朝から酒と煙草しか飲まない、とかならわかるけど、一日一食食べてれば元気だよ。サプリメントとプロテインだけ忘れずに。
若いうちはいいけど、年取ると運動不足がもろに響いてくる(あらゆる関節が痛くて歩けなくなる)ので、何が何でも歩く癖だけはつけたほうがいい。
子供を1人育てるのに2000万円かかる、と巷では言われています。
でも、個人的には、何となく信じられないというか…。なので、実際にどの程度かかるのか計算してみることにしました。
前提条件として
・できるだけ節約する。小学校~高校は公立で、大学は「家から通える国公立」とする。教育費はできるだけかけない方針。
①養育費
0歳から大学卒業の22歳まで、22年間、家で面倒を見ることとする。食費や被服費等で、ザックリ1日1000円とすれば、
1年で365000円。22年間で8030000円。高校生以上だと1日1000円を超える費用がかかるかもしれないが、そこは
②レジャー費
家族で旅行に行ったり、遊園地に行ったりする費用。あとは、ゲーム機本体を買う費用なんかも含まれる。これは、小1から小6まで年間5万円、
中1から高3まで年間10万円とする。小学生の間は旅行では子供料金が適用されるので、安くしている。これだと、合計で50000×6+100000×6=900000円。
5歳から12歳まで、1~2個の習い事に通わせることとする。月1万円で年間12万。8年間で960000円。
④学費
幼稚園は3歳以上は無償。小学校と中学校の学費(給食費、修学旅行代等も含む)は、児童手当の範囲でまかなえるし、高校の授業料も、実質無償化のためゼロ。
ただ、中学と高校の部活では、合宿や用具等の費用がかかることもある。これが年間10万として、6年間で600000円。
あと、大学受験の模擬試験や受験料等で200000円、国立大学の入学金が300000円、授業料が年間550000円で4年間で2200000円。全部合わせて3000000円。
大学の学費が飛びぬけて多いが、ここがキツければ、奨学金や教育ローンを借りることを検討しよう。
⑤教育費
ここが一番お金がかかると思われがちだが、最大限ケチることを考える。
まず、基本的に塾には行かせない。単に進学するだけであれば、通信教育と学校の勉強で十分。
・小学校
学校の勉強だけでも十分かもしれないが、小3から進研ゼミを取る。教材自体、よく出来ているし、
日常の勉強はこれだけで十分。なお、中学受験はさせない。国公立でも、旧帝大以上を目指さなければ
公立コースで十分なので。費用は年間6~7万円程度。小3~小6の4年間で300000円。
・中学校
引き続き、学校の授業+進研ゼミ中心で。学校の授業+進研ゼミで、地元の公立2~3番手くらいは狙える。
進研ゼミの費用は年間7~8万円程度で、中1~中3の3年間で250000円。
・高校
地元の公立の2~3番手以上に入れば、進学校ということになるし、きちんと大学受験対策をやってくれるので学校の授業だけで十分。
ただし、学校の先生がハズレの場合もあるかもしれないのでスタディサプリは取っておいた方が良いかも。スタディサプリの費用は月2000円弱で、年間2万円くらい。3年間で60000円。
①~⑤の合計が、13500000円。1年あたりの平均で見ると、613,636円。これを高いとみるか安いとみるか…。
でも、節約プランを取れば、子供1人に対して2000万円かかることは無いし、そこまで家計を圧迫するものでは
ないような…。子供を育てる費用の大半は、養育費と大学の学費になりますが、子供が高校生以上になればバイトさせれば良いし、
大学も奨学金を借りれば良いので、そんなに心配しなくても…という気もします。
まあ、子育てって、それなりにお金はかかりますけど、お金がかかるからって、子供を作るのを諦める必要はないのでは?と
感じます。
あと野菜には、わすれちゃいけないミネラル(カリウム・鉄分・マグネシウム)も入ってる
塩味を「塩辛く」感じさせないから手軽においしく塩分(この場合ナトリウムね)が補給できちゃう
(マルチミネラルサプリメントにはナトリウムはないぞ、高血圧の人も飲むからね)
努力を質や成果に転換することは非常に重要で、それが無い努力には基本的には意味がない。
それは厳然とした絶対事実であって、我々はその事実を厳粛に受け止めなければならない。質に転換することのない無為な努力に対して、我々は常に自戒しなければならない。
しかし具体的にどうすれば努力が質なり成果なりに転換するのかと言うと難しい。努力の転換、あるいは変換、その神秘さえ分かれば我々は今いる場所よりもずっと遠くに行けることに間違いはないのだけれど。
技術的特異点という言葉はSFの筋書にのみ使われるのではなく、現代において現実味を帯びて語られている言葉でもある。AIが自分よりも優れたAIを無際限に産出し続ける状態へと移行すること、これが技術的特異点である。これが実現すると、AIは無際限に進歩を遂げることとなり、その高度さは到底人間の及ぶところではなくなる。
努力的特異点というものがあるとすれば、恐らくそれは、努力が努力の質に対して向けられ、無際限に努力の質が進歩していくあるポイントのことを指すのだろう。努力を続けることによって、努力の質自体をより良質なものへと転換していくことのできる努力。そんなものがあると良いのだけれど。そんなものが本当に存在するのだろうか。
逆に考えてみよう。短期的に効果はあるかもしれないが、やればやるほど努力の質を下げていくタイプの努力。そういうマイナスの努力というものは実際に存在する。例えば、過度にカフェインを飲んで集中力を高めた状態で何らかの目的に取り組むこと。時にこういう努力は短期的な成果に繋がるけれど、一方でカフェインによって酷使された肝臓やら副腎やらは徐々に彼の努力の足かせとなっていく。つまり、これは努力の質を下げるタイプの努力であると言えよう。このような努力によっては、努力的特異点に到達することは夢のまた夢である。
逆に、努力の質を上昇させる努力というものが存在しているとすれば、それはどんなものであろうか。そして実際に存在し得るのであろうか。
結論から言えば、そのような努力は恐らくは存在している。つまり、先程の努力の逆を考えてみれば良い。体の状態を悪化させる一種の薬剤やサプリメントとは逆に、身体の状態を良くする栄養価の高い食事や深い睡眠、好ましい人間との有意味な会話、適度な運動、適度なストレス、そういったものが人間の努力の質を高めることには論を待たない。こういう努力は、努力の質を漸進させる努力、人を努力的特異点へと誘なっていく努力であると言って相違ないだろう。
とは言え、そのような努力はあくまで補助的であり、また、そのような努力によって漸進される努力の質にも限界はある。そういう意味で、もっと質の高い、努力の質を高めるための努力が必要になっている。
最近分かってきたのだけど、この「努力の質を高める努力」に有力なのは、「脳のモードを切り替えること」だと気付いた(気がする)。
脳のモードを切り替えるというのはどういうことかと言うと、例えば、ある時に文章を書いている。文章に集中することによって、その文章を書いている人間の脳味噌は文章モードへとシフトしている。そのようなモードは、きっと人間が料理モードに入っている時とは異なっているはずだ。
このように、とある事柄に対して集中し、ある種の「モード」へと入り、然る後に、例えば絵を描くことなり将棋の棋書を読むことなりといった別の「モード」へと、脳を切り替えること。
こういう努力の仕方が、恐らくは努力の質を大きく高めることへと繋がっていくのである。と最近になって感じた次第である。
ちょっと話は変わるが、漫画『おおきく振りかぶって』にて、野球選手の故障について語られるシーンがある。野球選手の故障は何故起きるのか、また、どのようにして防ぐことができるのか、という重要な質問に対して、作中で以下のように語られている。
つまり、野球選手は左右の筋肉のバランスが崩れがちであることが、故障の原因なのではなかろうか、と作中では結論されていたのである。
例えば、右投げのピッチャーは当然右腕を酷使する。その結果、左右の筋肉の配置のバランス、あるいは骨格の配置のバランスが、非対称になる。筋肉や骨格のバランスが崩れる。
本作によれば、このバランスが崩れた状態こそが、選手の故障を招きやすい状態であり、少なからず故障の原因となりうる状態なのである。
そのため、右投げの選手は左右の腕に同様のトレーニングを、左右対称的に施すことによって、筋肉の対称性とバランスを保ち、故障を予防することができるのではないか、と作中では仮説が述べられていた。
例えば、テニス選手は野球選手同様に手足を酷使するが、バックハンドとフォアハンド双方の筋肉を鍛えるため、バランス良く筋肉が育ち、故障しにくい対称的な骨格と筋肉を手に入れることができるのである――とも作中では述べられていた。
当然ながら、あくまでこの「左右のバランスを保つことによって故障を回避できる」という説は仮説に過ぎず、検証が必要な仮説であり、すぐに信用することはできない。
とは言えこの仮説においてポイントとなるのは、ある行為をする際に、直接的に使う筋肉以外の筋肉を育てておくことが、時に重要になるのではないか、という主張である。右投げの投手が主に使う筋肉以外の筋肉、例えば左腕の筋肉が、右投げの選手の身体運動において補助的な効果を発揮するのではないか――それも、好意的な効果を発揮するのではないか――という主張。大元の仮説の当否には怪しいものがあったとしても、このような主張は興味深く、特筆に値するポイントであるように思われる。
それを踏まえた上で、話を元へと戻す。
つまり、脳のモードを切り替えて、様々な脳のモードを鍛えることによって、ある物事に集中する際に際立って用いられる脳の部分『以外の』部分も鍛えられ、そのような努力によって、例えば文章を書く際に際立って活性化される脳の部分『以外』の部分についても鍛えることができ、そのような一見直接的に関係なく連関の無い脳の鍛え方が、却って補助的に、ある分野の知的活動に寄与するのではないかということなのである。つまり、文章を上達させたいのであれば、愚直に文章だけを書き続けるのではなく、様々な別分野の努力をすることで、様々な脳のモードを鍛え上げ、文章を書く際の補助的な効果を促進していくことが重要なのではないか、ということなのである。
かつて俗説で、人間は生涯において脳の三割程度の能力しか用いていない、というものがあった。このような俗説は現在否定されているが、翻って、脳はどんな行動をするにせよ『全体的に』用いられるものなのだ、という主張を導くことができるだろう。つまり、文章を書く際に活性化する脳の部位以外の部分も、文章を書く際にはある程度使用されている。となれば、このような部分について鍛えるために、例えば文章を書く以外の努力をすることが有力なのではないか、ということを私は言いたいのである。
絵を描く時には、恐らく脳の中には際立って活性化する部位があり、あるいは将棋やチェスを指す際にも、恐らく絵を描くために活性化する部位とはまた異なって活性化する部位が存在することになるだろう。そうだとすれば、様々な努力のモードを体験することは、脳の様々な部位を活性化させることに繋がる。したがって(あるいは翻って)、そのような様々な部位を活性化させる努力は、絵を描くことでもなく、将棋やチェスを指すことでもない別の行為をする際に、補助的な役割を果たすのではないか、ということなのである。
色々なことに集中して、モードを切り替える努力が、脳の成長には欠かせないのではあるまいか。それらの努力こそが、我らが努力的特異点に寄与する努力ということになるのではあるまいか。
占いを娯楽として楽しむ分にはいいんだけど、一歩踏み込んでいくと「根拠のない誰か(指導者と崇める人)を盲信する」に繋がり得るから、違和感というか危機感を持っている感じはある。
どうも女性が好みやすいもの、占い・サプリメント・カラー診断とか、スピリチュアル系はもちろんそうだし、一歩先に行くとカルトとか詐欺が待っている分野があるんだよなー。
脂質異常で再検査
やっぱり数値はあれこれ悪かった
毎回ひっかかるわけではないが、聞くと、ああ以前も引っかかったな…と思い当たる項目ばかり
栄養足りない自覚してから、高容量のものをしかも日に2度飲む、みたいなことやってたからなあ
そりゃ負担だろう
が、まだまだ異常に高い
動物性タンパク質を植物性タンパク質に切り替えるといいらしいが、肉や卵をやめて大豆はなんとも物足りない あと料理しないので面倒くさい