はてなキーワード: 美的感覚とは
これもまたかなり的を外している。
ポリティカル・コレクトネスは単純な市場多数決ではない。
ポリティカル・コレクトネスの描像では、そもそも大衆は、「政治的正しさ」への賛否以前に、正しいか、正しくないかを判定できないのだ。
民主主義においては大衆は主権の行使者であり、社会の運営者だ。
単純な政治行為だけでなく、市場を介しては意思決定を消費選好によって、また言論市場に対しては言明を直接反映できるはずである。
それなのに、女性差別はなぜ蔓延っているのか。女性を含めた人類は生まれつき、女性差別者ばかりだからか。
もしそうだとしたら未来永劫女性差別はなくならないことになる。
そもそも一般に差別が存在するのは、大衆がそれを少なくとも黙認しているからではないか。
そうではなく、そもそも大衆は何が差別かを判定できないのがすべての原因である、と考える。
差別とはなにか、何が「善」で何が「悪」かすら理解できていない。その訓練を受けていないからだ。
教育にも限界がある。そもそも大衆は自発的にそういった訓練を受けない。現状変更の見込みはない。
そこで、メディア、芸術、その他の様々な、大衆が日々目にする言説を直接変更するべきである。
よって変更の仕方を、「善」と「悪」の基準を理解できない大衆にも直感的に判定できるようにする必要がある。
美的感覚、物語上の扱いの良し悪し、その他、すべて非言語的に、複雑な論理構造抜きに理解できる水準が望ましい。
B専という言葉があるが、俺がそれに該当するかどうかはわからない。
ブスだから好きというわけではない。
俺には可愛く見えているが、どうやら他の人から見るとブスということが多い。
そんな俺に可愛いと言われても嬉しいかはわからないが、とにかく可愛いと思ったら可愛いと言う。
食べ物を美味しいと感じるかどうかは、食べる人の味覚次第である。
それと同じで、相手が可愛いかブスかを決めるのは俺の主観なのだ。
俺が「可愛い」と言うと、大抵の子は「私はブスだから」と言った。
「俺にとっては可愛いけど」
そう言うと、喜んでくれる子もいれば、微妙な顔をする子もいた。
けれど、このケースは初めてだった。
「私がブスかどうかは私が決める」
同じ音楽を聴いても、何度も聴きたくなるほど好きという人もいれば、耳障りに感じる人もいるだろう。
多数派・少数派はあれど、曲自体は判断を聴く側に委ねるものである。
もちろん、相手は感情を持った人間なので、食べ物や音楽と同じにしてはいけないだろう。
しかし、可愛いと感じる俺の感性は、そこまで否定されるべきものなのだろうか。
結局その子には、俺にとっては可愛いのだということを理解してもらえなかった。
「私がブスかどうかは私が決める」
一体何がそれほどまで、彼女の心を頑なにさせたのか。
寧ろヒカキンのようなわざわざ気持ち悪いと云われにいくような顔をする人間やヒャダインや岡崎体育のような陰キャこどおじのように受け取る側に誹謗中傷を言わせるようなのが主流になってる ある意味炎上商法としては一流だ それらはクロちゃんと同じカテゴリにいる
違うのはSNSや匿名掲示板のような正直に思った感情を云うだけでBANをされる可能性もある 視聴者はギャラももらってない
今までは演者同士でイジリイジラレがあって イジる側が視聴者が思っている差別心(正当性の有無を問わず)を代弁することで成り立っていた
先程挙げた人物は子供に対するマーケティングを行っている 子供はウンコチンチンで笑い転げる ナチュラルレイシズムなのだ
ゆりやんやぼる塾の誰かさんに対してもそうだ 気持ち悪いと批判する人は単純に美的感覚に基づいているのであり それを笑っている人間の方が寧ろレイシストではないか?
虐めは虐められる側にも問題があると私は思う
しかし現実ではわざわざそれを思っても口に出せないことがおおい 倫理観が高ければ特にそうだ
陰キャの人間は虐められたと豪語するが 虐めっ子しか見えておらず 無関係とおぼしき人間も実際心のなかでは虐めたいと思っている可能性があるし 虐めっ子が代表となり虐めることで代弁しているかもしれない
一般社会や通行人などに対して容姿を批判するのは流石に問題だが芸能などの広告業で生計を立てている人間に対しては見る側の意思で全てが成り立っている
結局は炎上商法が可能なので批判する人間はその炎上者の思う壺だ しかしTwitterなどのSNSでBANされるのはおかしい もし誹謗中傷がどんな理由であれダメであるなら 差別を煽るインフルエンサーの規制もしなければならない
本当のことを言えば怒られた発端は俺の炊飯予約がミスってて朝に米が炊けてなかったことなのだが、ここから色んなトコロに連鎖的に怒りが爆発して
「お前みたいな米も炊けない半人前になびく女なんかいない!」
「孫の顔も見せない親不孝者が!」
「お前は『結婚する気が無い』んじゃなくて『結婚できない』んだ!」
こんな感じで最終的にはとにかく女性に縁が無いことと、家庭を作る方向での発展が一切無いことを徹底的になじられた。
ウチの母は『人は年頃になれば自然と異性に興味が出て恋人の一人や二人は作るモノだ』とずーっと昔から思っていて、実際中学生くらいの頃からそう言われていた。
しかし、俺はというと未だかつて恋人どころか女友達すらいたことが無く完全に女性と無縁の存在なので、母から見ると一体何を考えているのか理解できなくて気持ち悪いしイライラするんだろうな。
(もっと言えば、姉が一人いるのだが姉は人様並みに恋人を作っていたし、今は良い旦那を捕まえ二児の母として暮らしているので、猶のことそれ真反対の俺が気持ち悪いのだろう)
だけどねぇ、母には(父にもだけど)悪いけど多分この後もずーっと俺は女性に縁が無いから結婚できないし、結婚しようって気も無いよ。
悪いけど俺については色々と諦めてくれ。
収入がイマイチだし、なのにズルズルと大学院まで行ってたから奨学金返済がすげーあるし、
性格は内向的かつ面倒くさがりだから人間としての引き出しが全然ないし、
完全に縄文人系の顔と体毛で図体がかなりデカいからビッグフットが頑張って人里に降りてきたみたいな見た目だし、
もう34歳のいい歳こいたオッサンなのに子供部屋おじさんだし、
なんというか自己評価でも男性としての魅力がまるで無いのである。
(一応、子供部屋おじさんに戻ったのは3年前のことだし、家族的な事情があってのことなのだが、そんなのは外野からしたら知ったことではない)
世の中は広いから、こんな俺がストライクゾーンに合致する女性も奇跡的に存在するのかもしれんが、
そんな人がいたらハッキリ言ってゲテモノ好きすぎて美的感覚がぶっ壊れているから逆に俺の方が恐怖してしまうと思う。
上に書いた通り、男性としての魅力が完全に死んでいるので負け試合とわかっている恋人探しだの婚活だのをやる気は全然ない。
お金かけて負け試合に突撃してボロクソにされたら心が死んでしまう。
更にもう一つ言うと、大学院生時代に勉強の一環として弁護士の無料離婚相談に同席させてもらった経験から、女性や、伴侶を得ることに恐怖を覚えてしまったのもある。
・基本的に相談に来るのは女性であり、相談に来ると相手(旦那)のことをダニかゴキブリかっていうくらいボロクソに言う
・でもダニかゴキブリかっていうくらいボロクソ言っていることの理由、つまり旦那の落ち度はイマイチ見えてこない
(彼女らの感覚では自分を被害者側だと思っているハズなので、その被害をアピールしてくれればいいのだが、そのアピールが無いか、要領を得ない)
大体こんな感じの傾向であった。
もちろん、全ての案件がこの通りという訳ではないことは念のため言っておく。あくまでも俺が見た限りの傾向の話でしかない。
...
相談者の年齢・婚姻期間は本当に幅広く、殆ど新婚みたいな案件から、子供が完全に成人して独立していったような案件まで様々だった。
ただ、どんなカップルであっても、恋愛結婚は言うに及ばず、仮にお見合い結婚だったとしても、最低限結婚に至るまでの間に
という自分自身の判断がなされていると思うのだが、それでもその相手をダニかゴキブリかっていうくらいボロクソに言うのである。
子供を作って、独立まで送りだして、夫婦としてやってきたのに。
(よっぽど古風かつ厳格な家で結婚することにも相手にも自分の意見が言えなかった女性も世の中にはごく少数いるだろうが)
『奥さんたちにボロクソ言われまくった旦那たちは、結婚して身近な存在にさえならなければ、逆にここまでの敵意を向けられることも無かったんだろうなぁ』
『このご夫婦なんかもう中々のご年齢だけど、多分関係修復は無理だろうし、この後お互い一人になって結局一人で死ぬんだろうなぁ』
なんていう風に思ってしまうと、結婚することによって一体何を得るのか?という疑問がどうしても自分の中から消えず、結婚への動機が湧かないのだ。
多分これを母に言ったら
「つまらん言い訳で主体的に独身を選んだことにして、『結婚できない』ことから目を逸らそうとしている」
とまた怒られると思う。なので言わない。
まぁ、孫の顔については姉夫婦が両親に見せてくれたし、これで満足してもらおう。今どき内孫外孫の違いをどうこう言う時代でもないしな。
すまんね、こんな息子で。
(他国でも自己犠牲を賛美する風潮はあるが、露骨に特攻を命令するのは貴重な兵士というリソースの無駄使いであり、普通はありえない
今の日本の政治家も悪党としては小物感が漂いすぎてて、こすいというかケチというか
WWIIもそうだけど、上層部は小悪党なのに強い言葉(コロナに勝った証とか)を言うだけで、結局は全部現場に丸投げでしかない
現場に丸投げというなら米国のベトナム戦争もそうだったわけだけど、流石に特攻を命令したり賛美したりはしない
(ベトナム戦争は北軍のゲリラ戦術が勝因ではなく、実際は中ソが米国への核攻撃を匂わせたため、米国は核による脅迫という外交で負けたのである
特攻が嫌で徴兵から逃げた息子を親が捕まえたり、特攻するために出兵する息子を親もご近所も万歳三唱したり、
GHQに支配されても、やっぱり日本人の本質は変わってないんだと今回のコロナでも思ったよ
国難というか、困ったことが起こると先に精神論に持ち込んでしまう
日本人以外に頑張る系の自己啓発は基本的に「ダルい」という反応しか得られれないと思う
(そうすると従業員やチームメンバーがついてこなくなるため、上層部は妥協案や合理化を考える
良くも悪くも基本的に真面目、
だから、上の人間にその真面目さを体よく利用されやすいのだと思う
付け加えるなら、ズルをしてでも敵国に勝つ、ズルをしてでも勝って支配する、領土を奪うという「欲」がない
キリスト教だってプロテスタントは「合理的禁欲」という考え方が根本にあるため、
お金を無駄使い散財しない→いざというときのために貯蓄する→資本主義
という流れがあったが、しかしあくまで「合理的」禁欲であり、仏教のような無欲を良いものとは考えていない
そもそも、無欲になりたい、という欲で座禅や修行をしているというトートロジーがある(一休宗純
うろ覚えだが、アニメのコードギアスでもシュナイゼルには「欲」がなかった
欲や執着心がないことがかえってルルーシュに負ける敗因になってしまった
自己啓発などで欲や執着を捨てようというネタもよく散見されるが、これはバランスの問題であって、
欲や執着が自分を苦しめるなら量を減らすべきだが、欲や執着がなければなんの成功にもたどり着かない
老後になったらオレオレ詐欺で無一文になっても構わない、なんてことはない、
それでは明日から生きていけないわけで、死ぬまでお金や何かに人間は執着するべきなのである
そう考えてみると、この国はコードギアスのシュナイゼル側に似ているとも思える
欲や執着心が足りないのに、「美しく」勝利しようとする
これが自分には良くないように思う
「美しい国」だの「国家の品格」だの言い出した時点で、アベはシュナイゼルにどこか似ているように思う
持論だが、まず「美しく勝とう」などと考えてはならない
大切なのは「みっともない形でもまずは目標を達成する」ことである
ダクトテープによるプロトタイピングとか、まずはみっともなくても完成させる、目的を達成することである
この段階から「軍神」がどうのとか、戦場に美的感覚を持ち込みすぎてはならない
勝利よりも何よりも、まずは目的を細分化し、その1つ1つをみっともないながらも達成していくことである
そして、そこから今度はそのみっともないものをブラッシュアップしていくことである
私は格闘ゲームをやったことがほとんどないのだが、人間がコンボを入力するのはバカげている、
キー操作を記録して一発のキー入力で技が発動できないか、みたいなことを考えるのである
WWIIの日本は、根性でみっともない形で達成しても、それを合理化、単純化しようとしない傾向があるように思える
また、そういった合理化や単純化を悪としたり、そういうのは美しくない、みたいな余計な美観が介入しているように思える
ズルをしてでも勝たなければならない
軍神がどうの、天皇がどうの、そういう美観を戦場に持ち込んではならない
そういう意味で、仮想敵国である中国はやはり良くやっているように思わざるをえない
ホリエモンだったか、自著の自己啓発本で「真似される奴になれ」とか偉そうに書いているらしいが、
真似をするというのは一位の背中にピタリと追随してスリップストリームを利用して走る二位のようなものである
そんな二位がゴール手前で一位を押し倒して一位になってしまうものである
たしかに「真似される奴」はオリジナルであり、ブレイクスルーを作り出すものであり、偉大な存在である
しかし、ホリエモンは起業家としてビジネスの歴史をそれなりに知っているはずではないのか?
ビジネスの世界で意外と最後に勝利するのは二番手だったりすることが多いのである
シュナイゼルについてうろ覚えなのでググってみたが、この文を書いていて、ついアベ氏と似ていると書いてしまったが、
goldhead氏だったか、安倍晋三氏がテレビで演説しているのを観て、
なんて空っぽで空虚な人なんだろう、みたいに思ったようなことをブログだかに書いていたと思うのだけど、
それは自分も同感であって、
安倍晋三氏=シュナイゼルと考えると意外と彼という人物を理解できる気がしてきた
まず、生まれながらにしてすべてが揃っているため「欲」がない、執着がない、
そして、「周囲が望むことを喋り、実行するだけ」の、
ある意味、気味が悪いぐらいよくできた長男みたいな人物だということだと思う
それが見える人には見えるのだけど、見えない人には見えない
なぜなら、安倍晋三氏が空虚に見えない人にとって、そういった一部の大衆が望むようなことを声高に喋るからである
自分のフラストレーションを代弁してもらっているような気分になるから、彼が空虚に見えない
しかし、その崇め奉っている彼は単なる「鏡」でしかないのである
端的に言うなら、二世だから出自が恵まれすぎている、生まれてこの方金銭関係などで大した苦労もない、
それが人間性に反映されて「欲」がない、
しかし、悪い意味で「いい子ちゃん」だから、周囲の望んだことを喋る、
そうやって有権者中の有力者の気持ちを代弁することで味方を増やす、勢力を付けるという戦法だったように思う
そう考えてみると、私はマシュマロ・テストというのがやはり解せないのである
今はルルーシュにくれてやるとしよう、みたいな台詞がうろ覚えだがあった気がする
もちろん、戦争であれ何であれ、意図的に負けてやる、忍耐みたいな姿勢も大事であることは理解できる
しかし、マシュマロ・テストというのはあれも極論めいた話であって、場合によるのである
では、目の前のマシュマロを誰よりも先に奪わなければ死ぬとしたらどうだろうか?
私はどちらかというと痩せていたほうだが、
成長期が完全に終わりシワができるようになって後悔している。
何故かというと
「「「「「成長期に痩せていた人は胸が小さい」」」」」
これに気づいてしまった。
そりゃ当然だよね、胸って脂肪だし。
今はどうだろう。みんな巨乳。
外見磨いて恋愛したほうがいいさ。
男の人って女に柔らかさを求めてること多いから
多少肉がついててもいいのよ。
むしろご馳走。
それでも周りの目が気になるなら、
性的魅力(胸の大きさ)を気にする頃にはほぼ手遅れです。
豆乳も効かなかったよ。
育乳グッズ、高いよ。効果でないし。
太ってて諦める服もあれば、
胸が小さいせいで諦めなきゃいけない服もあるよ。
案外、ファンとかすげえキモいけど、あの子らが必死こいて金出してたり、配信を長時間見て同じ体験を共有してたりするしな
そこは人それぞれだし
というか、ただでさえ真っ白なキャンパスに美形になるように作られたVTuberと生まれ育った頃から渡されたものを十全に生かし切れずに劣等感に苛まれ続けた人とを同じ秤の上には置けんよ
二回も言うけど人それぞれで美的感覚も違うのよ、藤田ニコルを鼻デカで豚みてえと感じる奴もいればすげえ可愛いし身体つきもすげえセクシーみたいに考える奴もいるだろう。
いざとなれば日本だけの価値観じゃなくて海外の価値観では美人だしな俺と考えることも、そう思うことで普段の肌の状態やら普段の格好やらを見直すのもアリだよ。
アフリカやジャングルでは力のみが正義、みたいな価値観もあるかもしれないしな。
そこで止まる奴もいるだろう。
キモいから、クサいから、金が無いから、ボソボソ言ってて怖いから、で止まっちゃう奴なんていくらでもいるし
何だったらVTuberでも男の娘なのにまんま女の声でキメェとか、女の子の格好して声がおっさんでキメェとか、キーキー声で聴いてられんとか、低音ボイスキモすぎワロタとかあるだろ
あるのよ、でも認めてくれる奴も少なからず、むしろ何もしなかった頃より居る。
結局はちゃんと窓を開いて自分の評価を受ける覚悟をしておくこと、本当にダメな部分だ、自分で治さなきゃな、と思うなら治していけばいいし
ダメな部分だけど治せないや、治したくないやと思うならそれでいい
最悪、アイツ刑務所の中に入ってる方が人生のスパンの中で多いんじゃねえか
って奴でも愛してる奴は愛してる。ソイツのカーチャンとかな。
というか逆にそんなにその状態の人間性で多数から認められたいか?って思うのよ
自分でもキモいって思ってるなら他の人から見ても勿論キモいだろ。それを多数から?人生でも嫌になったか?
多数からじゃなくてたった一人から、もしくは少数から認められたいなら大多数が傷付けてくることに耐えないと、その巡り合わせの運が必要なことに変わりないじゃない。
最悪カーチャン一人、もしくはカーチャンが無理でも餌を求める猫一匹でもすり寄ってくれるなら大丈夫だと思う気持ちで生きてかないと
そんなに人の懐って広くないし、認めたり、愛したりする余裕ってないよ
友人の結婚式の披露宴に参加した時、最後にムービーの上映があった。
その日の新郎新婦や参加者の姿を写して編集して音楽を付ける。披露宴中に撮影したものを披露宴中に編集して披露宴の最後に上映する。プロすごい。
なにより感心したのが、1カット以外私の顔が写り込まないようになっていたことだった。3人並んでたシーンで横の美人2人(と私のドレスが見切れたもの)がごくごく自然に写っていたり、後頭部や背中のみだったり。
プロのメイクをもってしても見るに耐えない顔であることを自覚してたつもりだったけど、披露宴というハレの日の記録に残ってしまうには相応しくない顔だと式場側に判断されたというのはいい意味でハッとした。辛うじて1カット(10名くらいの集合写真)は入れるという配慮もすごい。1カットもなく存在を消されたらさすがにまぁまぁ傷付くけども、可能な限り映さないというのはブスへの最適解なんじゃないだろうか。※個人の感想
そしてそんな、客観的に見てブスであるという証明映像にとても勇気が出た。普段友人たちは(そもそも他人の顔面の話を私の前でしないけど、)私を「ブスじゃないよ、普通だよ」と言ってくれてて、逆方向への自意識過剰なんじゃないかと不安に思ってたりしたのだけど、全然そんなことなかった。私の美的感覚は友人たちと別にズレてなかったし、顔面を知ってる人からセクハラを受けたことが全くない事実ともちゃんと合致した(電車痴漢には遭う)。安心した。あと友人みんな優しいんだって改めて気付いた。いつもありがとう。気を遣わせてすみません。
いやしかし本当に式場のムービーサービスすごい。短時間で見栄えの良い素材の取捨選択する一方、取りこぼしはないようにする配慮は本当に見事でしかない。プロすごい。これからもぜひぜひお仕事頑張ってください。