普通入社させないし、仕事させたくないってなら試用期間内に言うよね、っていう
そもそもとして、普通なら
奴隷としてこき使いたいから延長!っていう場合はそれをきちんと伝えて判断をお互いして、
曖昧なまま持ち込もうってのがカタギじゃないじゃん、やり方が
自民or民心(ここで80%が埋まる)or共産or泡沫って形じゃん。
こんなんアンバンラス過ぎるわ。
夫婦のそれぞれの問題でとても大変なこともあるが、それらを乗り越え幸せな結婚生活を送っている。
そもそも現代の日本の社会において、小・中・高・大と結婚について詳細な教育を受けることがない。
下手すると親からも結婚とはなにかと教わることがないかもしれない。
漠然と、結婚はよいものだ。だからおつきあいしてラブラブだったら結婚しようという社会的な風潮だ。
結婚に至るモデルというのは、安いドラマとかにでてくる情緒的なカップルをモデルとする場合も多いだろう。
結婚について教育を受けてこなかった私たちは、なにをモデルにすればよいのか。
結婚してどのようなことが大変で、逆にどのようにしてより幸せになれるのだろうか。
なかなか客観的にはなりにくい。
自分の欠点を強く指摘される、逆に相手の弱さについてストレートに言及する。
そのような中において、互いが主観的になる。
ビジネス上の課題がある、この解決すべき課題については客観的に見つめることができる。
冷静に多角的に把握して分析ができるのだ。対象が自己の外に向いているからだ。
逆に、夫婦の問題の場合、己の中にある問題、そして相手の心の奥にある問題に向き合わなくてはならない。
そして、これらに互いが触れる時、主観的になる。
主観的なので視野は狭まり、自分と相手が持っているそれぞれのバイアスが強く働く。
■■まずロジャースになれ
来談者中心療法を確立した臨床心理の大家カール・ロジャーズだ。
「無条件の肯定的関心」「共感的理解」「自己一致」を基軸にしたカウンセリング法だ。
自分が夜家に疲れて帰宅したら、リビングに既に仕事を終えて帰ってきた仏頂面の伴侶がいたとする。
そして、相手が会社の愚痴・不平不満をいったとする。自分も会社のストレスを抱えていてとても疲れていてそんな話し聞きたくない。
それでも、「無条件の肯定的関心」「共感的理解」でまず話を聴いて相手を理解しようとすることだ。
私をはじめ男性はつい、解決案を提案しようとやっきになってしまう。ビジネスだったらそれでもいい。
でも、相手は感情を理解して欲しいのだ。そしてその感情を言語化したいのだ。
解決する力はその伴侶のうちにあるのだ。
しかし、自分が肯定的に伴侶の話を聴いていて、相手が一線を越えた場合どうするのか?
自分を罵倒してきた、言葉による暴力をしてきた、さらに言語道断であるが、
暴力を振るってきた場合、倫理に逸脱した行為をしてきた場合、どうするのか?
■■正の強化
応用行動分析学的に、黙っていると言うことは、黙認していること、
その行為を認めていることだ。
相手が行動を起こす→黙認する(認める)→その行動が学習され強化される
といことになる。
自分の考え・感情をきちんと相手に伝えることがとても大切になる。
ではどうすればいいのか?
結婚当初の愛を深めていくにはどうすればいいのか。
夫婦の合意のもと、二人でミッションステートメントを書くのだ。
ミッションステートメントの詳細については検索するとか『七つの習慣』を読むとかで調べて欲しい。
複数の価値観のバラバラな人間が集まる会社ですら、ミッションステートメントを書いている。
ミッションステートメントはとても重要だ。
まず、それぞれ己のミッションステートメントを1週間ほど書けて紙に書いてみよう。
次に、出来た物を夫婦で見せ合って、語り合おう。それぞれ人生において
なにを目的にしているのか、何を価値観としているのか、いろいろ気づきと共有するところがでてくるだろう。
互いに尊敬し合い、語り合いながら、それぞれのステートメントをまとめて、
1つの夫婦(家族)のミッションステートメントを書き上げてみるのだ。
なにか夫婦で問題が生じても、まずミッションステートメントを取り出してきて、
これを中心に問題について語り合うのだ。
ミッションステートメントなしで話し合うと、「いった」「いわない」の互いに非常に主観的パラダイムになるが、
紙に書かれているミッションステートメントを見ながら語り合うとより客観的に問題について語り合うことができる。
つまり夫婦それぞれが中心ではなく、その上の原則(ミッションステートメント)に従って行動していくということだ。
これが非常に大切なのだ。
ミッションステートメントは定期的に語り合いながら見直して、夫婦の節目においてバージョンを上げていくことも重要だ。
■■最後に
夫婦互いが主観的パラダイムになりやすいが、もう一つ重要なことがある。
第3者を見つけておくことだ。第3者というのは、夫婦の状況を客観的に見て、
鏡のようにフィードバックしてくれる人だ。
だが、カウンセラーでもよいが、
お金をかけずに近所のおばちゃん、親戚のおじさん、学生時代の学校の先生、神父さん誰でもよい。
日頃からそのような人と良好な関係を作っておき、相談できる環境を整えておくことは非常に重要だ。
夫婦がバイアスによって気づかなかった新しい認識を得ることができる。
これはホント大切だ。
最後に、結婚生活ケンカも沢山して、とても大変なことも多いが、
妻への深い愛と感謝のうちに
系統としてはユダヤ資本が何百人会議で世界金融をしかしてその正体は敵か味方か爬虫類人というアレである。
はためには勤勉で真面目な少年だった。
体育会系でこそなかったものの外向的な性格で、友達も多かった。
まれに「世界の真実を教えてやる!」と友人を集めて9.11に隠された陰謀だとかホロコーストの真実だとかを流布しようとすることを除けば、おおむね普通の高校生だったと思う。
彼は性別の別け隔てなく友達づきあいするタイプではあったが、私はあまり深く関わらなかった。
今思えば後学のために彼の主張をすみずみまで拝聴しておくべきだったかな、と悔やまないでもないが、私は私で当時恋に勉強に何かと忙しい女子高生だったのだ。
今はもうあの頃の制服は着られない……。
しかし遠巻きに見ていてさえ、彼がなぜ陰謀論にハマっているのかわかる気がした。
彼は生真面目な人間だったのだ。
無遅刻無欠席だとか、進級に関係ない夏休みの課題は計画的にうっちゃったりせず全部やるとか、その程度の生真面目さではない。
なにもかもキッパリパッキリしていなくては気がすまない人間だった。
正義感も強かった。義心に溢れていた。
自発的に近所の自然保護団体?(教育機関的な役割も兼ねているようだったが実態はよくわからない)に属しているようで、そのグループの活動でも少年部のリーダー的な役割を担っていた。そのことを知ったのは彼がEM菌の普及活動の講演会にスピーカーの一人として登壇したからだ。
見た目は「いい人」だった。
いや、事実「いい人」だったんだろう。
クラス内の評価も「おおむね良い奴」だった。彼の口走る政治ネタは影では冷笑的に受け取られていたが、彼の眼前でバカするのはなんとなく憚れられる空気があった。
哀れみでも、恐れでもなく、ただ「こいつは良い人」だからという遠慮があったんだと思う。
キャリア官僚として官庁に就職し、ゆくゆくは中央の政治に関わっていきたい。
そう言っていた。
彼は学年一の秀才というわけでもなかったが、もちまえの生真面目と努力を惜しまない姿勢が評価され、
推薦でそれなりに優秀とされる大学へ進んだ。
私はフェイスブックをやってないし、彼の下の名前も忘れてしまったので、ググろうにもググれない。同窓会は成人式のときに一度開かれたっきりだ。
この前ふと気になって、高校大学と私と同学でその後某省でキャリア官僚になった友人に「あの子、どうなったんだろうね。もしかして、同期で入省したりしてない?」とたずねたが「いやあ、聞いてないなあ」とどうでもよさそうな返事をされただけだった。「もしかして、あの子のこと好きだったとか?」
いや、そういうのじゃないけど、と私は言って、それでもうこの話題は打ち切りになった。
高校の卒業式が近づいたある日のこと、帰り際に彼に呼び止められた。
みょうに緊張した面持ちで私の経験則から言って、十中八九、告白の前触れだった。
予感は当たり、彼は私に想いをぶつけてきた。付き合ってくださいと。大学は違うけど、遠距離になるけど、その、なんというか。
私は最敬礼で「ごめんなさい」と言った。
彼はしばしショックを受けて硬直したのち、こう問うてきた。
「え……なんで?」
ここで、「なんで?」と訊くようなやつだからだ、と言ってやってもよかったのだが、その日たまたま私は虫の居所が悪かった。ので、ウソをついた。
うち、爬虫類飼ってるから。ヒョウモントカゲモドキ。
なぜ、ヒョウモントカゲモドキという馴染みのないワードがあそこで出たのかはわからない。
前日にNHKかなにかの動物番組でたまたま出てきてそのキュートなビジュアルが脳と網膜にやきついていたためだったろうか。にしても、その瞬間までにはまったく忘れていたのに。ヒョウモントカゲモドキ。
今では、私の部屋で私の帰りを唯一待ってくれるのもヒョウモントカゲモドキのエクレア(通称エーちゃん)。
ただし金になる仕事は一切与えられてない、そのために結構な歳になっても転職できない(?できないのか出来るのかは分からない)
総合すると未経験が経験をつけるための1社目としてはあまり良さそうな会社ではないって事だ
その女性のその後が気になる
見届けるのか届けないのかは分からないけども
(おそらく届けない可能性の方が高い)