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はてなキーワード: ラヲタとは

2023-10-05

ビックリマンシールとか作ってるラヲタがきしょい

そこそこ繁盛しているラーメン屋に行くと、券売機レジの近くにラヲタオリジナルビックリマンシールが貼ってあることがある。彼らから嫌なことをされたことはないのに、「うわきっしょ」と思ってしまう。自分でも何故かはよくわからない。客側であるラヲタが、「これ僕のシールなんで、よかったら貼ってください」とか配って回ってる姿が想像できてしまうからだろうか。それを実際に貼るかどうかは店の判断から私が口を出す問題ではないんだけど、なんかね。。。

2023-10-01

anond:20230917084907

こいつ絶対ラヲタだろ。。。

最近影が薄かったのをいいことに

ここぞとばかりに番付を明け渡そうとしやがって

2023-04-29

自衛隊国民ゲームエロ同人売ってるイベントコラボってどん判

まり大きくない同人イベントから入り口に置かれる自衛隊コラボパネルから歩いて五十歩でエロ本真っ只中だぞ

いつもなら入り口から百歩で国民ゲームエロ本エリアだぞ

コラボする分屯地無関係のようだが、セクハラ事件パワハラ告発逮捕事件自衛隊全体に影を落とす状態

イキリチャラヲタ丸出しの人気取りに感じて不信感しか感じないわ

コミケなら全然許せる。

どうせ防災公園あるいは企業ブースに置かれるような展示だし、距離や人の壁がエロ本までのゾーニングするから

イベント運営もせめてもっと展示の位置を離すか、併設で企業自治体コラボイベントでも立ててそっちでやってくれよ。

あー俺、潔癖すぎるかなあ

2022-12-17

ジャンプラのヲタが嫌い

ジャンプラは節操なく青年漫画少女漫画エロ漫画四季賞ぽいものを全部取り込んでジャンプラナイズしていくけど、ジャンプラヲタは元の世界知らずにジャンプラのそれらを読んだだけでわかった気になって「ジャンプ少年漫画以外はクソ」「売れない漫画はクソ」「女はクソ」と批評する。

評価基準としては、まずは売上その次に性別。売れている漫画正義。でも女作家だと駄目。女ファンが多くても駄目。鬼滅はもう終わってるから話題には上がらなくなったが、鬼滅も気に入らない部分を「まんさん()からこんな描写になった」と叩く。今ならスパイファミリー。女ファンが多いから叩きの対象になっている。女はバカで知能が低いからほんわか描写だけ読んでて話には興味がない、俺は男で知能高いからそういうほんわか描写には興味ないんだ、女はバカだね、等。

ジャンプフェスタでもキャラグッズ買うのはバカなまんさん()なんだそうだ。

売れてるものを叩き棒に利用して勝ち誇るのは個人的には嫌いなんだが、流行り物にイナゴしてドヤるのってそんなにカッコいいのだろうか。

2022-09-18

えっと、もうさ

この3つで提出でいいか

何か異論ある?

2022-09-17

はんつ遠藤の時にラヲタ界は痛い奴が多いって話を知ったけどとんこつくんクラス想像してなかったわ

2022-04-09

受動音楽ディグ、すなわちラジオNHK-FM聞き逃しサービスでダラ聞き

少し前に音楽ディグどうしてる?との話題増田で盛り上がり大いに参考にさせていただいた。

増田ネットでは主にSoundcloudを使わせてもらっているが、精度が良すぎて似た感じの曲ばかり集まってしまう。

それはそれで嬉しいが、自分では聞かないような意外な曲を聞いてみたい。そこでラジオのすすめ。

NHKFMだと音楽メインの番組が多く、CMが無いのでストレス少ない。

更に最近は聞き逃しサービス提供している番組が増え、番組終了後一週間はいつでも何度でもネットで聞ける。聞き逃し対応番組おすすめしてみる。

https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/

世界の快適音楽セレクション土曜日 09:00〜10:50)

ゴンチチの案内する「ちょっと変わった切り口で色んなタイプ音楽がかかる」番組。毎回テーマを決めてゴンチチのお二人と選曲担当者が選んだ変な曲が色々かかるので、自分からでは絶対聞かないタイプの曲が毎回かかり、たすかる。この番組きっかけで聞くようになったミュージシャンもいる。今朝は「ハニーの音楽」というテーマハニー・ナイツの「サスケ」がかかっていた。途中のセリフ迫真演技力面白かった。

音楽遊覧飛行 (月〜木 9:2010:00)

4人のパーソナリティが週替りで出演。

エキゾチッククルーズ」(サラーム海上

映画音楽ワールドツアー」(紺野美沙子

ふるさとのうた 心の旅」(榊原広子)

ミュージックエクスプレス」(向谷実

個人的にはサラーム海上氏の週がおすすめ世界の最新ワールドミュージックが色々聞けて楽しい

紺野美沙子氏の週は映画サントラ榊原広子氏(ダ・カーポ)の週は懐かしポップス童謡合唱曲等、向谷氏の週は電車にまつわる曲色々、ジャズ歌謡曲がよくかかる。

クラシックカフェ (月~木 14:00〜15:50 再放送 火~金 7:25〜9:15)

今年4月から聞き逃し対応になった。たすかる。クラシックダラ聞きに。その日のテーマに沿って色々クラシックがかかる。交響曲まるごと一曲とかもかかる。曲の合間に豆知識教えてくれたりもする。たすかる。

鍵盤のつばさ (月一回土曜日放送 20:15〜21:00)

月一回しか放送してない幻の番組「鍵盤のつばさ」。なぜ月一なのかというと、NHK交響楽団演奏会の中継が入る日のみの放送なので。聞き逃し対応になったのでうっかり聞き逃しても大丈夫なのだ普段はこの時間、あの曲者番組クラシック迷宮」を放送しているので多分迷宮ファンなら聞き逃さない。

作曲家ピアニスト加藤昌則氏がテーマに沿って鍵盤曲の魅力を語る番組で、軽妙な語り口が楽しい

現代の音楽 (日 8:00〜9:00)

4月から聞き逃し対応になった現代音楽番組現代音楽の新作をばんばん流してくれる太っ腹番組NHKはこういう番組は残していってくれないと。日本の貴重な音楽歴史を記録し後世に残していくために。

番組の進行は作曲家西村朗氏、いつも番組冒頭で「作曲西村朗です」と仰る。「作曲の」ってのがなんかいい。

以前はてブホッテントリ入りしてたオモコロ現代アート記事https://omocoro.jp/kiji/152982/

三杉レンジ氏が「アート業界では作品言語化は前提として必要不可欠なもの」と仰っていたが、西村先生はこの言語化がとても巧い。増田のような素人にもスッと音楽が入ってくる。

更に西村先生は話がめちゃ面白く、ゲストが来る回は大体爆笑トークになるのでもう絶対聞く。

クラシック好きなのでついクラシック番組ばかりになった。

聞き逃し対応ではないが「クラシック迷宮」(土 19:20〜21:00)も面白い。これ絶対はてなー好きなやつ。政治学者でクラヲタ片山杜秀氏の番組。かなりの曲者番組で、片山氏は旧東側音楽日本現代作曲家に詳しいのでそっち系の曲が割とよくかかる。日本現代作曲家がやっていた劇伴もよくかかる。特撮とか。先週もニーチェの話からウルトラマンウルトラセブンかかってた。

あと片山氏、子供の頃からテレビの音を録音するのが趣味だったそうで、NHKも持ってないような貴重な音源持ってたりするそうな。

ここまでおすすめしておいて何だが、NHKFMには少し怒っている。

朝6時といえば60年前から古楽番組をやっていたのに、数年後のAM一波停止の煽りか朝6時台を英語番組に取られて朝5時台に追いやられてしまったのだ。予算削減だから当たり前だろ番組なくなってないんだからいいだろーが、と言われるとつらいが、こちらも数十年は朝6時の古楽聞いてきた身であるAM波停波はまだ数年後だが、今後語学以外にも芸人バラエティ番組等も次々引っ越してきてFM音楽番組中心のラジオではなくなっていき、おそらくクラシック番組から削られていくのだろう。クラシックジャンルの中でも聞く人の少ない古楽現代音楽から削られるのではないか懸念している。金にならん文化なんか消えるべき、という考え方が増えてるのもわかる。役に立たない音楽より明日の食い扶持、というくらい国民生活は逼迫しているし。でも消えてほしくないんだよ日本現代音楽は………歴史は記録しないと消えてしまうんだ。

2021-12-11

そもそも小説クラスタ人間からすると、「書評家」というのがそんなに偉そうにしてるということじたいが訳がわからない

ラーメン評論家ラヲタインスタグラマーを一括してたら誰だって馬鹿だと思う

2021-10-03

ラヲタ発達障害者電車好きは一緒

hazlitt なぜ「ラーメン」なのか?に関しては価格メニューの幅が狭いのと、材料とか調理法がだいたいパターン化されてて分かりやすい(ゆえに素人でも自分なりの見解を持ちやすい)というのもあると思う2021/10/03

そんな印象を受けましたまる

anond:20211003152126

2021-09-28

anond:20210928152015

ラヲタを笑う政治評論家たちには、自分らにブーメランが刺さっているのがわからないんだ

ラーメン評論家ボコられて当然でAKB店主かわいそうと思ってる人へ

なんかもう絵に描いたようなフルボッコですよね、ラーメン評論家

そして、いわゆるラヲタと呼ばれる人々もキモいウザいと散々な叩かれようですけど、ラーメン業界に少々関わっていて一般人が知らないような話も多少は耳にしている私のような人間からすると、今のラーメン評論家ラヲタの叩かれ方や、梅澤愛優香という人物言動擁護のされ方が、どうもしっくりいかないところがあってこの文章を書いています

梅澤氏は、本人のツイートでこう言っています

 私は批評されるのが嫌なのではなく

 皮肉、嫌味、難癖、茶化しなどのパワハラとなるマウンティング言葉や行動を含むセクハラが嫌なので壁を作りたかったんです。

かに、一部ラーメン評論家ラヲタ彼女に対する態度・言動は、はたから見ると彼女が主張するとおりに見られても仕方ないところはあったんだとは思うんですけど、それは彼女若い女からとか、アイドルラーメンを作ってるとか、そういうところからくる分かりやすマウンティングをしたわけじゃないんですよ。


まず事の発端というのは、梅澤氏自身自分経営するラーメン店について、「誰の力も借りずに一人で起ち上げた」と吹聴したところにあるんです。

もちろん彼女ラーメン開店にあたって相当の苦労や努力をしたであろうことを否定するつもりはありません。

でも、それまでこれといった飲食業経験を積んでいなかった人が、ごくごく短期間に、誰の力も借りずにあのレベルの味を作り出して、あのレベル造作店舗を次々と開店させるというのは、普通に考えてありえないんですよ。

梅澤氏には技術的なサポート金銭的なサポートをしている人間が裏に存在する。

このことは、ちょっと飲食系の食べ歩きをしている者ならばすぐに分かる話でした。

実際、あそこが関わっていそうだという話も耳にするようになる。

でも梅澤氏は、そのことを認めない。

認めないもなにも、そういった意見はまるで存在しないかのように無視する。

親切心から、そんなつまらない嘘はつかないほうがいいと忠告しても、無視する。

そしてまた、偽りの成功譚を吹聴する。


さて、ここでラーメン評論家にご登場願いましょう。

今回の騒動で、ラーメン評論家不要論が沸き上がっていますが、本当に不要なんでしょうか?

ラーメン評論家の最も大事な役目は、ラーメンに関する情報の確かさを担保すること、かもしれません。

テレビ新聞雑誌ラーメン特集を組む場合、実際に画面や紙面に出ていなくても、そこには必ずといっていいほどラーメン評論家が介在しています

なぜなら、メディア情報を発信するにあたっては、その情報の正確さに責任を負う必要があるからです。

ラーメン評論家が自らの膨大な知識を用いて発信すべき情報吟味し、その確かさを担保することによって、メディア責任をもってその情報を発信できるのです。

もちろん、ネット上に溢れるラーメン情報は、そんな責任など負ってはいないですし、そこにラーメン評論家など介在していないものほとんどですが、それらの情報にどれだけの品質と信ぴょう性があるか。

まさか食べログ評価鵜呑みにしてなどいないですよね?

それはそれとして、情報の確かさを担保する立場ラーメン評論家にとって、ラーメン店主が発するいい加減な発言というのは、なかなかに面倒くさいものだったりします。

年配の店主が昔のことをけむに巻く、なんていうのは冗談としてありでしょうがいかにも真実のような顔をして大マジで嘘つかれたら、本当に困りますよ。

間違いなく裏に援助者がいる店なのに、店主がそう言っているからと「店主の梅澤愛優香さんは、この店を自分だけの力で起ち上げた。本当に凄いですね!」なんて、言えないじゃないですか

言ってしまったらその時点でプロ失格です。

なので手を変え品を変え、梅澤氏に確認すると、無視されたり次第に嫌がられたり。


まり彼女は、ラヲタ評論家連中にとって「自分現実よりも大きく見せようとして、つかなくてもいい嘘をつき、不確かな情報を流布させている、かなり面倒くさくて残念な人」だったわけです。

彼女ツイートで「皮肉、嫌味、難癖、茶化しなど」と言っているものも、実際は彼女のそういった姿勢に対するリアクションなのです。

なんか完全に問題すり替えられてるなあという感じです。

ただし、彼女にそういう残念なところがあったからといって、何を言っても、どんな態度をとってもいいというわけではないし、人として問題のある言動・行動をとった人も少なからずいるのは確かでしょう。

そういう人は正しく糾弾されるべきだと思いますが、ただ、このような経緯があった上での梅澤氏とラヲタ評論家との関係性を知らないまま、この後の騒動について「ラヲタ評論家も最低、まゆかちゃんかわいそう」と憤るのは、ちょっと安直すぎるのではないかと思うわけです。


そんなこんなでラヲタ界隈が梅澤氏に辟易している状況下に、ついにあのバカラヲタが登場します。

なにをとち狂ったか、梅澤氏が反社と関わっていると言い出し、営業妨害

彼女が関わっているラーメン関係業者の中には、多少ガラの悪い人もいるでしょう。

そんな人、ラーメン業界はいくらでもいます(笑)

そんな人のことを冗談半分に反社などと言っていたのを真に受けたんでしょうかねえ。

この件については、バカラヲタ100%非があり、別に擁護する気もありません。

ただ、この騒動によって梅澤氏が自分の嘘をうやむやにする絶好のチャンスを得たのは間違いのないところです。

バカラヲタ100%アウトな行動をあげつらいながら、これまでもラヲタ連中にはひどい目に遭わされてきたきたと訴えれば、何も知らない人はころりと騙されますよ。

そうやって自分に都合の良い空気を作り上げたところで、ラーメン評論家出入り禁止を発表。

さら絶妙タイミング過去セクハラ被害告白

もちろんセクハラもアウトですよ。

でもこの一連の動きによって、ラヲタラーメン評論家が梅澤氏に向かって、彼女に都合の悪い話を振ることは、ほぼ不可能になってしまいました。

梅澤氏が一人で店を起ち上げた疑惑は、こうして闇に葬られたのです。


私は別にラヲタラーメン評論家は悪くないなんて思ってないです。

これまで関わってきた人の中には、人間的に残念な人もかなり多いです。

でも、今回の件について、ラヲタラーメン評論家がここまで一方的ボッコボコにされるような話ではないと思っているし、梅澤氏にもそれなりに非があるとは思っているので、拙い文章をまとめてみました。

今回の騒動にはこういう面もあるのだなということを理解していただけたら幸いです。

2021-09-26

anond:20210925133217

例に挙がってるのがラヲタプヲタからはてブの皆様も気軽に殴ってるけど

たぶんこの増田が本当にバカにしたいのって、あんたらみたいなタコツボ老害野党支持者なんだけどなあ

2021-09-21

anond:20210921114125

阪神は好きだけど阪神ファンは嫌いとか

BLは好きだけど腐女子は嫌いとか

ラーメンは好きだけどラヲタは嫌いとか

日本は好きだけど日本人は嫌いとか

2018-08-10

落合陽一からリプが飛んできた

https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080779271.html

記事に対して否定的コメントツイートしたら落合氏本人からレスがついた。

せっかくなので補足をしてみようと思う。

サッカーのたとえについて

サッカーのたとえが安易だと思ったのは、ここであげられている例示に違和感を覚えたからだ。

「このオケマンUのようだ」「この曲はレアルのようだ」という時には、サッカークラシック両方に対するリテラシーがいる。

神奈川フィル地域密着で有名なプレイヤーは少なくてもど根性プレイを見せるからVファーレン長崎のようだ」とか「ラ・ヴァルス構造が技巧的でデコラティブだからレアルのようだ」とか、双方をつなぐリテラシー必要なはずだ。

そこを「感覚」というあいまい言葉接続するのは無理がある。

このような安易な例えでクラシックへのハードルが低くなるというのは飛躍しすぎだろう。凄く雑な議論だ。読んでいて話者の「僕はサッカークラシックも知っているよ」という「ぼくはAKBリンキンパーク聴くよ」みたいなスノッブさを感じた。

そもそもなぜこの対談はイラっとするのか

この対談は日フィル落合陽一と組んで行う新しい取り組みにたいして以下の2点を目的としているはずだ。

・こうした新しい取り組みに批判的であろう、旧来のクラヲタへの目くばせ

クラシックになじみはない一般層へのアピール

しかし、この目的はおそらくどちらも成功していない。

まず前者だが、クラヲタはこの対談で言われるほど理屈っぽくはない。私のまわりのアマオケの友人をみても、音楽史楽典精通している人は少数派だ。だいたい当の音楽業界音楽批評こそが「感性」にたよったポエムみたいのばっかりで、しっかり楽曲構造分析演奏技術について記載された記事の方がまれじゃないか。そっちが大丈夫かと思うがそれはここでは関係いか。また、守破離のくだりでいわれるようにクラヲタ保守的でもない。先日の渋谷慶一郎科学未来館ロボットAIオペラが盛況だったように、むしろ新しいものが歓迎される素地がある。私だって金さえあればこのイベントに行ってみたい。落合陽一がどんな「挿絵」を曲に添えるのかみてみたい。こうしたクラヲタの新しいものへの「感性」に目をつぶって彼らを見くびるような対談をプロモーションに使う日フィル大丈夫か。

対談の後半くだりは落合陽一をアイコンにするような「アーリーアダプター」だったら興味をもって読むだろう。だが、「のだめ」でクラシックに興味をもったライトな層だったり、そもそも普段クラシックに興味があまりない新規層をとりこみたいのなら「意識高い系西麻布で美味い飯食いながら<楽しいからこっち来いよ>言ってるみたい」な感じのこの対談がフックになるとは思えない。90年代流行った空間ディレクターみたいな人たちがウェイウェイ言ってるだけで、全然クラシックへのハードルが低くなっているようには思えない。

私はこういうプロオケの新しい試みはどんどんやっていけばいいと思うけど、この対談にはイラだちしか感じなかった。クラシックへのハードルを下げているのは、主催者が汗水たらしてるラフォルジュルネだったり、プレイヤーチャレンジしている反田の新しいフェスだったり、そもそも神奈川フィルが地べたを這いながらやっている地域貢献であって、わたしの「感性」ではこの対談に「内輪の軽さ」しか感じなかった。

あと、蛇足だが、落合陽一のファンらしき人から落合氏は凄い人だからおまえも学べとか尊敬しろみたいなリプが複数きた。落合氏もこんなのに普段からまれているなら不幸だと思った。頑張れ准教授

2018-02-17

ふらわ

ちょっとから5ちゃんねるで興味深い動きが起こってるので、紹介がてら記録しておく。

通称「ふらわ」というラヲタがいて、以前から特殊すぎる言動で注目されて専スレが立ったりまとめが作られたりしてた。なんらかの障碍持ちであるらしく、支離滅裂独自理論知ったかぶり全開なブログネタに、いわゆるウオッチャー界隈からおもちゃ」扱いされてきた御仁だ。

港区」などの名義で自作自演擁護エロ書き込み等々を繰り広げることでも有名。56歳になる妻帯者(自称)で子持ち(自称)の人間がやることとしては、およそ最底辺レベルしか表現のできない行為を繰り返してきた。

奇行が加速したのは4年ほど前だったろうか。ブログにあまり適当なことを書き連ねるため「蒙古タンメン中本」を出入り禁止にされたり、素麺専門店を出入り禁止にされたり等々、何か一線を越えてしまったとしか思えない行為が繰り広げられていく。

当然というべきか、ウオッチャー界隈は盛り上がらざるを得ないわけだが、すると当該スレを埋め立て荒らしする御仁が出現した。

詳細は省略するが、これもどう考えても本人がやってるとしか思えない。しかもご本人いわく「IT戦士」なのに、荒らしはすべて手動。さらにその状態で一日2000件もの荒らしコピペを展開するという、常人理解の外な行為を続けてきた。

どうも失職中であるようで一日中埋め立て荒らしを行うため、対策として荒らし対象スレッド(の次スレ)をどんどん立てて勝手に埋めさせておくというアイディアを思いついた人がいた。その意図言わずもがなで伝播したらしく、ラ板、そばうどん板、宝くじ板、ラグビー板、地域板などで続々と同様の対策が行われている。

挙句の果てには運営板にも専用スレが立ってしまった。氏名住所電話番号顔写真リモートホスト等々、すべてあらわになっているのに、この人はいったいどうするつもりなのだろうか。

2014-09-30

10月1日の「天下一品の日」に捧げる

諸君 私は天一が好きだ

諸君 私は天一が好きだ

諸君 私は天一が大好きだ

 

コッテリが好きだ

ニンニクが好きだ

九条ネギが好きだ

唐辛子味噌が好きだ

チャーシューが好きだ

メンマが好きだ

餃子が好きだ

チャーハンが好きだ

オシンコ付きご飯が好きだ

 

本店で 今出川店で

西大路九条で 二条店で

上鳥羽店で 山科店で

南座前店で 高円寺店で

かしば店で 押熊店で

 

この地上で食べられる ありとあらゆる天一コッテリが大好きだ

 

戦列をならべた天一のコッテリラーメンが 轟音と共に空腹を吹き飛ばすのが好きだ

スプーンで放り込まれ唐辛子味噌が 丼の中でばらばらになった時など心がおどる

 

店員の持つお盆のコッテリ大が初見客を撃破するのが好きだ

悲鳴を上げて燃えさかる鉄板から飛び出してきた餃子

1分で食べ尽くした時など胸がすくような気持ちだった

 

雁首をそろえた客の横隊が 茹で上がる麺を蹂躙するのが好きだ

中毒状態のラヲタが 既に空っぽの丼を 何度も何度も舐め回している様など感動すら覚える

 

次々注文される伝票達をカウンター上に吊るし上げていく様などはもうたまらない

泣き叫ぶ客達が 私の降り下ろした手の平とともに

金切り声を上げる「麺売り切れ」に ばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ

 

何も知らない客が 味がさねを食べようと健気にも来店してきたのを

途切れない行列が昼休みごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

 

無料チケット目当ての軍団に滅茶苦茶にされるのが好きだ

必死に守るはずだった品質蹂躙され コッテリの注文にアッサリが出される様は とてもとても悲しいもの

 

強欲客の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ

無料券目当ての客に追い立てられ 害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ

 

諸君 私は天一地獄の様な天一を望んでいる

諸君 私に付き従う大隊戦友諸君

君達は一体 何を望んでいる?

 

更なる天一を望むか?

情け容赦のない 粘液の様な天一コッテリを望むか?

鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な天一を望むか?

 

 「 天一!! 天一!! 天一!! 」

 

よろしい  ならば天一

 

我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ

だがこの暗い闇の底で1年もの間 堪え続けてきた我々に ただの天一では もはや足りない!!

 

天一を!! 一心不乱の大天一を!!

 

我らはわずかに一個大隊 千人に満たぬ客にすぎない

だが諸君一騎当千の空腹者だと私は信仰している

ならば我らは 諸君と私で総兵力100万と1人のラヲタ集団となる

 

我々を忘却の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう

髪の毛をつかんで引きずり降ろし 眼を開けさせ思い出させよう

連中にコッテリの味を思い出させてやる

連中に丼の底の文言を思い出させてやる

 

天と地のはざまには 奴らの哲学では思いもよらないラーメンがあることを思い出させてやる

 

一千人の屍食鬼の戦闘団で

天一コッテリを喰らい尽くしてやる

 

最後の大隊 大隊指揮官より全空中艦隊へ」

 

二次10・1作戦 状況を開始せよ

 

征くぞ 諸君

2012-11-24

ヱヴァンゲリヲン疾走する。情弱は追いつけない。

音楽評論家宇野功芳に「メータ(注:インド出身指揮者)のブルックナーなど聴くほうがわるい、知らなかったとは言ってほしくない」という言葉がある。

その言葉にならうのであれば、本作を過剰に批判する側にも、称揚する側にも、「ヱヴァンゲリヲンはそういうものなのだ。知らなかったとは言ってほしくない」の言葉を添えたい。

「Q」はアップデートされた「エヴァであるから「旧作の狂気が帰ってきた」と称揚する評は間違っている。「意味がわからない、映画としての書法をなしていない」との評価も間違っている。

見る側を常に裏切るのが「エヴァなのだ

庵野新劇場版を作る前の宣言文でいった。

「この 12年間エヴァより新しいアニメはなかった」と。

その言葉伊達ではなかったと、冒頭シーンで感じないものがいればそれは不感症なのだ

あの冒頭シーンを見てこの作品を全否定するその神経が分からない。

そう、まずはヴィジュアルの評価から入ろう。

状況の分からない空間戦闘からノーチラス号の発艦シーンまでの息詰まる緊張感と圧倒的なヴィジュアルにため息をつかないものがいるとすれば、それはブーレースの演奏するマーラーを前に「精緻にすぎる」などと見当外れの批判をする童貞ラヲタのようなものだ。

圧倒的な美しさ、スタイリッシュさ、その疾走にはに頭を垂れるしかない。涙は追いつけない。

参照される古今東西映像作品の断片に庵野の美意識が振るわれ、結晶として屹立するその様はベルント・アロイス・ツィンマーマン音楽を思わせる。

ネットにもビジュアルに対する批判は少ない。

あるとすれば、脚本、演出による。

しかし、どれも的外れものに過ぎない。

いくつか代表的なものあげてみよう。面倒なので3点に絞る。

1.いみがわからない

私も意味がわからなかった。もう自己パロディしか思えないほどのとっちらかった謎、伏線、設定に呆然とする気持ちはわからないでもない。

しかし、こうした要素は「わからない」ことも含めて、自らを「サービス業者」と規定する庵野の「サービス」であり、そのインタビューにもあるように「酒のツマミ」として楽しむべきものなのだ。すでに2ちゃんには解釈をめぐりいくつもの「名解釈」が登場している。そこにエヴァ本質はないのでその解釈論争の成立自体「そういうもんだ」と楽しむのが正解だ。「しらなかったとは言ってほしくない」

だいたい、我々が生きているこの世界自体、意味がわからないだろう。

2.登場人物の行動に整合性がない

そうだろうか。ある程度登場人物のおかれた状況に寄り添って、「補完」すれば整合性は保たれてはいいか?たとえば「破」で「行きなさいシンジくん」と煽ったミサトが「Q」で別人のように冷淡だというのも「ミサトの14年間の辛苦」といったもの忖度すればあながち整合性がとれないわけでもない。

だいたい、我々が生きているこの世界の人物自体、行動に整合性がないだろう。

3.リアリティにかける

ゲンドウと冬月の「二人のネルフ」はどんな金で動いてるんだとか、吹きっさらしのグランドピアノがなんであんなに綺麗なんだよ普通さびるだろとか、まぁ分からないでもない。

しかし、エヴァとは「私小説なのだプライベートフィルムにおいて、美意識表現される「わたくし」の前に「世界」のリアリティはある程度犠牲になるのだ。

つーか、あの廃墟、ぐっとくるじゃん。それでいいんだよ。

だいたい、我々が生きているこの世界の自体、リアリティがないだろう。

同様に依存症にも似た称揚にも目が当てられない。

4.狂ったエヴァが帰ってきた。俺たちのエヴァだ。

どこ見てんのかね。この「狂気」は完全に「作った狂気」だ。綺麗にまとまりすぎているし、旧劇場版アドリブ奏法のようなどこに行くのかわからない狂気ではなく、計算された狂気だ。

「序」と「破」をいったんたたき壊すための仕掛けであり、旧劇場版の「狂気」に魅せられて未だに90年代から一歩も動けていないものへの「釣り針」だ。

から、この「狂気」に「狂喜」するものは救いようがない。

この作品は「シン」へのかけ橋である以上、注意すべき点は以下の3点に絞られる

・旧劇場版とほぼ同じ立ち位置にいる「無限に後退していくシンジ」をQで再度設定しながら、決定的に違うのは旧劇場版シンジの周りにはダメな大人と壊れたアスカしかいなかったのに、新劇では導き手としてのアスカとマリが設定されていること。

・旧劇場版で「鬱シンジ」を否定し、「序」、「破」で設定した、ポジティブな「シンジさん」(セカイよりもポカ波を選んだシンジ)も「Q」で全否定したこと。

・露悪的な破壊の中で、通奏低音のように「やり直し」「成長と大人になること」「社会とつながること」を流していること。

上記を踏まえると、庵野<旧劇場版で引導を渡したはずの「エヴァ」に依存するヲタク>をもう一回、別のアプローチ説教しようとしているように見えて仕方ない。ヒントは同時上映された「巨神兵東京に現る」に流れていたようにも思える。

我々は上記3点の「伏線」に「シン」でどうオトシマエが付けられるのかを見守るべきであり、やはりつまらぬ結論ではあるが、それまで判断を留保すべきなのだ

つーか、こういう厨二病全壊な文章をかかせるエヴァさいこうって話ですよ。

2010-06-27

アマチュアなら分際を弁えろ。プロならアマチュアを見下すな。

http://anond.hatelabo.jp/20100626154643

結論は題名に尽きると思う。

あなたのいる環境がどうなのかは知らない。周囲がプロ予備軍なら、厳しい言葉がかけられるのは当然なので何も言わない。以下は関係ないので読み飛ばしてもらいたい。

しかしあなたのサークル仲間が基本的にアマチュア集団なら、あなたはその人たちを見下すべきじゃないと思う。レベルが低いプロプロ失格なのは当然だが、それは裏を返せばアマチュアレベルが低いからと言って非難される筋合いはないということでもある。

私も学生時代に似たような風潮があった。ちなみに状況は別の増田が書いてた

美術大学美術デザインとは関係ない所でも有名大学の漫研なら昔から多数プロ漫画家を輩出している。

に近い。もう少し絞ると、それなりに名の知れた総合大学クラシック音楽サークルで、要するにアマチュア集団の中に、ごく稀に突然変異的にプロになる人が出現するという環境

このサークルにはだいたい

・有名音大でも狙えそうな感じだけど、(少なくとも当面は)断念して普通大学に入ってきた人

アマチュアとしては腕が高いが、音大生と比べれば並以下のレベル

・ど素人

の3層があって、人数比をちょっと誇張気味に言うと1:10:100ぐらいの感じだった。一番下のカテゴリの人は幽霊会員になってしまう人から、それなりに熱意はあっても壁を破れない(理由はだいたい、生育環境とかレイトスターターだったりとかその辺)「アマチュアの鑑」みたいな人まで多様だった(ちなみに私自身はメンタリティや生育歴的には「ど素人」なのだが二番目のカテゴリに分類されていた)。

それで、私が嫌だったのは二番目のカテゴリの人の中に一番下のカテゴリの人を見下すことがちらほらいたこと。特に、上に書いた「アマチュアの鑑」的な人は、ときどき熱意が空回りして「痛いクラヲタ」的になることが多かったが、そういう人が最大の標的になっていた。しかし私に言わせれば二番目のカテゴリの人は環境に恵まれた割に熱意が足りない人が多かった(だからそのレベルにとどまった)のだから何をか言わんやにしか見えなかった。

で、面白いことに一番上のカテゴリの人は誰も見下さなかった。で、その理由を挙げれば題名のようなことに尽きると思う。彼らはアマチュアプロの違いというのをサークル内では一番わかっていた人たちだ。プロ言い訳無用で人生賭けてやっているわけで、そうでない人を同じ基準でしばき上げるのは単なる価値観の押しつけに過ぎない。逆に、二番目のカテゴリの人の中には「自分そんじょそこらアマチュアとは違う」と下らないプライドを募らせた人が多かった。「本物と比べれば自分なんて大したことはない、でも自分はお前らとは違うんだ」と。

みっともないと思うだろう。私もそう思う。しかしあなたのやっていることはどうなのだろうか。もしあなたのいるサークルが基本的にアマチュア同好会であり、それをあなたが見下しているのであれば、「草野球チームを本気で負かせて喜んでいるプロの二軍選手」と同じぐらいみっともないのではないか。

2009-11-30

ラブプラス風俗と友人さえいれば・・・

http://anond.hatelabo.jp/20091129223726

20代後半男性 ブサメン

ここ6年彼女無し だけど

二次元全般 クラヲタ 映画(年50本くらい)などの 趣味もあって、プライベートも充実

一人暮らし歴も長いので家事もそれほど苦じゃない。

酒好きだから週末にぱっと飲みに行く友人(男が多いけど、まぁ女の子もいる)もいて、

趣味の話題で盛り上がれる。

風俗も大好きで、ピンからソープまでちょくちょく通ってるし

付き合いでキャバガールズバーにも行ったり。

仕事はまぁ、そこそこで、収入は多くはないけどひとり分くらいなら・・と言うところ

とりあえず彼女いなくても、いまはマナちゃんがいるから毎日楽しい

最近ヲタ向けの風俗も増えてるから、やりたいプレイがいろいろとできてしまう。

そんな生活してたら、なんか彼女作るモチベーションが沸いてこなくなった。

周りが結婚していけば焦るのかもしれないけど、喪のコミュニティにいるせいか

まわりはほとんど独身者

結局、ラブプラス風俗と友人さえいれば、人生ってそれでいいんじゃないかという気がしてきた。

2009-09-25

お笑いオタクも十分に気持ち悪いよ

キングオブコントについて言及しているブログは別にいいんだけど。

そっから点数について長ったらしく考察を書いている奴らってラーメンオタクレベルで気持ち悪い。お笑いに詳しいの好きだったらいいんだけど、ネタの作り方だとか、裏側についてグダグダ書いているのが本当に気持ち悪い。ラーメン作れないのに、出汁がどうのこうの、麺がどうのこうの講釈垂らしているのと同じ。お笑いヲタラヲタもそのくせ気軽に楽しもうとしている奴らを変に嫌悪するあたり救いようがない。

特にジャルジャルの点数が低かったのは…みたいなこと書いている奴ってジャルジャルをスゴイ評価してたから、お笑いオタクとしてあいつらが最下位だったのが恥ずかしいんでしょ?ジャルジャルが天下を取るとかグダグダぬかしてたら最下位って現実受け止められなくて陰謀論が如く03が不可解に高い点数とかいちゃもんつけてる。03が低くてもお前の大好きなジャルジャルは優勝できねーっつーの。

ジャルジャルネタは賞レースに向いていないとか、そもそも論言いだす奴はもっと見苦しい。んなことはお前が言うことじゃねーよ。わかってるなら大会前に言えばいいだろうが。

審査員関東ばかりで関西ジャルジャルには不利だった? 馬鹿かお前は。関西だったら優勝してたと言いたいのか。その発言の見苦しさに気がつけよ。審査ボタン芸人全員が持っていなかった。関西芸人は押させてもらえなかったとかどこの被害妄想だ。

お笑いなんてものは好みがありますから万人にウケルということは…みたいなことを普段言ってるくせに、いちいちすべてに文句言ってるセンスとか本当に疑う。出来レースだからとか知った口叩いている奴は見るなよ。グダグダぬかすな。一言出来レースには興味ありませんって宣言しとけよ。本当に出来レースならレコ大みたいに廃れるっつーの。

ホント、一番気持ち悪いオタクお笑いオタクでいいよ、もう。

2008-06-01

作品の質とメインサブの区分は直結しない

これを読んで思ったこと。

こういう話が出てくると、必ず賛成意見と反対意見

という風に分かれるのだけれど、正直どっちも違うんだよなあとその度に思う。

作品の質が、メインカルチャーだからよいとかサブカルチャーだから悪い、あるいはその逆だとかいうけれど、そもそもそれって関係のあることなのかどうか、と、クラヲタクラシックオタク)の俺としては思ってしまう。


音楽世界でよく持ち出されるのが、音楽家なんて昔は貴族召使いで、オペラなんて町人の娯楽じゃないかという話。確かに、モーツァルトオペラの粗筋は昼ドラやらハリポタ並みだし、ベートーヴェン交響曲チンドン屋節、そしてシューベルトの歌だってオーストリア民謡だ。そしてそれを根拠に、「難解なだけの音楽音楽ではない、だからクラシックはもう文化として死んでいる」なんていうことを言う人も、世間レベルではまだまだいる。

だけれども、クラヲタの俺に言わせれば、彼らの良さは別に素材の俗っぽさが原因ではない。あの時代には、高尚な素材を使って下らない音楽を書いた奴も沢山いたが、低俗な素材を使って下らない音楽を書いた奴も同様に沢山いたのだ。

要するに、素材が高尚だの低俗だの、あるいは作品が難解だの明解だの、それらのことが作品の質とは必然的には関係しないということだ。


それだけのことがわかっていない奴が20世紀にはまだ力を持っていて、たとえば大指揮者バーンスタインという人はミュージカル作曲家でもあったのだけど、彼の代表作ウェストイド物語」なんかは最も成功した現代音楽作品でありながら、コアなクラシックファン、特に現代音楽ファンからは軽視されたりもしていた。

だが、そんなことはもはや昔の話だ。たとえばビートルズの作品の質の高さは誰の目にも明らかで、クラシック以外から音楽の傑作が生まれないことは明白に事実に反していることは誰もが認めている。その結果、現代ではジャズピアニストクラシックを弾いたり、あるいは民族楽器奏者がオーケストラと競演したり、クラシック声楽家がロックスタンダードナンバーアレンジして歌ったりということが、部分的にではあれ、普通に行われている。そんなことをしたからといってファンから見放されるなんてことはあり得まい。


そういう目で見ると、文学やらその他の世界で言われている話ってのは今更に思えてならない。純文学漫画ゲームケータイ小説より優越していたり、あるいは劣っていたりしなきゃいけない理由なんてどこかにあるのか?誰が見ても手塚漫画は平均的な芥川賞作品より圧倒的に作品のレベルが高いし、逆にエロゲーの凡作は村上春樹作品に人気でも質でも及ばないというのが、世の大半が一致する見解だろう(個人的には村上エロゲーも大嫌いだから客観的な判断はできない、すまぬ)。

カルチャーメインとかサブってのは単にメディアだけの問題だろう。使っている楽器とか雑誌とかが違うことが、作品の質に必ず影響すると考えるのは根拠がないことじゃないのか。この手の議論を聞くと「理系人間哲学がわかってないからだめだ」とか「文系人間熱力学の第二法則も理解していない」みたいな低俗な論争を思い出してげんなりしてしまうのですよ。


追記 題名が誤解を招くと思ったので修正しました。

 
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