はてなキーワード: 震災とは
アニメ化されて押井版はまだしも神山版にも共通するかもしれない
アップルシードの原作とOVAもそうだが、OVAはテクノロジーを脅威みたいに描きがちである
つまり、バイオロイドやガイア、タルタロスなど=間違った科学である
巨大コンピュータが登場すれば人間に反乱するし、人造人間バイオロイドもターミネーターのように反乱するし、いきすぎたテクノロジーが人間にマイナスになる、
その辺、ドミニオンでさえマイナスに書かれることはなく、ブアクはグリンピース・クローリスを奪って自分だけの地球を手に入れたが、それだけである
どこまでも人間は愚かだが、だからと言って破滅の日が来るわけでもなく、ウイルスや菌、科学物質で大気汚染された街をマスクをしたタンクポリスが、ボナパルトが駆け回るだけである
大友は左寄りだった
AKIRAは雰囲気マンガだが、テクノロジーをどこか悪しきものとして描いてる
アップルシードのガイアを含むコンピュータ群は人間を守るために、人間が創ったバイオロイドを失敗作と考え処分しようとした
ここでも人間はどこまでも守られてる
そして、人間である主人公の二人はバイオロイドを、というよりは秩序、天性の警官の職務や義務感のようなもので動き出す
シロマサ漫画の主人公は圧倒的に警察、軍、公僕、暴力装置側である
その徹底した人間賛歌と言えば聞こえはいいが、人間のエゴの側なのだ
攻殻機動隊も、そもそも義体という発想にマイナスな反応をする人が多い
人類の将来に徹底的に楽観的だ
必ず人類は科学や技術で神が与えし困難を打破し続けると考えている
しかし、攻殻機動隊を原案にした作品群は暗い、なぜここまで悲観的になるのかというぐらい暗いのだ
シロマサはそういったマンネリを打破したのに、原案にした漫画で逆にテクノロジー=悪みたいに描かれてしまう
非常に悲しい
自分は、原発事故も科学=悪ではなく、管理の杜撰さ=悪であって、前者の考えの人が非常に多いことにあらためて驚いたが、だったらガスも水道もなしで生きてみろである
もう、逆戻りはできないのだ
そのジレンマから原発や、それ以外のアプローチが考えられ、スリーマイルもあった、仕方がないことだ
しかし、金で誘致するだけして、場当たり的な対応を繰り返し、レガシーなシステムを維持してきたフクイチは、震災関係なく、どこかでこうなる運命だったのだ
今回の危機的状況はとんでもなく興味深い事例となっている。政府、自治体、企業、さまざまな社会構成群および個人が迅速な検討・判断を要求される事態だ。そんなこと滅多にない。震災であっても、多くの判断は国に任された。戦争が起きたとしても企業単位個人単位でできることは限られている。こんな面白い事態はなかなかない。
しかも事態は時間依存で刻々と変化している。人の大きな移動に制限がかかり、行動に制限がかかり、商業活動にも制約が生まれた。全世界的に一様に降りかかるこの事態は任意の集合の賢さを推し量るには非常に良い機会である。あくまで、絶対の正解は存在しない。感染者数などの結果も知性を反映するものではない。我々各個人が観測しうるのはそこの各検討・判断に知性や理性が存在するかどうかである。
意義は何か。
人間集団の賢さを見るのは単純に知的活動として楽しい。将来性を見極めることもできる。
皆にもこの楽しさを感じてほしい。
ということを痛感するここ数日。
小難しいけど正しい情報はわかりやすいけど間違っている情報の前に無力だ。
正しく正体を知ることができれば自ずと何をするべきかが見えてくるのに、大衆は見えないものに怯えるととにかく身近で簡単にできることから手を出し始める。
大衆を一人の意識だと考えた場合、理性が機能するのは一定の割合だけで、大半は直感で行動してしまうのだろう。
これは学びではどうすることのできないもので、震災の経験がコロナのパニックに対して何の役にも立っていないことがそれを証明している。
個人がいくら正しいことを叫んでも、圧倒的な数の暴力となり得る大衆の前では無力。
結局は、そうやって動く大衆の中でいかに自分とその周りの人間の安全を守るかということしかできないんだと思い知るだけなんだよな。
昨年死んでしまったので、直接「おめでとう、大好きだよ」と頭を撫でられないはじめての誕生日。
いつもよりたくさん「好きだよ」と言って、いつもより長めに散歩に行って、楽しい1日にしてあげようとちょっとだけ頑張る日だった。
犬も尻尾を振って嬉しそうにしてたけど、人間といるといつでも幸せになってしまう子だったから、特別に何か感じてたかどうかはわからない。誕生日の概念とかないんだろうなあ。
地震の揺れを怖がることはなかったけど、ドアに取り付けたウィンドベルがなって、「お客さん?!」と吠えながら玄関に走っていって、誰もいなくて不思議そうに首を傾げてたね。
危ないかもしれないのですぐに抱っこして連れ戻したけど、いやそれよりとんでもないこと起きてるだろ!と不謹慎ながらちょっと癒された。
テレビに映るこの世のものとは思えないショッキングな映像を放心状態で眺めてたら、両隣の家のおばちゃんたちが訪ねてきて、「犬くんの安全確認に来ました!飼い主に何かあっても犬のことは私たちに任せろ!」って言ってくれたのも救われたなあ。
9年前はもちろん、今までは犬の誕生日をお祝いすることで多少気持ちを中和させてた側面もあったのだろう。今年はいつもよりちょっと多めにつらい。
もしあの世があるのなら、向こうで元気にやってるだろうか。
犬、誕生日おめでとう。