はてなキーワード: リバタリアンとは
追記でブコメに反応いただいた id:koo-sokzeshky です。
私のブコメ:
解がさっぱり分からんので、素人が言えるとしたら「統計的差別を容認する前にせめてトランス差別解消の意思を見せろ」くらいだと思うけど、そうすると「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」で膠着状態に…
増田氏の反応:
(引用)
これだけ言ってもまだわからんか。
黒人差別反対の主張に対して、「黒人差別の解消を叫ぶ前に、その前にせめて黒人による犯罪の多さの解消の意思を見せろ」と要求するクソな醜悪さがわからんのか。(実際に過去にも今もそういう主張する白人、わりといる)
「膠着状態」になんてなんないよ。なぜそんな意見を考慮する必要があると思うの?「せめて黒人の犯罪をなんとかしてから黒人差別反対を訴えろ」と思うのか?それと全く同じ主張を差別反対と同列に扱ってると自覚できんのか。
なぜ分離排斥されてる被差別弱者に「問題解消の意思を見せろ」と要求して当然だと思ってるんだ。
「その前にせめて」じゃねえよ。
言い訳になるけど私のブコメは、個別には筋の通っている複数の主張がぶつかったときに「その前にせめて…」式の優先順位の取り合いが発生しちゃって難しいね、というボヤキです。
「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」が私の主張ではないのです(そう言う人にも同情的なのは事実だけど)。
というか、「性犯罪の危険性を強調することで特定の属性をまるごと排除するのは黒人差別と同じ構造であり、手放しに肯定できるものではない」という点については完全同意なのよ
(構造が同じならすべてが同じというわけでもないが、ではトランス差別問題に固有の話は何かということになると、私は明るくないので論じられない)。
なお、増田氏が私のブコメを「誤読」した等と主張するつもりはなく、基本的に私の書き方が悪い。伝わってて怒られたのだとしたら私の理解度が低い。
なぜと言われると一言では難しいが、一般論としては、あると思う。
というか、私もできているとは言いがたいけど、一般にリベラルは非リベラルを含む他者の主張(場合により差別的だとしても)の背後にある問題意識を無視すべきでないと思っている。
これはしばしば保守派がリベラルを批判するときに言っていることで、限度はあるにせよ、方向性としては確かにそうだなあ、という感想。
なお考慮とは「その通りにする」という意味ではなく、検討材料にカウントするということ。
当然ではないだろうけど、ちょっと整理が要る。
この要求がまだ満たされていないと思う場合は教えて貰えるとありがたいです。実際、私が未だにわかってなくても不思議でないので…。
なるほど、わかる。ただ、『トランス差別を問題視する人が「当然、男性も含めて皆で負担するのだ」』はどうなの、という気がする。悪いリバタリアン的。逆に差別を問題視する人がいなければ差別を放置していいのか。
「悪いリバタリアン的」は実は薄々思いつつ端折ってしまい申した。
"皆で負担" は一見社会主義的だけど、逆説的にリバタリアンがこういう主張をすることがよくありますね。
ソーシャルリベラル的な批判としては、最終的な理想だけを(まるで既に実現しているか、もしくは容易に実現可能であるかのように)述べても、今そこにある問題の是正について議論が進まない、これでは一向に不公正が無くならない……という反応になる。
しかし一方で「現状はともかく、理想はこうだよね」という確認作業も大事ではあるんだよなとも思っており、まずはそこで合意を示しておくべきかな、と思った次第です。
理想論と現実論の混同は色んな話題でよく揉めますよね。混同しなくても単体でも揉めるけど。
・DD論はやめろ
2ch的レスバはやめろという気持ちだが、気持ちは置いといて、その2点については良い指摘だ。
それと "2振りの武具" とやらはリベラルの傲慢さを批判したいのだろう。その連帯責任を私に求めている? それとも私のエントリに該当箇所がある?
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9-298677
新自由主義はケインズ主義的福祉国家の所得再分配政策などがもたらす「過剰統治」と国家の肥大化こそがシステムの機能不全の原因として、規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任などを旗印に台頭した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9
自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。
https://www.tnews.jp/entries/17582
もともとフリードマンは「リバタリアン」と呼ばれる、「人間にとって『自由』がもっとも大切だから、他人に迷惑をかけなければ何をしても『自由』にすべき」という考え方の持ち主でした。
それを経済政策に適用しようというのが彼の考え方で、ケインズのような考え方の政策を、自由を阻害するものとして批判しました。
彼はその思想に基づき、規制緩和、減税、関税の撤廃など14の提言を行いました。
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しかし、フラット税制志向は、累進課税を弱める考えだ。さらに近視眼的な費用対効果で福祉・公共福祉サービス削減をすると弱いものは救われない。さらに教育や基礎応用研究も破壊する。
さらに一度金融危機が起きると企業が金を貯め込み設備研究投資をしなくなる上に、法人税減税をするから、致命的に貨幣の流通速度が落ちて不景気になる。そして労働者や起きたばかりの起業家なんかは食い物にされる。
最近の言論が非生産的とされるのは、政治に対する考え方が敵味方と関係していると判断されることにある。社会はどのような立場をとるかによって左右のスペクトルに位置づけられるという感覚に陥っている。
左端は「共産主義者」、左中央は「進歩主義者」と「リベラル」、中央は「穏健派」、右は「保守派」、そして右端は「ファシスト」である。従来の常識では、政治にはいろいろな立場があるように見えるが、その根底には「変革」「現実主義」「社会正義」など、一つの理念や主義があり、それを束ねるイシューがあるということだ。
多くの人がこの「スペクトル」モデルの政治を信じているが、左派や右派のあらゆる政治的立場が、根底にある一つの根源イシューから生じていることを示す証拠はあるだろうか。政治には、他のあらゆる複雑な領域と同様に、何千もの問題があり、それらについて考える方法はたくさんある。
では、一次元のモデルに魅了され、多次元的な政治的現実を見ることができなくなっているのだろうか。それともそのような一次元化がまさに本質なのだろうか。
例えば共和党が何をやっても、たとえ正反対の政策をとっても、必ず "右傾化 "と呼ばれる。自民党でも同じである。では、「右翼」というレッテルは、共和党の政策について何を伝えるのだろうか。まさに何もない。しかし、共和党を嫌う人々は、共和党をヒトラーと一緒にすることでレッテルを貼れるのである。
「左翼」あるいは「右翼」と呼ばれる一連の信条の背後には、統一的な原理や哲学が存在しないため、この左・右のイデオロギー観から生まれる用語(「進歩的」「自由主義」「保守」「反動的」)は、部族の意味以外には意味をなさないと心理学者は考える。ある人が保守派に属していると言うことはできても、それが政策的に何を意味するかは、その部族がある文脈で何を支持するかに完全に依存する。
では、なぜ「リベラル」や「保守」が信じていることの背後に単一の哲学や世界観があるという集団妄想が蔓延しているのだろうか。一部の人はある人を「ネトウヨ」と呼ぶかもしれない。それは、教育に対する不信感を表明するような態度から「低学歴」を想像するからかもしれないし、中国の脅威を叫ぶことが「差別主義」と同じように見える人もいるのかもしれない。「イデオロギーとは、ナルシスティックな時代における自己満足の道具なのだ。」という言葉そのものが、イデオロギー対立をする人々を敵と見做したナルシストであることは興味深い。
心理学者は長い間、人間には帰属意識と意味のあるコミュニティが必要であることを理解してきたが、イデオロギーのおかげで、我々は自分たちの部族が信じていることすべてに賛同し(それが常に変化しているとしても)、自分たちの部族が支持していることが実は「保守主義」や「進歩主義」の哲学に縛られていることを事後的に料理して説明できるのだ。このような話術は、占星術師が誇りに思うだろう。
二項対立のレッテル貼りはドーパミンを放出し、部族を結びつけるが、民主主義の健全性にとってはどうだろうか。スペクトルの観点から考えることは問題を通して考えたり、別の視点を考慮したりすることをできないようにするだろうか。
「もし二項対立のレッテルを貼るのをやめ、他のあらゆる複雑な領域でそうしているように、粒度の細かい説明を使うことができれば、現代の公的生活を特徴づけている混乱と敵意を払拭するために大きな前進を遂げることができるだろう。」と希望的観測を述べる人もいるが、部族主義よりももっと根本的なことがある。
それは、緊縮財政に陥った社会のゼロサムゲームがスタートしていることが挙げられる。その場合、「どうやってパイを分けるのか」についての騙し合いが始まり、その騙し合いこそが「イデオロギー」という最大の綺麗事に変換されるのである。
自称教養人は「スペクトル」を包括的に考えることを笑い飛ばすだろうが、そのスペクトルの背後の経済学(つまりゲーム理論)について真剣に考えるべきだろう。部族主義、なんて怪しい言葉を使うのは胡散臭い心理学者だけで十分である。
会話型AIの政治思想:ChatGPTの親環境、左リバタリアン志向に関する収束的証拠
https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2023arXiv230101768H/abstract
増田百花「こんます~。増田系Vtuberの増田百花だよ~!好きなものは弱者男性論と女叩き、嫌いなものは男女平等とリバタリアンだね~。よろしくぅ~」
リスナーたち「百花ちゃん好きだ~!」「可愛いよ百花ちゃ~ん」「俺も叩かれたい……」
増田百花「概要欄にURL貼ったから、チャンネル登録と高評価よろぴくね」
増田百花「ありがと~!んじゃあ早速質問返ししていこうかなぁ?」
Q.好きな食べ物はなんですか? A.チョコレートケーキです! あとマカロンとか好きですね。
Q.趣味は何ですか? A.お菓子作りで~す。最近はオペラの練習中。また作ってみたら動画出すねぇ。
Q.好きなタイプはどんな人ですか? A.私より強い男なら誰でもいいわ(笑)あと私が守れるくらいの包容力があるといいかもぉ。
リスナーたち「百花ちゃん好きすぎて人生初スパチャした……これで勝ってくれ……」
増田百花「お、まじかー!ありがとうね!!応援してくれるの嬉しいなぁ。このお金で弱者男性に女をあてがう党でも作るか(真顔)」
【朗報2】弱者男性に女をあてがう党の代表・増田百花ちゃん、登録者10万人突破してしまう。
リスナーたち「えっぐ……」
【朗報3】弱者男性に女をあてがう党の代表・増田百花ちゃん、登録者数100万人を突破する。
こんな感じでよろ
いつものことだけど、はてブって死刑制度に関しては賛成が多いよね
死刑にかぎらず刑罰って、ビビらせて犯罪する気を削ぐためのものじゃなくて、更生するためのもの
いやいや更生なんてしないでしょ、っていう意見をたまに見かけるけれど、それって人間を信じていないってことになるでしょ
はてなーが好きなアニメも漫画も人間への肯定がなかったら物語にならんよ
とか
とかさ、あるんじゃないの?
性犯罪みたいに明らかに再犯率高いのもあるけどさ、それでも再犯しない人もいるわけで、諦めていいのかって
治安が悪くなるみたいなバカなこと書いてる人もいるけど、永山則夫擁護みたいに社会が悪いってことにすればいいのに
https://anond.hatelabo.jp/20220922130833
の続き
語尾変更の経緯はウン↑コ↓https://anond.hatelabo.jp/20220816194309
感想:リベラルというよりリバタリアン? 狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり
マルセル・デュシャン (1) 公明の罠 (1) 愛国 (1) 日常 (1)
baikoku_sensei 2012/05/19
認めようと認められまいと二人が幸せなら近親相愛も獣愛もよかろうと思う。ただ、子供と付き合う(幸せにする)には、子供をパートナーとして対等に扱い且つ責任や負担は一手に引き受ける必要がありホモよりキツい
学者も役人も普通の人からしたら「高潔すぎて最短距離で利益のために動くのが苦手」な人だからそこが弱点
暇な空白さん(となるさんも?)ゲーマーでありビジネスマンだから
「そこまでクリーンじゃなくてもいい」
役人や学者って政治ニュース見てても庶民から見てすっとんきょうなこと言うでしょ?彼のズレはそれかな
でも、青識さんは議論好きもあるだろうけど、それ以上に彼の学者っぽさ役人っぽさが「損得より平等性」に走って、開かれてる状態を大事にしちゃう気がします
買いかぶり過ぎかな?
実際に、青識亜論さんは
と言ってまして、この辺は学者寄りの役人らしい発想だと感じました。
彼的なちゃんと対等な議論によって道を開かないとダメは、損得から言えば遠回りだけど学者役人発想では手続きを軽んじると汚い報復が来ますし
動画で言及されていた「差別する自由」も本人のコンプレックスと言うよりは、もっとリバタリアン的な自由を求める思考から来てるように見えるんですよね。
学者役人思考で自由で愚行が許される状態を求めると、フルオープン、全肯定なリバタリアン的な発想にたどり着くのかなと…いう感想
逆に民間的な発想なら
と思うし、私自身も青識亜論さんにはいささか理想主義すぎて遠回りまたは実現困難だと感じることもいくつかあります。
ただその部分を本人のコンプレックスや人格的欠点と解釈するのは、私はあまり好きではない
最短距離で不正と向き合う人も必要だし、理想論的であってもべき論や長い目で見て正しいプロセスを説く人も必要だと私は思います。むしろ両方選べるのが理想かと
暇な空白さんほど調査力もないし、青識亜論さんほど知識も広くないから同じ道は無理
要は「ネットにすごい人はいっぱいいるけど、それはその人の特殊能力だから、後ろにピッタリ張り付いて真似しなくてもいいし、一致しなくてもいい。自分の正解を見つけて孤独に歩め」ってことです。
好きなものを好きに発表できて、好きに楽しめたら、別にポリティカルな議論や問題周知する必要ないし
https://twitter.com/tm2501/status/1563204585182728193
(ぼくのかんそう)
ただツイッターで無責任な立場から無責任に語ってるだけの行為を
「私は文化的に素晴らしい作品やクリエイターをブログや裏垢で応援しながら、表では強硬的すぎない範囲で議論という「経済合理性と、周知」の二段構えになるように努力してる感じ」って表現できるのしゅごい。
ニコ生の選挙特番では前回の衆院選に引き続き「立憲民主党はツイッターを見るな」と意見が一致していた
自民党が右派の顔をしながら左派政策を進めているのに、それに不満げな野党支持者の声を聞くと、立憲民主党はより極端な左派政策を打ち出すことになるから、ツイッターなんか見るな、という内容
ツイッターだけでなく、はてブの野党支持者もそんな感じで、極端な左派か、自民が憎くて保守化しているようなよくわからない人がかなりいるように感じる
https://note.com/seanky/n/n4780f5cbebc7
これとか
これとか
ブコメで女性就業率が高くなったのは景気が悪くなったからだとかいうのは、景気が良ければ女性は家庭を守る専業主婦が望ましい、そんなガチガチの保守思想なんでしょうかね
はてブを見てると、時々保守になる人と時々リバタリアンになる人と、色々いるけどどれも自民が嫌い、維新が嫌いの発作が生じてそうなるだけで、元はガチガチの保守とかガチガチのリバタリアンなんじゃないかって気がしてならない
近年でも例えば中国共産党によるゲーム規制という名の当局からの圧力は、基準が曖昧で結局のところ年配の党員たちが考える正義のようなふわふわした概念による裁量的な制裁にほかならず、そういった不透明なものが絶大な影響力をもって蔓延ることで業界自体が萎縮し明確で建設的な筋道が示されないままゲーム会社への新規ライセンス発行が止まる(ゲームの製作販売が免許制であるということ自体も非自由主義国家の異様さを示す重大な注目点だが)ことで数万社が倒産したという事態に陥っていることを思うと、リバタリアンいや自由主義者が訴える「裁量よりルール」の重要性が分かることだろう
自分はヴァに釣られてきただけの横増なので公共の福祉なんたらの話はまったく追っていないが
その公共の福祉というのはひょっとして中国共産党が圧力をかけているような「同性愛者や男の娘みたいな性的倒錯をゲームで描くな、偉人を女体化するな」みたいな、頭が時代に追いつけない為政者の偏屈にすぎない、過剰反応にすぎないものになっていく危険性を孕んでいないかよく考えてほしい。公共の福祉という題目で、価値観の自然な変化を阻害していないか、商業や文化的交流の障害点を老人たちが作り出して若者の足を引っ張っていないか。変化を恐れすぎることは人類にとってマイナスの側面が強いということが想像できる人とできない人がいることは仕方がないのかもしれないが、恐怖に支配されず本当に排斥するに値するものなのかを冷静に考えられる人が増えて欲しい。