はてなキーワード: 最後通牒とは
横田です。
お世話になっております。
女「ねえ、なんで連絡くれないの?」→女「明日会える?」
同時進行してた別の彼の方
補足有り難うございました。
まあ元増田は9割方そう考えてるんだろうなーってのは予測出来たが
それ続きが
すんごいわかりにくいんですが、この「明日会える?」の時点で女性の方は(これで会えなかったら、同時進行してた別の彼の方に付き合ってって言ってみよう)って思ってるんですね。それで、2日間の間に別彼に告白してオッケーもらって、それで安心して会ってくれない方にさようならって言ってますね。
となってるよね。
つまり女の方は単に会いたいと言いたい訳ではなく、ここで言う事聞かなければお前とは別れるぞという最後通牒として言っている、と言う設定なわけだ。
男がそれに気付かない・女はどうあっても自分から離れていかないと信じ切って女に甘えている様が
「介護やってるんじゃねえぞ」と言いたいのか?という可能性も1割くらいあるかなー、と。
元増田はこの続きを読んでいるのか、読んでいないのか。
http://anond.hatelabo.jp/20160707234517
これを見て。
まず言っておきます。タイトルは釣りです。でも言いたいことの結論でもある。
今自分も含め、結構いると思われるのが自民党憲法草案を見てこいつはヤバい、こいつはダメだと他の所に入れようとしている人。
で、「自民党憲法草案がヤバい」ってことを言うと何がヤバいのかが理解できない人が沢山居てやいのやいの言ってくる。
どういうことか、1つずつ順番に説明していくね。
まず、憲法ってのは世界中のかなりの国にあります。無い国はわずか8カ国(そのうちの1つがイギリスなのですが、この後の話でなぜか重要なポジションを占めるのがイギリスの不思議)
でも、日本と北朝鮮の憲法はその意味合いが違います。それは何故か、それは、日本が立憲主義国家だからです。
じゃあ立憲主義国家って何か、その話をするためには、憲法というものの成り立ちを説明しないといけないので少し世界史の話をします。
このジョン一世、調子乗って重税を課し、軍資金を集めてからフランスに攻め込んだんですがいいところで見事なまでのヘタレっぷりを示して逃げ帰ります。
これを見て上から下までイギリス国民がブチ切れ。全員そろって「テメェこの契約書にサインしねぇとブチ殺すぞ!」と最後通牒を突き付け、とうとうジョン一世はサインすることになりました。
これが有名なマグナ・カルタであり、そしてこれが憲法と立憲主義という概念のスタート地点でもあります。
つまり、憲法ってのは民衆が国に対して結ばせる契約書の一種なんです。で、国より憲法のほうが上だよ~、ってのが立憲主義。
で、自民党憲法草案は例えば基本的人権は国が国民に対して与えるものって定義しちゃってるんです。こんなもの立憲主義国家の憲法じゃないよ、ってことです。
じゃあ立憲主義じゃなきゃ何か。立憲主義の対義語は絶対主義です。
絶対主義国家ってのは、国が憲法より上に来ている国家で、わかりやすいのはいわゆる独裁国家ですが、これが集団でやるとファシズムといいます。そんなファシズムを掲げる人たちがファシストね。
自民党憲法草案を通したら日本は絶対主義国家になります。そうしようとしているんだから、自民党はファシストになろうとしているとしか言い様がないんです。
今日初めて心療内科にいくので、その前に悩みを書いてまとめてみようと思った。
まとまらないだろうけど。
まあその辺をはっきりさせる為に病院行くっていうのもあるよね。
受付の時カウンセリング希望したら、まず診察してそれから医師が判断するって言われた。
身体の不調はあるものの、それが心療内科の範囲なのかはよくわからない。
だから行く。
氷河期に就職失敗してからというもの楽観的なバイト生活が続いていた。
アラサーの頃初めて出来た彼女と結婚を考え、10年以上バイトしてた今の会社に中途で入社した。
そこまでは良かったのだが、仕事がどうにもうまくいかなくなり、辞めたい。
仕事について。
自分より若い新卒で入った同僚達(同種の商品担当)はそれなりの結果を出している。
そんなだから直属の上司との関係もどんどん悪化、何度も「前にも言ったけど」な説教を受け
最近じゃ近くにいるだけで常に身体が緊張して息苦しい状態になってしまった。
「わからないなら相談しろ」散々言われ、同僚や上司に相談したこともあったが所詮は他人事。
それで大きな進展があったことはない。チームで一つの仕事ならまだ本気にもなってくれるんだろうけど…
そりゃ責任は自分にあるよね。自分のあたまで考えようってことだよね。
結局、考えても堂々巡りで抱え込んで思考停止してしまうばかり。
自分はなんて能の無い人間なんだろうと、この歳になって青臭い悩み。
上司ももっと上も、自分を辞めさせたい態度がありありと伝わってきて辛い。
もちろん結果を出せない自分が悪いのは分かっていて、それが惨めで辛い。
辞めたとして、今の自分に新たな仕事が見つかるだろうか。それは最大の不安。
担当商品の仕事を延々とやり続けてたせいで、他で通用する様な技能が無い。
思えば中途で入社したせいか当初はヌルく、社会人研修の様な体験もまるで無かった。
バイト感覚での仕事が抜け切ってなくて、結果に対する責任とか仕事への情熱とか
そういう物が人と比べて足りなかったのかもしれない。(その割にストレスはもろに身体にくるけど)
コミュ障ってほどじゃない(と自分では思ってる)けど、人に話しかけるタイミングとか
待ち過ぎて結局相談出来ないことも結構あるので、駄目な方だろう。
上司に「お前の日本語何言いたいのかわからないからあんま話したくないんだよ」とか
言われたこともあるし。(それ以来相談しにくく&緊張が激しくなった)
結婚して数年、妻には迷惑かけてる。詳しくは書けないが彼女の悩みを解消してあげられてない。
二人の暮らしはそれなりに楽しくやってても、二人の人生はどうなのか?という疑問がつきまとう。
辞める決断をしたところで、その先彼女に捨てられることが怖い。
全部書き出そうと思ったけどやっぱりまとまらない。一度に複数のことを進行するのが下手くそなんだと思う。
それが出来るなら決断も素早くできるし仕事だって転職だってスムーズだろう。
現状が悪い→なんとかしないと!放り出して逃げ出せない!
→結局逃げ出す→なんでもっと早く先を見越して準備してなかったんだ
こうなる。あ、そうか。これが流されてるってことか。
計画を立てるのが苦手ってことかな。
一番直さないといけないところを集中して直したい。
この考えが甘い?
今年もそろそろ終わる。
俺は来年40歳になる。10年前に何してたっけ?どんなことがあったけ?20年前は?
思い出そうとしてみたが、覚えていることはあまりなかった。
そこで大好きなウィキペディアを開いてみたら、おもしろかった。
西暦をたたけばその年に起こった出来事や流行ったものごと、世相がまとめられている。
すげえな。
「おっ」とか「へー」とか「なにそれ」と思った出来事で100年を振り返ってみる。
2014年の10年前と2015年の10年前。
1614年と1615年までさかのぼれば、それぞれ大阪冬の陣と夏の陣までいけるのだが、400年はけっこうしんどい。
とりあえず100年。
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・自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入る
・関西電力美浜原子力発電所(福井県)で蒸気漏れ事故が発生、作業員5人が死亡
・アテネ五輪(柔道の野村忠宏選手が五輪3大会連続で金メダル獲得)
・「新潟県中越地震」死者68名
2005年(平成17年)
・中部国際空港が開港
・アンゲラ・メルケルがドイツ首相に就任
・1年を通じて1899年以来初めて死亡数が出生数を上回る
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1994年(平成6年)
・関西国際空港が開港
・オリックスのイチローが史上初の1シーズン200本安打を記録
1995年(平成7年)
・警視庁の国松孝治長官狙撃事件(重傷)
・オウム真理教総本部前で村井秀夫幹部が刺殺される
・『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
・俺ハタチになる/この年はテレビばかり見ていた気がする。
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・中曽根首相が首相として戦後初の靖国神社参拝
1985年(昭和60年)
・東京都に新両国国技館が完成、横綱・北の湖が引退
・NTT(電電公社)とJTT(日本たばこ産業)が民営企業として発足
・豊田商事の詐欺事件についてマスコミが取材中、報道陣の前で永野一男会長が暴漢2人に刺殺される
・フジテレビで夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』が放送開始
・たこ八郎が水死
・阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一
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1974年(昭和49年)
・永谷園が「あさげ」を発売
・日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)
・ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任
1975年(昭和50年)
・まるか食品が「ペヤングソースやきそば」を発売
・山陽新幹線博多まで開通
・広島東洋カープが初優勝
・イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャー選出
・沖縄国際海洋博覧会開幕
・俺が生まれた
……俺と同い年の人たち
・アンジェリーナ・ジョリー(女優)
・上原浩治(野球選手)
・高橋由伸(野球選手)
・俺(商店街で鮮魚店を経営)
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・本田技研工業が「S600」を発売
・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き
・東海道新幹線開業
・坂本九『明日があるさ』がヒット
1965年(昭和40年)
・淀橋浄水場廃止
・中国で文化大革命が始まる
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1954年(昭和29年)
・日本の高度経済成長期が始まったとされる年
・NHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始
・ニッポン放送開局
・琉球放送(RBC)開局
・遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びる
・洞爺丸事故
・加藤芳郎の4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始→2001年終了
1955年(昭和30年)
・武田薬品工業が総合感冒薬「ベンザ」を発売。
・ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化
・広辞苑初版発行(岩波書店)
・後楽園遊園地が完成
・自由民主党と日本社会党の二大政党制(55年体制)が始まる→1993年崩壊
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1944年(昭和19年)
・全国の新聞で夕刊が廃止
・日本軍がインパール作戦を開始
・連合軍によるパリの解放
・東海道沖で東南海地震発生/マグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件
1945年(昭和20年)
・ 2月 4日 ヤルタ会談(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)
・ 2月14日 近衛文麿が昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)
・ 6月13日 大田実司令官が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後自決
・ 6月23日 沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決/実質的な戦闘終結
・ 8月 6日 広島市へ原子爆弾投下
・ 8月 9日 ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始
・ 8月 9日 長崎市へ原子爆弾投下
・ 8月10日 御前会議(ポツダム宣言の受諾の可否について)
・ 8月27日 占領軍向け特殊慰安施設の第1号開業(小町園、東京大森)
・ 9月 2日 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印(第二次世界大戦終結)
・ 9月25日 外国人記者2名が昭和天皇にインタビューを行う
・10月19日 駅名の表記が左書きに統一される
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1934年(昭和9年)
・日比谷映画劇場開場
・忠犬ハチ公銅像除幕式
・満鉄が大連―新京間で「特急あじあ号」の運転を開始
・東北地方で冷害が発生、凶作被害甚大
1935年(昭和10年)
・築地市場開場
・フランス人民戦線結成
・天理教本部が脱税で捜索
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1924年(大正13年)
・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚
・日本でメートル法が採用
・阪神甲子園球場完成
・トーマス・マン『魔の山』
1925年(大正14年)
・イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
・日ソ基本条約締結(日本はソ連を承認)
・治安維持法公布
・朝鮮総督府庁舎完成
・上海で五・三〇事件
・広東に国民政府が成立
・鈴木商店(後の味の素)設立
・芦ノ湖にブラックバスが放流
・娯楽雑誌『キング』創刊
……これ読んだ若い頃、スーパーのおさかなコーナーで働いてた。
まな板の上にレモン置いて帰ろうかと思ったな。
なつかしい。
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1914年(大正3年)
・孫文らが東京で中華革命党を結成
・サラエヴォ事件→オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに最後通牒
・『少年倶楽部』創刊
1915年(大正4年)
・第一次世界大戦:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される
・サマセット・モーム『人間の絆』
・芥川龍之介『羅生門』
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数字と固有名詞と記憶と今がごっちゃになって、ちょっと気持ちいい。
自分がさかなクンと同い年なのは知っていたが、ぺヤングとも同い年とは知らなかった。
それと昭和、長いな。
明日も朝早いし、そろそろ寝る。
素朴な疑問なんだけど、どうして対米戦をやるべきではなかったという右翼がいないの?
真珠湾攻撃の前から、対米戦やったら負けることはちゃんと日本軍も理解していたんだよ。
負けたら大東亜の理念も何もないじゃない。勝ったら、少なくとも、大東亜のうち台湾と朝鮮半島は日本のものだったのにさ。
負けて悔しいのは分かるけど、だったら、どうやったら勝てたかを考えるのが教訓になるんじゃないの?なのに、右翼の意見って、「負けたけど意義のある戦争だった」みたいな負け犬の遠吠えばかり。理解し難い。
…というと、「ハルノートぐらい知っとけ」とか言うコメントが飛んでくるんだけど、ハルノートをつきつけられたから、生命線の満州を失うわけにはいかないので戦争するしかなかったってのは嘘だからね。
ハルノートには「これは試案です」って書いてあったのに、日本語に訳すときには何故か「試案」という言葉が抜けて、最後通牒だということになっていた。「French Indochina and Chinaから軍を撤退させろ」と書いてあったが、「このChinaに満州国を含む意図はアメリカにはなかった」というのが近年の研究結果。真相は分からないが、せめて確認ぐらいしておくべきだったんじゃないの?「満州国は満人の国だからChinaではない」ぐらいの言い訳は誰でも思いつくし、当然、アメリカも日本がそういう言い訳してくるだろうな、と思っていたはず。
とにかく、戦ったら負けるって分かってたのに、自分から先制攻撃しちゃったのは国策として全くの失敗だろう… 結果論だって言われるんだろうけど、国策は結果で評価されるべきものだしね。