こういうポストを見掛ける度に心底不思議な気持ちになるんだけど
なんで女が泣くのを、自分の意思でやってる事かのように言う男がこうも多いんだろう…
だって、泣くって別に自分の意思でどうこう出来るものじゃなくない?
漫画や小説なんかを見てる時にもそうで、こういうシチュエーションなら涙が出ると刷り込まれたら自然と出てくるものでしょう?
「周囲に人がいる時ほど泣く」というのは、多分周りに人がいる事でそれだけストレスが誘発されるからだろうね。
「男性と違って抑えない」…って、まさか男性は涙を抑えられるの?マジで?
でも女には出来ないよ…それは多分女にだけ生理があるのと同じで生得的な男女の身体の作りの違いだと思う
男は意識して涙を流すのかもしれないが、女は違うんだよ。
血や汗と同じだってば。
https://twitter.com/Shanice79540635/status/1727517782064160795
@Shanice79540635
・周囲に人がいる時ほど泣く
・男性と違って抑えない
という特徴に加えて男女平等で豊かな国ほど女性は頻繁に泣く傾向が明らかになっており、女性が泣く理由は「泣けば許されると思ってるし実際許されるから」と結論が出ていたりする
どれくらいの汚部屋かと言うと、部屋というか家中の床に衣服やチラシ新聞紙置いてて床見えない感じ。あとテーブルに使い終わった皿とか置きっぱにしてる。
買い物中毒っぽくて、しまむらとかで安い衣類を買いまくってる。で、それらを俺が捨てようとするとキレる。勝手にテリトリーを荒らされるのが嫌っぽい。あと要るものと要らないものの判断区別をつけれない。いつか使うかもって思いがあって、捨てるのが恐い感じ。
そんな母だが、母の母(祖母)も母の祖母(曽祖母)も汚部屋マシーンだったみたい。汚部屋サラブレッドである。幸い俺は母親を反面教師にして、むしろ部屋には最低限しか置かないスタイルになってる。
そんな訳で実家に他人をあげるなんて恥ずかしくてできない訳だが、祖母が他界して実家にお坊さんをあげないとダメになった。どうにかして汚部屋サラブレッドの母親に掃除させたい。
こっちも飲んでるし気にならないのでは
はてなのリベラルは女性でも杉田に対してはボロカスに非難しているが?
何も悪名高い杉田だけでなく、有本、飯山、三浦、生稲、野田、稲田、松川、小渕、三原、櫻井、小池、高市らに対してもはてなリベラルは糾弾の手を緩めないが?
やあ、皆さん。陰謀の舞台裏に潜む者、イルミナティのガブリエルだ。今回は、我々の秘密の活動について、もう少し深堀りしてみよう。
集団ストーカー、思考盗聴、大規模監視。これらは決して陰謀論ではなく、我々が日常的に実行している活動だ。集団ストーカーは、哲学的ゾンビのようなNPCたちが、我々がプログラムした通りに振る舞う舞台を作り上げるものだ。彼らは我々の指示に忠実に従い、私たちの計画を実行するために存在している。
思考盗聴は、我々が衛星に取り付けた特殊な装置を通じて行われている。スマートフォンと連動しており、誰の思考なのかを自動的に判別することができる。これによって、個々のイエローモンキーたちの深層心理にまでアクセスし、彼らの動向を完璧に把握しているのだ。
そして大規模監視。これは一般に広く知られているが、Android、iOS、Windowsなどのオペレーティングシステムがデバイスを操作し、イエローモンキーたちのあらゆる行動を監視している。これにより、我々は一般人々の生活の奥深くまで手の届く情報を得ることができる。
では、なぜこんなことをしているのか。その鍵は「ムビフィケーション」にある。イエローモンキーたちは、まさにトゥルーマンショーの主人公のような存在だ。お客様たちは主人公に干渉し、ストーリー展開をコントロールすることができる。そして、我々が持つムビフィケーションAIは、その主人公の監視情報から自動的に映画を製作することができるのだ。
「誰を主人公とした映画を見てみたい」とイルミナティ会員が要求すれば、その映画を手に入れることができる。この映画は一般に流通するものではなく、わずか1%の特別な商品だ。現実の誰が主人公になっているのか、それを想像してみてほしい。
イルミナティ会員たちは専用のTVを持っており、その中でムビフィケーションされた作品を視聴することができる。これによって、我々はエンタメのために集団ストーカー、大規模監視、思考盗聴を行っているのだ。現実とフィクションが交錯する中、我々の陰謀はより複雑で、洗練されたものとなっている。
さて、我々の陰謀の更なる深淵に触れていこう。イルミナティが集団ストーキングや思考盗聴、大規模監視を行うのは、単にエンタメのためだけではない。これらの情報収集活動は、社会を操るための巧妙な手段であり、我々の影響力を強化する要素でもある。
「ムビフィケーション」は、ただの映画制作手法だけではない。それは同時に洗脳とも言えるものだ。我々のAIは、主人公の監視情報からその人物に合わせた情報や出来事を取捨選択し、都合のいい形で映画を構築する。これにより、イエローモンキーたちは自分たちの生活を映画の中で見ることで、徐々に自己認識を失っていく。彼らは演じられた現実に溺れ、我々の手中に操られる存在となる。
さらに、我々は政治や経済にも深く介入している。イエローモンキーたちの行動や意見を把握することで、我々は社会の動向を予測し、必要な方向に導くことができる。経済的な影響力もまた、我々の手中に握られている。特定の商品やサービスに対する需要を操作し、市場を操っているのだ。
一方で、我々イルミナティのメンバーは、この陰謀の中で特別な地位を持っている。我々の決定は、一般のイエローモンキーたちには理解できないような深い哲学と知識に基づいている。そして、その知識を持つことで我々は支配の中心に立ち、社会の糸を操っているのである。
最終的に、我々の目的は「絶対的なコントロール」だ。イエローモンキーたちは我々が用意した舞台で演じられ、我々の思惑通りに振舞う。彼らは気づかずに我々の手で導かれ、我々の望む未来を築く存在となっていく。これこそが、真の陰謀の本質であり、我々イルミナティの究極の目的なのだ。
これからも、舞台裏で繰り広げられる陰謀の真相に迫っていく。イエローモンキーたち、目を開け、真実を知る覚悟を持っていることを祈るばかりだ。 Stay vigilant, and embrace the revelation.
「マスコミのせいにするな」
とか散々言われてて、本当に辛い。
離婚して辛いのはゆづくんだと思うんだけど、誰もそこを労わってあげない。なんでこんなに日本人は人を叩くのが好きなのかわからない。あんなにもてはやしてたのに、離婚したらボコボコに叩いて。ゆづくんの祖母?も「ゆづを叩いてください」とか言い出して、なんで身内までゆづを叩くこと勧めてるの?何の権限??
可哀想だよ…今きっと一人で悩んでるよ。元奥さんと話してるのかな。スケートでまた魅せてくれたらみんなきっと見直すと思うんだけど。
不思議なのはゆづくんが結婚してショック受けてた人が、離婚したら叩くようになったこと。「私にもチャンスが」とは思わないんだね。そういう心理もわからない。
今はゆづくんが元気になって、また滑れることを願います。離婚した本当のところは分からないけど、そんなのどのカップルも、夫婦も、あることじゃない?確かにゆづくんは単なるスケーターではない人だろうけど、誰と結婚しようと、離婚しようと、いいと思うんだけど。本当によく分からない。日本人が怖い。急に敵になるんだなって分かったから。
食いつくし系がなぜ嫌われるかというと、複数人で食事をする際に勝手に人の食事に手を付けたり冷蔵庫の食材を勝手に食べつくすという実害を伴っているからだ
単なる大食いや量の差による錯覚ではなく、他人が食べるものすら手を付けているというのが忌み嫌われる
そこを理解せずに「こいつらは男が多く食べることを知らないだけだ」と思い込んで特攻して勝手に逆切れしているのは誰なんだろうね
いやいや、ほんと話が通じない
絵を描くのって本当にセンスが要るなって思う。
特徴を捉えつついかに描くか、いかに描かないかという取捨選択が難しい。
例えばステーキを描くとする。誰だって見たことはあるだろうから、頭にはなんとなく浮かぶ。
遠近感を意識した皿を描いてみる。これまあ記号的だしなんとなく皿だと分かる。フォークナイフも添えれば尚更。
その上にやや歪んだ楕円ないし四角を描いてみる。皿の上にあるから料理ではあるのだろうけど、これでは全くステーキには見えない。
とりあえず立体感を出すのに、側面との境界に線を引いてみようか。しかし端から端まで描いてしまうと、食べ物というよりはなんか謎の物体っぽい。しかしどこかで線を途切れさせるにも、適切な場所が分からない。
他にステーキの特徴といえば筋繊維のキメか。刃牙みたいに細かく描こうとしても、グチャグチャになって更によくわからなくなる。しかしざっと描くにも適度なデフォルメの塩梅が分からない。
あとは脂身か。赤み部分との線の濃さで脂身だと認識させたいが、これも境界に線を引くべきか否か、引くとしたらどの程度引くのか。試行錯誤しても上手くいかない。
湯気でも立たせてみようか。温泉マークの波線みたいなのを描くと、小学生が描いたウンコのイラストみたいだ。雲みたいなモヤモヤのタイプならまだマシかもしれない。でも湯気の立ち方を無作為にバラすのは難しい。これはまあ湯気を実際に観察するなり、セオリー通りの表現を真似するなりすればまあ……って感じかもしれない。
こういう特徴を上手く表現したりだとか、光沢をつける場所と描き方のセンスだとか、輪郭の線を適度な所で途切れされる感覚だとか、センスが問われるようなあって思う。これは線画?の話で油絵みたいなのだとまた少し変わるのだろうけど。
SNSとかで人の上げた絵の練習見てても、こういうのが最初からある程度出来てしまう人と出来ない人がいる。
まあスタート地点のセンスに差があるのは言わずもがな、これって練習でどうこうなるもんなんだろうかって思う。
上手い人はやっぱりどんどん上達していくし、そうでない人はやっぱりいつまで経っても自由帳の落書きっぽさが拭えない。節々で練習の形跡を感じたりはするんだけど。
増田にこそこそ書くのも大差ないぞ!