ネットで同性愛について意見する異性愛者あるある。「私には同性愛者の友達もいるし偏見はない」とか「俺の友達も同性愛者だけどこう言ってた」みたいな、【自分には同性愛者の友達がいる】という枕詞をつけて語る人いっぱいいるよね。
同性愛について肯定的で理解者面したい人がよく使っているイメージだけど、否定的で差別意識を隠さない人も使っているときがある文言。こういうのを目にするたびに思うんだけど、同性愛者の友達ってそんなに当たり前のようにいるもんか?
そりゃ自分が同性愛者であれば、同性愛者の友達がいるという人も多いだろう。同性愛者が集まるコミュニティを探して出会って交流をもてばいいわけだから。今はSNSが盛んな時代だから、ネット上だけで仲良くする友達ってのもいるだろうし。
でも自分が異性愛者の場合、普通に生きてて日常で同性愛者と出会うってこと自体がレアじゃないか?いや、知識としては、同性愛は決して珍しいことではなく、クラスに1人とか10人に1人くらいの割合で同性愛者がいるらしいってことは分かってる。だから自分のまわりにも同性愛者はいるんだろうなとは思う。ただ、誰が同性愛者だとか知る機会ある?
LGBTとか多様性みたいな話題がかなり身近になっている今、一昔前に比べたら「私は同性愛者です」と公表しやすい空気はあるかもしれない。だけど現実的にはまだまだ、同性愛者であることを隠して生きている人の方が圧倒的に多いのではないか?異性愛者の友達に対して、自分は同性愛者であるとカミングアウトしている人って少ないのではないか?
【自分には同性愛者の友達がいる】という人は、その友達とどうやって出会って、どのタイミングでどのように同性愛者だと知ったのかを教えてほしいと思う。
興味本位で同性愛者と友達になってみたいと思って、異性愛者だけどゲイバーに行ってみたりとか、SNSで同性愛者だとオープンにしている人に絡みにいったりとか、そういう相手が同性愛者であることを前提に自分から近づいたパターンなのかな?
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