はてなキーワード: 私物とは
いい区切りだったので乱文になるけど吐き出させてほしい
8年ほど前、まだ20代後半だった自分が今の会社に中途採用された際に同時入社の同期が1人いた
自分とは歳の離れた40代後半であった同期である彼こそが後に、時限爆弾を仕掛ける人物である
入社した会社はその時期に基幹システムの刷新を考えていたらしく
その募集でシステム部として採用されたのが自分とその同期であった
当時のシステム部の社員は2名体制で1人が60代で定年間近の上司A、もう一人は50代の上司B
2人でなんとか基幹システムの維持だけを行っている状態であった
会社としては基幹システムの刷新以外にも社員の世代交代を徐々に行っていくための採用だったと入社直後に言われた記憶がある
60代の上司A、50代の上司B、40代の同期、そして20代の自分
確かにそのまま行けば年齢層は順調に推移して、10年単位で20代を採用することを繰り返せばいい感じにも思えた
入社してからの仕事としては60代上司Aの定年退職が控えているため、まずは稼働中の基幹システムの仕様理解に日々の業務の引継ぎ
そんな多忙な業務をこなすなか同期と話すうちに彼の人柄が徐々にわかってきた
箇条書きでまとめるとこんな感じだったと思う
・今の会社に採用される前、同じような職を転々として現在8社目であること
・受託システム開発ばかりやっていたが、そろそろゆっくり仕事ができる社内SEでまったり過ごしたいこと
・年齢と経歴の割にプログラムが雑なこと(※これは自分視点だがそう的外れではないと思う
また、今の会社に対してのスタンスや不満が溜まってきていることも伝わってきた
・システムを作る自分たちのチームが上で、運用するチームを下だと見下していること
・その運用チームから稼働テストの際にミスを指摘されると不機嫌になること
中々怪しい気配が漂ってきたと当時の自分は思った
残業に関しては、毎日という程ではないが20時頃までは働いていたと思う、遅くても21時までだったはずだ
ただこれはシステムの刷新が終わるまでという明確なゴールがあったのでそれまでは申し訳ないが対応してほしいと事前に説明があったし残業代もきっちり出ていた
自分は前職が完全にブラックで終電帰り、残業代なしが当たり前という環境もあったため特に問題なく仕事ができていたが同期はかなりストレスだったようだ
給料については会社の方針として勤続給ではなく年齢給であったため同時入社であるものの同期は自分よりかなり貰っていたはずであるが、それでも不満だったようだ
トラブルといってもただ上司Bが打ち合わせ中の同期の態度について不真面目だと切れて説教したのだ
この上司Bと同期の彼は相性が悪いようで度々小さな衝突はあったが上司Bが声を荒げて説教するのは始めてのことであった。
しかしこのことがきっかけで上司Bは同期に対して我慢がきかなくなったのかこの後もおよそ2ヶ月に1度のペースで業務のミスといったことから朝に挨拶をしなかったといった細かいことまで説教は続いた
この状態に嫌気が差した同期はある時を境にプライベートの予定があるからと基本残業はしなくなった
たまにどうしても必要がある際は業務命令という形で残業を依頼していたが、それでも19時くらいまでであった
しかし同期はそれもかなり不満だったらしく
残業した日は会社の最寄り駅と会社の間にあるビジネスホテルに泊まり
翌朝、ホテルの前を出勤中の社長や役員の前を偶然を装ってチェックアウトして遭遇し上司Bが無茶な残業を強要するせいでホテルに泊まる羽目になったとアピールするということもあったという
そのため、ちょくちょくシステム部にたいして過度な残業に関する指導が入っていたと後に上司Aから聞いたことがある
そして入社からおよそ3年が過ぎ、なんとか新システムも完成に近づいた時
しかしこの時は同期も相当機嫌が悪かったのか、それとも今まで積もり積もったストレスが限界だったのか、もしくは両方か分からないが
上司Bも同期もお互いに売り言葉に買い言葉で収集が付かず、上司Bが一旦頭を冷やすといって席を離れた際に同期はPCを少しいじると私物をまとめ無断で早退として帰っていった
なおこの時、上司Aは有給で休み、自分は電話応対中であったため止める者がおらず気がついたら終わっていたといっていいスピード感だった
そして同期は翌日、人事部に退職すると電話するとその後出社することはなかった
新システムの作成中データを取り出すために起動したがそれ以降はそのまま一度も起動することなく放置という状態であった
上司Bは撤去したい様子ではあったが、ある役員から戻って来るかもしれないからとりあえずそのままにしておくようにと指示があったので触れることもしなかった
その後、同期の担当分を自分が引継ぎ新システムの作成にとりかかるが彼の担当していた機能はなんとなく察してはいたが、かなり雑な作りな上
運用部門の要望をまったく聞かなかったため、とてもリリースできる状態でないことが発覚
改めて要望に沿った形で修正をする方針で進めると彼が作成したコードで残った部分は30%も残らなかった、ほとんど作り直しと言っていいレベルだ
そのときには定年から雇用延長となっていた上司Aは区切りがついたと退職
会社の業績もあまり安定しない時期でもあったため追加人員の採用は見送られシステム部は上司Bと自分の2名体制となった
その際に新システム作成が評価されたのと2名体制で苦労をかける事情からか自分は課長に昇進した、4年目のことである
新システムはその後、小さなトラブルはあるものの順調に稼働を続ける
なお小さなトラブルの大半は同期の彼が作った部分が関わっていることが多く
その度に彼が作ったコードは修正され、今では機能の殆どに彼のコードは残っていない
残っているのはせいぜい彼が名付けた関数名や変数名くらいである、中身はもう別物だ
そして6年目のある日、上司Bが突然亡くなった
腹痛を訴え病院へ、で即入院してそのまま復帰することなくという形だ
癌だったらしい
その時の会社の上層部はかなり大慌てであったらしいがシステム部としては正直あまり変わりがなかった
というのも新システムを作る際に運用部門の要望をほぼ取り込んだ結果
システム部の基幹システムに関する仕事はほとんどなくなったといっていいレベルとなったのだ
しかし周りはそうは思っていないらしく、システム部は1人しかいないのだから極力負担をかけないようにと各部門には通達がいったらしい
しかし実態はあれだけ忙しく残業していた日々が嘘のように毎日定時で帰っても問題ないのだ
同期の彼が望んでいたゆっくり仕事ができる環境がここに完成していた
そんな中、同期のPCを残しておくよう指示を出した役員も退職する時期となり
そこで改めてPCを起動して中をいろいろ確認していったのだが、そこであることに気づく
起動回数は1回限りで未実行、起動予定はかなり過去の日付が指定されており、とっくにその日付は過ぎていた
バッチ処理の内容を詳しく見てみるとPCの全ドライブの消去コマンドが書かれていた
同期の嫌がらせだったらしい
起動予定の日付を良く確認すると彼が退職を連絡した日の翌月が指定されていた
しかし実際は彼が退職した翌日以来、PCを起動した事はないしバッチも動作していない
※今回は不発だったから良いけど実際にやると損賠賠償になるから
このことは報告していないが、業務でバッチ処理に関わる度に同期のことを思い出す
もし彼が残っていたら昇進したのは自分ではなく同期となり、彼の言う満足いく給料を貰えたかもしれない
もし彼が残っていたら上司Bがいなくなりストレスがない職場で彼は働けたかもしれない
もし彼が残っていたら運用部門からの要請はなくなり、残業とは無縁な仕事が出来たかもしれない
いや最後のは無理かな
作ってたコード雑だったし、人の話聞かなかったし
ふと彼のその後が気になって調べてみたことがある
世間話で同期がSNSをやっていると聞いたことがあり検索してみたのだ
アカウントは知らなかったが彼の話していた世間話の内容で検索してみると意外なほど簡単に見つけることができた、アイコンも自身の顔写真にしており間違いないと思われた
また次(の次?)の職場で残業がらみのトラブルを起こした愚痴が書いてあった
うちの会社を退職したときの事は何を書いていたのか過去の在職期間の投稿を見てみると大半は案の定愚痴の羅列が並んでいた
そして、その連続した投稿の中で退職直後の時期に面白い投稿があった
要約するならこうだろうか
社内システム作っている自分に無茶ぶりばかり、データ全部消去して退職してやった
直してくれと謝罪の連絡してももう遅い、既に新しいホワイトな職場でまったり仕事中です
彼の中でうちの会社は有用スキルを持った人間を無能と決めつけ追放したギルドのように写っていたらしい
しかし実際はデータ削除の時限爆弾は不発であったし、仮に成功していても
現在彼の書いたコードはほぼ残っていないから直してくれと依頼することもない
そして彼の新しい職場は現在のSNSの投稿を見るに彼基準ではホワイトな職場ではないと自白をしている始末だ
ところで実際彼に連絡した人がいたのかという話だが
上司Bは既に亡くなっているので分からないが、おそらく連絡はとらなかっただろう
彼が退職の連絡をしてきた後、残っていた有給を消化したくらいのタイミング(大体1か月後)で退職に伴う書類の送付先の確認で何度か電話をしたが繋がることはなかったという
どうやら彼はこの連絡を会社からの謝罪の連絡だと思っていたのかもしれない
誰が読むのだ、こんな手記は。
まったく誰の得にもならないことだ。
これを読んているのは、不幸にも偶然にもここに辿り着いてしまった人かーーよほどインターネットで文字を読むのが好きな変人かーーくらいだろう。
俺はここに、そんな誰が読むかも知れぬ場所に、"遺言"を書き留めておくことにした。
俺が傷つけ続け、俺が痛めつけ、挙句俺が捨てた、
この書き出しだけで痛い奴だカッコつけだ、文才も無さそうなパンピーがエッセイストぶりやがって、と怒りが湧いてきた人は今すぐブラウザを閉じ、元いた場所に戻るんだ。
そうでない奇特な人はーーーしばらく俺の話につきあってくれ。
恥ずかしい話てはあるのだが、何度か"ボヤ"を起こしたことがある。
その度に、自分が属している(と思い込んでる、思い込んでいた)界隈での肩身が狭くなっていって。
だいたい人生3回目?くらいのボヤをやらかしたあたりで、(自分の実生活の変化も重なって)
X含むインターネット上での(あるいは、インターネットが主になるような)交流に対して、それまで約十年程自分の中にあった執着や自己顕示欲や承認欲求が、急速に消えていくのを感じた。
それまでは誰がどんなポストをしていて
俺の知らないところで何を言われているのかと怯え
俺の知らないところで楽しそうなことをしている奴らに僻み嫉妬し
ブロックされていると判れば別垢から直近直後のポストを確認し反省会こそすれどその内容はまったく活かさず
インターネットの海を泳ぎながら傷ついたり傷つけたり
そんなような日々だった。
しかしいまは、その総てがどうでもいい。
いや、全く総てがどうでもよく、あらゆる評価をふいにするとは言えないが――
オブラートに書かれた文字と、オブラートの中にある真意を覗うことに、酷く疲れてしまった。
……というこの心境に対し、浮かんだ仮説がひとつ。
俺の自他境界は、俺と【俺が観測可能な世界の総て】だったのでは無いだろうか……
当時は本気で思っていたのだ。
俺の知らないうちに会合していれば呼ばれてないんだがと嘆き悲しみ
俺が顔を出したイベントに関するポストが少なければその日居た筈の人を心中で責めていたのではなかろうか。
いやはや、なんと傲慢不遜なことだろう。
自分がまるで世界の王であるかのような、そんな視座でインターネットを見ていたのだ。
しかし、いまこの視座を自覚した俺は、こんなところを見ているお前に言いたいことがある。
ーーそれに、お前がインターネットに疲れていないのなら……それはそれで別に良いのだーーが。
まあなんだ、言いたいことを言うのにえらく遠回りしてしまったが。
俺は一足先にインターネットをやめる。
喩えるなら、鉄骨を渡る者たちを別室で眺めているような距離感だ。
これもこれでずいぶん傲慢な物言いであることは自覚しているが、しっくりくる喩えがこれしかなかったのだ。許してくれ。
それにしても。
もし、お前たちにも、いつかインターネットをやめる日が来たのなら。
桜の色が。
新芽の緑が。
落葉の朱が。
お前の目の端に一瞬でも過ったのなら。
そのときは、俺とどこかですれ違おう。
それじゃあな。
【スクリーンの向こうに憧れ、
以前からその存在を知ってはいたがこれまでは比較的すんなりと退職出来たので自分は使うことはないだろうと思っていた。
使うまでに至った経緯を記したいと思う。
3月4日
私はプレス屋に勤めていたがいつも通り職場へ行くと朝礼で一人の従業員が土日休みの間に足を骨折してしばらく会社に来られないという。
その従業員は社長と仕事をすることが多く日頃からかなりこき使われていたが、その日は朝一から私が代わりに社長と2人作業で一緒に仕事をしなければならなくなった。
私も社長と一緒に仕事をするのは初めてであり慣れておらずとても速さでは敵わないので作業前に社長ヘ
「◯◯さん(骨折した人)のようにはいかないかもしれませんが」
というと
「ダメダメ!」
と言われその後は手が遅いだの散在言われプレス機のフートスイッチを踏むタイミングが遅いだの軽く足を蹴られたりギャーギャー言われ午前中で嫌気がさし退職代行が頭をよぎる。
休憩時間入ってもキリのよい生産数まで止めてもらえずフォークリフトで製品を入れる箱を持ってきて「降ろせ」と言われ休憩時間が短くなってしまう。
午後からまた再び社長との作業であったが午前中よりも強い口調で手が遅くて眠くなるだのギャーギャー言われ遂に我慢が出来なくなり頭にきてキレると社長もキレて「遅いと言っただけじゃないか!」と首根っこを掴まれる。
「もう辞めます、お世話になりました」
「待て、上(社長室)で話そう」と言われ「◯◯君(私)に上に立って色々仕事をしてもらいたいから色々と言ってきた」と言われたが相手が不快に思う言動では何にもならない。
社長は面接時や入社前の打ち合わせでは穏やかな印象だったが入社した途端に豹変したかのようにギャーギャー言うようになった。
これまでも他の従業員に対してもパワハラと言われても仕方ないような言動をしていたが社長本人は厳しく言わないと効き目がないと思っているようでそれらが原因で辞めた人もいると他の従業員から聞いたこともあった。
私が「もう今日で辞めたいです」と告げると
「それは流石にない、就業規則に則って30日後や60日後にしてほしい」「◯◯(骨折した人)が歩けるまで半年かかるようだがそこまでとは言わないが1ヶ月様子を見させてほしい」と言われ、
「1ヶ月後ですか?2ヶ月後ですか?」と聞いても「わからない」と。
「明日退職届を書いてくれば来月(4月)の頭には辞められますか?」と言っても「今週いっぱい考えてみてはどうだ」と言われる。
お互いに歩み寄ろうととも言われたが好きなくともこちらから歩み寄る余事はないし、これまで歩み寄らなかったからこその現状だと思った。
この日の昼の時点で職場にある私物をカバンに詰め込みそのまま退職代行に依頼するつもりだったがとりあえず保留する。
3月5日
通常通り出社。
社長との仕事は前日に終了していたのでこれまで自分がしていた仕事を行う。
この仕事は追い込まれるものではないがやはり社長との仕事はキツイし、肉体的にも精神的にも追い込まれ給与に見合った作業ではなく一緒に仕事をするのは無理だと考える。
週の半分くらいは社長との仕事になりそうでいつ退職出来るかわからない状況で私も精神的に持たないのでやはり退職したいと思い休憩中に退職代行業者を調べ、一番お手頃な所へLINEにて相談しそのまま依頼。
ほとんどの私物は前日に持ち帰っていたのでこの日は作業靴を持ち帰る。
3月6日
前日、退職代行業者に言われた通り始業前に職場へ電話し「体調不良で休みたい」と伝える。
応対したのは社長だったが「熱はないのか?」と聞かれ「ないです」と言うと「じゃあ(現場へ)伝えておくね」とそれが最後に交わした言葉となった。
午前10時台に退職代行業者からLINEで無事に退職の手続きが出来たと連絡が来る。
職場には本人には直接連絡しないでほしい、と伝えているようなので細かいやり取りは業者を挟んでとなる。
退職届と健康保険証を職場に郵送する必要があるのでその日のうちに送った。
退職してから1ヶ月近くになり給与の締め日の関係で源泉徴収票はまだであるが退職に伴う各種書類は届き始めている。
辞めるのに退職代行にお金を払うのは正直抵抗はあったが早くに辞められ現在は新たな職場に勤めはじめ、有給もすべて消化できたので結果的には無駄な時間を過ごさなくて良かったと思う。
退職代行を使うことに対しても色々と意見があるようで様々なケースもあるが職場の問題があり、勤め上げるのが難しいケースもあることも知ってもらいたい。
ここ最近のXでの反AIの盛り上がり、全部無知と誤読と藁人形からくる暴論なんだよね。
そりゃ文化庁からも知識基盤のレベル合わせが出来ていないって言われるわ。
ただ絵の力で人気物になっただけの馬鹿が滅茶苦茶言ってるだけ。まともな反論してくれよ……
【特権階級】
元々はAI利用や無断学習に対して絵だけを特別扱いで保護させようという動きを指して、
「絵師には特権などないのに、特権があるかのように振る舞うのは問題だ」という主張だった。
それがインフルエンサーの誤読や別増田の投稿から「絵師は特権階級にある」という批判にすり替えられた。
【才能の民主化】
「民主化」自体は造語でもIT系ジャーゴンでもなく、国や一般企業も使う、
「一部の人間に限られていたものが、より多くの人間に利用できるようになる」ことを指す語句である。
その上で、従来は乗り越えられなかった障害や性別について、AIテクノロジーで対応出来るようになったという話でしかない。
【絵柄の私物化】
「私物のパソコンを検査するぞ!」と上級軍曹(1曹・曹長あたり)にガサ入れみたいのを食らいそうになった。
うちの部隊ではないけど、児童ポルノを保有してた奴がいて、同じようなことがないかを調べろってお達しが来たらしい。
最初にそのお達しが来た直後は「PCを提出しろ。SNSで児童買春してるかも知れないからSNSアカウントのパスワードも全部渡せ」みたいな話になってたよ。
流石にソレはしんどすぎるだろって皆文句言ってたんだけど、自分がパソコン持ってない一部の人達がやたらと盛り上がって「おいお前ら、家に行っても大丈夫な日を教えろ。あとPCもしばらく預かるから。どうせゲームしかしてねーんだろ?」と話をドンドン進めていった。
でも途中から「PCだけじゃなくてケータイも見ないとだよね」となり、盛り上がってた人達も「え?じゃあ俺のケータイのメールとかも全部見せるの!?それはやだよ!?」と手のひらを返して逆噴射が始まった。
結局最後はP2Pや玉ねぎが入ってないかをワード検索で確認して結果を印刷して提出するだけになったんだけど、本当にあと一歩で「全てのID・パスワードを渡して、PCやゲーム機を一ヶ月ぐらい他人に預けろ」となる所だったよ。
やってはいけないこと、踏み込んではいけない所がこの世界にはあるって認識が完全になくなっている人達が年功序列でそこそこの階級に居座ってるからいざ現場判断で動く場面になったら凄いことになる。
なんの権利があって隊員の私物を勝手に預かったり、パスワードを全部提出させたり出来ると思ってるのか全く理解できない。
こういう考えで前線に行ったら「敵の国の人間だからとりあえず皆殺しにしました。僕ちゃん偉いでしょ」「物資は現地調達しました。作戦継続能力に貢献!褒めて!」みたいになるのは目に見えてるよ……。
マジで終わっとるわ―。
と思ったので、その後しばらくして私は辞めました。
最近色々あったけど、少しはマシになってるのかねー。
似たようなことを言っている人を見かけ当時を思い出したので書き散らし。
10年くらい前だが独身の無能でヒステリーな上司とSNSで評された事がある。
そう言われてることを知ったのは、その人が私に対しての愚痴をSNSで吐き、ちょっとバズって他の社員がその人の他の投稿の私物やネイルやらで、誰が誰のことを言っているのか特定して、報告してくれたからだ。
実際はというと独身ではなく既婚で当時3歳の子供もいた。苗字は旦那ではなく私側にしており、時短勤務などもせず残業も普通にしていた。また家庭の話もしないし指輪もつけていないので、既婚だとは確かに思われなかっただろうと思う。
その人がSNSにそのような投稿をし始めたのは子供を産んでからだった。もちろん子育てしながらの仕事は大変だし、時短勤務であろうと退職せずに働いてくれるだけありがたいと思っていた。もちろん仕事の量も減らし、減らした分は私が対応していた。
私が無能かどうかであるが、実際はわからない。同僚や上の役職の人からは私の働きぶりを評価してもらう事は多かったが、部下からしたら実際は無能な可能性もあるので、否定はできない。マネジメントの講習開かないか?と声をかけられることもあったが、実際は人の管理をする事はずっと苦手だと思っているし、人の管理については自分も無能だなと思っている。
ヒステリーについては自分ではヒステリーだとはあまり思ってはない。
仕事ができない、失敗したとかでは怒ることは無い。
そのSNSに投稿した人については、就業時間中に寝る、席を外す時間が長い、他部署の同期を捕まえて長話をする(他部署からクレーム有)、などの行動が見受けられ出産をする前からちょくちょく注意していた。
出産後は就業時間中に寝る、長話をするが顕著になり多少厳しく言うこともあった。
仕事と育児の両立で眠くなってしまうのもわかるが、ウトウトするなどではなく堂々と席で突っ伏して寝たりとさすがに目に余ることも多かった。
増田さんは独身だし子供いないから大変さが分からないと言われたこともあったが大変さがわかる分からないに独身既婚/子なし子ありは関係ないので、そういう言い方はダメだと言ったこともある。
SNSくらいでは言いたいこと言いたいだろうし、社名や名前がバレて不利益を被る訳では無いのなら放置のでいいと思ったので。
ただ、仕事量は減らした。もともと時短で減らした後の仕事量も仕事できる新入社員並の量であったが、それも完了することが殆どなかったので、本人と面談を重ねた結果仕事量では育児との両立は難しいと判断したためだ。その結果その会社ではキャリアを詰むことが出来ず退職した。
退職する時もSNSにキャリアを詰ませてくれなかったなどと書いていた。
ただ、子供を産んだ女の人がしっかりキャリアを詰むのは大変だとおもう。
私がキャリアを詰めたのは、実家や旦那にかなり育児を任せたし、保育園なども運良く入れた。たまたま実家や旦那が協力的で、人よりちょっと仕事が得意だったのと、体力と精神的体力があったので時短勤務等せずに働けたからだ。