はてなキーワード: 守破離とは
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┣━わかる(わかる派)
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┣━ そうかな?俺はそう思わないけど(対話拒否派)
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┣━ 本人起因派
┃ ┣━ お前のアンテナが古いものしかキャッチできなくなっただけ(アンテナ劣化派)
┃ ┣━ もともとそうだったことにやっとお前が気づいたんだよ(前から一緒派)
┃ ┣━ 古臭いの定義自体がおかしいんだよ(根本的対話拒否派)
┃ ┗━ マウントを取りたい気持ちが錯覚を起こしたんだよ(因果逆転派)
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┣━ジャンル起因派
┃ ┃ ┣━ オッサン相手にしたほうが売れるんだよ(商業主義派)
┃ ┃ ┗━ 共有幻想が土台として必要なんだよ(データベース論派)
┃ ┗━ 今風の作品を作っても本物のアイドルには勝てないんだよ(二次元敗北主義派)
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┣━業界起因派
┃ ┣━ 作ってるのがオッサンだらけなんだよ(人口ピラミッド派)
┃ ┗━ 売れたもののコピーじゃないと企画を通らないんだよ(保守派)
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┗━アイドル論派
こういうのも守破離なんだろうなぁ
子どものころは自分で何でもできるように、他人に迷惑をかけないようにを教えられる。実際、成人してしばらくしたらそれは完成する。
そこからは、逆に自分の不得意なこと・できないことについて、人に頼ることを覚えないといけない。
端的に言えば、助けを求める能力、自分の弱みを見せる能力を身に着けるということだろうか。
これは、自己完結するという自分の殻を破るということでもある。
自分の弱みを見せることを覚えたら、他人の弱みを受け入れることを覚える。
言うなれば、他人の不得意なことやできないことを引き受けて、共生することを覚える。
親でもいいし、職場でもいいから、助けを求めてみな。そうすることは恥ずかしいことではなく、大人としての能力を身に着けるってことなんだよ。
去年の四月に上京してきた
役に立たず軽いうつ状態に陥り、休みの日も仕事の勉強しようと思うのに、嫌で嫌で仕方なくて、無為に1日を過ごしてしまっていた
親に電話して
実家に帰ろうと思う
つらい
親に泣いてすがったり
そういうのが出来ない 半端にプライドが高くて
藤子不二雄A先生の『明日は日曜日そしてまた明後日も……』が他人事に思えない
すごく辛かったよな、って主人公を抱きしめたくなる
※追記
反応ありがとうございます。少し救われます。
>親が健在なら電話して迎えに来てもらえ
実家は栃木です。さすがにそんなことは頼めません。「ダメだったので実家に戻る」と言って、今の住まいを引き払う準備します。
たぶんそうした方がいいのでしょうね。
今の仕事は知り合いの口利きで入ったので、結果が出せず申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。
最近睡眠は取っているのに寝たくてたまらなかったり、やたら喉がかわいたり、お風呂に入らなかったりしてしまいます。近所の精神科を検索したりもしています。
宗教や、弱者を食い物にする類のものだけにはひっかかるまいと思っているので、その辺りは大丈夫かと。
昨日は無意味に三谷幸喜の映画を二本続けて観たりしていました。
>こういうのも守破離なんだろうなぁ
頼るとか甘えるとかが上手に出来ないのです。何度も直そうと思っているのですが、ままなりません…
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080779271.html
の記事に対して否定的なコメントをツイートしたら落合氏本人からレスがついた。
せっかくなので補足をしてみようと思う。
①サッカーのたとえについて
サッカーのたとえが安易だと思ったのは、ここであげられている例示に違和感を覚えたからだ。
「このオケはマンUのようだ」「この曲はレアルのようだ」という時には、サッカーとクラシック両方に対するリテラシーがいる。
「神奈川フィルは地域密着で有名なプレイヤーは少なくてもど根性プレイを見せるからVファーレン長崎のようだ」とか「ラ・ヴァルスは構造が技巧的でデコラティブだからレアルのようだ」とか、双方をつなぐリテラシーが必要なはずだ。
そこを「感覚」というあいまいな言葉で接続するのは無理がある。
このような安易な例えでクラシックへのハードルが低くなるというのは飛躍しすぎだろう。凄く雑な議論だ。読んでいて話者の「僕はサッカーもクラシックも知っているよ」という「ぼくはAKBもリンキンパークも聴くよ」みたいなスノッブさを感じた。
この対談は日フィルが落合陽一と組んで行う新しい取り組みにたいして以下の2点を目的としているはずだ。
・こうした新しい取り組みに批判的であろう、旧来のクラヲタへの目くばせ
まず前者だが、クラヲタはこの対談で言われるほど理屈っぽくはない。私のまわりのアマオケの友人をみても、音楽史や楽典に精通している人は少数派だ。だいたい当の音楽業界の音楽批評こそが「感性」にたよったポエムみたいのばっかりで、しっかり楽曲の構造分析や演奏技術について記載された記事の方がまれじゃないか。そっちが大丈夫かと思うがそれはここでは関係ないか。また、守破離のくだりでいわれるようにクラヲタは保守的でもない。先日の渋谷慶一郎の科学未来館のロボットAIオペラが盛況だったように、むしろ新しいものが歓迎される素地がある。私だって金さえあればこのイベントに行ってみたい。落合陽一がどんな「挿絵」を曲に添えるのかみてみたい。こうしたクラヲタの新しいものへの「感性」に目をつぶって彼らを見くびるような対談をプロモーションに使う日フィル大丈夫か。
対談の後半くだりは落合陽一をアイコンにするような「アーリーアダプター」だったら興味をもって読むだろう。だが、「のだめ」でクラシックに興味をもったライトな層だったり、そもそも普段クラシックに興味があまりない新規層をとりこみたいのなら「意識高い系が西麻布で美味い飯食いながら<楽しいからこっち来いよ>言ってるみたい」な感じのこの対談がフックになるとは思えない。90年代に流行った空間ディレクターみたいな人たちがウェイウェイ言ってるだけで、全然クラシックへのハードルが低くなっているようには思えない。
私はこういうプロオケの新しい試みはどんどんやっていけばいいと思うけど、この対談にはイラだちしか感じなかった。クラシックへのハードルを下げているのは、主催者が汗水たらしてるラフォルジュルネだったり、プレイヤーがチャレンジしている反田の新しいフェスだったり、そもそも神奈川フィルが地べたを這いながらやっている地域貢献であって、わたしの「感性」ではこの対談に「内輪の軽さ」しか感じなかった。
あと、蛇足だが、落合陽一のファンらしき人から落合氏は凄い人だからおまえも学べとか尊敬しろみたいなリプが複数きた。落合氏もこんなのに普段から囲まれているなら不幸だと思った。頑張れ准教授。
自分名義でオリジナル作品を発表するとか、周りが合わせてくれる超大御所のプレイ、あるいはフリージャズという仕切りの中ではもちろん自由にやれる。
そういう特異な場合でなくて、以下は件の中学生のような一般人が普通のジャズをやるときの話ね。
アドリブの音楽というイメージから、ジャズは何でも自由にやれると思われがちだけど、そんなことはない。
尺もかなり厳密に決まっている。構成もいくつかパターンがあり(慣れないとややこしい)、カウントし間違えたり、どの部分を演奏しているかわからなくなったりすると顰蹙を買う。
音自体も出していい音というのが細かく決まっていて、まずはそれを覚えた上で弾けるように気が遠くなるような準備をしておかなければならない。
なまじ他のジャンルより弾いていい音の種類が多いだけに、覚えるべきことも多く難しい。
というか、そもそもジャズはアンサンブルという限界を先人がチキンレースばりにじわりじわりと押し広げてきたものなのだろう。
そして、それが許されるのは「守破離」の「守」を極めたごく一握りの天才だけなのだろう。
でも実際ジャズ系のジャムセッションなんかで「逸脱」すれば、さすがに引っ叩かれはしないが後で文字通り無視されたりする。ラーメン屋等で常連だけが知っている注文方法等の不文律を知らずにうっかり入ってしまったイチゲンを白眼視する店主と客みたいなものだ。
むしろジャズの人達は逸脱に対して非常に厳しい。ジャズ警察と揶揄される所以である。件の中学生がやっていたビッグバンドなら尚のこと裁量の余地は少ないだろう。
物理的な暴力というのは論外だが、精神的暴力なら普通にある話。
自由だなんだと一見敷居を下げて見せながら、その実いろんな意味で敷居が高い。
どれほどはみ出す初心者や素人を受け容れてきたか、ジャズやっている人達はその胸に問うてほしい。
ファンクはいいぞ!ワンコードかツーコード。尺も特に決まってない。
盛り上がればよしというコンセプトだから逸脱に対してもみんな寛容だぞ。
まあ自由過ぎると逆に難しくなるのだが…
なぜかというと目的に合わせて自分を飼いならすという訓練が出来ないから。
自分よりレベルの低い人間を相手にしていればいくらでもそれは実現できる。
だが、金がほしい、彼女が欲しいとなった瞬間駄目だ。
これは一定以上のレベルが必要だからだ。独学でいくら頑張ってもよほど生まれつきが良い人間でない限り無理。
守破離をバカにしている奴が書いているラノベ感想記事を読んだ。
そのラノベを読んでないと書けない文章ではなく、ただ以下に自分がオタクとして優れているかをアピールしたいだけの自分語りオナニーだった。
守破離をバカにしている奴が書いている精神病に関する記事を読んだ。
素人に毛が生えた程度の体験談であって、共感は出来ても役に立たない。つまり金を払う価値が無い。
こういう奴はいつまでたっても金を稼いでいるブロガーをバカにしたまま自分が優れてるという勘違いを守るために変化もできずそのまま40歳になっても地下室で手記を書いている。
40歳になったころ彼女もなく金もなくいつまでも若者を羨んで地下ブロガーとして活動している元はてなアイドル。字面にしただけで哀れと言わざるをえない。
個性だけで勝負しようとした人間はどんな世界でも結局途中でいつだって最終的には負けるのだ。
とはいえ、ブログカレッジなんかに頼ろうとした奴も99%死ぬけどな。
とはいってもね。守破離を馬鹿にしてる奴の意見が全くもって馬鹿げるわけじゃない。
守破離が大事だとはいったが、守破離というプロセスは下手をすると自分を殺すだけで何の役にも立たないからな。
このプロセスに始まる前に最低限表現したい自己が無いやつには毒物以外の何物でもない。
ブログカレッジに頼らなくてもある程度稼げているやつがブーストを掛けるきっかけにはなるが、知識だけでは1を100にすることはできても0を1にすることはできない。
ところが何かこれを知れば0の自分が1になれる。100になれると勘違いしているやつは例外なく死ぬ。
自分で研究しなきゃ駄目なんだ。他力本願はね、うまくいかない瞬間、負ける瞬間にそれに気づくことが出来ない、っていうのが最大の弱点だから。
http://anond.hatelabo.jp/20160107125638