はてなキーワード: CGMとは
何故これがわざわざ分かれているのか意味不明。各カテゴリからのホッテントリが集積したもの。
新聞の三面記事から国際記事、文化記事まで扱っている場合もあり。また2chまとめサイトが数多く見られノイズ化。
一般的な政治ニュースや国際政治ニュースから企業不祥事、ビジネス、仕事関連のTipsまで。ここも2chまとめによるノイズ多し。
いわゆる生活の知恵的な間違った意味でのライフハック、まとめになっていないまとめ記事、VIPの告白スレや発言小町、Pouchなどのネタ記事など雑多な状態。
ここはほぼカテゴリ名通り
いわゆる自然科学関連ばかりで、人文科学・社会科学(現状何故か「社会」で扱われる傾向)、芸術関連がない。
技術系、デジタルガジェット系、ネットコミュニティ、炎上見物などが混在。
ここはほぼカテゴリ名通り。
はてブ一番の問題。ほとんどが2chまとめサイト。しかも同じ話題を複数のサイトで扱っていて、ほとんどワンパターン化している。他にエロサイト、ネタ系ネットニュース、Togetterなど。SPAMも多く見られる。
はてなブックマークニュースに統合。各カテゴリのホッテントリ抽出ではなく、人力編集。
「グルメ」「衣食住」「人生」「ライフハック」に分割。ここで言うライフハックは本来の意味とは違うけど敢えて(ある意味隔離?)。
「スポーツ芸能」と「芸術文化」に再編。芸術文化では音楽や読書などを扱う。
「医療」「自然科学」「人文科学・社会科学」に再編。人文科学・社会科学では経済学・社会学・政治学・歴史などを扱う。
「IT・WEB技術」「デジタルガジェット・モバイル」「ネットウォッチ(事実上の隔離)」の再編。
そのまま
「おもしろ」「2chまとめ」「画像」「R-18」に。一部は「ネットウォッチ」に。R-18は生年月日によってフィルタリング。
というか、この古いカテゴリ分けで一体何年やってるんだろうか。他のCGMサイトなんかカテゴリ再編を割りと時代に合わせてやってるのに。
5年前、携帯ゲームSNSサイトが既存ゲーム市場を激変させると誰が予想していたでしょうか?
そして5年後、同様の破壊的イノベーションが、教育の分野でも起こると予想(願望)しています。
1対マス(教師×生徒)型の教育から、マス対1(多種多様な教材×生徒)型の教育プラットフォームが主流になるでしょう。
http://www.codecademy.com たとえばこんな感じのサイト
有名大学や有名塾講師の講義内容を無料で映像配信するプラットフォーム
lang-8や、四択問題クイズサイトのような、ユーザーが教師であり、生徒でもあるようなSNS型プラットフォーム
多種多様な教育コンテンツを企業が提供するSNS型プラットフォーム。
お得意のデータマイニングで、学習者にとって最適な教材を提供。ただ、ゲームと違って、言語の壁を乗り越えるのが大変そう。
ここまで書いて、稚拙な文章と分析しかできなくて情けなくなったので、言いたいことをまとめると、
デジタルデバイスとネット接続環境があれば、誰でも無料で教育を受けられるプラットフォームが誕生
↓
従来の学校教育に馴染めなかった人も、多種多様な教材で楽しく勉強できるような設計。(細かい目標達成を感じられたり、ゲーム的要素だったり)
従来の学校教育の進度が遅い/早いためにフィットしなかった人にも最適な学習環境が得られる。
教育の生産性が向上し、18歳で大学教授並のパフォーマンスとか出せちゃう、教育界の石川遼クン的人材がたくさん出てくる。
良質なスクリーニングで、センター試験とか大学の二次試験も廃止でコスト低下
↓
新技術の台頭により、職を失ってしまった人も、新技術を学べ、再チャレンジ可能な社会へ
↓
既存の公教育は、ディベートや、コミュニケーション、発想、創造力、を鍛える教育へ
↓
みたいな妄想をしてた。
過当競争で毎年自殺者3万人出てるなんて戦争やってんじゃねーんだぞこらー!(全然関係ない)
以上、孤独と不安で頭がおかしくなったニートの戯れ言でした。誰かかまってください。
本の紹介忘れてた
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する: クレイトン・クリステンセン, マイケル・ホーン, カーティス・ジョンソン, 櫻井 祐子: 本
飲食店やっている知り合いから、食べログのレビュアー派遣の話を聞いた。
曰く、
・一定料金を食べログ(Kakaku.com)に払うことで、契約している(有名)レビュアーを派遣
・評価は必ず3以上をつける
とのことで。
前々から食べログの3.0以上の評価は殆どアテにならなかったから、それでもなんだかなぁという印象。
食べログレビュアーのランキングを見ると、それっぽいのがちらほら。
いつも写真を大量に撮影しているレビュアーで、最低でも3.0つけてるのとかは分かり易すぎる。
CGMで、こうしたレビューアーによる影響ってどの程度あるんだろうね。
食べログについては、下記の流れから影響が相当大きいと思うんだけど。
・有名レビュアーほど、ファンが多く、口コミに投票されやすい→店のレビューでトップに来る。
・それに釣られて舌の肥えていないファンが何人か店に突撃、評価プチ上がる
うーん、誰かTOP100レビュアーの評価分布と、彼らの訪れた店のそれ以外のレビュアーの評価分布作ってくれないかな。
綺麗に3.0以下の分布がずれると思うんだけど。
ま、単純なところでは、新規開店とかで最初にやたら有名レビュアーが写真沢山の記事を書いて3.0以上つけてたら、そのレビューは信用できないって話ですな。
ちなみに、アメリカのグルメサイトYelpが抱えてる訴訟ネタは以下の通り。
・Yelpに広告費を払わない店を冷遇
・社員が大量にレビューを書いている(特に新規市場に進出の際)
・Yelpに裁判を起した店の、肯定的なコメントを消して否定的なコメントだけ残す(2010/9に原告敗訴・・・)
http://www.mediapost.com/publications/?fa=Articles.showArticle&art_aid=135514
俺は萌えオタのくせにアンチ初音ミクで、奴が登場したときはこんな声とも言えない機械音など早々に消え去ってしまうだろうと思っていたのだけど、予想に反して既に3年くらいは経過している事態を重く見て、改めて初音ミクについて考えてみた。その結果アンチ初音ミクの立場からはちょいとまずいかな?なんて思えるような結論にたどり着きそうでちょっと怖かったのだが、この駄文を消すようなことはしない。
まず俺は初音ミクを根本から誤解していたようで、どうもあの機械音作成ツールはただそれだけでなく、実はそれよりもCGMとかいって、音楽愛好家たちのプラットフォームとして機能するところのほうが大きいという。なんかこれは常識みたいで、そんなことも知らないの?とか鼻で笑われそうでむかつく。まあ細かい説明は省くというかそんなこと出来ないけど、ボカロ厨が常々ひっくり返すとか何とか言ってたけどなるほどそう言うことかと思いつつも、それって要するにコミケと何が違うんだよとか言ってやりたかったが、とりあえず重大な勘違いがあったことは認めなければならないのかもしれない。
問題なのは俺が全くもって生理的嫌悪感から到底受け入れられないあの機械音の方だ。好き嫌いの問題ではなく、生理的にだめ、なのであって、いくら神調教(笑)とか言われるようなモノを聞いても結局機械は機械、不自然な平坦さからやはり声と言うにはおこがましいように感じてしまい、これを理解できる日が果たして来るのかなんて思っていた。そんな矢先に偶然、とも言えないが二つのボカロ曲を聞いて啓示が降りた、ような気がした。
http://www.youtube.com/watch?v=V5pIBfPD6Qo
http://www.youtube.com/watch?v=HAWLtV5Flms
上はボカロPとかいうボカロ専属の人が作った曲で、下の曲はなにやらプロが作った曲らしい。
この二つを聴き比べて、下のほうが圧倒的に聴きやすいんだけど、曲としては普通で、上の「腐れ外道とチョコレゐト」方は人が歌うことを全く考慮してないというか、ボカロの声に合わせて曲を作っていて、ボカロPとやらはボカロ声に違和感を覚えない人種なんだと、その時初めて気づいた。
いや、初めて気づいたというのは言いすぎで、そりゃあボカロ声が好きでたまらん奴も居るだろうとは思ってはいた。色々考えたり意見を聞いたりするうちに、ボカロのあの声から空白を感じ取るというか、あの声の色々足りてない部分を脳内で補完して、そういうのを含めて愛でている人種が居るんだということに、気付かされたというべきなのかもしれない。
俺は萌えオタなんだけど、オタク的に言うと、これって萌え絵の受取り方と本質的に同じなのかな、と思ってしまったわけだ。
元々日本人は幼児性を愛でる文化があるとかなんとか言われていて、萌え絵なんてものはお上手とかお下手ですねとかより、可愛いかどうかでしかなくて、その点ちょっと小奇麗な絵よりヘタクソなほうがかえってよかったりするわけで。AKBなんかもその類だとは思うけど、ようするに不完全さが残っているほうが良いみたいな風潮がこの国には有るのだと思う。
初音ミクの「声」も実はそういうことで。
これを受け入れられるかどうかというのは単に好みの問題で片付けて良いものではなく、非オタの人間が萌え絵を理解できないということと同じで、ある種の人間を分ける境界線みたいなものだったのではないかとか、そんなことを思ってしまう。
ああ、文学とラノベでも似たような問題があって、それらを分かつものは現実から引っ張ってきているか、虚構から引っ張ってきているあみたいな話があったと思う。
とにかく、あの「声」が理解できるかどうかってオタクとしては重要だったりするんじゃないか、とかちょっと考えてしまって。
今までにもオタクとして趣味が合わない、気に食わないみたいなものはたくさんあったのだけど、例えば東方とかけいおんとか、でもそれらが何故オタクにウケているのかは容易に理解できて、だからこそ逆に同属嫌悪を起こしていただけだったりで。他にもオタクとしてちょっと分野が外れても、なんとなくだけどアニメとかまんがとかそういう大きくオタクとして括れるような枠内で、本当に微塵も理解出来ない様なものは今まで無かったわけだ。
だから、あれが理解出来ないということは俺が生まれてきて初めて明確に自覚出来た時代性なんじゃないかと思って、乗り越えられない壁ってこう言うことなのかなと馬鹿みたいに呆けてしまったのでこんなふうに思考の纏まりもないまま文章に起こした。
ネト充には誰でもなれる。
しかし実際にネットを見てみると、ネットでも他人に引かれる人やサークルクラッシャー、直結君、何をやっても炎上する人がいる。
ネト充には誰でもなれるのにだ。
つまりネト充ではない人というのは、わかっていて馬鹿をやっているということだ。リアルでは十分に充実してるから、ネットで馬鹿をやっているのだ。逆に言えばネットに充実を求めてしまうのはリアルでそれができない人間だということだ。
普通の人のリア充度を50としよう。最大値は100だ。ネットで得られる充実度の最大値はせいぜい10だろう。普通の人がネットで精一杯に充実しても、リアルの1/5しか充実度を得られない。馬鹿馬鹿しい。だからネットなんて適当に馬鹿をやって遊ぶ。
しかし、リアルでどん底、リア充度が0の奴がネットで充実しまくったら、それはそれは経験もしたこともないような麻薬のような快感だろう。それが普通の人から見て1/5の充実度であったとしても、本人たちにはそんなことは知りようがない。比較対照がないのだから。
技術に詳しかったり、絵が上手かったり、作曲が出来たりしても、リアルでは糞の役にもたたん。しかしネットではそういう属性で異常にちやほやされる。ネットでのCGM文化が一般に認知され、何かを作ったり発表することがオタク文化という見られ方から変化してきてから、その傾向は著しい。
リア充度が0の奴がネットをやると、どうであってもリアルに比べて充実してしまう、麻薬のようなものだ。治療するには、ネットをやめるしかない。
Togetter - 「ニコニコの歌ってみたは『ハイエナに近い』とボカロPが発言。その発言への反応から見えてくる歌ってみた界隈の問題点」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/82444
Ohnuma Sound Lab. blog 年の瀬・歌い手・ボカロ界隈・これからの活動
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-16.html
Ohnuma Sound Lab. blog 【追記1】前回の日記についての補足・お詫び・コメント返信など
http://komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/komonodfkdfk.blog19.fc2.com/blog-entry-17.html
発言者である大福Pは著作権等法律の問題を主張しているわけではないので、今回の増田では法律面に関する発言は一切しない。
彼の主張は
ボーカロイドを用いて作曲したものをニコニコ動画に投稿している人の総称。立場上は作曲者
ニコニコ動画の一ジャンルを形成する、言ってしまえばカラオケを投稿したようなもの。立場上は演奏者。JASRACとの包括契約により、二次創作は認可されているため、歌ってみた界隈は著作権問題をある程度回避している。
投稿者が作品の中身を1ミリも知らない作品に初見で声をアフレコするというもの。立場上は演奏者であり、ミリしらをする人をミリしらーと呼ぶ。アニメや音楽などのアフレコに使われていたが、今ではもっぱら「歌ってみた(特にボカロ曲)」ジャンルで使われる。
分かる人は分かると思うが、「ミリしら」とは方便である。最低でも一度以上、作品を鑑賞することは間違いない。初見で声を音楽に合わせて入れるというのは並大抵の人間ができることではなく、事前に何度も聞き、メロディーラインの重なりを避け、コード進行に合わせた新しいメロディーラインを構築し、リズムにある程度合わせた歌詞の選出、推敲をしているのは疑いない。
元の曲の歌詞を変えたアレンジで、ミリしらよりは原曲に近い。(私の観測範囲内の話)主に「あにま」という歌い手がしているようである。
Togetterまとめからいくつか抜粋する。(大福P=dfk_ohnuma)
ピアプロで改変不可って書いてあった曲でミリしらやった馬鹿がいたのか。正直ミリしらなんて作詞・作曲者への冒涜だから無くなるべき風潮なんだよね。「おまえの歌詞・メロディなんてイラネ 曲の知名度だけもらってくわ」って事なんだから。ゴミ屑の発想。dfk_ohnuma
曲データでモラル低下というと、ミリしらとか新しい歌ってみたを新曲と言ってしまう等のマナーがなっていないという話のことですか?znc
来年はボカロと歌ってみたがきっちり区別されるようになるといいな。あと、界隈の人数が減ってもいいからもうちょっとまともな人の割合が増えるといいな。「ボカロが盛り上がるのは歌い手のおかげ!」とか言ってるような奴が全員死んだらいいな。dfk_ohnuma
これ以降ブログに主張が移る。
「改変不可」の曲でミリしらを行った人がいたという事実は問題外だが、ここでは割愛する。
要は「マナーがなってない」ということである。それを人数が多いことと結びつけ、質の向上を図るために界隈の人数が減ればいいのに、というなんとも大学生はバカが増えすぎたからFラン潰せよというどっかで聞いたことのあるような主張である。ただし、今回は「マナーが悪いやつ」という偏差値以上に曖昧な基準ではあるが。
話がそれるが、当然「マナー(が悪い|がなってない|を違反している)」というのは誤用である。マナーというのは言い換えれば主体的な配慮であり、それを他者に「守れよ」と押し付けるのは間違いである。この場合はルール(相互が有利になるような取り決め)が望ましい。
話を戻して、歌ってみた界隈の聞き手は、彼のブログから引用すれば
「ボカロが栄えているのは歌ってみたのおかげ!もっと歌い手に感謝するべき!」
「ボカロ曲は人が歌って初めて完成すると思っている」
などという主張をしているようである。こういう盲目な信徒というのはクローズドなコミュニティであればどこにでも沸いてくるウジのようなもので、潰しても潰してもキリがない。
彼らは「歌い手に感謝するべき」というように作曲者に敬意を求めていることがわかる。一方大福Pもマナーを求めていることからわかるように、これは「敬意が足りないvs敬意が足りない」という、宗教戦争である。
大福Pにとって、「敬意ある行動」とは、「歌ってみたりする場合、本当にいい歌詞、いいメロディだと思うなら、それを尊重するはず」というスタンスで、芸術的に見れば保守的な位置にあり、ミリしら、アナザーは作曲者を冒涜したもので「ハイエナシリーズ」にすればいいんじゃないの、というこのようだ。
先の都条例でも同様だが、創作者は「自由」の名のもとで表現をする。ここに留意する必要がある。
たとえ「そんな懐で大丈夫か」と金を積まれようと、「一番いい○○みたいな作品を頼む」と制限をつけられようと、すべての表現は常に解放されているのが原則。
「こんなの○○じゃない」とか「金積んだんだから俺の望むモノ作れよ」とかいう主張も、自由が担保されていなければできない旨の発言である。
一次創作物から二次創作物へは、原材料を加工し、加工物を作る工程に似ている。その二次創作から三次、n次と派生するケースもある。これらは基本的にもとの創作物のカタチを「ある一定」は保持しており、影響がないということはまずない。それは音楽、思想、文章、すべてにおいてで。
ニコニコ動画は視聴者、コメント、マイリストの数がつくため、価値が付加される。歌ってみたという二次創作から歌われた一次創作の動画が評価されるケースもままある(今回の火種の原因の一つ)
また、作曲者と演奏者、聞き手は持ちつ持たれつの間柄であり、どれが一番偉いというものではない。「作ってやってる」「見てやってる」「演奏してやってる」「ホールを貸してやってる」というのは他者を従属的に捉えた主体的な意見であり、それは表現、立場の優劣に寄与することもない。芸術とはそこに参加するすべての構成員に平等な立場を与え、すべてをフラットにする。指揮者は演奏団体を纏めるから、演奏家より偉いというわけではない。誤解されがちだが、経営者と労働者の関係がイーブンであるように、指揮者と演奏家もまた、イーブンな関係にある。そこに作曲者が加わっても、聴衆が加わっても、地主が加わっても、その関係は崩れない。
そして表現されたすべての芸術品も平等である。真贋を、洋の東西を、場を問わず。優劣を感じるのは、表現の埒外である。評論家が何かの作品を優劣付けて評定しようともだ。そしてすべての芸術家もまた、その優劣をつける本能に苦しめられるのである。大概、中身が薄い、質が低下したなどと主張する。
とにかく、一次創作と二次創作の間に、表現上の優劣はないということである。創作者の間でも、もちろんのこと。
ここで、敬意を払うということは、その作品を大事に扱う、ということとする。「大事に」とは、もとの表現者の意向に従う、ということにしよう。極めて主観的だが、敬意とはそういうものだ。
敬意を払うということは、それに肯定的な評価をくだす、正の価値があるということでもある。ありがたやありがたや、ということで、「有難み」というように、めったにないこと、価値の高い、ということである。
正の価値がある、大事に扱うということは、人間の所産であるが、芸術以前の行動である。価値、敬意というのは芸術に含まれない。それらはたとえ定量的に計られようと芸術に寄与することはない。「リスペクト」して創られようとその作品に敬意があるというのは「思い込み」である。
創作以前に、二次創作者は一次創作者の創作物を引用する。引用することに優劣はない。しかし、ここに敬意が入ると話が違ってくる。
敬意が入る場合、往々にして一次創作者>二次創作者という大小関係が生まれる。芸術では対等関係にあろうと、人間の間に序列が生まれる。創作物との間柄にもそれは用いられ、もっぱら二次創作者は立場が下になる。だから、芸術内でも引用したものは上になり、引用して創られたものは下と「見做される」
「配慮」は、自分の立場があなたより下だという意思表示である。あなたに敬意があります、という意思表示である。有難い機会ですということだ。
だから、「マナーを守れ」「配慮しろ」というのは「大事に扱え」というのと同義であり、大事に扱ったとしても、そう見えなければ「大事に扱ってない」と思われる。
そしてそれはけして守る必要がないものの、ときに強制されるものだ。
だからこそ、撤回こそしたものの、大福Pはいっとき「音痴」にまで言及し、「大事に扱ってない」という判断を下したのである。
だからこそ、今も「メロディーラインや歌詞を変えること」は「作品を大事にしていない=敬意を払ってない」という解釈をしているのだ。
推敲後、追加予定。
しかし、大福Pは表現の枠内に押しこみ、自分基準のマナーを創作物の中身まで相手に強いている。
品位ある行動は各人努めたいものだ。
「広告」で稼ぐというが、今のネット広告の現状はかなり厳しい。
広告費は企業にとってカットしやすい経費ので、不況の影響をモロにうける。
広告媒体にとって重要なのは、M1、F1などどういった層に受けているのか。これが広告出稿のカギ。
詳細はJコミじゃないとわからないが、Jコミのユーザー層は、多分、男性中心でネットのヘビユーザーだろう。
残念ながら、そういう層への広告はクライアントも小さく、媒体の競争も厳しく、掲載費が落ちる傾向。
同じようなターゲット層のITmediaが社員をリストラしていることからも、その厳しさがわかるだろ。
Jコミが集めようとしている「絶版本」とは、そもそも何なのかという話。
(1)人気がなくビジネスにならないため、著作権や出版権が著者に戻った本
この(2)に関していえば、Jコミでも許諾が取れない可能性が高いため、
Jコミが集めようとしているのは、(1)ということになる。
通常、広告モデルを行うなら、どれだけ人気コンテンツを集められるかに、その成否がかかっているともいえる。
しかし、Jコミは逆。不人気コンテンツを集めて広告ビジネスをしようとしている。ココがそもそもおかしい。
ユーザーが勝手に作り出すコンテンツに広告をのせて儲ける。ネット企業なら誰しも夢みるCGM。
Jコミは、「絶版本」をユーザーにUPしてもらおうと考えているらしいが、それを行うユーザーのメリットは何?
ニコ動やpixivのようにコミュニティ化に成功しているのであれば、その場にコンテンツが集まる可能性もあるが、
漫画家が利益を得るために、持っていれば、その希少性から高価になる可能性のある、
絶版本を裁断してスキャンしてネットにアップするユーザーがどれくらいいるのだろうか。
最近のネットユーザーは、自分の利益や他人の利益といったことに非常に敏感。
この電子書籍がより普及してきたら、Jコミのような存在は、そもそも必要ないのではないかということ。
前述した絶版本の定義における(1)は書店に本を置けないことから起きる問題だ。
しかし、電子書籍が普及してくると、スペースは無限だから、こういった絶版本はなくなっていくだろう。
さらに今、絶版本になっている書籍も出版社側から電子書籍として再出版という話も出てくるだろう。
そうなったとき、Jコミが力を入れる「絶版本の保存」など意味がなく
そもそも、Jコミの社長である、赤松氏にとってこのJコミとは何なのか?という話。
もし、ビジネスでやっているのであるならば、「テストで失敗したら辞めます」なんて言っていたら間違いなくダメ。
広告代理店にとって、これは間違いなくビジネスで、必死に営業をかけて広告を取ってきているのだろうし、
広告を出稿するクライアントだって、安くない金をかけて広告費をだしているのだから。
こういう何かしらの意志を持ってはじめる事業の場合、関連する人たちの間での認識のずれによって
ほころびが現れ、どんどんダメになっていく可能性が高かったりする。
http://anond.hatelabo.jp/20100430092808
続き
<事例1><事例2>のケースでは、誰も責を負わないことがわかりました。
そこで、<事例2>の「公園」を「SNS」に置きかえて質問してみました。
昨日、質問をしました澤田です。
さっそくのご対応、誠にありがとうございます。
ご回答を前提としまして、もう一つ、以下の事案につき質問させていただきます。
<事案3>
現在、あるソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下SNS)を利用しています。
このSNSを通じて、日々の出来事を綴ったり、友人たちと文章で会話のやりとりを行っています。
SNS上でコミュニケーションとっていたある日、友人Aが歌Bのサビを含んだ文章を書き込みました。
上記の文章を閲覧したのは、友人AとつながりのあるSNS仲間と、同ページにアクセスした第三者の複数人です。
このSNSにつきましては、
・SNSの運営にあたってC社からの収益がまかなわれています。
という条件があります。そして、
・友人Aを含めたSNS利用者一同と、C社ならびにSNS運営者との間には金銭関係は一切ありません。
・C社もしくはSNS運営者から依頼されて友人Aが歌Bのサビを書き込んだものではありません。
・C社とSNS運営者にとって、友人Aが歌Bのサビを書き込んだことで得られる直接の利益はありません。
・友人Aが歌Bのサビを書き込んだことで得られる報酬はありません。
(友人Aは、同SNS上でアフィリエイト貼付などの収益活動は一切行っていません)
以上の条件のなかで、友人Aが歌Bのサビを書き込みました。
<質問3>
事案3の場合につきまして、
・友人Aの行為は著作権侵害となり、なんらかの責を負うものでしょうか?
・SNS運営者に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?
・C社に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?
質問は以上となります。
度々のお手数となりますが、御団体のご意見を賜りたく存じます。
※こちらにつきましても、ご回答いただきました内容を、議論のため私以外の者とも共有させていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
ご多用な中、大変恐縮ではございますが、
ご意見を頂戴できますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
翌日、返信がありました。その回答内容は・・・ここに書くことができません。
「ご回答いただきました内容を、議論のため私以外の者とも共有させていただきます」に、NOがでました。
そのため<事例3>に対するJASRAC回答内容について、一切ふれることができません。
内容が書けないかわりに感想を書くならば、下記の宣言に沿った回答をいただけなかったことが残念です。
JASRACは、著作物がデジタル化されネットワークで世界をかけ巡る時代を迎えた今、70年を超える実績と経験をベースにデジタル化・ネットワーク化時代の著作権管理のあり方を追求するとともに、そのルールづくりを担い、人々にとってかけがえのない音楽文化の普及・発展に尽くしてまいります。
http://www.jasrac.or.jp/profile/intro/index.html
また、最初の回答で「今後とも、著作権制度にご理解をいただきますようお願いいたします。」と述べていながら、都合によって回答の共有拒否を示す姿勢には、
「今後とも、著作権制度(を使ったビジネス)にご理解をいただきますようお願いいたします。」と言っているのかと訝しんでしまいます。
ただ、JASRACを叩くことが目的でも本意でもありませんし、それで終わってしまうことを望みません。
冒頭で、JASRACがTwitterに著作権使用料を請求できる論拠がよくわからないと書きましたが、
正しくは、JASRACがTwitterに著作権使用料を請求するのは間違ってるのではないかと思っています。
でも、私は法律の専門家でもありませんし、自分が立てた仮説も素人意見に過ぎません。
どのCGM運営にも属さず、一介のはてなユーザーであり、Twitterユーザーでしかありませんが、
「JASRACがTwitterに著作権使用料を請求することの是非」について、広く議論されることを望みます。
ぜひ皆さんのご意見をください。
この記事へのレスや、はてブのコメント、Twitter@swdy、などなど、皆さんのご意見を聞かせてください。どうぞお願いします。
よくわからないことがあります。皆さんのご意見をください。
JASRAC菅原常務理事が「Twitterで歌詞をつぶやいたら、JASRACの利用料が発生する」と発言して、ネットで話題になったのが2ヶ月前。Twitter社に著作権使用料を請求することを検討中との内容で、先日も同理事がニコニコ動画のインタビューで「Twitter社への請求を検討中」と発言されたようです。
でも、私はこの発言に引っかかりをおぼえます。
どうしてJASRACがTwitterに著作権使用料を請求できるのか、論拠がよくわからないのです。
JASRACは現在、YouTubeやニコニコ動画と包括契約を結び、使用料を請求しています。
「デッドコピー(元の著作物の市場価値を損なう複製物)への補填を求める」
これは請求の論拠として、よく理解できます。
でも、Twitterに上記の論拠は当てはまりません。もしJASRACがTwitterに著作権使用料が請求できるのであれば、Twitterだけでなく、はてなやmixi、モバゲーやグリー、アメブロやココログなど、およそすべてのCGM運営者から使用料を徴収することができます。
そのような大きな話であるにも関わらず、論拠がおぼろげなのです。
そこで、ディベートのため、JASRACの請求を非とする立場を取り、一つの仮説を立ててみました。
【1】
「SNSに歌詞を書くこと」は「動画サイトに動画をアップすること」よりも、むしろ「公園で歌うこと」と同じではないか?
【2】
もし「公園で歌う行為」が著作権法で誰も責を負わないのであれば「SNSに歌詞を書く行為」もまた、誰も責を負わないのではないか?
という仮説です。
そして、この仮説を検証するため、JASRACに「公園で歌う行為と著作権の関係」と「SNSに歌詞を書く行為と著作権の関係」について、2回に分けて質問してみました。
https://jasrac.e-srvc.com/cgi-bin/jasrac.cfg/php/enduser/std_alp.php
上記の問い合わせフォームから最初の質問をしてみました。
先日、友人達と以下の事案について議論を行いましたが、
私たちの知識・考察不足により、答えを得ることができませんでした。
そこで以下、ご質問をさせていただきます。
<事案1>
宴会が盛り上がるなかで、酒も入り陽気になった友人Aが、
おもむろに歌Bのサビを歌い始めました。
(歌Bは著作権がある作品で、権利はJASRAC帰属のものです)
友人Aの歌を耳にしたのは、その場にいた友人達と、公園の通行人です。
この件につき、花見の宴会への参加にあたっては参加料の徴収はなく、
友人Aの歌で得られた報酬はありません。
<質問1>
何らかの責を負うことになりますでしょうか?
私見では、突発的なものとはいえ、著作権法第38条第1項の
(2)入場料(それに類する対価を含む)等を徴収しない
(3)出演者等に報酬が支払われない
を全て満たしているため、友人Aは責を負わないと考えられますが
この私見は正しいでしょうか?
続けて、もう一つ質問させていただきます。
<事案2>
事案1と同じく、公園で花見を行っているなか友人Aが歌Bのサビを歌いました。
しかし、花見を行った公園が、あるスポーツメーカーC社がネーミングライツを保有しており、
・公園の名称にC社の商品名が含まれている。
という条件がありました。但し、
・友人Aを含めた花見参加者一同と、C社ならびに公園運営者との間には金銭関係は一切ありません。
・C社もしくは公園運営者から依頼されて友人Aが歌Bのサビを歌ったものではありません。
・C社と公園運営者にとって、友人Aが歌Bのサビを歌ったことで得られる直接の利益はありません。
以上の条件のなかで、友人Aが歌Bのサビを歌いました。
<質問>
事案2の場合につきまして、
・友人Aの行為は著作権侵害となり、なんらかの責を負うものでしょうか?
・公園運営者に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?
・C社に、著作権侵害に対する責は発生しますでしょうか?
質問は以上となります。
お手数となりますが御団体のご意見を賜りたく、代表してご連絡させていただきました。
※ご回答いただきました内容につきましては、議論のため私以外の者とも共有させていただきます。
ご了承くださいますようお願いいたします。
それではご多用な中、恐縮でございますが、
ご意見を頂戴できますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
翌日、以下の返信がありました。
澤田 様
お問合せの件につきましてご回答申し上げます。
ご質問の事例につきましては、いずれも著作権法第38条第1項の要件を
満たすものであり、著作権の手続きをお取りいただく必要はありません。
いただいた回答から、「公園で歌う行為」について上記の条件では誰も責を負わないことがわかりました。
それでは<事例2>の「公園」を「SNS」に置きかえたらどうなるか?質問してみました。
続く
横ですが。
今回の日本の不況、衰退、デフレ何でも良いんですが、その原因には、少子高齢化や(冷戦構造崩壊によるグローバル化を起源を発する)戦後民主主義の賞味期限、デジタルネットワーク革命など、いろいろな要因が絡んでいると思うですよ。要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。旧来の安定したインフラやシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。だから既得権益批判をやるという話ではなくて、今は産みの苦しみの時代だと思っています。今必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。というか、内田先生の日本辺境論ではないですけど、日本の環境適応能力や吸収力、学びの力は異常だと思います。フランスの留学生(でしたっけ?)のブログで話題になっていましたが、日本の風景の変化速度は異常です。でも、それでも追いついていないのが現状だと思います。適応のために時間が必要なのだと思います。なんとなく思っているのは、アナログ世代が退場した後、デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システムも自動的に崩壊し、社会の意志決定のシステムも大きく変わるでしょう(もうその兆候は見られています)し、人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います(現在は主導権を握っているアナログ世代が適応障害を起こしているので、どうにもならない訳ですが)し、アナログ世代のリーダーがストップをかけていた製品企画にも足かせの取れたデジタル世代のリーダーが出てくれば面白い製品にゴー!をかけるのではないでしょうか?その根拠として、YouTubeを見ていて思うCGMによって作成された日本製娯楽コンテンツの異常なレベルの高さです。日本人のクリエイティブ性は”今でも”凄いと思います。これほど、職人がいる国はないのではないでしょうか。また、経済を歴史から見ると、経済の中心地(オランダ→イギリス→アメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?インターネットの構造と同じように、情報的・経済的ハブとなる地域はあるが、中心地のない時代になっているのではないでしょうか?つまり、全世界の「辺境化」です。そして、辺境の地としての日本の歴史には一日の長があります。日本が有利なんです。だから、職人は本能のままに「一千万人の職人の創作活動で世界を萌やし尽くしてやる」と突っ走ればいいのではないでしょうか。と、たまには明るい未来を語ってみました。
追記:
増田で議論する気はないけど、たまには反応するかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100226173402
もうちょっと論点を整理して語れないもんか? 要するに「きっとなんとかなる!大丈夫!」の一言でまとめられる気がするけど。
論拠なしでも「きっとなんとかなる!大丈夫!」でおk?神様にお祈りでもするか。
http://anond.hatelabo.jp/20100226173632
さかなをたべよう!
あたまあたまあたま~あたまがよくなる~
http://anond.hatelabo.jp/20100226180143
更に横増田です。
たぶんこの辺の認識が元とは違うと思います。
元が問題だと思っているのは景気サイクルの波ではなく、国の規模が衰退傾向にあるということに目を背けていることが問題なのでは?
>要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。
>旧来の安定したインフラやシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。
既得権益が新興国の低賃金に関与しますでしょうか?この国は豊かになってしまい簡易な労働でも非常に大きなコストがかかってしまうという事を認識すべきなのでは?
>必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。
時間が経つと何が変わり、何が復活するんでしょうか?
>デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システムも自動的に崩壊し、
マスコミがこの国の政策の策定及び執行にどの程度影響を及ぼしますか?
>人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います
その他、コンテンツの質の高さ等がありますが、そのコンテンツが将来どのぐらいの価値を生み出すでしょうか?
>経済の中心地(オランダ→イギリス→アメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。
>しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?
各国に分散していく事に対してこの国が寄与できる部分はありますか?
疑問ばかり。心配ばかり。部屋の中でガタガタ震えてお祈りしてれば?
「あんたのやりかたはダメだ。これこれこういう理由で(あるいは俺にはそのやり方は理解できんからなんとも言えないけど、とか)。それよりもこっちの方がうまくいく確率が高い」という意見が建設的な意見というものでしょう?「絶望した!」と叫びたいだけなの?
吉本ばななと居酒屋の話に似た、なんとも言えぬ嫌悪感をおぼえた。
ことの発端はこの記事のようだ。
それをサッカーバージョンとして紹介しているよくできた記事だ。
(ブログ主のajikuta氏はオマージュだと言っているが、これはインスパイア記事だろう)
nomuch
私の「オマージュ」はうれしいけど、ほとんど改変文なんだから
とコメントした。
なるほど、この記事はそんなにパクりなのかと思って調べてみた。
インスパイアしたと思われるのはこのページ(たぶん)
3500字程度中700字程度は似通った表現があったが、
そのほとんど(というかこの場合、サッカーにあてはめた部分)は
別にパクりではないということがわかった。
(イラストを転用している部分はまあ問題かもしれないが、ネットの世界では普通のことだ。ブログ主は謝罪し修正しているが)
能町さんご本人から画像の転用についてご指摘頂きましたのでイラスト画像を削除しました。
文言については「ほとんど改変文」とのことでしたが、改変していたのは一部なので
その部分100文字程度を修正または削除しています。ご迷惑をお掛け致しましたことを深くお詫び申し上げます。
完全なパクりでもないのに目くじら立てて
私は悪いが彼女の本も買ったことがあるし、たまにブログも覗いている。
それなりに好きだった。私もモテない系だし。しかし、今回のブコメやツイッターを見て反吐がでた。
# 私が非寛容なのか?いやそんなことはないよね。
私がすっごい著名人だとか私の文が人口に膾炙してるならともかく、
あの感じじゃいくら私の名前が書いてあっても著者のオリジナルの文に見えるよ。
もやもやするのはこっちだ。
口コミやバズといったネット世界のCGMの威力を全く理解していない。
ちょっとそれ私の著作よ!ふざけないで!なにしてるのよ!となるのだ。
それがインスパイアされて新しい記事が生まれるなんてのはごくごく当たり前の話だ。
それがまた話題になり、コメントされ、紹介され、さらに広がっていく。
元記事だってインスパイアされることでより価値が高まったり、来訪が増えたりする。
能町みね子はまずその辺のことがわかってない。
だから私のイラストや文章をパクりやがって!という被害妄想になる。
こういうインスパイア記事はなにより自分に跳ね返ってくるのに、
そんなことすらわからず批判するのだ。なんと器の小さいことか。
それともう一つ能町みね子がわかってないのは、ネットにおける己の存在感についてだ。
少々本を出したところでネットの世界で発言力を持つかというとそう単純でもない。
一部の女性に知られているだけだろう。
能町みね子がどの程度ネットの世界で存在感があるか調べてみた。
プロフィール/http://www.hatena.ne.jp/nomuch/
ブログ/http://d.hatena.ne.jp/nomuch/
ツイッター/http://twitter.com/nmcmnc
フォロワー56人
そういったことを認識せず、ツイッターでグチをこぼし続ける様は、
一切を発言せずブログ上での謝罪にとどまったブログ主と比べるべくもない。
もしブログ主がツイッターで1600人近くの人に対してこの件についてつぶやいていたらどうなっていただろうか?
今回のこのやりとりを見ていて、自分なりにいろいろと整理して書いてきたためすごく長文になってしまった。すまない。そろそろまとめよう。
こう言ってはあれだが、能町みね子をはじめとした
中途半端な文筆家やライターはウェブをもっと使いこなすべきだと思うのだ。
ちまちま個人ブログに対して著作権を訴えるようなことをしていないで、
いかにして自分をネットの世界で大きな存在にして、発言力を持っていくかを考えようよと。
多少は名前を知られている訳だから、ただの素人がブログを始めるのよりもよほどハードルが低い。
だからこそ、自分の中に眠るコンテンツを惜しみなくウェブで展開して確固たる地位を築くべきだ。
多くのアルファブロガーがそうであるように。
雑誌や書籍の世界にいて、ネットの世界を見下しているようではダメだ。
おいて行かれるだけ。もっと出し惜しみせずにいろんなことをネットに出していかないと。
無料で良質なものを出すなんて…とか言ってる時点でダメなんだよ。
今集まっていないのはまだ出し惜しみしているだけだからだよ。
大したことない権利を守ろうとしてないで、
もっとネットの世界に来て勝負してみなよ。結構勝算あると思うよ。
追記:
話にならない。>でも<でも=でもない。しかも世間の話というより書籍や雑誌の世界とネットの世界の話をしている。もう一度読んでみて。それぞれの世界でうまく立ち振る舞うべきと言っているんだよ。わかるかな?
画像転載がアウトとか言ってる人は、著作権ひっかかるようなサービスやブログ等一切見てないんだよね?ねえ?ネットの楽しさってそういうのほとんど関係無しでやってるところだよ?もうねこれはYahoo!がやってたらそりゃ責任とわれるだろうけどさ、個人レベルのブログとかにそんなのを求めるのは無理。CGMにおいては著作権とかあきらめるしかないんだよ。あきらめてCGMをうまく活用することを考えるべき。そっちの方がよっぽど生産的だと思わない?
転載っていう意味だと微妙だけど、たとえば芸能人の画像とか2ちゃんねるコピペブログとかではまったく著作権とか無視で使ってるよね?でも一番人を集めているよね?どうしてかな?たたかれることもあるだろうけど、それだけおもしろいとか評価されてるよね。Yahoo!ブログとかでしょうもない日記書いているようなブログでも普通にネットに落ちてるジャニーズやディズニーの画像挿入しちゃったりしてるよね、でそれを見た人が「かわいいですよね」とかコメントしちゃってる。それを止められると思う?無理だと思うよ私は。
いや、ネットの楽しさや特性云々以前の話で、オマージュされた本人が、され方に疑問を持ち、それを伝え、オマージュした方が修正をした。ってだけでしょ?
そのことをベースに、こういうことを考えた、という増田ですよ。ネット上の、特に個人ブログレベルでの著作権うんぬんにつっかかり、お先真っ暗な紙媒体上の既得権益を守ろうする人たちに対して苦言をていしているのですよ。ネットの世界をまったくわかっていない、とね。
どんなにネットが素晴らしかろうと、それを構成しているのは個々人でしょうに。
だからこそ、個々人がやるブログレベルに著作権うんぬん、転用うんぬん言うのはナンセンスだと思いませんか? あなたは能町さんと同じような考え方のようですね。ネットを知らなすぎます。なぜネットがここまで流行ったか、おもしろいと思われているのか、そこを考えたことがありますか? 著作権だなんだを個人レベルのブログにまで求めていたら、ネットはここまで流行っていないですよ。
このブログ主を止めただけであって、ネットの中の個人ブログとかどこまで追えるのって話。無理でしょうそんなの?ん?できるの?できるんだったら教えてほしいな。
あのさー、この元になった記事とか読んだ? 丸々ぱくってるっていう話じゃないし。著作権違反した方が集められるというのはブログ主側の意見としてはあると思うけど、著作者はそんなネットの中の著作権うんぬんを言い出したらキリがないよ、と言ってるのよ。インスパイアされて書かれるような個人ブログの記事についていちゃもんをつけるのはおかしいでしょ?と言ってるの。まずあなたはそこがわかってないね。上にも書いている通り、インスパイアされたりすることで自分にもプラスになる部分あるよって言ってるんだけどさ。もう一回最初から読んでみてよ。
あと、「著作権法」というものが何故あるのかも考えた方がいいと思うよ!
浅いなあ。そんなことは重々承知。で、今のネット界がどうなってる?YouTubeがどうなってる?なぜあるかなんてもうみんなとっくに考えてるよ。でも止められなくなってる。その現実について考えた方がいいと思うよ! 偽善でそんなこと言っててもしょうがないんだよ。これからこの状況をどうするのかを考えた方が建設的だと思わない?
これも浅いなあ。これまでのメソッドでしか考えられないのかな? それだとそういう結論になっちゃうよね。あなたは何かを生み出せるタイプじゃないね。そういう固定観念で話をしていないんだ。ついでに言っておくと、あなたは出版の世界のことも学んだ方がいいと思うよ。
タイトルのような議論は、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』という結論に落ち着く。大抵は。
なんか違うよな、と思ってたのだが、少し前に下のようなスレを見つけてから、さらにモヤモヤが増してきたので、少し書きたいと思う。
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1260455702/
>「僕らは作品ではなく商品を作っている」という発言だった。
>ゲームそのものではない。宮本氏は普段から、スタッフにも自分たちが作っているものを
>「作品」ではなく「商品」と呼ぶよう指示しているという。
ttp://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0910/27/news082.html
金儲けしか頭にないんだな、この老害は・・・
自分も過去ログが見れない状態なので、記憶で書くしかないが、私が見た時には、いつも通りに荒れていたし、例の如くコテハン叩きもやっていたりと、まさにゲハだった。ただ、あまり決定打的意見はなかった印象もあった。宮本氏を守銭奴扱いする人間もいれば、「当たり前じゃないか!」という人間もいて、色々意見が分かれていた。
じゃあ、お前が決定打的意見を出せるのか?と言ったら、まあ、怪しいものだが、自分なりの落ち着き所が欲しいし、モヤモヤも何とかしたいので、書きながら考えを整理してきたい考えだ。
……と、能書きはこの辺までとして、本論に入ろう。
まず、『ゲームは「作品」でも「商品」でもある』というのは、正確じゃないよね?というのが私の立場だ。単なるとんちに聞こえるかも知れないが、『ゲームは全て作品であるが、中には商品として売っているものもある』がより正確だと思う。(フリーで遊べるのもある訳だから)
要するに、「商品」と「作品」は一つの対立軸にはなり得るけれど、「商品」と「作品」は対照的な存在という訳でもない。
「無料」と「有料」は「0か、0でないかだから」、TrueとFalseの条件式に使えるけれどもだ。
販売者の側から見ると、「作品」は、単なる「商材」である。
「商材」を消費者から見て「商品」に仕立て上げるのが「商人」である。
アップルは良い見本で、安く「商材」を仕入れて、手を入れ、磨き上げ、組み上げて、大勢の人間が良いと思わせる「商品」に仕立て上げている。
その結果、スティーブ・ジョブズは、オープンソース教徒には守銭奴に見えるだろうし、アップルファンには神の使いに見える。
(この図のように→http://i.imgur.com/YRoqC.jpg)
例えば、記憶で書くので間違っている部分もあるかも知れないが、ハリウッド映画にもなった映画「Shall we ダンス?」は、本家の日本版も米国で公開されていて、(米国では)200万人を動員したそうだ(Wikipediaより)。
米国で公開する際、米国のインディペンデント系が買い取ったらしいのだが、そのバイヤー曰く、「私が発見した」という言葉を使ったらしい。監督の周防正行氏曰く、「私はすでに商業作品を作って成功している(から、発見したという表現はおかしい)」。
周防正行氏は、バイヤーから見れば「(今まで現地で紹介されてこなかった新しい)商材」に見えるのだろうし、氏自身から見れば自身を「(立派に成功した)商業作品」の監督であると思うのは当然だ。その視点(立場)の違いによって意見の相違が生まれているということなのだと思う(私の記憶の違いもあるかも知れないので、詳しくは「『Shall we ダンス?』アメリカを行く (文春文庫)」を見て下さい)。
話がさらに脱線するかも知れないが、アニメーターの労働条件が酷い件についても、似た様な違和感を感じる。
具体的には、あまり電通がどう、中間搾取がどう、とかという時代でもないだろう、みたいな気が非常にする。
ゲームもそうなのだが、無料でも見ないような「作品」、遊ばないような「作品」がネットやレンタル、廉価版、ワゴン、中古にいくらでも転がっている。今の時代、それこそ、インディーズや映像全体まで枠を広げると、YouTubeだって一人の人間で見きれない状態だ。
しかしだ。それでも、売れているものは売れている。
例えば、任天堂のゲームなんてあまり値下がりしないし、それなりの値段がするが、売れている(おお、ゲームの話に戻ってきた)。
つまり、「作品」があふれる時代に、「作品」で金を稼ぐにはどうすればいいのか?という問題に戻ってくる。
「作品」をどう「商品」に仕立て上げるか?ということが問題になってくる。
編集者のいない漫画雑誌であるコミックギアは三号で潰れたそうだが、金を取るなら「作品」である前に「商品」であることを求められるという訳だ(例え、作者が不本意に連載を続けていても)。
当たり前だが、人は、欲しい時に欲しいものが欲しい。
果たして、みんなが持っていたオモチャを買ってもらえなかった時の気分はどうだったろうか。
要するに「商機」をつかめばものは売れる。
つまり、たった一杯の水でも、砂漠では高く売れる。
何でもないものが希少価値になる。
そして、需要がある所に商品を適正価格で供給してやれば、感謝される。
満足感があれば、リピーターになってくれる。
それがまっとうな商売だ。皆の幸せに繋がるのだ。
そういった「商機」を見抜く目があり、実際行動する人が尊敬される商人なのだと思う。
果たして、廃人育成MMOやマルチ商法ソーシャルアプリがまっとうな商売か?と聞かれた場合、ハイ、と答えられればそういうゲームの営業をやればいいと思うし(別に非難している訳ではない。悪意はあるが)。
もちろん、「商品のまっとうさ」というのは実に微妙なものだ。特にエンタテイメント業界においては。
だが、売っている人間が自身の商品のまっとうさを信じられるかというのは実に大きなファクターだと思う。より悪意のある書き方をすれば、詐欺的商売でも、自身の商品のまっとうさを営業が信じていれば、ものすごい力になるから。
もう一つ気になるのは、クリエイティブ性の問題だ。
クリエイティブの敷居がこれだけ低くなると、もう、プロのクリエーターは好きなものを作れなくなるのではないか。
当たり前と言えば当たり前だが、仕事というのは、いやな作業をする代償としてお金をもらうようなものだから、クリエイティブはアマのものになるのかも知れない、的な雰囲気がなんだか漂っている気がする。
例えば、米国では、10年くらい前までは業界を引っ張っていた制作者が半分趣味で作っているようなPC大作がほとんど出なくなっている代わりに、クリエイティブなインディーズゲームが活性化しているようだ。
……すると、ものすごい安い賃金の本業と儲けの高い同人活動をこなすアニメーターみたいな訳の分からないものがこれからの本道なんだろうか?
とすれば、プロ活動とアマ活動を両輪にして生き残る、というのも一つの考え方という訳だ。
もちろん、いやいや、プロは今のハリウッドの様に空虚になるのではないか?とか、CGMはどうよ?とか、まだまだ言及が足り無いこともあるが、疲れたので寝ることにしよう……。
本当は自分のブログを立ち上げてそこで書けばいい話なんでしょうけど、どうしても書かずにいれられなかったので。
今回は直接的にこの記事に触発されて書いたものです。
さて、少なくともニコニコ動画御三家(古い表現だが)の中でニコマスはCGCなんて新しいムーブメントではない。
まずはvocaloid、vocaloidこそCGMの代表的コンテンツである。
vocaloidはツールであり、作り手の思い通りにコンテンツをつむぐことができる。
下敷きにする一次創作なんてものも存在しない。パッケージにかかれたキャラクターも、キャラクター展開も無視することも当然可能だ。
オリジナル曲を歌わせれば著作権の問題も完全にクリアすることも可能。
そして、二次創作のコミュニティを突き破って自己実現のツールとすらなる。supercellがそのいい例だ。
東方プロジェクト、これも二次創作とはいえCGMの形の一つだと思う。
zun氏が二次創作について明快かつ寛大なガイドラインを設け手いるのが大きい、そのガイドラインの範囲でなら著作権問題もほぼクリア
できるし、二次創作が更なる創作を爆発的に誘発する呼び水になっている。
キャラクターの設定が良い意味で薄い上、作品世界がが「閉じた」形式になっていないのも自由な発想での創作を可能とするのだろう。
さて、ニコマスはどうか。
ニコマスはどうしても二次創作という形から離れることはできない。一次創作のパッケージ化され閉じたストーリ展開に束縛される。
キャラクターには時間軸に沿った詳細な設定が施され、そこからも逃れることはできない。
さらに、著作権関連の問題は限りなくグレーである。バンナム含め様々な関係者からの黙認のうえにニコマスは成り立っている。
そうなると、ニコマスの進む道は、必然的に旧来の同人世界と同様「ファンアート」の範疇を進まざるを得ない。
一次創作の設定・キャラクター・ストーリーを最大限に尊重しつつ、それを自分の解釈で再構成し形にしていく方法である。
で本題はここからである
この記事を読み、さらにここで言及されている動画とSSに思いをめぐらしたとき、
Tomさんの態度について非常に共感するとともに、ニコマスへの接し方について改めて思いをめぐらさざるを得なかった。
「πタッチ」「とかち」という、アイドルマスターのゲーム内容からみれば全く関係のない部分から火のついたニコマスは、
ステージPV動画で驚異的な表現力を手に入れ、ノベマスや架空戦記ものでストーリーの語り方を手に入れた。
そして今、「im@sストーリー系PV」タグの隆盛を見るように、「ゲーム本編のストーリーやキャラクターの設定を再構成・再構築して映像化する」
という流れが中心になろうとしている。
この記事で触れられているtlopの作品は、ゲーム内での「オーディションの厳しさ」と「トップアイドルへ向かうことの厳しさ」を再構成・再構築して
映像化したものだし、一連のwhoPの作品は「アイマスゲーム内での美希と自分(whoP自身)のかかわり」を前面に押し出して作成されている。
そう、「製作者の設定・キャラクター・ストーリーを最大限に尊重しつつ、それを自分の解釈で再構成」という、ファンアートとしての作品が
高いレベルで輩出されるようになって来たのであり、これはニコマスとしては正常進化と言えるものだ。
しかしである。
この記事のコメント欄でグレゴールさんが言うところの「ニコマス作品は(特にPVは)“賛歌である”という側面がとても強くて、私にはそれが心地よい」と感じている
と感じている私のような人間は・・・。
今からゲーム本編を全クリアし、一次創作の設定・キャラクター・ストーリーを最大限に尊重できる態度を身につけたうえで、Pの数だけある「解釈」を
読み取れ共感できるようになればそれにこしたことはない。
だが、それが自分にできるだろうか。
「ニコマスに関わる人たちはそれぞれどのように振舞っても構わないし、自由です。
ニコマスPは彼女達に何をさせてもいいし、世界をどのようにしても自由なのです。」
Tomさんが呟いた当たり前の自由を、今の自分が許容できるのかとても心許ない。
ニコマスはこれからも進化していくでしょう。しかも、ファンアートとして正常進化していくでしょう。
私としてはその行く末を見て行きたいけれど、私のような存在は「進化していく上での遺物」と化していくでしょう。
それでもいいのです。
「ニコマスに関わる人たちはそれぞれどのように振舞っても構わないし、自由です。
順調に大人、というより一通り踏み台にし終わったからあの界隈を捨てただけじゃないの?
えがちゃんは非モテSNS当てたよねー、本人非モテでもなんでもない((モテるかどうかというより、非モテのメインストリーム属性ではない))から、あまり狙ったんじゃないと思うけど、
現実としてユーザーを大量に手にいれたし、それの一部がちょっと流れるだけでピモテとかも賑わってる風に見えるし。
>去年作ったサイトは順調に大きくなってて
っていうけど、実際非モテ以外はさっぱりだよね。
いろんな所に顔だして、真面目な顔もしていると言う事は、そろそろ非モテ以外の所に網を投げたいみたいだけど、非モテSNSみたいには上手くいってないぽいね。
BUはえがちゃんパワーでメールとばしまくって、新しい人をあつめようとしてたけど、結局現時点登録数で300人以下で放棄中。
えがちゃんの「ベタなアイディア勝負!人さえあつめればどうにかなるよ!」のCGM精神だったんだろうけど、
さすがに運営力がなさ過ぎて、人集めの能力だけではやっぱり上手くいかないんだなーという事がみえてしまっている状態なのは残念。
非モテはラッキーヒットだったんだなあと思われてしまう((さらに言えばシステムはすべて他人頼りだし))。
現状メインの非モテSNSはイベントだけちまちまやってるけど、実はアレが柱だよね。あれやらなかったらプレスリリースを打てないし。
でも実際の所イベントは既存ユーザーに対するものだから、新しいユーザー獲得にはつながってないんじゃないのかな。
AV女優とか、お笑い芸人とか、ゲスト頼みのイベントばかりで非モテSNSとリンクしてないし。
>ピモテなんて結構真面目に注目されてるんだけども
ピモテはもういちど人をガッツリ集める為のしかけだったとおもうんだけど、見てる限り流れも遅いし、非モテSNS出張所みたいになってしまっている、とりあえずにぎわす為に非モテから人を引っ張ってきたのはいいのか悪いのか…。
Twitterクローンブームがなかったら、取り上げられたりはしないんじゃないのかな。
そんな中、にせアメーバなうは久々にegachan得意の「コンプラなにそれ?」的なトバした物だったとおもうけど、身も蓋もない設定故にリアルに怒られてさっさと締めちゃったし。
とにかく人を集めてビッグになりたい!という方針自体はアリだし、女の子を数人食えるw程度には成功してるとおもうんだけどなー。
誰でも参加できることにより、質(たち)の悪い人や質(しつ)の低い人が混ざる。
善意があってクオリティが高い奴だけ囲い込んで、何かするというやり方がいいと思うよ。
東大とか一流企業だったら試験があってエリートだけを選抜するじゃん?
それと同じように特定のタイプの人間だけ選抜するようにすべき。
たとえばネットサービスにしても、誰でも参加できてしまうのはマズい。
CGMなんて言うけれども、作られる情報の質を高くするのには無規律な集合知なんかじゃ駄目だ。
Wikipediaは特殊な例であって、それ以外に集合知がまともに成功した例は一つもない。
1人でもつまらん奴がいると場がシラけるのと同じで、少しでも荒らしや低質な奴が混ざってると、
面白いものが出来てこない。
これはブレーンストーミングを考えてみるといい。批判意見を出す奴を一人でも混ぜてみろ。
まともなブレストが出来ない。
そこで今度は、批判者を混ぜずに1人でもすごく頭脳優秀な奴を混ぜてブレストさせてみる。
するとそいつの発言が周りに刺激を与えて良いアイデアがポンポン出てくる。
そうすれば、さらにレベルの一段上がった発想ばかりが次々出てくるようになる。
今述べた3例はサラリーマン時代に、ともに実証済み。
つまり何が言えるかというと、絞り込んだほうがいいということ。
絞り込み方は何も頭の良さだけではない、特定分野への関心・知識の多さ、性格、
さまざまな絞り込みかたがあっていいし、そうすべきだ。
誰でも参加できることでユーザ層が広がるのはメリットかもしれないが、同時に生成される情報の
質がガクンと下がるというデメリットもあることは、あまり注意されていないようである。
ニコマスはCGMの中では成功している物のうちの一つなので参加している人たちは何が面白いと思って盛り上がっているのか、とかそういう成功している理由といったなにかを理解したいのだけれど、面白いと言われる動画を見ても何が面白いのかよくわからない。なにか盛り上がっていることはわかるのだけれど、何故この人たちがこんなに盛り上がれているのかが理解できた気がしない。とても残念だ。
ニコマスというかアイマスはどうして流行したのかってのはいろんな形で考察されていて、そういうのを読んだり見たりした所で自分が感じたのは、俺は乗り遅れたんだなぁという気分。なんといえばいいのか、萌え系とかもうおなかいっぱいでいらないし、そもそも女の子が踊ってるだけでしょ。カメラ目線がどうのこうのとか技術面は確かに何かあるのかもわからんけれど、特にゲーム的に面白いという話も聞かないし、どうでもいいのでは、といって初期に完全スルーを決め込んでしまったのがそもそもの原因なのはよくわかっているつもりだ。けれど、後から観察して理解しようとして、これほど同調できないというのも想像できなかった。
多分、この流れに同調できないのにはそれぞれ理由が書けそうな気がするので書いてみる。
ニコマスとかを見ていると「どうやってるのかわからん」という書き込みとかがあるのはわかるのだけれど、そもそも元の物がどうなっているのかとか何をどうやって作っているのかを理解していないので、技術的に何が凄いのかを理解するのがとても難しい。
これだけ長いこと時間が経ってしまっていると、正直何を言っているのかわからないネタが多すぎて、逆にすごく疎外感を感じてしまう。なので見ているのが逆に面白くなくなってしまうような気がする。多分、東方シリーズ(?)とかも同じく乗り遅れてしまっていて、何言ってるのかよくわからないという部分では同じような空気を感じる。
上に書いたようなこと位はまぁ理解できる範囲なのよ。でも、こういうのって他にもいろいろあった気がするのよね。たとえば初音ミクとかは自分にもわからんでもない気もしないでもないというか、ネタがネギとはちゅねミクだけわかってればあとはだいたいわかったような気分になれたとか、マイナーな例ではエコアイスとかいうのは当時は珍しかった一般の会社から萌えキャラがでてきたから面白かったのだろうという理解だけでOKとかそういう。と、書いてきて、なんとなくわかった気分になれたのは、要は流行しすぎてしまったであるとか、元からある程度の知識を要求されるであるとかで、内輪でしかわからないネタが多くなりすぎているのではないかという事かなぁ。
だとすると、次に気になるのは、何故自分は理解しにくいと思えるほど内輪ネタが多いはずなのに、あれだけ多くの人が盛り上がっているのが観測できるのだろうということかなぁ。いやだって、内輪ネタが多くて入りにくい環境なんだったら、そこまで流行しないと思うのですよ。これはあれかなぁ。ある程度の人数まで達すると、ある点からは爆発的に伸びるとかそういう系?だとすると今この祭りで踊れてない俺のような奴はもう駄目か。
うーん。無念。
それなりに書き込んでいたら亀増田&長文増田になってしまいましたが一応書いたので載せてみ増田。いわゆる一つの「増田の中心でアイマスを叫ぶ」というやつですね(違
アイドルマスター XENOGLOSSIA(ゼノグラシア・アニマス)が成功するためには何が必要か、考えてみた。ということでひとつ。
作品としてはイイ。
十分楽しめると思う。
「こんなのアイマスじゃない!」「まったくの別物!!(怒」とアイマスファンがネガティブキャンペーン張ってるだけで、ロボットアニメ好きなら、そこそこ普通に楽しめるかと。
からはじまる、アイドルマスターゼノグラシアは、ロボットアニメとしてはかなりよくできていたよ! と言う論をよんで、うんうんその通り、とうなずきつつ
まぁ声も性格も(伝聞より)まったく変えてしまって戦略として何がしたかったんだろう、って外側から思いはしたが。
よくわからんがこれ、どっか元の遺伝子残ってんの?みたいな。
その辺で元のファンの支持を得られなかったら、まぁ良くて「これはこれで悪くないかも知んないけど別物だよね」どまりだと思ったし
と言う意見や、
と言う意見にも同意できる。ゲームのアイドルマスター好きって立場から言うと「っていうかあれ何。72じゃないちひゃーなんて(ry」と言うことになるのは当然。
あれは、やよいと律子さんはよかったよね的な何かだったあれは。とはいえカニデレ万歳。なぜさん万歳。
と言う風に
的なアイドルマスターを愛するキモオタであるという立場から、アイドルマスター XENOGLOSSIAが原作ファンからも、アニメファンからも納得されるロボットアニメとして成立するためには何が必要だったのかを考えてみる。
え?ロボットアニメにする必要はない?いや、それを言ってはおしまいなのでスルーの方向で。っていうか下手に原作そのまんまアニメ化したら、くりぃむレモンのエロなし現代版(ニュージェネレーション)の二の舞になるだけのような気がする。それだったら素材として活用した方がいいと思う。そもそもプロデューサー役はどうすんだって話。(まぁいっそ女性にしてしまうとか百合に逃げると言う手はあるが…そんな中の人萌えをメインにしたようなアニメ見たいか? 俺は見たいが……とにかくそれを言ってはおしまいなので)
位置づけとしてはやはり「アイドルマスターのキャラクターが総出演で作ることになったドラマ」という扱いにすべきだったのではと思う。
当然ながら制作委員会名は「765プロダクション」で(C)を出すと。ただ設定はそれだけでは駄目なので、以下の点に注意すべきだったと思う。
この点だけ守っておけば、最終的には同一ですよといいわけはできたと思う。確かにそのままのストーリーでは無理があるかも知れないが、そこはストーリーを合わせることも可能であるはずなのである程度は。
後は、もう一つ。バンナム作成のゲームのデータを使った「次回予告」的な「楽屋裏」を作って、最後にワンコーナー設ければよかったのではないかと思う。もしくはアイドラで配信とかでも可。これでゲームとアニメを確実に地続きにすることができる。内容はあまりの雪歩のキャラクターの違いにとまどって「うまくできません~プロデューサーさん」と泣きつくとか、台本を初見したアイドルたちが、次回についてわいわい言うとか、そういうたわいのないものでいいのではないだろうか。(理想なのはセルフパロディだけど)アイドルマスター P.S.プロデューサーというネット配信のラジオがあるが、そこのオープニングドラマは、アイドルたちが掛け合いドラマを演じて、その最後に誰かが「○○○ですよね?プロデューサー(さん)」と呼びかけるという風に始まる。こんなかんじに「次回もがんばりましょうね!プロデューサーさん!」みたいにすればいいのである。
ただ、これをやってしまうとバンナムがいかにメディアミックスが広がろうと守っている最後の一線(たとえば亜美真美は絶対に2人であることをゲーム中では公表しない、等々)を破ってしまう事になるかも知れないが……まぁそこはラジオドラマ的な感覚でやってしまってもよいのではと思う。
というか、誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを。才能のあるプロデューサーさんの中にはアイマスもニコマスもアニマスも愛する人がいるはずである。だれか、どうか。お願いします(土下座)
ストーリーはぶっちゃけ何でもいいと思う。と言うかここは妥協すべきではないと思うが(その点では、修羅場系の部分にちひゃーとあずささんを配置したキャスティングはあっていると思う。あとまこまこりんも)しかし、中盤のやよいの出番の少なさについては断固抗議させt(ry
ただ、王道として考えるとサクラ大戦メソッドが可能ではないかとも思うが(歌と踊りとメカと萌えと燃え)それは完全に原作アイドルマスター側に振ってしまうことになるので、すでにゼノグラシアじゃなくなってしまうよなぁと思うわけで……。
絵についてはある程度しょうがないところはあると思う。2.5次元のあれをフルアニメにつかって上手く成功した例は未だかつてない。と思うので。そうなるとやはり昔ながらのぱらぱら漫画的手法のアニメーションになるわけで、そうなるとアニメ的誇張の方法をとらざるを得ないので、キャラクターデザインは変化する。
たとえばちひゃーの72が女の子のキャラクターとして成立するのは、そして、まこまこりんの真前が男前にならずにすんでいるのは、3Dを使ったぬるぬる動く、三次元的な動きの中で連続的に破綻のない映像だからであって、あれをアニメでやろうとすると、誇張がなければ無理である。
たとえば閣下が体を捻って、頭のリボンを指さす動作があるが、あれを従来のアニメでやろうとすると自然にするには相当の技術が必要である。あれは三次元的に成立しているからこそできることであって、あれを絵として描くには、立体としての形状を維持せずに誇張するしかない。つまり物理的な正しさを使用するのではなく、記号的・感覚的な部分を優先する必要があるのだ。
というわけで何が言いたいかと言うと、ゼノグラシアの中で、原作に比較的忠実な人々のキャラクターデザインは結構よくできていたと思うがいかがか。律子さんとか、おでこサンシャインとか。亜美真美とか。まぁ「お前誰!?」「特殊メイク乙」としか言いようのない人もいるが……。
まぁこれは実際の所、時期が悪かったとしか言いようがないけれど……。アニメの企画にはそれなりに金の動くプロジェクトであることもあって、年単位で時間がかかることも珍しくないそうで、そう考えるとゼノグラシアはアイドルマスターの総合的メディアミックス戦略の総称である「Project IM@S」が始まる前に企画がスタートして、動いていたことになる。その証拠にアーケード版のキャラクターしか出てこない。当然みきもでてないし、今だったらなぜさんのポジションは(少なくとも名前だけは)小鳥さんであっただろうと思う。
と言うことは、正直原作のアイドルマスターがここまでの規模のヒットになるとは全く予想外だったのではないか。始まった時点では所詮はアーケードの一部のマニアのゲームであるし、XBOX360などというメインストリームではない機種に移植であるわけだし。と言うか一体だれが予想するよ、CGM的な効果で、ネットのヘビーユーザー層やライターなどのアクティブでディープな人を中心にハートを掴み、コミュニティから口コミで人気が広がるなんて事。初音ミクだってまだ地上に現れてなかった時代だぜ。これを真の意味でピンポイントに「アイドルマスター」というコンテンツで発生するという事を予測できた奴は、そうはいないと思う。いたら出てきてくれ。とりあえず一緒に商売でもしよう。
ともかく、もしこれが今みたいに少なからずアイドルマスターというコンテンツが、非常に恵まれた環境で発達すると言うことが予想できていれば、もう少し違った戦略になるだろうと思う。というか、そうであったならば、ここまで原作と異なる事にしなかったのではないのか?そして、アイドルマスターというコンテンツからどれだけのポテンシャルが引き出すことができるか、少なくとも一番最初に目を向けさせるエネルギーとして十分かどうか、それがわからなかったので、そちらに変に依存することなく提携を切って、「原案」という中途半端な形で残してアニメだけで自立できるように改変をしたのだと思う。つまり「アイドルマスターのブームはアニメが引っ張る」つもりであったのだろうと。
たとえば今なら、アイドラ(XBOX360 アイドルマスター Live For Youで配信中のダウンロードコンテンツ)で撮影風景と称すドラマを裏を流すとか、そういう連携だってできたはずである。もし今やるのならば、提携すればよいだろう。
つまり早すぎたのである。この点で、戦略的には今の時期が一番適していると言える。
もしアレだったら961の面々に敵キャラを持っていってもおもしろいだろうし。
で、これだけうだうだ書きつづって一体何が言いたいかというと、アニマスもアイマスも両方すばらしい、と言うことである。それぞえ独立したコンテンツとしても十分成立するだけのポテンシャルをもっている。というか、アニメの方はむしろ、アイドルマスターがここまで大きくなると言うことを予測していなかった分、自立できるようにああなったと言うことも考えられるわけだがともかく。
でも、もはやゼノグラシアはアイドルマスターのファンの中では語られない存在になってしまった。では、こんな事を言っては無駄なのか?否。それは違う。
アイドルマスターはナムコではなく、バンダイナムコの製作であると言うことである。そしてバンナムと言えば、そう、スーパーロボット大戦である!
今こそ、スーパーロボット大戦でアイドルマスターゼノグラシアをやり直すべきだ!アイマスオールスターズがついにスーパーロボット大戦に出演!それでよいではないか!別にスパロボではなくてもいい。それと同じくアニメでなくてもいいので、ゼノグラシアをロボットゲームで作り直すと言う手もあるのだ。
そしてうまくいったらアニメの方の人気も再上昇で、ゲームも新しい方向性が誕生し(たとえば任天堂のキャラクター的に象徴的キャラクター化して様々なゲームに出演するとか)三つの解釈を融合させた劇場版とか……(以下妄想が続くため省略
どうだろうか。
後は、ゼノグラシア並にリソースを使い(特に音楽には、せっかくアイドルマスターの周辺には新進気鋭のアキバ系音楽を多数手がける音楽ディレクターが集まっているのだからこだわって)やれば、結構いい結果になるのではないか。
なお、最後になったが、アイドルマスター Live for Youに付属したアニメDVDをアニオタ視点で見てみると、あれは明らかにゼノグラシアの失敗をみて逃げてる。てか1回ぽっきりで音楽なんかは既成のものを使わざるを得ないにしたって、キャラクターデザインもっとちゃんと仕事しろ。さらに言えば中途半端なサービスショットなど不要だしつまらんと思う。さらにストーリーはそこらの愛のあるSSを採用した方がいいんじゃないかという、おそらく作品の質に関する要求以外の要素(予算とか)で制限があるような内容になっている。てか、Live For YouのDVD付をわざわざ買うような層はもっと高くても買ったと思うのでもう少し金をかけろよとも思う。
あれの見所は動くアニメ絵に映像にオリジナルキャストが声を当てていると言うその一点しかない。(と言いつつそれだけで十分に価値はあるが……今回はアニメが主題なので辛口評価は勘弁して欲しい)
なお、「うわぁ……」「キモオタ氏ね」「キモオタはキモオタの国へ帰れ」「病院へ逝け」と言った苦情については十分承知しているので勘弁してください(土下座)
誰かアイマスMADでこの「ゼノグラシアの特定の話の収録後」という設定で作ってくれないかしら。今からでも、原作アイドルマスターとアニマス・ゼノグラシアをつなぐ架け橋的なものを作ってくれないかしら。と大切なことなので二度言いました。
http://blog.livedoor.jp/ustan777/archives/51483868.html
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/05/news084.html
可能性として
などなど。
少なくとも数字としてその影響が見て取れる以上、それなりの態度を持ってとらえなければならないでしょう。
この動きが今後も続くのであれば、旧メディアを多く利用していた作り手がネットに下ってくることも考えられる。
彼らのマーケティング手法のうちいくつかはネットでも通用するだろうし
旧メディアで利用してた手法をネット向けにカスタマイズしてお金のにおいを徹底的に脱臭した場合
今現在ネットで活躍している作り手が駆逐される可能性も十分ある。
もしかしたら上に掲げた記事で実際にお金を手にしたのはネットに下野してきた旧メディアの作り手かもしれない。
どっちみち消費者が進んで買っている以上それはいいことには違いないのだろうけど
「賢い消費者」は旧メディアに惑わされずに自分で考えて選択するものだ
なんていう風潮を時折目にする昨今のネットで、これを手放しで喜んで良いものかどうか迷うところではある。
「情弱」は利用しているメディアの属性に拠って区別されるものではなく
メディアで飯が食えなくても他の仕事をすればいいだけ。映画やテレビを作る労働力をより経済的な価値のある財の生産に当てる方が余程幸せになれるはずだ。その意味ではオールドメディアのハッタリだってCGMコンテンツと同様に経済的に不要だと言い切るものである。
仮にネットで無料で閲覧できるコンテンツがクールで、テレビや映画など伝統的なメディアに乗るコンテンツは古臭いものだという認識が一般的になったとする。その瞬間旧来のメディアが持っていた市場の何パーセントかは文字通り消失することになる。本来あるはずだった広告費や雇用などは安価で単位時間当たりに流通する貨幣が圧倒的に少ないCGM市場に飲み込まれ、失われる。コンテンツの受け手作り手両方がCGMに費やした時間という名の生産性も含め、もう二度と戻らない。
オールドメディアは広告を利用して印象を操作し、たいして優れているわけでもないコンテンツを高値で売りつけていたのだ。ユーザが生産するコンテンツだってそれに大きく劣るわけではない。などと言う向きもあるかもしれない。それは確かに真実だが、泡がはじけて最終的に困るのはわれわれだ。今の社会はそれなりの資金が継続的に流通することを前提にして成立している。
参加者のほとんどが「必ずしも生存に必要でない財」を生産する社会が100年後にも変わらず存在している可能性はかなり低い。生存を秤にかけるような覚悟でCGMコンテンツを作っている訳でもないのだろうし、取るに足らない自尊心を満たすために希少な衆目を得ようと苦心するくらいなら、その時間をより経済的な価値のある財の生産に当てる方が余程幸せになれるはずだ。その意味ではオールドメディアのハッタリだってCGMコンテンツより幾分マシだと言い切るものである。
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ほとんど働かなくても十分なほどの資源が手に入る社会ならば、有り余った時間をつぶすためのお遊びを考える余裕もあるかもしれない。昔は暴力で奴隷を手に入れることでそういう状況を作り出すこともできた訳だが、今となっては望むべくもない。ロボット産業の発展に望みを託すのみである。
超極私的なアイドルみたいになってて面白い。
JCやJKとセックスしたいという願望と、JCとJKのチヤホヤされたい承認欲求が渾然一体となっていて、まるで小さなはてな村のようだ。
ちゃんと踊り手はブログやネトラジなんかやってて、固定ファンみたいのがいるのね。おじさん知らなかったよ。
はてな村って言うのが違うのならば、はてな丁というのが正しいのか? オナペットCGMみたいな。アタシ踊ってみた、みたいな。
ブログ読んでて、「今日は男女混合でカラオケ行った」とか書かれていると、身悶えしそうな嫉妬に苛まれてしまう。バカみたいというかキモい反応なんだけど。
判で押したように、オーバーニーソックス履いているのもなんか面白い。なんで?
しかし踊ってみたの画面を見続けている内に、そこに、JCやJKに対する確かな羨望と欲望が自分自身の内に生まれる事も確かだ。20代のこの俺の胸の内に。
これは不思議な感覚だ。自分自身が少女のように羨望されたい、少女自体になりたいと言う欲望と、少女自体を手に入れたい、という願望。ふたなりものの同人誌なんかは、そいう願望に即したものなのかもしれない。別にあれで抜けるわけではないのだけど。
歳を取って、割と素直に欲望を表現できるようになったので、今の精神状態で中学生とかに戻れたらなあ。絶対クラスの地味で可愛い女の子とセックスする為にあらゆる手段を使うはずだ。全国の男子中学生が羨ましいよ。俺が今、若い人にアドヴァイスするならば「クラスの女の子とセックスする為に全力を尽くしなさい」だろう。こんな大人嫌だろうけど。それが正直な感想。純愛とかは大人になっても楽しめますから。なんか喪男的な事言ってるような気がしてきた……
しかしこの、若さを礼讃するような日本人男性の心理状況ってどうにかならないもんだろうか、と我がごとながら思ったりもする。
■追記
一部ブクマ指摘を受けて題名を変更しました。
書き手としては特に何かを貶める意図もありませんし、価値判断を行うものでもないですし、道徳的・倫理的に是非を問うているわけでもないです。特に、ニコニコ「踊ってみた」を本当に心の底から「踊り」として提供し、それを享受し、一緒になって楽しんでいる人を貶める意図はありません。
単に、現象として、ニコニコの若年女性の「踊ってみた」界隈において、承認欲求と性欲が循環してプチアイドルコミュニティ化(オナペットCGM化、はてな化)してるように見えるってのと、意外とそういうのに乗って楽しんでしまう(若さを羨望してしまう)自分がいて意外だ、程度の四方山話です。
ノンリニア編集(ノンリニアへんしゅう、Non-linear editing)はコンピュータを使用した非直線的(ノンリニア)な映像編集方式のこと。2台以上のデッキを使いテープからテープへ映像をコピーするリニア編集に比べ、編集箇所を自由に選択でき、映像データを即座に追加・削除・修正・並べ替えることができる利点がある。1990年代に登場し、PCと共に急速に普及した。
編集システムとしてはAvid、Adobe Premiere、Corel Ulead VideoStudio、Final Cut Pro、flame、Kino、Canopus CWSシリーズ、Canopus HDWSシリーズなどが代表的である。
PS3のCPUであるCell B.E.は浮動小数点演算処理能力が飛び抜けており、動画エンコード/デコード能力は現在市販されているハイエンドCPUよりも十分に高い。
仮に年月が経過して一般的なPCの性能が向上し、相対的にPS3の処理能力が陳腐化したとしてもコストパフォーマンスの面で断然有利。PS3本体とソフトの価格の合計5万円弱で、同等の環境をPCで揃えるのは至難。時間が経てば本体価格も下がっていくだろうし。
全てのパッケージにHDDが標準搭載で、今月からは80GBが標準になり、しかもその気になればさらに大容量の市販のHDDに換装可能。よって素材となるファイルのストレージとしては容量面も拡張性も十分。また「PLAYSTATION Eye」といったUSBカメラで直接の素材取り込み手段もある。
一般的なMPEG1、2のみならずh.264やDivXも再生に対応しているので、出力形式の対応も敷居は低いのでは。
PS3用ソフト「まいにちいっしょ」には、ゲーム内を録画してYouTubeにアップロードする機能があり、他のメーカーに提供されている開発環境にもこの機能は含まれていると聞く。よって制作した動画や音声をシームレスにYouTubeにアップロードする事も可能なのでは。
制作した動画をフレンドに送ったり、制作者のhomeでフレンドを呼んで上映するといった機能も実現可能なはず。もしくは、ソフトそのものにストリーミングサーバの機能を付加するというのもアリかも。
当然ながら可能だろう。
大容量ストレージと高性能CPUが必須のソフトなのでWiiにはまず不可能だろう。可能性があるとすればXbox360だが、(3)は専用HDDしか選択肢がなく価格も高価。(5)は今のところ実績は無く、PS3に十分なアドバンテージが見込める。
YouTubeやニコニコ動画など、ユーザが作成する動画コンテンツ(CGMとか言うんだっけ)の隆盛は今後も続くと思われるので、その分野で一定の地位を確立するのも将来的にも有益ではないかと思うが、いかがだろうか。