はてなキーワード: 三つ子とは
つ 「三つ子の魂百まで」
リアルで知り合ったジジイやババアと連絡するために、ずっと避けていたFacebookを始めたんだけどさ。
恥とリテラシーのないババアやジジイのすくつ(何故か変換できる)
例えばこんなの
最近はそう言うことは無いのは、その後の世代はリテラシー教育がちゃんとされているから減ったよな。
しかし、日本のFacebookはそれより上の世代なのな。ジジイババアしか使ってない。
奴ら大脳が衰えて恥を忘れてるからか、無茶苦茶やってるのも見かける。
学校でネットのリテラシー教育がされている世代、概ね30歳ぐらいまでと、40際手前ぐらいまでのうち、実地で色々とやらかしてきたインターネット老人会の連中はまだいいんだよまだ。
しかし、30過ぎて仕事からネットを触り始め何かに目覚めたような奴や、その上はヤバイ。
最悪なのは、ある程度社会的地位を得て、誰も止める奴がいなくなってからネットを覚えたような世代。
そんで、その中にコメントデザインやってジジイババアを転がして商売してる奴らが少なからずいることもやばい。
こんな環境なら陰謀論でもなんでも出てくるわって思うわ。ザッカーバーグが理想とした世界はこれなんかな本当に。イーロンマスクはTwitterで言論を守るとか言ってるがその前に愚民共に英知を授けろよマジで
ベビーシートについて
・乳児用はでかくて体感大人1.5人分でしかも後部座席がないといけないのでやっぱり広い車がよいです
・めちゃ長くお付き合いします どうしても夜泣きするときドライブすると寝てくれるタイプの子とかいるし、ちょっと買い忘れで地下駐車場(あつくない)のシートにおいたままにするとだまってウンもらしてたりとかで長くお付き合いします、まあ洗えばいいのでな…レンタルでもシートつけはずしが面倒だし結局買いそうだと思う
・ベビーカーもA型とB型があって小さい子ほどばかでかい低反発クッションを積む必要がある、3歳すぎると簡易型のB型でも首がおれそうにならないがおとなしく座ってない(とりあえず前の手すりに足をのっけて靴下とか順番におとしていくぞ)
というわけで哺乳瓶とかはいったマザーバッグ考えると合計2.5人分とかになる、まあトランクなんだけどな
余談だがおんぶひもで旦那がずっと背負う覚悟があればベビーカーいらんぞ
おんぶたのしいぞ ほかほか汗まみれ歩き疲れぐったり我が子に背中によだれたらされるの本当たのしいぞ 首はささえられるやつがいいぞ
三つ子の魂百までってか?
まず君の考える「長期的」というのが全然長期的ではない、ということを認識してほしい。
まだ、インターネットが本格的に普及してから、20年かそこらしか経っていない。
生まれた瞬間からインターネットに触っていた人間は、今年二十歳になった人間のなかですら、少数派だ。まだ20年前はPCの無い家庭とか普通だった。
人間っていうのは大抵の場合、子供のころに最初に学んだことを、そのまま死ぬまで忘れないでいく。三つ子の魂百までは、観察できる事実であり、生物としてのヒトの性質だ。ヒトは大人になってから変化したりしない。しかも子供は親から学び、大抵は親と同じ信仰を持つようになる。
従って地域全体の傾向っていうのは、大人が大人のまま生きているうちは、変化しない。
ネットの影響で言えば、ダブルクリックも碌にわからないようなジジババたちが全員死んで、本は大抵電子書籍でよ読みますけど、ってやつらがジジババの地位を占めるようになって、初めて明確に表れるようになる。だからインターネットでヒトが賢くなったか、明確に判るようになるのは、まだずいぶん先の話だ。
たぶん今の40台が100歳になってもまだ早いだろう。その世代には、まだラインの返信も碌に使いこなせないようなやつが沢山いる。
そのうえで、本屋や図書館についていえば、これは存在することによって地域の知の底上げに資することがもうわかっています。明治や昭和の進学率の変化によって。
まじで代替手段が皆無の状態から、本屋図書館が増えた場合の話だけどね。既に大手本屋やアマゾンがあるのに、自称質の良い本屋が地域に増えたからといって、何か変化がおきるかというと起きないだろうな。
親と外に出れば、病院の待合やバス停など行く先行く先でいろんな人に話しかけては雑談していた。
三つ子の魂百まで、などと言う言葉があるが、今でも初対面の人間と雑談するのは好きだ。
何かの購入品列に並んでいる時、ストリートミュージシャンの演奏にふと足を止めた時、自分からの声がけで近くにいる人と雑談しがちなのだ。つまりは、その場で意気投合して盛り上がって別れる、そんな関係性を作るのは楽しいしそれなりに得意だ。
だが、関係を持続させようとすると途端に興味を失ってしまう。人と長きにわたって付き合いを続けることがどうしてもめんどくさいし苦手なのだ。
学生時代は転校や引っ越しが多かったので強制的にかなりの頻度で人間関係に物理的な距離が生まれ、これ幸いとリセットして生きてきた。そして、小から中、中から高などの節目節目でも完全にリセットしてきた。
ルート営業であるという点がじわじわと、まるで真綿で首を絞められているかのように私を苦しめ出している。
「繊細さんが生きやすい本」みたいなのネットで試し読みしたけど「繊細なのは生まれ持った気質」と書いてあってがっかりした
自分も繊細、と言うかそんな良いものではなく豆腐メンタルとかそっちのがしっくりくるがとにかくメンタルが弱い。ちょっとしたことでも落ち込むしすぐに疲れる。そしてそれは何か悲しき過去がきっかけでそうなってしまった……と言うものはなく生まれつきというものがはっきり言える。普通の生活を送ってきた小学2年生くらいから誰かから怒られるのを異様に怖がっていい子を頑張ってきた記憶があるからだ。
大人になればメンタルがちっとは丈夫になると思ったが実際なってみると何も変わらない。
考え方を変えるとか色々やってみたが、不意の一言でいちいち傷ついたりするのは結局変えられなかった。
逆に姉はとても鈍感で図々しい性格なのだが(本人も認めている)それも自分の小さな頃から大人になるまで全く変わっていない。
人に迷惑をかけても罪悪感など全く感じておらず(というか迷惑をかけているとも認識してない)非難されてもむしろ非難した方が悪いと主張する見習いたくはないがある種幸せそうな性格をしている。
言い方が刺々しいのは自分が長年迷惑を被ってる側だからである。
つまり、鈍感に生まれたものが罪悪感など感じることなく幸せに暮らせるのだ。羨ましい。
メンタルが弱い気質で生まれてしまったものは一生このままなのである。三つ子の魂百まで。手放すには転生でもするしかないのである。
繊細だか豆腐メンタルだか分からないがそれでいいことなんて今まで殆どなかった。
漫画や映画や音楽の創作物に感動出来るのだけは良かったが、本当にそれだけで、結局仕事に出来るほどの才能も無く、それなら鈍感でいられた方がよっぽど良かった。