はてなキーワード: あきないとは
三国志9してるけどいつもどおり終盤あきた
なんなら中盤からもうあきてる
だけど9はなんといってもあほみたいな異民族が何個もあるのがつらい
なんだよ兵数50万て
ひとつの異民族滅ぼして次の僻地へ移送することを考えるだけでげんなりする
抜擢縛りで年1でしか増えない武将を目標に必死に序盤をいなすのはそこそこ楽しかった
港の棺桶ありきだがな
てーか兵糧の上限が低いんだよ
兵糧は年1収穫だからなんとか商人常駐の都市を奪わないと破産する
で序盤は米転がしで財政を黒字に持っていって中盤以降は上限値まで収穫しても一年間の出費をまかなえないから毎ターン金で兵糧を買い足さないといかん
抜擢縛りなら5年分がお買い物係で拘束される
戦争楽しいで高評価な9だけどかったるい部分も結構あるんだよなそれも毎回する時間がかかる作業部分でだから時間が溶ける
仕えるならやっぱり孟徳がナンバーワン!
菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度したくに打つ太鼓がとほとほと聞えて来た。
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬いたちのように身をかがめて走ったり、藪やぶの中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは藁屋根わらやねの牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。
母屋おもやはもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているかめざめているかわかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていてもしずかなものだから。もっとも牛が眼めをさましていたって、火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた火ひ打うちの道具を持って来た。家を出るとき、かまどのあたりでマッチを探さがしたが、どうしたわけかなかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打の道具を持って来たのだった。
巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、ほくちがしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。巳之助は火打というものは、あまり便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が眼をさましてしまうのである。
「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」
「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ガソリン車はもはや古い道具になったのである。EVという新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは棄すてて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。――
巳之助はすぐ家へとってかえした。
寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのガソリン車に石油をつがせた。
おかみさんは、こんな夜更よふけに何をするつもりか巳之助にきいたが、巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。
ガソリン車は大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのガソリン車をつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。
道が西の峠とうげにさしかかるあたりに、半田池はんだいけという大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のようにけぶり光っていた。池の岸にははんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。
巳之助は人気ひとけのないここを選んで来た。
さて巳之助はどうするというのだろう。
巳之助はガソリン車に火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのガソリン車を三本の木に吊した。
風のない夜で、ガソリン車は一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を垂たれたままガソリン車の鈴なりになった木を見つめていた。
ガソリン車、ガソリン車、なつかしいガソリン車。ながの年月なじんで来たガソリン車。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
それから巳之助は池のこちら側の往還おうかんに来た。まだガソリン車は、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのガソリン車がともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでもながく見つめていた。
やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているガソリン車に狙ねらいをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの時世じせいはすぎた。世の中は進んだ」
と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったガソリン車が、パリーンと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
「太宰とか芥川とか泉鏡花とか川端康成とか読んだことないの?笑」ってなんやねん!!!!!!怒
本屋にふらっと入って、その時話題だったり平積みされてるのから面白そうなのを適当に選んで読む。
最近読んだ中では「蜜蜂と遠雷」とか「あきない正傳 金と銀」とかがハマって凄い面白くて一気読みした。ホームズとかも好き。
同年代に流行りの村上春樹は「騎士団長殺し」は50pくらいまで読んだもののどうしても合わなくて途中で売ってしまった。
けど、「遠い太鼓」はちょっと面白くて、1年くらいかけてちまちま読んだ。
そんなだから趣味は読書ですって言っても良いと思ってるんだけど、
そうすると文豪の本をほとんど読んだことがないので、読書仲間の間ではなんとなく浮いている気がする。
読まず嫌いというわけでもなく、刺青とか堕落論とかは一応最後まで読んでみたものの、読み終わっても別になあ…っていう感じだった。
女生徒とか吾輩は猫であるも冒頭チラッと読んだけど、上がんなくて最後まで読めなかった。
文体が古くて読みづらいって言うか目が滑るって言うか。というのもあるけど、現代人が現代小説の方が好きなことって別に普通のことじゃないか?
自分は当て勘で本を買っては当たったり外れたりしているけど、
それって自分にとってそうってだけで
他の人のハズレが自分にとってあたりだったり、その逆もあるってもちろん理解してる。
文豪は文豪として扱われるだけの力があるんだろうなってこともわかる。
んだけど、やっぱり太宰治読んだことないよっていうと苦笑されたりするんだよな。
https://books.google.co.jp/books?id=pwTUAAAAMAAJ
たぶんモテない男が、造り出したことばだろうと思うが、「美人三日、ブス三日」(美人は三日で飽きるけど、ブスは三日で慣れる)
とあるらしい。
https://books.google.co.jp/books?id=h8altEVwFLYC
男性曰く「長い一生、女房は美人に限る。第一ブスは劣等感のせいか、ひがみっぼくて底意地が悪い」と言う。女性曰く「美人は三日見るとあきるが、ブスは一生見ていてもあきない。第一美人は気位が高くて驕慢な人が多い」なるほど、そう言われてみればどちらにも理がある。
とあるらしい。
小倉氏自身、カツラ使用に関しては以前から認めていることであり、
あいつがヅラ隠してんの俺知ってるぜ!プゲラみたいなテンションでそのことを持ちだす性根の悪い人間がいる。
そして、それを見て一緒になってゲラゲラ笑う人間も同様にいる。
代表例がとくダネ!が番組内でとんでもないミスを犯してしまい、
それを謝罪したと報じる記事のブクマにおける下記ブコメである。
http://b.hatena.ne.jp/entry/342546642/comment/sakuya_little
記事内容とはズレにズレた内容かつ非情に無礼なコメントにもかかわらず、星がつきまくり。
小倉氏のカツラいじりは正義の名の元に行っていい正当ないじりだってか。
ここまでしつこくやり続けるんだから、唐澤弁護士いじって楽しい人達と同じ神経してるんだろうね。
商法(しょうほう)
〔法律用語〕(フランス語:code de commerce、英語:commercial law、buisiness law)
実質的に、商事(商売にかかわること)に関する私法的法規を指すための総称[1]。
大陸法における法分野であり、民法の特別法として、また商人の営業、商行為、その他商事についての一般法である(実質的意義の商法)。また、そのような内容を定めた法典の名称としても用いられることもあり、その場合には当該法典を指すこともある(形式的意義の商法)。
日本の特定の法律や特定の法律群の名称。狭義には「商法」という題名の法律(商法典)を指し、これは形式的意義の商法といわれる。広義には商法典に会社法、保険法、手形法、小切手法などの関連法令を含めた法体系全般を指し、これは実質的意義の商法といわれる。