はてなキーワード: 同性愛とは
「ゴロゴロ」と言っていいほどはないよ
特に二次創作は「キャラを愛していること」が前提になるからそういうのは嫌われがち
(勿論「嫌われようが何だろうが描きたいから描いてる」って人もいるけど)
BLって「主に女性向けの男性同性愛創作」の総称だから内容は多岐に渡るんだけど
(「主に男性向けの異性愛創作」だって多岐に渡るだろう、それと同じ)
有害図書指定されたBLが酷かった!って、そりゃそういうのだから指定されてんだよトートロジーだろよと…
少女漫画が叩かれた時も同じ、わざわざ過激なものの中でも過激なページだけ切り取って今の少女漫画はこんなにエロい!ってやってたな
エロく見える漫画web広告と同じ手法、そういうシーンだけ取り出してエロ漫画と認識させるけど全体を読むと全然エロくないという…
>BLはよいが男性向けはダメ/男性向けはよいがBLはダメ(ダブスタクソ親父!)
そもそもエロ表現と同性愛表現は同等ではないけれど、それはそれとしてこの前者を掲げる規制派フェミニストの思考回路は想像に難くなかったりする。
男性に都合の良い女性キャラクター造形というものは以下に並ぶものだと考えているから。
これに加えて『差別表現はゾーニングされていようが許されるものではない』という考えが加わる。
たとえゾーニングされていようと「ホモ」「レズ」「NL」という差別的と捉えられる単語が許されないのと同じ。
その上で、フェミニストらのBL擁護とは「社会における男女の性差」を考慮した上で、女に都合の良い男性キャラクター造形というものは『男性への性差別になり得ない』というものである(まあこれが「モノ化」云々やね)
もちろん短絡的に、海外被れで規制派になっているようなタイプもいるだろうけど……基本的な規制派フェミニストの思考回路はこんな感じ。
ㅤ
自分はゾーニング自体は表現規制ではないと思ってるから、ゾーニングは前提で書いたけどこうやって書くと事態は更に深刻なんだよな。
一部フェミニストの間ではもはや「隠せ」ではなく「描かせるな」に至っている。
とても気持ち悪い。
作者の性欲と読者の性欲、それを駆り立てて商売にしたい出版社の思惑だけがある。
だが私の性欲は全く刺激されない。
こんなものに金を払う人がいるのが信じられない。
でも売れているらしい。
理解不能だ。
だがこれが「Not for me」なのだ。
昔はあえてスカトロモノのAVを借りていたが、流石に苦痛すぎたし段々と「つまり羞恥プレイなんやな?」って理解できるようになってきてしまったのでBLに乗り換えた。
完全に理解できない。
これは私が同性愛を否定しているのではなく、男性に対して性欲を一切感じないからだ。
だがそのうち私も「つまり……エロの濃度を無駄に濃くした情緒のないタイプの百合と同じなんやろ?」と理解してしまうようになるのだろうか。
そうしたら今度はババァ介護モノのAVでも借りることにしよう。
「Not for me」の感覚は絶対に身に着けないといけないので、絶対に年1回は自分から自分にとっての駄作に飛び込む必要がある。
ネットで話題の作品が合わなかっただけでは、自分が単に疲れているだけなのか、本当に合わないのかが分からない。
いくら公言していなくても、なんとなくこの人同性愛者かな?って雰囲気というかオーラがあるじゃん?
それで、気になって聞いてみると、案外同性愛者だったりするわけ。
本人は、別に大っぴらに公言もしないけど、別に隠してるそぶりもなくて、友達に教えてもいい?って聞くといいよっていう。
ただそれだけのことですよ。
ネットで同性愛について意見する異性愛者あるある。「私には同性愛者の友達もいるし偏見はない」とか「俺の友達も同性愛者だけどこう言ってた」みたいな、【自分には同性愛者の友達がいる】という枕詞をつけて語る人いっぱいいるよね。
同性愛について肯定的で理解者面したい人がよく使っているイメージだけど、否定的で差別意識を隠さない人も使っているときがある文言。こういうのを目にするたびに思うんだけど、同性愛者の友達ってそんなに当たり前のようにいるもんか?
そりゃ自分が同性愛者であれば、同性愛者の友達がいるという人も多いだろう。同性愛者が集まるコミュニティを探して出会って交流をもてばいいわけだから。今はSNSが盛んな時代だから、ネット上だけで仲良くする友達ってのもいるだろうし。
でも自分が異性愛者の場合、普通に生きてて日常で同性愛者と出会うってこと自体がレアじゃないか?いや、知識としては、同性愛は決して珍しいことではなく、クラスに1人とか10人に1人くらいの割合で同性愛者がいるらしいってことは分かってる。だから自分のまわりにも同性愛者はいるんだろうなとは思う。ただ、誰が同性愛者だとか知る機会ある?
LGBTとか多様性みたいな話題がかなり身近になっている今、一昔前に比べたら「私は同性愛者です」と公表しやすい空気はあるかもしれない。だけど現実的にはまだまだ、同性愛者であることを隠して生きている人の方が圧倒的に多いのではないか?異性愛者の友達に対して、自分は同性愛者であるとカミングアウトしている人って少ないのではないか?
【自分には同性愛者の友達がいる】という人は、その友達とどうやって出会って、どのタイミングでどのように同性愛者だと知ったのかを教えてほしいと思う。
興味本位で同性愛者と友達になってみたいと思って、異性愛者だけどゲイバーに行ってみたりとか、SNSで同性愛者だとオープンにしている人に絡みにいったりとか、そういう相手が同性愛者であることを前提に自分から近づいたパターンなのかな?
自己催眠で明晰夢の中に入って夢の中で変態行為に及んだり、そういうテーマのゲームやって満足すれば良いんじゃねえのか?
幸い日本は表現の自由が滅茶苦茶保証されているから同性愛ペドフェリアによる肉体改造リョナみたいなのでもいくらでも見つかるじゃんけ。
リスクや精神的コストに対してリターンが微塵も釣り合ってないだろ。
実存主義拗らせてるから理想をコネコネして生み出した空想の世界じゃなくて、現実に存在する理想的な本物の人間相手じゃないとリビドーしたくない的な奴なんだろうか?
そこにこだわって人生失敗するぐらいなら考え方を宗旨変えして、それぞれの魂の中に存在する理想的性癖の影を共有するための空想の中でチンチンやマンマンをシュッシュッして過ごしたほうが幸せなんじゃないのか?
パートナーのいる同性愛者…パートナーの存在により、精神的にも経済的にも満たされている。法律婚できないとはいえ、現在はパートナーシップ制度も整っており、それなりに補償されている。
独り身の異性愛者…男女ともに貧困率が高い。仮に今現在は収入があるとしても身体を壊せば貧困まっしぐらになる危険がある。にも関わらず国や地方自治体からは何の支援もない。