はてなキーワード: 関東とは
カイカーッス
暑さ寒さも彼岸までと昔の人は言いましたが、少しずつ暖かくなってきましたね。
まだ長袖は手放せませんが、あまり厚着をしすぎるとじっとりと汗が伝うこともあります。
徐々に過ごしやすい天気にはなっていくのでしょう。天気だけならば。
さて、先日はまた大きな地震がありました。少なからず犠牲者の方も出ており、関東でも結構な世帯が停電になったとニュースになっておりました。
相変わらずこの国は天災に悩まされる毎日であり、皆様も一層気を引き締めて過ごしておられることと存じます。
毎日役にも立たない訳の分からない話をし続ける私にはそんな皆様方の一助となる能力もなく、当たり前のような話を雑に提示して自己満足に浸ることしかできません。
流石に緊張ばかりの世の中のクッション代わりになれたらいいな、なんてのは自惚れすぎですし、クッションにするにしては余計な砂利が混ざりすぎてる気がしますから。
ということで本日は【休憩時間の確保よいか】でいきたいと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4716640274949909346/comment/Edge_Walker
いちいち相手に指摘はしないけど、関西人が喋る標準語を聞くと、関東人ではないなとすぐ分かる。
韓国人が「韓国人は英語の発音がネイティブ並みに上手い」とか自画自賛してるけど、実際は韓国語訛り丸出しなのと同じ。
「シュートゥ!! ファイティン~!!」とかそんな英語の発音ねぇよ、っていう。
っていうか、前々から思ってたんだけど、関西人(特に大阪人に顕著)と韓国人って、あらゆることにおいてものすごく共通点が多いと言うか、気質が似てる点が多すぎるのよね。
なんでだろ?
インターネットサーフィンに勤しんでいる人なら一度は聞いたことがあるかもしれない「イヤンホホ」という言葉。
イヤホンを気の抜けた音で言い換えたこの言葉は、実は東日本大震災から3日後の2011年3月14日に2ちゃんねるの雑談掲示板から生まれました。
当時、そのスレッドではアクセス元(主に都道府県)の表示があり、今でもログを見ると当時雑談掲示板に書き込みが出来た地域、そうでなかった地域がわかります。
当時仙台にいた私の家では電気が遮断されていたので、震災後しばらくたってからこのイヤンホホという言葉を知りました。
最初はキャッチーで面白い言葉だと思ったのですが、この出自を知ってからイヤンホホという言葉を目にするたび、震災時に東北地方抜きで面白がって不謹慎なネタも飛ばして盛り上がっていたような関東・西日本の人間が作った言葉なんだよなと思ってしまいます。
よくTwitterを見ていると中学受験で辛い思いをした、貴重な遊びの時間を勉強に充てて苦しい思いをした、というネガティブな話ばかり流れてくる。
生存バイアスの逆、というものはあるのだろうか、苦しい思いをした人の話ばかり流れてくるが、少しの才能があれば別に何も大変なものではない(ちょっとお金がかかるくらいである。)
私個人としては、中学受験は全く苦労せずに地域トップの中学に合格したし、そもそも地元の公立中学に行きたくなかったし良いこと尽くしだった。
中学受験するより公立から優秀な公立高校行った方が大学受験良いよね〜なんて話も聞くが、そもそも大学受験目的で中学受験をしていない。むしろ高校受験も無いから中学時代はずっと遊び呆けることが出来たし、内申なんてものも気にしなくてよかった。中学3年時点で下位20%くらいの順位だったが、国立医学部にも合格した。流石にずば抜けて優秀ではなかったので中堅どころだが…。
田舎のことを全く知らない都会の人が都会の公立中学を見て底辺を語るなら笑ってしまう。
なんてことを書いているとやっぱお前中学受験したせいで性格悪いじゃんと言われてしまうのでこの辺にして
ではそもそも中学受験するには本当に苦労して勉強づけの日々を過ごさないといけないのか?
そもそも中学受験をしてまともな中学に行く人間なんて、大抵小学校のクラスじゃ1番のちっちゃな頃から優等生で、他の人が2時間かかる学校の宿題を15分で終わらせられたじゃないか。その余った時間を余分な勉強に充てているだけだ。
週に何日か塾には通わないとは行けないが、他の人がサッカーや習字やピアノの習い事をしている時間をちょっと塾に割かないといけなくなっただけだ。(もちろんそれらを習ったまま受験する人もいくらでもいるが。)
たまたま習い事の選択肢として、Aちゃんはピアノとそろばん、Bくんは水泳と習字、私は塾という選択をしただけである。今になってピアノを弾ける人カッコいいなあって思うけどね。
とは言っても、6年生になれば土日は潰れてゲームをする自由時間はたくさんあるものの友達と遊ぶ時間は中々確保出来ず、1年ほどは本腰をいれて勉強しなくてはならない。
ただここで勉強した分、高校受験する人が中学3年の時にたくさん勉強していたタイミングでひたすら遊び呆けていただけなのだ。
中学受験は極論、受験のタイミングが小6にあるか中3にあるかという違いでしかない。
受験科目に英語も無いし内容も複雑でないし、なんなら高校受験より楽だと言っても過言ではない。(いや、流石に過言だ。ただ高校受験における内申点とかいうゴミみたいな制度を聞くと、やはり過言ではないのでは…?)
失敗した時に浪人が出来ないのも同じだし、最悪失敗したら公立中学に行くという手がある中学受験と違って、高校受験は失敗したら詰んでしまわないのだろうか。二次募集の高校に行くのと公立中学に行くのとでは流石に意味合いが違う。
私が「中学受験をしたんだ」と言うと、「そっか、大変だったんだね〜」と哀れみの目で見て、中学受験をせず大変な思いをしなかった自分を肯定するのを辞めて欲しい。
私だって大変な思いはしていない。
※
私の地域は違うのだが、関東などでは?私立中高一貫校は土曜日にも授業があるのが当たり前らしい。それで「大変だったんだね〜」と思うらしく、大学に入ってから大層驚いたのだが、それならば仕方ない。