はてなキーワード: 憎悪とは
ロシアがポーランドに対する嫌がらせとしてベラルーシ国境から意図的に難民を送り込んで国内を不安定化させるということが2021年頃から問題になり始めていて、
アフリカから命がけでスペインに渡ろうとする不法移民についても散々問題になっており、EU諸国は移民に対して「もう来ないでほしい。迷惑だから。キャパオーバーだから」という姿勢になり始めている。
人道主義の北欧についても、難民を積極的に受け入れてきたドイツについても、働かない難民の大量流入で財政を圧迫して、「もう、迷惑だから来るな」となり始めている。
トランプの壁もそうだ。人は要らない、もう来るな、というスタンスだ。同化してくれない、働いてくれないなど、国にとってマイナスになる命には来てほしくないというのが先進国の総意になりつつある。
では外国から逃げてくるノースキルの難民だけが問題なのか。答えはノーで、イギリスのロンドン暴動は生活保護受給二世三世が問題になっていた。
生活保護世帯への福祉が潤沢なため、移民ではなくイギリス人の貧困層が生活保護を受けながらシンママになり、子供もそれ以外の生き方を知らずに育って生活保護二世になる。
そして暇なせいで犯罪者になったり暴動を起こしたりして、中流イギリス人が生活保護二世三世を憎悪し、イギリス人同士の階層対立が起きるということも発生した。
ボトルネックは、本当に産まれるか産まれないかというところにあるのか?
本当は、産まれた後、職業教育をされて職を与えられて活躍するというゴールが見えるかどうかが重要なのではないか?
カナダの出生数がとんでもなく高かった時代は、新天地であるカナダを開拓するという仕事が大量にあった時代だった。日本の出生数がとんでもなく高かった時代は、戦争で兵隊にとられていた時代だ。
人間の需要が高く大量生産大量消費が行われる、そういう過酷な時代ではどんどん産まれる。社会が過酷すぎて、親の個人の責任が相対的に薄まっていたのだ。
今はもう人権の時代なので、すべての人間を無条件に丁寧に扱うべきという倫理がある。
すると、活躍できない子供も親は大事にしなければいけない責任が発生する。子供を持つ持たないは親の自由意志による選択であり、選択した者が結果の責任を負うべきだからだ。
仕事の難易度は上がり、密度は上がり、機械化と効率化によりポスト自体が減っていく時代だ。不登校が増えて、活躍できない人生になる確率が上がっていく中、親の「製造者責任」だけが右肩上がりになっている。
問題はここなのでは?弱者男性と弱者女性を見合い結婚させて片っ端から子供を作らせても、製造業が強かった時代にはポストが用意できた。
今の時代の問題はポストが無くなっているので、弱者男性と弱者女性の間にできた子供は不登校→無職になってしまい、その「製造者責任」を親が無限に負うために弱者男女の生きづらさが増してしまう、という点にあるのでは?
農業国など、産めば労働力が増えて親が豊かになる社会では、国策で色々やらなくても勝手に子供は産まれる。
先進国では機械化と効率化により「子供が消費者側から生産者側に行けないまま大人になり、中年になっていく可能性」が増して、
子供を産むと貧しくなる…しかもその終わりが見えないまま5080問題へ…そういうリスクが顕在化していることこそが問題なのでは?
ヤリチンは表面上人間扱いして穴の人格を満足させられたから穴に棒を入れられたわけじゃん?
穴を得られない弱男は表面上すら人間扱いされたと思われない勘違いのゲロカス行動を人間扱いしてやってると誤認してるから女という性別全体を憎悪しつつ絵に描いたり映像記録としての女体をオカズに棒を自分で扱くしかないというところになぜ思い至らないのか謎過ぎる
俺は中学受験成功したけど、そこで「俺は地頭がいいからあんま勉強しなくても点が取れる」という成功体験を得て、中学以降の勉強が全然出来なくなったよ
>> 理系なのに数学力が2Bを必死に解いてるぐらいのレベルだったもの。
分子の構造式見ても使われている原子が分かるだけでどういう結合してるのかとかあんま分からんしな。
理系の学士名乗っていいレベルじゃないし、マジで終わってると思う <<
まあそりゃあそうだって話だよな。理系の大学行ったところで、そこで学んだことを活かせる人間がどれだけいるのか?というと少ないでしょ。
ただ、ネットの有象無象から政治家までよく口にする「文系なんか役に立たない」「文系の大学なんて遊んでるだけ」なる言説を見るたびに、「理系」って凄いんだな、学んだことを体得して役立てられているのだな、と感心してもいたのよ。非論理的な言説垂れ流して一部で識者扱いされている吉本芸人も工業高校出たというだけで理系面しているようだけど、その程度の人間にも理系学問を役立たせられるようにできる理系教育のノウハウは素晴らしいなと思っていたわけよ。自分は受験で数IIIc使ったし危険物と消防設備士の資格持ってて多少は物理化学も勉強したけど文系学部出なこともあってそんな胸張って役立てられると言える自信が無いので引け目を感じてもいたのよ。
友人に数学者とか情報工学者とか医者とか、学んだことを役立てられている連中がいるので、ちょっと勘違いしていたところもある。まあ彼らは「文系なんか役に立たない」なんて頭の悪いことは考えもしないわけだが。
一方でそんな頭の悪い言説にいちいち突っかかってる自分は勿論頭が悪いのだけど、ただやはり文系軽視って危険だと思うんだよね。
先にネットの有象無象と政治家を並置したけど、前者はまあどうでもいいが後者がそれを言うのは本当に危険。だって文系学問とは平たく言えば自然科学以外の社会科学と人文科学を指すと思うのだけど、それってつまり社会に生きる人間を扱う学問なわけでしょ?行政がそれを無視してどうすんねん。とりわけ社会学を敵視している人々を眺めると、公的扶助への憎悪が根底にあると思えてならない。
あるいは福祉大嫌い子ちゃんたちにも聞く耳持ってもらえるんじゃないかなと思う根拠を挙げると、ノーベル経済学者がその金融工学の理論を実践したヘッジファンドが「標準偏差10個分の大異変」が起きたせいで破綻した件なんか良いでしょうね。経済はアニマルスピリットが働くので自然科学的手法だけだと大火傷しますよ。
勿論文系教育にも色々と問題があるけど、文系蔑視って極めて近視眼的だと思うし、そのくせ自称理系連中も案外大したことなかったり(繰り返すけど本当に頭のいい人、まさに理系の上澄みと言える人はそもそもそんな程度の低い対立には関わらないと思う)するので、どっちも尊重して学んでいければいいなと思います。