はてなキーワード: プリウスとは
『痴漢には安全ピンを使え』 pic.twitter.com/zbPi2o94gN— 🍤特別支援学校首席🦐 (@Toku_No1) 2019年5月18日
不 謹 慎 頭 脳 王 pic.twitter.com/lZGUCtA0tT— 🍤特別支援学校首席🦐 (@Toku_No1) 2019年5月5日
「YOU LOSE !!!!
俺の勝ち!
たかがプリウス、そう思ってないですか?
それやったら来世もプリウスに負けますよ。
何で負けたか、来世まで考えといてください。
そしたら何かが見えてくるはずです。
ほな、いただきます」
つって置いてあるジュース貰ってきた。 pic.twitter.com/lapvebb83E— 🍤特別支援学校首席🦐 (@Toku_No1) 2019年4月27日
高齢者の暴走が世間を騒がせてる。オレも今日、直進が黄色から赤になりかけ右折時間になりかかる瞬間に、直進で突っ込んできた対向の軽自動車を見たとき「危ねえな」と思った瞬間相手ドライバーを確認してた。婆さんだった。ウンザリする。高齢者が暴走してたから? 違う。「暴走してたから高齢者なんじゃないか」と自分が心の中で予断を持っていたことに対してだよ。相手の顔を見て「やっぱり」と一瞬思ってしまったことに対してだよ。
言うまでもなく、若いドライバーだって暴走する。中年ドライバーだって暴走する。デブのドライバーなんて運転中に心筋梗塞起こすかも知れねえ。運転に自信があるドライバーなんて最悪だ。周りが全員下手に見えて始終イライラ運転する。社会的地位の高い連中もたちが悪い。周囲が自分に譲って当然だと思ってるから、運転が尊大で危険な存在だ。昔ならセンチュリー、今ならプリウス。運転下手な車種の代名詞だ。廃版にしたほうがいい。スポーツカーなんて存在価値がない。ただただ暴走するための存在だ。購入者にはバカほど高い保険を義務付け、些細な違反にも罰を重くしようじゃないか。誰もかれもが、暴走予備軍だといえるだろう。
…でもな。実際に暴走して叩かれるのは、高齢者だけだ。若いドライバーが、中年が、デブが、運転に自信のあるドライバーが、地位の高いやつが、センチュリーやプリウス乗りが暴走しても、その属性自体が攻撃されたりはしない。属性持ち全体が批判に晒されたりはしない。どれをとってもの「高齢者という属性」と同じくらい有意に暴走との相関があるだろうに、誰も、「あいつらから免許を取り上げろ」とは言わない。おかしくねえか?
分かっている。高齢者が、判断力や反射神経が衰えた結果、事故の原因となりやすいということは。そこを否定したいわけではないんだ。ただ、昨今の報道が、事故の原因を「高齢者」という属性に起因させようとし過ぎているのがフェアじゃないと感じるって話なんだ。「高齢者は危険な存在」って話の持って行き方が、あまりにも誘導臭くて危険に感じるんだ。それが、自動運転車を普及させたい自動車会社と国の隠れた共同キャンペーンであり、実際そこにあるのがあくまで「善意」であると仮定しても…(そして自動運転社会が早く到来してほしいと思うオレにとって、大変都合の良い世論が形成されつつあるとしても)…それでも、そのように特定の属性について安易にその権利を制限する(免許を返納させろ!という空気を形成する)ことには、もっと慎重であるべきだと思う。そんな簡単に、人の権利を取り上げないでほしい。充分に慎重で善良でしかも生活に車が必要な高齢ドライバーに、やたらとプレッシャーを与え後ろめたい気持ちを感じさせないでほしい。
思慮の足りない若者が運転していいなら、反射神経が衰えた老人だって運転していいはずなのだ。こういうと、「お前は高齢者の暴走で家族を殺されても恨まないのか」とか言う奴がいる。馬鹿じゃね? そんなん恨むに決まってんだろ。相手をぶっ殺したいと思うだろーな。でも、それは相手が高齢者でも若者でもデブでもなんでも同じだ。そして、それはあくまで「ソイツ個人の問題」であって、その属性の問題とはしない、程度の理性は保っておきたいと思う。この社会は車の運転を一般人に許容しその利便性を享受する半面として、そこから生じる被害をリスクとしてすでに計上しているんだ。俺たちはすでにカードゲームを楽しんでいて、お互いにジョーカーを押し付けあって、自分だけは「アガリ」を引こうとしてる。だが、一定のリスクがある以上誰かが最後にジョーカーを引く。それはゲームの一部だ。ジョーカーを引いてから文句を言ってもしょうがない。最後に泣く奴が出るのをあくまで防ぎたければ、この車社会と言うゲーム自体を変えるしか無い。そしてそのための方法なら、オレたちはすでに手にしているのだ。
だから報道は、センセーショナルな高齢者バッシングよりも、素直に自動運転車の実証実験、早期推進キャンペーンやろうぜ。その方が確実に、社会を幸福にすると思うんだけどな。
「与えられた入力へ対して決められた出力を返す」というのが機械の絶対条件
つまり「ユーザーがAという操作をしたらBという挙動を示す」「ユーザーがαという操作をしたらβという挙動を示す」のが機械
もし「ユーザーがAという操作をしたらCという挙動を示す」や「ユーザーがAという操作をしたらβという挙動を示す」みたいなことがあったら、それは神の意思か自然現象か、謎の高い再現性を弾き出す桶屋理論だ
もちろん機械は人の手で作られるので、それを設計した者は人間であり、設計が誤っていたのならば変な挙動を示して大事故に繋がるかも知れない
だから機械設計者は「Aという操作とBという操作は切り離して設計する」ものなんだ
どういうことかと言えば「アクセルペダルとブレーキペダルは切り離して設計されているものでブレーキペダルを踏んだら自動車が前進する」という設計はしない
そもそも「ユーザーがAという操作をしたらCやβという挙動を示す」という余地を一切残さないのが安全設計というやつなんだ
ブレーキペダルを操作してアクセルが作動するなんて状況は、たまたまブレーキシステムが漏電していて、その漏電がアクセルシステムの電気信号と同じ符号波長を示すくらいのオカルト現象
もっとわかりやすく言うと、友達と電話で話そうとダイヤルしたら何故か勝手に矢文が飛んで行ったくらいのオカルト現象なんだ
いくら高齢者の主観でブレーキペダルを踏んだと証言されても、機械的にはほぼ100%に近い確率で間違いなくアクセルペダルを踏んでいる踏み間違いである可能性が極限と表現したいくらい可能性が高い
まだ人体工学や脳科学ではプリウスのアクセルペダルとブレーキペダルの配置がたまたま人間の認識がバグを起こす配置だったというほうが圧倒的に納得できる
ちなみに完全自動運転システムはアクセルシステムとブレーキシステムが連動しているけど、中間に制御システムがあるからアクセルシステムとブレーキシステムが電気信号的に混ざり合うなんてことは絶対にない
プリウスって立派な車か?
プリウスで若者を殺傷する老人や上級国民が話題になって久しい。老人からは一律で免許を取り上げろという声もあるが、田舎では車がないと生活できないという現実もある。
ならば免許を取り上げる代わりに老人専用の限定免許を与えるのはどうだろうか。
老人が生活必需品として必要とする車にはプリウスほどの速度も加速性能も航続距離も必要ない。
老人に必要なのは、一人もしくは妻か夫を乗せて最大二人の人間と大したことない量の荷物を運んで歩くよりは速い速度でかかりつけの病院やコンビニに行く程度の能力である。
これならばトヨタのコムスに補助席をつけて二人乗りできるようにした程度の電動車で足りる。
原付免許、もしくはジジイババア専用の車種を新設し、それ専用の免許があれば運転できることにすれば良い。
乗っている人間の安全性はプリウスほどではないかもしれないが、問題になっているのは歩行者の安全なのでどうでも良い。むしろ老人が死ぬのは国策的には都合が良い。
歩行者の安全をより高めるため、外側の素材をプラスチックにしたり、加速性能をわざと低くしたりしたものをジジババカーとして認定し補助金を出すのも良いだろう。
警察も経産省も自動車メーカーも新しい仕事や利権ができておいしい話なので、自民党の政治家をその気にさせるのは難しくないのではないか?
ただ一つ難点があるとすれば、中国メーカーが国内メーカーより安価により高機能な車種を作って補助金を全て持って行かれる懸念があるということくらいだろうか。