分の通っている学校に勤めていたことがあったのだが、ここに赴任する前にそういうレクチャーを受けるらしい。そして全校100~200人程度の過疎の小学校なのだが、質の高い教師が選ばれていたらしい。そんな恩恵を知らずに受けていたのだが。そういうわけで、僕も利権の中の人と言える面はある。
そういうわけで、母曰く、僕らはかなり大きく同和(人権?)教育を受けていたらしいのだが、子ども心に全然覚えがないんだな。部落という地区があっても、そんな地区がどこにあるのか知らないのだもの(隣にあったのに)。「出自によって差別するのはよくないね」「はーい」なんて言ってたのかどうか、今考えると靴の上から足の裏を掻くようなもんで、具体的にその地区のことを説明せずに、よくそういう教育ができたもんだ、と思うが、その地区の人もその地区じゃない人も同じようにその教育を受けていたようだ。
で、そういう部落とは知らないその地区に対して、かなり年配の大人(祖父母など)は「そこへ行ってはいかん」「その地区の人と遊ぶな」という教育をしてきましたね。で、噂としては「狂犬病の犬が放し飼いにしてある」「おかしな人が追いかけてくる」などの噂があって、怖がりな僕はほとんどその地区に入っていません。いわゆる級友、クラスメートとしては全く違いはないので、その地区にも友達はいて、何かしらの努力をしてその地区に立ち入ったことはあります。友達関係としては至って普通でした。
その地区は学校の成績としては低かった体感があり、その地区の中でつるんでいるグループがあって、ちょっと荒い印象はありました。
いまさら親と同和について話を聞いたりするようになったんですが、難しい話ですよね。その地区は土木工事的にはお金がつぎ込まれて、ハコモノもできて、小学校には優秀な教師が送られていたはずが、昭和末期から平成にかけても、教育水準の体感に差があった。学校にいる子どもたちは、同和や部落のことは何も知らないし、知ることがいいこととは思わないが、もしそこに格差があっても、打てる手は少ない。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20110816220206
というエントリを読んで感じたんですが、もともと地域の水準って、モザイク状なんですよね。うちのあたりは全体的に遅れた地域ではあったんですが、やっぱりその地区と他の地区では成績の体感に差があった。これってどこにでもある話だけど、どこにでもはない話とも言えると思う。
ついでながらの無駄話をしておくと、今でも市単位で、人権講演なんかがあったりして、同和行政は終わってても、どこかでそういう予算がついているみたい。で、関西四国あたりの人に喋ってもらってるらしいんだけど、何か違うと思うんだよな。
君は思考が極端だね。まず、「差別」という言葉の使い方が極端すぎるよ(今は没交渉になってしまった「活動家」の先輩の言葉遣いを思い出す)。
いや、「差別」ですよ。大抵の原子力関係者だって、温暖化や石油枯渇が心配される中「原子力が人類を救う」という使命感と誇りを持って仕事しているわけです。それを誇ることが許されないばかりか、もんじゅのように「原子力関係者には嘘を含め何を言ってもよい」という風潮がはびこっている。「全て原子力村が悪い!温暖化CO2原因説は国際原子力村の陰謀だ!」みたいな陰謀論に至っては「全て国際ユダヤ人が悪い!」というのと同じようなパラノイア的なものを感じます(そういえば、広瀬隆はユダヤ陰謀論者、温暖化懐疑論者でもありました)。
一方、石油業界関係者は普通の人と同程度に、自分の仕事に誇りを持つことが許されているはずです。あれだけ叩かれてる官僚でさえ、個々人を叩くような人はまあいないでしょうし、誠実に語れば「世間で言われているより実際の官僚はずっとまともなんだね」ぐらいの反応は得られるでしょう。「お前ら全然残業してないでいい給料もらってるんだろ!」と言われて「いや、そうではなく労働基準法の適用対象外なのでサービス残業を強要されているだけだ」と説明して「公務員村の情報操作だ!」なんて反応が返ってくることは考えられない。この違いはなんですか?
そう、飛行機などが安全でないことと、原発が安全でないことは重みが違うんだ。(「重み」という言葉遣いがおかしいかもしれないが……「重大性」かな。この暑苦しい夜に、重苦しすぎるが。)
それがまずおかしいと思います。どう考えても「あなた」が飛行機で死ぬリスクと原発事故で死ぬリスクは前者の方が高い。土地が使用不能になるという話にしたところで、ダムだの空港だの区画整理だのと大して変わらない(時間の長いオーダーで見れば使用不能とは言えないという意味も含めて)。実は原発のリスクというものは既存のもののリスクと変わらないし、予測不能なほど巨大なリスクという意味ではCO2と温暖化というもっと強烈なものが比較対象として存在しうる。
というわけで、原子力だけを特別扱いするのは合理性に欠ける感情論でしかありません。その意味で、脱原発か否かという議論は原子力と「それ以外」の得失を比較して行われるべきです。それがない議論はまともな脱原発議論とはいえません。
原発だって隠せませんよ。放射能なんて1ベクレル(1ベクレルって原子核1個が1秒間に崩壊する放射能ですよ。超・超微量です)単位で計測できてしまうのに。事故に至らない「事象」を隠しうるという意味では飛行機や鉄道だって同じことです。
原発は、それを建設する計画の時点から、「安全」を強調して地元を説得した。地域の住民はそれが一番気になるからだ。これと比べることができるのは、「飛行機などの安全」ではなく、……そうだな、「金融商品の元本割れのリスクの説明」ではないか?
化学工場やガスタンクを建てる際だって「安全です」と説明されるでしょうがそれに文句を言う人はいないですよね。人工物に「絶対安全」があり得ないことは誰でも知っているからです。実際、命の危険という意味では化学工場やガスタンクの方がよっぽど高いです。原発だって当然同じように理解されるはずです。
一方、金融商品は「絶対元本割れしない」ようにすることができます。法律上、そういう契約を結ぶことは可能だからです。だから「元本割れはしません」といえば嘘になる。ここが全然違います。
JALも同じことをしていましたが、それでもなお「安全だ」と主張することは可能でしょう。
それにJCOが「原発でないこと」など、一般人には正直、どうでもいい瑣末なことなんだ。同じ「核(エネルギーの平和利用の)施設」で、何かあったら原発でもJCOでも周辺には同じ結果をもたらすものなのだから。
全然「同じ結果」ではありません(JCOでは土壌汚染は皆無。これは原理的にそういうもの)。JCOと原発を同一視するのは、石油精製工場で爆発事故が起こったらなぜか火力発電所が責められるような話です。ですがまあその辺は別にいいでしょう。「客観的にみて、JCO事故以前は『原発は安全』と主張してなんの問題もなかった」と言い直してもよい。それ以降にしたって、原子力業界の死者数が他の業界に比べて非常に少ないことは変わらないですし。
あ、ついでに思い出したので言いますが、1991年美浜事故、もんじゅナトリウム漏れ事故、JCO事故などのたびに「原発の安全神話崩壊」は騒がれていたはずです。これでもなお「マスメディアは『絶対安全』を国民にプロパガンダしていた」というのなら「嘘つき」か「健忘症」のどちらか一方だとしか言いようがないと思います。
美浜は何度も"事故"が発生しているが、「国際評価尺度」で「事故」扱いされる「レベル4」以上になったことはない。2004年ではなく、1991年の蒸気発生器伝熱管損傷が「レベル2」だ。
それはその「事故」が放射能事故に限られているからです。プラント事故という意味では2004年の二次冷却水漏れ事故は電力業界全体を揺るがす大事故であったことは間違いない。あの事故は火力発電所でも起き得るものだったのだから猶更です。
前の家から通うとすれば、毎日始発終電になってしまうので派遣会社がアパートを借りてくれてそこに住んでいる。
正直ここは何もない街だ。
一応県庁所在地だし、古いお城もある。でも、歴史的な街並みのようなものは、戦争で焼かれたのか、区画整理で無くなったのか、いずれにせよまったくと言っていいほど見当たらない。
皆が憩えるような公園というと、先のお城の周りに少しあるが、城というのは要するに戦闘用の建物なので、その周りもアップダウン、カーブなど多すぎで、のんびり散歩、という雰囲気ではない。
海沿いには釣り公園や海水浴場があって、そういう趣味の人は楽しめるかもしれないが、景色も含めてだれでも憩える、という感じではない。
昔路面電車が走っていたというなんだかやたら広い道路は、かろうじて県都らしいにぎやかさを持っていて、通勤時間帯こそそれなりに渋滞しているが、20時を回るとほぼガラガラ。どこにでもありそうなファサードをもつ商店もさっさとシャッターを閉めてしまう。
無個性。その一言に尽きる街だ。
正直、この町に来て買ったものといえば、本や食料品、100金グッズ、下着類など本当に身の回りのものだけだ。服一つ買うにしても電車で1時間かけてこの地方の中心都市まで出かける。ここには店が本当にない、僕の物欲を刺激するようなものは何もないのだ。
そもそも、この地域のお店の人たちは商売をする気があるのだろうか?
ハロウィンでもクリスマスでも、店に飾りつけするでもなく、サンタクロースのコスプレをした店員がにぎやかに呼び込みをするでもなく、全く普通の1日と同じように過ぎていく。
職場の派遣先の社員さんも同様だ。みんなで楽しいことしましょうよ。といっても県内でできることと言えば釣り、ゴルフ、飲み会。あとは県外に出て行ってしまう。
そんなある日、駅からの帰り、何かないかといつもと違うコースに自転車を走らせていて、中心街の少し裏通りにある銀行であるものを見つけた。
「あ、イルミネーションだ」
冬支度の街路樹は、落とした葉の代わりに華やかなLEDをまとい、周囲に明かりを放っていた。
そう、この町で見た初めてのイルミネーション。たった2本の街路樹に飾られただけのイルミネーション。裏通りで、車も人もほとんど通らないが、わずかばかりの人の目を癒す為に寒空の中、温かい明かりを放っている。イルミネーション。
撮りながら、なぜか自然に涙が出てきてしまった。
そう、この町には冬の夜空の下を移動する人の、せめて心の中だけでも温めてあげようとするそんな空気が感じられない。
以前住んでいた町なら、僕のうちの近所の、ほんのささやかな商店街でも明かりの飾り付けで歩く人の心を和ませてくれていた。そういうものが、ここには、本当に、ない
初めて会ったのが、このイルミネーション。
僕はこの町が嫌いだ。心の底から大嫌いだったんだ。
輝くイルミネーションを見て、そう思った。
1月末で、僕は契約を途中で切られる。今住んでいる場所も退去させられる。
でも、不思議と悲壮感がわいてこない。
床に寝てます。
段ボールを使って。
使っていない会議室の予約を取って、仕事しているフリのプロジェクターをセットして、長机の下に段ボールを敷いて寝ます。
15分でも横になると、すげーリフレッシュできます。
仕事をしているフリのプロジェクターなどがないと「お、空いてる空いてる」などと、予約も取らずに使おうとする奴らに踏み込まれ「何寝てるんじゃー!」という事になります。
ボクの友達が見つかって笑いの種になりました。
あとは、書庫の本棚の間に秘密のスペースを作っていましたが、部署のミニ引っ越しで区画整理され、無くなってしまいました。
とほほ。
いつも、どこかで飛行機を見ていた。いつも音が聞こえていた。
空港に近すぎもせず遠すぎもしない成田ニュータウンでは空港関係者のほうが多い。学校では親の職業というのがそれとなく広まっていて、あの子のお父さんはパイロットだから金もちなんだとか、何丁目は整備士が多いとかグラウンドサービスの人が多いとか管制官が多いとかそういう住み分けがされていて、それが当たり前だと思っていた。
反対派も無関係な人も空港関係者も同じように暮らしていて、同じところで買い物をして、その子供はその土地で育って友達になったり喧嘩をしたりした。それが日常だった。見上げればいつも飛行機が飛んでいた。それを気に留めることすらないほど当たり前のようにそれはそこに存在していた。
上京して、飛行機の音が聞こえないことに驚いた。空を見上げても何もないことに驚いた。時々飛行機の音がすると驚かれるほどすばやく反応した。それくらい慣れ親しんだ音だった。ヘリコプターとは違う、飛行機の音。
ニュータウンは子供たちが育って出て行ってしまうと、閑散としてしまった。小中学校は人が減り、子供の声が聞こえなくなった。公園の遊具はさび付き、雨にぬれるままになっている。もともと人口は減るものとしてニュータウンは計画されていたのだ。小学校は老人ホームにできるように最初から計画して作られている。いずれいくつかの小学校は統廃合されるだろう。ニュータウンはそろそろその役目を終えて、死んでいこうとしている。いや、いこうとしていた。
高速鉄道の計画は20年前から聞こえてはいたが、実際に動き始めたのは数年前からだ。成田イオンモールに駅を作るかどうかでもめて膠着状態にあったが、結局作らないということで線路の敷設が始まっている。帰省するたびに、高校時代自転車で走りぬけた田んぼ道が切り開かれて、高架が建設されていく。緑のじゅうたんの中ににょきにょきとコンクリートの足が生えている。うっそうと茂った林が切り開かれて、地層があらわになっている。
実家付近には駅ができる予定になっているので、駅のそばということで再び開発が行われ始めたようだ。区画整理はされたものの野原のままだった土地がさらに細かく分割され、たくさんの家が建てられている。帰るたびに軒先に車が止まっている家が増え、子供のおもちゃがほったらかされている家が増え、犬がなき、子供の声がこだます。また町が息を吹き返している。コンビニができ、駐車場が増え、竹林が切り倒されて家が建つ。山が切り開かれて道ができる。水はけが悪くて雨の後には大きな水溜りができていたあの野原にも家が建った。よく知った場所も、よく遊んだ場所も、夏に一息ついたあの木陰もひとつずつ消えて、誰かのものになっていく。
駅で見かける賃貸物件も値段が上がり、駅前の再開発もまた行われている。東京まで40分乗り換えなしだから、通勤圏内ということで空港関係者でないひとたちもこれから流入してくるのだろう。成田の周囲の市町村は寂れていく一方だからそちらからの人口流入もある。実際につい最近周囲の市町村と成田は合併して大きくなって、どんどん店が増えている。
東京へは少し遠い、しかし遠すぎはしない、千葉北東部の物流の中心、成田。
これから死んでいくのか、それとも息を吹き返すのか。
二項対立は見方の一つに過ぎない。DSを買ったらPSP捨てなきゃいけないなんてことはない。同様に強さと弱さというものは、一人の人間の中に生まれた時から同居している。疲れてたり気持ちが停滞してると、自分の成功体験を忘れがちになるだけである。
ウィンプというタグを、誰があなたに貼付けたのか?いや、あなた自身っていう可能性もあるのではないか?あなた自身が「自分は失敗した、だから自分は弱い人間に違いない」と、レッテル張りしているだけではないか?タグの便利さに溺れたお馬鹿さんが自らウィンプ小屋に入っていくというマヌケな現象である。
少し話を変えよう。ひろゆきのこの発言は当然ご存知の事であろう。
ニュー速からはてなに流れてきた私はこの発言の真意を完全に理解した。
はてブの惨状のことを語りたい。
見事なまでのアフィリエイト生産牧場と化したブログ。見渡す限り、家畜、家畜、家畜。価値を生み出す人間は一握りしかいない。
一握りの論客/エンターテイナーと、それに群がる大量のイナゴが見えてくる。
そして腐っていった。
「http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080318/1205849701」の様に程度の低いエントリに付く大量のはてブ。悪意を書きたいだけのクズ。
大量のブクマと、中身のないコメント欄やトラバ。さらに群がる程度の低いイナゴ。集合愚。
Lifehackという名のただの伊東家。Lifehackを本当に活かすには「自分自身で考え」なければならない。
それもできない程度の低い大衆。
考えることのないイナゴは所詮イナゴであり、幾ら知恵を付けようとイナゴを超えることはない。
手前が嘲笑っているその対象と同じレベルに何故気付かない。
悔しいか?悔しかったら手前の言葉で反論してみせろ。手前の言葉で、手前の考えで反論してみせろ。
はてな村はただのコミュニティに過ぎない。それは本質的に2chやmixiと同じだ。
いくら道具が進歩しても人が進歩しなければWeb2.0は何も生み出さない。一握りの人間がイナゴを嘲笑い、儲けを得て高笑いしてるだけだ。
道具なんか捨てっちまえ。思考力、観察力を高めろ。自分自身で考え、自分自身で行動し、自分自身で解決しろ。嘘は嘘であると見抜ける人間になれ。
二項対立が如何に下らないか。憎悪と悪意を増幅させるだけのエントリがどんだけ非生産的か。断言口調のブログがいかに意味のないものか。
そして結果的に得するのは誰なのか?
一度立ち止まって、煽りにグッと耐えてみよう。ネットリテラシーを意識してみよう。
整然と区画整理され超高学歴で満ち、活気に溢れてたコミュニティがどうなっていくのか考えて欲しい。
いまやゆとり携帯厨御用達になってしまったGREEの悲惨な末路をもう一度思い出して欲しい。
(id:lifeis2へ:非常に芯のある主張だと思います。埋もれさせたくないという理由より許可なく代筆させて頂きました。)by増田
あ、ごめん、これもウソ。
まず、二項対立は見方の一つに過ぎないってこと。
DSを買ったらPSP捨てなきゃいけないなんてことはないでしょう?
同様に、強さと弱さなんてもんは、一人の人間の中に生まれた時から同居してんだよ。
疲れてたり、気持ちが停滞してると、自分の成功体験を忘れがちになるだけ。
ウィンプというタグを、誰があなたに貼付けたのかな?
え、コガイさん?え、分裂君?いやいや、あなた自身っていう可能性もあるんじゃないかな?
あなた自身が「自分は失敗した、だから自分は弱い人間に違いない」と、レッテル張りしているんじゃないかな?
タグの便利さに溺れたお馬鹿さんが、自らウィンプ小屋に入っていくという、おマヌケな現象なだけだよ。
(詳しく知りたい人は「認知療法」でググってみてね)
話は全然変わって、ひろゆきのこの発言は当然ご存知の事かと思う。
「Web2.0は何も生み出していない」「Web2.0はマイナスイオンみたいなもの」
http://www.j-cast.com/2007/10/15012230.htmlとか。
ニュー速からはてなに流れてきた俺は、この発言の真意を完全に理解した。
はてブの惨状のことを語りたい。
ざーっと見渡した限り、見事なまでのアフィ牧場じゃないですか。
見渡す限り、家畜、家畜、家畜。価値を生み出す人間は、本当に一握りしかいない。
こんなところに巣があったのか。さっさと死ねやキモオタ。俺の愛したニュー速を劣化させやがって。
あー、死ななくてもいいから、フィードリーダーくらい使ってね、お願い。邪魔だから。
エロ画像スレで基本pass聞くアホはこういうところから流れて来るんだな。はぁ。
一握りの論客/エンターテイナーと、それに群がる大量のイナゴが見えてくる。
これ、どんなコミュニティにも言えるんだけど。ニュー速もそうだった。そして腐っていった。
ゴミがゴミを生む悪循環が、はてなでも始まってる。はてなも腐りつつあるらしい。
「http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080318/1205849701」みたいな程度の低いエントリに、大量のはてブが付く。
こいつらイナゴの最悪なところは、テメエの意見があるわけじゃないんだ。悪意を書きたいだけのクズでしかない。
よく見てみ、ブコメはズラズラ付いてるのに、コメント欄やトラバはスッカスカだろ。
んで、そいつらの日記見に行くと、本当に内容がないよう。。(泣)さらに程度の低いイナゴが群がる。すっげえ集合愚。
だいたいな、Lifehackってなんだよ。カッコつけんな。ただの伊東家じゃねえか。
「Tシャツを瞬時に畳めるLifehack」って言うとカッコよくなるから不思議だよね。
お前らイナゴみたいな低レベルのオツムでこんなもん見たってな、
「夏まで必ず痩せる○○」「必ず勝てる!競馬必勝法」くらいの価値にしかならねえんだよ。
Lifehackを本当に活かすには、それを使いこなし得る「自分自身で考える力」がなきゃ、無理。全然無理。
要は、イナゴがいくら知恵だけ付けても、所詮イナゴ以外の何者でもない、ってことだよ。
なあ、お前らイナゴに聞きたい。何故、解決法を他人に頼る?何故、自分自身の頭で考えようとしない?
はてブ漁って他人の言葉を見つけて、「ああなるほど、これが言いたかった」で終わりか?
それってな、お前らが鼻で笑う「みのもんた見て感心するババア」と同レベルだぞ?
悔しいか?反論してみろよ。出来ないだろ。ざまあwwwwwwwとしか言いようがない。
「絶望したっ!」じゃねえだろカス。テメエの言葉で反論してみろよ。
はてな村はただのコミュニティに過ぎない。それは本質的に2chやmixiと同じだ。
ね。いっくら道具が進歩しても、中のイナゴ共が進歩しないんだから、Web2.0は何も生み出さない。だろ?
コガイ氏やアフィブロガーら、一握りの先進的な人間が「イナゴ馬鹿すぎwwwwwwアフィうめぇwwwwww」っつって終わりだ。
まず、伊東家のゴミ知識でブヨブヨに肥え太ったそのメタボ脳味噌をどうにかしろ。
道具なんか捨てっちまえ。自身の思考力、観察力を高めろ。
自分自身で考え、自分自身で行動し、自分自身で解決しろ。
「うそはうそであると見抜けない人には(はてなを使うのは)難しい」。だろ?
はてなって高級なイメージがあったけど、ニュー速とまるきり同じでびっくりしたよ。
しかも部外者には冷たいわ、ニュー速以上に陰険だし、情報の信頼性・重要性を全然見抜けてないし。
匿名で書いたこのエントリも、匿名ってだけで疎外されるわけだ。誰か数人が「増田」ってタグだけ付けて終わるんだろうなぁ。
イナゴじゃないみなさんにも聞きたい。
これからどうする?近藤さんが京都に帰ってきちゃったわけだけで。
整然と区画整理された街はとてもキレイだけど、その街に棲む大多数の奴らの根性は最悪だし、街自体もじわじわ腐りつつある。
GREEの悲惨な末路は知ってるよね?あんな超高学歴で満ちて、活気に溢れてたコミュニティが、
いまやゆとり携帯厨御用達モバゲーの後追いだぜ?悲惨過ぎねえか?
はてなもそのうち、メイン顧客のキモオタイナゴの為にキモいアニメグッズ売り始めるだろ。
アニオタの、しかも脳が腐ったのしかいなくなっちまうぞ。あ、そのほうがウマイか。
つか、これ「ダイアリー」なんだよな。どおりでmixi、モバゲーと変わらん訳だわ。
いいか、俺はお前らの敵ではない。
二項対立がいかに下らないか、憎悪と悪意を増幅させるだけのエントリがどんだけ非生産的か。
断言口調のブログがいかにウザいか。んで、結果的に得するのは誰なのか?よく考えてみ?
一度立ち止まって、煽りにグッと耐えてみよう。ネットリテラシーを意識してみよう。
俺はそのムカつく手法を意識的にコントロールして、使ってみただけだよ。勘違いしないでね。
ウィンプのはずの俺が、弱さと強さを両方持ってるんだから、これもあながち間違いでもない、はず。。