はてなキーワード: ソウルオリンピックとは
金メダルを噛むパフォーマンスを誰が最初に行ったかについては諸説あるが、そのなかで最も有力とされているのは、1988年ソウルオリンピックの時、競泳男子200メートル自由形で優勝したオーストラリア代表選手ダンカン・ジョン・アームストロング (en)、その人である[7]。理由についての詳細は不明ながら、一説には「金メダルが本物の金で出来ているか確かめようとした」という[7]。
chew a gold medal
金メダルを獲得した選手が、手にしたメダルを噛かんでみせたり噛むジェスチャーをするというパフォーマンスがある[7]。これは、20世紀の終わり頃から見られるようになった[7]。米CNNTV(電子版)はメダルをかむしぐさは「喜びに満ちた選手の象徴的な光景」と指摘し、専門家による「メディアを満足させようとする努力」との分析を紹介した[8]。
wikipediaより。
パッとやったほうが視聴率取れるのかもしれないけどさぁ。
今回のやつやるかやらんかわからんけど、次からとか半年かけてダラダラやるタイプも検討して見て欲しい。
そしたら選手村とか要らないし、そんなに一気に海外から人が押し寄せ
まで書いて、あーそっか、普通に考えたら観光客が一気に来るみたいな効果が必要なのかとは思った。
オリンピックって、特定の種目にそんなに興味があるわけでもなく、オリンピックだからって海外まで見に行く人に支えられてるんかね?
例えば増田だったら、オリンピック期間が半年で、サッカーは結構見たくて、サッカーと卓球がほぼ同時開催してたら卓球も見れてラッキー、あとは適当に観光しよ! ってなるし、
そういうスタイルだったら、観光客向けのイベントとかで色々集客できるのを半年続けられるわけだから経済効果は今までどおり開催するよりも高くなりそうなんだけどなぁ。
特定の種目が見たい! じゃなくて、オリンピックだからほどほどに興味ある種目を満遍なく見たい勢がどれだけの%を占めてるのか知りたい。
そういえば増田は、ソウルオリンピックの時に近くでやるんだからって家族で韓国旅行行ったけど、
行きはフェリーでソウルでもなんでもないところに着いて(釜山港だっけ)、観光しつつソウルに移動して、でも事前にチケット取ってなかったから、
飛び込みみたいな感じで家族四人で見れる競技なんてそんなに人気ない競技で(とは言いつつ多分体育館みたいなとこでバレーボールかなんか見た。当時は不人気スポーツだと思ってた)、
なんか陸上はスタジアム広いからなのかダフ屋から買えたのか、100m決勝見た想い出があるな。
ちなみに、あの世界最速のベンジョンソンを見たっていう自慢が、ドーピングの件で、笑い話になったのは未だに親父の鉄板ネタだ。(受けはしない)
・物心ついた頃には、耳掃除で右耳左耳で聞こえる音が違うことに気がついていたが、右が先天性か1才未満で完全に失聴していると分かったのが20才。就学時健診は「多分ルールがわかっていないんだと思う」学校のは不運にも病欠してた。
・保育園に鼻水垂らして廊下をふらふら歩いてる子がいるとか、足が変な方向に曲がってる子がいるなあと思っていたが、それを障害(者・児)と呼ぶと知ったのが小1。
・本来読まないような読み方の、変わった名前の同級生がいるなあと思ってたけど、小4の時ソウルオリンピックがあるまでその子が韓国人なことがわからなかった。
・中1の入学式で小学校の同級生がいない理由を人に聞くまで、小中学校にも私立があるのを知らなかった。
・とある高校に行きたいと小学生の頃から思っていたので、自分が住む市内も含めて、他の高校の名前と場所を一切知らないまま志望校に入ったので今も知らない。
・同和問題は小学生の時学校で教わったが、自分の市にあるのは知らなかった。どうもみんなは知ってるらしいと気付くのは成人してから。
日本の現状について見て頂きたい。
その国では、鉄道がBART・新幹線の時代からやがてTGV、そしてリニアモーターへと時代が移り変わる時でも国民を超古典的ルールでガチガチに固める様な事が行われ、E235系が山手線に集中配備されて2年後にようやく廃止されるのだ…
日本のバカどもは外国の常識のことをスルーして平然と19世紀、20世紀を続けてきた。ソビエトですら21世紀になる9年前に民主化されたというのに…
2020年現在の日本は民主暦2年、帝国暦は2679年続いてたと言ってもおかしくありません。
1980年の光州暴動は2011年の東日本大震災、1980年代の学生運動は2016年の熊本地震をも連想させる。2018年もしくは2019年のXデーはまさに韓国民主化の1987年になるのではないか。そうすると2020年の東京オリンピックは新時代最初の日本のイベントとなる。(日本の国名すら変わっているかもしれないが)
東日本大震災と熊本地震と2016年8月8日で旧日本(今の日本国)から新日本への移行の機運が高まった。
本当にこれはどうにかしたほうがいいと思う。新しい時代が目の前に迫っていることを。
ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議するために、日本はアメリカに同調してボイコットした・・・などという背景は何にも分かっていなかったが、
とにかくソ連はひどい国なので日本は参加しないことにした、というのは、なんとなく分かっていた。
「いやなものを拒否することをボイコットというのだ」ということを知った自分は、
晩飯の嫌いなおかずをボイコットしたり、全員集合のエンディングで加トちゃんが「風呂、入れよ!」と呼びかけているにもかかわらず、
風呂に入るのをボイコットして母親を困らせたりしていた・・・らしい。
大会マスコットのイーグル・サムのアニメは、自分の周りはみんな見ていた。
たしか、一年くらい放映されていて、「イーグル・サムはロス・オリンピックの公式キャラクターです」というのも喧伝されていたから、
子供たちに「今度オリンピックがある」ということをうえつけるのに、実に効果的なやり方だったと思う。
今とちがって、ネットはおろか、ファミコンがようやく発売されたころで、家庭用ビデオも普及途中、
(アニメの主題歌を歌ったメンバーの中に、後に光GENJIになる内海と大澤がいた、というのは、
かなり後になってから知った)
コカコーラのキャンペーンでもらえるイーグル・サムのヨーヨーがブームで、自分もほしかったけれど、
なかなか子供にコーラなど飲ませない家庭だったので、結局手に入らなかった。
実は、大スポンサーを活用した商業オリンピックが始まったのは、この大会だと、大人になってから知った。
そういえば、聖火ランナーの権利が売りに出されて、日本のテレビ局の金で郷ひろみが走ったような記憶がある。
開会式は、記憶の中ではすごく華やかで、とくに「ロケットマン」に大興奮した。
背中に噴射装置を背負った男性が会場をとんだ、というだけの演出で、今の時代ならばそんなに驚かないのだろうが、当時は衝撃的だった。
人が飛んで驚いた記憶といえば、このロケットマンと、はじめて宙乗りやったときの小林幸子だ。
まあ、プロジェクトマッピングなんて想像もしなかったし、今見れば、地味な開会式だったんだろうが。
大韓航空機爆破事件の実行犯、蜂谷真由美こと金賢姫が、自殺防止のために口にテープをはられ、両脇を抱えられて飛行機からタラップでおろされる映像は、
鮮明に覚えている。
あれが、北朝鮮がソウルオリンピックを妨害するための事件だったというのを知ったのは、あの映像を見る前だったのか、後だったのかはよく覚えてない。
12年ぶりに、東西両陣営がボイコットなしに集まったってことで盛り上がって、たしかロスでは140くらいだった参加国が160くらいに増えていたはず。
(いまや参加国・地域は200を越えるんだから、これまた隔世の感だが)
開会式では、聖火台にとまったハトがそのまま焼死してしまったのが話題になった。
昔は、屋外の式典なんかで、よく本物のハトをいっせいに飛ばす演出があったもんだが、たぶん、これを契機にあまりやらなくなった。
今、いっせいに飛び立つハトが見られるのは、ハトヤホテルくらいか。
バルセロナがカタルーニャ州というところにあって、スペイン語とは別に、カタルーニャ語というのが使われているのを知った。
あの、アーチェリーの矢の先に火をつけて、その矢を放って聖火をつけるという演出は、その後も含めて歴代最高だと思う。
そりゃ、大スポンサー・コカコーラの本社があるからアトランタなんでしょ? 近代オリンピック100周年だから、アテネのほうがふさわしいのに、という解説をよく聞いた。
会期中にオリンピックパークで爆破事件があり、結構な数の死傷者が出た。
当時は「爆破事件」といっていて、あんまり「爆弾テロ」という表現はしなかった気がする。まあ、いまのISのテロみたいな脅威はみんな感じてなかったし。
日本選手団の衣装が虹色だったんだけど、なんだかLGBTの社会運動でよく使われるレインボーフラッグの色合いに似ていて、
「なんだ?日本の選手団はみんなゲイなのか?と海外の人たちが驚いている」というような報道があった。
レインボーフラッグにそういう意味合いがあること自体を知らない日本人が多かったと思うけど。自分も含めて。
LGBTとかセクマイって言葉も、ほとんど一般には使われてなかったし。
閉会式では、ドラァグ・クイーンを題材にしたオーストラリア映画『プリシラ』の登場人物の扮装した人たちがパレードしていて
実況担当だった、若かりしころの有働アナウンサーが「えーっと、このかたがたはみんな、男性なんですよね!」と、
言葉を選びつつ興奮気味に話していたことを、妙によく覚えている。
今回のリオ同様、直前まで「あの工事が終わってない」「ここが不完全」という報道がよくでていて、「大丈夫か?ギリシア」と思っていたが
まさか、その後あんなふうに「大丈夫じゃない」状態に陥るとは、さすがに誰も思っていなかった。
リオの開会式での最終ランナーが、この大会のときに、飛び出してきた男に邪魔されたマラソンランナーだったことは、
世界各地を経由して行われた聖火リレーで、チベットを弾圧する中国政府への抗議が頻発。
日本でも善光寺が出発場所になるのを拒否したり、応援する中国人と抗議する人が騒然とする仲で、
聖火ランナーだった萩本欽一に卵がぶつけられたのは覚えている。
たしか、スピルバーグも、抗議のために、開会式のアドバイザーかなんかを降りたんじゃなかったっけ?
開会式で久しぶりにMr.ビーン(ローワン・アトキンソン)の姿を見たのが懐かしかった。
男子サッカーで、韓国人選手が「独島はわが領土」とかなんとか、旗を掲げて、表彰式の参加を拒否されてた。
こうしてみると、なんだかんだやっぱり時代の政治・経済状況が忍び込んでくるのだなあと思う。
今回のリオは、とりあえず「開会式がいかにも予算なさげな割によかった」「選手が強盗にあったり、やっぱり治安が悪かった」「プールが緑色に」あたりは確実に記憶に残りそうだが、
残りの期間は無事に終わってほしい。
まあ、あんまりISのテロリストとかは、活動しなさそうな地域ではあるが。
多分、オリンピック史上最悪の事件はミュンヘンの例のやつなのだろうが、さすがに、まだこの世に影も形も無かった時代のことなのでよく分からない。
菊地成孔が「5 時に夢中」って番組で、「オリンピックでキム・ヨナが銀メダルだったことに怒る韓国人」
みたいな話題でトークしてたんだけど、その中で
韓国人は日常的に憤死するとかなんとかって言ってたんだよ。本当かよ。
そもそも憤死って正式な死因なわけ?
俺、大久保に住んでたから韓国人の友達多いからどうのこうのって
いっただけど、まるでゲイの友達をファッションにして、偏見丸出して自慢するやつ
みたいでキモかった。
文字起こし見つけた↓
(ナレーション)今回も様々な感動を呼んだソチオリンピック。中でも注目を集めたフィギュアスケート女子では、地元ロシアのアデリナ・ソトニコワ選手が金メダルを獲得しました。しかし、韓国のキム・ヨナ選手が銀メダルに終わった結果に対して韓国民が激怒。採点の見直しと判定の調査を求める署名が150万人を超えたそうですが、菊地さんはこの話題、どう見ていますか?
(町亞聖)はい。ということで、150万人の署名が集まったということなんですけども。
(菊地成孔)大韓民国の人口は日本の約半分ですので、単純計算をすると日本だと300万人の署名が集まった計算に。単純計算だとなりますけど。とはいえ、大韓民国の方は大雑把な国民性として日本人の倍以上憤られるので。やっぱり数は元に戻したほうがいいかなっていう気もするぐらいですよね。昨日今日始まったことじゃなくて、ソウルオリンピックのたしかボクシングだと思うんですけど。判定に文句があったって時に、セコンドだけじゃなくて観客までリングインした騒ぎがあって。非常に、そういうことは普通にされる・・・私は歌舞伎町、歌舞伎町と言われますけど、実は大久保に住んでいたので。
(町亞聖)あ、そうなんですか。
(菊地成孔)リトルコリアに10年住んでましたし、韓国人の友達もたくさんいます。彼らは普通に日常的に憤死したりする人たちなんで。日本人でいま、憤死者、いないですよね。
(町亞聖)あることに憤って?
(菊地成孔)ワールドカップの結果が出ては、何人かは亡くなってますね。憤死で。
(ミッツ・マングローブ)すごい。血気盛んね。
(町亞聖)興奮しすぎて?
(2014 年 3 月 21 日
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
何やらはてなで在日が話題になっているようなので、便乗してみる。
私も在日であった。そして、割と成長するまで自分が朝鮮人だという事を知らなかった口である。でも、通名を使用していなかったので自分が外国人だという事は知っていた。どういう事なのかというと、私は自分の事を中国人だと考えており、朝鮮人だとは思っていなかったのである。おそらく、友人も自分を中国人だと思っていたと思う。
何せ名字が「李」で(ちなみに、自分の名前は日本式だった。例だけど、李 一郎みたいな感じ)、周りで外国人と言えば中国人、朝鮮人は一人もいなかった。さらに、我が家の稼業はラーメン屋だった。これで中国人じゃないなんて、ギャグとしか思えない。
朝鮮人だと知ったのは、おそらく中学に入った頃だと思う。どうしてなのか、きっかけは忘れたが、親に「我が家は中国人なのか」と聞いて、帰ってきた答えが「いや、朝鮮だよ」だったのだけは覚えている。その時に思ったのは、驚きよりも「朝鮮ってどこ?」だった。
当時はまだ小泉純一郎も首相になっていない時代だったので、ニュースに興味もなく成績も学校で下の方だった中学生にとって、朝鮮というのは未知の国でしかなかった。韓国の北だよ、と言われてようやく分かった(当時はソウルオリンピックが開催されていたので、さすがに韓国くらいは知っていた。大韓航空機爆破事件も知らなかったほど、当時の自分はニュースに興味がなかった)
そんな感じだったので、朝鮮人だと分かった後も、自分が朝鮮人だと気にする事は無かった。中国人だとの意識も抜けなかった。周りに朝鮮人が一人もいないのだから、朝鮮学校なんて物もなく、私は小学校から短大まで、日本の学校に通った。名字が珍しい事以外、差別をされた経験もなければ、在日だからと同情された事もなかったので、朝鮮人と強烈に意識する事は皆無だった。
家ではキムチが出た記憶が無く、おそらくは他の日本人と同様の食生活だったと思う。休日の昼は必ず餃子とラーメンだったのはご愛敬だけど。親からも、朝鮮人の誇りだとか、金日成の話なんて聞いた事はなかった。今思えば、不自然なくらい、朝鮮の匂いなんて物が無かった家だったと思う。親戚付き合いも皆無と言って良く、自分は祖父母以外に親戚に会った事がない。聞けば、祖父母には兄弟がいたらしいけど、朝鮮戦争のごたごたで亡くなったらしい。
朝鮮人だと強烈に意識したのは、拉致問題だったかな。社会人になっていたけど、相変わらず一部の人(例えば、勤め先の社長とか)以外、私を朝鮮人だと知る人はいなかった。私が、積極的に朝鮮人だと言う事がなかったからだ。何せ、朝鮮人だと言ったところで、朝鮮半島の事なんか、韓国の首都がソウル、北朝鮮の首都は平壌だという事くらいしか知らないのだ。
ただ、通名は使用してなかったので、周りは自分の事を中国人だと思っていた。自分自身、中国語も喋れないが、中国人だとは思う事はあっても、朝鮮人だと思う事はなかった(本気で中国人だと思ったわけではなく、中国人という単語を「外国の人間」という感じで使っていた)。だから、拉致の時も、私は何も言われなかったが、私自身が自分の国籍を気持ち悪いと思った。こんな野蛮な連中と、同一の民族に思われたらかなわない。そう思い、とっとと帰化してしまおうと思った。
こういうと、ひょっとしたら「日本は昔野蛮だっただろう」と言う人もいそうだけど、その時に私は生まれていないのだから、その辺の事は個人的に「どうでも良い」事だ。正直、六十年も前の事をいまさら蒸し返すのは、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
だいたい、親の代から日本に住んで、日本語をしゃべり、日本の会社に務めているのに、日本国籍を持っていないなんて、どうにも不自然で仕方がない。正直、日本が好きか嫌いか以前の問題だった。帰化に関しては、ぶっちゃけ拉致発覚以前から考えていた事だったけど、拉致問題で踏ん切りがついた。
書類が集まらなくてやたら時間がかかったけど、取り敢えず拉致発覚の1年半後くらいに日本に帰化した。名前はそのまま。苦労した割にあまり「日本人になった」という達成感も実感はなく、金がかかって損した気分にもなったが(だって、何も変わってないのにお金は数十万円もかかったんだぞ)、現在私は日本人である。
私の家は、通名を使用していなかったので、外国人だとは知っていたが、在日朝鮮人ではなく中国人だと思っていた事は先述した通りである。そして、以降も朝鮮人としての自我は、全く芽生えなかった。ひょっとしたら、差別をされたら、逆に朝鮮人としての意識も出てきただろう。だけど、幸運な事に、私はそういう機会がほとんどなかった。
ただ、自分が自分を朝鮮人だと思えなかった最大の理由は、それは、我が家に朝鮮との繋がりを示す物が殆ど無かったからだと思う。前にも書いたが、キムチをはじめ、朝鮮の料理すら殆ど食卓には無かったのである。せめて、誰か親戚でもいれば朝鮮人としての意識も育っていたかもしれないが、これも無かった。これは、以下のような理由らしい。
先にも言ったように、祖父母は命からがら朝鮮戦争から逃れてきたらしく、親戚一同は皆殺しになったらしい。
曲がりなりにも同胞に家族を殺されたせいなのか、祖父母は朝鮮に関係する物を意識して遠ざけるようになったらしい。我が家が妙に朝鮮の匂いがしなかったのは、祖父母の教育のせいらしい。殺された親や兄弟の為に、「李」という名字は残しつつ、子や孫(つまり、私や、私の父)には日本名を付けていた。祖父母の話では、日本では意外な事に差別らしい差別を受けなかったらしい。
言い忘れていたけど、ここでいう祖父母は父方の方である。母方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなったので、会ったことがない。ただ、聞いた話では、母方の祖父母は父方の方と違って、かなり差別を受けたらしく、意識して日本人と同化しようとしていた家のようだ(母は、例え話として太平洋戦争の時、日系アメリカ人が自分達への差別を無くそうと積極的に米軍に志願したり、アメリカ文化に同化しようとしたのと同じだと言っている)。そのため、親戚からは白い目で見られるようになってしまった。母方の親戚は父方と違って何人か日本にいるらしいのだけど、全く付き合いが無くなってしまった。そして、母親も普通の日本人と殆ど変わらない人間となったのである。ちなみに、母の家は日本に同化しようとしたのに日本国籍ではないのだけど、単純に金がなかったかららしい。母方の祖父母は、晩年かなり身体を壊しており、治療費がかなりかかっていたらしく、帰化費用も惜しかったのだとか。
まあ、こうして、我が家は朝鮮人の家系でありながら、私は朝鮮人としての意識が皆無の人間として育った訳である。
今でも日本人かと問われたら、何となく違和感があるけど(子供の頃は、中国人だと思っていたわけだし)、少なくとも朝鮮人だと聞かれたら、はっきりと首を横に振れる。
ここまで長い文章書いて、何か意味があるのかなとも自分で思ってしまったけど、まあこういう朝鮮人としての意識を最近まで全く持っていなかった在日もいるということで。