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はてなキーワード: とは何だったのかとは

2023-08-31

友達とは何だったのか??

俺には友達ほとんど居ない

たぶん居ない

月に1回以上遊ぶ人間10人以上いるが

そいつらが友達かどうかはよくわからない

 

友達という定義が、どうしても学校という特殊環境下でのもの思考ロックされてしまったと思う

漫画映画も、どうしても学校文脈が残ってしまっている

 

学校での友人関係は非常に特殊

たまたま同一の場所毎日居て、同じ所属で、同じ文脈を持っていて、年が似ていてるみたいな

お互いにつるむ理由の前に、すでに文脈を共有する存在なんだ

こんなの、大人になると滅多に発生しない

 

友達をそういう風に定義してしまうと、友達ができないと悩んでしま

学校以外の人間関係はより自然

何か動機がないと人ときちんと知り合って話すことはほとんどない

それは所属かもしれないし、何かのサークルかもしれないが、とにかく自分動機があるため偶然性は薄い

大抵は上下関係か、お互いのグループ内での立場があって、年も違うし文脈もさほど共有していない

一歩踏み出してお互いの文脈を広げないと関係構築は難しい

会社は少し学校に近いが、上下関係という点においては他の自然出会いよりも友達化が難しい

 

から本当は

デフォルト関係が既にある状態とか、利害関係がある状態とか、薄い文脈とか、共通項が特定の一つしか無いとか、年齢差とか

そういう環境下でも相手と仲良くなる訓練が最初必要なのに

どうしても学校という特殊環境最初に持ってこられるから訓練ができない

学外活動をたくさんしてる人はまだ訓練をつめるかもしれないが

 

というか大人になると分かるが必ずしも学校のような友達必要ではない

学校友達は戦友に近い、狭いコミュニティ内で信用できるのがそいつしかいないから、全部をそいつに背負わせる

でも社会は人がたくさんいるから、適材適所で人を選べば良い

テニス趣味ならテニス仲間を見つければ良く、腐れ縁にわざわざテニスを叩き込む必要はない

 

おそらく誰しも狭義の友達と広義の友達定義自分の中に持っていると思う

狭義の友達は非常にハードルが高いだろうが

広義の友達は「特定関係性以外で遊ぶ人は全部友達」といった、「その他としての友達」の定義だろう

本当は「その他としての友達」のような名称がほしい

「知り合い」ではかなしい、もう少しフレンドリー名称があれば、そこを増やすことを目指すだけで大人ほとんど十分だと思うが

どうしても学生の頃の記憶を引きずって、十徳ナイフのような友達という存在を求めてしま

2023-08-03

anond:20230802015113

はてな学級会 頻出議題100選

1 どんな英語勉強法有効

2 性的な要素のある表現表現の自由に関する話

3 持ち家か賃貸か論争

4 ブクマスターの付け合いなど互助会に関する話

5 インデックス投資をすべきという意見

6 過剰なポリコレについてのお気持ち表明

7 昔のインターネットの思い出話

8 炎天下での高校野球をどうにかすべき論

9 トランスジェンダーの扱い

10 Python勉強法

11 はてな社の株価の話

12 NHKスクランブル化すべき

13 芸能人スキャンダルに興味がないという主張

14 労基署仕事しろ

15 増田ばかりホッテントリに入りすぎ問題

16 ヴィーガンをめぐる論争

17 有料部分を読まないでブコメすることの是非

18 自民維新共産に対するお気持ち表明

19 論文に関する記事に対する、擬似相関ではないか、という指摘

20 詳細が分かるまで態度を保留するという立場

21 反出生主義に関する話

22 初デートサイゼリアはありかなしか

23 誤字を仕込んでブコメでのツッコミを誘う手法の是非

24 嘘松か否か論争

25 男女を逆にして考えてみる話

26 生成AIに関するお気持ち表明とそれに対する更なるお気持ち表明

27 不同意性交罪や痴漢についての冤罪懸念

28 映画吹き替えか、字幕

29 はてなスター、換金できる説

30 idコール廃止の是非

31 一方当事者の話だけでは判断できない、という意見

32 主語が大きいという指摘

33 また髪の話をしてる…という話

34 せめて人殺しの顔をしろ、という指摘

35 公立中学校は「動物園」か論争

36 ノロケ話とそれによってダメージを受ける闇属性

37 建設コメントAPI採用の是非

38 ジャニーズは社名を変えるべきという意見

39 はてな村の過疎化はてなーの高齢化への懸念

40 BANされてもすぐに複アカで復活する問題

41 パラパラチャーハンを作る方法

42 AIブクマカはなぜ人気が出たか

43 東京vs地方

44 うなぎを食べるべきではない、という主張

45 ブラック企業に勤める人に対して、いますぐやめろ、というアドバイス

46 モラハラDV配偶者に悩む人に対して、います離婚しろ、というアドバイス

47 問題のある友人への対応に悩む人に対して、いますぐ縁を切れ、というアドバイス

48 ニュージーランドへの移住は避けるべきか

49 きのこたけのこ論争

50 ブコメ非表示ウェブサイトホッテントリ入りさせるべきではない、という主張

51 初デート男性は奢るべきか論争

52 増田へのセルクマの是非

53 体育の授業に関する恨みつらみ

54 ちくわ大明神

55 Vtuberに対する誤解とそれに対するツッコミ

56 はてなウェブ漫画ビューワーに強い話

57 Wi-Fiはタダで使えると思ってる奴多すぎ問題

58 句読点も改行もない長文に対し、読みやすくてスゴい、との絶賛

59 ブコメに対するスターは1人1つまでにすべきか

60 カブトムシ

61 いまこそ、はてなハイクを復活させるべき論

62 ブクマカはタイトルしか読めないという主張

63 漏らした体験談

64 なぜはてな社は増田廃止しないのか

65 非モテに関する論争

66 下着を汚しただけなら漏らしたうちに入らない、という意見

67 メタブタワーの上層階まで来る人、レスバの当事者以外にいない説

68 セルフまとめはわるいぶんめいか

69 トップコメは変わるかもしれないから「トップコメ」と呼ぶな、という話

70 なぜ人をコロしてはいけないのか論争

71 単著もないのに、という指摘

72 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

73 ブコメでのダジャレの是非

74 スターください、というお気持ち表明

75 これだからブクマカは、と書いてる人もまたブクマである問題

76 カブトムシ

77 筋肉は全てを解決する話

78 三大〇〇、あと1つは?のネタフリで、既に3つ(以上)書いている、という指摘

79 三大〇〇、あと1つは?の時は3つ(以上)書くのが通例なのに2つしか書いてない、という指摘

80 カブトムシ

81 27歳のOLとは何だったのか

82 いつになったらグラフィーは完成するのか

83 落選を悲しむべきか、「また落選」と言えることを喜ぶべきか

84 メイドロボ実用化を推進すべき、という意見

85 トゥギャッたんは本当は何歳なのか

86 要は勇気がないんでしょ、という指摘

87 物心がつく前に男性子宮移植すべき、という主張

88 獣を檻に入れておくべきか

89 でも女性下方婚しませんよね、という話

90 よく知らない人、気持ち悪い、という意見

91 増田のやべーやつ番付作成者自身番付の上位に載せるべきか

92 ローカルママコミットメントはどうなったのか

93 2段ジャンプか、手から無限からあげの出る能力か、どちらを選ぶべきか

94 カブトムシ

95 睡運瞑菜実践したいが、あの人みたいにはなりたくない問題

96 再投稿は甘えか否か

97 斉藤巧は甘えか否か

98 「ブコメ面白くてaukusoe !」の部分だけ語呂が悪い問題

99 はてな社は来客にお茶を出すべきか

100 こんな長いリスト、誰も最後まで読まない、という指摘

2023-07-02

スケバン刑事とは何だったのか

ふとスケバン刑事のこと思い出した。

とにかく斉藤由貴がかわいかったなあ。

ビー玉のお京とかリリアン由真とか

とんでもねえ武器使ってたの何だったんだろう。

ちなみにストーリーはいっさい忘れたw

2023-05-27

「過払い」とは何だったのか

https://www.toben.or.jp/message/pdf/230518arktokyo.pdf

ここで言う「A社」とは株式会社DSC、「B社」とは「株式会社Dキャリアコンサル」、「同一人物」とは児嶋勝なる人物のことです。

https://diamond.jp/articles/-/250777

3年前の東京ミネルヴァ法律事務所破産で裏にいたのと同じ会社、同じ人物

首都圏にいると気づきませんが、地方ラジオ新聞は今でもいわゆる「過払い金」の広告で溢れています

その広告を手掛けているのが上記のA社=株式会社DSCを代表とする広告代理店群。

サムライうんちゃんらとかね。名前は入れ替わりつつ、常に数社そういう会社がある。

それらの会社には共通点があります

どれも中心人物が「武富士OB」なんです。

上記の「児嶋勝」氏もそうです。

事業モデルはどれも同じ。

経営基盤が弱い弁護士事務所に取り入る(食い詰めた弁護士を取り込んで事務所を作らせるパターンもある)。

過払いがまだ儲かると吹き込み、地方での相談会を持ちかける。

相談会の広告費は回収した過払い金報酬から払えばいい、と甘いことを言う。

テレビラジオ地方紙等に広告を打つ。

広告を見た相談から電話対応もやってあげる。

相談会の日程、会場(公民館とかが多い)、相談者の予約設定までやってあげる。

弁護士は当日、相談会場に行って相談者に会うだけ。

相談会で受任し、消費者金融会社から過払い金を回収する。

弁護士は、回収した過払い金から弁護士報酬徴収し、そこからさらにツケになっていた広告費用を支払う。

もし支払えれば、ですが。

そのツケが貯まりに貯まって数10億に達して破産申し立てたのが東京ミネルヴァ

破産申立てにすら行き着けずクラッシュしたのがアーク東京です。

アーク東京代表弁護士は元A法律事務所です。

A法律事務所はいわゆる「過払い」の代名詞のような事務所です。

A法律事務所2000年代後半のいわゆる「過払いバブル」の渦中に登場し、瞬く間に47都道府県支店を置くほどの規模に成長しました。

その急成長は代表弁護士(一時期テレビによく出ていた)の手腕によるものだったんでしょうか?

それは甚だ疑問です。

実はA事務所も中核に武富士OB人物がいて、実質的事務所経営を仕切っていました。

過払い金回収の顧客は、要はかつて消費者金融から借り入れていた人です。

どこの誰が、いつ、どれくらい消費者金融から借り入れを行っていたか

その情報に誰よりも詳しいのは、当の消費者金融業者です。

株式会社は2010年9月に会社更生法の適用申請し、事実上倒産しています

それ以前から武富士経営は苦しく、従業員多数が外部に流出していました。

武富士の元従業員が退社に際し顧客名簿を持ち出し、過払い金回収ビジネス活用した。

弁護士業界を潤したいわゆる「過払いバブル」の真相は実はそれだった可能性が高い。

https://hihin.net/?p=6155

武富士倒産については、「計画倒産だったのでは?」という根強い疑問があります

弁護士業界では、武富士といえば「過払い金の支払いの気前がいい」ことで有名でした。

過払い金請求するとホイホイ認め支払ってくれる相手方武富士でした。

会社負債総額を膨らませて倒産を急ぎ、創業者一族はとっとと資産を持って逃げる。

武富士創業者一族計画にまんまと司法が利用されたのかもしれません。

もっと弁護士は儲かったので、ウィンウィンでいいのかもしれません。

武富士倒産当時、過払い金の影響で次に潰れる消費者金融大手はどこだ、と言われていました。

ところが結局、その後は大手はどこも潰れていません。

プロミスにせよ何にせよ、大手銀行の傘下に入りピンピンしています

その間、過払い金請求はずっと続いていたのに。

結局、消費者金融は儲かるんです。

昔のように年利40%とかは取れなくても、年利20%でも十分ビジネスとして美味しい。

から過払い金という負債を物ともせずどこも今も消費者金融業にまい進しているんです。

過払い金に手を出したのはA法律事務所東京ミネルヴァアーク東京だけではありません。

当時、驚くほど多くの弁護士が過払いビジネスに参入していました。

過払いビジネスには、

・広く顧客を募る広告出稿業務

広告を見た顧客から電話をさばくコールセンター業務

相談実施する相談業務

消費者金融との交渉業務

過払い金の回収と顧客への返金業務

など雑多な事務作業必要です。

これらを弁護士自力で用意したのでしょうか?

そうは思えません。

弁護士ペーパーテストを頑張った秀才がつく専門職であり、事務作業は概して得意ではありません。

それらの事務作業をやってあげたのは、実は上記DSCを始めとする武富士OBだったんじゃないのか。

弁護士業界の過払いバブルとは、実は武富士OBに利用されただけじゃないのか。

そう疑っても不合理とは思いません。

もちろん、過払いバブルで潤った弁護士と、上記東京ミネルヴァアーク東京には大きな違いがあります

前者は実際に儲かり、後者は儲かるどころか大惨事です。

でもそこに質的な差があるとは思えません。

まだ過払いが美味しい時期に参入し、うまく立ち回り、さっさと撤退した前者。

旨味が薄れた時期に今さら参入し、儲けることもできず、あげくに大事故を起こした後者

その違いは、要は上手くやったか否かだけです。

やったことは別に同じです。

過払い回収業務への規制はどんどん厳しくなっていましたから、むしろ前者の方がヤンチャしていた可能性すらあります

というか、実際そうだったはずです。

冒頭のA社こと株式会社DSCと取引があった弁護士は、東京ミネルヴァアーク東京だけではありません。

もっとたくさんの弁護士取引をして、渋谷キレイオフィスを構え、キレイなお姉さんを多数雇っていました。

まずはDSCはじめ武富士OB自称広告代理人弁護士業界全体として食い込まれいたことを認める。

その事実を広く知らせ、業界内外に危険性を伝える。

アーク東京懲戒処分はもちろん妥当ですが、もっと根深問題として取り組むべきだと思います

2023-05-16

ネトウヨ連呼とは何だったのか

トレンド見ると2008年からから

政権交代あった当たりから第二次安倍内閣が終わるくらいまでずっと叫ばれてたんだよね

https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=JP&q=%E3%83%8D%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%A8&hl=ja

 

俺が認識してる中では、過剰な親自民が盛り上がったのは麻生内閣の時くらいだった

しろネットでの政治への注目は2004年2010年ピークだったと思う

自民だったのはせいぜい麻生内閣第一安倍内閣くらいで

その前は反自民というか、反中韓だった

反中韓をポリシーに動いていた純粋ネトウヨは、第二次安倍内閣(2012)当たりでは既に興味を失っていた認識なんだが

ネトウヨそれから10年弱、反ネトウヨ反自民・反安倍ポリシーに動いていたと思う

まったく気味が悪く、未だにこの人達存在解釈できていないのだが

後期はTwitterなどでは鳴りを潜めて、5chとはてな界隈くらいにしか残ってなかったけど

それも最近消えてるのがまた気持ち悪い

どうして安倍元総理以外には粘着しないのか、どうして安倍元総理にだけ粘着したのか、ただ飽きたのか

死ぬまでに知りたいことの一つ

2023-05-13

anond:20230513183809

最後Windowsとは何だったのか

とはいえ、まだ2年以上先の話だしそのころには今10を使ってるPCも買い替え時になってるだろう。

2023-04-23

周りの友達がどんどん結婚していく

友達の人数としては少数精鋭って感じなのに既に7割くらい

結婚率低いとは何だったのか

変わらずたまには遊んだお茶してくれると良いな

増田結婚出来る気がしない

2023-04-14

いい加減生き甲斐を決めたい。

生きるとはなんぞやと言う事を思春期の頃にずっと考えていた。勉強より遊びより人付き合いより、何より大事問題だった。

50周ほどして結局生きる意味などない、自分で作らねばならないという結論に至った。

理屈ではダメだ。理屈で考えれば答えなど出るはずがない。

納得だ。「納得」は全てに優先するぜッ

人は理屈で喜び、理屈で苦しみを感じる訳ではない。いつだって感情が先だ。感情論理に先立つ事はない。

いつかは人の頭が解き開かれ、全ての規範記述に塗り潰されるかもしれない。でもそれは今じゃない。「今」は今考えられる事が全てだ。

何を拠り所にするのか。他者から承認か、存在も確かめられない神様を信じるのか。

どれも腹落ちしない。内から発せられる心の底から確信、納得でなければ。

どれだけ強固に思えた確信でも揺らがないとは限らない。年老いるごとに考えが変わってしまった、今までの人生とは何だったのかとこぼす者も少なくない。肩肘張ったって幸せになどなれない、気楽に生きようと言う人もいる。

私の軟弱な心とて、価値ある人生を追い求める疲れに耐え切る保証などどこにもない。結局私も同じ結論に至れば、車輪の再発明だと笑われるかもしれない。

しかし彼らの結論は彼ら自身経験を踏まえてのものだ。彼らには納得を与えても、私にはそうでない。私の人生当事者は私だけだ。

こんな事を真面目な顔で人に語れば、ナイーブすぎるんじゃないと引き気味に諭されるだろう。それはきっと間違いない。だからどうしたというのだ。

価値ある人生などという幻想を捨て、凡庸人生しか送れない事を受け入れる。諦める。それを、折り合いをつけ大人になった事だと言い聞かせる。

それはきっと賢い生き方だ。

しかしその口ぶりはまるで、禁煙した人間タバコ執拗非難するかのようではないか

生き甲斐などという考えは毒なんだろう。少量の毒が薬になるだとか、そんなレトリックはいらない。心の蓋を抑え続けた方が楽に生きられるだろう。

しかしそこから溢れ出続ける一抹の迷いから目を背けて、納得ある生き方をできるだろうか。

今際の際に、生きていて良かったと思えるだろうか。

ニヒリズムなど拗らせるものではないという反省は、人生を使った経験で納得を得るまで何の実感も伴わない。そんな考えは後回しにすればよい。

では、私の心は何を囁くのか。具体的に何をしたらよいのか。

表現行為に答えがあるように思えてならない。

根拠などない。凡庸な発想だ、くりえーたーになってチヤホヤされたいというだけかもしれない。

それが純粋動機かなど、確かめる術はない。

答えは知らぬ。時間もない。そのどれもが誤りかも知れぬのだ。後悔は死んでからすればよい。

好きと憧れを分けるのは就職セミナーだけで十分だ。

生活の気晴らしの趣味は持っている。しかしそれは、生き甲斐と呼ぶにはあまりに心許ない。

生き甲斐なくして生きる価値などない。とはいえいくら生き甲斐が全てに優先すると言っても、目の前の生活をこなさなければそれもままならない。

高校入試大学入試就職活動。

趣味に没頭したいが、いつもそれらが頭を過ぎって水を差してきた。いずれは結婚を焦る事もあるかもしれない。

常に先を考えろという父の教えがなければ今はもっと惨めな生活を送っていたかもしれない。しかし、生き甲斐に殉じようという確信ブレーキをかけてくる。何をするにも、こんな事をしている場合だろうか?と。

楽器をいくつかやってみた事もあった。中級者の壁を超えられるかどうかという境界彷徨っていたが、超える事なく人生イベントを機に中断してしまった。

小説でも書いてみようかと思ったが、これも結局最後まで形になることはなかった。

生活に屈して趣味生き甲斐まで押し上げられなかった。

色んな映画や本に触れてきた。色んな事を思った。そうやって感情を揺らし続けるだけでも人生は満たされるかもしれない。でももう一歩、まだ何か足りない。確信と納得には届かない。

世の優れた表現者達は、きっとこんな人生論をこねくり回す暇があれば手を動かしている、動かさずにはいられないのだろう。純粋な喜び、人生の焦り、衝動、憧れ、何かの感情に突き動かされて。

たった一度限りの人生だ、何かが欲しい。しかしこれきりの人生で何かを捨てるのも嫌だ。大切にしたいからこそ、中途半端な事もしたくない。

自分可能性を疑うのも嫌だが、しかし私はきっとダ・ヴィンチのような万能人ではない。なにか一つに人生を丸ごと捧げて、ようやく自分一人を納得させられる域に至れるかどうか。それだってからない。

それでもどんな可能だって捨てるのはあまりに惜しい。

アンビバレンスに挟まれ決断しかねて長い時間が経った。10代の頃、価値あるものだと確信できる生き方を決意し、もう10年近くの時が経っている。モラトリアムの終わりも近いが、未だ私には何もない。慰めの趣味だけだ。

絵を描くだっていい。物語を書くでも、楽器を弾くでも、曲を作るでもいい。

後世に名を残す傑作など目指さなくていい。ただ、人生これで良かったと確信できるだけの自己満足であればいい。

選ばなければ始まらないが、捨てなければ選べない。あるかも分からないちっぽけな可能だって、私にとっては大事ものだ。

しかいつまでも迷ってはいられない。今の時点で納得ある決断をする事は出来ない。納得できるかできないか、それは後からついてくる。決断しない事には何も始まらない。

しまいにはタイムリミットになるかもしれない。ネットに掃いて捨てるほどいる、何者にもなれかったディレッタント崩れになってしまう。既に片足を突っ込んでいるのかもしれない。

自分には何もなく、評論家を気取って批判にもなっていない難癖をネットの方々に書きこむようになってしまうかもしれない。

生き甲斐を選び取る決断をしなければ。

でないとオレは「前」に進めねえッ!「どこへ」も!「未来への道」も!探す事は出来ねえッ!!

「納得」は必要だッ!

『納得』は『誇り』なんだ!

Choose Lifeだ。私にヘロインはないから。

2023-03-30

モザイクとは何だったのか?その変態性に就いて

新宿モザイク坂が先週で営業終了との事で話題になっていたが、知る人は少なかろうがあそこは実は高架道路なんである

斜路の高架道路階段設えたりタイル貼ったりしたのがモザイク坂だったのだな。

じゃあなんでこうなったのかというのには経緯があるのでちょいと書いてみたい。

 

西口歩道橋時代に空中駐車場への通路として開通

モザイク坂は京王デパート小田急デパートに挟まれているように見えるが、実は小田急の駅上の京王デパートに隣接した所を通っている。

例えば小田急の降車ホームをよく観察すると

1.南側が狭くなっている

2.南側天井が斜めに低い

という事に気付くはずだ。https://goo.gl/maps/LoyBvgAkdnU7oubeA

この斜めは何かと言えば、そう、モザイク坂の高架道路斜路が上にあるんである

 

1966年に今の地下広場を擁する西口の立体ロータリーが完成するのだが、その前には大歩道橋があった。今のモザイク坂登り口横の京王入口付近から丸の内線入口付近まで続く広くて大きい歩道橋があり、国鉄駅や小田急駅に接続していた。

これは小田急京王←→国鉄←→地下鉄国鉄←→バスの乗換客がぶつかる事を避けて分離するためだったと思われる。ペデストリアンデッキの走りだね。

国鉄商売下手&流通事業基本的に認められていない為に市街活性化の為に駅ビル民間が建てて運用する事になり、小田急は自社改札~地下鉄までの権利を獲た。

さてそこで困ったのが駐車場をどうするか。当時はモータリゼーションの途上だったが、自動車は富裕の象徴でもあった。ならば百貨店の高級イメージの為にも駐車場は欠かせない。

そこで小田急線のホームの上に高架式の駐車場を作る事にしたのである

まずは丸の内線上にビルを建て(現小田急ハルク)、そのビルから小田急線改札までに本館を建てる。

更にホームの真ん中辺りの上空に鉄骨を組んだ人工地盤建設して地上4階の駐車場にする。

改札上空にも鉄骨を組み建て本館と連結させる。その拡張本館と空中駐車場を繋ぐ。

そして本館横の京王デパートとの隙間を登り口とする高架斜路で駐車場に繋ぐ。また、線路を大きく跨ぐ甲州街道に出れるようにこっちにも高架道路を作る。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.690359&lng=139.699506&zoom=18&dataset=tokyo50&age=10&screen=2&scr1tile=k_nlii1&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

なんでこんな凝ったデザインにしたの?と言ったらあれですよ。当時完成供用開始された首都高速道路。あの「未来っぽさ」を模す為にわざとビルの隙間を縫う高架道路にしたんだと思われる。

それに小田急本館の横に入口を設けられるからアピールやすい。更に完成した時は歩行者デッキがあるからそこに車入口を作っても歩行者の妨げにならない。

近未来感&利便性ですな。

 

西口ロータリー改修で廃止の憂き目に

ところが空中駐車場が出来て数年後には西口の立体ロータリー工事が行われ、地上+歩行デッキの二重構造で歩者分離していた交通が地上+地下の二重構造になってしまう。

更に京王デパート開業すると歩行者の通行も増えて車が歩道を斜めに渡って斜路登り口に行くのが危険になってしまう。

しかも登り口横に京王デパート入口が出来てしまった。更に小田急線の一階改札出口の横でもあってバス乗り場にも近く、更に更に地下への階段も出来てしまった。

そんな人とバスタクシーがひしめく所に車で斜めに入っていくなんてとんでもない。

という事でこの登り口は廃止するしかなくなってしまう。後には歩道ガードレールでも塞がれてしまい、プチ首都高の高架斜路はトマソン化してしまった。

大きい電鉄デパートの間に錆びたゲートで塞がれた寂れた廃道があるという光景である。この状態10年以上放置されていた。

空中駐車場の方は甲州街道から入れるからそのまま供用されていた。また、空中駐車場は二層構造になってて一階降りると荷捌き場があったようである

ロード

小田急としても始発駅のデパートのすぐ横に「廃」なものがある状態いつまでも放っておくことは出来ない。

そこにミロード建設の話が持ち上がった。ホーム上空で開いている空間甲州街道側に連結するビルを建てようという計画だ。因みに当時南口はかなり寂れており、古い跨線橋に改札があるだけで、しか甲州街道の陸橋の真ん中に出てしまう上に小田急にも京王にも乗り換えが出来ずに不便であり通行する人も余りいないような状態だった。

そこに敢えて出店するとともに小田急線の改札も設けて人流を作ろうという計画だ。

そして放置プレイ状態の廃高架道路通路として活用する事になったんである

からモザイク坂は1990年代の中頃まで「モザイク坂」とは一般には呼ばれずにミロードと呼ばれていた。

 

当初のモザイク坂は今の様に斜路+階段半々ではなくて全域が緩い階段になっており、坂の途中にはキヨスク形式の店というかスタンドが途中に2軒程度あるだけだった。

坂を上がった先は広くなっているがここが元の空中駐車場で、駐車場としては廃止。でも西口地下に駐車場が出来ているか問題がない。

ここの空中広場は大きなサンシェード的なテントが掛かっていたのだが、テントが掛からない切れ目が斜めに通るようにしていた。またイベントスペースとステージがあって芸能人が来たりラジオスタジオがあったりした。

この広場は明らかにフランス欧州古都にある都市中庭を模していると思われる。アパート群に囲まれた地上数階の場所広場があってマルシェバザールが開かれている、あの宮崎アニメ的なイメージだ。

また階段途中に平べったいキヨスク的な店舗が点在するのなんかはモンマルトル的だ。多分デザイナーフランスあたりの都市構造を知っている人物なんじゃないかと思う。

ただ80年代という事もあって店舗の方がダサかった。

 

こうしてミロードの付帯物件だったので2000年くらいまで駅南口の方に抜ける事は出来なかった。

広場の左の方にミロードへの入口があるのだが売り場に入ってしまい、更に階が違うのでエスカレータ下り必要があった。電車に乗る時に売り場を通過するのは結構ストレスになる。

 

構造珍妙

駐車場廃止できたが、デパートでは重要搬入口は廃止出来ない。そこでモザイク坂上広場結構複雑な事になっている。

広場の左側(東側)には店舗があるが、じつはこの上は荷捌き場と搬入車駐車場になっている。

最後は通り抜け出来るようになっていたドン付きの上はよく見ると面台のようにミロード躯体との間に何やらスペースがあった。

https://goo.gl/maps/aYLf6WuWewEhw2bd8

実はこれは搬入車用の道路で、甲州街道から急坂で登ってきてここでクランクを曲がって左側店舗の上で荷卸しをするんであった。

このクランク甲州街道搬入入口間は急坂になっているが、この区間は高架道路である。つまりロードの下の方は駅ホームでその上の方の端っこには高架道路があるというスカスカ構造だ。ビッグサンダーマウンテンみたいである。

2000年頃?開通したミロード通り抜け通路は登ったり下ったり構造が複雑で、特に変な出っ張りがあった。

https://goo.gl/maps/Wqd4ZQC9qPdAnWof9

こりゃなんだ?

右には高架道路が急坂で下って来ていてその真ん中へんなのだ。つまりはこれは高架道路の橋脚が出っ張ってるのを避けてるって事である

 

また、旧駐車場のミロード広場が鉄骨の人地盤モザイク坂が高架道路という構造の為にジョイント存在する。

広場と坂の接続部と、高架道路の橋脚の上の各橋桁間に一見排水路メンテナンスリッドのようなものがある。

https://goo.gl/maps/LBz4QRy4tYHpZkCd7

これらはジョイントカバーで、大地震の際は各構造物の揺れ方が違うのではじけ飛んでしまうので危ない。地震の際には離れるべき…もう立ち入りできないけど。

たこジョイントカバー階段途中の店舗の中にも存在し、坂に対して直交だけでなく、それにT字に交わるものもあった。

T字になっているのは店舗の奥の方が小田急本館躯体に支持されているからと考えられる。明らかに本館に食い込んでいる店舗もあった。

また、高架道路には両側に腰くらいのコンクリ壁があるが、京王側にはそれが残っていたが

https://goo.gl/maps/dTeGpTE7c3S3KeLv6

小田急本館側は店舗の奥行きが拡大されており、撤去して本館躯体まで床を拡大する工事が途中で為されたと思われる。

 

利用していた人らやここで働いていた人らもここが高架道路の上とは思ってなかったんじゃないだろうか?

 

耐震工事してあったのかな?

阪神大震災で数多の高速道路鉄道高架橋が落下してしまい、急遽全国的に落下防止装置、橋桁を巨大チェーンやワイヤで橋脚と繋げるあれの工事をしたのだが、モザイク坂はやってあったのだろうか?疑問である

モザイク坂とミロード、一度下から見てみたかった。

みんな気が付かなかっただろうけど相当な変態構造物だったんだよ、というお話でありました。

2022-12-29

中国ゼロコロナ政策とは何だったのか

最後のが反社ムーブすぎるだろ

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