「フリーライド」を含む日記 RSS

はてなキーワード: フリーライドとは

2013-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20130630115238

若者学歴を抑えること=フリーライドだと思ってんのならお花畑もいいとこだ

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619143535

つか左翼だけに「助けるべきなのに」ってハードルを課す根拠がいまいちからないんだが

左翼じゃない人は道ばたで倒れている人をほっといても何のおとがめもないのか?

もちろん左翼じゃない人でも人助けはしてる(…ていうか左翼人助けしてるかはかなり謎…)けど

左翼は「弱者救済」とかそういう美名を旗印にしてるわけじゃない。

しろ彼等の専売特許みたいに、彼等自身が。


単純に「掲げたお題目は守れよ」っていうのもそうだけど、

美名を掲げることで得るメリットフリーライドすんなよと。

善人ぽい名乗りやイメージうまみだけしゃぶって実態はノー努力じゃダメでしょ。

2013-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20130609001554

よしてくれよ。

あいつらネット政治活動政治談義してる人間だろ。

セクマイ関係なく政治談義はウザい。

こういうこと話すと、お前はセクマイなのに、セクマイ権利を求める活動家の成果にフリーライドしてると怒る政治活動家がいるんだけど。

いや、知るかよ。フリーライド出来ない政治活動恩恵ってなんだよ。

2013-05-25

Youtubeでいろいろ見つけてくることを無邪気に自慢するいい大人…。

わかっててやってるならいいんだけど。。。単純に「タダで手に入るのになんでお金払うの?」とか素朴に首をひねっちゃうのがいい大人だったりするとなんだかなというか。

自身もお給料をいただきながらご飯食べてる身なわけで、いい仕事をしようと思ったらそれに見合ったお金をいただかないと無理なわけですよ。

コンテンツに対して価値を感じていなくて、そんな業界つぶれても困らないっていうならフリーライドのままでいいとは思うけれど、Youtube見て、人に薦めたいくらい面白いって思ったのなら、今後もそのコンテンツ供給され続けるために何をしたらいいのか、よく考えてみてほしいなって思います

2013-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20130506192901

掲示板で低収入の人を見下してる人でそこまで考えてる人って少ないんじゃない?

税制上はフリーライドしてても、労働や消費で高収入の人に摂取されてる訳だしおあいこだと思う

http://anond.hatelabo.jp/20130506193039

いや、フリーライドもだけど低収入も見下してる人間が多い。金持ち金持ち以外を見下している。

同じ様に、高学歴高学歴以外を見下している。

それが書ける増田高学歴高収入から見下さなければいいのではないだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20130506183919

収入が低い人は税システムを経由して社会インフラフリーライドしてるわけでしょ

収入が低いから見下されてるわけではなくて、フリーライドが見下されてるのでは?

生活保護と似たような話だよ

2013-05-05

近い将来、Gunosyが私達から奪うもの

2013年5月4日Gunosyについていくつかの批判記事が出た。

賛否両論あるが、残念ながら、はてなブックマークフリーライドしていること、配信される記事がはてブホットエントリーと被ることは事実である

それはさておき、本日Gunosyで、上記の記事は誰にも配信されなかった。はてブホッテントリ入りしたのに、だ。

ここから言えるのは、「Gunosyは運営者の都合で記事をフィルタリングすることができる」ということだ。GoogleGoogleを批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyフィルタリングした。2ちゃんねるや各社ブログは運営を批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyフィルタリングした。インターネット関連企業言論の自由や知る権利を守るべきなのに、Gunosyは守らなかった。

上記の記事は中傷的だから、同情的に感じる人もいるかもしれない。しかし、フィルタリングする基準は曖昧だ。今年の参院選、特定の政党を批判する記事が配信されなかったらどうなるだろうか? 近い将来、彼らの意見を否定する記事が配信されなかったらどうなるだろうか?

私はGunosyを使うのをやめた。知る権利と、インターネット未来を奪うものからだ。

2013-05-04

jkondoはなぜGunosyにブチ切れたか

jkondoツイッターGunosyはてブ依存まとめを晒しあげていた。

それがバズを加速させて、大炎上になった。

その行為を最高にかっこ悪い、ダサいツイートしている奴や、

近藤さんに呆れたとかほざいてる関係者もいたけれど、そうじゃないと思う。

あの仏のjkondoが、ブチ切れたんだ。

俺はそう思った。

Gunosyの記事を数本読み返してみたけれど、こいつらにははてなへのリスペクトがない。

はてなAPIを使わせていただいてありがとうございます、Special Thanks Hatenaとでもフッターに書かなければならないくらいなのに、

はてなを言外にバカにし、そのくせフリーライドしまくっている。

言い訳出来ないレベルはてな依存なのに、ひと言の礼もない。

ライフハッカーに出ていた開発者インタビューでの「日銭を稼ぐためにエンジンなんか作ってる場合じゃない」発言。

この辺なんか、完全にはてなjkondo煽りに行ったとしか思えない。今思えば。

そりゃjkondoもブチ切れて当然だ。

最初は違ったようだ。Mashup Awardに出場し、はてなAPIを使っていることも普通に明らかにしていたようだ。

それがいつの間にか「独自のアルゴリズムクールあなた好みの情報提供します」となり、

はてなログインボタンが目立つところから消えた。

クールサービスはてなの影は邪魔だったんだ。

はてなも正直力不足だ。

ホットエントリー配信メール、あれ誰が使ってるんだ。

Gunosyなんか吹けば飛ぶだろう、あれに力入れれば。

がんばれよ、もっとがんばれよ。

2013-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20130416063028

浅いなキリッだってwwwサビ残で有名なのはサービス業国内向け日本人向け企業ばっかじゃねーかw要はさー、利益を生むオツムが無いなら会社経営なんかやめちまえよwwwフリーライドを...

消したって事は気づいたんだと思うが、

書く前に何が書いてあるか解釈しろ。な?

考えが浅いより、脊髄反射レスする方が何倍も恥ずかしいぞ?

2012-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20121201210607

郊外に在住・都市労働という形なら互恵関係だとは思う

法人税都市に、住民税郊外に落ちるので

それぞれお互いに利益不利益もあってある程度のバーターは効いている

けれど元増田一家はおそらく都市在住、都市労働でしょう

都市に住んで郊外に働きに行くパターンもあるが、逆より相当少ないはずなので)

そして「子供向け施設」「屋内型遊戯施設」は郊外に求めている

こうなると、元増田一家の法人税住民税都市自治体に落ちるけれど、その税金で整備して住人に提供すべきもの提供しているのは隣県の郊外の別自治体

これは、都市郊外フリーライドしていると言えるのでは?と

ファミレスについては純然たる商業施設なので何とも言えない)

また、元増田千葉埼玉ドライブに行くんですよーと楽しんでいるならまあいいけど、どうもそうではなく、近場に施設がない(廃止された)ので仕方なく遠出している節が伺われる

ならばそれは、行政不作為や、ことによると作為によって生み出された外部不経済元増田負担していることになるのではないか

商業的に最適化した皺寄せが住人の負担として現れるのは望ましくない

元増田がそんなコストを払わなくていいようにするのが行政仕事ではないのかと思う

それをしないなら、都市行政が住民の負担フリーライドしているとも言えるのではないか

http://anond.hatelabo.jp/20121201192859

草生やす前にちゃんと読んで欲しいのだけど…

いやまあ、ダラダラ書きすぎて趣旨が不明瞭だったのも悪いのだろうが

都市地方については都市の得た利益還元する仕組みが用意されているのに対し

都市郊外についてはそれがなく都市フリーライドではないか、と言ってる

ところで、医療について千葉県東京都境界トラブルがあったのを思い出したけど

あれはどちらがフリーライダーだったか

2012-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20121020215856

「誰かを仮想敵とするのはやめなさい」←じゃあ、サブカル仮想敵にするのはやめようね。

「他人の美学フリーライドして思考停止する醜さ」←日本とかイシハラシンタローとか岩崎夏海とかにしっかりただ乗り

自分で書いたことくらい守ればいいのに。

2012-10-20

サブカル好きは日本の敵だ! ぶぶぶぶぶっ殺したくなる!!!!!

ある日、ぼくが行きつけのバーに足を踏み入れると、こんな会話がなされていた。

「わたしって○○が好きなんだよね」

「ああ、××ってやつですね」

「おー、わかっているじゃん!(握手を求める)」

バーのカウンターには5、6人の客がいたと思う。その店は小さくてカウンターしかなく、みんなで話題を共有するところだった。それにも関わらず、二人は二人だけに通じる言葉で盛り上がっていたのだ。

ぼくはすぐさま映画婚前特急』のあるシーンを思い起こした。

池下チエの元カレである田無タクミに、新しい彼女ができた。チエはその手助けをしてくれたため、タクミはお礼がしたいと食事に誘い、タクミ彼女とチエの彼氏西尾みのるも含めて4人でご飯を食べることになる。

みのるとタクミは初対面。なおかつチエと肉体関係がある同士ということで微妙な間柄なのだが、会話をしていくうちにお互い百人一首が好きだということがわかってくる。そして、二人で相手が口にした上の句を聞いて、下の句が当てられるかというゲームをしだすのだ。

チエは百人一首がわからない。そのうえ、タクミの新しい彼女まで、このゲームに参加しだしてしまう。

一人取り残されたチエは……怒って部屋を出ていってしまうのだ。

婚前特急』と冒頭のバーの会話に共通しているのは、「限られた人間で知識の確認をしあう」というのと、それによって「阻害」が生まれているということだ。

ぼくはこの手の会話は世界で一番醜いと思っているし、参加しないようにしている。なんの発展性もなく、周囲を排除するような排外的な会話になんか加わりたくない。

そうして、ぼくはバーで一言も口を開かず、朝までずっといた。

こうした会話はサブカル好きのあいだで頻繁に行われている。彼らの会話は本当に幼稚で、頭がくらくらしてくる。ずっと「知識の確認」に終始しているのだ。

A「○○って知ってる?」

B「知ってるよ」

A「すごい! ××は?」

B「知ってるよ」

A「すごい!」

そんな会話を横で聴きながら、ぼくはどうやったら世界平和になるかについて考えていた。結論だけ言えば、サブカル好きを文化シーンから早急に退場させるしかない。

2010年芥川賞を受賞した小説苦役列車』はこんな話だった。

中卒で家を飛び出し、日雇い肉体労働で生計を立てている貫多には、長らく同年代の友人がいなかった。稼いだお金ソープで使い潰すような毎日を送っていた貫多だったが、仕事現場専門学校生日下部が働きに来るようになる。二人は年齢が近いこともあり、現場終わりに飲みに行くような仲になっていくのである

貫多にとっては久々にできた友人だったが、二人の関係は突然終わってしまう。日下部が貫多との飲みに女友達を連れてきたのが原因だ。

その女友達サブカル好きの文化系女子だったのだ。

二人は貫多を置いてきぼりにし、二人だけで趣味の話題に盛り上がってしまう。

一人取り残された貫多は……怒って店を出ていってしまうのだ。

サブカルの醜さを浮き彫りにしたこの小説は、見事日本文学トップの称号を得た。なんていったって石原慎太郎が認めたのだ。

サブカルとは要するに安易な優越感を売る「ファストフード」でしかない。

町山智浩吉田豪菊地成孔などをフォローし、発言を真似すれば、自分も「わかっている」側にいられると考える浅ましさ。実際は、自分で何の価値判断もせずに、彼らの美学フリーライド(タダ乗り)しているに過ぎない。ファストフードを貪り食い、自分は「グルメ」なんだとドヤ顔をしている。結局は、他人の真似事でしかないのに。

たまに「大槻ケンヂが好き」と公言するアイドルが出てきたりして、何がメインなのかさっぱりわからない中途半端雑誌で対談したりしている。そんな人間ははっきり言って「信用できない」。

なぜなら「オーケン」が取り上げられるのが、必ず「主流とはちょっとズレたものが好きな私」という文脈だからだ。

大槻ケンヂなんて、メジャー中のメジャーだ。「サブカル」でのなかで一番目立つものを手にとっておきながら、「一般的な女の子とはちょっと違ってマイナー趣味嗜好を持つ私」というブランディングを展開している。

安易そのものじゃないか。本当に自分だけの美学を持っていて、それに合致するマイナーものが好きなんだったら、大槻ケンヂなんか手に取るはずがない。ネットの片隅にしかないような、誰に言ってもわからないもの偏愛しているはずだ。

大槻ケンヂ」に手を出す時点で、安易なエゴイズムが芽を出している。

雑誌『TokyoGraffiti』を開いてごらんよ。「消費」を、あたかも「経験値アップ」だと思っている連中が大集合している。彼らはサブカル文化人サブカル雑誌が誉めそやしたものをコレクションすれば、自分の「レベル」(「ステージ」と言い換えてもいい)が上がっていくと思っている。

実際は自意識肥大させ、排外的な思想を強化しているだけだ。

ドラゴンクエスト6には「かっこよさ」というパラメータがあったが、すぐに次作で消えている。堀井雄二はわかったんだ。「センス」だとか「オシャレさ」だとかいうのは、決して数値化できないし、競うことでもないってことを。

美学」っていうのは外にあるものじゃない。自分の内側にしかないのだ。ぼくらはそれを孤独と向き合いながら、井戸を掘るようにして、少しずつ深めていくしかない。美学っていうのは他人の真似事で生まれるようなものじゃない。

他人の美学に安易に乗っかって、得意顔をするのは、結局のところ、滑稽でしかない。

じゃあ、この現状を打破するにはどうすればいいのだろうか?

彼らに間違いを気づかせ、正しい道(自分だけの美学を磨く旅)に向かわせるにはどうしたらいいだろう?

ぼくは『小説の読み方の教科書』(岩崎夏海)を読むことでしか解決できないと思っている。

この本は「本当の読書」とは何かを教えてくれる。ぼくらはあまりにも汚染されてしまった。誰よりも詳しくなきゃいけないだとか、センス重要なんだとか、これを理解できるのは頭がいいからなんだろう、とか。

岩崎夏海はそんな現状を正しく認識し、解毒剤を処方してくれる。

誰かを仮想敵とするような読書はやめなさい、と。「本を読む」っていうのは孤独な作業であり、作者の「問い」と「自己」を真摯に向き合わせることなんだ、と。

これはすべての消費行為に言えることだと思う。「誰かに勝つための消費」をサブカルはしてしまっている。

そして、それはすべて他人の価値観に基づいているのだから、始末におえない。「あの人が褒めていたから、これを見れば周りに勝てる」って具合にね。

もっとみんな自分だけの哲学を、美学を信じればいいのに。

誰かの価値観依存して、他者を阻害して、そうやって得意顔になっているエゴイストたち。

こんな人間蔓延っているようでは、日本の文化は早晩終わってしまうだろう。そうなる前に、彼らの目を覚ましてあげなきゃいけない。ぼくはそのために生きるよ。

それぞれが、それぞれの美学を成長させ、それに乗っ取って生きていけば、ぼくは世界もっと楽しくなるに違いないと、信じている。中沢健の美しさを、ぼくらは見習わなきゃいけない。

人類歴史を紐解けばわかるように、自分だけの美学を磨いた人間けが世界を驚かし、未来に名を残すことができるんだ。

そう、紀里谷和明のようにね。

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110718205809

なるほど。ただの観客という枠を超えて主体的に行動してる人は素直に凄いと思う。

でもまだまだ、『一体感を持って騒ぎたいだけ』のサポーター達も多くいる。

こういう連中が消えてなくなる時が来たら、俺も素直にその文化を讃えたいと思う。

まぁここまで行くと最初の方にあったように、どの文化にもフリーライドして痛い行動取ってるだけの馬鹿はいるという話になるし、それはその通りだと思う。

2011-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20110223220327

侵略されても俺はどこか別の平和で安全な国に逃げるからいい、

逃げられない奴は甘んじて侵略を受けるか、お国のために死ぬか好きにしろ、というのは、

逃げる先の国が外交軍事力平和を維持しているから成り立つ話であって、

逃げる先の国の人が命懸けで祖国を守っているところにフリーライドしてるだけだよね。

2011-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20110208144733

税率上げる→金持ちが逃げ出す→経済衰退→貧乏人はさらに貧乏

税率下げる→金持ちが勝ちまくる→勝者総取り→貧乏人はさらに貧乏

下よりは上の方がまし。金持ちが勝ちまくる社会で追い詰められた貧乏人はそうとうヤバい。殺人なんかバンバン起きて、金持ち自分たちで塀で囲った街に住むしかなくなって結局高くつく。

バカな金持ちは逃げるかもしれない。でも、外人になって外から日本システムフリーライドするような輩は排除されるから永久日本に戻れない。それでもいいっていう金持ちは少ない。

2010-09-25

ホメオパシーは確かに「正しい」

ホメオパシーだの代替医療だのといった、いわゆる疑似科学についてはあらかた意見が出されていて、もう議論の余地はないと思われるのだが、そうした問題について考えるとき、どうしてか疑似科学それ自体、もしくは推し進める当事者のことばかりクローズアップして、疑似科学を支持する利用者のことがあまり注目されないのはちょっと妙な話であり、この偏りはマズいのではないかと思う。

科学というのもつまるところ美術文学と同じであり、考案者と追実験者のコラボ、それを追いかけて信憑性や科学性を視認する研究者、そうして知識として蓄積された学問を後追いで学ぶ学生といった階層性が歴然として存在する。確からしさや権威は独創的な「表現者」が単独であれこれと試行錯誤するだけでは付随してこず、「鑑賞者」が群がってあれこれと議論することで科学体系は形成されるのだ。

とすると疑似科学もそれと同じことで、それが科学の衣をまとっていられるのは、「表現者」の誤謬だけではなく「鑑賞者」の支持も多大な要因としてあることが推測されるだろう。ところが件のホメオパシー議論では、「表現者」にばかり気を取られて「鑑賞者」側の心理を分析していくアプローチがあまり見られない。それどころか、医学と一対一対応させて医学に軍配を上げ、だからホメオパシーは誤りである、といったお決まりじみたストーリーで反駁する主張ばかりで、ホメオパシーという体系がなぜ批判されねばならないのか、という根源的な問題への解答を避けているものが少なからず多い。そうした偏向はつまるところ科学の絶対的真理性や反証可能性、さらにはアプリオリな真理の存在といった諸々の難解なテーマになんら疑問をもつことなく、権威の安楽さにフリーライドしていることの裏返しであり、彼らもまた科学という教条に絡め取られているのではないのかと危惧するに到る。

もはや焦点は「なぜそれが正しいのか」ではない。「なぜそれを信じるのか」である。「科学は正しいから美術文学とは違う」と言い張る人間がいる。そのくせ地球が丸いことを実地で確かめたこともないのだからおかしいものだ。正しさの担保が分からないなら、それは正しいのではなく信じているのである。ならば、「科学者ならそれ(=科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という反論は一見成立しそうだ。だが、それは同時に「疑似科学者ならそれ(疑似科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という主張となんら変わりないように思える。なぜなら、正しさの担保は今現在明確な形で示されていないからである。

ポパーにしろクワインにしろ、ある点で建設的な、もしくは過激な条件づけで科学の特徴を言語化しようとしたが、どれも一長一短で、条件づけした途端にそれまでれっきとした科学の一部であった知見が科学でなくなってしまう。幸い、ホメオパシーについては科学でないということはテストによって容易に示されるかもしれないが、知識の欠けた「鑑賞者」に関しては全く問題が別である。それがありがたい体系で身体の健康に役立つと感じられるなら、ホメオパシーもまた利用者にとって十分に医学でありうる。この認識論的な事情科学全般に延長できてしまうものなのだ。

今一度、問題点を問おう。科学というものは、証明能力を有する人間と利用する人間とで「正当」の意味内容が著しく異なり、しかも当の科学者であれ「正当」の普遍的な根拠が未決定の状態である。こう表現するとホメオパシー擁護論にも思われるかもしれないが、それは誤解だ。ここで言いたいことは、たとえホメオパシー支持者が科学的思考の持ち主でないとしても、ホメオパシーという体系それ自体が非科学的であることを決して意味しはしないこと、そして現代医学科学性がホメオパシー非科学性を意味しもしないことだ。後者の指摘については、免疫学が謎めいた「自然治癒能力」を反駁することが(今現在)できていないという一例でも分かるだろう。必ずしも、ある体系の正当性が別個の体系の正当性を否定するというわけではないのである。また、これが最も核心的なことだが、科学証明とは無縁のいずれの「鑑賞者」にとっても、信じることで一方を支持し、信じないことでもう一方を唾棄しているに過ぎないという深刻な背景を宿していること。

治療に関して、被治療者にはいかなる治療を受けるか選択できる権利がある。このことをしっかり認めた上で、ホメオパシーに傾倒する被治療者を理性的に説得することは、果たして可能なのだろうか。

2010-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20100714160205

元増田です。コメントありがとうございます。

つまり、「YouTube著作権者に許可を得ていない動画を見るリスク」は「交通量の少ない道路で、車が通っていなければ赤信号を無視するリスク」と

等価ってことですよね?

確かに両者の法からの逸脱度合いは一緒くらいでしょうね。他の方も言う通り、トラフィック数も関係してきそうな気もするので正確には何とも言えませんが。

ただ私は違法かどうかよりも「制作者に還元されるかどうか(=損害が起きずに済むか)」で話をしたつもりです。

法律にどれくらいの量そむいたかは、実損害がどれだけ起きたかと比例しません

法律にそむいた量に比例して実損害が起こるわけでは必ずしもない)。

交通量の少ない道路で、車が通っていなければ赤信号を無視した」場合、実損害が起きるのはたまたまそこに車が通っていて事故が起きたときだけですが、

YouTube著作権者に許可を得ていない動画を見た」場合、実損害はフリーライドされたPVに比例して拡大します。

だからちょっと違う気がします。

2010-04-05

外国人への憎悪を煽る者たち

川崎市高津区役所で590人分の子供手当てしてたアジア系の人いた

http://2nnlove.dtiblog.com/blog-entry-1634.html

外国人への憎悪を煽る者たち』それはこのエントリに、デマリテラシーなどとタグコメントをつけてキリッとしている、はてサリテラシ厨や民主信者、お前らの事だ!

あ?なに訳わからない寝事抜かしてんだってか?

特別に知能は低い癖にプライドだけは高いバカなお前らにも分かるように噛み砕いて説明してやるわ。

先ず、この590人という荒唐無稽な数字の"デマ"の拡がる背景を考察する。

日本の議論】永住外国人が急増する背景とその実態

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100404/trd1004040702001-n1.htm

ここにあるように、既に税金対策のために戸籍を偽って扶養者を増やす手口は常套手段となっている。

ここでは節税表現しているが、これは実態を捕捉出来ない点をついての脱税に他ならない。

悪質外国人が働きに来たところで日本貨幣外国に流れるだけで、日本行政サービスフリーライドされ税金は入ってこないのである。

そこに件の外国在留者への子ども手当てである。

このように税金を納めない外国人が、同じ手法でブローカーを通じたり組織だって子ども養子縁組をしたならば、それをチェックする方法はない。

とってつけたように、

http://twitter.com/yamanoikazunori/status/11531236951

名ばかりや不正の疑いのあるケース、証明書や書類がそろわずに、生計同一と監護の要件が確認できなければ支給しない。

などと施行前日に通達を行っているが、そんな事実際にどうやって調査するんだ。現地国とネットワークをもって組織だって書類を仕上げてくるプロに対し、窓口の公務員がそれをチェックできるとかどんだけお花畑なんだよ。

こんな稚拙なザルなシステムを強行した事に民の怒りが蓄積されている事をまず理解しろ。

この590人登録事件は、その真偽が問題なのではなく、このような不正な請求が実際に組織的に可能である事そのものに起因して発生した現象である。

可能であるならば、やってくるに違いないという思い込みは、たとえそれがバイアスがかっていても消去する事は出来ない。

いいか?ここでそのバイアスを責める前に、システムに不備がある点が問題だという事実、それをその物覚え悪い頭に叩き入れておけよ。

で、そのような条件下で、蓄積した怒りの発散先として、この"デマ"が590人登録騒ぎという形を為し、市井の民の怒りのシンボルと化した。

そしてそのシンボル化がさらに、怒りの表明の焦点を一箇所に集中させる事が、薄ぼんやり暮らしているバカどもに有効に認知を拡めるツールとして機能する事に気づかせ、さらなるスパイラルを描いたのは至極当然である。

高津区役所が電話攻撃でサービス不能になる程度の事で、政府愚策問題点を浮き彫りにできるのならば実に合理的な抵抗であろう。

市井の民が、お上の決めた暴挙に対抗するならば、このような手段で対抗するのは当然でありレトリック的に言えば防衛本能の発露でしかない。

だから、これをデマだよキリッとか言ってるだけのうすらバカのみなさま方におかれましては、その指摘になんの意味もない程度の事は理解していただけませんかね?

この"デマ"に寄り添って声を上げる人間の事を、リテラシー強者(笑)なるデマの真偽の判断を否定ツイート一つ如きで判断しておきながら、『デマに乗せられる情弱』という構図で見下して、空っぽな脳を自尊心だけで満たしているだけの単なる思考弱者どもは、妖怪どっちもどっちどころではなく救いようがないうすらバカなんだよ!

まぁバカに言っても無駄かww

もっとも、はてサ脳に侵されてない人間の中でも、"デマ"を使ってこのような煽り蔓延させる事に眉をひそめる良識的な立場のまっとな人もいるだろう。

だが、その認識は甘いと謂わざるを得ない。

この"デマ"騒ぎさえ、民主教に帰依したバカのやり口に比べるととてもまともな穏当な反対意思の表明にしか過ぎないんだよ。

たとえば、この頭を叩くと空っぽでぽむぽむするから名前id:pompom20 のブコメ

http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/2987779.html

id:pompom20 ネトウヨ 子ども手当民主党叩きしている、この手のレイシストウヨは全員逮捕すべき。ネトウヨ存在日本民度を下げる害悪のガン細胞、よって切除手術が必要。

まぁ充分これでもすごいが、これを省略せずに説明すると、つまりはこのような思想である。

電波浴場劇場byガチミンス支持者

http://tawawa.blog.shinobi.jp/Entry/1664/

これほどまでにガチやばい本物のキチガイ思想になんの留保の情も抱かないロボット達に今の政権政党が支えられている。

これを敷衍していけば、本当の言論弾圧・ニーメラーが待ち構えているのに、非実在青少年なんていう言論の自由(笑)ごっことかやってる場合じゃねーってのwww

さて、まとめておくか。この"デマ"に乗じて声を上げる者たちを、ネトウヨだの排外主義だの情弱だのと呼びあらわす者たちに告ぐ。

この現象を生み出した最大の責任は、票とりのために拙速な法案を施行した民主政権にある。

致命的な欠陥に対し、とりあえず緊急的な方法で指摘をしているだけに過ぎない者たちに、その手段の稚拙さを謗る事を良識などと考えているうすらバカどもが、いくらヘイトスピーチレイシストレッテルを貼っても、それは外国人差別する意志(意味もなく外国人お金を渡すのを阻止するのは差別じゃないよw念のためww)もないのだから事実とは異なる誹謗中傷でしかない。

こうして普通日本人悪魔でっち上げるのは、思考回路の作り方の失敗が産み出した幻影であり、それこそ日本人へのヘイトスピーチ以外の何物でもない。

そのような不当な中傷により、本当にレイシズムが発生する事態が起きる事があったら、お前達こそ本物のレイシスト生成装置であり、非難されるべきはお前らだ。

民主教徒の諸君。自民時代の児童福祉手当と同じとかレイシズムだとか言っても世の中何も解決しないんだよ。

根本的な原因に向き合い、民主政権を支持した自分がバカでしたごめんなさい。

まずそこからはじめるんだ。わかったかな。まぁわかんないだろうがなww

ただ、自らの罪の償いを他罰に求めてもなんの解決も得られないぞとだけ言っておくわ

2010-01-16

間違いの証明の必要性と、正しさのフリーライダー

正しいかどうか分からないことを、正しいと信じて試して間違いだったと決まったとき、「奴らは馬鹿だったからあんなことしたんだ」という外野は手を汚さずに後出しジャンケンをしているようにしか見えない。

今間違っていると思っている人も、昔の時代にタイムスリップしたら、間違っているかどうか分からないだろうし、間違っていると思わない可能性がある。間違っていると言えるのは先人が間違ったからだ。我々はそこから学ばなければならないのであって、先人を一概に全否定すればいいという代物ではない。我々は何も知らなければ先人と同じ間違いを繰り返すことがありうるからだ。

それに、なぜ間違っているか分からないのに間違っていると言うことはおかしなことだ。それではおかしいと思う人たちが反対側に行ってしまうことを止められない。ネオナチ在特会なんか正にそんな感じだ。彼らを生みだしたのはレッテルを貼ることしか出来ていない世間に他ならない。

あげく正しいか間違っているかを証明しようとする努力を否定するに至っては訳が分からない。エスパーでもないのにやらずに間違っているか証明できるのか? 間違っていると証明してこそ、間違っているからやめろと初めて言える。


調査捕鯨の結果、ミンククジラは別に増えていないし、生態系に大勢に影響はないという結果が出た。このことについて「だから調査捕鯨なんてやるべきではなかったんだよ」という論者がいる。じゃあその論者はその結果を出すために何か努力したのか? してないなら偉そうに言うな。

調査捕鯨の問題は商業捕鯨の禁止を受け入れた結果生じたものであり、商業捕鯨の禁止の正当性を探るための、そして商業捕鯨の禁止を不当と考えていたからこその調査捕鯨だったはずだ。調査捕鯨は控えめに言っても証明のため必要なプロセスだったと言えるだろう。

これからは商業捕鯨の禁止は正当化されるだろう。ただしこれまでの調査捕鯨プロセス的に必要不可欠だったし、失敗にもかかわらず、その失敗をこそ評価しなければならないはずだ。


私は「失敗した奴らは馬鹿だったからあんなことをしたんだ」的な論者を憎んでいる。彼らは知識に対するフリーライダーであって決して偉くないし、さらに悪いことに反知性主義者だ。そういう奴が正しさにフリーライドしているからといって、評価されることがあってはならない。何もしてないくせに何だ。さらにそういう奴らが説明責任を果たさないでネオナチ在特会を生むのを見るとますますムカムカしてくる。

2009-11-23

流通に乗ったが最後、図書館に対して所蔵を拒否する権利って著作権者側にないの?

図書館に私の本を置くなという作家フリーライダー読書猿Classic: between / beyond readers

http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-117.html

その著作権者が理解不能なのはおいとくとして

流通に乗ったが最後、図書館に対して所蔵を拒否する権利って著作権者側にないの?

かといっていちいち許諾を求めるほどまぬけに法律出来てないだろうから

JASRAC的なものに権利を預けると許諾したとみなされるのかしら

著作権者側に重版を拒絶する権利ってのもないの?

共有地の悲劇っていってもフリーライドする自由認めないの?

2009-11-03

人の名前に用いることのできる漢字、の件

玻南ちゃんダメ?…名前受理されず、最高裁へ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091101-OYT1T01018.htm

ルールルールだから教 - good2nd

http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20091103/1257210744

ブクマで盛り上がっていたので気になって調べてみたら、知らなかったことが色々と。ブクマでも一部書いたのですが、せっかくなのでこちらに書いておくことに。個人的には色々思うところはあり、id:good2ndさんの言いたいことも分かるものの、「ルールルールだから教」という切り口では火に油を注ぐところもあると思ったので、事実関係を中心に(…と思っていたら、最後にぐだぐだ書いてしまった)。

そもそも子の名前に使用することができるルールはどのようなものなのか。

子の名前に使用することのできるルールとして出発点になるのが戸籍法第50条で、これは以下の通り。

第五十条  子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。

○2  常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。


この規定をうけて、使用できる漢字が限定的に列挙されているとのはご存じの通り。これを読むと、それ以外の漢字人名に用いることは不可能であるように思われるし、実務上もそれ以外の漢字を用いても受理されません。したがって、このルールが例外のないルールのように読めるのですが、それがそうでもないらしい。

今回の事件は、最近多様な名前がつけられるようになってきて生じてきた問題なのかとおもいきや、以前からこの手の問題はあったということが分かります。ちらっと調べた限りでリーディングケースっぽかったのは、東京家裁昭和48年11月30日審判(家庭裁判月報26巻5号102頁)で、「悠」という命名が問題となった事件(なお、悠の字はのちに人名用漢字に追加、現在では常用漢字)。

若干長めに引用しますが、この審判では「家庭裁判所の判断によって表外漢字名前に使うことが認められる余地がある」との判断を行い、結論としては悠の字の使用を認めています。

 そもそも当用漢字表なるものは、これを定めた昭和一年内閣告示三二号が、その「まえがき」に示すように、「今日国民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行なわれることをめやすとして選んだもの」であつて、現代国語を平易に書きあらわすための基準を示すものであり、人名用漢字別表も同様の趣旨で当用漢字表に追加されたものである。もとより戸籍法五〇条によつて委任された同法施行規則六〇条が、子の名に用いるべき漢字を当用漢字および人名用漢字に制限したのは、わが国の国語政策に即応した妥当な処置であつて、戸籍事務担当者裁量によつては表外漢字を子の名に用いた出生届の受理を認めないものとする実務の取扱いも正当である。しかしながら当用漢字表制定の趣旨は前示のとおりであり、表外漢字を一切使用禁止とするような強力なものではないし、戸籍法五〇条の趣旨も、同法が戸籍事件について市町村長の処分につき家庭裁判所に不服の申立をすることを認めていることからみて、個々の場合に、家庭裁判所の判断により、表外漢字を子の名に用いた出生届の受理をも、実情に即して認容する余地を残したものと解するのが相当である。現に、実務においては襲名等による名の変更許可の場合は、表外漢字の使用が認められる取扱いである(昭和二四年一一月一五日民事甲第二六六六号回答)。


そして、より最近では「琉」の字が問題となった、那覇家裁平成9年11月18日審判(家庭裁判月報50巻3号46頁)があり、ここでも上記の判断が踏襲され、

規則60条が限定列挙であっても、家庭裁判所に限っては事後的な個別判断を否定する趣旨ではないと解するべきである。

という判断の下に、琉の字の使用を認める判断がされています(なお、琉の字も現在では人名に用いることができる)。

というわけで、子の名に用いることのできる漢字ルールは、基本的には戸籍法第50条のルールでなのですが、それ以外の漢字を用いる余地が全くないわけではない。家庭裁判所の判断で認められる場合もあり、それで認められた例もある。そして、今回の件では、家庭裁判所で認められなかったので、高裁最高裁の判断を求めた、という話です。ようするに「使える漢字が限定列挙されているので、例外など認められる余地がなさそうに見えるが、必ずしもそうではない」というのが一点目。

氏名未定の出生届?

ブコメで問題視する人が多かったのは、親のエゴで無戸籍という重大な不利益を来していることをどう考えるのか?という点。id:good2ndさんはそりゃ親のせいではないだろう、というご意見。この点は、子の命名権を、どのように法的に構成するか(親の権利と考えるか、子の権利を代理しているものと考えるか)など、いろいろあると思うものの、以上の家裁の審判例をみていて気づいたこととして、<いずれの事件でも出生届自体は提出されている>という点は、事実としてあるようです。

「悠」の字に関する事件では、

申立人は、やむなく「名未定」として出生届出をしたが、「悠」という字は、「悠遠」、「悠長」、「悠然」、「悠々自適」等、日常的な単語に多く用いられ、読み方も一般的なものであつて、人名にこの文字を用いることは、生活能率および個人の幸福に何ら支障はない筈であり、同区長の不受理処分は不当である。

という記載が判断中にあり、また「琉」の字に関する事件でも、名前未定として出生届が提出され、戸籍の記載がなされた旨の記述があります。さらに、氏名欄の名の部分を空欄として住民票が作成されていたものの、海外渡航の必要が生じて旅券の申請をしたところ、受理されないという事態が生じていたことが、問題となった理由の一つであったらしい。

実務上も、子の名の欄は空白でも受理するという取り扱いであることは、各自治体戸籍担当ウェブサイトなどでも確認できます。一般的には、子の名前をまだ考え中であるという場合が多いのでしょう。今回の件では、どういう経緯で無戸籍のままになってしまったかは短い新聞記事からは分からないのですが(「しようこ」のような事例もあるので、現場想像つきません)、法的に争っている間に、一方的に不利益を被ることを避ける方法は、一応ある模様。

めんどくさい親、なのか?

事実関係を中心に、と書いたものの最後に少しだけ。id:good2ndさんの矛先は「子が無戸籍状態になってしまっているのを「親の我侭のせい」というその発想」に向かっていますが、より広く言えば「なんかめんどくさい親!」という感覚意見に向けられたものなのでしょう。

id:Gakkuri-Kanabun_09 裁判制度変更等様々なコストとかけてまで変える価値は無いと考える人間が結構いるんだろ。お上ではなく我々の社会が譲歩するという意識があるのかも。クラス会で変な提案する奴うざいみたいな?

的な。

そもそも名前に用いることのできる字が制限されているのは、名前社会で用いるものである点に由来する(戸籍実務においては、一般人には想像つかないほど色々めんどくさいことがあるのは承知しています)ということのようですが、他方で名前というものは(漢字表意文字なので、その表記も含めて)、個人のアイデンティティの中核的な構成要素の一つであるということも言えるように思います。

ブクマでもありましたが、そう考えると、

id:zyugem 名付けというきわめて私的で個人的な領域に,公が制限をかける制度自体が間違っている。

という考え方は当然あり得ると思いますし、(書いていたら当初の想定より遙かに長くなってしまったので引用しませんが)「琉」の字に関する事件では、憲法上の問題としていくつかの主張が整然となされています(憲法上の主張はすべて退けられ、「琉」の字の問題として認容されましたが)。

私自身にはこの件について思い入れがあるわけではなく、子の名前はおよそ何も考えることなく、用いることのできる範囲から選んで名前をつけてしまうと思うのですが、

id:hit-and-run なんでここまでして「玻」にこだわるか他人には理解できない。でも他人には理解できないからってそれを求める自由がないなんてことがあるか!

というコメントが批判するように、「制限を緩和すると自分社会に問題が生じるから」というのではなく、既存の枠組みに対して自分には価値のないことを主張すること自体を門前払いの対象とするようなコメントが多かったことには、驚き、若干の危惧を覚えました。「悠」や「琉」が認容されるに至った判断で考慮されていた事情をみると、今回の「玻」は微妙なところな感じもしますし、制度論としては、ただちに、「自由に名前をつけるという人格利益重要だから制限をすべて撤廃しよう!」という話にはならないと思いますが、そうした考慮とは次元がかなり違うようでしたので。

また、

id:buyobuyo No!といってくれるこういう人がいなければ悪法や悪慣習や悪環境がそのままになるのがこの国なんだよ。こういう人の努力フリーライドしているくせに、こういう人を叩く奴は…

という指摘のように、声を上げることはみんなのためになっている、という点もあるのだと思います。こういう人がいなければそのままになるのは、この国に限ったことではなく、そういう風にできているのではないかと。特に名前に「悠」の字がついている人などは、そのあたりのことをどう考えるでしょうか。

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090928194445

自分自分ひとりの力だけで生きていると考えてるヤツがいる。

個人の生産性と属する国のGDPが無関係だと思ってるヤツがいる。

もしビル・ゲイツシエラレオネに生まれたら、マイクロソフトは存在しただろうか?

(シエラレオネの方、ごめんなさい。1人当りGDPの低そうな国の例としてあげてしまいました。)

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まあ、社会福祉が充実してくると、フリーライドを決め込む人が増えがちなのも確かかも。

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