はてなキーワード: マイノリティとは
アセクシャルだのアロマンティックだのって、カップル社会の欧米ならではの概念なんじゃ?
パートナーがいないのは特別な事だから、何か理由を付けて無理矢理マイノリティに繋げようっていう。
日本の場合お一人様も普通だからパートナーがいなくともそこまで変な目で見られないのにわざわざ変な名前付ける必要ないでしょ。
アセクシャルだのアロマンティックだのがマイノリティを名乗るの、ちゃんちゃらおかしいとしか思えない。
恋愛・結婚・出産出来ないのは単にモテないヘテロもそうですけれど?
何故そういう単身者全体の権利向上ではなく、自分達だけを選ばれし特別なマイノリティとして優遇される事を望む?
そりゃあアセクシャルだのアロマンティックだのは人口比で行けば少数派なのかもしれないが、それって「生まれついての金髪は少数派」「青い目は少数派」などと同じようなものでしょ
まあ、「独り身のヘテロ」の人たちは、もはや自分たちが被差別階級であるという自覚すら奪われているのだろうなとは思う。
それに比べてアセクシュアルやアロマンティックを自認する人たちは、まだ自分がマイノリティであると自覚できる分だけ幸運かもしれない。
ホントそれ。必須項目ではなく注意喚起のアイディアで、マイノリティに負荷を押し付けるものでもないのに、それすら平等を求める人がいて停滞を招く。
このツリーでも「色弱がー配慮がー」って騒いでる人いるけど、色弱って割合で言うと男性で20人に1人らしい。
裏を返せば男性の20人に19人には効果があるんだからやればいいのに、残り1人のためにやらないんだから。
そもそもマイノリティへの配慮を行うんだったら、Excelというディスプレイ表示前提の機構を使った時点で全盲の人を置いて行ってるのに、そこは見て見ぬふり。
https://mobile.twitter.com/keizokuramoto/status/1439700402832764931
ツイートはまーそうなんだけど。
理不尽をなくせつって出てきたポリコレ(とその鏡像のウヨ)の問題ってマクロとミクロを1つの道徳で一貫させようとして硬直化つまり生きづらさを生んでるよな。
少子化だって、「私は産まない」を「女は産まなくていい」って道徳に昇格させようとしたことが加速させたことは間違いないと思う。
個別の女性に「産め」と言ったらそりゃあ理不尽ですよ。でもマクロに、社会的に「産むべき」というのは許されるべきだと思う。
道徳的に「産むべき」を抱えたまま、実生活で「産まない」当事者に好意的に接したり配慮することは全く可能だし、そうゆうある種の葛藤を引き受ける人がたくさんいることで「産むべきだが産まなくてもいい」という二面性・柔軟性を実現するのが良いと思う。
ただ単純に「理不尽の量を減らす」と言ったときに、マイノリティ政治などの間違いとして個別の問題のために全体をいじるなよと言いたかった。
個別の問題は個別に対応されるべきだし、全体を変えるのは全体が変わってからにすべきだと思う。
なんか改革絶対ダメマンみたいになったから補足すると、経済・産業・雇用はガンガン改革していいと思う。医療は微妙なとこだけど教育・家庭なんかは慎重にして欲しい。
「独自の文化がある」ということは遥か昔から指摘され続けている。しかし当事者はマイノリティだからゆっくりと言語化していくしかない。言語化の追いつかない部分に非当事者から「どうせこうだろ」とクソ雑なジャッジが下されること自体が酷い差別だわな。
「表現の自由」で何でもかんでも許されると思わないで欲しい。
「白人と黒人がどっちもどっち」なら黒人の味方をする必要があるだろうし、「男性と女性がどっちもどっち」なら女性に味方をする必要があるだろう。
一般に「マジョリティとマイノリティがどっちもどっち」ならマイノリティ側に味方をする必要があるだろう。
Vtuberとか、アニメや漫画や、フィクションを性的対象としたり、自らのジェンダーを発見・表現する場として認識している人々は、「マイノリティ」側なんだよね。勘違いしている人が多いけど。
フィクトセクシュアルやフィクトジェンダー、その他スペクトラムのような、迫害を受けてきたマイノリティを批判の対象とする以上、批判側の論理は反論側よりもはるかに緻密で慎重なものである必要があるんじゃないですかね。
「Aは賛同するが、Bは賛同しない」という複雑な立場は、こんな風に論点がとっちらかっていたら答えられるものも答えられない。
など、語るべき論点があまりにも多すぎて「もう少し勉強してきてください」という感じだ。
一応答えておくと、見たいか見たくないかで言えば見たいですかね。
前述の通り、これを答えたところで何にもならないのですが。
法人格には法人格としてのアイデンティティやプライドを持つ場面もあるでしょう。
個人の人格はなくとも、企画チームとしての魂が宿ることもあるでしょう。
実際、例えば侮辱罪や名誉毀損といったものは、法人格に対しても成立します。
老舗ブランドや個人商店、NPO法人などを擬人化して「プライド」とか「礼儀」とかを語るのは、誰もがやっていることだと思うが、それをVtuberに適用することも出来るんじゃないですかね。
まあ、論点としては「Vtuber自身の法人格」よりも、「ファン個々人のアイデンティティ投影先としての、Vtuberというアイコン」の扱いに関するものの方が割合としては大きいのでしょうけど。Vtuberという特性上、「ファン個々人」という総体は、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、あるいはその周辺スペクトラムに属する人々、迫害を受けてきた(受けている)マイノリティも多分に含むのだから、何か不満があるとしても慎重に対応して貰いたいものでしたね。
貧困だとか容姿が悪いだとか頭が悪いだとかマイノリティだとか親ガチャだとか、それぞれの人生があるのはわかる。
生きづらさを感じるのもわかる。
でもそんなのを主張してなんになるんだよ。
俺自身、街灯ひとつないクソ田舎の裕福ではない家庭の次男で、全部兄のお下がりだったし、母はヒステリックだったし、兄はグレて家で暴れるし、そのくせ家のお金をくだらないことに使うし、父は無関心だし、小学校の担任は問題起こしてクビになるような奴だったし、中高とも公立以外の選択肢なんて元よりないし、塾だって教育より株に熱心なおっさんが1人でやってるようなのが町に一つあるだけだし、数え上げたらキリがないくらいマイナス環境要素しかなかったよ。
それでもクソ田舎だし当時ネット情報もそこまでなかったから、まあみんなこんなもんなんだろうと思ってて、世を恨むことも上や下を見て羨んだり蔑んだりせずに中高まで生きてこれたことはラッキーだったと思う。
そんな自分がやっとこさ大学に行って、今までの全てがひっくり返ったよ。
何の努力もせずに親の金で同じ大学にいる奴や、当たり前のように中高で留学して英語ペラペラな奴や、何がどうなってかモデルとして雑誌に載ってる奴や、バイト代を全てパチンコに注ぎ込める奴や、理解できないようなおしゃれな服に何万もかけられる奴や、映画監督を目指してる奴や、一年から就活を意識してあれこれやってる奴や、おいおい俺の思ってた世の中と違うぞ、スタート地点のこの差はなんなんだって思うことが毎日あったよ。
うぶな自分にもよくわかった。
こいつらが当たり前に持ってる選択肢が、自分にはなかったんだ。
ないどころか、そんな選択肢があることさえ知らなかったんだ。
ショックだったし、傷ついたよ。
ダサくてカッコ悪くて気持ち悪い自分を不安に思う毎日だったよ。
チャラチャラしてたりキラキラしてる奴との埋められない差に絶望したよ。
奨学金で授業料を払い、生活費はバイトで稼ぐしかないなんて誰にも言えなかったよ。
割りのいいバイトばかり探してガラの悪い兄ちゃんにも絡まれ蹴られ、やっとの思いで貯めたお金で先輩から原付を3万で買うのにも勇気がいったよ。
ありすぎてきりがないからこの辺でやめとくが、まあそんなだったわ。
俺の言いたいことがわかるか?
お前の感じてる生きづらさだとかハズレ感覚だとか八方塞がり感だとかスタート出遅れ感だとか、全部普通のことなんだよ。
偉そうにすんじゃねえ。
まあ今は俺のその頃と違って、ばんばんキラキラチャラチャラした奴の情報が垂れ流されてくるから、格差を可視化され突きつけられてる感覚はあるんだろうよ。
だからって偉そうにすんじゃねえ。
事実大変なのかもしれんし大変なのによくやってるよ。たぶん。
けどな、お前みたいな奴も俺みたいな奴も、掃いて捨てるほどいる。
ガタガタ言わないだけか、あるいは昔の俺のように何も知らず無知なだけかだ。
主張すんじゃねえ。
惨めを語るな。
堂々としてろ。
飯が食えて健康で寝る屋根があるだけで相対的にお前は当たりだ。
それ以外のことはクソみたいなもんだ。
俺はそのクソみたいなことを気にしてもしょうがないと何年かかけてやっと飲み込んで、今は胸張ってまあそれなりに幸せだと言えるよ。
わかったら風呂入ってクソして寝ろ。