はてなキーワード: フリーライドとは
個人の生産性が高ければ、属する国のGDPなんぞどうでもいい。誤差の範囲。世界のどこにいても、メシを食っていける。
ところが寄生虫にとってはこれがとても重要。何のとりえが無くても、日本に住んでるだけでオコボレにあずかって「贅沢」できるからだ。
つまるところ、チーム生産の利益にフリーライドできるという点で、所属する組織の経済成長は重要なわけで、寄生中にとっては、宿主の健康は死活問題なわけですよ。
「GDPが低下している。この国の国民は、いったい何をしているんだ。大変だ、大変だ。」=「宿主の元気がなくなっている。まずい、まずいぞ。私は自分だけの力ではこんなゼイタクできないんだ。」 by 「国士」というカモフラージュをした寄生虫
タイトルが途中で切れてしまった。本当は、
なんとなく便乗
http://anond.hatelabo.jp/20090711161753
最近オタ系の個人ニュースサイトでも、割とおおっぴらにエロ漫画のレビューなんかへのリンクを見かけるようになった気がする。まれに「怪作」とでも呼ぶべき代物が登場する分野なので、それはそれで不快だと思った事はない。エロ漫画レビュー専門のブログなんかもたまに見かけるようになった。
んで個人的に、そろそろこの界隈の人達も、何らかの認識を一致させておく必要があるんじゃないかと思う事案があるわけ。P2Pで大量に出回ってる漫画ファイル。
あれ凄いわ。発売直後に速攻で流れるんだもん。人気のありそうな物は片っ端から、殆ど全て。中には、秋葉原あたりで発売日前にフラゲして、そのまま発売日前にばらまかれる事すらある。人気漫画家に限れば発売から10日以内に流れる確率70%。一ヶ月以内に流れる確率90%って感じ(俺の個人的印象)。
ちなみに、先月の成年コミック(黄色いマークがついてるやつ)の流出状況はこんな感じだ。
タイトル(一部伏せ字) | 作者(一部伏せ字) | 発売日 | 推定流出時期 |
---|---|---|---|
**の夜 | *玄 | 6/19 | 発売1日前 |
****されたい | ****たかし | 6/26 | 発売4日後 |
****のつくり方 | **の者 | 6/17 | 発売12日後 |
****な日 | * | 6/27 | 発売2日後 |
***性活! | **Q弥 | 6/17 | 発売9日後 |
*****・はらみっくす | **しゅん | 6/10 | 発売16日後 |
****じゃダメかしら? | ***えい | 6/19 | 発売9日後 |
**** *****と妹の…!なコト | **かづき | 6/25 | 発売6日後 |
新装版 ***ママ | *六 | 6/25 | 発売9日後 |
***嫁 | **あるちゅ | 6/29 | 発売6日後 |
覚えたて | **・フィーユ | 6/5 | 発売6日後 |
****プリンセス!! | *****宝田 | 6/27 | 発売4日後 |
そんっなに**させたいの? | *****宝田 | 6/27 | 発売4日後 |
**** DOLL | *安 | 6/1 | 発売1日前 |
**はら | **薯 | 6/1 | 発売34日後 |
こういう状況が未だに放置され続けているわけよ。放置されているものだから、「出版社に通報してもあいつらは絶対に動かない。警察が動くと自分達が困るからだ」と、まるでヤクザかチンピラの言いがかりみたいにやりたい放題やってるわけだ。
自腹でエロ漫画レビューしてる人達は、自分達が身を置く文化圏の中にこういう奴らが少なからず混じっている事に対して、そろそろ何らかの見解を示すべきなんじゃないか?
それと、出版社がこういう不法行為を黙認している理由が全く分からない。出版不況が叫ばれているこのご時世だから、知っていて黙認しているとはとても思えない。仮に知らないのであれば、ネットと親和性の高いオタク相手の商売の割りに鈍いとしか思えない。かといって、批判するだけじゃあ何も生み出さないわけで、せめて「違法アップロード許すまじ!」の声を上げて、出版社や漫画家へのアピールをすべきなんじゃなかろうか。
guldeen これはひどい, copyright, p2p, comic, ero エロ漫画家のひんでんブルグ氏も自分のブログでちらっと触れてたが、例えば中華圏など「訴訟しても賠償金がロクに得られない」国で主にワレズされてるってのが問題。作者に利益が来ないフリーライド問題は根が深い。 2009/07/13
そういうブツってのも、日本のP2Pやアップローダーから流出した物が出所だったりするけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20090713192556
エロゲやソフトみたいな単価高いものだと違法DLの影響力はハンパないけど、エロマンガや同人誌みたいな、せいぜい単価1000円の品の場合は、違法DLがあってもなくてもさして変わるもんじゃないと思います。
たとえそうであっても、正当な権利を持っている出版社や漫画家が黙認する理由にはなり得ないな。著作権を侵害されているのは確定的に明らかなんだからさ。
それと、出版業界自体が全体的に右肩下がりの状況で、エロ分野なんてのはまさにそれがモロに出ているわけで、「犯人捜し」の結果として違法アップロードがやり玉に挙げられて、業界全体がダウンロード違法化に傾かないとも限らんだろう。
>社会が政治とは切り離せない関係にある以上、政治を捨てるということは自らの発言権及び主権を捨てることにほかならない。
べつにそうでもない。ただの極論じゃん。上手く馬鹿どもを利用してフリーライドすればいいだけ。まして匿名で政治議論したって何の権利も得られはしないぞ?時間の無駄。
自己中最高、社会中心の方が馬鹿だ。勝ち組になるには頭の中まで筋肉で武装だ。論理など必要ない。
>おまえは頭の中身まで男根か?無責任な自己中がマッチョなんだね。
そうだぞ、ファルス中心主義とはそう言う物だ。何か問題でもあるか。
お前だって牛や豚にフリーライドしてるくせに
牛や豚だって草木にフリーライドしている
草木はミミズだ
乗ったほうが偉いんだよ、この世は
嫌儲ね
フェアユース的な議論をするときは
権利者が損するかどうかだが大きく働く
画集丸上げの場合は、画集が絶版である以上どんなにコピーがはびこっても権利者は損しない。
マジコンの場合はコピーが広がる分だけ元のソフトが売れなくなるので権利者は損する。
もちろん著作権団体が言うようにコピーが無くなったらコピーされた分100%元のソフトが売れるわけじゃないけどね。
ダビング10に反対が多いのもテレビで放送されて以上、コピーしたところで権利者は損しないと考えられるからだ。
これに追加してフリーライドの話しもあるが
それを言い出すときりがないので
社会や働くということに対して甘い人たちがこんな偉そうな顔をしていて、それに税金が使われて、そしてそんな人を守る方向に国が動いちゃっている。
ちゃんと真面目に頑張っている人たちが損を見るだけで、すごく不愉快。
この部分だけきっちり伝えれば良いんじゃないの?論破する方法は分からないけど、少なくとも増田の主張はこれで伝わる。
たぶん相手はそこまで詳しく考えてないと思う。ただ自分の出来る範囲で目の前の困っている人を助けたかっただけ。視点が局所的か大局的かの違い。議論がすれ違うのは仕方ない。
今回は局所的な活動が政治的なメッセージにたまたまなったのでコンフリクトが起きた。けど基本的に、1ボランティアが社会に与える影響などと言うのは本来微々たるものであって、本人たちの多くはそれは自覚していると思う。分かっていて、でも人助けに動くのがボランティア。そういう人も世の中にはそれなりに一定数いるし、そういう人たちの優しさに助けられる人もそれほど多くないけどいると言うこと。
適切かどうか分からんがボランティア繋がりで言えば、例えば。ペシャワールで命を落とした伊藤和也さんなんて歴史の大きな流れの中ではほとんど忘れられていく存在でしょ。ほとんど意味のないことかも知れない。ただそもそも彼は政治的なおおきなうねりをつくりだしたくて行ったわけではないと思ってる。ただ愚直に平和を望んだだけ。そして、彼に優しさを分けてもらったアフガン人は少数だけど確実に存在する。
派遣村も、舞台が東京だったから世の中の暗部が目の前に可視化されて不愉快に感じる人だってそれなりに出てしまったけど、俺はただそれだけのことだと思っている。
公共サービスへのフリーライドも、理不尽な解雇を突きつけられた派遣社員も、もっというと会社への滅私奉公を強制され自殺に追い込まれるすれすれのところで働いている人も、全て現代社会の暗部であり、政治問題であり、容易に解決はしないことなのだと思う。
中世、本は教会内の知識層だけのものだったが、グーテンベルクの印刷技術が本を大衆にもたらした。
同じように音楽・映像の情報発信はレコード会社やテレビ会社のものだったが、ネットワーク技術が音楽・映像の情報発信を大衆にもたらした。
ソフトウェア、映像、音楽、活字などの情報は、入れ物(ハードウェア、CD/DVD、紙媒体)から解き放たれた。
それと同時にフリーライドが問題化。知的財産とは何かを考え直す時も来ている。
次の時代、ストールマンのような人物が現れて使用承諾で縛りつつ、音楽・映像をオープンソース化していったら面白いと思うが、そうもいかないか。
時代の徒花じゃない政治思想なんてあるのか?
「ミンシュシュギ」だって、たとえばアメリカの新保守とか日本のソウカ党のように「二代政党が拮抗する状況に便乗してキャスティングボード握る少数派のフリーライド現象」とか、苦労しても情報が行き渡らないのでものすごいリテラシーが全員に無い限り劇場型政治になって広告宣伝屋とマスコミが権力化するとか、近代国家の中ではだいぶ分かりやすい弊害が出てる。ただ、だからといって今のところ「それよりマシな政治システム」は開発されてないから仕方なく残ってるだけ。
とはいえ、「それよりマシな政治システム」がこの先発明されるかというと、若干疑問ではある。たとえばミンシュシュギだって二千年以上前から知られて(実際に行われたりもして)いたけど、それなりの世界的広がりを持ちはじめるのはそれから千年以上経ってからだ。人類全体が「天才」たちの思考に追いつくにはその程度の時間がかかるみたいだ。だから、今後ミンシュシュギ以外のシステムに移行するにしても、実現出来るシステムがあるとすれば、それは既に発見され知られているシステムでないと無理なんではないだろうか。
子供無くても年金は払ってますしその金が子供のいない人に使われていても別に私は文句言ってません。また途中で死んでも別に文句言う気もないし、そもそも年金てそういうもんで、払った分返ってくるという期待もしてない。
またあんたらの子供が将来子供作るとは限らないのに、あんたらの子供だって将来年金貰う予定でしょう。年金というのは最初からそういう相互扶助システムなのでフリーライドという感覚を持ち込んでくるのが筋違い。
実際子供を産み育てるのは社会貢献になってるんだからしょうがないでしょ。
(不良になるかもとか犯罪者になるかもとか、アホな反論はやめてくれよ)
子無し税?:http://anond.hatelabo.jp/20080520102659 (児童生徒への公的学費補助は年間100万/1人)
「独身税」「子供無し税」はすでに存在する: http://anond.hatelabo.jp/20070128180339 (たとえば健康保険の負担金は子供が増えたって増えない、年金にしたって「遺族年金」は独身者には無縁なのに負担は同じ…等)
だからといって子無し家庭が子有り夫婦に「おまえらフリーライドだ」とまでは普通言わない。それは子無し家庭も、一般的には「選択の結果として」子無しを選んでるケースがほとんどだし、文句があるなら産めばいいという話だろうから。
でもウチのように最初から子供作れないことがハッキリしてる家庭としては、事実上のフリーライダーに「おまえらフリーライドじゃねーか」と言われる理不尽さを感じるな。あんたらそんだけ社会から援助して貰っておいて、その上文句あんなら最初っから作んな、と言いたくもなるさ。そもそもなんで子供作ろうと思ったの?あんたら。「社会貢献しようと思ったから」…じゃねえだろ絶対。
昔、それなりに調べて書いた記事にブクマポイント貰って嬉しかったので、それ以来時々思い出したようにブクマポイントつけることがあるオレですが、正直手数料を意識したことはあんまり無い。大抵の人は、「ただで読める情報に金を払う馬鹿がいるwwww」という感覚なんだろう。自分の投げたポイントがはてダを活性化させたりすることで結果的に自分も得をするという感覚は無いのだろうな。まあいいんだけど。手数料なんて本当に必要なのか。なくして活性化するならなくした方がいいと思うが、かといって5%より引き下げるとポイント送信との齟齬がでたりするから結局無理だろう。
はてなスターに連動して、ブログに「この人にブクマポイントをあげたい!」というバルーンが立ち上がる。IDでアクセスしてるブログ管理人本人には見えない。閲覧した人には見える。スターが増えるほどバルーンが大きくなる。自分は一円もかけず、かつブクマポイントを払ってもいいやと思う人にブクマポイントが入りやすくするシステム!無責任な日本人にぴったりのフリーライドシステムだ……
……って、実際想像したらものすごくウザいな、これ。
いくらご大層なことを言ってたってアニメをただで見たいだけなんだから。YouTubeが出たときは「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」みたいなことがいわれ、YouTubeみたいなものが次世代のサービスみたいに言われていた。ほとんどのテレビ番組はDVDを発売しないのにもかかわらずにね。こうした主張はニコニコ動画が出たあたりでもっとも盛んに言われていた。しかしその後アニメーターやアダルトアニメの制作会社などが「売上が下がった」などと違法アップロードを非難しはじめるとこれが変わった。広告効果はほとんど無いことがわかったからだ。広告効果がほとんど無いことがわかったせいで「広告効果で??」というフレーズが使えなくなった。ほんとならここで間違いを認め、どこが間違っていたのか反省すべきであった。ニコ厨みたいな奴らは口では作品やクリエイターを尊敬しているなどと言っていた。そうであれば自分たちの考えがどう間違っていたのか反省し、建設的な議論を進めるべきであった。今までの考え方を改め現行のフリーライダーを排除する著作権法を大筋で認めるのもよし、「広告効果で??」という考えを発展させるというものでもよかった。しかしそうはならなかった。ニコ厨みたいな作品を軽視する奴らは誤りを認めず、自分たちの考えのどこが間違っていなかったのか全く考えなかった。YouTubeなどを賞賛し、テレビ局などの「既得権益」を批判していた小倉弁護士や池田信夫氏などもいつの間にか「違法アップロードはよくない」と主張するどちらかといえばテレビ局よりなMIAUに鞍替えしていた(あくまで「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」などの意見と比べた場合。「広告効果を利用しCDやDVDを売り、ネットではただで配信するべきだ」と考えるのであれば違法アップロードもよいことになるので、MIAUの主張はこの考え方よりもテレビ局よりといえる。そういう比較を抜きにすればMIAUは反テレビ局だが)。それどころか開き直りまた新しいもっともらしい理由を考え出した。「クリエイターが無能で良い作品を作ってないからだ」と。結局ニコ厨みたいな作品を軽視する奴らはクリエイターや作品のことは何にも考えてないのだ。本当に考えているのであれば自分たちの誤りを認め議論を発展させるべきだった。だがそうしなかった。奴らの本音は「アニメをただでみたい」それだけなのだ。だから自分たちの主張が崩されても反省しない。ただアニメを無料でみるためのもっともらしい主張を新しく作るだけだ。ニコ厨みたいな他人の創作物を軽視する奴らとは議論しても無駄だ。そこには何の建設的な議論は生まれないし、考えを改めさせるのも無理だ。この件で言えば「電通の中抜き」うんぬんはDVDを買わずフリーライドするための口実にしかすぎない。それが崩されてもまた新たな口実を作るだけだ。ニコ厨みたいに他人の創作物を軽視する奴になにをいっても無駄なのである。
都合よくフリーライドしてる奴は痛い目見ても文句言えないのは常なんで。
世代とか関係ないよ。これまでの世代は運が良かっただけ。君の世代は運が悪かっただけ。
だから卑怯者の自分は書くものを使い分けてる
ex.どこどこの店に食べに行ったらあんまり美味しくなかった
知らない人からリアクション欲しい 肯定的でも否定的でもいいけどそんなに議論したくない→2ch雑談板
ex.最近ようやくゲド戦記原作読んでジブリ版見た やっぱジブリひでえな!
知らない人からリアクション欲しい 一刀両断されてもうれしい→anond
自分でコントロールしてる 明らかにアンフェア 全部顕名で書けよな人には怒られるだろう
でもそれでいいと思ってる 無責任に受け流せるようにしておけばいいんだ
どのフェーズを選ぶかは情報の縦のつながりや横のつながりと天秤にかけて自分で選べばいい
全部オープンな自分のブログに書くというのはそのメリットとリスクを背負うことだ
もちろんうまくいったときだけ「これ自分が書いたんだよ!」と言ってしまうことは可能
でも改心の一撃を繰り出したときだけ自分の手柄にしたいなんてやっぱり傲慢だから
そこはトレードオフだ
でもなんていうかめんどくさいし疲れるんだよね
ニュー速+やはてぶネガティブコメントといった負のエネルギーはちょっとうらやましい
よくあんなに精力的にやれるものだと思う
自分は結局はてぶホッテントリにフリーライドしつつ情報はGmailに投げちゃってる
新しい価値産まないしタコツボ化に消極貢献してしまっていることはよく分かってる
でもなんていうかめんどくさいし疲れるんだよね
右上に市場の購入者表示が出てネタ切れか、とか思ったけどなんかすごい気もする。
販促になるから著作権侵害はやむを得ず、という意見に対して、ニコニコを見ている全員が潜在的な購入者じゃないから販促にはならないという反論や、そうした層はニコニコが無くてもどのみち購入者にはならにから実質的な損害にはならないという再反論があったりもするようだけれども。
ランキングを見ていると、そこには今までのCDや映画なんかではありえないようなスピードで変化するトレンドがあって、その中で多くの支持を集める作品もあり、集合的選択がものすごく活発に行われている場のように感じられる。まぁその批評眼が信頼に足るものなのかどうか、単なる一過性のブームに煽られやすい集合愚に過ぎない、と切って捨てることもできるかもしれないけど、それでもその選択の集積とミームの生存競争・進化の集成として見られるランキングの力は侮れない販促力を持つと思う。
例えば「運営と権利者に立ち向かう男」スパイダーマなんてどれだけ消されてるんだ、と思われる一方で、その消されること自体すらネタにもなって(「魔が潜む動画」には吹いた)、ニコニコ文化の一端に確かな位置を占めてるし、ン万円もするDVDボックスセットが多少なりとも売れていたりする。これをニコニコ市場から買っているということはこのニコニコ文化に浴している人が当然買ったものだろうし、ニコニコでブームにならなかったらこの人らは多分買ってないんじゃないだろうか。まぁだからといって本編全うp上等、とは言わない。
どうせMADの素材としてこれほどまでの存在感を示しながらも、購入者がたかだか数人ということは、やはりMADの素材として楽しむ層と本編DVDを買う層が別だということでもあるし、本編うpしたところでスパイダーマはそれほど人気が出ないんじゃないのかな。
大事なのは、素材として、あるいはネタとして楽しむ層と本編DVDを買う層は全然違うものであっても、両者はそれぞれにニコニコに参加しているということ。膨大な「ニコニコだけで楽しむ層」による面白い動画探しという選択過程の集積が日々移り変わるトレンドを形成して初めて「DVDにカネを出す層」のアテンションを引くに値する参照先になっている。
ようつべってこういうような、模倣・ネタの再生産から醸成される文化とか、その具現化としてのランキングとかどれぐらいあるものなんだろうか。ちょっと動画プールが広大すぎて、トレンドが見えにくい雰囲気。よく言われていることだけれども、コメントのオーバーラップは動画サイトでの文化形成に視聴者も参加できるようにする、という意味で秀逸なシステムなんだろう。(大半がほぼ、あるいは全く無意味であるとはいえ)数万コメントを一本の動画で集めたりするという現象は、ウェブページに対するソーシャルブックマーキング行為のものとはスケールが違う。
Web2.0なんかで集合知が説かれるのに対して、それとは違うものを追求する、というニコニコ宣言の本質は実際に他に類の無いシステムを作り出すことに成功している。ごく敷居の低いコメント行為(視聴者のニコニコ)、ネタの模倣・再生産による進化(表現者・二次創作者のニコニコ)、活発なランキング更新に見られるトレンド形成(時間の無い人でもニコニコ)、市場を通したリアル購買行為への接続(権利者のニコニコ)。
Appleならここで、DVDを売る必要なんて無い、と言い出すところだろうけれども、コレクター心性的にはDVDボックスというモノが大事だろう。DL販売はフリーライドと信者的購買行為の間の断絶を埋めるためのものであり、その中間項創出によってその文化・購買行為全体が活性化しうる、ということはiTMSであったように記憶している(ソース不明)
ついでに地上波で放映している分についての話も。修論を出した後に、リアルタイムに(放送時期的に)アニメでも見てみるか、と思い立って新番組紹介を見て、気を引かれたのを何本か見て、特に面白い一本を継続的に見るようにしてみた。幸いうちでその作品が放送されているチャンネルは受信できるし、レコーダーもあるけれども、ニコニコ的楽しみを求めてあくまでもニコニコで見る。その一本は今でも毎週放映日の夜にランキングに上がってくる。これは単に、ほかの作品は権利者削除が続いてうpが途絶えたためにすぎないかもしれないけれども、それだけでないとしたら、集合的選択行為の(僕にとっての)確かさを証し立てるものだろう。修論の提出期限が1ヶ月後だったとしても、「第5話になってもランキングに新放送回が乗り続けるということはきっと面白いんだろう」と判断して、過去の放送分を見て、それから視聴を始めるということが現実的な可能性として想定しうる。ニコニコの視聴者層とはあわないかもしれないけれども、このようについていき損ねたものにフォローアップしやすい枠組みは、(新放送を全部エアーチェックしたりとかできないような)時間が限られているときには特に便利だろう。
長すぎて読み返す気がしないけどポスト。
これは金持ちが権力を持つのが社会秩序の乱れになると日本では考えられているからだ。
地方の名士や豪族なんかが衰退したのも戦後の政府の戦略が公を奏したからだろう。
ただ、金持ちはそれだと納得しない。
なぜ俺が納めた金をおまえがさも自分のものかのように分配するのだと。
しかもその用途に納得がいかないことが増えてきた。
富の再分配と税の公平性を混同するのはおかしいのではないか?
同じだけの税を払っていないのならフリーライドがどうこういうのならわかるが、
”なぜ”フリーライドなどと非難されなければならないのだろうか?
レストランで同じ食事をして各自たべたものの分を支払しようと割り勘の時に、
食ってるものが同じなのにおごってもらってあたりまえなどという風潮は断じて許し難い。
金持ちが多く支払わないと割り勘の額が多くなるから?
でもあなただって、その分食っただろ?
おごってくれないのだったもっと質素なレストランにいけばよかった!!
もしそういうことをいいたいのだとしたら、それって、どんだけ浅ましい連中だよ・・・。
金持ちは金もってるんだから金をよこしてあたりまえだ!などという考え方は人々から働く意欲と意図を奪う。
全員が役人かのように国に奉仕するという形態は、現代の社会ではあまり成功していない。
かつての中国や北朝鮮、ロシアのように飯の時には前に仕事の時には後ろにいく人々だけになる。
公平性を唄う理想を語るだけならそれでもよいがそれを現実でオペレーションは、
現段階では時期ではないし、”実験”をするには日本という社会は成熟しすぎている。
金持ちも貧乏人も寄付による控除という機会の平等は与えられている。
多く稼いだ奴から多くとる仕組みだ。
多く稼ぐためには経費が必要となる。
会社には経費というものが認められている。
大きな設備を買えば複数年にわたり償却する必要がある。
寄付を人材育成のための設備投資経費と考えることがなぜできないのか?
年収が400万の人と、年収が1億とんで400万の人がいたとする。
実際、相続などで相続税などが払えず土地を売却すればこれくらいになる事もあるだろう。
現実的な数字だ。
年収が1億とんで400万の人の税金はいくらだろう?3500万程度か?
いや、前年度の収入から住民税などは計算されるので翌年も相応に税がかかる。
黙ってても徴収されてしまうのだったらどでんと地元なりに寄付して今年の年収を下げたほうが、
地元のためにもなるし、自分の身近な人たちのためにもなる。
そういう行為をする人を捕まえて君はフリーライドだというのかい?
あいつが山梨で寄付しなければ、高知に割り振られる地方公布がもっちょっとあったのに!みたいに??
なんて夢をみた。
ま、貧乏人なのでどうでもいい。
でも金持ちになったときにこんな寄進の求められ方したら頭きちゃうな。
しかし、その金をどう使うかという点に関しては、少しも簡単になったように感じられないのです。寄付控除は相変わらず厳しく、そして寄付先として認められている団体はお役所の息がかかっているところばかり。
そもそも原理的に言えば、寄付控除、というか簡単に言えば寄付したら税金が減るほうがおかしいんですよ。寄付って言うのはあくまで自己犠牲の精神でなされるもの。だからそれによって自分の利益になっちゃいけない。利益を得るのであれば寄付ではない。dankogaiが大好きなWikipediaにもこうある。
寄付(きふ)とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること。
Wikipedia税金が減るというのは自分の利益になる。だから寄付したら税金が減るという方がおかしい。寄付で税金減らなきゃ寄付できないという時点でそれは寄付じゃない。寄付の原理からいって寄付したら税金が減るほうがおかしい。
政策的に見てもおかしい。簡単に100人が住む村で考えよう。この村では5人の貧困者がいる。ほかの95人は慈悲深く自分の所得の1%づつ持ち合ってこの5人を救うことにした。このとき寄付金でその負担が減るとこの所得の再配分の効果が薄れる。仮に1億円稼ぐ人が5人、1000万円稼ぐ人が10人、500万円稼ぐ人が40人、300万円稼ぐ人が40人いたとする。このときすべての所得の合計は
100百万円 * 5 + 10百万円 * 10 + 5百万円 * 40 + 3百万円 * 40 = 920百万円
で、9億2000万円となる。従って5人の貧困者に配分される金額はその1%である920万円となる。しかしこの負担が寄付金によって減るとするとこの金額は減る。仮に1億円稼ぐ人が寄付をして納めるべき税金がなくなってしまうとすると、貧困者に配分される金額が100万円減ってしまう。ということはその寄付が所得の再配分に対し効果のあるものでない限り、そのぶん所得の再配分の効果が減る。政府の役割としては今後所得の再配分が重要になってくるので、これはよろしくない。また上記のような所得の再配分という観点だけでなく、政策による効果の享受という観点からもおかしい。この村は戦国時代くらいの村だったとする。これまでこの村では警備を行っていなかった。しかし最近盗賊団が発生し、治安が悪化していたとしよう。そこで村人の多数決を行い、警備員を雇うことにした。その費用は村人に課される税でまかなうことになった。このとき寄付で税金が減ると減った分だけ、フリーライドが生じる。警備員の雇用による治安向上というサービスの効用は村人全員が享受するのに、寄付によってその負担が減るからだ。政府も国防や警察などを行っている。高額所得者もそうしたサービスを享受し、そうしたサービスで実現されている経済環境で高額所得を得ているのだから、そのサービスの恩恵をほかの人よりも多く享受している。だから所得に応じて対価、つまり税金を支払うべきである。それを寄付で減ることになったら、その分だけフリーライドが生じる。従って所得の再配分の観点のみならず、サービスの享受という観点からも寄付金控除はよくない。
仮に選択納税制度を実現する手段として寄付金控除を認めるとしても、政策の選択なのだから寄付金控除を認める寄付先は必然的に「お役所の息がかかっているところ」になる。
百歩譲って選択納税制度として寄付金控除を利用するとし、かつ寄付先に「お役所の息がかかっているところ」以外に認めるとしても、寄付金控除を安易に認めたらそれこそ武富士のような市民感情にあわない租税回避を引き起こす。広範囲な寄付先を認める場合でも寄付金控除は厳しくなる。
寄付したら税金減るほうがおかしいし、仮に一万歩譲って寄付金控除を認めるとしても寄付先は「お役所の息がかかっているところ」に限定されるか寄付金控除の条件が厳しくなる。
これらのカバー曲の演奏は、権利者の権利を侵害するフリーライド*2行為であるとされている。演奏を入力する、自分で楽しむ、誰にも聞かせないのであれば、それは違法行為にはならない。(たぶん)だが、誰かに成果を確認して貰うと、それは違法行為になる。人前で歌うなということだ。
公開練習は違法ですネットに限ればいってることは正しい。しかし練習であればネットにあげない限りは合法だ。非営利であれば著作権法38条で著作権が制限されるので合法になる。練習はもちろん非営利活動であるので、著作権を侵害しないことになる。よってネットにあげない限り歌の練習は合法だ。もしかしてこの記事を書いた人間は学校が音楽の練習のためJASRACと契約を結んでると考えているんだろうか?いいかげん非営利である限りは歌を歌うのはネットにあげない限り、自由だというのが広まってくれねーかな。上のような人間は誕生日に歌を歌ったたり、口笛吹いたりしただけでJASRACがくるなんて馬鹿なことを信じてるんだろうな。で、きっとこういうやつは練習してもJASRACに訴えられないのはJASRACが見逃してるからとでも思ってるんだろう。こうした馬鹿なやつらのせいで「非営利で歌を歌っても違法とならないのに、ネットにあげたとたん非営利でも違法となる」という変な状況があるってことが認知されないんだよな。