すげー残念ながら
腐女子とか女のショタ好きとかは男のロリコンより徹ッ底的に社会的知名度が低い
「女の宮崎勤」「女の酒鬼薔薇聖斗」「女のネオ麦茶」「女の加藤智大」の
残念ながら林真須美や木嶋佳苗は腐女子とか女のオタじゃなかったろ
それが原因
だって歯止めをかけようとしてないじゃん。
でもやりたくないでしょ。だから減らない。
韓国や中国みたいに感染者の情報を個人情報無視して調査しまくって流しまくって近寄らないようにしたら行けるよ。
でもやりたくないでしょ。だから減らない。
今やってるのはじわじわ感染者を増やしながら、耐えようって戦法だけれど、結局破綻するのが遅いか早いかだけ。
遅ければワクチン開発に間に合う。
でも、ここ最近、マスクしないで話しかけてくる職場の人間が増えた。
勘弁してくれよ。
まじで。
貿易実務検定C級と同じレベル?よく知らないけど派遣元から無料の対策講座とeラーニングの案内が来たので申し込んだ(試験受験料は自己負担)。
※eラーニング、2020年8月6日で販売終了。試験自体も無くなるか?
以上が公の情報
過去問を見ると
合格通知書見ると
平均して落として良い問題数
協会が出している1冊しかない模様(税抜3,500円はeラーニングにくっついてきたので無料)。
ただし勉強するうちに『貿易実務完全バイブル』(Kindle税抜2,470円)が欲しくなり購入。
ほか、Kindle Unlimitedで読める貿易関連書籍に目を通したり。
2020年7月11日(当初は3月7日予定だったがCOVID-19で延期)
試験時間は余裕ある。英語は思ったより落としてしまったけど英語力というより貿易知識の問題な感じ。
取り外せるから1週間貸そっか?水洗いして返却してね
仙台とか広島のあたりだとその地方の人にとっては「地元就職に強い大学」「おじいちゃんや先生が胸を張る大学」扱いなのに、東京や関西で就職を考えてる落伍学生にとっては「ただの地方国公立」の認識なんだよね。
「かわいい」には文字通り外見の可愛さもあるだろうが、細かい表情やふとした瞬間に見せる一瞬の表情に対して使われることもある。かわいいとは容姿だけを形容する言葉ではないのだよ。あなたは他人を容姿だけで判断するのかね?
割と有名なフェミニスト団体のサイトでTERFの主張が無批判に垂れ流されていてビックリしちゃった。
https://wan.or.jp/article/show/9075
トランスジェンダーの人たちに対する悪質な差別煽動だと思うけど、これって次の2つの理路のどちらかでしか正当化できないよね……
1を選んだ場合、まあ自殺だよね。お疲れ様です。今後WANやその周囲の人たちがどんなに女性差別を訴えようとも聞き入れる価値はゼロということですね。
2を選んだ場合、これはかなり強硬な表現の自由を主張しているということになるよね。
表現の自由を掲げてヘイトスピーチの法規制に反対する人は一定数いるけど、彼らの主流派は「ヘイトスピーチはけしからんかもしれないが公権力によって取り締まられるべきではない」と言っているのであって、ヘイトスピーチを積極的に議論の場に乗せてやろうと主張する人は、強烈な差別主義者以外はあんまりいない。
ところが、今回のWANは、ヘイトスピーチに積極的な議論の場を提供してあげたに等しい。これは、「表現の自由戦士」なんて揶揄される人たちとは比べ物にならないほど強硬な表現の自由主義だ。
当然、これを選んだ場合、WANおよびその周囲の人たちは、今後他人の表現に口を出す資格がなくなる。混じりっけなしの本物の差別主義に場を与えておいて、ジェンダーバイアスを強化する表現はいかがなものかとか空想上の性暴力コンテンツはけしからんとか他人に言う資格があるとはとても思えない。
WANはどちらの理路を貫き通すのだろうか。
1を選んで差別主義者であることを開き直るのか、2を選んで表現の自由戦士過激派に転向するのか。それともTERFの主張を肯定的に載せてごめんなさいと謝罪するのか。
どう転んでもフェミニズム界隈は大変なことになりそうですね。まあ頑張ってください。増田はWANのフェミニズム自爆活動を応援しています。
Not All Feministsってやつですよね、わかります。一部の変な人たちのせいで全体に悪い印象がつくのは不当なレッテル貼りですよね!
ほう、なかなかやるな。だが通学の電車賃が掛かっているはずだ!
俺は6年間自転車で片道1時間かけ太ももが競輪選手並になったぞ!
いきなり本題ですが、最近ある出来事に対する友達含め世間の人の反応と自分の反応の違いを身を以て実感して嫌気がさしてしまったのでそれをここに吐き出させてください。
そのある出来事については詳細は特定しません。状況のエッセンスだけ話します。(固有名詞は出しませんが、主観が混ざらないよう状況を変に一般化したり簡略化はしたりしないので、しようと思えば容易に特定できると思います。)
今年某日、ある有名人が同業他者の悪口や業界の内部情報などをネットの掲示板に書き込んだという疑惑が流れました。その疑惑が起こった発端となったのは、書き込まれた時点では本人とそれに極めて近しい人間しか知り得ない(らしい)情報が書き込まれていたことでした。噂はアンチを中心に広まりやがて本人にも届きました。本人は一度は完全に否定し、謂れのない誹謗中傷に対し弁護士に相談する構えを示し、一度騒動は下火になったものの(この時点を「時点1」とします)、のちに、有名人本人公式のとある別サイトへの投稿と問題となった書き込みのIPアドレスが一致することがわかり、再炎上しました(この時点を「時点2」とします)。IPアドレスとはインターネットの住所のようなもので、それが一致することは「通常」同一回線からの接続を示す根拠となります。「通常」と書いたのは、何か特殊な方法を使った場合はその限りではないことを強調しています。
さて、まずこの件について、私の立場をまず整理しておきます。私はこの騒動の以前、当該有名人についてややプラスな感情を持っていました。(これは主観ですが、前提でもあります)
時点1でこの件を私がまず知ったとき、私の気持ちは「有名人がゆえに叩かれて大変だなあ」というものでした。
非難派の主張の第一の根拠は「本人しか知り得ない情報が書き込まれている」であり、その他の根拠はその有名人のこれまでの行動から性格を推察し本人の書き込みだと予想する、といった主観に頼った説得性にかけるものでした。したがってここからはこの第一の根拠についてのみ書きます。
擁護派の反論は「特殊なツールの利用、あるいは低確率の偶然により本人以外も知り得る情報だ」というものでした。のちにこの反証には「特殊なツールの利用が行えない対象である」とさらに反論がつくことになります。ここまでくると、技術的な知識を持ち合わせていない私は自分で真偽を検証できない以上双方の主張ともに鵜呑みにすることはできません。
よって疑わしきは罰せずの原則に則って、私は当該有名人に白だと脳内判決を出しました。(より性格に言えば「黒ではない」ですが)
しかし、時点2で新たな根拠である「IPアドレスが一致する」が提示されました。このとき、私の中で当該有名人の脳内判決は黒に変わってしまったのです。
ネットのことなので100%はないのですが、IPアドレスの一致は非常に強い根拠です。まず、当該有名人の素性は素顔や本名を含め一般には知られていません。一アンチ程度にIPアドレスの偽装をすることはほぼ不可能です。つまりそれは問題の書き込みが本人あるいは本人にかなり近しい関係者によるものである可能性が極めて高いことを意味します。
しかしこの件に関して、当該有名人本人による現状の説明は「私含む身内は全員潔白です」でした。
長くなりましたが、ここまでが状況の説明です。ここからがタイトルにもあるように確率論でしか判断できない私の自己嫌悪です。
まず私が時点1から時点2にかけて白から黒に考えが変わったのはなぜか考えてみました。どちらの時点でも確たる証拠はありません。
しかし、本人の発言が間違っている確率が違いました。時点1では根拠を検証できないが故に本人の潔白発言の真偽は完全に50%-50%でした。
一方時点2ではIPアドレスの一致という事実を90%程度身内によるものだと自分の主観で確率評価していることに気がつきました。
つまり本人の「身内が全員潔白」発言の真偽は"私にとって"10%真-90%偽というわけです。
自分の閾値がどこにあるのかは不明ですが、90%の黒は、事前感情が良い悪い比7:3のときでも、黒判決になるということみたいです。
ツイッターを見ていると、友人やファンであろう人たちのコメントで「有名人さんがそう言うのなら信じます!」というものが一定数見られました。自分も妄信的ではないにしろ、その有名人のファンだったはずです。それを見たとき、その人のことを信じられなかった自分に少し嫌気がさしました。
この信じる信じないに正解はありません。私の「信じない」という判断だってきっと間違いではないでしょう。
では、どれが正しいではなく私はどうありたいのかを考えると、それは「信じる」選択肢の方なのです。
自分が好きであったもの、推していた人のことを状況証拠が不利でも信じる。そうありたいのだと気付きました。
もし黒がこの先確定しなかったのであれば私の中ではきっとずっとその人は白でいられますし、もし黒が確定して本人も認めたとしても必要以上に「裏切られた」という負の感情を抱かなければ良いのです。信じた自分を後悔しなければ何も問題はありません。
ただし、この「裏切られた」という負の感情を抑えることは非常に難しいことです。普通の人は人生でこのような経験をするごとに「裏切られた」感情を蓄積し、いつしかその感情を嫌うがために確率論で判断するようになります。別に何も間違ってないです。でも、私は信じ続けられる側でいたかったなと、そう思いました。
ONE PIECEという漫画にこんなシーンがあります。卑劣な王は、ヒルルクという医者を処分するために、城で病人が出たという嘘の話を広めて彼を城までおびき寄せます。当然、王の卑劣さを知っている周囲の人間は彼が城へ向かうのを止めますが、彼は城へ向かうのです。そして、目の前で嘘であることを明かされたとき、彼はこう言います。「よかった…病人はいねえのか…」
昔これを読んだとき、美しいと思いました。もちろん今回の話とこれは色々な設定が違います。しかし、自分の信念を貫いた、という視点で見ると同じことなのではないかと思うのです。
自分が応援している人を最後まで信じる。もし裏切られたとしても負の感情に身を支配させない。文字にするとこれだけのことが難しい体にいつの間にか私はなっていました。
もう一度言いますが、どれが正しいではなくどうありたいかの話です。なりたい姿と違う自分を偶然発見してしまって私は今少し落ち込んでいます。
ここに書いたことがある意味自分の懺悔となってこの悩みを浄化してくれたらと思い、キーボードをカタカタと鳴らした次第です。
長々とお読みいただいた方はありがとうございました。
真顔で書いてそうやな