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はてなキーワード: AT互換機とは

2023-09-22

anond:20230922193200

日本人でも古い人間相手だと、PC-AT互換機以外をPCと呼ぶなとか言われたりしそう

2023-07-24

PCエンジンのおかげでNECPCが人気だったわけがない

きっかけはこちらのツイート

https://twitter.com/gamerobotlov/status/1682435734320607232

#NECアベニュー は

PCエンジンで様々なゲームを発売していた

この影響で90年代2000年代

NECPCが凄く人気でした

#PCエンジン #レトロゲーム #NEC

これには一般オタク老人会からも総ツッコミさらPCエンジン関連の開発者たちがツッコミ

https://twitter.com/Shingi/status/1682503628479946758

https://twitter.com/hor11/status/1683076902591037440

https://twitter.com/snapwith/status/1683084722354917377

もちろん「この影響で」というのは当時を知っている人間であれば完全なガセであり否定されて然るべきものなのだが、このオッサンが一切認めようとしない。

いわく「80年代からPC-88/98が圧倒的シェアだったと言ってもそれは一部の富裕層オタクだけのもので、一般に普及したのはWindows95以降だから間違ってない」だの「2000年NECシェアが高かったのはネット記事にそう書いてある」だの、まあ一部の視点については完全には間違ってはいないんだが、肝心の「PCエンジンの影響で」という部分がソースもなにもない思い込みなのだから始末に負えない。

そもそもWindows95以降に爆発的に一般層に普及したといっても、まだまだPC業務のものであり、コンソールゲーム機の影響でPCが売れるなんてことは仮にもなかった。

https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010222/idc.htm

オッサンが挙げていたこちらの記事においても、出荷実績1,400万台中家庭向けは約50%の724万台だったという。

シェアトップ3のNEC富士通日本IBMといえばビジネスPC御三家であるから、台数のうちかなりの割合業務用だろう。

家庭用のうちNECシェアがどのくらいあったかだが、これがWindows以前のPC-98全盛期なら90%くらいあったんじゃないだろうか。体感だけど。

Windows以降になると、NECPC98-NXというAT互換機に移行するのだが、他の互換機との差別化は難しいため埋没していく。

それでも広告店頭販促はかなり打っていたので雑誌ショップで見かける機会は多かったが、NECシェアを取っていた感覚はまったくない。自分の周囲を見てもほとんどがソニーVAIO、でなければソーテックコンパックあたりの廉価機だったと思う。iMacが爆発的に売れたAppleシェア無視できないほどあったように思い出される。

さらにいうと、2000年頃は自作ブームだったのだ。98年頃のCeleron 300AやK6-2ブームを経て、2000年頃はPentiumIIIやAthlon流行だった。メーカーPCを買うより圧倒的に安く組めたので、自分もこの頃は自作機だった。

https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20001122/nmb14.htm

こちらの記事によると自作PC市販PCより2倍も多かったとあるPC Watch読者だからある程度マニア層のアンケートとはいえ驚きである

ということで、「90年代2000年代NECPCが凄く人気でした」というのも家庭向けに関してはかなり怪しいし、ましてそれがPCエンジンの影響であるなんてことは誰が聞いても「?」となる話なのである

前述の通り90年代前半ならPC-9801/21のシェアは圧倒的だったはずだが、本人が「PC-88/98はマニアしか買ってないから論外」って言ってるんだから除外すべきだろう。

なぜ(当の開発者たちに否定されてまで)PCエンジンのおかげでNECPCが売れたことにしたいのかはわからない。話が通じないから深掘りすることもできない。

自分チャンネル誘導したいか炎上上等なのかガチなのかはわからないが、あまりの無敵ぶりに開発者たちも苦笑いしながら撤退するしかなかったようだ。

久しぶりに高齢者オタクが沸き立つ事件であった。

2022-09-07

anond:20220907015158

98は本体前面下部の蓋を開けてDIPスイッチを弄って設定していたような記憶がある

当時のPC-AT互換機DOS/Vはまだ無かった)は触ったことが無いのでわからん

2020-09-10

AT互換機とか、マイクロソフトとかですね。アメリカシリコンバレー私企業が作っているソフトがありまして

だじーん だいじーん

アメリカ企業が作った日本企業のPC9801シリーズを打ち負かした、AT互換機MSといいうのがあってですね。

これが日本でも主流を占めているので、アメリカの規格を取り入れて

だいじーん だいじーん

ですからアメリカパソコンをですね。大臣日本お金アメリカの規格を日本小学生に教えるというですね

だいじーんまってー せつめいさせてくださーい

アメリカの規格を日本お金日本小学生に だいじーんまってーAT互換機というNECの規格を日本で塗り替えたAT互換機をですね だいじーんまってー せつめいさせてくださーい

2019-03-18

anond:20190318192117

AT互換機ノウハウがあるから寄せ集めでもフルスペック出るけど、電子基板一般には試作品だと異常発熱とか干渉機能制限とか早期故障とか普通にある

んで試作型と初期量産と後期量産で部品構成微妙に違ってドライバが書き換わってたり、制御計算式が完全に入れ替わって電源回路の出す音が変わって出力リミッターが大幅に緩んだりする

2018-12-10

ニンテンドースイッチって付属品を買い足し放題だな

なんでそんなに関連グッズがあるんだよっていうくらい家電量販店には棚がある。

いろんな組み合わせが楽しめてワクワクさせるのがうまい

AT互換機流行たころもそんな感じだったのかな(遠い目

2018-10-20

anond:20181020200039

日本ではAT互換機(DOS/V)が流行する前に一瞬だけAXマシンがあったよね

そのころにWindows3.0を使った思い出

2018-02-12

anond:20180212132016

AT互換機ってそんな安いの!?」ってのがほんと黒船だったんだよな

2014-08-15

The history of mobile computer

1989年東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界最初ノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成した。

1990年代中頃から国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコン出荷台数デスクトップパソコンを追い越した。

2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPad代表される新しい形態携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。

とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝代表される日本企業業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。

1980年代中頃:ラップトップパソコン

ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。

1984年 NEC PC-8401A

1985年 東芝 T-1100 海外のみで発売

1986年 東芝 T-3100 日本ではJ-3100

1986年 NEC PC-98LT

(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池フロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。

T-1100の仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大512KB

ディスプレイ:80文字×25行(640×240ドット)

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵

キーボード:83キーフルストローク

電池:ニッカド電池、8時間の動作可能

IBM-PC互換

サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg

1980年代末:最初ノートパソコン

最初ノートパソコン1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。

1989年 東芝 Dynabook J-3100SS

1989年 セイコーエプソン PC-286NOTE

1989年 NEC PC-9801N

発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初ノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。

J-3100SSの仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)

ディスプレイ:ELバックライト液晶

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)

電池:2.5時間使用可能なバッテリパック

・電源リジュー機能提供ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機

サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)

1990年代前半:IBM・アップルの参入

1990年代に入ると、IBMとアップルノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成したといえよう。

1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載

1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー

1991年 アップル PowerBook 170 世界初パームレストトラックボール

1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)

1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA

1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ表計算などアプリケーションをROM内蔵

1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶世界初トラックポイント装備

1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池駆動

1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート

1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載

1994年 アップル PowerBook 520 世界初トラックパッド採用

1990年代後半:国産各社のノートパソコン参入と普及

1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいこから人気が高まり2000年にはノートパソコンデスクトップパソコン出荷台数を上回る状況になった。

1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用プレインストールソフト多数

1995年 シャープ Mebius CD-ROM内蔵

1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量

1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート

1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート

1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学トラックボール搭載

1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)

2000年代前半:小型化、軽量化、長動作時間化の競争

2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的モバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。

筺体の軽量化

軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。

スリープ機能の高度化

パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。

SSD(Flash Solid State Drive)

SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要ノートパソコンに適している。しかし高価格である2004年から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。

ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格競争が進むのに伴い、台湾中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業技術向上により、現地企業生産だけでなく設計委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内生産している製品は、特に高度技術要求される小型の高機能パソコンに絞られるようになってきた。

2000年代後半:ノートパソコン多様化

2000年後半には、ノートパソコン多様化した。ディスプレイサイズ区分すると、次のようになる。

ディスプレイサイズ(インチ) 解像度 特徴

7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17

───┬─── ─┬─── ──┬──

│ ──┬──│──┬── │

│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイル意図せず高機能

│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用

│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準

│ サブノート 1280x 800 軽量を重視したモバイル

ミニノート パソコン全般機能ではなく、Web利用などに特化

ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視

ネットブック 1024x 600 初期は安価目的

シンクライアント、セキュアクライアント

シンクライアント(Thin client)とは、処理機能サーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。

1996年 オラクルシンクライアント概念提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。

1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表

1997年 マイクロソフトWindows CEベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表

それが2005年から外部記憶装置接続ができないこと、パソコン情報が残らないことが、セキュリティ観点から重視され、パソコンメーカーシンクライアントを発表、多くの企業採用検討するようになった。

2005年 日本経済新聞日立製作所パソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。

参照:日立「「日立パソコン利用全廃」記事に関しまして」

2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷

2005年 NEC MateシンクライアントVersaProシンクライアント 出荷

ネットブック

ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである2005年頃、発展途上国教育分野にインターネット活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産支援団体等を通して提供する計画が進んだ。

ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンマシンとしての重要が高まり2008年から、その用途目的とした機種も出るようになった。

2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来目的用の例

・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価

記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載

ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャ採用して、パソコンとの互換性あり

iPadの出現

タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。

2010年アップルiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。

2008-07-29

アキバオタが非オタ彼女アキバ世界を軽く紹介するための10店

via アニオタ非オタ彼女アニメ世界を軽く紹介するための10本

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数の秋葉原オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分の秋葉原を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない秋葉原世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、秋葉原のことを紹介するために

見せるべき10店を選んでみたいのだけれど。

(要は「もえるるぶ」の正反対版だな。彼女秋葉原布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「電気街口」なので、時間的に過大な負担を伴う昭和通り口、万世橋の向こうは避けたい。

できれば中央通り、遠くても蔵前橋通りにとどめたい。

あと、いくら秋葉原的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

秋葉原好きが『東京青果市場』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

秋葉原知識はいわゆる「素敵なサムシング」的なものを除けば、ラジオ会館ビットインは知っている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

とらのあな吉田博高社長

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「とら以前」を濃縮しきっていて、「とら以後」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。店舗も隣同士だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な店について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

石丸電機(近藤正弘社長)、ラオックス山下社長

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな店(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

秋葉原としてはこの二つは“家電量販店”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

秋月電子辻本昭夫社長

ある種のマイコンオタが持ってるチップへの憧憬と、18時閉店のオタ的な営業へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも秋月的な

童貞的なださカッコよさ」を体現するトランジスタ

童貞的に好みな女」を体現するオペアンプ

の二つをはじめとして、オタ好きのするパーツを店内にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

マハーポーシャ(山際永三・山中幸男:Y2PC)

たぶんこれを見た彼女は「超超超超激やーす」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜のチェーン店がその後続いていないこと、昔、格安AT互換機を売っていたこと、

アメリカならdellになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

ソフマップ野口社長

「やっぱり秋葉原PCのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「TSUKUMO」

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この店でかける「HELLO,SOFMAPWORLD」のアレンジが好きだから。

断腸の思いで削りに削ってそれでも11店舗、っていう店数が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

ソフマップの無軌道な店舗拡大を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが

ビックやヨドバシだったらきっちり本店に集約してしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて時空館を作ってしまう、というあたり、どうしても

「自分の在庫を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ野口がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。買い取り自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

ぷらっとホーム(故本多弘男会長

今の若年層でぷらっとホームに行ったたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

Linux Cafeよりも前の段階で、本多哲学はこの店で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティの店が秋葉原でこの時代に売っていたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくLinux好きとしては不思議に誇らしいし、

すがやみつる看板でしかオヤジを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

ダイナミックオーディオ(川又利明店長

ダイナの「画」あるいは「音づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「どうせiPodで128kbps ACCを聴くくせに、やけにヘッドホンに拘る」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそSTAXSR-007』の試聴ダイナミックオーディオ以外ではあり得なかったとも思う。

「買えもしないヘッドホンを被る」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源はダイナミックオーディオにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

サンボマダム

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうサンボ風味の牛丼をこういうかたちでサンボ化して、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

涼宮ハルヒの憂鬱石原立也監督

9店まではあっさり決まったんだけど10店目は空地でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。

とらから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ヨドバシ以降の秋葉原時代の先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい店がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10店目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

 
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