ギャグでなくてシリアスなホラー漫画のモンスターの名前が「冥奴」と書いて「メイド」らしい。
こういう外来語や英語の当て字を使ってるだけで頭悪そうなのに、モンスターの名前が「メイド」って何なんだろう。
あとほかの漫画で、モンスターを殺す能力を持ってる人たちが「喰人」と書いて「クラウド」とか。
適当にはカッコよさそうなIT用語を使ってるんじゃねえよって感じだし。
Aというものが批判されている時に何故か突然「Aが駄目ならBはどうなんだ!」と言い出す奴が多いけれど
・AとBでは全然違うものなんだから、Aは駄目でBはOKですよ。全然違うのに並べる意味が分からない。
・そもそも今までBなんて知らなかった。知ってたら批判したけれど知らなかったので語っていないだけの事を何故まるで「Bは受け入れる」と言っていたかのように思い込んでいるのか。
常にこのどれかなんだよなあ…
AとBが別物ならばAは駄目でBはOと思っててもダブスタでも何でもないし
Bについてはっきり擁護した訳でもないのに表立ってB批判しないというだけで「Bは受け入れている」認定するのも謎。
Aを批判する人間をなぜか全て「Aは叩くのにAと同種のBは許容している」と決めてかかっている。
こういう難癖付けてくる奴ってサリーとアンのテストが出来なそう(発達障害認定ではないです。私は発達障害ですがサリーとアンのテストは普通にできますし)。自分が知っている事を他人が知らない可能性、あるいは自分の知らない所でその人が活動している可能性を考えていない。
トイレットペーパーの長さはどれぐらいが普通なのか、ましてや女性のことは知らないが
トイレから聞こえるカラカラ音からして妻がトイレットペーパーを使いすぎている気がする。
トイレットペーパーがなくなるのが早いしトイレットペーパーもタダではないので、考えて欲しいのだが。
指摘したら
「私はあなたみたいに何度もうんこにいかないし(僕は快便、妻は便秘)、ウォッシュレットも使ってない。あなたより経済的よ。」
と逆ギレさた。
それも一理あるが、それは別にして妻自身のトイレットペーパー使用量を減らすことはできるはずなので
言われたことは真摯に受け止めてほしいと思っている。
どうやら結婚する予定らしく、部屋の下見をした帰りっぽい様子だった。
高くて広い部屋を希望している彼女を、彼氏がひたすら説得していた。
盗み聞きする気はなかったけど、結構大きな声なので耳に入ってしまった。
「2人の生活費だけで20万くらいかかるんだよ? 俺は家を建てるための資金を貯めたいと思ってるんだけど、貯金はどうするの?」
彼氏は堅実な生活を希望しているのに、彼女は贅沢したいらしい。
「広い部屋は家賃が高いから貯金はできないよ? 子どもができたらお金がすごくかかるんだよ? そのことについてはどう考えてるの?」
しかも彼女は専業主婦になる予定らしく、「食費は4万でやりくりできそう?」とも聞かれていた。
大体の食費もわかんないのかよ!
チラ見したら、結婚したら素敵な家で楽をできると思っていたらしく、ふてくされていた。
何だそりゃ!
小声で「だって広いから」とか言っていて、その彼女がだんだん地雷女に見えてきた。
一人暮らしをそもそもしたことがないんだろうな。
今さえよければそれでいいって感じで生きてきたんだろうな。
近くにいるだけで負のオーラが伝染しそうだったので帰ろうとしたら、「俺の給料、全部使うつもりだったの?」と聞こえてきて、思わず吹き出してしまった。
こことか
で、見れるようにする方法
シンプルに無効化するやつを放り込んでも多分使えないので(tvbokは独自スクリプト?)
ChromeかFirefoxでuBlock Originを入れましょう
で、Myルールに「no-cosmetic-filtering: * true」を放り込むと広告は消されたままで幸せになれますよ
さっき書いた記事を消したが、反論されて面倒くさくなったというのが正直な理由だが
逃げてるだけといえばそのとおりだがそれをやってもまあ匿名だからまあいっかと思えるのが、この場所である。
ということで、堂々と消す。
彼らは「本当の日本の姿」を保守しようとする。「いまは失われつつある、真の日本」というものがどこかに在ったのだと信じて疑わない。それはいわゆる「国体」というやつで、終戦と同時に去勢されたものであるとされている。自虐史観を植え付けられ、「偏向報道」を浴びて育った人たちが、「回れ右」して、そうした主張をするようになる、というのは九十年代の小林よしのりブーム以降、とくによく見られるものとなっている。そういった人びとは、その小林によって「純粋まっすぐ君」と形容される。
そうした人びとは、それまで大きく左に逸れていた自身のイデオロギーを修正し、遅れを取り戻そうとするように真逆に舵を切り、正統と思しき情報を収集する。こまごまとした情報のなかからピースを掻き集め、失われた「国体」というパズルを組み立てていく。この過程で、合いそうにないピースは選ばない。たとえば近世以前の歴史とか、かつての天皇のスキャンダラスな出来事とか。そういったことは本質ではない、語るに値しないものとされる。「ご先祖様の残してくれた」などというわりに、その先祖がどういった人びとだったのかはよく知らない。いや、知ること自体を避けているようだ。彼らはそれまでの欺瞞に満ちた現実から脱け出し、真実の世界にやってきた。自身に「知る権利(正確には「自分の知りたいことを知りたいように知る権利」)」があることを知った。朝日新聞読者を放り捨て、かつての正しい規範(としての国体)を取り戻すべきだと悟ったのだ。教育勅語から徴兵制から、よき「日本人」を規定するために使えそうなピースはすべて使おうとする。いじめも、格差、外交といった諸問題は、本来の日本人のパフォーマンスを発揮することで少なからず改善される。つまり日本人は「まだ本気出してないだけ」なのだ。
しかし、そんな継ぎ接ぎのグロテスクな「国体」は蘇生することはない。集めた肉片や骨片を継ぎ合わせて元通りにしたつもりになっても死体は生き返らないのと同じである。そして、そのことに彼ら自身も気づいているはずである。歯型やDNAの鑑定により死者を同定するような、そんな作業で自身の望まぬ結果が得られてしまう予感に恐れ慄いているのだ。彼らは気に入りの言説を批判的に検証し、点検し、解釈する能力を自ら放棄している。「思考停止」というのはそうした状態のことではないか。彼らは使命感を胸に、猛然と情報を収集し、彼ら自身の文脈にそれらをくまなくマッピングして論陣を張るが、そうした一見すると知的に見える営みにおいても「思考」は停止している。
暴力的なまでに純粋な彼らの心は、そうした営みによっては決して満たされることがない。ウヨクであるということと交換可能な機能的代替物は、見つけることができるかもしれない。それはアイドルであったり、ソープであったり、さまざまだろう。わが国は娯楽大国で、あらゆる「ガス抜き」装置がよりどりみどりである。去勢された彼らはこれからも喪失感に苛まれながら闇のなかを歩み続けることだろう。新たな男根が生え、思考がふたたびドライブし始める日まで。
なくなった、というのは言い過ぎで、低くなった、とか下がった、とか弱まった、というべきかもしれない。
とにかく本を読んでいる時でも80%くらいしか内容に集中できず、他の20%くらいは別のことを考えている。
別のことはfacebookのことだったりtwitterのことだったりはてなのことだったりする。
テレビの騒音にも以前(ガラケーを使用していた時)と比べて集中力を奪われやすいと感じる。
とにかくいろいろなことをすぐ忘れる。
よく聞くマジックナンバー7の範囲の物事も忘れやすくなっている気がする。
以上2点。
もちろん体感的なことなので、スマホの使用との因果関係があるかはわからない。
もしかしたらただ年を取っただけだったり他の原因によるものなのかもしれない。
他にこのように感じている人はいるのだろうか。
無言で退席したなら問題ねーだろ?何が不満?
態々断り書き書けって?そのことの方が問題だろ。
その人は気を使って「黙って退席」したんだよ。
妊娠報告の方法が悪いってだけでハブられたりする昨今だというのに。
そもそもその退会した女性は、「妊娠してない人のこと考えてください!」とか言ってこず
無言で退会してるんだろ?
配慮してるのは向こうじゃん。
みなさんこんにちは。
2000年代初頭にカートゥーンネットワークで流れていたCDのCMを誰かご存知ないでしょうか?
最近は薄れてきているとはいえ、家=ステータスという側面もある。
同じようで実はかなり違うんだよな
BLはキャラクターに対するリスペクトがあって、基本的に全員のキャラクターは愛されてる(作品内で)
何かに異議を主張したいなら、普通は例えば次のような流れで書くのだ。
AについてBだと言う人が居る。
だが私はCだと思う。
よってAについてはBではなくCだと思う。いかがか?
だが元増田は
AについてBだと言う人が居る。
あれなんなの?
BだったらB1になるじゃないですか。それにB2にもなる。B3だっていうんですか?
わたしはCだと思う。それはC1だし。
Eについてはわかるんですよ。
と、やっているように私には見える。ポンポン提示される話題とそれ以前に出してきた話題との関係が把握できず読者は落ち着かないまま連れまわされて、最後に憤慨している増田と対面したまま放置される。これでは納得してもらえない。
文章として圧倒的に足りないのは、話題と話題との関係を示す次のような言葉だ。「すると」(順接)「一方」(対置)「また」(並置)(参考:http://pothos.main.jp/setuzokusi.htm (適当にぐぐった))「ここでこの話題だったら関係なんて当然分かるでしょ」などと思ってはいけない。こういった語を使い明示的にマークして読者を案内するんだ。
それから(根本的には同じことなのだが)話を展開したら主張を成立させるために最初に戻る必要がある。だがそれが無いまま次々と突き進んでいる。普通は「なぜなら」(理由)「例えば」(例示)「もし」(仮定)といった語で展開していったら「なので」「だから」といった語で「そこまでの流れが締めくくられますよ」ということを明示して、そこまでの主張を示すものだ。
こういった文章の場合、読者は話題に馴染んでいようとも「うんうん。わかるわ~」という姿勢で逐次飲み込むのではなく、賛否を一旦保留したまま「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。で?」という姿勢で、示された事を順次仮置きしながら読んでいる。その流れの中に締めくくりの語が来ると、それを手がかりに「なるほどそうだね」とか「いや違うと思うな」と読み手なりの評価をして仮置きを取り崩す。そういうようにして読み進める。
だが、明示が無いと仮置きをいつ止めればいいのか分からない。仮置きとして覚えていられる量には限りがあるので、過度に詰まれ続けると読者は「意味わかんね」と放り出してしまう。場合によっては無用な負荷をしいた筆者にちょっとした怒りさえ感じるかもしれない。だからいちいち「ここで一旦終わり」という事を示して読者の負担を取り除いてやる必要がある。
(元増田は書き手の前に読み手として、こういう仮置きしていく読み方が会得できてないのかもしれない。元の話題の「本気なんですかね」も、そういう読み足りなさから来ている誤解な気もするよ。前後を見ずにその部分を飲み込もうとして「おぇぇ」ってなってるんじゃないかとね。)
自説の説得力を高めようとする場合に、話題を沢山持ち込んで「だってほらこんなに」とするのは悪手だ。沢山伝えたい話題を抱えていても読者に納得感が高いだろう少数を選りすぐって話し、まずは一旦結論まで持ち込んだほうがいい。それでも言いたいならその後で「こう思うかもしれないが、こうだよ」と補足していけばいい。最初の屋台骨がしっかりしていればそういった後付は受け入れられる。
元増田の文章はどこが骨でどこが尾ひれなのか読み取れないのだ。物語文章などでは初回の読書ではどこが核心なのか分からないから面白いのだが、こういう論説文では、これもまた仮置きを強要するので読み手をイライラさせてしまい嫌われる。