はてなキーワード: 主語とは
「ニホンジンはみんなこの件についてうっすらと知ってて、見ないふりをしてきた。みんなで反省しよう!」
(ここから先は、「一億総懺悔論者」の人たちに対して失礼なことを書くね。そっちが先にやったんだからまあ多少は許容してくれよな!)
1. いや、知らなかったが?
はてブ眺めてると週刊誌のweb媒体とかがホットエントリーに入ってくるし、そういうのが好きな人たちがはてなにはそれなりにいるんだろな。特に昭和生まれの人達の中には、「ニホンジンは全員毎日テレビと週刊誌見てる」と思ってる人もいるのかもしれないが、そんなことないからな。週刊誌が担うジャーナリズムというものの価値は(特に本件では)大いにあると思うが、人によって普段接する媒体は当然異なる。私はジャニーズとか芸能とか全く興味がないし、性的虐待の噂すら聞いたことがなかった。
2. 要するに責任を薄めたいんでしょ?
「私は知りつつ沈黙してた。すまん!」って話ならなんの文句もないよ。むしろ真面目で誠実な人だなぁくらいには思うよ。でもこれを「私達ニホンジン」にしてしまうのは、要するに一人で反省する勇気がないんだろ?むしろ浅ましいわ。
そもそもなぜ「一億総懺悔論」に走るのか?これは要するに、適度な罪悪感で安全なストレスを得て、さらに反省の態度を示すことでそこから開放されることを愉しんでいるのではないか?お化け屋敷やジェットコースター、バンジージャンプ、スリラーやホラー映画などと共通の要素だと思う(この要素がこれらのコンテンツの全てだとはいわない)。さらに加えて、罪悪感というストレスから開放されるだけでなく、「反省できる自分」という居心地のいい自己像まで手に入る。「私はジュリーや達郎とは違う!」
ここまでは否定的な内容を書いたが、「うっすらと知っていた人たちのぼんやりとした懺悔」そのものを全否定するつもりはないんだ。仲間内でシグナリングを反芻しあって集団としての意識を高めていくのは社会性動物らしい振る舞いだと思う。その結果として「いかに偉大な人物や特殊な業界においても性的虐待は許されない」という認識が浸透するなら意義があるといってもいい。だから胸を張って「私は」って言えばいい。逆に主語を大きくして「ニホンジンはみな罪を背負っており、懺悔する必要があるのです!」とか言い出すならカルトじゃん。伝統宗教にもそういう面は当然あるし、信仰の自由はもちろん尊重するが、他人を信仰活動に巻き込まないでくれ。
最後に、BBCの報道をきっかけに告発を聞いて過去に下った確定判決を知った今、私はこのジャニーズ性的虐待事件をしっているし、重大な事柄だと思っているよ。専門性のある第三者による調査で全容を解明して、それを元に被害者のケアや、組織と業界構造の改革を行うべきだろう。再発防止だけでなく、ひょっとすると存命の加害者が新たに出てきてそちらは刑事裁判で裁けるかもしれないよね。
夫妻の代表作「駅」は中森明菜の依頼で作られた曲で吉次氏の兄故克久氏の編曲。複雑過ぎる人間関係。
その後批判が殺到して、ラジオで「あれは本人のことではなくスタッフの理解不足のことを言ってただけで……」と言葉を濁してたのもよく覚えております。
あと、まりや氏の曲(シングルアゲインだったかな?)がヒットした時「こんな歌謡曲な曲調がヒットするなんて日本人はレベルが低過ぎる」というニュアンスの発言をしたんですよね。で、その後に作った曲が「硝子の少年」。何なんだ、この男は!?と思いましたよ。
YouTubeのコメント欄にありましたが、竹内まりやさんの『駅』、「私だけ愛してたことも」のところが、竹内まりやさん本人の歌い方と中森明菜さんのとでは主語が違って伝わって来るんですね。
俺が女の何が好きかってその弱さだ。
か弱さと同義。
まず見た目だ。
女は小さくて細い。もろそう。弱そう。
すっごい細いよね。
よくその華奢なボディで世を渡れているな、と思う。
体力の上限も確実に男より低いんだよ、なのに男と同じ時間だけ一日に活動できててすごい。
そんな細腕で世を渡っているのがほんと健気だしかわいい。
あえて主語デカで書くけど、人間は小さいものを根源的にかわいく思える性質がある。
凶暴な獣も手のひらサイズだととたんにかわいく感じるでしょ。
これに近い。
自分よりちっこくて細いさまが可愛すぎる。
はあああ!イイ!
男は四角いもんなぁ、曲線いいよ。
声。声も全体的に高めなのがまたいい。
男の声をヴァー”とすると、女の声はピーピー甲高いさえずりのように聞こえてくる。
キンキンうるさく感じることもあるが、やわらかくてテンションがあがる。
男だと全然泣かん。
女が泣く場面のに初めて遭遇した時は衝撃を受けたね。
(やべぇ、超かわいそう~~~~!!!!かわいそすぎる!!!小さく華奢でもろそうな生き物がすんすん泣いてる!!え~~~そんなことで泣いちゃうの!?!??体内で自分で消化しきれずにあふれださせちゃってる!!抑え込めずに泣いてる!弱い!!弱すぎィィ!!かわいそ~~!!かわいい~~!!よえ~~!!)みたいなね。
女の涙とはよく言ったものだわ。あれは実際に見ると憐憫感情への攻撃力が段違いだ。
ドS的な何かをグングン刺激してきよる。
オタクがラップ嫌いだったんやなくて「日本人」がラップ嫌いやったんやろ。
「金!女!麻薬!っていうマッチョ思想」なんてそんなん誰でも嫌いやん。
音楽的に言っても、メロディ至上主義の日本人にとっては、ラップみたいなリズムだけの音楽なんて何も良いとは思えへん。
そもそも当時のラッパーたちなんて「日本語でラップは不可能」とかなんとか言い争ってたレベルやったし。
それから20年以上かけて日本人は徐々にラップに慣れてったけど
今かてアメリカみたいにチャート上位をヒップホップが占めるようなことにはなってへん。
オタクがどうこうっちゅう話やないわな。
https://anond.hatelabo.jp/20230704093349
おたくはHIOHOPみたいな金!女!麻薬!っていうマッチョ思想ちゅうんかな
イキリ文化みたいなのが大嫌いやんか。だからラップなんて無条件で毛嫌いしとったわけや。
ピンク色の髪の子がおっぱい強調されてることをフェミかなんかに批判されたら
どっかのブログが「大正時代はおっぱいなんて性的じゃなかった」とか言い出してさ
おたくども拍手喝采してたやんか。一般人からしたら正直だから何やねんって思っとったわ。
でもお前らなぜか勝ち誇ってたよな。
○○も知らずにラップしてるの草とか言って。マウント取るの大好きやん。
でもここ最近はアニメとかおたく的コンテンツも市民権を得てきて
ヤンキーとか陽キャなやつらもアニメとか見たりボカロ聴いたりするようになってさ
知識マウントが通用しなくなったことで許される空気っちゅうのかな
受け入れられる空気が醸成されていったんと違うかな。
偏見だらけですまんな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/20%E4%B8%96%E7%B4%80
20世紀(にじっせいき[注 1]、にじゅっせいき)とは、西暦1901年から西暦2000年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最後の世紀である。漢字で二十世紀の他に、廿世紀と表記される場合もある。
昭和人としてはまぁうれしいけどさぁ。
※たぶんだまって訂正するかもしれないから書いておくと、このトラバ先は当初「ラノベは若者から離れたのではなく、『20世紀生まれに寄り添う道』を選んだだけだろ」というタイトルでした。
若者から離れたのではなく、年寄りに寄り添ってるっていいたいんだよな。
うんうんうれしいけどな。別に寄り添われてる感はないんだ。
昭和人にとって。大正人だってまだ生きてるのに、主語大きすぎなんだよ。
せめて平成人だろ。