はてなキーワード: 学問とは
A:精神的充実を得られていないと感じている人
どれも一定以上の学問をおさめていて(使ってる言葉、作文のお作法)
いよいよとなったら公的な手続きが可能なラインの知能・解決能力は有してる
ネタでなくマジで助けが必要なら病院やカウンセリングを利用するべきだと思うし
(ネタでないのなら)おそらく既に利用してると思う
B:知的に困難を抱えていて問題解決能力が無い。虐待が原因で問題解決能力が無い。病気・外傷が原因で問題解決能力が無い。
理解ある彼くんとか求めちゃったり、殊更生理アピール・女大変アピールしたりするのは『B』だと思ってる
例外的にある程度の学問をおさめていて外資や出版社に勤めていようが突如崩壊して
可哀想・怒ってるアピールのためだけに自分の子ども諸共死ぬことができる
アタシに寄り添ってくれない世界が悪い
「中国共産党が日本の学問の自由を浸食」専門家が危機感 北海道教育大の元教授拘束から2年:朝日新聞GLOBE+
これのブクマで、無理やり日本批判につなげる必死なはてサのコメントが酷すぎる。
[B! 中国] 「中国共産党が日本の学問の自由を浸食」専門家が危機感 北海道教育大の元教授拘束から2年:朝日新聞GLOBE+
私も自民党政府が完璧で素晴らしいとは言わないが、学者が政治的な発言によって逮捕収監されたり、行方不明になることなんて日本では無い。
せいぜい、干させるぐらい。干されることが禁止だっていうなら、アメリカのスポイルズ・システムなんて干すことを制度化しているようなもんだ。
それとも立憲が政権取ればが大月隆寛が復職し、呉座勇一がテニュアになり、高橋洋一が内閣官房参与に復帰するのか? そんなわきゃない。都合の良い学者を起用するだけだ。
id:grdgs 自民党も都合の悪い学問に抑圧の動きを見せている。自民党と中共は本当に似た者同士だよ。って事実を書くと、自国の話をするなと言う者達がワラワラと出るのも中共と同じ。日本保守と中共は本当に似た者同士だよ。
おいおい。確かに、自民党は政権に批判的な学問に対して否定的な立場だ。だが、文科省の官僚が、ジェンダー学者や社会学者、左派の歴史学者のの科研費をいきなり切ってるか? そんなわきゃない。それとも、政権に批判的な学者の首切ってるか? それも当然に無い。
id:RRD 中国共産党だけが事実の掘り起こしを嫌うんじゃない、全ての権力が嫌う。だから特に文系の学問は権力と対立する宿命を持つ。これを日本の権力に反すると叩くヤツが、中国の権力に反すると喜ぶのよ。付き合えるか!
まず、大学教授だって十分に権力だ。それに、事実と評価を切り分けずに、学問を僭称して道徳警察ごっこ政治ごっこやっている連中が何を偉そうに言ってるんだって話だ。
id:quick_past 日本の学問に最初から自由なんて無いよ
そもそも、完璧な自由なんて言うのは無いが、こんなのただの因縁付けだろう。中国やシンガポールにでも行っていろいろ味わってきたほうがいいんじゃない?
特に学校教育で、(他の優先するべき学問や修学がありそうななか)学ぶ必要があるのか? こんなことが昨今話題になる。
さっき2秒くらいで考えた個人的な所感を以下にまとめてみる。
古典を捨てると、たとえば以下の様な日本語表現のニュアンスを永久に失うことになる。
これらのタイトルがなぜ、現代においてなお「風が立った」とか「過ぎ去った時を求めて」とならなかったのか。
私たちはほぼ古典文法を捨てた。けれどもそこに何か、わずかだが何か、現代文での同文の置き換えとはならないニュアンスを込めている。
おそらく古典の学習は時の流れの中で規模を縮小する運命にあるだろう。学校教育で多くの人が習わなくなるのなら、商品などの表題には付けにくくなる。
そうなるときっと「風立ちぬ」と「風が立った」、「過ぎ去りし時を求めて」と「過ぎ去った時を求めて」とのニュアンスの差異に日本語使用者が完全に不感応になる。
https://twitter.com/nanai_komusai/status/1397122109319483393
これ。
もうウンザリよ、なにこれ?
"サンは15才、僕の考察では当時が建武元年(1334年)その15年前となると元応元年(1319年)これは後醍醐天皇即位の年でエボシと後醍醐は関係があったと考えるからサンの父親は後醍醐天皇ということになる"
なにこれ?
なんの妄想?いや、妄想なら妄想でいいんよ、問題はこれを学問っぽくペダンティックに書いてるのがウンザリ。
この引用文の証明だけで、本来は論文一つ書けるんよ、ちゃんとした学問やるなら。
それでようやく次のステップに進むんよ。
じゃあ当時の後醍醐とエボシに交わりがあったのかを仮説立てて検証するわけよ。
タタラ場の場所とか、エボシの出生、経歴とか、後醍醐の巡幸ログとか引いてな。
それを「僕の考察では」でもう前提として始めるわけ。
どおなっちゃってんだよ?どおなっちゃってそこまで事実と仮定と妄想をごっちゃにしちゃうのよ?
いや待て待て待て、それどこ情報?って。
それ置いてけぼりにして、物語の構造を飛躍中の飛躍でぶっ飛びこじつけ始めるわけよ?
もうその論の足元には何ひとつテクストからの積み上げがないわけよ。ぶっこいてるやつの精液しか落ちてないわけ。
どういう自己肯定感あるとここまでの妄想を、さも新説や確定事項のように語れちゃうわけ?
その後も言うてること何もかもめちゃくちゃなわけよ。
点と点が線になってないのに、曲げて線にしちゃってるんよ。
妄想は妄想らしく扱ってつかあさい、説とか考察とか言わないでね、ウンザリしちゃうから。
こんなんに踊らされて、ハハアと唸ってる奴らも、知性やべーぞ。