2016年11月18日の日記

2016-11-18

リベラルを自負する人々への懸念

 酔った勢いで書いたので、文章は筋が通ってないかもしれない。酔った勢いなので、コメントを返したりはしません。

 

以下、本文。

 さきに述べると、最近巷を賑わしているポリコレにやや関係があるが、がっつりと関係している話ではない。また、私はポリコレの考えに概ね賛同している。

 

 世の中には様々な問題がある。その中のひとつに、移民問題があるだろう。移民問題アイデンティティ侵害もあるが、多くのさほど保守的ではない人々にとっての問題は、知識があまり求められない仕事の奪い合いや、賃金が低いが故の貧困それから生じる犯罪率の高さが主なものだろう。

 アイデンティティを除く問題に対しては、貧困是正重要である。それに加えて、移民ではない人々との仕事の競合も解決されねばならないだろう。さらには、そもそも移民の元になる国の政治経済問題である。このことは、アメリカ不法移民がわかりやすい。アメリカもっと問題視しているメキシコから不法移民問題は、メキシコ政治が安定し、治安が良くなり、経済も上向けば軽減される問題からだ。

 

 このような指摘は言うだけなら容易い。移民問題は大変に難しく、ドロドロとしたものがある。それゆえに、一部の人々は人種で括ってこの問題を批難する。実際、移民が生じる問題だけを捉えた時、人種で括る手法は決して大外れではない。

 しかし、人種問題を括る人々に、反意を示す人々もいるだろう。

 

 ここからが本題なのだが、私はこの反意の示し方に問題が多いように思う。

 

 この問題とは、人種で括って考える人々に、すぐに差別主義者と罵る行為である。そうして、そこまで差別的ではないが、現に存在する問題懸念している人々が口を噤んでしまうことだ。現実的問題がために差別的言動をした場合、やや短絡的で言葉が足りないだけだ。そうした意見さえも、差別主義と言う蓋によって仕舞われてしまいかねない。

 

 差別によって苦しむ人々を救うということは喫緊課題かもしれないが、移民、すなわち特定人種集団によって仕事を奪われたり、犯罪率が高まることも喫緊課題だ。差別的言動への反論として、差別が良くないという言葉第一であるならば、第二の声はより現実的で、それゆえに中立的な人々が問題視している状況への言及があるべきだ。もしも第二の声がないとすれば、現実的問題人種問題として捉えるのと同様に、短絡的で言葉足らずの反論である

 

 もうひとつ差別主義者と罵る問題を挙げる。その問題とは第二の声が見つからなくなることだ。第二の声は決して心地よいものではない。多くの困難を四苦八苦しながら少し改善する程度だ。それに対して、差別主義者と言う叫びは威勢がいい。よく人々の間を通る。そのため、政治的ではない人々が触れる意見は、ヒステリック叫びが多い。それは現実への対処提言を掻き消してしまう。

 

 リベラルを自負する人々が相対する人は、もしかしたら頑迷な人かもしれない。愚かしいと思うかもしれない。しかし、それが事実であるかどうかはあまり大局的な問題ではない。より大きな問題生活への恐れであるリベラルを自負する人々はその恐れを緩和することににも力を入れるべきだ。それを怠れば、あまり政治的ではないが、生活不安を抱える過半数の人々にそっぽを向かれるだろう。

行き当たりばったりのヤケクソ出産で産まれた子はやはり不幸に成る確率が高い

チャウシェスクの子供たちを思い出す

久保帯人探偵ナイトスクープへの依頼を強く薦める理由

話題ツイートにリプ欄を覗くとナイトスクープへの熱い信頼(ほぼ関西人だと思われる)が寄せられていた。

ネタ不謹慎番組普段見ない人はそう思うのかもしれない。

しかしあの番組を見て育った関西人として、「本気で薦めている」ことがよくわかる。

そこで探偵!ナイトスクープの信頼と実績一覧(本年度分)をご覧いただこう。

尚、番組アーカイブを使わせていただいた。

先月結婚式福岡に。独身親族にいじられ、べろべろになるまで飲み、居酒屋で見知らぬ人たちに励まされた。

気付くとホテルの自室で、肩にホークスユニフォームがかけられていた。

→結果:返却成功

メキシカンバー開店の日、シェフが「ゴミ箱を買いに行く」と言って失踪

あれから10年。探し出してもらえないか

→再会。10年前の当日、急に体調が悪くなった。その後難病指定の病が発覚し戻ることもできず。4回目の結婚をしていることも発覚。

広島県男性(56)から。私には50年来「実のお兄さん」のように慕い続けてきた方がいる。50年前に放送されていた「なかよしリズム」という子供番組の「初代・歌のお兄さん」の中山克己さん。

発見。74歳と56歳おじさんたちの初々しい対面。

20年前の夏、大型トラックの僕のトラックの後ろにベッタリとつく大型トラックがいた。気持ち悪いので無視していると、横に並走してクラクションの嵐。恐る恐る見ると、運転手さんが身振り手振りで僕に何かを伝えていた。それは僕のトラックの後輪タイヤパンクしているという内容だった。そして一緒にパーキングに入り、真夏炎天下の中、タイヤ交換を手伝ってくれた。そのまま走っていたら大事故に繋がっていたかと思うと本当に命の恩人。お礼がしたくても、自販機すらないパーキングだったため財布から5千円を取り出して「これで飯でも食ってください」と渡したが、「そんなものが欲しくて手伝ったんじゃねえ」とブチ切れ出した。押し問答の末、最後運転手さんが折れてくれ「次に会ったら一緒に飯を食おう。その時はご馳走になるから」と言ってくれた。そして「次はお前が困っている運転手を助けるんだぞ。それがトラック野郎からな」

→再会

東京都女性(29)からアメリカボストン出身留学生代理で依頼をする。彼は10年前におばあちゃんから譲り受けた、沖縄の人が書いたであろう日記帳を、持ち主の家族に返したいと願っている。それは1928年・昭和3年の日記で、300ページ以上にもわたってぎっしり文字で埋め尽くされている。達筆すぎて内容はよくわからないが、持ち主であろう方の名前沖縄の住所が書かれていた。なぜ、アメリカの彼の家に保管されていたのか、はっきりした理由はわからない。彼の推察では今は亡きおじいちゃんが、第2次世界大戦の時に沖縄に行ったことがあるので、その時に持ち帰ったのではないか、ということだ。彼は日本語が少ししか話せないが、日記帳を返せるように協力してもらえないか、というもの

子供たちを発見子ども12人いた。子供は存命で、日記の持ち主は70歳で亡くなっていた。「日記をつけろ」と子どもたちにも伝えていたそうです。

33年前。中3の夏休みに友人たちと3人で大阪から自転車琵琶湖一周の旅をした。雨風が強くなったので、田んぼの中にポツンと現れたバス停横の小屋避難した。そこで雨風がおさまるまで寝ることにしたが、目が覚めると激しい暴風雨。民家を見つけたが、何軒も断られて諦めかけた時にようやく受け入れてくれるご夫婦出会った。寒さに震える僕たちを風呂に入れてくれただけでなく、豪勢な晩ご飯とふかふかの布団まで用意してくれた。本当に涙が出るほどうれしく、子どもながらに人の温かさに心が震えた。大阪に帰ったらきちんとお礼しようと、住所が書かれた表札の写真を撮ったがその写真を失くしてしまった。

→結果夫婦と再会。思い出話に花を咲かせる。

伝える技術について。

なぜJPOPがこうも似たものばかりになってしまったのかと言えば、抽象的で主観的歌詞しか描けなかったかである

これは例えれば、何か感動的な物事があったとき、すごい、すごいを連呼することしかできない中学生のような主観的描写と言い換えることもできる。

もちろんこれでは何がすごいのか分からないし、想いの強さがすごいとか、切なさがすごいとか「抽象的な」付け足しをしても、それは相変わらずその人の主観であるので、聞いてる側からすれば、「ふーん、へー」で終わってしま物事である

作詞家目的は売れるものを書くことであり、別に共感などいらないからこうなってしまうわけだが、では共感を呼べる真正な伝える技術はいったいどのようなものだろうか。

それは具体的に、客観的に描き、読者に想像させるという書き方である。誰も別に君の主観など見たくはないのだ。

具体例を挙げてみよう。

「古池や、蛙飛びこむ水の音」

この有名な芭蕉の句は、5,7,5のたった17文字に、恐ろしいほど怜悧テクニックが凝縮されている。

気付いただろうか。この句には主観もなく、音を表すワードしかないのに、それが逆に寒々しいまでの静寂と寂寥感を伝えているのである

もし芭蕉主観でもって、「いやーこの辺マジ静か、ちょー静かで寂しい」と言ったら、これほどの静寂は決して伝わらなかったであろう。

蛙が水に飛び込むという、普通なら聞き逃してしまうほどの小さな音以外何も聞こえない空間、つまり圧倒的に静寂で孤独空間、これを客観的描写で読者に想像させえたから、この句は不朽の名作となったのである

http://anond.hatelabo.jp/20161117132554

3才や4才の時点で離婚してるのに

ラブラブだったってことを知ってるわけがない

PCとはツールである

もちろんパソコンのとではない。

最近何かと話題の棍棒のことを言っているのだ

ポリコレの棍棒で殴るとはよく言ったもので、ポリティカルコレクトネスに対する教養

今後ビジネス業界で生きていく上で必須ツールだと思う。

特にグローバルな企業に勤めている人なら必須武器であることは間違いない

私は某北欧外資系企業に勤めていたのだが、仕事は少々できるがPC的にアウトな発言をちょいちょいする

おっさん本社直訴して私の目の前から排除するのに成功したことがある。

そのあとその功績と意識の高さ?が認められて、日本のまだ未設置だった多様性促進チームのマネージャーに昇格したからだ

棍棒は目の前から脅威を社会的抹殺するだけでなく自分キャリアを切り開く上で十分武器になる

食わず嫌いをやめてぜひ試して欲しい.

追記:

ポリコレライフハックのように売り出せば皆さんの嫌悪感も消えるかなと思ってこの記事を書きました.

enjoy !

http://anond.hatelabo.jp/20161117203259

これは自分も気になる。発掘の瞬間を見たことがある人や発掘者本人に話を聞いてみたい。

ちょっと聞きたいんだけど

増田って何文字で改行するのが理想

自分が根っから非モテだなあと感じる点

女性に性欲があるということが、未だに信じられない。

これまで付き合った相手、全員、いっつも拝み倒すようにしてさせてもらったから。

拝み倒すというか、「これだけ一生懸命ムード作ってくれたなら、ま、させてあげてもいいか」みたいな感じ。

死ぬ前に一度でいいから、

「アンタのこと見てたらなんかムラムラしちゃった。しよっ(はぁと)」

みたいな感じで、誘われてみたい。

ヤマダ電機モヤモヤした話

閉店間際にヤマダ電機でレノボのキーボード付きタブレットを購入しました。

アマゾンのレビューでは良くも悪くも的な感じでしたが、価格と自分の求める性能が妥当と判断しました。

購入後の店員さんの説明事項があり、【パソコンの初期設定が◯◯円で出来ますよ】とか【サポート5000円で如何ですか?】とか

、少し前のパソコン情弱ユーザーへの過剰サポート契約問題の影響か、深入りはしてこなかった。

しかし、最後の説明が釈然とせずにいる

【製品の初期不良が多いので、こちらで無料でお調べ致します。10分程のお時間よろしいですか?一旦ポイントを着けさせて頂きますが5000ポイントを引かさせて頂く形になりますので、実質無料になります。】

その時は、気にもしていませんでしたが、待ち時間の内に不安になりました。

これは、レノボの製品には不良品が大変多いということなのか、ヤマダ電機の商品には不良品が多いからユーザーのポイントを使って調べてくれているのか、、、。

10分後に受け取りに行くと、

【擦りキズがあったので別のモノと変えました^o^】

だそうだ。

とりあえずは持ち帰ってきたが、

店員に確認はされてはいるのだか、モヤモヤが消えず、パソコンを開封出来ない自分がいる。

デスソース結婚に似ている

そんな気がした。

初めてデスソースを見たのは、よくイオンモールの中に入ってる青い看板コーヒー屋。ずらりと並ぶ赤いソースに釘付けになった。

面白そうだし使ってみたいと思い、そこそこの金額を払ってしまった。衝動買いなんて滅多にしないことだったからわくわくしてた。

で、使った瞬間に後悔した。

買う前はこんなに辛いとは思わなかった。確かにラベルには「適量は料理にほんの一滴」って書いてあったよ。でもそれにしても辛すぎるでしょ。せっかくの野菜炒めがおじゃんになってるでしょ。

でも払った金額を考えると、その場で捨てるのがすごくもったいなく思えた。食べ物無駄にしたくないとか、こんな時に思ってしまった。

ほんとにいかれてると思う。ネットを見るとデスソースてそこそこ人気なのね。ヤバイ!とか言いながら挑戦して辛かったねーとかほざいちゃってさ。

こんなくそ辛いソースのどこに魅力を感じるんだよ。

デスソースに手をつけないようになって数ヶ月経った(もちろん初めて使った時から数ヶ月だ)。デスソースは一向に腐る気配がない。いや、腐れよ。さっさと腐って捨てさせろよ。

更に半月経った。流石に使わないと減らないという現実に向き合い、いろいろな方法を試した。

牛乳を飲んで辛味を和らげようとしたが、効果なし。

ならば中辛カレーの中で目立たなくなれと思ったが、デスソースの圧倒的な存在感カレーを凌いでいた。

特に炒め物のソースとして使った時はひどかった。デスソースを少し入れて炒め始めただけで咳が止まらない。玉ねぎの比じゃないくらいに目が痛い。結果できたのは蓼食う虫を殺せるほど真っ赤な炒め物だった。

でも全てが失敗に終わったわけじゃない。たまに辛いけども美味しい食べ方を見つけられた。それはもう限りなく低い確率しか見つからなかったけども、一つ見つけただけで勝ち誇った気持ちになれた。

デスソースが憎たらしいことに変わりないけども、憎たらしさを通してデスソースをどう扱うべきかを知った。じゃがいもと一緒だと比較的美味しくなるとか、炒めてる時は呼吸したら死ぬとか、そんなものだ。

それから更に数ヶ月後の現在

デスソースはまだ3分の1も残っている。でも一気に使うと腹痛を引き起こすから、少しづしか使えない。

デスソースなんてものは、なくたって生きていける。世の中を生きる大抵の人はそうだ。デスソースなどという大台に乗るよりは、百均で売ってるラー油を選んでちょこちょこ使う方がよっぽど精神健康上すばらしい。デスソース購入とかいう損しかしない選択をしたことで、幸せになるために自分から動かなくてはいけなくなった。決して楽じゃなかったし、費やした時間はすごくもったいないと思ってる。

しかし残り3分の1になったデスソースを見て、これまでのことが頭をよぎる。喉を焼き尽くす辛さを初めて感じた時は、ひどかったけれどなんか笑けてくる。咳を繰り返したことも、今考えると激しい笑い話だ。

振り返らないと、幸せってわからないものだ。嫌な記憶は忘れられなくても、気がつくと風化されて、よくわかんないけどいい思い出だったんじゃない?ああそうだったわねと記憶を捻じ曲げてしまう。人間って幸せに対して異常にがめつくできてる。

あくせくソースの量を減らしていた時間は長かったし、先もまた長いだろう。

デスソースめ、お前がしてくれた仕打ちは忘れない。

一つ気になることがある。

これから先、数ヶ月後。空っぽになったデスソースの瓶に向かい合う時、憎しみを感じていた自分は、何を思うのか。


お前なんか好きじゃない。青いコーヒー屋でまた見たとしても、もう二度と買わない。

でもお前がいなくなるまでは、ずっと大切にするからな。

そう言いたくなった。

教師が「お子さんはIQが高いので変わっている」と言ったときの思惑とは。

教師から親へあからさまに「あんの子ADHDかアスぺでおかしい」と言うと角が立つので、「お子さんはIQが高いので人と変わっている。周りに馴染む努力がいる」と、相手を立てつつ言うのだ。

こう言われると、どの親も「まぁ~大変」と言いつつ高IQが嬉しくて顔がニヤけっぱなしになるし、教師の言うことも素直に聞く。エグいテクニックだなーと思う。

ちなみに本当に子供が高IQなのかは謎。

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