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はてなキーワード: CGMとは

2012-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20120115005706

マーケティングや商品開発に使いたいから、ってのもあるけど、

webサービス提供からしてみたら、コストなしで勝手コンテンツができあがっていくCGMというものが、

非常にウケがよかったってのもある。

その際に、便所の落書きみたいな書き込みされたとき

厄介だね、ということにサービス提供側が気づきだして、

身元がはっきりした人からの書き込みじゃないと、落書き抑止力にならないか

ダメだねっていうのが、facebook流行り出したまさに今。

でも、増田つかってるひとなら判ると思うけど、

匿名じゃないと書けないことなんていっぱいあるわけで、

実名だけのデータを信じてたらミスリードすると思うんだがなー。

2011-11-09

はてなブックマークカテゴリ再編案

現状

トップ・総合・一般

何故これがわざわざ分かれているのか意味不明。各カテゴリからホッテントリが集積したもの

社会

新聞の三面記事から国際記事、文化記事まで扱っている場合もあり。また2chまとめサイトが数多く見られノイズ化。

政治経済

一般的な政治ニュースや国際政治ニュースから企業不祥事ビジネス仕事関連のTipsまで。ここも2chまとめによるノイズ多し。

生活・人生

いわゆる生活の知恵的な間違った意味でのライフハック、まとめになっていないまとめ記事、VIP告白スレ発言小町、Pouchなどのネタ記事など雑多な状態。

スポーツ・芸能・音楽

ここはほぼカテゴリ名通り

科学学問

いわゆる自然科学関連ばかりで、人文科学社会科学(現状何故か「社会」で扱われる傾向)、芸術関連がない。

コンピュータIT

技術系、デジタルガジェット系、ネットコミュニティ炎上見物などが混在。

ゲームアニメ

ここはほぼカテゴリ名通り。

おもしろ

はてブ一番の問題。ほとんどが2chまとめサイトしかも同じ話題を複数のサイトで扱っていて、ほとんどワンパターン化している。他にエロサイトネタネットニュースTogetterなど。SPAMも多く見られる。

再編案

トップ・総合・一般

はてなブックマークニュース統合。各カテゴリホッテントリ抽出ではなく、人力編集

社会
政治経済

社会一般」「政治経済」「国際」「ビジネス仕事」に再編。

生活・人生

グルメ」「衣食住」「人生」ライフハック」に分割。ここで言うライフハックは本来の意味とは違うけど敢えて(ある意味隔離?)。

スポーツ・芸能・音楽

スポーツ芸能」と「芸術文化」に再編。芸術文化では音楽読書などを扱う。

科学学問

医療」「自然科学」「人文科学社会科学」に再編。人文科学社会科学では経済学社会学政治学歴史などを扱う。

コンピュータIT

ITWEB技術」「デジタルガジェットモバイル」「ネットウォッチ(事実上隔離)」の再編。

ゲームアニメ

そのまま

おもしろ

「おもしろ」「2chまとめ」「画像」「R-18」に。一部は「ネットウォッチ」に。R-18は生年月日によってフィルタリング

所感

というか、この古いカテゴリ分けで一体何年やってるんだろうか。他のCGMサイトなんかカテゴリ再編を割りと時代に合わせてやってるのに。

2011-08-27

一寸先も見えない27歳ニートが、5年後の未来を夢想してみた。

5年前、携帯ゲームSNSサイト既存ゲーム市場を激変させると誰が予想していたでしょうか?

そして5年後、同様の破壊イノベーションが、教育の分野でも起こると予想(願望)しています

1対マス(教師×生徒)型の教育から、マス対1(多種多様な教材×生徒)型の教育プラットフォームが主流になるでしょう。

王道学習サイト

http://www.codecademy.com たとえばこんな感じのサイト

かい目標達成がやる気を出させてくれる

教育機関無料映像プラットフォーム

名大学や有名塾講師講義内容を無料映像配信するプラットフォーム

→結局大学や塾の宣伝なので、

CGMプラットフォーム

lang-8や、四択問題クイズサイトのような、ユーザーが教師であり、生徒でもあるようなSNSプラットフォーム

情報の信頼性に欠ける、収益化が難しそう。

DeNAGREEプラットフォーム

多種多様教育コンテンツ企業提供するSNSプラットフォーム

お得意のデータマイニングで、学習者にとって最適な教材を提供。ただ、ゲームと違って、言語の壁を乗り越えるのが大変そう。



ここまで書いて、稚拙な文章と分析しかできなくて情けなくなったので、言いたいことをまとめると、

デジタルデバイスネット接続環境があれば、誰でも無料教育を受けられるプラットフォーム誕生

ただし、学生無職以外は月額5000円から一万円かかる

従来の学校教育に馴染めなかった人も、多種多様な教材で楽しく勉強できるような設計。(細かい目標達成を感じられたり、ゲーム的要素だったり)

従来の学校教育の進度が遅い/早いためにフィットしなかった人にも最適な学習環境が得られる。

教育生産性が向上し、18歳で大学教授並のパフォーマンスとか出せちゃう、教育界の石川遼クン的人材がたくさん出てくる。

良質なスクリーニングで、センター試験とか大学二次試験も廃止でコスト低下

技術の台頭により、職を失ってしまった人も、新技術を学べ、再チャレンジ可能な社会

会社内の教育にも使われ、企業生産性が向上。

既存公教育は、ディベートや、コミュニケーション、発想、創造力、を鍛える教育

み、みんなハッピー!!!


みたいな妄想をしてた。

過当競争で毎年自殺者3万人出てるなんて戦争やってんじゃねーんだぞこらー!(全然関係ない)

以上、孤独不安で頭がおかしくなったニートの戯れ言でした。誰かかまってください。

本の紹介忘れてた

教育×破壊イノベーション 教育現場を抜本的に変革する: クレイトン・クリステンセン, マイケル・ホーン, カーティスジョンソン, 櫻井 祐子: 本

http://amazon.co.jp/dp/4798117730

2011-04-25

食べログレビュアー派遣の話を聞いた

飲食店やっている知り合いから、食べログレビュアー派遣の話を聞いた。

曰く、

・一定料金を食べログ(Kakaku.com)に払うことで、契約している(有名)レビュアー派遣

・評価は必ず3以上をつける

とのことで。


前々から食べログの3.0以上の評価は殆どアテにならなかったから、それでもなんだかなぁという印象。

食べログレビュアーランキングを見ると、それっぽいのがちらほら。

いつも写真を大量に撮影しているレビュアーで、最低でも3.0つけてるのとかは分かり易すぎる。


CGMで、こうしたレビューアーによる影響ってどの程度あるんだろうね。

食べログについては、下記の流れから影響が相当大きいと思うんだけど。

・有名レビュアーほど、ファンが多く、口コミ投票されやすい→店のレビューでトップに来る。

・それに釣られて舌の肥えていないファンが何人か店に突撃、評価プチ上がる

・そして、3.**の微妙な店が大量生産


うーん、誰かTOP100レビュアーの評価分布と、彼らの訪れた店のそれ以外のレビュアーの評価分布作ってくれないかな。

綺麗に3.0以下の分布がずれると思うんだけど。


ま、単純なところでは、新規開店とかで最初にやたら有名レビュアー写真沢山の記事を書いて3.0以上つけてたら、そのレビューは信用できないって話ですな。



ちなみに、アメリカグルメサイトYelpが抱えてる訴訟ネタは以下の通り。

・Yelpに広告費を払わない店を冷遇

・悪い評価のレビュー削除の見返りに、月300ドルの請求

社員が大量にレビューを書いている(特に新規市場に進出の際)

・Yelpに裁判を起した店の、肯定的なコメントを消して否定的なコメントだけ残す(2010/9に原告敗訴・・・)

http://www.mediapost.com/publications/?fa=Articles.showArticle&art_aid=135514

・方針として、肯定的なコメントを維持するためには広告料を払う必要がある(2010/4に撤回)

2011-02-12

初音ミクから越えられない時代性を感じて悔しい

俺は萌えオタのくせにアンチ初音ミクで、奴が登場したときはこんな声とも言えない機械音など早々に消え去ってしまうだろうと思っていたのだけど、予想に反して既に3年くらいは経過している事態を重く見て、改めて初音ミクについて考えてみた。その結果アンチ初音ミクの立場からはちょいとまずいかな?なんて思えるような結論にたどり着きそうでちょっと怖かったのだが、この駄文を消すようなことはしない。

まず俺は初音ミク根本から誤解していたようで、どうもあの機械作成ツールはただそれだけでなく、実はそれよりもCGMかいって、音楽愛好家たちのプラットフォームとして機能するところのほうが大きいという。なんかこれは常識たいで、そんなことも知らないの?とか鼻で笑われそうでむかつく。まあ細かい説明は省くというかそんなこと出来ないけど、ボカロ厨が常々ひっくり返すとか何とか言ってたけどなるほどそう言うことかと思いつつも、それって要するにコミケと何が違うんだよとか言ってやりたかったが、とりあえず重大な勘違いがあったことは認めなければならないのかもしれない。

まあ、しかしそれはいい。

問題なのは俺が全くもって生理的嫌悪感から到底受け入れられないあの機械音の方だ。好き嫌いの問題ではなく、生理的にだめ、なのであって、いくら神調教(笑)とか言われるようなモノを聞いても結局機械機械、不自然な平坦さからやはり声と言うにはおこがましいように感じてしまい、これを理解できる日が果たして来るのかなんて思っていた。そんな矢先に偶然、とも言えないが二つのボカロ曲を聞いて啓示が降りた、ような気がした

腐れ外道チョコレゐト

http://www.youtube.com/watch?v=V5pIBfPD6Qo

Cipher

http://www.youtube.com/watch?v=HAWLtV5Flms

上はボカロPとかいボカロ専属の人が作った曲で、下の曲はなにやらプロが作った曲らしい

この二つを聴き比べて、下のほうが圧倒的に聴きやすいんだけど、曲としては普通で、上の「腐れ外道チョコレゐト」方は人が歌うことを全く考慮してないというか、ボカロの声に合わせて曲を作っていて、ボカロPとやらはボカロ声に違和感を覚えない人種なんだと、その時初めて気づいた。

いや、初めて気づいたというのは言いすぎで、そりゃあボカロ声が好きでたまらん奴も居るだろうとは思ってはいた。色々考えたり意見を聞いたりするうちに、ボカロのあの声から空白を感じ取るというか、あの声の色々足りてない部分脳内で補完して、そういうのを含めて愛でている人種が居るんだということに、気付かされたというべきなのかもしれない。

俺は萌えオタなんだけど、オタク的に言うと、これって萌え絵の受取り方と本質的に同じなのかな、と思ってしまったわけだ。

元々日本人幼児性を愛でる文化があるとかなんとか言われていて、萌え絵なんてものはお上手とかお下手ですねとかより、可愛いかどうかでしかなくて、その点ちょっと小奇麗な絵よりヘタクソなほうがかえってよかったりするわけで。AKBなんかもその類だとは思うけど、ようするに不完全さが残っているほうが良いみたいな風潮がこの国には有るのだと思う。

初音ミクの「声」も実はそういうことで。

これを受け入れられるかどうかというのは単に好みの問題で片付けて良いものはなく、非オタ人間萌え絵を理解できないということと同じで、ある種の人間を分ける境界線みたいなものだったのではないかとか、そんなことを思ってしまう。

ああ、文学ラノベでも似たような問題があって、それらを分かつものは現実から引っ張ってきているか、虚構から引っ張ってきているあみたいな話があったと思う。

とにかく、あの「声」が理解できるかどうかってオタクとしては重要だったりするんじゃないかとかちょっと考えてしまって。

今までにもオタクとして趣味が合わない、気に食わないみたいなものはたくさんあったのだけど、例えば東方とかけいおんとか、でもそれらが何故オタクにウケているのかは容易に理解できて、だからこそ逆に同属嫌悪を起こしていただけだったりで。他にもオタクとしてちょっと分野が外れても、なんとなくだけどアニメとかまんがとかそういう大きくオタクとして括れるような枠内で、本当に微塵も理解出来ない様なものは今まで無かったわけだ。

から、あれが理解出来ないということは俺が生まれてきて初めて明確に自覚出来た時代性なんじゃないかと思って、乗り越えられない壁ってこう言うことなのかなと馬鹿たいに呆けてしまったのでこんなふうに思考の纏まりもないまま文章に起こした

2011-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20110102051055

ネト充には誰でもなれる。

しかし実際にネットを見てみると、ネットでも他人に引かれる人やサークルクラッシャー、直結君、何をやっても炎上する人がいる。

ネト充には誰でもなれるのにだ。

つまりネト充はない人というのは、わかっていて馬鹿をやっているということだ。リアルでは十分に充実してるからネット馬鹿をやっているのだ。逆に言えばネットに充実を求めてしまうのはリアルでそれができない人間だということだ。

普通の人のリア充度を50としよう。最大値は100だ。ネットで得られる充実度の最大値はせいぜい10だろう。普通の人がネットで精一杯に充実しても、リアルの1/5しか充実度を得られない。馬鹿馬鹿しい。だからネットなんて適当馬鹿をやって遊ぶ。

しかし、リアルでどん底、リア充度が0の奴がネットで充実しまくったら、それはそれは経験したこともないような麻薬のような快感だろう。それが普通の人から見て1/5の充実度であったとしても、本人たちにはそんなことは知りようがない。比較対照がないのだから

技術に詳しかったり、絵が上手かったり、作曲が出来たりしても、リアルでは糞の役にもたたん。しかネットではそういう属性で異常にちやほやされる。ネットでのCGM文化が一般に認知され、何かを作ったり発表することがオタク文化という見られ方から変化してきてから、その傾向は著しい

リア充度が0の奴がネットをやると、どうであってもリアルに比べて充実してしまう、麻薬のようなものだ。治療するには、ネットをやめるしかない。

2010-12-25

いわゆる歌ってみた勢とボカロ界隈の対立

Togetter - 「ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えてくる歌ってみた界隈の問題点

http://togetter.com/li/82444

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/82444

Ohnuma Sound Lab. blog  年の瀬歌い手ボカロ界隈・これからの活動

http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html

Ohnuma Sound Lab. blog  【追記1】前回の日記についての補足・お詫び・コメント返信など

http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html

前置き

発言者である大福Pは著作権法律の問題を主張しているわけではないので、今回の増田では法律面に関する発言は一切しない。

彼の主張は

  • ミリしら」
  • アナザー
  • 「敬意無き歌ってみた(とその聞き手)」

の三点であり、一貫してモラルマナーに終始している。

用語解説

ボーカロイドを用いて作曲したものをニコニコ動画投稿している人の総称。立場上は作曲

  • 歌ってみた

ニコニコ動画の一ジャンルを形成する、言ってしまえばカラオケ投稿したようなもの。立場上は演奏者。JASRACとの包括契約により、二次創作は認可されているため、歌ってみた界隈は著作権問題をある程度回避している。

投稿者が作品の中身を1ミリも知らない作品に初見で声をアフレコするというもの。立場上は演奏者であり、ミリしらをする人をミリしらーと呼ぶ。アニメ音楽などのアフレコに使われていたが、今ではもっぱら「歌ってみた(特にボカロ曲)」ジャンルで使われる。

分かる人は分かると思うが、「ミリしら」とは方便である。最低でも一度以上、作品を鑑賞することは間違いない。初見で声を音楽に合わせて入れるというのは並大抵の人間ができることではなく、事前に何度も聞き、メロディーラインの重なりを避け、コード進行に合わせた新しいメロディーラインを構築し、リズムにある程度合わせた歌詞の選出、推敲をしているのは疑いない。

元の曲の歌詞を変えたアレンジで、ミリしらよりは原曲に近い。(私の観測範囲内の話)主に「あにま」という歌い手がしているようである

CGMコンテンツ投稿サイト

大福Pの言う「敬意なき」とはどういうことか

Togetterまとめからいくつか抜粋する。(大福P=dfk_ohnuma)

ピアプロで改変不可って書いてあった曲でミリしらやった馬鹿がいたのか。正直ミリしらなんて作詞作曲者への冒涜から無くなるべき風潮なんだよね。「おまえの歌詞メロディなんてイラネ 曲の知名度だけもらってくわ」って事なんだからゴミ屑の発想。dfk_ohnuma

データモラル低下というと、ミリしらとか新しい歌ってみたを新曲と言ってしまう等のマナーがなっていないという話のことですか?znc

@znc そういうことですね。あとイラストもかなりひどいです。dfk_ohnuma

来年ボカロと歌ってみたがきっちり区別されるようになるといいな。あと、界隈の人数が減ってもいいからもうちょっとまともな人の割合が増えるといいな。「ボカロが盛り上がるのは歌い手のおかげ!」とか言ってるような奴が全員死んだらいいな。dfk_ohnuma

これ以降ブログに主張が移る。

「改変不可」の曲でミリしらを行った人がいたという事実は問題外だが、ここでは割愛する。

要は「マナーがなってない」ということである。それを人数が多いことと結びつけ、質の向上を図るために界隈の人数が減ればいいのに、というなんとも大学生はバカが増えすぎたからFラン潰せよというどっかで聞いたことのあるような主張である。ただし、今回は「マナーが悪いやつ」という偏差値以上に曖昧な基準ではあるが。

話がそれるが、当然「マナー(が悪い|がなってない|を違反している)」というのは誤用であるマナーというのは言い換えれば主体的な配慮であり、それを他者に「守れよ」と押し付けるのは間違いである。この場合ルール(相互が有利になるような取り決め)が望ましい


話を戻して、歌ってみた界隈の聞き手は、彼のブログから引用すれば

ボカロが栄えているのは歌ってみたのおかげ!もっと歌い手感謝するべき!」

ボカロ曲は人が歌って初めて完成すると思っている」

ボカロPは歌い手のための曲の下請け工場

「歌ってみた拒否るPとかいたら潰すから教えれ」

などという主張をしているようである。こういう盲目信徒というのはクローズドコミュニティであればどこにでも沸いてくるウジのようなもので、潰しても潰してもキリがない。

彼らは「歌い手感謝するべき」というように作曲者に敬意を求めていることがわかる。一方大福Pもマナーを求めていることからわかるように、これは「敬意が足りないvs敬意が足りない」という、宗教戦争である

大福Pにとって、「敬意ある行動」とは、「歌ってみたりする場合、本当にいい歌詞、いいメロディだと思うなら、それを尊重するはず」というスタンスで、芸術的に見れば保守的な位置にあり、ミリしら、アナザー作曲者を冒涜したもので「ハイエナシリーズ」にすればいいんじゃないの、というこのようだ。


芸術美術表現者はかくあるべきか 第一 まずは敬意を抜きにした主張(主に脱線

先の都条例でも同様だが創作者は「自由」の名のもとで表現をする。ここに留意する必要がある。

たとえ「そんな懐で大丈夫か」と金を積まれようと、「一番いい○○みたいな作品を頼む」と制限をつけられようと、すべての表現は常に解放されているのが原則。

「こんなの○○じゃない」とか「金積んだんだから俺の望むモノ作れよ」とかいう主張も、自由が担保されていなければできない旨の発言である

一次創作から二次創作物へは、原材料を加工し、加工物を作る工程に似ている。その二次創作から三次、n次と派生するケースもある。これらは基本的にもとの創作物のカタチを「ある一定」は保持しており、影響がないということはまずない。それは音楽、思想、文章、すべてにおいてで。

ニコニコ動画視聴者コメントマイリストの数がつくため、価値が付加される。歌ってみたという二次創作から歌われた一次創作動画が評価されるケースもままある(今回の火種の原因の一つ)

また、作曲者と演奏者、聞き手は持ちつ持たれつの間柄であり、どれが一番偉いというものではない。「作ってやってる」「見てやってる」「演奏してやってる」「ホールを貸してやってる」というのは他者を従属的に捉えた主体的な意見であり、それは表現、立場の優劣に寄与することもない。芸術とはそこに参加するすべての構成員に平等な立場を与え、すべてをフラットにする。指揮者演奏団体を纏めるから演奏家より偉いというわけではない。誤解されがちだが経営者労働者の関係がイーブンであるように、指揮者演奏家もまた、イーブンな関係にある。そこに作曲者が加わっても、聴衆が加わっても、地主が加わっても、その関係は崩れない。

そして表現されたすべての芸術品も平等である。真贋を、洋の東西を、場を問わず。優劣を感じるのは、表現の埒外である評論家が何かの作品を優劣付けて評定しようともだ。そしてすべての芸術家もまた、その優劣をつける本能に苦しめられるのである。大概、中身が薄い、質が低下したなどと主張する。

とにかく、一次創作二次創作の間に、表現上の優劣はないということである創作者の間でも、もちろんのこと。

芸術美術表現者はかくあるべきか 第二 敬意と価値の問題(主に脱線

ここで、敬意を払うということは、その作品を大事に扱う、ということとする。「大事に」とは、もとの表現者の意向に従う、ということにしよう。極めて主観だが、敬意とはそういうものだ。

敬意を払うということは、それに肯定的な評価をくだす、正の価値があるということでもある。ありがたやありがたや、ということで、「有難み」というように、めったにないこと、価値の高い、ということである

正の価値がある、大事に扱うということは、人間の所産であるが、芸術以前の行動である価値、敬意というのは芸術に含まれない。それらはたとえ定量的に計られようと芸術寄与することはない。「リスペクト」して創られようとその作品に敬意があるというのは「思い込み」である

創作以前に、二次創作者は一次創作者の創作物を引用する。引用することに優劣はない。しかし、ここに敬意が入ると話が違ってくる。

敬意が入る場合、往々にして一次創作者>二次創作者という大小関係が生まれる。芸術では対等関係にあろうと、人間の間に序列が生まれる。創作物との間柄にもそれは用いられ、もっぱら二次創作者は立場が下になる。だから芸術内でも引用したものは上になり、引用して創られたものは下と「見做される」

「配慮」は、自分の立場があなたより下だという意思表示であるあなたに敬意があります、という意思表示である。有難い機会ですということだ。

から、「マナーを守れ」「配慮しろ」というのは「大事に扱え」というのと同義であり、大事に扱ったとしても、そう見えなければ「大事に扱ってない」と思われる。

そしてそれはけして守る必要がないものの、ときに強制されるものだ。



からこそ、撤回こそしたものの、大福Pはいとき音痴」にまで言及し、「大事に扱ってない」という判断を下したである

からこそ、今も「メロディーラインや歌詞を変えること」は「作品を大事にしていない=敬意を払ってない」という解釈をしているのだ。

だがそれは、芸術以前の問題である

推敲後、追加予定。

おわりに(書き下しすぎて長くなり過ぎたため、明日あさってに推敲予定。主に脱線しているあたりは一括削除するかも)

今回の騒動は芸術以前、すなわち表現の埒外の問題である

しかし、大福Pは表現の枠内に押しこみ、自分基準のマナー創作物の中身まで相手に強いている。

彼は表現参加者にして、自由の犠牲者である

器量が狭いばっかりに、沸点を切ってしまった。

配慮、マナーとは他人に要請するものではない。

表現に配慮を要請するなど、もっての外である

品位ある行動は各人努めたいものだ。

しかしそれをするかどうかもまた、各人の自由の範疇である

信教したいが、異教徒の攻撃が怖くて活動できない、異教徒規制するか?

創作物の区分陳列はできても、集団をマナーの出来不出来で区分整除することができるか?

2010-11-29

画像アップロード掲示板文化は今どうなってるんだろ

動画となると、YouTubeニコニコ動画が作品発表のプラットホームとして真っ先に筆頭として挙げられるけど画像に関しては…どうだろ。

かつては「ふたば☆ちゃんねる」がその分野の担い手として機能していたような気がするけど、現状はそうとは言えなさそう。

アップロードされる画像が、

主にこの三つが大半を占めていて、アップロードする者の創造性が発揮されているような物が殆ど見あたらない気がする。CGMとしてはうまくいってない状態だよね。

2010-11-28

ラブひな赤松氏のJコミがうまくいかない5つの理由

出版漫画業界じゃなくネット業界からみて

【1】ネット広告の現状

広告」で稼ぐというが、今のネット広告の現状はかなり厳しい

検索連動やモバイル広告はまだいいものの、その他はダメダメ

広告費は企業にとってカットしやすい経費ので、不況の影響をモロにうける。

さらに悪いのが、Jコミユーザー層。

広告媒体にとって重要なのはM1F1などどういった層に受けているのか。これが広告出稿のカギ。

詳細はJコミじゃないとわからないが、Jコミユーザー層は、多分、男性中心でネットのヘビユーザーだろう。

残念ながら、そういう層への広告クライアントも小さく、媒体競争も厳しく、掲載費が落ちる傾向。

同じようなターゲット層のITmedia社員リストラしていることからも、その厳しさがわかるだろ。

【2】広告モデルのおかしさ

Jコミが集めようとしている「絶版本」とは、そもそも何なのかという話。

いろいろあるようだが、おおまかにわけると以下の二つか。

(1)人気がなくビジネスにならないため、著作権出版権が著者に戻った本

(2)何かしらのトラブルがあって出版ができなくなった本

この(2)に関していえば、Jコミでも許諾が取れない可能性が高いため、

Jコミが集めようとしているのは、(1)ということになる。

通常、広告モデルを行うなら、どれだけ人気コンテンツを集められるかに、その成否がかかっているともいえる。

しかし、Jコミは逆。不人気コンテンツを集めて広告ビジネスをしようとしている。ココがそもそもおかしい

【3】CGMの難しさ

ユーザー勝手に作り出すコンテンツ広告をのせて儲ける。ネット企業なら誰しも夢みるCGM

しかし、このCGMを成功させるのは非常に難しい

Jコミは、「絶版本」をユーザーにUPしてもらおうと考えているらしいが、それを行うユーザーメリットは何?

ニコ動pixivのようにコミュニティ化に成功しているのであれば、その場にコンテンツが集まる可能性もあるが、

漫画家利益を得るために、持っていれば、その希少性から高価になる可能性のある、

絶版本を裁断してスキャンしてネットにアップするユーザーがどれくらいいるのだろうか。

最近ネットユーザーは、自分利益や他人の利益といったことに非常に敏感。

対応を間違えれば嫌儲の餌食になる可能性だってある。


【4】電子書籍の流れに逆行

現在、非常に話題になっている電子書籍

この電子書籍がより普及してきたら、Jコミのような存在は、そもそも必要ないのではないかということ。

前述した絶版本の定義における(1)は書店に本を置けないことから起きる問題だ。

しかし、電子書籍が普及してくると、スペースは無限だから、こういった絶版はなくなっていくだろう。

さらに今、絶版本になっている書籍出版社側から電子書籍として再出版という話も出てくるだろう。

そうなったときJコミが力を入れる「絶版本の保存」など意味がなく

普通に出版社がやることになってくるのではないか


【5】事業の位置付けが不明確

そもそも、Jコミ社長である赤松氏にとってこのJコミとは何なのか?という話。

ビジネスなのか?ボランティアなのか?文化事業なのか?

もし、ビジネスでやっているのであるならば、「テストで失敗したら辞めます」なんて言っていたら間違いなくダメ

広告代理店にとって、これは間違いなくビジネスで、必死に営業をかけて広告を取ってきているのだろうし、

広告を出稿するクライアントだって、安くない金をかけて広告費をだしているのだから。

こういう何かしらの意志を持ってはじめる事業の場合、関連する人たちの間での認識のずれによって

ほころびが現れ、どんどんダメになっていく可能性が高かったりする。

2010-04-30

公園ネット著作権JASRACとの往復書簡〜 その2

http://anond.hatelabo.jp/20100430092808

続き



質問(2)

<事例1><事例2>のケースでは、誰も責を負わないことがわかりました。

そこで、<事例2>の「公園」を「SNS」に置きかえて質問してみました。



▽質問全文(文末の署名を除き原文ママ

一般社団法人日本音楽著作権協会 御中



昨日、質問をしました澤田です。

さっそくのご対応、誠にありがとうございます。



ご回答を前提としまして、もう一つ、以下の事案につき質問させていただきます



<事案3>

現在、あるソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下SNS)を利用しています。

このSNSを通じて、日々の出来事を綴ったり、友人たちと文章で会話のやりとりを行っています。



SNS上でコミュニケーションとっていたある日、友人Aが歌Bのサビを含んだ文章を書き込みました。

上記の文章を閲覧したのは、友人AとつながりのあるSNS仲間と、同ページにアクセスした第三者の複数人です。



このSNSにつきましては、



・誰でも無料で登録でき、自由にサービスを利用できます。

SNSのページ上に、C社の広告バナーが掲出されています。

SNSの運営にあたってC社からの収益がまかなわれています。



という条件があります。そして、



・友人Aを含めたSNS利用者一同と、C社ならびにSNS運営者との間には金銭関係は一切ありません。

・C社もしくはSNS運営者から依頼されて友人Aが歌Bのサビを書き込んだものではありません。

・C社とSNS運営者にとって、友人Aが歌Bのサビを書き込んだことで得られる直接の利益はありません。

・友人Aが歌Bのサビを書き込んだことで得られる報酬はありません。

 (友人Aは、同SNS上でアフィリエイト貼付などの収益活動は一切行っていません)



以上の条件のなかで、友人Aが歌Bのサビを書き込みました。



<質問3>

事案3の場合につきまして、

・友人Aの行為は著作権侵害となり、なんらかの責を負うものでしょうか?

SNS運営者に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?

・C社に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?



質問は以上となります。

度々のお手数となりますが、御団体のご意見を賜りたく存じます。



※こちらにつきましても、ご回答いただきました内容を、議論のため私以外の者とも共有させていただきます

 ご了承くださいますようお願いいたします。



ご多用な中、大変恐縮ではございますが、

意見を頂戴できますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。


翌日、返信がありました。その回答内容は・・・ここに書くことができません。

「ご回答いただきました内容を、議論のため私以外の者とも共有させていただきます」に、NOがでました。

そのため<事例3>に対するJASRAC回答内容について、一切ふれることができません。



議題

内容が書けないかわりに感想を書くならば、下記の宣言に沿った回答をいただけなかったことが残念です。

JASRACは、著作物デジタル化されネットワーク世界をかけ巡る時代を迎えた今、70年を超える実績と経験ベースデジタル化・ネットワーク化時代の著作権管理のあり方を追求するとともに、そのルールづくりを担い、人々にとってかけがえのない音楽文化の普及・発展に尽くしてまいります。

http://www.jasrac.or.jp/profile/intro/index.html


また、最初の回答で「今後とも、著作権制度にご理解をいただきますようお願いいたします。」と述べていながら、都合によって回答の共有拒否を示す姿勢には、

「今後とも、著作権制度(を使ったビジネス)にご理解をいただきますようお願いいたします。」と言っているのかと訝しんでしまいます。



ただ、JASRACを叩くことが目的でも本意でもありませんし、それで終わってしまうことを望みません。



冒頭で、JASRACTwitter著作権使用料を請求できる論拠がよくわからないと書きましたが、

正しくは、JASRACTwitter著作権使用料を請求するのは間違ってるのではないかと思っています。



でも、私は法律専門家でもありませんし、自分が立てた仮説も素人意見に過ぎません。

どのCGM運営にも属さず、一介のはてなユーザーであり、Twitterユーザーでしかありませんが、

JASRACTwitter著作権使用料を請求することの是非」について、広く議論されることを望みます。



ぜひ皆さんのご意見をください。

この記事へのレスや、はてブコメントTwitter@swdy、などなど、皆さんのご意見を聞かせてください。どうぞお願いします。

公園ネット著作権 〜JASRACとの往復書簡〜

よくわからないことがあります。皆さんのご意見をください。



疑問

JASRAC菅原常務理事が「Twitterで歌詞をつぶやいたら、JASRACの利用料が発生する」と発言して、ネットで話題になったのが2ヶ月前。Twitter社に著作権使用料を請求することを検討中との内容で、先日も同理事がニコニコ動画インタビューで「Twitter社への請求を検討中」と発言されたようです。



でも、私はこの発言に引っかかりをおぼえます。

どうしてJASRACTwitter著作権使用料を請求できるのか、論拠がよくわからないのです。



JASRAC現在YouTubeニコニコ動画包括契約を結び、使用料を請求しています。

「デッドコピー(元の著作物市場価値を損なう複製物)への補填を求める」

これは請求の論拠として、よく理解できます。



でも、Twitterに上記の論拠は当てはまりません。もしJASRACTwitter著作権使用料が請求できるのであれば、Twitterだけでなく、はてなmixiモバゲーグリーアメブロココログなど、およそすべてのCGM運営者から使用料を徴収することができます。



そのような大きな話であるにも関わらず、論拠がおぼろげなのです。



仮説

そこで、ディベートのため、JASRACの請求を非とする立場を取り、一つの仮説を立ててみました。



【1】

SNSに歌詞を書くこと」は「動画サイト動画をアップすること」よりも、むしろ「公園で歌うこと」と同じではないか?

【2】

もし「公園で歌う行為」が著作権法で誰も責を負わないのであれば「SNSに歌詞を書く行為」もまた、誰も責を負わないのではないか?



という仮説です。

そして、この仮説を検証するため、JASRACに「公園で歌う行為と著作権の関係」と「SNSに歌詞を書く行為と著作権の関係」について、2回に分けて質問してみました。



質問と回答(1)

JASRAC インフォメーションデスクまで

https://jasrac.e-srvc.com/cgi-bin/jasrac.cfg/php/enduser/std_alp.php


上記の問い合わせフォームから最初の質問をしてみました。



▽質問全文(文末の署名を除き原文ママ

一般社団法人日本音楽著作権協会 御中



はじめまして

著作権法勉強している澤田と申します。



先日、友人達と以下の事案について議論を行いましたが、

私たちの知識・考察不足により、答えを得ることができませんでした。



そこで以下、ご質問をさせていただきます



<事案1>

今年の四月、大学の友人達とともに公園花見を行いました。

宴会が盛り上がるなかで、酒も入り陽気になった友人Aが、

おもむろに歌Bのサビを歌い始めました。

(歌Bは著作権がある作品で、権利JASRAC帰属のものです)

友人Aの歌を耳にしたのは、その場にいた友人達と、公園の通行人です。

この件につき、花見宴会への参加にあたっては参加料の徴収はなく、

友人Aの歌で得られた報酬はありません。



<質問1>

上記の事案につきまして、友人Aは、著作権侵害し、

何らかの責を負うことになりますでしょうか?



私見では、突発的なものとはいえ、著作権法第38条第1項の

(1)営利目的としていない

(2)入場料(それに類する対価を含む)等を徴収しない

(3)出演者等に報酬が支払われない



を全て満たしているため、友人Aは責を負わないと考えられますが

この私見は正しいでしょうか?



続けて、もう一つ質問させていただきます



<事案2>

事案1と同じく、公園花見を行っているなか友人Aが歌Bのサビを歌いました。

聴衆者や宴会形式、無報酬などの条件は全て事案1と同じです。

しかし、花見を行った公園が、あるスポーツメーカーC社がネーミングライツを保有しており、



公園の名称にC社の商品名が含まれている。

公園内にC社の広告看板が設置されている。

公園の運営にあたってC社からの収益がまかなわれている。



という条件がありました。但し、



公園の入場料は無料で、誰でも自由に利用できます。

・友人Aを含めた花見参加者一同と、C社ならびに公園運営者との間には金銭関係は一切ありません。

・C社もしくは公園運営者から依頼されて友人Aが歌Bのサビを歌ったものではありません。

・C社と公園運営者にとって、友人Aが歌Bのサビを歌ったことで得られる直接の利益はありません。



以上の条件のなかで、友人Aが歌Bのサビを歌いました。



<質問>

事案2の場合につきまして、

・友人Aの行為は著作権侵害となり、なんらかの責を負うものでしょうか?

公園運営者に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?

・C社に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?



質問は以上となります。

お手数となりますが御団体のご意見を賜りたく、代表してご連絡させていただきました。



※ご回答いただきました内容につきましては、議論のため私以外の者とも共有させていただきます

 ご了承くださいますようお願いいたします。



それではご多用な中、恐縮でございますが、

意見を頂戴できますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。


翌日、以下の返信がありました。



JASRAC回答(署名無し、原文ママ

澤田 様



お問合せの件につきましてご回答申し上げます。



ご質問の事例につきましては、いずれも著作権法第38条第1項の要件を

満たすものであり、著作権の手続きをお取りいただく必要はありません。



今後とも、著作権制度にご理解をいただきますようお願いいたします。


いただいた回答から、「公園で歌う行為」について上記の条件では誰も責を負わないことがわかりました。

それでは<事例2>の「公園」を「SNS」に置きかえたらどうなるか?質問してみました。



続く

2010-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20100226165021

横ですが。

今回の日本不況、衰退、デフレ何でも良いんですが、その原因には、少子高齢化や(冷戦構造崩壊によるグローバル化起源を発する)戦後民主主義賞味期限デジタルネットワーク革命など、いろいろな要因が絡んでいると思うですよ。要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。旧来の安定したインフラシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。だから既得権益批判をやるという話ではなくて、今は産みの苦しみの時代だと思っています。今必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。というか、内田先生日本辺境論ではないですけど、日本環境適応能力や吸収力、学びの力は異常だと思います。フランス留学生(でしたっけ?)のブログで話題になっていましたが、日本風景の変化速度は異常です。でも、それでも追いついていないのが現状だと思います。適応のために時間が必要なのだと思います。なんとなく思っているのは、アナログ世代が退場した後、デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システム自動的に崩壊し、社会意志決定システムも大きく変わるでしょう(もうその兆候は見られています)し、人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います(現在は主導権を握っているアナログ世代が適応障害を起こしているので、どうにもならない訳ですが)し、アナログ世代のリーダーストップをかけていた製品企画にも足かせの取れたデジタル世代のリーダーが出てくれば面白い製品にゴー!をかけるのではないでしょうか?その根拠として、YouTubeを見ていて思うCGMによって作成された日本製娯楽コンテンツの異常なレベルの高さです。日本人クリエイティブ性は”今でも”凄いと思います。これほど、職人がいる国はないのではないでしょうか。また、経済歴史から見ると、経済の中心地(オランダイギリスアメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?インターネット構造と同じように、情報的・経済ハブとなる地域はあるが、中心地のない時代になっているのではないでしょうか?つまり、全世界の「辺境化」です。そして、辺境の地としての日本の歴史には一日の長があります。日本が有利なんです。だから、職人本能のままに「一千万人の職人創作活動で世界を萌やし尽くしてやる」と突っ走ればいいのではないでしょうか。と、たまには明るい未来を語ってみました。



追記:

増田で議論する気はないけど、たまには反応するかな。



http://anond.hatelabo.jp/20100226173402

もうちょっと論点を整理して語れないもんか? 要するに「きっとなんとかなる!大丈夫!」の一言でまとめられる気がするけど。

論拠なしでも「きっとなんとかなる!大丈夫!」でおk神様にお祈りでもするか。



http://anond.hatelabo.jp/20100226173632

改行しろ。 段落分けしろ。 だらだらだらだら1段落に詰め込みやがって。 読ませる気あんのか?

さかなをたべよう!

あたまあたまあたま~あたまがよくなる~



http://anond.hatelabo.jp/20100226180143

更に横増田です。

>今回の日本不況、衰退、デフレ何でも良い

 たぶんこの辺の認識が元とは違うと思います。

 元が問題だと思っているのは景気サイクルの波ではなく、国の規模が衰退傾向にあるということに目を背けていることが問題なのでは? 

>要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。

>旧来の安定したインフラシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。

 既得権益新興国低賃金に関与しますでしょうか?この国は豊かになってしまい簡易な労働でも非常に大きなコストがかかってしまうという事を認識すべきなのでは?

 

>必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。

 時間が経つと何が変わり、何が復活するんでしょうか?

 

>デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システム自動的に崩壊し、

>社会意志決定システムも大きく変わるでしょう

 マスコミが作る世論のどの部分に問題があるですか?

 マスコミがこの国の政策の策定及び執行にどの程度影響を及ぼしますか?

>人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います

 10倍になりますか?(新興国/日本人件費差)

 その他、コンテンツの質の高さ等がありますが、そのコンテンツが将来どのぐらいの価値を生み出すでしょうか?

 現状の自動車等の輸出産業と同等の量があるですか?

 

>経済の中心地(オランダイギリスアメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。

>しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?

 各国に分散していく事に対してこの国が寄与できる部分はありますか?

 

…というか、現在道路工事に従事している方が今後も同じように仕事を与えられるだけの余剰は生まれるかどうか心配。



疑問ばかり。心配ばかり。部屋の中でガタガタ震えてお祈りしてれば?

「あんたのやりかたはダメだ。これこれこういう理由で(あるいは俺にはそのやり方は理解できんからなんとも言えないけど、とか)。それよりもこっちの方がうまくいく確率が高い」という意見建設的な意見というものでしょう?「絶望した!」と叫びたいだけなの?

2010-01-13

能町みね子オマージュ問題

能町みね子ネット世界を知らなすぎる

吉本ばなな居酒屋の話に似た、なんとも言えぬ嫌悪感をおぼえた。

ことの発端はこの記事のようだ。

くすぶれ!モテない系サッカーファン

http://ajickr.sakura.ne.jp/archives/241

能町みね子の「くすぶれ!モテない系」という本をもとに、

それをサッカーバージョンとして紹介しているよくできた記事だ。

うまいことインスパイアしている。

(ブログ主のajikuta氏はオマージュだと言っているが、これはインスパイア記事だろう)


記事に対する能町みね子本人のブコメ

nomuch

私の「オマージュ」はうれしいけど、ほとんど改変文なんだから

マナーとしてせめてオリジナルリンクくらい貼ってほしいです。

イラスト無断転用もいい気分はしません。

コメントした。

なるほど、この記事はそんなにパクりなのかと思って調べてみた。

インスパイアしたと思われるのはこのページ(たぶん)

http://www.bookman.co.jp/rensai/esp.php?_page=motenai

3500字程度中700字程度は似通った表現があったが、

そのほとんど(というかこの場合、サッカーにあてはめた部分)は

別にパクりではないということがわかった。

(イラスト転用している部分はまあ問題かもしれないが、ネット世界では普通のことだ。ブログ主は謝罪し修正しているが)

ブログ主の対応

能町さんご本人から画像転用についてご指摘頂きましたのでイラスト画像を削除しました。

文言については「ほとんど改変文」とのことでしたが、改変していたのは一部なので

その部分100文字程度を修正または削除しています。ご迷惑をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。

まあ普通の対応だろうか。だが私はすごく違和感を感じた。

完全なパクりでもないのに目くじら立てて

ブログ主に噛みついた能町みね子の態度はいかがなものか、と。

私は悪いが彼女の本も買ったことがあるし、たまにブログも覗いている。

それなりに好きだった。私もモテない系だし。しかし、今回のブコメツイッターを見て反吐がでた。



能町みね子ツイッターつぶやき

# 私が非寛容なのか?いやそんなことはないよね。

私がすっごい著名人だとか私の文が人口に膾炙してるならともかく、

あの感じじゃいくら私の名前が書いてあっても著者のオリジナルの文に見えるよ。

なんかもやもやする 約16時間前 from web

# なんかもやもやするからブックマークコメントから意見してしまった。

この人ついったーにもいるの分かったけど、直接的すぎてさすがに@しにくい。 約14時間前 from web

もやもやするのはこっちだ。



おそらく能町みね子ネット世界をわかっていない。

口コミやバズといったネット世界CGMの威力を全く理解していない。

雑誌書籍世界に浸っているため、

ちょっとそれ私の著作よ!ふざけないで!なにしてるのよ!となるのだ。


ネット世界では何か良質なコンテンツが生まれると、

それがインスパイアされて新しい記事が生まれるなんてのはごくごく当たり前の話だ。

それがまた話題になり、コメントされ、紹介され、さらに広がっていく。

それがネット世界の特徴であり、楽しい部分でもあるのだ。

元記事だってインスパイアされることでより価値高まったり、来訪が増えたりする。

能町みね子はまずその辺のことがわかってない。

だから私のイラストや文章をパクりやがって!という被害妄想になる。

こういうインスパイア記事はなにより自分に跳ね返ってくるのに、

(おそらくそういう経験をした事がないのだろうが)

そんなことすらわからず批判するのだ。なんと器の小さいことか。


中途半端な文筆家やライターネット世界ではほぼ無名

それともう一つ能町みね子がわかってないのは、ネットにおける己の存在感についてだ。

少々本を出したところでネット世界で発言力を持つかというとそう単純でもない。

故に能町みね子ネット世界でほぼ無名だ。

一部の女性に知られているだけだろう。

能町みね子がどの程度ネット世界で存在感があるか調べてみた。

プロフィールhttp://www.hatena.ne.jp/nomuch/

ブログhttp://d.hatena.ne.jp/nomuch/

ツイッターhttp://twitter.com/nmcmnc

フォロワー56人

ちなみに、批判されたブログ主フォロワー1566人。


ブログ自体のPVはよくわからないが、更新頻度などからみても

能町みね子よりブログ主の方が高いだろう。

つまり、ネット世界において、他人に与える影響力というか

メディアをもっているのは能町みね子よりもブログ主の方だ。

そういったことを認識せず、ツイッターでグチをこぼし続ける様は、

一切を発言せずブログ上での謝罪にとどまったブログ主と比べるべくもない。

もしブログ主ツイッターで1600人近くの人に対してこの件についてつぶやいていたらどうなっていただろうか?

ネット世界で勝負しなさい

今回のこのやりとりを見ていて、自分なりにいろいろと整理して書いてきたためすごく長文になってしまった。すまない。そろそろまとめよう。



こう言ってはあれだが、能町みね子をはじめとした

中途半端な文筆家やライターウェブをもっと使いこなすべきだと思うのだ。

ちまちま個人ブログに対して著作権を訴えるようなことをしていないで、

いかにして自分ネット世界で大きな存在にして、発言力を持っていくかを考えようよと。

多少は名前を知られている訳だから、ただの素人ブログを始めるのよりもよほどハードルが低い。

だからこそ、自分の中に眠るコンテンツを惜しみなくウェブで展開して確固たる地位を築くべきだ。

多くのアルファブロガーがそうであるように。



雑誌書籍世界にいて、ネット世界を見下しているようではダメだ。

おいて行かれるだけ。もっと出し惜しみせずにいろんなことをネットに出していかないと。

無料で良質なものを出すなんて…とか言ってる時点でダメなんだよ。



無料で良質なコンテンツを出せば必ず人は集まるよ。

今集まっていないのはまだ出し惜しみしているだけだからだよ。



ちまちま書籍雑誌世界に閉じこもって、

大したことない権利を守ろうとしてないで、

もっとネット世界に来て勝負してみなよ。結構勝算あると思うよ。


追記:

世間一般における優先度は世間一般の常識ネット常識だという事を認識した方が良いのでは。

話にならない。>でも<でも=でもない。しかも世間の話というより書籍雑誌世界ネット世界の話をしている。もう一度読んでみて。それぞれの世界でうまく立ち振る舞うべきと言っているんだよ。わかるかな?

は? 画像転載だけで完全にアウトだろ…なにが普通のことだ。

画像転載がアウトとか言ってる人は、著作権ひっかかるようなサービスブログ等一切見てないんだよね?ねえ?ネットの楽しさってそういうのほとんど関係無しでやってるところだよ?もうねこれはYahoo!がやってたらそりゃ責任とわれるだろうけどさ、個人レベルブログとかにそんなのを求めるのは無理。CGMにおいては著作権とかあきらめるしかないんだよ。あきらめてCGMをうまく活用することを考えるべき。そっちの方がよっぽど生産的だと思わない?

個人ブログはむしろ転載してたら袋叩きに遭いかねないイメージレビューサイト批評の為に引用するのは除く)

転載っていう意味だと微妙だけど、たとえば芸能人画像とか2ちゃんねるコピペブログとかではまったく著作権とか無視で使ってるよね?でも一番人を集めているよね?どうしてかな?たたかれることもあるだろうけど、それだけおもしろいとか評価されてるよね。Yahoo!ブログとかでしょうもない日記書いているようなブログでも普通にネットに落ちてるジャニーズディズニー画像挿入しちゃったりしてるよね、でそれを見た人が「かわいいですよね」とかコメントしちゃってる。それを止められると思う?無理だと思うよ私は。

いや、ネットの楽しさや特性云々以前の話で、オマージュされた本人が、され方に疑問を持ち、それを伝え、オマージュした方が修正をした。ってだけでしょ?

そのことをベースに、こういうことを考えた、という増田ですよ。ネット上の、特に個人ブログレベルでの著作権うんぬんにつっかかり、お先真っ暗な紙媒体上の既得権益を守ろうする人たちに対して苦言をていしているのですよ。ネット世界をまったくわかっていない、とね。

どんなにネットが素晴らしかろうと、それを構成しているのは個々人でしょうに。

だからこそ、個々人がやるブログレベル著作権うんぬん、転用うんぬん言うのはナンセンスだと思いませんか? あなたは能町さんと同じような考え方のようですね。ネットを知らなすぎます。なぜネットがここまで流行ったか、おもしろいと思われているのか、そこを考えたことがありますか? 著作権だなんだを個人レベルブログにまで求めていたら、ネットはここまで流行っていないですよ。

現に能町みね子は止めようとして、ブログ主がそれに従ったんだから「無理」じゃないだろ。

このブログ主を止めただけであって、ネットの中の個人ブログとかどこまで追えるのって話。無理でしょうそんなの?ん?できるの?できるんだったら教えてほしいな。

つーか増田の主張は「止められないから無理」じゃなくて、「著作権違反した方が人を集められるんだから止めるな」だよね。

あのさー、この元になった記事とか読んだ? 丸々ぱくってるっていう話じゃないし。著作権違反した方が集められるというのはブログ主側の意見としてはあると思うけど、著作者はそんなネットの中の著作権うんぬんを言い出したらキリがないよ、と言ってるのよ。インスパイアされて書かれるような個人ブログの記事についていちゃもんをつけるのはおかしいでしょ?と言ってるの。まずあなたはそこがわかってないね。上にも書いている通り、インスパイアされたりすることで自分にもプラスになる部分あるよって言ってるんだけどさ。もう一回最初から読んでみてよ。

あと、「著作権法」というものが何故あるのかも考えた方がいいと思うよ!

浅いなあ。そんなことは重々承知。で、今のネット界がどうなってる?YouTubeがどうなってる?なぜあるかなんてもうみんなとっくに考えてるよ。でも止められなくなってる。その現実について考えた方がいいと思うよ! 偽善でそんなこと言っててもしょうがないんだよ。これからこの状況をどうするのかを考えた方が建設的だと思わない?

で、どうやって儲けんの?広告貼った所で雀の涙だよね。人を集めるのが目的ではなく、儲けるのが目的なんだし。

これも浅いなあ。これまでのメソッドでしか考えられないのかな? それだとそういう結論になっちゃうよね。あなたは何かを生み出せるタイプじゃないね。そういう固定観念で話をしていないんだ。ついでに言っておくと、あなたは出版世界のことも学んだ方がいいと思うよ。

2009-12-31

ゲームは「作品」か「商品」か

タイトルのような議論は、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』という結論に落ち着く。大抵は。

なんか違うよな、と思ってたのだが、少し前に下のようなスレを見つけてから、さらにモヤモヤが増してきたので、少し書きたいと思う。



まず、件のスレ(すでにDAT落ち)。



宮本「俺が作ってるのはゲームじゃなく商品」

http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1260455702/

>約1時間の講演の中で、個人的に印象に残ったのは、宮本氏の

>「僕らは作品ではなく商品を作っている」という発言だった。

ゲーム開発者にとって、主役はあくまでお客さんであり、

ゲームそのものではない。宮本氏は普段から、スタッフにも自分たちが作っているものを

>「作品」ではなく「商品」と呼ぶよう指示しているという。



ttp://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0910/27/news082.html



金儲けしか頭にないんだな、この老害は・・・



自分過去ログが見れない状態なので、記憶で書くしかないが、私が見た時には、いつも通りに荒れていたし、例の如くコテハン叩きもやっていたりと、まさにゲハだった。ただ、あまり決定打的意見はなかった印象もあった。宮本氏を守銭奴扱いする人間もいれば、「当たり前じゃないか!」という人間もいて、色々意見が分かれていた。



じゃあ、お前が決定打的意見を出せるのか?と言ったら、まあ、怪しいものだが、自分なりの落ち着き所が欲しいし、モヤモヤも何とかしたいので、書きながら考えを整理してきたい考えだ。




……と、能書きはこの辺までとして、本論に入ろう。

まず、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』というのは、正確じゃないよね?というのが私の立場だ。単なるとんちに聞こえるかも知れないが、『ゲームは全て作品であるが、中には商品として売っているものもある』がより正確だと思う。(フリーで遊べるのもある訳だから)



要するに、「商品」と「作品」は一つの対立軸にはなり得るけれど、「商品」と「作品」は対照的な存在という訳でもない。

無料」と「有料」は「0か、0でないかだから」、TrueとFalseの条件式に使えるけれどもだ。



販売者の側から見ると、「作品」は、単なる「商材」である。

「商材」を消費者から見て「商品」に仕立て上げるのが「商人」である。

アップルは良い見本で、安く「商材」を仕入れて、手を入れ、磨き上げ、組み上げて、大勢の人間が良いと思わせる「商品」に仕立て上げている。



その結果、スティーブ・ジョブズは、オープンソース教徒には守銭奴に見えるだろうし、アップルファンには神の使いに見える。

(この図のように→http://i.imgur.com/YRoqC.jpg)



例えば、記憶で書くので間違っている部分もあるかも知れないが、ハリウッド映画にもなった映画Shall we ダンス?」は、本家日本版も米国で公開されていて、(米国では)200万人を動員したそうだ(Wikipediaより)。



米国で公開する際、米国インディペンデント系が買い取ったらしいのだが、そのバイヤー曰く、「私が発見した」という言葉を使ったらしい。監督周防正行氏曰く、「私はすでに商業作品を作って成功している(から、発見したという表現はおかしい)」。



周防正行氏は、バイヤーから見れば「(今まで現地で紹介されてこなかった新しい)商材」に見えるのだろうし、氏自身から見れば自身を「(立派に成功した)商業作品」の監督であると思うのは当然だ。その視点(立場)の違いによって意見の相違が生まれているということなのだと思う(私の記憶の違いもあるかも知れないので、詳しくは「『Shall we ダンス?アメリカを行く (文春文庫)」を見て下さい)。




話がさらに脱線するかも知れないが、アニメーター労働条件が酷い件についても、似た様な違和感を感じる。

具体的には、あまり電通がどう、中間搾取がどう、とかという時代でもないだろう、みたいな気が非常にする。



ゲームもそうなのだが、無料でも見ないような「作品」、遊ばないような「作品」がネットレンタル廉価版ワゴン中古にいくらでも転がっている。今の時代、それこそ、インディーズ映像全体まで枠を広げると、YouTubeだって一人の人間で見きれない状態だ。



しかしだ。それでも、売れているものは売れている。

例えば、任天堂ゲームなんてあまり値下がりしないし、それなりの値段がするが、売れている(おお、ゲームの話に戻ってきた)。


つまり、「作品」があふれる時代に、「作品」で金を稼ぐにはどうすればいいのか?という問題に戻ってくる。

「作品」をどう「商品」に仕立て上げるか?ということが問題になってくる。

編集者のいない漫画雑誌であるコミックギアは三号で潰れたそうだが、金を取るなら「作品」である前に「商品」であることを求められるという訳だ(例え、作者が不本意に連載を続けていても)。



当たり前だが、人は、欲しい時に欲しいものが欲しい。

果たして、みんなが持っていたオモチャを買ってもらえなかった時の気分はどうだったろうか。



要するに「商機」をつかめばものは売れる。

つまり、たった一杯の水でも、砂漠では高く売れる。

何でもないものが希少価値になる。



そして、需要がある所に商品を適正価格供給してやれば、感謝される。

満足感があれば、リピーターになってくれる。

それがまっとうな商売だ。皆の幸せに繋がるのだ。

そういった「商機」を見抜く目があり、実際行動する人が尊敬される商人なのだと思う。

果たして、廃人育成MMOマルチ商法ソーシャルアプリがまっとうな商売か?と聞かれた場合、ハイ、と答えられればそういうゲームの営業をやればいいと思うし(別に非難している訳ではない。悪意はあるが)。



もちろん、「商品のまっとうさ」というのは実に微妙なものだ。特にエンタテイメント業界においては。

例えば、任天堂の「脳トレ」も疑似科学批判があった訳だし。

だが、売っている人間が自身の商品のまっとうさを信じられるかというのは実に大きなファクターだと思う。より悪意のある書き方をすれば、詐欺的商売でも、自身の商品のまっとうさを営業が信じていれば、ものすごい力になるから。




もう一つ気になるのは、クリエイティブ性の問題だ。

クリエイティブの敷居がこれだけ低くなると、もう、プロクリエーターは好きなものを作れなくなるのではないか。

当たり前と言えば当たり前だが、仕事というのは、いやな作業をする代償としてお金をもらうようなものだから、クリエイティブアマのものになるのかも知れない、的な雰囲気がなんだか漂っている気がする。



例えば、米国では、10年くらい前までは業界を引っ張っていた制作者が半分趣味で作っているようなPC大作がほとんど出なくなっている代わりに、クリエイティブインディーズゲーム活性化しているようだ。



……すると、ものすごい安い賃金本業と儲けの高い同人活動をこなすアニメーターみたいな訳の分からないものがこれからの本道なんだろうか?

とすれば、プロ活動とアマ活動を両輪にして生き残る、というのも一つの考え方という訳だ。

もちろん、いやいや、プロは今のハリウッドの様に空虚になるのではないか?とか、CGMはどうよ?とか、まだまだ言及が足り無いこともあるが、疲れたので寝ることにしよう……。

2009-12-30

ニコマス進化自分のかかわり方(未完)

本当は自分ブログを立ち上げてそこで書けばいい話なんでしょうけど、どうしても書かずにいれられなかったので。

今回は直接的にこの記事に触発されて書いたものです。

TomFの二次資料室 わたくしごと

さて、少なくともニコニコ動画御三家(古い表現だが)の中でニコマスCGCなんて新しいムーブメントではない。

まずはvocaloidvocaloidこそCGMの代表的コンテンツである。

vocaloidはツールであり、作り手の思い通りにコンテンツをつむぐことができる。

下敷きにする一次創作なんてものも存在しない。パッケージにかかれたキャラクターも、キャラクター展開も無視することも当然可能だ。

オリジナル曲を歌わせれば著作権の問題も完全にクリアすることも可能。

そして、二次創作コミュニティを突き破って自己実現のツールとすらなる。supercellがそのいい例だ。

東方プロジェクト、これも二次創作とはいえCGMの形の一つだと思う。

zun氏が二次創作について明快かつ寛大なガイドラインを設け手いるのが大きい、そのガイドラインの範囲でなら著作権問題もほぼクリア

できるし、二次創作が更なる創作を爆発的に誘発する呼び水になっている。

キャラクターの設定が良い意味で薄い上、作品世界がが「閉じた」形式になっていないのも自由な発想での創作を可能とするのだろう。


さて、ニコマスはどうか。

ニコマスはどうしても二次創作という形から離れることはできない。一次創作パッケージ化され閉じたストーリ展開に束縛される。

キャラクターには時間軸に沿った詳細な設定が施され、そこからも逃れることはできない。

さらに、著作権関連の問題は限りなくグレーである。バンナム含め様々な関係者からの黙認のうえにニコマスは成り立っている。

そうなると、ニコマスの進む道は、必然的に旧来の同人世界と同様「ファンアート」の範疇を進まざるを得ない。

一次創作の設定・キャラクターストーリーを最大限に尊重しつつ、それを自分解釈で再構成し形にしていく方法である。

自分解釈での再構成・再構築」がここからの問題となる。


で本題はここからである

TomFの二次資料室 わたくしごと

この記事を読み、さらにここで言及されている動画SSに思いをめぐらしたとき、

Tomさんの態度について非常に共感するとともに、ニコマスへの接し方について改めて思いをめぐらさざるを得なかった。

「πタッチ」「とかち」という、アイドルマスターゲーム内容からみれば全く関係のない部分から火のついたニコマスは、

ステージPV動画で驚異的な表現力を手に入れ、ノベマスや架空戦記ものでストーリーの語り方を手に入れた。

そして今、「im@sストーリーPVタグの隆盛を見るように、「ゲーム本編のストーリーキャラクターの設定を再構成・再構築して映像化する」

という流れが中心になろうとしている。

この記事で触れられているtlopの作品は、ゲーム内での「オーディションの厳しさ」と「トップアイドルへ向かうことの厳しさ」を再構成・再構築して

映像化したものだし、一連のwhoPの作品は「アイマスゲーム内での美希と自分(whoP自身)のかかわり」を前面に押し出して作成されている。

そう、「製作者の設定・キャラクターストーリーを最大限に尊重しつつ、それを自分解釈で再構成」という、ファンアートとしての作品が

高いレベルで輩出されるようになって来たのであり、これはニコマスとしては正常進化と言えるものだ。

しかしである。

この正常進化に耐えられない人間はどうすればよいか。

この記事のコメント欄でグレゴールさんが言うところの「ニコマス作品は(特にPVは)“賛歌である”という側面がとても強くて、私にはそれが心地よい」と感じている

と感じている私のような人間は・・・。

今からゲーム本編を全クリアし、一次創作の設定・キャラクターストーリーを最大限に尊重できる態度を身につけたうえで、Pの数だけある「解釈」を

読み取れ共感できるようになればそれにこしたことはない。

だが、それが自分にできるだろうか。

ニコマスに関わる人たちはそれぞれどのように振舞っても構わないし、自由です。

ニコマスPは彼女達に何をさせてもいいし、世界をどのようにしても自由なのです。」

Tomさんが呟いた当たり前の自由を、今の自分が許容できるのかとても心許ない。

ニコマスはこれからも進化していくでしょう。しかも、ファンアートとして正常進化していくでしょう。

私としてはその行く末を見て行きたいけれど、私のような存在は「進化していく上での遺物」と化していくでしょう。

それでもいいのです。

Tomさんの言葉真実物語っています。

ニコマスに関わる人たちはそれぞれどのように振舞っても構わないし、自由です。

ニコマスPは彼女達に何をさせてもいいし、世界をどのようにしても自由なのです。」

2009-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20091024045330

順調に大人、というより一通り踏み台にし終わったからあの界隈を捨てただけじゃないの?

えがちゃんは非モテSNS当てたよねー、本人非モテでもなんでもない((モテるかどうかというより、非モテメインストリーム属性ではない))から、あまり狙ったんじゃないと思うけど、

現実としてユーザーを大量に手にいれたし、それの一部がちょっと流れるだけでピモテとかも賑わってる風に見えるし。

えがちゃん王国エコシステムはできたなーという感じ。


>去年作ったサイトは順調に大きくなってて

っていうけど、実際非モテ以外はさっぱりだよね。

いろんな所に顔だして、真面目な顔もしていると言う事は、そろそろ非モテ以外の所に網を投げたいみたいだけど、非モテSNSみたいには上手くいってないぽいね。


BUはえがちゃんパワーでメールとばしまくって、新しい人をあつめようとしてたけど、結局現時点登録数で300人以下で放棄中。

えがちゃんの「ベタアイディア勝負!人さえあつめればどうにかなるよ!」のCGM精神だったんだろうけど、

さすがに運営力がなさ過ぎて、人集めの能力だけではやっぱり上手くいかないんだなーという事がみえてしまっている状態なのは残念。

非モテラッキーヒットだったんだなあと思われてしまう((さらに言えばシステムはすべて他人頼りだし))。


現状メイン非モテSNSイベントだけちまちまやってるけど、実はアレが柱だよね。あれやらなかったらプレスリリースを打てないし。

でも実際の所イベントは既存ユーザーに対するものだから、新しいユーザー獲得にはつながってないんじゃないのかな。

AV女優とか、お笑い芸人とか、ゲスト頼みのイベントばかりで非モテSNSリンクしてないし。


>ピモテなんて結構真面目に注目されてるんだけども

モテはもういちど人をガッツリ集める為のしかけだったとおもうんだけど、見てる限り流れも遅いし、非モテSNS出張所みたいになってしまっている、とりあえずにぎわす為に非モテから人を引っ張ってきたのはいいのか悪いのか…。

Twitterクローンブームがなかったら、取り上げられたりはしないんじゃないのかな。

そんな中、にせアメーバなうは久々にegachan得意の「コンプラなにそれ?」的なトバした物だったとおもうけど、身も蓋もない設定故にリアルに怒られてさっさと締めちゃったし。


とにかく人を集めてビッグになりたい!という方針自体はアリだし、女の子を数人食えるw程度には成功してるとおもうんだけどなー。

でも非モテ以上をだしてこないと(もしくは非モテを育てないと)一発屋だよなあ。

2009-06-04

世界グローバル化というか「誰でも化」してるけど、しないほうがよくない?

誰でも参加できることにより、質(たち)の悪い人や質(しつ)の低い人が混ざる。

善意があってクオリティが高い奴だけ囲い込んで、何かするというやり方がいいと思うよ。

東大とか一流企業だったら試験があってエリートだけを選抜するじゃん?

それと同じように特定のタイプ人間だけ選抜するようにすべき。

たとえばネットサービスにしても、誰でも参加できてしまうのはマズい。

CGMなんて言うけれども、作られる情報の質を高くするのには無規律な集合知なんかじゃ駄目だ。

Wikipediaは特殊な例であって、それ以外に集合知がまともに成功した例は一つもない。

1人でもつまらん奴がいると場がシラけるのと同じで、少しでも荒らしや低質な奴が混ざってると、

面白いものが出来てこない。

これはブレーンストーミングを考えてみるといい。批判意見を出す奴を一人でも混ぜてみろ。

まともなブレストが出来ない。

そこで今度は、批判者を混ぜずに1人でもすごく頭脳優秀な奴を混ぜてブレストさせてみる。

するとそいつの発言が周りに刺激を与えて良いアイデアポンポン出てくる。

さらに、今度は、頭脳優秀な奴だけでブレストさせる。

そうすれば、さらにレベルの一段上がった発想ばかりが次々出てくるようになる。

今述べた3例はサラリーマン時代に、ともに実証済み。

つまり何が言えるかというと、絞り込んだほうがいいということ。

絞り込み方は何も頭の良さだけではない、特定分野への関心・知識の多さ、性格

さまざまな絞り込みかたがあっていいし、そうすべきだ。

誰でも参加できることでユーザ層が広がるのはメリットかもしれないが、同時に生成される情報

質がガクンと下がるというデメリットもあることは、あまり注意されていないようである。

2009-03-31

アイマスについていけない。悔しい

ニコマスCGMの中では成功している物のうちの一つなので参加している人たちは何が面白いと思って盛り上がっているのか、とかそういう成功している理由といったなにかを理解したいのだけれど、面白いと言われる動画を見ても何が面白いのかよくわからない。なにか盛り上がっていることはわかるのだけれど、何故この人たちがこんなに盛り上がれているのかが理解できた気がしない。とても残念だ。

ニコマスというかアイマスはどうして流行したのかってのはいろんな形で考察されていて、そういうのを読んだり見たりした所で自分が感じたのは、俺は乗り遅れたんだなぁという気分。なんといえばいいのか、萌え系とかもうおなかいっぱいでいらないし、そもそも女の子が踊ってるだけでしょ。カメラ目線がどうのこうのとか技術面は確かに何かあるのかもわからんけれど、特にゲーム的に面白いという話も聞かないし、どうでもいいのでは、といって初期に完全スルーを決め込んでしまったのがそもそもの原因なのはよくわかっているつもりだ。けれど、後から観察して理解しようとして、これほど同調できないというのも想像できなかった。

多分、この流れに同調できないのにはそれぞれ理由が書けそうな気がするので書いてみる。

  • 技術的に何が凄いのかよくわからない

ニコマスとかを見ていると「どうやってるのかわからん」という書き込みとかがあるのはわかるのだけれど、そもそも元の物がどうなっているのかとか何をどうやって作っているのかを理解していないので、技術的に何が凄いのかを理解するのがとても難しい。

これだけ長いこと時間が経ってしまっていると、正直何を言っているのかわからないネタが多すぎて、逆にすごく疎外感を感じてしまう。なので見ているのが逆に面白くなくなってしまうような気がする。多分、東方シリーズ(?)とかも同じく乗り遅れてしまっていて、何言ってるのかよくわからないという部分では同じような空気を感じる。

上に書いたようなこと位はまぁ理解できる範囲なのよ。でも、こういうのって他にもいろいろあった気がするのよね。たとえば初音ミクとかは自分にもわからんでもない気もしないでもないというか、ネタネギはちゅねミクだけわかってればあとはだいたいわかったような気分になれたとか、マイナーな例ではエコアイスとかいうのは当時は珍しかった一般の会社から萌えキャラがでてきたから面白かったのだろうという理解だけでOKとかそういう。と、書いてきて、なんとなくわかった気分になれたのは、要は流行しすぎてしまったであるとか、元からある程度の知識を要求されるであるとかで、内輪でしかわからないネタが多くなりすぎているのではないかという事かなぁ。

だとすると、次に気になるのは、何故自分は理解しにくいと思えるほど内輪ネタが多いはずなのに、あれだけ多くの人が盛り上がっているのが観測できるのだろうということかなぁ。いやだって、内輪ネタが多くて入りにくい環境なんだったら、そこまで流行しないと思うのですよ。これはあれかなぁ。ある程度の人数まで達すると、ある点からは爆発的に伸びるとかそういう系?だとすると今この祭りで踊れてない俺のような奴はもう駄目か。

うーん。無念。

2009-03-26

アイドルマスター XENOGLOSSIAアニマス)が成功するために何が必要か?

それなりに書き込んでいたら亀増田&長文増田になってしまいましたが一応書いたので載せてみ増田。いわゆる一つの「増田の中心でアイマスを叫ぶ」というやつですね(違

アイドルマスター XENOGLOSSIAゼノグラシアアニマス)が成功するためには何が必要か、考えてみた。ということでひとつ。

作品としてはイイ。

十分楽しめると思う。

「こんなのアイマスじゃない!」「まったくの別物!!(怒」とアイマスファンがネガティブキャンペーン張ってるだけで、ロボットアニメ好きなら、そこそこ普通に楽しめるかと。

http://anond.hatelabo.jp/20090323235853

からはじまる、アイドルマスターゼノグラシアは、ロボットアニメとしてはかなりよくできていたよ! と言う論をよんで、うんうんその通り、とうなずきつつ

まぁ声も性格も(伝聞より)まったく変えてしまって戦略として何がしたかったんだろう、って外側から思いはしたが。

よくわからんがこれ、どっか元の遺伝子残ってんの?みたいな。

その辺で元のファンの支持を得られなかったら、まぁ良くて「これはこれで悪くないかも知んないけど別物だよね」どまりだと思ったし

http://anond.hatelabo.jp/20090324011642

と言う意見や、

声優変わるし性格変わるし、もう想定外だったのですよ。やよいも真もあずささんも、「誰?」って感じですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090324012944

と言う意見にも同意できるゲームアイドルマスター好きって立場から言うと「っていうかあれ何。72じゃないちひゃーなんて(ry」と言うことになるのは当然。

あれは、やよいと律子さんはよかったよね的な何かだったあれは。とはいえカニデレ万歳。なぜさん万歳。


と言う風に

的なアイドルマスターを愛するキモオタであるという立場から、アイドルマスター XENOGLOSSIA原作ファンからも、アニメファンからも納得されるロボットアニメとして成立するためには何が必要だったのかを考えてみる。

え?ロボットアニメにする必要はない?いや、それを言ってはおしまいなのでスルーの方向で。っていうか下手に原作そのまんまアニメ化したら、くりぃむレモンエロなし現代版(ニュージェネレーション)の二の舞になるだけのような気がする。それだったら素材として活用した方がいいと思う。そもそもプロデューサー役はどうすんだって話。(まぁいっそ女性にしてしまうとか百合に逃げると言う手はあるが…そんな中の人萌えメインにしたようなアニメ見たいか? 俺は見たいが……とにかくそれを言ってはおしまいなので)

制作の位置づけ的な話

位置づけとしてはやはりアイドルマスターキャラクターが総出演で作ることになったドラマ」という扱いにすべきだったのではと思う。

当然ながら制作委員会名は「765プロダクション」で(C)を出すと。ただ設定はそれだけでは駄目なので、以下の点に注意すべきだったと思う。

この点だけ守っておけば、最終的には同一ですよといいわけはできたと思う。確かにそのままのストーリーでは無理があるかも知れないが、そこはストーリーを合わせることも可能であるはずなのである程度は。

後は、もう一つ。バンナム作成のゲームデータを使った「次回予告」的な「楽屋裏」を作って、最後にワンコーナー設ければよかったのではないかと思う。もしくはアイドラで配信とかでも可。これでゲームアニメを確実に地続きにすることができる。内容はあまりの雪歩のキャラクターの違いにとまどって「うまくできません~プロデューサーさん」と泣きつくとか、台本初見したアイドルたちが、次回についてわいわい言うとか、そういうたわいのないものでいいのではないだろうか。(理想なのはセルフパロディだけど)アイドルマスター P.S.プロデューサーというネット配信のラジオがあるが、そこのオープニングドラマは、アイドルたちが掛け合いドラマを演じて、その最後に誰かが「○○○ですよね?プロデューサー(さん)」と呼びかけるという風に始まる。こんなかんじに「次回もがんばりましょうね!プロデューサーさん!」みたいにすればいいのである。

ただ、これをやってしまうとバンナムがいかにメディアミックスが広がろうと守っている最後の一線(たとえば亜美真美は絶対に2人であることをゲーム中では公表しない、等々)を破ってしまう事になるかも知れないが……まぁそこはラジオドラマ的な感覚でやってしまってもよいのではと思う。


というか、誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターアニマスゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを。才能のあるプロデューサーさんの中にはアイマスニコマスアニマスも愛する人がいるはずである。だれか、どうか。お願いします(土下座

ストーリー的な話

ストーリーぶっちゃけ何でもいいと思う。と言うかここは妥協すべきではないと思うが(その点では、修羅場系の部分にちひゃーとあずささんを配置したキャスティングはあっていると思う。あとまこまこりん)しかし、中盤のやよいの出番の少なさについては断固抗議させt(ry

ただ、王道として考えるとサクラ大戦メソッドが可能ではないかとも思うが(歌と踊りとメカ萌え燃え)それは完全に原作アイドルマスター側に振ってしまうことになるので、すでにゼノグラシアじゃなくなってしまうよなぁと思うわけで……。

絵とか原作との整合性とか

絵についてはある程度しょうがないところはあると思う。2.5次元のあれをフルアニメにつかって上手く成功した例は未だかつてない。と思うので。そうなるとやはり昔ながらのぱらぱら漫画的手法のアニメーションになるわけで、そうなるとアニメ的誇張の方法をとらざるを得ないので、キャラクターデザインは変化する。

たとえばちひゃーの72が女の子キャラクターとして成立するのは、そして、まこまこりんの真前が男前にならずにすんでいるのは、3Dを使ったぬるぬる動く、三次元的な動きの中で連続的に破綻のない映像だからであって、あれをアニメでやろうとすると、誇張がなければ無理である

たとえば閣下が体を捻って、頭のリボンを指さす動作があるが、あれを従来のアニメでやろうとすると自然にするには相当の技術が必要である。あれは三次元的に成立しているからこそできることであって、あれを絵として描くには、立体としての形状を維持せずに誇張するしかない。つまり物理的な正しさを使用するのではなく、記号的・感覚的な部分を優先する必要があるのだ。

というわけで何が言いたいかと言うと、ゼノグラシアの中で、原作に比較的忠実な人々のキャラクターデザインは結構よくできていたと思うがいかがか。律子さんとか、おでこサンシャインとか。亜美真美とか。まぁ「お前誰!?」「特殊メイク乙」としか言いようのない人もいるが……。

戦略的な話とか

まぁこれは実際の所、時期が悪かったとしか言いようがないけれど……。アニメ企画にはそれなりに金の動くプロジェクトであることもあって、年単位時間がかかることも珍しくないそうで、そう考えるとゼノグラシアアイドルマスター総合メディアミックス戦略の総称である「Project IM@S」が始まる前に企画スタートして、動いていたことになる。その証拠にアーケード版のキャラクターしか出てこない。当然みきもでてないし、今だったらなぜさんのポジションは(少なくとも名前だけは)小鳥さんであっただろうと思う。

と言うことは、正直原作アイドルマスターがここまでの規模のヒットになるとは全く予想外だったのではないか。始まった時点では所詮はアーケードの一部のマニアゲームであるし、XBOX360などというメインストリームではない機種に移植であるわけだし。と言うか一体だれが予想するよ、CGM的な効果で、ネットヘビーユーザー層やライターなどのアクティブディープな人を中心にハートを掴み、コミュニティから口コミで人気が広がるなんて事。初音ミクだってまだ地上に現れてなかった時代だぜ。これを真の意味ピンポイントに「アイドルマスター」というコンテンツで発生するという事を予測できた奴は、そうはいないと思う。いたら出てきてくれ。とりあえず一緒に商売でもしよう。

ともかく、もしこれが今みたいに少なからずアイドルマスターというコンテンツが、非常に恵まれた環境で発達すると言うことが予想できていれば、もう少し違った戦略になるだろうと思う。というか、そうであったならば、ここまで原作と異なる事にしなかったのではないのか?そして、アイドルマスターというコンテンツからどれだけのポテンシャルが引き出すことができるか、少なくとも一番最初に目を向けさせるエネルギーとして十分かどうか、それがわからなかったので、そちらに変に依存することなく提携を切って、「原案」という中途半端な形で残してアニメだけで自立できるように改変をしたのだと思う。つまり「アイドルマスターのブームはアニメが引っ張る」つもりであったのだろうと。

たとえば今なら、アイドラXBOX360 アイドルマスター Live For Youで配信中のダウンロードコンテンツ)で撮影風景と称すドラマを裏を流すとか、そういう連携だってできたはずである。もし今やるのならば、提携すればよいだろう。

つまり早すぎたのである。この点で、戦略的には今の時期が一番適していると言える。

もしアレだったら961の面々に敵キャラを持っていってもおもしろいだろうし。

で、どうしろと?

で、これだけうだうだ書きつづって一体何が言いたいかというと、アニマスアイマスも両方すばらしい、と言うことである。それぞえ独立したコンテンツとしても十分成立するだけのポテンシャルをもっている。というか、アニメの方はむしろ、アイドルマスターがここまで大きくなると言うことを予測していなかった分、自立できるようにああなったと言うことも考えられるわけだがともかく。

でも、もはやゼノグラシアアイドルマスターのファンの中では語られない存在になってしまった。では、こんな事を言っては無駄なのか?否。それは違う


アイドルマスターナムコではなく、バンダイナムコ製作であると言うことである。そしてバンナムと言えば、そう、スーパーロボット大戦である!

今こそ、スーパーロボット大戦アイドルマスターゼノグラシアをやり直すべきだ!アイマスオールスターズがついにスーパーロボット大戦に出演!それでよいではないか!別にスパロボではなくてもいい。それと同じくアニメでなくてもいいので、ゼノグラシアロボットゲームで作り直すと言う手もあるのだ。

そしてうまくいったらアニメの方の人気も再上昇で、ゲームも新しい方向性が誕生し(たとえば任天堂キャラクター的に象徴的キャラクター化して様々なゲームに出演するとか)三つの解釈を融合させた劇場版とか……(以下妄想が続くため省略


どうだろうか。


後は、ゼノグラシア並にリソースを使い(特に音楽には、せっかくアイドルマスターの周辺には新進気鋭のアキバ系音楽を多数手がける音楽ディレクターが集まっているのだからこだわって)やれば、結構いい結果になるのではないか。

なお、最後になったが、アイドルマスター Live for Youに付属したアニメDVDアニオタ視点で見てみると、あれは明らかにゼノグラシアの失敗をみて逃げてる。てか1回ぽっきりで音楽なんかは既成のものを使わざるを得ないにしたって、キャラクターデザインもっとちゃんと仕事しろ。さらに言えば中途半端サービスショットなど不要だしつまらんと思う。さらにストーリーはそこらの愛のあるSS採用した方がいいんじゃないかという、おそらく作品の質に関する要求以外の要素(予算とか)で制限があるような内容になっている。てか、Live For YouのDVD付をわざわざ買うような層はもっと高くても買ったと思うのでもう少し金をかけろよとも思う。

あれの見所は動くアニメ絵映像オリジナルキャストが声を当てていると言うその一点しかない。(と言いつつそれだけで十分に価値はあるが……今回はアニメが主題なので辛口評価は勘弁して欲しい)



なお、「うわぁ……」「キモオタ氏ね」「キモオタキモオタの国へ帰れ」「病院へ逝け」と言った苦情については十分承知しているので勘弁してください(土下座

あと最後にもう一度増田の中心でアイマスを叫ぶ。

誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターアニマスゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを作ってくれないかしら。と大切なことなので二度言いました。

2009-03-06

http://blog.livedoor.jp/ustan777/archives/51483868.html

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/05/news084.html


可能性として



などなど。

少なくとも数字としてその影響が見て取れる以上、それなりの態度を持ってとらえなければならないでしょう。

この動きが今後も続くのであれば、旧メディアを多く利用していた作り手がネットに下ってくることも考えられる。

彼らのマーケティング手法のうちいくつかはネットでも通用するだろうし

メディアで利用してた手法をネット向けにカスタマイズしてお金のにおいを徹底的に脱臭した場合

現在ネットで活躍している作り手が駆逐される可能性も十分ある。

もしかしたら上に掲げた記事で実際にお金を手にしたのはネット下野してきた旧メディアの作り手かもしれない。

どっちみち消費者が進んで買っている以上それはいいことには違いないのだろうけど

「賢い消費者」は旧メディアに惑わされずに自分で考えて選択するものだ

なんていう風潮を時折目にする昨今のネットで、これを手放しで喜んで良いものかどうか迷うところではある。



情弱」は利用しているメディア属性に拠って区別されるものではなく

より有用な情報を入手するための努力や、得た情報の性質を良く吟味しようとする態度の欠如が招くもの。

ネット情報を有難がるのも旧メディアを信望するのも、結局のところ大差ないのかもしれない

2008-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20081229154213

メディアで飯が食えなくても他の仕事をすればいいだけ。映画テレビを作る労働力をより経済的な価値のある財の生産に当てる方が余程幸せになれるはずだ。その意味ではオールメディアのハッタリだってCGMコンテンツと同様に経済的に不要だと言い切るものである。

一億総表現社会という幻想がかつてあった

問題になるのはレガシー市場経済との齟齬

流通する資本の差が激しすぎるのだ


仮にネット無料で閲覧できるコンテンツクールで、テレビ映画など伝統的なメディアに乗るコンテンツは古臭いものだという認識が一般的になったとする。その瞬間旧来のメディアが持っていた市場の何パーセントかは文字通り消失することになる。本来あるはずだった広告費や雇用などは安価単位時間当たりに流通する貨幣が圧倒的に少ないCGM市場に飲み込まれ、失われる。コンテンツ受け手作り手両方がCGMに費やした時間という名の生産性も含め、もう二度と戻らない。


オールメディア広告を利用して印象を操作し、たいして優れているわけでもないコンテンツ高値で売りつけていたのだ。ユーザ生産するコンテンツだってそれに大きく劣るわけではない。などと言う向きもあるかもしれない。それは確かに真実だが、泡がはじけて最終的に困るのはわれわれだ。今の社会はそれなりの資金が継続的に流通することを前提にして成立している。


参加者のほとんどが「必ずしも生存に必要でない財」を生産する社会が100年後にも変わらず存在している可能性はかなり低い。生存を秤にかけるような覚悟でCGMコンテンツを作っている訳でもないのだろうし、取るに足らない自尊心を満たすために希少な衆目を得ようと苦心するくらいなら、その時間をより経済的な価値のある財の生産に当てる方が余程幸せになれるはずだ。その意味ではオールメディアのハッタリだってCGMコンテンツより幾分マシだと言い切るものである。


- -

ほとんど働かなくても十分なほどの資源が手に入る社会ならば、有り余った時間をつぶすためのお遊びを考える余裕もあるかもしれない。昔は暴力奴隷を手に入れることでそういう状況を作り出すこともできた訳だが、今となっては望むべくもない。ロボット産業の発展に望みを託すのみである。

2008-11-05

ニコニコ「踊ってみた」(特に若年女性の)って……

超極私的なアイドルみたいになってて面白い。

JCJKセックスしたいという願望と、JCJKチヤホヤされたい承認欲求が渾然一体となっていて、まるで小さなはてな村のようだ。

ちゃんと踊り手はブログネトラジなんかやってて、固定ファンみたいのがいるのね。おじさん知らなかったよ。

はてな村って言うのが違うのならば、はてな丁というのが正しいのか? オナペットCGMみたいな。アタシ踊ってみた、みたいな

ブログ読んでて、「今日は男女混合でカラオケ行った」とか書かれていると、身悶えしそうな嫉妬に苛まれてしまう。バカみたいというかキモい反応なんだけど。

判で押したように、オーバーニーソックス履いているのもなんか面白い。なんで?

しかし踊ってみたの画面を見続けている内に、そこに、JCJKに対する確かな羨望と欲望が自分自身の内に生まれる事も確かだ。20代のこの俺の胸の内に。

これは不思議感覚だ。自分自身が少女のように羨望されたい、少女自体になりたいと言う欲望と、少女自体を手に入れたい、という願望。ふたなりものの同人誌なんかは、そいう願望に即したものなのかもしれない。別にあれで抜けるわけではないのだけど。

歳を取って、割と素直に欲望を表現できるようになったので、今の精神状態で中学生とかに戻れたらなあ。絶対クラスの地味で可愛い女の子セックスする為にあらゆる手段を使うはずだ。全国の男子中学生が羨ましいよ。俺が今、若い人にアドヴァイスするならば「クラス女の子セックスする為に全力を尽くしなさい」だろう。こんな大人嫌だろうけど。それが正直な感想純愛とかは大人になっても楽しめますから。なんか喪男的な事言ってるような気がしてきた……

かしこの、若さを礼讃するような日本人男性の心理状況ってどうにかならないもんだろうか、と我がごとながら思ったりもする。

■追記

一部ブクマ指摘を受けて題名を変更しました。

この文章はネタなので、特に意図はない雑談です。

書き手としては特に何かを貶める意図もありませんし、価値判断を行うものでもないですし、道徳的・倫理的に是非を問うているわけでもないです。特に、ニコニコ「踊ってみた」を本当に心の底から「踊り」として提供し、それを享受し、一緒になって楽しんでいる人を貶める意図はありません。

単に、現象として、ニコニコの若年女性の「踊ってみた」界隈において、承認欲求と性欲が循環してプチアイドルコミュニティ化(オナペットCGM化、はてな化)してるように見えるってのと、意外とそういうのに乗って楽しんでしまう(若さを羨望してしまう)自分がいて意外だ、程度の四方山話です。

2008-10-11

PS3ノンリニア編集ソフトを出してはどうか

ノンリニア編集 - Wikipedia

ノンリニア編集ノンリニアへんしゅう、Non-linear editing)はコンピュータ使用した非直線的(ノンリニア)な映像編集方式のこと。2台以上のデッキを使いテープからテープ映像コピーするリニア編集に比べ、編集箇所を自由に選択でき、映像データを即座に追加・削除・修正・並べ替えることができる利点がある。1990年代に登場し、PCと共に急速に普及した。

編集システムしてAvidAdobe Premiere、Corel Ulead VideoStudio、Final Cut Pro、flameKino、Canopus CWSシリーズ、Canopus HDWSシリーズなどが代表的である。

(1)プロセッサの性能

PS3CPUであるCell B.E.は浮動小数点演算処理能力が飛び抜けており、動画エンコード/デコード能力現在市販されているハイエンドCPUよりも十分に高い。

(2)価格

仮に年月が経過して一般的なPCの性能が向上し、相対的にPS3の処理能力が陳腐化したとしてコストパフォーマンスの面で断然有利。PS3本体とソフト価格の合計5万円弱で、同等の環境PCで揃えるのは至難。時間が経てば本体価格も下がっていくだろうし。

(3)ストレージインターフェース

全てのパッケージHDDが標準搭載で、今月からは80GBが標準になり、しかもその気になればさらに大容量の市販のHDD換装可能。よって素材となるファイルストレージしては容量面も拡張性も十分。また「PLAYSTATION Eye」といったUSBカメラで直接の素材取り込み手段もある。

(4)対応形式

一般的なMPEG1、2のみならずh.264DivX再生に対応しているので、出力形式の対応も敷居は低いのでは。

(5)動画共有サイトとの連携

PS3ソフトまいにちいっしょ」には、ゲーム内を録画してYouTubeアップロードする機能があり、他のメーカーに提供されている開発環境にもこの機能は含まれていると聞く。よって制作した動画や音声をシームレスYouTubeアップロードする事も可能なのでは。

(6)PlayStation Homeとの連携

制作した動画をフレンドに送ったり、制作者のhomeでフレンドを呼んで上映するといった機能も実現可能なはず。もしくは、ソフトそのものにストリーミングサーバの機能を付加するというのもアリかも。

(7)オンラインアップデート

当然ながら可能だろう。

(8)競合ハードが参入不可能な分野

大容量ストレージと高性能CPUが必須のソフトなのでWiiにはまず不可能だろう。可能性があるとすればXbox360だが、(3)は専用HDDしか選択肢がなく価格も高価。(5)は今のところ実績は無く、PS3に十分なアドバンテージが見込める。


YouTubeニコニコ動画など、ユーザが作成する動画コンテンツ(CGMとか言うんだっけ)の隆盛は今後も続くと思われるので、その分野で一定の地位を確立するのも将来的にも有益ではないかと思うが、いかがだろうか。

- 転職ならen
- 派遣ならen
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