2019-05-18

高齢者暴走について一言

高齢者暴走世間を騒がせてる。オレも今日、直進が黄色から赤になりかけ右折時間になりかかる瞬間に、直進で突っ込んできた対向の軽自動車を見たとき「危ねえな」と思った瞬間相手ドライバー確認してた。婆さんだった。ウンザリする。高齢者暴走してたから? 違う。「暴走してたか高齢者なんじゃないか」と自分が心の中で予断を持っていたことに対してだよ。相手の顔を見て「やっぱり」と一瞬思ってしまたことに対してだよ。

言うまでもなく、若いドライバーだって暴走する。中年ドライバーだって暴走する。デブドライバーなんて運転中に心筋梗塞起こすかも知れねえ。運転に自信があるドライバーなんて最悪だ。周りが全員下手に見えて始終イライラ運転する。社会的地位の高い連中もたちが悪い。周囲が自分に譲って当然だと思ってるから運転尊大危険存在だ。昔ならセンチュリー、今ならプリウス運転下手な車種の代名詞だ。廃版にしたほうがいい。スポーツカーなんて存在価値がない。ただただ暴走するための存在だ。購入者にはバカほど高い保険義務付け、些細な違反にも罰を重くしようじゃないか。誰もかれもが、暴走予備軍だといえるだろう。

…でもな。実際に暴走して叩かれるのは、高齢者だけだ。若いドライバーが、中年が、デブが、運転に自信のあるドライバーが、地位の高いやつが、センチュリープリウス乗りが暴走しても、その属性自体攻撃されたりはしない。属性持ち全体が批判に晒されたりはしない。どれをとってもの高齢者という属性」と同じくらい有意暴走との相関があるだろうに、誰も、「あいつらから免許を取り上げろ」とは言わない。おかしくねえか?

分かっている。高齢者が、判断力や反射神経が衰えた結果、事故の原因となりやすいということは。そこを否定したいわけではないんだ。ただ、昨今の報道が、事故の原因を「高齢者」という属性に起因させようとし過ぎているのがフェアじゃないと感じるって話なんだ。「高齢者危険存在」って話の持って行き方が、あまりにも誘導臭くて危険に感じるんだ。それが、自動運転車を普及させたい自動車会社と国の隠れた共同キャンペーンであり、実際そこにあるのがあくまで「善意である仮定しても…(そして自動運転社会が早く到来してほしいと思うオレにとって、大変都合の良い世論形成されつつあるとしても)…それでも、そのように特定属性について安易にその権利制限する(免許を返納させろ!という空気形成する)ことには、もっと慎重であるべきだと思う。そんな簡単に、人の権利を取り上げないでほしい。充分に慎重で善良でしか生活に車が必要高齢ドライバーに、やたらとプレッシャーを与え後ろめたい気持ちを感じさせないでほしい。

思慮の足りない若者運転していいなら、反射神経が衰えた老人だって運転していいはずなのだ。こういうと、「お前は高齢者暴走家族を殺されても恨まないのか」とか言う奴がいる。馬鹿じゃね? そんなん恨むに決まってんだろ。相手をぶっ殺したいと思うだろーな。でも、それは相手高齢者でも若者でもデブでもなんでも同じだ。そして、それはあくまで「ソイツ個人問題」であって、その属性問題とはしない、程度の理性は保っておきたいと思う。この社会は車の運転一般人に許容しその利便性享受する半面として、そこから生じる被害リスクとしてすでに計上しているんだ。俺たちはすでにカードゲームを楽しんでいて、お互いにジョーカー押し付けあって、自分だけは「アガリ」を引こうとしてる。だが、一定リスクがある以上誰かが最後ジョーカーを引く。それはゲームの一部だ。ジョーカーを引いてから文句を言ってもしょうがない。最後に泣く奴が出るのをあくまで防ぎたければ、この車社会と言うゲーム自体を変えるしか無い。そしてそのための方法なら、オレたちはすでに手にしているのだ。

から報道は、センセーショナル高齢者バッシングよりも、素直に自動運転車実証実験、早期推進キャンペーンやろうぜ。その方が確実に、社会幸福にすると思うんだけどな。

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