はてなキーワード: 知性的とは
俺がカントの考えが重要だと感じた原因の一つには、幻覚、妄想、感覚異常が伴うという狭い意味での精神病的な状態になったことがあり、
その記憶が残っていて、そのときの行動を恥じており、そのような状態に二度と陥りたくはないと思っているからってのもあったかもしれん。
たとえば、人間の知性的直観の否定という考えは、精神病状態での啓示を受けた感じを警戒する態度によって腑に落ちる感じがしたのかもしれない。
また、体系的な精神病的な妄想を警戒する態度があったからこそ、理性批判が重要だと感じたのかもしれない。
カントの考えには精神科の薬みたいなところがあるのかもしれん。
わたしは20年くらい前に小劇場に出るような劇団員をやっていた
お友達劇団だったので演劇のクオリティは高くはないけど、みんなでわいわいやるのが楽しかった
座長のワンマン劇団といっても過言ではなく、彼女のための劇団だった
その監督は他にも何人も女がいるらしく「今度の舞台に何番目かの恋人と来るらしい」と通達があった
私は知っている声優さんだったけど、監督も声優さんも一般人には特に有名ではなかったので騒がれることはなかった
当時はTwitterもなかったし
声優さんの他にも監督に恋人は何人もいて、うちの座長と監督との関係をしっている他の何番目かの恋人から嫌がらせを受けることもあったらしい
座長が話すその監督のエピソードはなんとなく可愛らしく、嫌々付き合っているという感じはなかった
その監督自体才能がある人だから話を聞いたら面白かったりするのだろう
高圧的な態度の人って恋人と一緒の時は甘えん坊だったりするからそっち系の人なのかなと思った
監督と関係を持ったことで、小さな劇団のチラシに一言その監督のコメントがついた
なんとなく箔がついた
有名監督から注目されている劇団、のような印象がチラシから読み取れた
それだけで、動員に違いがあったりはしない
20年前でその状態で今までそのスタイルでずっとやってきたならそれこそ監督が関係を持った女優はめちゃくちゃたくさんいるんだろうなと思う
とはいえ思い出は20年前なので、その後監督もエスカレートしていったのかもしれない
ネットニュースで読む限りは悪行の内容はなかなか生々しい
あまり騒ぎ過ぎてくれるな、と思っている女優さんもいるんじゃないかな
グラドルとしては中堅クラス上位くらいの人気かなと思いますが、豊満な肉体と知性的な笑顔が魅力的なタレントさんです。
彼女には、意外な、と言っては失礼かもしれませんが、ある趣味があります。
それが、模型。
彼女のYouTubeチャンネルは、彼女が胸の谷間もあらわに模型を制作するコンテンツが人気です。
そう言うと、「はいはい、立派なのはおっぱいだけで内容のほうはお粗末な例のタイプね」と思うかもしれませんが、いえいえ、なかなかどうして、内容の方もずいぶんしっかりしたものだと思います。わかりませんけど。と言いますのもわたくしプラモデル界隈には疎くて、うっかりと「この子はスゲー」などとは申し上げらませんもので。
で、まあ、ここまでは前置きなんです。長くてすみません。
グラドルとして東雲うみサンが好きな人は、彼女がちまちまプラモデルを作っている動画を見ても、あまり感銘は受けないと思います。
そんな動画を撮影してるヒマがあったらもう一枚か二枚服を脱げと思う人がほとんどでしょう。本業のグラビア作品では、胸の開いたニットなんかよりももっとずっとセクシーな格好をしているわけですからね。
しかし今日わたくしは、東雲うみサンの本業のグラビア動画を鑑賞していて、自分が名状しがたい興奮を覚えていることに気づいたんです。
そうです。純粋に模型作りのプロセスを楽しむ目的で東雲うみサンのYouTube動画を見ているうちに、いつの間にか私の中で東雲うみサンは「グラマーな女性モデラー」という位置づけになってしまっていたのです。
本業グラビアでの東雲うみサンは、およそ「グラマーな女性モデラー」がカメラの前ですべきでないような、まあ、あられもないと言いますか、えー、きわどい肢体表現を、その、なさっているわけです。
もちろん、中堅グラドルとしては過激すぎも穏便すぎもせず、商業的にバランスの取れた演出や露出なのですが、「模型のお姉さん」という目で見るといささか過激すぎるのです。激しすぎることを過激と言うのですから「過激すぎる」は重複表現なのかもしれませんが、そんなことは気にしておりません。
なるほど、こういう楽しみ方があったのか、と膝を叩く思いでございました。すべては見る側の気の持ちようなのだと。
というつまらない報告でしたが、わたくし個人のちょっとした心の機微をどこでもいいから書き留めておきたく、拙文をしたためた次第です。
失礼しました。
http://tsigeto.info/2001/writing/aoyagi2.pdf
村上( 1987:III117-120)は、例としてヨーロッパの支配階級における服装の変遷を挙げ
ている。男性の装飾は上半身、女性の装飾は下半身に集中するという対照的な歴史的傾向
が見られるのだ。男性は上半身は着膨れしても、足はぴったりした股引で活動性を保った。
女性の場合は、男性の欲望を満たすため飾るのだから、細いウエストと大きなスカートと
いう非常に動きにくい服であっても受け入れざるをえなかった。村上は明示していないが、
小川(1981:243-244)によれば、この対照的な服装の傾向は西欧中世後半(15 世紀)か
ら近世(19 世紀中期)にかけて顕著だったという。
一方、駒尺(1985:198-206)は現代のスカートの特徴を通して男性優位社会を分析し
ている。第一にスカートは無防備で動きにくい。これは服従の表示であり、媚態・誘いの
表示でもある。第二にロングスカート以外は露出性が高い。「女の足=見せ物」という(男
性の)意識が社会一般に広がっているためである。つまり、女性はスカートを通して貞節
と煽情性という相反するものを男性から求められているという。ヨーロッパにおいて男性
つまり、「スカートを好んで穿く女性」というのは男性の都合の良い妄想でしかなく、それを主張する女性は名誉男性だけ。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2010/11/post-223.php
世界には多くの異なった価値観があって、強めの価値観から見ると日本では「当たり前」のことが全く別の評価になる、そのことに気づいていないというのも問題です。例えば、女性が動きづらい「十二単」は、現代の価値観からは「コルセットや纏足」と同列の女性蔑視に見えてしまいます。
これは私の中学時代の恩師(女性)から教わったことなのでソースはないが、「十二単」や、「髪の長い女性が美しい」という価値観は、「コルセットや纏足」と同様に女性を支配する構造であったとの見方があるらしい。
つまり、「好んで髪を伸ばす女性」というのは男性の都合の良い妄想でしかなく、それを主張する女性は名誉男性だけ。
あーバカバカしい。
あ、「そういう見方がある」ことそれ自体は興味深いと思うので、その辺の議論すら否定したがる一部反フェミの反知性的な側面に味方する気はないので悪しからず。