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はてなキーワード: 新年の挨拶とは

2018-01-22

ハマった地下アイドル解散した

一年ちょっと前、地下アイドル好きな友人に連れられて初めて地下アイドルライブに行った。それは前々から勧められていたアイドルワンマンで、本当に楽しかった。でもその後すぐメンバーの一人が脱退して体制が変わってしまったため、そこから推すことはなくなってしまった。

そしてそれからまたすぐ、その友人から今度は別のアイドル対バンに誘われて行った。その中に出てくるあるアイドルを事前に勧められ、そのグループ目的で行った。他のアイドル時間は、後ろでひっそり見ていようと思っていた。

結果からいうと、全然違うアイドルにどハマりした。グループ名こそ聞いたことはあったものの、曲名どころか、メンバー名前すら、友人が推す一人のメンバーあだ名しか知らなかった。だが彼女たちが登場した途端、ある一人のアイドルに、冗談ではなく本当に一目惚れした。(ガチ恋という意味ではなく、推すアイドルとして)

ライブ後に開催された物販には速攻並び、列に並びながら友人にメンバー名前を聞き、彼女たちのツイッターフォローした。その時は確か、チェキシステムはそのアイドルグループにはなく、ケータイでの撮影だった。写真を撮ってもらった後、少しの間、ついさっき一目惚れしたアイドルと会話した。メンバーのAちゃんとする。

今でも忘れない。Aちゃんに、今日初めて現場に来て好きになったことを告げると

もしかして、さっきツイッターフォローしてくれた?」と。物販列に並んでいる間にフォローしたのに、なんともう認知されていた。それが最初現場だった。(ちなみにこのときちょうどバレンタインイベントをやっていて、普通チョコ激辛チョコをあーんしてくれるイベントがあったのだが、もちろん参加した)

そして約一ヶ月後、そのグループワンマンを開くことになった。それに合わせ、メンバーが一人ずつ接客するカフェ?で手売りチケット販売することになった。友人は所用でワンマンには行かれないことがわかっていたので、一人でカフェイベントに行った。本当に狭いスペースがカウンターテーブルで分断されており、あちら側にAちゃん、こちら側にはファン6,7人が詰めて座るという形だった。自分は完全に新規だったため(またコミュ障であり、目の前の推しに緊張していたのもあり)、もともとのファンの内輪のノリについていけず、あまり会話に参加できなかった。そんな中、イベントの一環で、アカペラで何か歌を歌うことになった。そのアイドルの持ち歌はもちろん歌ったが、他に何かないか、という話になった。あまり会話に参加しなかった私に、Aちゃんは、「そうだ、(自分名前)ちゃん、〇〇って歌手好きだよね!その歌にしよう」と、話を振ってくれた。本当にAちゃんはすごいのだが、私は〇〇という歌手が好きという話をAちゃんにしたことがない。どうして知ってるのと聞くと、Aちゃんはなんと自分ツイッターホームを見たというのだ。本当にびっくりした。そして本当にその歌手の曲を歌ってくれた。また、ファン一人一人の似顔絵を描くコーナーがあり、それぞれ顔を見ながら描いてくれた。今も大切にとってある。

ワンマンのことも忘れない。前述の通り友人は来られなかったので初めて一人で現場に行った。その日は二曲新曲のお披露目があった。終了後物販で、またチェキを購入した。確かこの辺りで、Aちゃんは名前を覚えてくれていて、向こうから呼びかけてくれた。まだまだ緊張してなにを話していいかからなかった自分に、「新曲、どっちの方が好き?」などと色々聞いてくれた。答えると、Aちゃんは「私もそっちの方が好き!」と返してくれた。

余談ではあるが、このライブで初めて現場で知り合った人と友人になった。

東京アイドル劇場にも何度か通った。一回の時間は短いが、他の会場よりもずっと近くで見られた。このときになってもまだ緊張してこちから会話できなかったが、Aちゃんは「髪の毛短い方と長い方どっちがいいかな?」などと話を広げてくれた。

しばらくしてからまた夏に、レコ発ワンマンが開かれることになった。東京アイドル劇場で手売りチケット販売されることになり、参加した。初めて全員チェキを撮った。死ぬほど緊張したけど、そのあとAちゃんと撮ったチェキは楽しかった。ワンマン行くねというと、喜んでいた。

レコ発ワンマンということで、CD発売に合わせ、リリイベも各地で開催された。これもまたすごく近くで見られた。割と地元の方まで推しが来てくれることが嬉しかった。

夏のレコ発ワンマンは本当に楽しかった。今までと比べられないくらい大きな会場と大音量でのライブだった。バックライトに照らされて踊るメンバーが神々しくて、ちょっとだけ泣いた。これから推していこうと思った。

夏のワンマンからちょっとして、活動休止することが発表された。そして間も無く、そのまま解散することが発表された。活動休止直前ライブには、行かれなかった。

そして冬、解散ライブが行われることが決定した。同時に、手売りチケット販売する機会があることも発表された。このアイドル出会わせてくれた友人と、絶対に行こうと誓った。

年末忘年会と称されたイベントが開催された。ライブではなかったが、ファンイベントのような形だった。トークイベントカラオケをしながら食事ができるスタイルイベントで、その現場販売されている食べ物飲み物のみ、メンバー差し入れることができるシステムだった。私はAちゃんにチョコケーキ差し入れた。Aちゃんは隣に座るメンバーと分け合いながら楽しそうに食べていた。それだけで楽しかった。とてもこれから解散するグループイベントとは思えないほど、楽しかった。

イベントの前には物販もあり、久しぶりにAちゃんにあった。今考えると夏のワンマンぶりだったのかもしれない。Aちゃんは変わらず可愛かった。このころには割とAちゃんと話せるようになっていた。絶対解散ライブ行くね、と言うとAちゃんはダンスとか歌とか忘れちゃったよ…とおちゃらけてくれた。

そして先日、解散ライブが開催された。奇しくも、その日はAちゃんの誕生日であった。もう絶対に後悔したくなかったので、とにかくいろんなことを話した。あけましておめでとう、と新年の挨拶をして、誕生日を祝い、いつもと違う髪型が可愛かったので話題に出した。チェキ時間が終わりの方になると、Aちゃんは、「チェキはこれで終わり?」と聞いて来た。(メンバー一人につき一人一枚の枚数制限があったが、ファン同士で協力し何周かする人もいた)

私は一枚しか手に入れられなかったため、そうだよと返事をすると、Aちゃんは、男性ばかりのこのアイドル現場に、女の子一人なのに来てくれてありがとうと言ってくれた。これが最後かどうか聞いてくれたと言うことは、最後挨拶をしてくれようとしたのだと思う。ライブも始まってないのに、本当に泣いてしまうかと思った。私もAちゃんと話せるのはこれが最後だと思い、「Aちゃんが一番大好きです。これから応援してます。」と言って別れた。自分のできる最大限の返事をして別れたあと、その場にしゃがみ込みたくなるほどの感情に襲われた。それが無力感だったのかやりきった感だったのかはいまもよくわからない。

まりに語彙力がないが、ライブは今までで一番最高だった。現場に行き始めたころは周りの怖そうなオタクに怯えていたが、今ではケチャをしたり、振りコピしたりするまでになった。本当に楽しかった。ライブ中は、とにかく後悔後半はとにかくずっと泣いていた。泣きたくない、笑顔見送りたいと思っていたのに、泣いているメンバーを見たら駄目だった。

地下アイドル好きな人は大抵、1つのグループだけでなく、いくつかのグループ推しがいることが多いそうだ。私はAちゃんのグループを追いかける過程で、ほかの地下アイドルにも何グループ出会ってきたが、推しはAちゃんだけだった。

楽曲衣装メンバーそれぞれ、ファン層など、どこを取っても、Aちゃんのいたグループ自分に合っていたのだと思う。

からもう二度と、私はこれ以上アイドルにハマることはないと思う。

Aちゃん。そしてAちゃんのグループ。本当にありがとう出会えてよかった。

2018-01-05

取引先の営業担当

取引先の担当者の話。

朝早くに「何時になるかわからないが、今日のうちに新年の挨拶に行きたい」と言われ了承した。

一日待ってようやく来た時にはタイミングが悪く私以外の担当者は席を外していた。

仕方なく私一人で向かい他の担当がいないことを詫びると、困った顔をするが言葉を発しない。

結局、あけましておめでとうも本年もよろしくも言われずに解散した。

彼とはいつも間合いがつかめずうまくやれていない。

もしかしてうちの両親は毒親だったのだろうか…

正月なので実家帰省していたんだが、自分の両親が毒親である気がしないでもなく…

いや、両親には大学まで出させて貰ったか感謝はしているし、毒親だと思うこと自体申し訳なく思うのだが…

今まで本やネットで見聞きしてきた毒親に比べれば全然マシだから毒親じゃないと思ってたんだけど、軽度の毒親なのではないかな、と。

客観的に見ることが難しいのではてなー諸氏に判別して欲しい…

私:現在アラフォー間近。兄弟有り。独身実家の遠方で独り暮らし上場企業勤務。

父:アラ古希。元農協勤務。現在実家農家を継いでいる。今は酒以外辞めてるが、かつてはヘビースモーカーパチスロ通いばかり。

母:専業主婦料理は得意だが片付けが苦手。親戚、他人、父、相手を問わず悪口ばかり出てくる人。

毒親かな? と思う子供の時のエピソード


毒親かな? と思う最近エピソード

 

 

どうなんだろう…

幼稚園の頃、夜中に高熱を出した私を抱えた父がかかりつけの病院に駆け込んでくれたりしたので愛されてないことはないと思うんだが…

どうも、世間一般の人とちょっと違うような気がして…

夫婦かめっちゃ子煩悩で、子供暴力なんて全然ふるってないし叱り方も優しいし…

世間との乖離がどれくらいあるのか、わからないので教えて欲しい…

新年の挨拶の類いが苦手な人

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。」

仕事場でこの程度の挨拶すらモゴモゴと、目を逸らしながらしか言えない50を超えたおっさんがいて、何だこいつは?と思い、問うてみた。

歳下である自分には普段は大きめの態度で言葉を放つ割りに、あいさつもろくにできねーの?と。

悪気は無いが苦手だそうだ。

親戚が集まりがちな正月お盆も苦手と言ってた。

話してて思ったのが、何故、皆が自分の一挙手一投足に注目していると思っているのだろうか?

その態度の方が違和感あって余計に引っかかるのじゃないと思うが、50歳超えてそれならもう人柄だろう。

ただ見てると情けないのでシャキッとすれば?と思い押し付け気味の自分にも少し反省した初出勤。

2017-01-04

職場の同僚に好きな女性がいました。私と同じ新卒入社女の子で、周りよりも落ち着いた雰囲気を持ち、それでも気持ち良く笑う、明るい女の子でした。

彼女と私はこれまで何があったというわけでもなく、ただただ同じフロアに机を並べ、仕事をし、たまにある同世代での飲み会では職場上司愚痴を言い合う、はたから見れば仲の良い同僚でしかありませんでした。

一度、一緒に外出する用事があり、二人ともそのまま直帰となった日、彼女からの誘いで夕食をご一緒したことがあります比較的早い時間、客先での用事を済ませ、二人で東西線に乗っているときのことでした。彼女から「疲れちゃいました。飲みに行きましょうよ。」と誘ってもらえたときは、電車内のこもった空気の息苦しさがたまらなくなり叫び出しそうになったほど、気持ちが高鳴ったことを覚えています。二人の乗り換えの駅となる飯田橋で降り、神楽坂の通りに面したお店で、二人でワインを飲みました。

彼女東京での生い立ち、学生時代の思い出などをひとしきり聞き、これまでずっと丁寧語だった彼女が、別れ際には「じゃあね」と言ってくれたことが、嬉しくてたまりませんでした。

同期の男から彼女が私の直属の上司不倫関係にあるらしいという噂話を聴いたのは、それからひと月ほど経った頃のことでした。

不倫という関係については、世の中で騒がれているニュースが時折耳に入ってくるという程度の印象しかなく、彼女のそんな噂話を聴いても、彼女に対する侮蔑の念は爪の先ほども起こりませんでした。

私はもう救いようもなく恋をしていました。

それからというもの、同じフロアに、彼女と、私の上司とがいる中で仕事をせねばならぬという状況が、いよいよ耐え難いものとなっていきました。

上司から仕事について指摘を受けるような場面があると、彼女の目が以前に増して気になって仕方がなく、上司の頭は頭に染み込まずただただ叱責を受けているということにパニックを起こしてしまいそうになりました。また上司を見返すつもりで取り組んだ仕事評価を得られたときには、必要以上に舞い上がってしまい、どうにも自身気持ち落ち着けられなくなってしまっておりました。

同期の男の指摘通り、上司が退社していくと数分後に彼女がいそいそと出ていく日が、少なくない頻度でありました。彼女が出ていったあと、残された(彼女意図して残していったというわけではもちろんありませんが)私は、残業どころではありませんでした。どこかのお店で以前神楽坂で飲んだ日のように、上司の前で酔っ払って顔を赤らめ、どこかの一室でスーツスカートの下に履いたストキングを降ろされている彼女想像するだけで、胸が引き裂ける想いでした。

私が何度となく想像した彼女の服の下、下着を取った彼女の白い身体丘陵、指を沈めるとそれを温かく受け入れるとろりと濡れた場所。そんな色々を今彼女差し出し、あの男は存分に堪能し、甘ったるい時間を過ごしているのだろうか。

そんな想像を、私は止める術を持ちませんでした。

想像力よ、お前は私に容赦をしない」

昔読んだ本にあったそんな一節を思い出したりしながら、進まない仕事を前にデスクで呆け、とがりきった自分気持ちがなんとか落ち着いたところを見計らい一人で退社する、そんな日々を過ごしていました。

しばらくはそんな毎日を過ごしていたのですが、彼女がある長い出張から帰ってきた頃から彼女らの関係に変化が見られるようになりました。

その出張の時期がきっかけであろうという自信はないのですが、ずっと見ていた私の目から見て、どうやらあの時期からであろうと思います。ある日、彼女がたいそうに目を晴らして出勤してきて、目に見えて元気のない日がありました。それから、示し合わせたかのように同じ時間に退社していく日もなくなり、同世代同士の飲み会でも彼女の出す話題には変化が見られ、また恋愛関係の話となったときに、少しだけ緊張がほぐれたような印象を、私は受け取りました。

彼女らの関係は終わったのだろうか。

そんな予感を少し感じるだけで、私の会社での生活も幾分平穏を取り戻してゆきました。

これから年末差し掛かる。またどこかで食事でもできないだろうか。

そこからまた始められないだろうか。

以前から、何が始まったというわけでもありませんでしたが、なぜだか私の心持ちはそんな風で、少し前向きなものとなっていました。

そんな頃、ある同僚の呼びかけで、同世代若者同士での忘年会企画されました。年末忘年会の重なる時期で、日程が仕事納めも終わった休業日にしか設定できず、集まったのは私と彼女含め数人での小さな飲み会となりました。

休みの日ということもあり、中目黒の外れにあるカフェバーに、開店とほぼ同時刻に入店しました。こじんまりとしたお店で、店員は二人しかおらず、客もまだ私たちグループだけのようでした。今時の洋楽が小さな音量で流れるこざっぱりとしたお店で、好感が持てたことを覚えています

最初飲み物の注文もそこそこに、彼女が手洗いに立ちました。その数分後、続いて私も尿意を感じトイレへと向かいました。そこは男女共有の個室で、その狭い部屋に入ってすぐに私が考えたことは、恥ずかしくも「つい先程彼女が使ったのだ」ということでした。私は立って用を足しながら視線を滑らせました。今は上げてあるこの便座に彼女腰掛け、ホルダーに設置してあるトイレットペーパー彼女は使ったのだ。誰にも覗かれることのない私のその思考は遠慮を知りませんでした。

ふと視線を下げた瞬間、私の心臓は一番の大きな伸縮をし、熱い血が全身へと駆け巡り、息が止まりました。サニタリーボックスが目に入ったのです。

まだ酔ってもいませんでしたが、頭に血がのぼった私は、躊躇うことをしませんでした。震える手をそれに伸ばし、つまみを持ち蓋をあけると、そこにはトイレットペーパーでくるめられたものが入っており、それを手に取り周りの紙を剥がすと、丸めテープで止められた紙ナプキンが入っていました。

私はそこで個室の鍵がかけられていることを確認し、便座に腰掛けゆっくりテープ剥がしました。これを開いて私はどうしようというのか、これまで見たこともない、血に染まったグロテスクものを見てしまっては、その衝撃が人生に大きな爪痕を残してしまうのではないか、そんな恐れのような感情が大きかったように思います。にもかかわらず、なぜ私は手を止めることができなかったのでしょうか。そのごわごわとした紙を開いてみると、少しの恐れとともに想像したような鮮血はなく、薄黄色に染まった濡れた箇所があるだけでした。

ショッキング赤色ではなかったことに安心すると、今度は自分の手中にあるそれがたまらなく愛おしいものに思えてきました。私はその濡れた箇所を自分の鼻と口とにつけ、息を吸い込みました。女性の秘部の香りが鼻孔を抜け、そこでしばらく止まった息を整えると、ゆっくりとその香りと味を味わいました。

そこからのことは、余り覚えておりません。このまま長居しては怪しまれてしまうと思い、それを元と同じように包んで箱へ戻し、自席へと戻りました。彼女とも二三言葉を交わしましたが、私の頭の中は先程の個室での光景で一杯でした。そんな上の空のまま宴も酣となり、会計を済ませ、次に会うのは年明けだね、良いお年をと言って、それぞれに別れました。

それからというもの、この年越しはあの紙ナプキンのことで頭が一杯なままでした。年始もろくに出かけることができず、自室のベッドに横たわり彼女彼女ナプキンのことを考えておりました。しかしながらいつまでもこうしているわけにもいかず、明日仕事始めとなります

明日出勤すると、新年の挨拶の飛び交う中彼女とも顔を合せます。おそらくその時も愚かな私は「もう月経は終わったのだろうか」などと考えてしまうのでしょう。

嗚呼、なんという2017年の始まりなのでしょうか。いっそこのままトイレットペーパーの芯にでもなってゴミ箱に放り投げられたい気分であります

2017-01-03

老人ホームに入っている祖父母に会いに行った

今日祖父母が入居している老人ホーム家族新年の挨拶に行った。

祖父母が入居しているのはいわゆる「サ高住サービス高齢者向け住宅というやつだ。

都心から遠く離れており、最寄り駅もどこかわからないような場所

そこには独特の匂いが漂っており、訪れるたびにどこか隔絶された空間のように感じた。

祖父痴呆が進んでおり家族でも認識ができない状態になっている。

僕は小さい頃祖父に本当に可愛がってもらった。

それだけに変わってしまった祖父の姿を見るたびにどこか寂しさを感じた。

人は歳をとる。 

それはどうしようもないことだが、歳をとった先に痴呆になり、

自分が誰かさえもわからないのに、毎日生かされているなんて苦痛ではないか

正直僕は自分自身としてはそんな状態になってまで生きていたいと思える自信がなかった。

将来、自分が歳をとったらそういう状態になる前にオランダとかに行って安楽死したい。

本気でそう思ってる。

苦労して頑張って生きて年老いた先にあるものって、虚しすぎやしないか

そう思っていた。

帰り際になって、祖父母がベッドに隣同士に座って両親と喋っている時、

呆けて状況が理解できていないと思われる祖父の手を祖母が握っているのが気づいた。

それを祖母に言うと、祖母は「いつも”仲いいご夫婦ですね”って言われるのよ」と嬉しそうに言った。

祖父も照れたのか、噴き出すように笑った。

本当に祖父がわかっているのかはわからないが、その時の二人は幸せそうに見えた。


人生には生きている限り、不意にこういう瞬間が訪れるんじゃないか

それを見て、歳をとるのは、生きていくっていうのはそんなに悪いもんじゃないのかな。とふと思った。

生きていく中で不意に訪れる小さな幸せな瞬間があるなら。

どんな状態になっても生きていくってことには理由があるなと感じた。

新年早々、大切なことに気づけた気がした。

頑張って今年も生きよう。

2016-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20161227162801

本来なら、旧年、お世話になった方のお宅を訪ねて新年の挨拶をするのです。

年始参りといいます

それを書状の形に省略したものですね。

人間関係を潤滑に保つための儀式だと思ってください。

2016-11-09

数年まともに年賀状出してないな。

年賀状、ください。だってもらうとうれしいんです。」池袋駅近くの郵便局で、アイドルグループ『嵐』の5人が、年賀状片手に写るポスターが目に入った。

 私が中学生くらいの頃までは、友達年末前にお互いの住所を教え合い、年賀状を送り合っていた。

パソコン年賀状作成ソフトが使えなかったので、表の住所から裏の挨拶文まですべて手書き

友達漫画アニメが好きな子が多かったので、年賀状相手が好きなキャラクターイラストを、ガラケー画像検索して描いたのはいい思い出である時間がたつと画面が消えるのでその度ボタン押すのが面倒だった。ハガレンとか、銀魂とか。あとDグレだったかな。年代がばれそう。

受け取るのも楽しみだった。朝寒いポストを開け、自分あての年賀状を探す。友達自分の絵柄でイラストを描いてくれたりしていて、一つの作品を受け取ったようで嬉しかった。

(凝りすぎて新年間に合わんかった!と冬休み明けに手渡しで年賀状を渡してきた友達には笑った)

現在新年の挨拶メールLINEアプリ一言メッセージを送るのみ。こちらの都合もあるが、それよりこちらが送ると、向こうに送り返す負担が生じることを避ける気持ちが大きい。

年賀状お互いめんどいし送らなくていいからー」と事前に伝えてくれる人も多い。

ネット通信によって相手言葉を送ることは簡単になった。技術進歩ありがとう

でも、自分のため、誰かが手間をかけて作ってくれたものを受け取る喜びを感じる機会が減ったことは、ちょっと寂しいことなのかもしれない。

2015-12-25

新年の挨拶めんどいやりたくない

そもそも相手がいないけれども

2015-05-07

不在通知の代わりに入っていたのは郵便局ロゴが入った白と赤の封筒だった。

本人限定受取郵便と仰々しいモノにしては何も変哲もない紙封筒だったけど、玄関先の明かりに翳してみて思わず声が漏れたのは、自分名前と住所が手書きで書いてあったからだと思う。

自分名字手書きで書いてあるのを見るのは久々だ。

ダイレクトメール年賀状最近では結婚式の招待状。大人になってから気づいたらポストに入っているLINEでは届かない便りに時々目を向けるようになった。葉書の、真ん中を大きく占める写真に押し出されるようにしてちょこっと書いてある直筆の挨拶にふと目を細めて書いた相手を思い出す瞬間が好きだったから。

だが、自分名前が直筆で書いてあるのは意外と少ない。めっきり減った私の年賀状は、新年の挨拶の方は書いてあっても表はプリンタだった。それでいいのかもしれない。名前を書き間違えるのに比べれば。名前シンプルな人の方がよほど少ない。旧体字の細かい差分自分名前からこそよく分かると自己体験が告げるのだ。筆不精な人には泣かせる字だろう。それでも何となく期待していつもちらっと宛先を確認しては、あ、ヤマトB2ベルだと送り状の形から入ってぶり返す運送業宿命仕事熱に落ち込むのだった。

そっけない止めはねにどきどきした。

こんなに気持ちが昂ぶるのは久しぶりだ。

祖母が死期を悟って、遺言ともつかぬ自分も忘れていた小学校の頃の思い出を送ってきてギョッとしてしまったのはまだ、記憶に新しい。手紙の宛先に書かれた自分名前家裁調停委員をしていた往年の祖母を思わせる、堂々とした字だった。赤ペン先生を続けるうちに次第に丸みを帯びていった母の字で書かれた住所とのちぐはぐさに失笑したのを覚えている。祖母は多分、もう自分名前しか思い出せなかったのだろう。

祖母の手紙の裏側に、古き良き青き時代にもらった手紙も入っていた。まだ、捨ててなかったのか……苗字微妙に間違っていることに気づいた。あの頃はコレが許せなかったと今更思い出した。あの時の狭量さを今でも引きずっていることに気づいて、思わず顔が引きつる。

もう一度、郵便局封筒を見返した。どっちかというと収まりが悪い頭でっかち苗字を窮屈に納めたような名前からは、書き慣れてなさそうな緊張感が伝わってきた。縦書きから漢数字と教わってきた身としては妙に印象に残る半角数字しかし、伸び伸びと書いたのだろう、住所の番地は6と9が寄り添うように背中丸めているようで可愛いしかった。

封筒の表裏を為つ眇めつ眺めて、ファイル棚を探すだけで1時間が過ぎていた。ペーパーナイフはどこにしまっていたかな。また探し物が始まった。

2015-01-05

どうしよう

スニーカーで出社してしまった

幸い誰にもまだ気づかれてないっぽい

新年の挨拶上司にしてお辞儀して足元見たところで気づいた

今机の下に足置いて見えないように必死に隠してる

立ち上がるのが怖い

2015-01-02

[]1月1日

○朝食:一平ちゃん

○昼食:なし

○夕食:おでん(父親と弟と)

調子

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

父親の家に新年の挨拶に行ってきた。

と言っても、堅苦しいものではなく、コンビニおでん土鍋で炊き、

白菜を山ほど入れて水増しして男3人で食べていた。

弟のキャバクラに金使い過ぎ疑惑について話したり、

ガノタ脳をフルに働かせた「自分ネオジオンの偉い人になったらこうしたい」という議論をしたりなどした。

その後、レンタルDVDで「アナと雪の女王」と「ガンダムユニコーン第一巻」を見た。

アナ雪は始めてみたのだが、僕の「声豚特化型アニメ脳」では、もうストーリー邪魔に思えてしょうがない。

もっとこう、声優弄りとかしようよ、「豚と人間の子供は豚人間、ではハゲたスイトピーといえば誰?」みたいなクイズを出すとかさ。(てさ部の見過ぎとラジオの聞き過ぎで頭がイカれてきた)

ただ、ミュージカルパートは見ていて凄く気持ち良かった。

特に「とびら開けて」が僕は好みかな。

ミュージカルって本腰を入れてちゃんと見た事がないジャンルだなあ。

何かDVDでも借りて見てみようかなあ。

練馬大根とか?



それと違う話として、睡眠障害

ネットでみた、毛布を掛け布団の「上」に敷く寝方をしたら大分改善された。

もしそれが原因だとしたら、僕の今までの人生はなんだったんだ? 感が凄いあるぞ。

テラバトル

新年だしたっぷりエナジー貰えるんじゃね? と思い久々にログイン

5回ほどガチャが引たので、引く。

SSキャラの「サマサ」というキャラを引く、これは嬉しい。今まで最高ランクSSキャラクタは引いたことがなかったからだ。

さらになんと、追加プロフィールによると、なんと彼女は僕の大好きなお気に入りキャラガッツ」と関係があるらしい。

これはテンションが上がるなあ。

というわけで、久々にちゃんとプレイしてみる。

レベル上げをしたり、ジョブを追加したりなどして、

現在パーティーはこんな感じ。

グレース(JOB2まで)

クスカ(JOB2まで)

アメリパクト(JOB3まで)

ダイアナ(JOB3まで)

シャンベルタン(JOB1まで)

ガッツ(JOB2まで)

グレースとクスカ、アメリパクトとダイアナは一種カップリング的な妄想をして楽しんでいる。

シャンベルタンはジョブ追加もしてないから、抜こうかなあ。

ガッツはかなりのお気に入りキャラクタ

『浮遊』という能力で、地形効果無視して移動できるのが、かなり便利なのだ

(その分能力はお察し状態なのが残念だが)

しかも育てれば「アイテム所得率アップ」というスキルを覚えるようなので、パーティーの便利役的なポジションなのだろう。

ロストオデッセイヤンセンとか、ブルドラのゾラ様とか、坂口ゲーのこういうポジションキャラが大好きなので、

脳内妄想を色々しながら楽しんでいる。(脳内Voice坂口大輔さんです)

サンセットオーバードライブ

DLC追加分のシナリオミッションクリア

ついでに収集物集めも完了させた。

楽しいゲームだなあ。

去年は本当、XboxOneを買って大正解の年だった。

Actサンセットオーバードライブノベルカオスチャイルドと、それぞれのジャンルオールタイムベストゲームが続いたのは、オドロキだ。

しかもそれが、全部独占だからってのが、もう本当、買ってよかった、と思えてしょうがない。

唯一難点をあげるとするなら、HaloTMCCのマッチング不具合だ。(あとKIのランクマッチの過疎)

今日も少し起動してみたが、ビックチームスレイヤー10分たっても何の応答もなかった。

マッチング不具合も当然あるんだろうけど、もはやそれの影響による”過疎”が手に負えない状況になってる可能性だってあるんだよなあ。

2014-01-10

もうさと()とか恋愛ブロガー()とかの恋愛説教とかそういうのいいからさ、

同性と親友関係を築ける人間になるコツを教えてよ。

男女関係には困ったことないけど、昔から友人関係に軽くコンプレックス抱えてる。

遊びに誘えば付き合ってくれる人はおれど、何もしなかったら同性からは誰も誘われない。

結果辛くてここ数年多分全て私から誘ってる。

年賀状新年の挨拶LINEメールが異性と美容室からしか来なかった。

普段は同性としかつるまなくて、みんな大事にしてるつもりなのに、知らない間につるんでるグループ友達が私抜きで旅行行ってたと知ったときは気にしてないふりしながら心が泣いてた。

stand by meみたいな友情人一倍憧れてたけど、そういうものから人一倍遠い人間になってしまって、人間関係はいつまでたってもままならない

2014-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20140101205641

mixiからFaceBookからツイッターからLINEグループSNSの「繋がっている」「すぐそこにいる」感じ

というものが私にはない。LINEはつながりを感じなくはないかな。

私も相手との頻度に関わらず適当に連絡をとるほうではあるけれど、つながりを維持するために年賀状を細々と出す。

もともと友達は少ない、人付き合いが良いわけではないから、放っておくとどんどん友達が減ってしまう…

いちいちメールLINEfacebook新年の挨拶をすると、

いやいや改まって何だお前、めんどくさいな!

なんて思われるだろうし、私もそんなふうに感じる。だから年賀状はちょうどいい。

それなりにかしこまっていて、新年の挨拶年賀はがきはよく似合う。文面に悩むこともない。出すだけ。簡単。

幸せいっぱい家族写真付き』年賀状がたくさん届くようになれば、年賀状はいらないと思えるだろうか。

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