はてなキーワード: 自己愛性人格障害とは
単に自分の心との調和が取れず、メンヘルになっているだけ。桜並木を散歩でもしながら自分の心と対峙してみるといい。勝つ必要なんて無い事が良く分かるから。そもそもマトモな人はネットで活動なんてしないしね。
指示ミスを言ってないって言い張るし
怒鳴ったことすら忘れてるし
アンガーマネジメントの本を買ってみたけど流石に理不尽すぎることに対しては役に立たなかった
あれは人の上に立っちゃ駄目な人だから更に上司の方々はちゃんと選んで下さいお願いします
こっちが改ざんしてるくらいの反論までされるとそれはあなたでしょってなった
追記:いろいろ調べて自己愛性パーソナル障害の上司によるモラハラらしいと分かった
「平気で嘘をつく」「そんなことは言っていない」「気に入らないことを昇華できずに大声をあげる」「非を認めず謝らない」
「非を指摘されると相手の受け取り方のせいにする」など当てはまりすぎる
逃げるしか無いらしいので逃げるけど、万が一本人や似た人が見てたら
身の回りに家族も含め善玉サイコパスと自己愛性人格障害だとおぼしき人が何人かいる
知能が低ければ自己愛性人格障害的な症状が出て、知能が高ければサイコパス的な症状が出るのではないかと思ってる
自己愛性人格障害は自分からボロを出すため、洗脳されてる人以外から見ればどう見てもクズであることがザラだが
サイコパスの方は一見アスペっぽいけど無害な人に見えるので対処が遅れ、自己中な行動に振り回されることになる
いろいろ試して効果があったのはサイコパスの得意分野で彼らの鼻を折ることである
例えば知り合いの善玉サイコパスは議論が得意で何かと自分の意見をゴリ押ししてくる
話しの内容はくだらないことばかりだが無駄に頭の回転が速いのでついていくのもめんどくさく普段は聞き流していたのだが、
あるときこちらも機嫌が悪く議論に食らいついてみたらそれ以来サイコパスの方からある程度の距離を置いてくれるようになった
こう書くとサイコパスのことを嫌っているように思われるかもしれないが相性が悪いだけで嫌っているわけではない
彼らは衝動に突き動かされやすいだけで明確な悪意をもっているわけではないからだ(ただし善玉に限る)
それに彼らは仕事においては有能で間接的に社会に利益をもたらしていることが多いのではないかと思う
知り合いのサイコパスはその(戦闘本能と)交渉術が重宝され、某海外企業で数千万稼いでる
ちなみに類は友を呼ぶで彼女のまわりは自己愛の強い人間ばかりである
それで衝突するかと思いきや意外にも楽しそうにやっててこれがまた興味深い
人生の中で、不意に強烈なジレンマを感じるときがあった。それがつくづく不可解だった。
こちらのことを悪く言う人間、他人を貶めずにはいられない人間、他人の不幸を喜ぶ人間について、どうしても、それが卑怯であるとか、浅ましいとか、自分は面と向かって言うことができなかったのだ。まるで口にガムテープを貼られているようだった。
自己愛性人格障害であったり、ハラスメント気質であったり、世間には、その妬みや劣等感を他人にぶつけて生きる人たちがいる。そういう人間に出会ったとき、自分はほどほどに苛立ちながらも、原因が相手の弱さだと分かっているのに、どうして苛立ちを払拭できないのか?と、疑問に感じていた。
専門家や先人たちはどう考えるのかと調べても、やはり、その弱さを攻撃することよりも、距離を置く、関わらないことが勧められていた。
しかし、どうして相手の弱さを攻撃することに強い忌避感があるのか、気付いてみれば簡単である。妬み、劣等感、不寛容、その反対は(恐らく)、祝福、自己肯定、寛容である。優しさは、他人への攻撃性の元となる弱さの反対側にあるのだ。相手の弱さを攻撃したい、するべきだ、と思うこと自体が、自分の弱さから来る。もしそうすると、相手と自分とは同じ高さで向かい合うことになる。
優しさがあるかぎり弱さを攻撃できないのなら、優しさを捨てない人間に勝利はないのか?もしかするとそうかもしれないが、しかし、それでは世の中はもっと強くネガティブに偏った勢力図のはずである。
恐らくだが、優しさはそれそのものが勝利なのではないだろうか?他人を攻撃し、他人がもっと弱くなることを願い、もっと不幸になればなるほど自らが悦びを得られる人々にとって、苦しみとは、自分がどれだけ貶めても、むしろ自分に対して優しさを失わない人間を目の当たりにすることではないだろうか?
すなわち、相手の弱さを攻撃するのは弱さそのものだと悟り、その優しさに自信と誇りを持つことこそが、人の心の弱さに対する真実の勝利であり、弱さと優しさの均衡を自らで保つ始まりなのではないだろうか。
「やったーこれで周りに合わせようと頑張らなくていいーみんな優しくしてくれる!」
ttp://cafe-counseling.com/knowledge/seikaku/kaihiizon/1.html
『回避依存症は(略)DV、モラルハラスメント、自己愛性人格障害、仕事中毒(ワーカホリック)、アルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存などの症状があらわれます。本当の自分を知られたら、みんなが去っていく、見放される、見捨てられる、という不安や、親密になって、自分が大したことのない人間だとばれたら困る、自信が無くなる、すごい人と思われていたい、といった感情から、人との間に距離を保とうとするのです。
誰も離れていかないし、本当のあなたを知ったからといって(略)離れていったり、嫌ったりする人がいたならば、それはあなたに問題があるからではなく、相手の問題なのです。(略)もしあなたが特別でなかったとしたとして、何の心配も問題もいりません』
http://anond.hatelabo.jp/20161031134842
自己愛性人格障害か何かかもしれないです。医師なので判断はできませんが(本人も病院に行かないだろうし)、そういうのでぴったり当てはまるものがあると、対応の仕方を考えて対策ができます。
以前働いていたところの上司がこれで、出張先で何の問題もない料理に難癖をつけ、店員を1時間怒鳴りつけるとかやっていました。こちらに対しての攻撃もすごかったので今は完全に離れて平和な日々を送っています。
その上司から離れてから自己愛性人格障害というのを知り、ああ、ぴったりだと頭が整理され、万一次に同じような人にあたったらどう対応するかを考えられるようになりました。
以前親しくしていた人がこのタイプの人のストレスで病気を悪化させて亡くなったのですが、その人も同じタイプだと思い当りました。
このタイプはとにかく逃げるしかないです。職場の人ではなく家族で、しかも年老いていたら大変だと思いますが、対応の仕方はあります。
2度目の休学に際して、ようやく気づいたことがあった。私は自己愛性人格障害を持っているのかもしれない。
昔から、実際の能力に反してプライドが高く、周囲に対して極端に高圧的あるいは卑屈な振舞いのいずれかしかとれず、そのくせ自分の能力の低さが露呈することを恐れて周りに助けを求めることができなかった。
結果、自分で自分の始末を付けることができなくなり、鬱を発症し、一度ならず二度までも休学して、実家の両親をはじめ、姉、研究室の担当教員、大学の同期、先輩、後輩といった多くの人々に迷惑を掛ける羽目になってしまった。
以前から「もしかすると自分は物凄く自己愛の強い人間なのではないか?」という疑いは心の中にあった。だが、それを認めるのが恐ろしかった。
情けない話だが、ここまで追い詰められるまで、本当に自分と、周囲と向き合うことができなかった。
現在24才になった。半期にわたる休学を2度行っているため、卒業は最低でも2年伸びることとなってしまった。
これからまだやり直せるだろうか。
やり直すにしても、周りに対してどのように今までの振舞いのけじめをつけるべきだろうか。