はてなキーワード: 理解力とは
ほぼ中卒だと書いたのは嘘だ。一応高校と専門学校(2年制)出てる。
ただ、高校の授業はほとんど受けておらず、赤点ばっかりだった。
専門学校は、コンピュータのところ行ったけど、基本的なこと習うだけで、あんまり数学数学してなかった。
情報処理の試験で計算は色々出てきたけど、log? ってやつ以外は中学数学でなんとかなった(気がする。中学数学の成績は良かった
文系理系って分けるのもよくないことかもしれないが、ほとんどの人って、文系系の浅い知識でやってける仕事に就くのではないだろうか。
文系でも深くなると数学絡んでくるよ~ってのは間違いないとは思うが、そんなジャンルに進むのは一部のエリートだ。
金融だけ重点的に……っていうのも違う気がするけど、深い知識を得る能力(理解力とか努力とか)がない人が過半数以上は居る現状では、生活にほんとに役立つ知識を浅くでもいいから植え付けておくみたいなのが必要じゃないか、金融って限って言ってしまうと違う気がするけど
ほんとは、家庭環境とか貧富の差が成績に影響しないような学校的な何かを設置して、初めは広く浅く教えて、早い段階で興味を持った分野の比重増やしつつも、いつでも方向転換できるように、受け皿を広げるだけ広げれたらよいのだろうけど
子供の時間も有限だし、なにもかものリソースが足りてなさすぎる
現実解としては、数学や理科系ちょびっと削って、文系でもわかって将来にちょっと役立つ経済系のなにかを教えるのがよいのではないかと思う(削り方によっては似非科学信者増やすから難しいけど、そういう人らって教えても理解できないか忘れるか勉強しなくてどっちみち騙されるのではないかとも)
プログラミング教育とか身に付いたら思考法としても有用だけど、そこそこの大学の文系学部(やなんちゃって理系)出た同期達がことごとく研修の簡単なプログラミングの段階で脱落して、営業とかに配属決まっていったり、無理やり開発に回されて何も理解しないままコピペで雰囲気でプログラミングしてたのを見ると、数学とかそっち系ってほんとに適正ない人には無理なのでは? と思ったりする。
ひょっとすると早い段階で基礎を叩き込めばそういう人減るのかもしれないし、金融だって落ちこぼれを量産するのかもしれないけど
個人的には三角関数は趣味で3Dプログラミングするときに使ったので、ちゃんと教えておいて欲しかった。
高校が特殊な進学校で多分単位誤魔化してて(か合法的だったかしらんが)、2年の時に文系コースに進んでから数学の授業がほとんどなくなったので(3年の時はゼロになった)、微分も積分も習ってない
この間、灘中高出身の人たちが中心のグループで、推理クイズで遊ぶ機会があった。それは前提知識とかはいらない推理クイズで、純粋に推論力が試されるようなものだった。
いやもう、理解力が別次元よねあの人らほんと。処理と推理の速さに全くついていけない。ワイが一週間ずっと考えてやっとたどり着きそうな正解を2分くらいでポンポン出しまくる。仮にワイの能力が平均以下なだけだとしても、本当に異次元の能力だった。ワイはこの人らには逆立ちしても勝てんな、と静かに悟った。
もちろん、一般的に勝負というのは推論や理解力だけでは決まらないので何かしらワイが勝つものもあるかもしれない。それでも圧倒的な力の差にただただ絶望するしかなかったわよね……
すげーわかるわ
偏差値50って相当バカなのにこれが中央値ってビビるよな、げっそり
100回論破されて何回も説明されないと、もしかして○○だから○○なのか?って理解できない。頭が悪すぎて。
理解に10年かかるやつとか説明面倒だから本読んでって言っても本が読めない奴とか相手の理解力が最初からわかりきってるから時間が勿体無くて会話もしたくない。
バカは見識が狭いから、毎回新鮮なんだろうな。俺がわかる説明をしてくれない相手のせい!みたいな超次元論法をまじめに議論してるわけ
Twitterも増田もバカがよく知らないことをさも今思いついたみたいに新鮮に議論している。よく知りもしないのに妄想と想像だけで自信満々に議論できる神経がもうわからないけど。既に何度も専門家に語り尽くされてほぼ結論が出てる内容で類似事象との比較があがってたりするんだけど、バカなTwitterや増田民は影響する条件を理解できないので比較すべきものと比較せず、比較すべきでないものと比較し始める。意見と感情の区別がつかない。
勝手に目に入ってきてげんなりする
ネットで吠えてる女性はよくその「寄り添う姿勢」を純粋に正しいことだと信じていそうな節があって、寄り添えるだけの想像力や理解力のある自分をものすごく自負してる感じがあるが。
男からするとそういう姿勢は、健全な社会を構築する上で完全にポジティブなものではなく、むしろ若干有害な要素になりえると懸念するものなんだよ。
誰かが寄り添わないとやっていけないような人間が発生している時点で、まずよろしくないわけ。
誰もが主体的に自分で自分のことをなんとかできるように育っていかなきゃならんわけで、寄り添いを肯定しすぎると世の中の小難しいことやセンシティブなことに向き合うだけの能力がない、白痴で温室栽培な人間ばかりが増えていくことになる。
現代でもわりと新しい分野のこと、たとえば情報セキュリティだとか詐欺対策だとか、そういう分野では、寄り添っていくだけでなく啓発して自ら賢くなっていこうとする方向で集団を育てていかないと、手が回らなくなっていつかはにっちもさっちもいかなくなる。
対人コミュニケーションの問題とて基本的には同じことなんだよ。
本当に問題があると思ったら自分たちで声をあげるべきだし、上げられる環境であるべきで、何か腐敗していて声すらあげられない状況であるならそういう時はちゃんと介入していくけども。
そうでない限りはその人が声をあげなかったならその判断を尊重するべきだし、外野がとやかく言ってしまうと自分たちのことに自分たちで責任を負う感覚がないまま自分のアタマで考える能力のない大人になってしまう。
女性は歴史的に、すでに出来上がってる社会の中でなるべく争いを起こさないように生きていくことが生存戦略だったから、こぼれ落ちた人々に寄り添って、自分たちの中に取り込み正常化させていくことを男性よりも肯定的に捉えるかもしれないが、
男性のように安心して暮らせる社会を闘争のなかで勝ち取って築き上げてきた遺伝子の直感によるならば、獅子の子落としのような厳しさの有効性も理解しているわけ。だから男性というのは過度に干渉をしない。
干渉をしないことで、人々がたくましく生きられることを信じているんだよ。
こちらがそれを信じなかったら、そもそもたくましく生きられるような筋道すら存在できなくなってしまうだろう、パターナリズムに塗りつぶされて。
圧倒的慢性的な人員リソース不足をおまえらの能力が低いからだ!としか言わないのもどうかと思いますし、
あまりにそれぞれ属人化しているので、そちらに人のリソースを割いたらこっちが倒れるというアンバランスで、いい加減にして欲しいところです。
自分の思い通りにならなく自分の思って期待しているスピードの理解力が無いと罵倒されます。
ドキュメントを読み込んで理解するスピードは人それぞれだと思いますし、
自分の専門分野で得意なことはみなできて当たり前な状況を理解していないところも痛いです。
挙げ句の果てにおまえらのやってることは仕事じゃないからな!って自分が一番仕事できている体裁になっていることも不思議です。
まったく滑稽ですね、端から見たら。
今日もいくつか増田を書きましたが、トラバやブクマがつきませんでした。
少しでも口答えでもしようものなら雇用関係のことをちらつかせるとか、何人もそう言われてやめていく人を見ました。しばらく我慢しているのが一番です。