かつてのぼくはちょっと自意識の肥大した学生で、ネットで悪い意味で話題になった奴らを皮肉ったり、揶揄するようなツイートをよく書いてた。ブログも持ってて小保方問題とかに一言もの申したりしてた。匿名でそういうことを書くのに背徳感がないわけではなかったが、「クソ」「クズ」的なIQの低い誹謗中傷じゃなくて、問題の本質を見抜いたうえでチクリと一刺し、的な、そういうことを書けてる自負があったから快感だった。
で、ぼくがいる職場はそれぞれがクリエイターみたいなものだから、全員記名でSNSをやってる。内容は制作物の紹介とか、ちょっとした近況とか。一緒に仕事しててもみんな能力があって良い人ばかり。
だからって、先輩たちがたんなる善人ってわけじゃない。やっぱそれぞれ溜めこんでるものはあって、飲み会になるといろんな人の口から頻繁に悪口が飛び出す。悪口のやり玉に挙がるのは大きいところだと政策とか、やらかした有名人、ポリシーのない同業者とか色々。ウェブ上では淡々と作品を載せたりちょっとしたユーモアで和ませたりしてる人たちが、同じくらい鋭い切り口で身近なものをバサバサ斬って、アルコールと一緒に消費していく。翌日には全部忘れたように仕事に戻ってる。
それで気付いた。学生の頃に俺がやってたことって、この人たちが思っても言わなかったことをネット上に大公開してただけなんだな、と。
何が「本質を見抜いたうえでチクリ」だよ。そんなん一定のレベルに達してたらみんな得られる知見でしかなかった。先輩たちは言ってもどうしようもないと分かってることを見えるところでは言わないだけだ。鋭いことを言えちゃう視点を悪意の発散の免罪符にしてたことがわかって恥ずかしくなった。もちろん先輩らも見えないとこで匿名で愚痴ってんのかもしれないけどさ、そうあって欲しいとちょっと思ってしまう自分が嫌ね。
2個のものをみたときに「2個だ!」とただちに分かる能力のことをsubitizationの能力といいますが、普通の人のsubitizationの能力は、せいぜい3から4くらいまでだと言われています。したがって5個以上のものがあると、数えてみないと個数が分からない。— 森田 真生 (@orionis23) 2012年7月6日
なるほどこれがソーシャルブックマークかと、ふんふんと毎日ブックマークをつけていた
でも最近は様子が違ってきた
結局、気になる記事を見つけてもブコメにスターをいくつかつけたらそれで満足してしまって
これでいいのだろうか・・・
別にこの時代の、所謂「トレンディドラマ」が嫌いな訳ではない。「101回目のプロポーズ」は面白かった。だけどこれは駄目だ。特にヒロインが駄目だ。何て言うの、プリパラに出てきたメガネの奴、あれクラスの池沼。もう台詞のうざさがヤバイ。男でも付き合いたくない。極めつけはアレでしょ名セリフとか言われてる「セックスしよ」お前ふざけんなよ頭わいてんのか公共の電波でセクハラしてんじゃねーよお前それ女優にセックスって言わせたいだけちゃうんかい、と。
説明しよう。無限味玉券とは、前回来店時にもらった味玉無料券を利用して味玉トッピングを注文したにも関わらず、
https://twitter.com/powerofsmiles/status/135992114176729088
江戸川区の私立幼稚園、区からの補助金は2万6千円。他区と比較しても高い。区立の幼稚園、保育園をなくす予定なので、まぁ当然。区政的には、区立幼稚園を抱えるより、補助金ばらまく方が安価で楽。にもかかわらず、私立稚園PTA連合で毎年末、区長を讃える、祝会なるものが開かれる。北朝鮮状態。
近頃日本でも移民受け入れについての議論がみられるようになってきましたね。
私は基本的には移民政策には賛成です、でも移民を単なる労働力と捉えては失敗すると思います。
10年ほどヨーロッパ某国に住んで様々な移民・難民と同じ社会で暮らしてきた体験を少し。
私自身がヨーロッパの某国に移住したばかりで語学コースに通っていた頃のおはなし。
語学コースのクラスメイトにはタイやフィリピン出身の女性移民が多くおりました。
当時何も知らなかった私は無邪気に「わあ、国際結婚なんだね!どこで旦那様と知り合ったの~?」なんて尋ねてしまいました。
実は彼女たちの多くはあっせん業者を介して嫁にやってきた女性だったのです。
「愛はないがより良い生活のために嫁にきた。」「本国の子供や両親に仕送りするために嫁にきた。」
「夫を愛してないけどセックスしないと本国への送金を止められるので泥酔して夫と寝る」
アジア人という見た目だけで私もそのような女性たちと同じ目で見られ通りすがりに
日本人だと言い返すと手のひらを返すように謝られることも多々ありました。
このように敬意を払われるような行動をしてきてくれた日本人の諸先輩方へは感謝でいっぱいです。
授業中前を向いてにこにこしながら座っているだけでメモを取ることもなければ配られるプリントに目を通すこともありません。
その国の言語はもちろん、英語も全く話さない彼女はコソボからの移民でした。
かろうじて単語単語でロシア語を理解するということがわかり、ロシア人クラスメイトが交流を試みたところ、
このコソボ人の彼女は本国でまともな教育を受けておらず読み書きができないということでした。
読み書きができないということはせっかく難民申請が認められて語学を勉強する機会を与えられても、
勉強をするすべがないということに等しいです。
某国は福祉の発達した国だったので国の制定するフルタイムの語学コースに通うだけで補助金がもらえる仕組みがあり、
どうも彼女は誰かに入れ知恵されてその補助金のために一日中何もせずに座っていたようです。
これらの経験から移民と難民というのは性質の違うものなのだとよくわかりました。
また、難民といえばわたしは某国にて公共の場で見るソマリア人の子供たちが男の子ばかりなのを最初は疑問にも思いませんでした。
ソマリアで長く紛争が続いており無政府状態なのは知っていましたが、彼らの宗教や文化について全く知らなかったのです。
彼らの多くはムスリム教徒で私には理解できないほど女性が蔑視されます。
ソマリア人女性に対して現在でも性性器切除(FGM)が行われているという話を聞いたときは吐き気がしました。
某国でのソマリア男性の多くは失業して国の手当で暮らしているので、
大人のソマリア人男性が町でやることもなくたむろっている姿をよく見かけました。
無害でしたがそれでも傍を通るときは緊張したのは確かです。
最近ではシリア難民の受け入れの体制づくりが素晴らしくて印象深いです。
某国でもドイツなどに比べたら微々たるものですがシリア難民の受け入れが決定され、
私の当時いた自治体ではまず住む家を用意し、大人に対しては語学コースと職業訓練の準備、
子供たちにたいしては学校側でアラビア語の通訳や内戦のPTSDを配慮した医療体制を準備して受け入れに備えていました。
某国に移民として多かったのはヨーロッパでも貧しい国の人々(バルト三国や東欧、旧ロシア圏の人々)でしたが、
中には家族を置いて出稼ぎに来ている人もいましたが、彼らの多くは家族連れで移民してきて、
工場や肉体労働などブルーカラーの職業に携わる人が多かった印象です。
たくましいのは中国人やベトナム人といったアジア人やトルコ人やモロッコ人といったヨーロッパより中近東出身の人々。
彼らの多くは若いうちに単体でやってきて、親戚の経営する飲食店などで働いています。
そのうちに自分でもビジネスを起こしたり、現地で配偶者を見つけたりしてその国に定着していきます。
こういうバイタリティって日本人にはあまりないのでへ~と感心することも。
ヨーロッパ全体そうなんですが、某国の景気もここ数年悪く失業率が上がっているので移民・難民に対する風当たりはかなり強まっています。
極右的な思想を持つ人の声が大きくなっていますが、そういう人たちは農民やブルーカラーの労働者層に多いのですね。
外国人をサポートする前に自分たちをサポートしてほしいという主張が高じて難民・移民排除ということになるんですが、
話が散漫になりましたが、住む場所・教育・仕事など社会の一員として受け入れる態勢があって初めて、
移民・難民を受け入れることができるということがいえるという話です。
また、その準備がこちらにあっても様々な宗教や文化背景を持った移民がいるから、
必ずしもお互いの望む形で社会に定着していけるとは限らないということも言えます。
今の日本では移民を受け入れる準備ができているとは言い難いですが…