はてなキーワード: ローコンテクストとは
以来、自分は普通の人ではないというコンプレックスを心に抱え、できる限り発達障害でない人と同じように振る舞えるよう日々努力を続けてきた。
それから十数年が経ち、今はIT系のエンジニアとして働いているが、周りの人たちからは「コミュ力のある人」扱いをされるまでにコミュニケーション能力が発達してきた。
ということで、なんとなく意欲が湧いてきたので自分がどのようにして人とコミュニケーションを取るかをつらつら書いてみたいと思う。
なお、主語が若干大きくなってしまったが、ここに書いてあることはあくまでも私自身の話なので、アスペルガーの人全体の話として一般化できるものではないと思っているので注意してもらいたい(同じだなーとか思ったらブコメくれると嬉しいかも)。
まず前提として、アスペルガーは他人の心が読めないのかと言われれば、べつにそうではない。
相手言動から直感的に感情の理解につながるのではなく、相手の言動のキャッチから理解の間に必ずロジカルな分析が入る。
このロジカルな分析というのは、今までの経験で蓄積してきた"人の気持ちパターン"みたいなコレクションがたくさんあって、その中から「あーこういうことを言うってことは多分こう思ってるんだよなー」とか「こういう仕草をするってことはこう思ってるんだよなー」と分析するような作業のことをいう。
これを私はほぼ一瞬で行っている。だけど、あんまり遭遇しないパターンだと、なかなかその分析がうまく行かずコミュ力が低下する(明後日な返答してしまったりとか、なんかキョドったりする)。
それは、学校が変わったり、職場が変わったりなど、新しい環境になった時によく起こる。なので、新しい環境になると常に思考をフル回転させなければならず、めちゃくちゃ疲れる。超苦手。
この分析には数パターンあるため、順に説明していきたいと思う。
人とコミュニケーションをとっていると、「あーやってしまったな...」とか「もっとうまくできたな」と思うことがよくある。
そういうときに、一人で反省会を開き、どういうコミュニケーションをとれば正解だったのかを分析する。
自分の中である程度答えが出たら、次に同じようなシチュエーションになったときに実践してみて、もしうまく行ったらコレクション行きだ。だめだったらもう一回反省会を開く。この繰り返し。
自分の周りにはコミュ力モンスターと呼べる人が何人かいる。面白くて、誰からも好かれ、すぐに誰とでも仲良くなってしまうモンスターだ。そしてなにより、信頼されている。
そういった人たちの「コミュニケーションのインプット」から「コミュニケーションのアウトプット」をパターンとして分類する。
そして、その中から自分でできそうなことをさらに抽出して、実践してみる。
もしだめだったら、反省会を開く。
親しい仲の人たちとのコミュニケーションであれば、「なんかやっちまったかな」って思ったら素直に聞いてみる。
そうすると、わりと正直な感想が返ってくるので参考になる。
「反省会」と「コミュ力モンスター分析」は主観なので、人の客観的な意見を聞くことで自分の認識と他人の認識のズレを小さくしていくことも重要だと思っている。
以上のことをずっと小学生の頃から繰り返しやってきて、ようやく人とまともにコミュニケーションを取れるようになってきたと思う。
昔よりずっと信頼されるようになったし、公私ともに「コミュ力高いやつ」という扱いをされることが増えてきた。(自分のいる環境がIT界隈でコミュ力低めな人が比較的多めというのもあるかもしれないが)
でもやっぱり、限界があるなと思う。
アスペルガーは人の心が直感的に理解できないので、そもそも自分がなにかやらかしたとしても「やらかした」と思わないことがあるのだ。
あと、ローコンテクストなコミュニケーションはやっぱりめちゃくちゃ苦手だ。いわゆるノリでコミュニケーションするやつ。どう返していいか全然わからない。反省会を開いても答えが見つからない。
こういう、話がかみ合ってないやつを交通整理・論点整理するの好きなんですよね、僕
発端ツイート
https://twitter.com/medeta/status/1129225112874508289
https://twitter.com/toco_stella/status/1129659984159993856
「日本語よめないバカ」と批判している人というのは、「最初の2行で主語が翻訳の話してるのに、次の2行でいつのまにか主語が英会話にスライドしていて、よくわからなくなっているの点がこの文章の良くないところ」という点に気づいてないと思う。無自覚に、なんかいい感じに解釈してるのでしょう。
かくいう私もその「主語スライド」に気づきませんでした。指摘ツイートを読むまでは。
まぁそれも「日本語らしい」っちゃそうなんですが、ローコンテクストな解釈の観点からは否定される仕草ですね。日本語は世界的にハイコンテクスト寄りの言語なので。
https://twitter.com/Stone_Stick_ike/status/1129681345280499715
英会話教室ECCの広告であるというポジション抜きにしても、「英日翻訳は英会話より劣っている」は誰の目から見ても明らかでしょう。情報でもエネルギーでも変換すると劣化するのは当たり前なのだから。。伝言ゲームが情報の劣化ゼロで伝わると思いますか?変換せずにネイティブで扱えるほうが優位でしょう。
もし仮にその物理法則に不服を持つ人がいるのであれば、ちょっと意味不明ですね。理解ができない。
「俺は地球が丸いなんて認めない」と言っているのと同じ。まぁ宗教を信じる人を茶化しdisることはしませんが.... お好きなように。
I love you → 月が綺麗ですね。 とか文化的に持て囃されていますし、そのエモさは理解できますが、情報は劣化(変質)してますよね。翻訳って演出や脚色していいんですか?まぁエンタメ分野の翻訳ならそれでいいのでしょうけども。それは翻訳家というよりは演出家の領域ですよね。
「気に入っているのは値段だ」
言語的翻訳と、文化的・時代的な背景込みの翻訳、というレイヤーの違いでしょうか。
ECCは「世間の言うAIで十分、そうなのかも」という曖昧な見解を示すに留めている。
でもAIで低コストで高精度翻訳ができてしまうと、ECCにとってはダメージなので、どちらかというとECCはAIをdisって翻訳家ヨイショしたほうが良いような気がします。ビジネス、営利ってそういうものじゃないんですかね。。
ただ、広く見ればECCにとっては「翻訳するな、英語で話せ」なので、「翻訳者」がAIであろうが人間であろうがどちらも商売敵なのかも。「ウチのビジネスのパイを狭める存在」ですから。
だから「翻訳者」に対する見解がアバウトで、どうでも良いことなのかも。全部商売敵だから。なのであのような主語スライド文章を書いてしまったのかも?(推測)
利害関係って複雑ですね。
https://twitter.com/gijigae/status/1129410498619797504
まあ、自分はプログラマなのでポジショントークだと思いますが、AIが賢くなればプログラマって要らなくなると思うんですよね、いずれは。
それと同じで、翻訳家も要らなくなるとは思います。翻訳家を要する領域は狭まるでしょう。
そもそも現状のGoogle翻訳でも「英和辞書を買わなくてよくなった」という事実がありますからね。goo辞書もあるし。
だって同じ物理法則で動いているのですから、いずれは人間の挙動を完全再現できる人間以外のメカニズムの何かが現れても自然じゃないですか?何年後かはわからないですが。
何故人間だけが特別だと思えるのかその自信がよくわからないですね、まぁ自分に自信が少ないだけかも知れないですが..。
自分の食い扶持が減るとか、社会的な意義が薄まることに対する危機感は理解できるのですが、それを籠城戦のように捉えるのはダメだと思いますね。他のことでメシを食えるように考えるのが建設的というか現実的でしょう。
例えば日本に炭鉱夫はもう居ないですよね。たぶん。マインクラフトはありますが(渾身のアメリカンジョーク)
それもこれも雇用流動性が低いことが、そう意識づけさせているのかも知れないですね。
「自分が積み上げてきたスキルセットが活かせなくなることへの恐怖」は自分にもありますよ。でも新しいことを学ぶしかないでしょう。ビビって籠城してラッダイトするより新しいことを学習してた方が楽しいし。
いい加減にしろ。
私はリベラルの思想だが、今回の韓国のやっていることは超最低に思う。
また、その韓国の行動を条件付け・強化させている、日本政府の対応に、納税者として憤慨している。
現場の自衛官の方々のためにも、今の世代、次の世代のためにも、日本は黙っていてはだめなんだよ。
ローコンテクストカルチャーとハイコンテクストカルチャーというのがある。
アメリカや大陸の国はローコンテクストカルチャーで、国民の人種、宗教、思想、支持政党などすべてバラバラで異なる。
だから、自分の考えていることをはっきり、相手にも関係者にも徹底的に分かりやすく説明して、やっと相手は理解してくれる。
逆に、日本はハイコンテクストカルチャーで、ほぼ単一民族でアメリカのようにバラバラではない。
ハイコンテクストカルチャーはとても素晴らしく、黙っていてもお互いなにが必要としているか分かるし、被災地などでも阿吽の呼吸で黙っていてもすぐに助け合える。
「お前空気読めよ」なんていうのが日系企業の職場でまかり通るが、ローコンテクストカルチャーの国でそれ言っても、「は?なにを考えているか自分の考えをきちんと伝えてくれ」となる。
ローコンテクストカルチャーでは、侍文化・沈黙の美徳など一切通用しないんだよ。
徹底的に主張しないとだめなんだよ!黙っていちゃだめなんだよ!
最初レーダー照射が問題化されたとき、確か防衛省は証拠は小出しにだしていくといっていた。
だが、情報配信のスピードが異常に鈍くて、正味2回ほどしか証拠提示をしていない。
しゃべるのを、主張するのを止めちゃだめなんだよ!
黙っていても理解されないんだよ!
スピードが鈍くて、主張しないから、相手が被害者を演出して、嘘がまかり通ってるだろ!
今からでも遅くない、戦略的な広報を強化し、世界へ向けて主張を続けろ!
納税者として強くお願いしたい。
ゲームキューブ版から3DSまで律儀に村の住人を続けている。楽しいからね。
そこまで期待していた訳でもなく、ポケ森もちゃっかりダウンロード。
数日遊ぶうちに、こんな記事を目にした。既に読んだ御仁もいるのではなかろうか。
【「どうぶつの森 ポケットキャンプ」は、シリーズの魅力である“スローライフ”を“労働”に変えた】
http://jp.ign.com/animal-crossing-app/19707/feature/
これ、納得する部分も多い反面、ポケ森が"スローライフ"を"労働"に変えた、というよりは
ポケ森…というよりもソシャゲ特有のローコンテクストで直接的でメタメタにメタな設計が、どうぶつの森というゲームスタイルの「暗黙の了解としての労働」だけを「前面に押し出してきた」という表現のほうがしっくり感がある。
一体どういうことかといいますと。
ポケ森は本家シリーズに比べて無粋なほどにメタすぎるのである。一番わかりやすいところでいけば、【なかよし度】とその上位次元の【キャンパーレベル】の概念たちだろう。
どうぶつのおねがいを叶えるとお礼がもらえて【なかよし度】、【キャンパーレベル】が上がる。ポケ森はこの連続だ。
もちろん、本家シリーズでも【なかよし度】はある。たくさん話しかけたり、お使いを聞いたりすれば上がる。どうぶつがより親密な話題で話してくれるようになったり、おうちに招かれたり、最終的には遺影にしか見えないポートレート写真をくれたりする(最後はポケ森にもあるよね)。
でもこれ、隠しパラメータなんだ。決して絶対的な達成度が数字で分かるわけじゃない。(裏を返すと、この子は一番最初からいるから一番仲がいい!みたいな相対的なパラメータはなんとなく想像できる)。
ポケ森ではこれがいちいちいちいち出てくる。おまけに会話の流れに乗っかってこない謎の仲良しプレゼントなるものもくれたりする。メタい。
ポケ森のどうぶつに近づくと彼らが欲しいものが吹き出しに出てきたり、果物を落とすと再収穫できる時間が表示されるのも実にメタだ。
生活をたのしむ、というコンセプトにおいてメタはある種の急所みたいなものだ。メタが出てきた瞬間にゲーム臭さが出てきて萎えちゃう。
たとえば、ゲームキューブのどうぶつの森では「セーブ」ではなくて「きろく」という言葉が使われるし(まあ、レポートとか冒険の書、あるいはパパとの電話と同じような遊び心)
リセットボタンを押したならば、リセットさんなる登場人物が現れて、リセットはしてはいけない、このどうぶつの森にそんなものは存在しない、と怒鳴り声交じりの説教を数分間吹っ掛けて帰ってゆく。
どうぶつの森とは本来そういうゲームだ。徹底的にメタを排除し、非現実的なモチーフながらも世界に没入させるスキルに長けたゲームだ。
ポケ森と本家版を質的に比較すると、ゲームとして行う行動に大差はない。
魚を釣り、虫を採り、果物を拾い、売る、買う、返す。同じだ。一次産業的で非集約的な労働だ。
それならば、なぜポケ森を「ディストピア労働ゲー」と評する声が大きいのか。
簡単だ。労働の「強制」であり「義務」がポケ森のデザインだからだ。
本家の労働は「任意」であり「権利」だ。これが本家とポケ森の違いだ。
本家では何をしてもいい。かわいい顔立ちをしたどうぶつに貢物をして遺影をもらってイエーイするのもアリ。
社畜と化し速攻で借金を完済し、邸宅箱庭ゲー然とした遊び方をしてもいい。一日中釣りキチをしたっていい。
どの遊び方をとってもそれは本質的には労働でしかない。獲物をタヌキかアルパカに売りさばかないと何もできないからね。
でも、この「目的としての労働」を楽しめる人が「本家」どうぶつの森のターゲットだったのではないだろうか。
……
一方、ポケ森にとっての労働は、【なかよし度】と【キャンパーレベル】を向上させるための「手段」でしかない。だから、ポケ森のイメージは作業であり労働と捉えられるのである。
別に批判する気はない。基本無料のソシャゲってそういうシステムだもんな。そういうビジネスモデルに乗っかった「どうぶつの森」としてはいい線だと思うけど、「どうぶつの森」としては決して楽しいものじゃない。
そもそも数量的でメタな目的のために、黙々とおもしろくもない作業をやるタイプのソシャゲが好みじゃないからこういう感想になるんだろうな。
多少ミリオタが入ってるのて軍艦女の子のゲームを楽しくスタートして、最強の空母機動部隊だ!とかにこにこしながら遊んでたけど、3-2-1にウン100回入らなきゃ行けないとか、数十分おきに練習航海させなきゃいけないようなソシャゲのシステムには馴染めなかったので、
執務室にいる吹雪ちゃん(Lv33くらい)は2年ぐらい待ちぼうけをくらっている。健気なのに。
やってる間ずっと楽しくないとゲームじゃねえ!つまらん!というソシャゲ音痴の考えでした。
でも部分的にはお友達が全員どうぶつの森をはじめたような楽しさがあるから、当分は除くんだろうけど。キャンパーレベルは12。そろそろしんどい。
最近炎上したGoogleの件にも通じるかも知れないけど、「ミソジニーのほうが話が通じる」という感想を抱く人をたまに見かける理由について考えてみた。
まず、前提として
日本は長らく家父長制をやっていたので、男性が社会的責任の大半を負っていた。だからロジカルシンキングや社会の構造の知識を多く求められ、教育されるぶん、女性よりも男性のほうがその辺の能力が高くなるから。女性はその辺はあまり教育されないから。あと生理がないぶん体調でイライラすることも少ないから。
東京大学が女性比率を上げたいのに上がらなくて悩んでるのは、「女性は賢すぎると男性にモテなくなる」という家父長制下の価値観がいまだ根強いかららしい。
女社会って共感で成り立っているので、共感で安心してそこで満足する。わざわざ不都合な事実に目を向けに行く必要がない。このようにロジカルシンキングに必要な事実(ファクト)を遠ざけてしまうので、女性がロジカルシンキングを獲得するのってハードル高くて困難だよなぁと思う。
だから、「ロジカルシンキングを獲得した男性」よりも「ロジカルシンキングを獲得した女性」のほうが純粋な能力は高いと思う。乗り越える困難の量が違うから。だから希少性が高く、数が少ない。
だから、女性が多いミサンドリストは話が通じにくい。なぜなら気持ちで理解する「共感」のコミュニケーションのチャンネルに偏っていて、頭でロジカルに理解する「対話」のコミュニケーションチャンネルが弱くなるから。
たとえば女性用下着メーカーのワコールに勤めてる男性社員ってすごいと思うんですよね、共感が不可能な領域にいるんだもの。みたいなことをひろゆきが言ってた気がする。
「気持ち」って共感することでしかコミュニケートできない、ハイコンテクストなんですよね。
ロジカルシンキングを身に付ければ、ロジカルシンキングを身に付けているすべての人とコミュニケートできる、ローコンテクストなんですよね。
彼女たちは創作物を一時的な享楽のためのささやかな娯楽とみなしていて、なおかつフィクションと現実を明確に区別できる、そんな分別のついた人間だという自負を持ってる。
多分そう。
だから絵本みたいな作風のものを好んで鑑賞も、それは暇つぶしにツムツムをやるようなものであって、幼児的嗜好の兆候だなんて言われる所以はないと考えている。
ではなぜディズニー好きな女子の中にはアニメや漫画というサブカルチャーの愛好家を貶す者がいるのだろうか。
僕が思うに彼女たちは愛好家が好むアニメ・漫画・ラノベ等をみた際に、作品の舞台設定やキャラクター描写に現代日本の流俗や現代日本人の嗜好を見て取れることから、フィクションと現実社会の世界観の違いを上手く分けることができず混乱する。
そして愛好家たちが作品の世界観と現実社会のモラルのギャップに戸惑わずに鑑賞を続けられるのは、フィクションと現実社会を混合しているために違いないという判断を下しているのではないだろうか。
彼女たちは創作物に対するメディアリテラシー能力に長けていると自負しているために、自分が理解出来ない物を愛好する人々を分別のない愚劣な者とみなして半ば強引にアイデンティティを守るのである。
古典的名作や純文学といったアカデミックな扱いをされがちな物は、読み解くためには予備知識が多大に必要であり、理解出来ずとも自分の知識不足のせいにできる。
テレビドラマ等実写作品は非現実的なビジュアルなり辛いうえ、全ては俳優を引き立たせる装飾であるという鑑賞スタイルも成り立つために、フィクションと現実社会の違いを意識せずとも楽しむことができる。
アニメ・漫画・ラノベ等を含む日本的なサブカルチャーでは、基本的に、ハイコンテキストな世界観やテーマをローコンテクストな文法や世俗的な媒体に落とし込んだ作品が評価される。
サブカルに関心がなく、作品を読み解く気がない人からすればそれらはとても奇々怪界な物なのかもしれない。
ワンピースや進撃の巨人、ティーン向け少女漫画が、サブカル愛好家を下に見る人にも受け入れられるのは、ハイコンテキストな主題がない、もしくはローコンテクストなわかりやすいメッセージで包み込んでいるからだと思う。
ハイコンテクスト ・・・ 背景となる文脈(歴史・知識・教育)を共有している前提なので、短い言葉で短時間に意思疎通を完結する。ワンツーパンチでおしまい。
ローコンテクスト ・・・ 背景があまり共有されていない前提なので、そこの意思疎通から行う。このため、言葉の数や所要時間は長くなる。ジャブを10発以上かわす。
で、日本人はハイコンテクストのスタンスでコミュニケーションしてる。いままで横並び人生の人間だらけだったからそれでよかった。
でも、いまは人生も脳みそも色々すぎるからそれが通用しなくなってきた。にも関わらずコミュニケーションがハイコンテクストのスタンスのままなので、一言二言を交わしてすれ違いがあるだけで、もう相手をキ○ガイ認定して突き放してしまったりする。ネットでもリアルでも。それじゃもったいないと思う。
会話のリトライカウンタを増やすとか、ストライクゾーンを広げるとかして、ローコンテクスト寄りに変えていけばいいんじゃないのかなぁ。