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はてなキーワード: コップの中の嵐とは

2008-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20080920153710

好意的に考えれば、支援活動に入れ込むあまり、他者に対する想像力がちょっと機能不全に陥ってるんだろうね。

熱意を持って敬遠されがちなボランティア活動に励むんだから、その程度の行き過ぎ、独善的な思い上がりは

むしろ好ましい資質かも知れない。まあ、議論の趨勢には何の影響も与えないし、境遇を理解はしても共感はできないけど。


行き過ぎと言えば、生存権という言葉も鷹揚に使われすぎだと思う。

誰もが命を奪われない権利を持つのは、消極的自由の意味において自明だとしても、

積極的自由としては色々と制限がつくのもやはり自明なんだよね。


現に憲法上で生存権が保障され、法で定められた生活保護や各種福祉を享受する権利を持っているとしても、

「迷惑利用者に図書館を無条件で明け渡すべきだ」などという個別具体的な権利要求は、

少なくとも生存権を根拠にする場合、プログラム定説によって却下されてしまう事は自明

もちろん、コップの中の嵐を巻き起こしているとは言え、今の所新聞記事になった図書館ホームレスを追い出しては

いないんだけど、もしその能力の限度を超えた場合には、排除と思われるような行為に出てもまず咎められないはず。


というか、図書館生存権保障の機能を与えるのが効率的とは普通考えないだろうから、立法措置や行政裁量

仮に発動されるとしても、図書館批判派の想像とは全く違ったものになる事もやはり自明だろうしね。

立憲主義の矩を超えて国家私人の生活に干渉するのは、個人の尊厳を守りその自由を保障する為なんだから、

保障されるべき自由が「迷惑行為を掛けても免罪される自由」か「迷惑行為を掛けずに済む自由」かのどちらだと

問われれば、恐らく後者だと考えるのが普通感覚・・・という表現に過敏症を発症しちゃうかわいそう人も

いるようだから言い換えると、ともかく個人的な感覚としては妥当に思われるんだよね。


そして言うまでもなく、憲法というのは国家機関を制限するもので、いくら生存権規定があろうと、

思想信条の自由として私人がその拘束を免れうるのは自明。この辺りも雑に議論されているような気がする。

人権を否定するなんてハードな表現じゃなくて、誰それの無限定かつ無条件な生存権の保障よりも、

児童福祉や高齢者福祉、救命救急医療リソースをわけてくれと考えるのは、現に立法府行政府

そうした姿勢であるように、自明現実でもあるわけだから。むしろここで言われているような

健全な良識や良心、他者への共感」に目覚めた人は、同時に生存権がまるで自明なんかじゃない世の中にも

気づくはずで、そこからどう他者を説得しようかと葛藤したりするのが自然な流れのはず。


で、もし私人生存権を保障する義務を負うと本気で主張するなら、啓蒙臭にウンザリした多くの人が反発しているように、

「まずお前が自分の家でかくまってやればどうなんだ」という当然の指摘が来るのは避けられない。

図書館が開いてる時間帯だけ他人に開放する程度なら、家主の生存権にかかわる事態にはまずならないだろうから、

たとえば「不快感弱者トリアージするのか」なんていう、理解に苦しむ言い掛かりや魔女狩りを被る可能性も出てきてしまう。

加えてこの場合は、本質的には個人の勝手気ままな善意に依存するボランティア活動も全然不十分なものとなる。

権利に基づいた正当な要求に対する義務として、対応しているわけでは全然ないからね。


本気の本気で世の中を考えるんであれば、もう少しカッチリした議論を見せてほしいなと思う(まあ関連エントリレス

全部見てるわけじゃないんだけどね)。「健全な良識や良心、他者への共感」を大事にするからこそ、もう少し葛藤なり

屈託なりを露わにした方が共感を得やすいと思うんだ。具体的障害や摩擦のない船上パーティお気楽に訓詁学に耽ったり

説教垂れ流しても、中2病扱いされたりで説得力・社会的インパクトは皆無だろうからね。観客としての感想はそんな感じ。

2008-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20080815023959

ん? 俺はずっと意見変えてないと思うけど?

だから「仮の話」なんだよね? 理屈的に反論はこれで終わってると思うけど。

君の想像上でどれだけ民主的に是認されたやり方だとしても関係ないわけで……。

民主的に正しさが保証されるような問題ではない、という意味で、たとえ君の仮定が実現しても関係ないのだが、それ以前に、現実の話をそもそもしてない)

出産たらい回し救急パンク資源が圧倒的に足りないという意味で、極限状況だと思うよ。

人手は足りないけど、診断に使う時間が足りないという状況ではないと思われますが。

「極限」が通常の意味でならそうなるはず。「極限」に新たな意味づけをしたいんだろうけど、

合理的な論拠がないから、第三者には恣意的な区切りにしか見えないわけ。

時間についてはwikipediaにすら書いてあるくらいトリアージの基本中の基本だが。

トリアージ騒動自体はコップの中の嵐サヨク連中に賛同してるのは内輪だけ。

君が増田で繰り広げる言論活動は内輪じゃなくて、顕名はてなは内輪なのか?

あとはリンチが怖くて遠目に見物。それぐらい見えないようじゃダメだね。

名を出して、自分が名指しで批判されるようなところでガチに議論することはリンチだけど、名前も出さずいつでもケツをまくったり全部リセットして最初からゴネ直すことが可能なところでそうでない相手をネチネチやることはリンチに当たらないわけか。

話にならんのはどっちだっつのw

少なくともこっちのレスは多分文体でわかる・・・はず。多数派工作をした覚えはないなあ。

いや、口調なんていくらでもいじれるからなあ。

あと根本的な勘違いを指摘しておくけど、俺ネオリベだぞw

2008-08-11

はてな大喜利」ではしゃぐ低脳は知的メディアにとって癌

 

はてな村に来てから半年くらい経ったが、はてな村で飛び交っているネタとか揉め事とかはどうでもいいことばかりだ。


まさに「大喜利」である。


どこからともなくお題が湧いて出てきて、はてなーどもは我先にと「おれのネタのほうがおもしろい」「いやオレのほうが」「いや僕のほうこそ」...(中略)...といったコップの中の嵐をやっている。


はてな村に飛び交っているよく分からないネタや用語は、いわゆる「ネットスラング」と同根だ。例えば、2ちゃんねるには「香具師」という「奴」を意味するスラングがあるが、「香具師」という用語をわざわざ使わなければ語れないテーマなどない。つまり、使う必要がないのである。


もちろんこれは、「香具師」や「ぬるぽ」といった無意味言葉を"使ってはいけない"ということを意味しない。まさに使うも自由、使わぬも自由、である。


だが、ここからがネットスラング愛好者の愚かなところである。彼らは「スラングを言う自由」だけでは満足しない。「スラングを知っている」こと自体を一種の「特権」と見なすのである。実際にはどうでもいいようなネットスラングを「知識」という囲いで捉えて、そのインターネットスラングを知らない者を攻撃しだす。彼らは、自分の知識の浅さをネットスラングという空虚な代替物で、「上げ底」しないとやっていけないのである。なんと哀れな人種だろうか。


はてな村無意味ネタが飛び交っている。ブックマークがたくさん付いた記事の「はてぶページ」を見てみればいい。大喜利のようにコメントをつけているブックマーカー、そしてそれにスターをつけて「大喜利化」を後押ししているはてなユーザーの共犯関係が見て取れるはずだ。


このようにはてな村では「大喜利化」が進行しているために、「はてなスラングを見抜けるか否か」などという心底くだらない基準で議論(と呼べる代物ではないが)が行われている。最悪なことに一部では「ネタでした予防線」が張られ始めている。「大喜利」化のおかげで、自分の無知がバレそうになっても「ネタでした」と逃げることができるのである。ひどい場合には「ネタマジレスカッコワルイ!」と、なる。


はてな村のこういう傾向が進んでいくと、2ちゃんねるで言われる「半年ロムってろ」の状況に近付くのか。しかし、半年ロムったところで、得られる知識といったらそれこそ便所の落書きレベルの代物だ。


ところで2ちゃんねるや低脳はてなユーザーネットに過度な期待を寄せている。端的に言えば、

という安易な二項対立思考に陥っている。既存の報道機関の中でもテレビ大新聞の問題は別に日本だけではなく言われているが、メディアはそれだけではない。テレビ大新聞の問題ある報道姿勢を批判してきたのは、ネットが初めてではない。ここを認識しないでネットに過度な期待をするからネット脳になってネット言説に酔い痴れてしまって、やがてはネットスラングを神秘化してしまうのだろう。


ネット誕生する遙か前から、先人たちは文献上で新聞テレビなどのマスメディアを批判してきた。その批判の精度・深さを比べれば、大した知性も持たないような「市民」のネット言論などゴミ以外の何物でもない。


はてな村は、「人が集まったら面白いことを言わないといけない」という強迫観念にとりつかれている。テレビ視聴率競争のようだ。


ブログテレビ新聞などを批判するのなら、「先人たちの蓄積」に範を求めるべきだ。たしかにネットの出現により、既存のテレビ新聞業界は衰退していくかもしれないが、だからといって出版業界全体まで衰退するのは、それこそ知的なものに対する冒涜である。その道の専門家の思考の結晶の数々が、無視され、人々の視界から消えていく社会こそ、反知性社会だ。


はてな村ネタ地区」限定のネットスラング郡が重要視され、文献上の知が軽視されるようになれば、はてな村は反知性主義の一大拠点になるはずだ。

2008-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20080402080447

 ロスジェネの一員として、「戦争を望む」などと思ったことは一度もないし、あれは、論壇向けのアピールに過ぎないと思っていた。あんなのを喜ぶのは左翼知識人界隈だけで、どうせ著者だけが注目されて終わるだろうと思っていた。


いや、全く。

つーかさ。なんかさ、なんかさあ。おかしいよ、みたいな部分がある。

つーか、コップの中の嵐だ。勝手にやってろみたいな。


何も、上だけの話じゃなくて。


例えば、

決断主義トークラジオAlive2 ビューティフル・ドリーマー

http://talkradioalive.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/alive2_ed70.html

を聞け聞けいわれて聞いてみたが、売り出し中の評論家宇野常寛)をどう戦略を立てて売っていくかみたいな話になってる。お前らが頭が良いのは分かった。でも、お前の人生設計なんてどうでも良いよ、正直。どんどん影響力の低下している論壇という狭い世界の中で、さも重要そうにみみっちい話をしている。


でも、なんつーか、スケールが小さいな、お前ら。みたいな。世の中を良くしようとかじゃなくて、自分の立身出世の方便な訳だね。みたいな。もういいよ。権威は消える運命にあるみたいだな。別に良いけどさ。


エリート立身出世しか考えていないし、左翼日本政府を責めることしか考えていないし、ネット右翼は言動は勇ましいけど、頭が悪いから快楽に流されて暴れるだけだし。もう、ワハハハな感じ。

2007-01-25

結局、インターネットの危険性が日本を変えるのか?

ニコニコ動画http://www.nicovideo.jp/)を見て思ったこと。

結局、現状のインターネットの場合、ネットの「自由度」から来る「危険性」自体が、ネットの”ウリ”になっており、それをどううまく利用するかがビジネスになるどうかの鍵の一つになっていると思う。すなわち、重要視されるのは、

・(理系的)新技術を吸収するスピードと合理的デザイン力。

・(文系的)身も蓋もない面白さを持つ企画デザインの発想。

・そして、グレーゾーンに踏みとどまる「勇気」。


ページビューでは、はてな2chは多分同じくらいだと思ったが、はてないまいち存在感がないのは、そんな理由からだと思っている。というか、最近マスコミの影響力の大きさを実感して、ネットって、所詮、コップの中の嵐じゃないの?という気分もある。


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ツッコミがあったため、念のため補足。

2chページビューは下から見れます。

http://www.alexa.com/data/details/traffic_details?url=2ch.net

はてなページビューは下から見れます

http://www.alexa.com/data/details/traffic_details?url=hatena.ne.jp

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・・・しかし、逆の発想をすると、「安心安全簡単」に使えるネットいうものもまた求められている(し、本来の日本の得意分野はそちらである)。よって、素直に家電屋さんはそちらの方を目指した方がよいのではないだろうか?任天堂WiiOSのようにクローズドな家電業界の共通プラットフォームを作り、そこで買った商品の支払い方法なども共通化すれば良いだけだと思うのだが。端から見ていても、このままでは、ネットビジネスのおいしい部分は、グーグルか、アップルか、任天堂か、MSあたりに独占されると思うのだが。


日本人としての任天堂びいきもあるが、近い将来、Wiiがお料理チャンネルアニメチャンネル教育チャンネルなどを整備してSTBの標準になることもあり得るんじゃないかと思う。

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