2016年03月28日の日記

2016-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20160328011548

誰も書かないから言うけどタトゥーの反社会性なんて建前だろ。

昇り龍とかの和彫は反社会性のシンボル扱いされても仕方ないけど、

タトゥーについてここまで叩くコメントが多いのは、

タトゥーを入れてる人の高い自己顕示欲承認欲求が透けて見えるからでしょ。

(オレカッコいいだろ?オレちょっと悪いんだぜ?オレ他の人とは違うんだぜ?感)

そんなこと書くと逆に叩かれるから社会性というもっともらしくて叩きやす大義名分を掲げてるだけでさー

特にはてななんてそういう自己顕示欲承認欲求に敏感に気づく人間が多いからさぁ。

でもタトゥーブログ主もさ、まったくそういう感情なしにタトゥー入れたの?っていう。

狭い狭いおれの観測範囲しかないけど、結局、そういうカッコつけたいからとか他の人とは違うってことを見せたいから、とかっていう感情を全く抜きでタトゥー入れてる人は見たことないなぁ。

ファッションの延長でしかないっておれは思うよ?

覚悟とか意気込みとかそういう言葉大義名分にしてさ。

本当にそういう気持ちじゃないにしても、ファッションと受け止める人が多いのであれば、ファッションにも好みがあって、それを嫌いだと言うのの何が悪いんだろうと思うけどね。

変数に#使えるよ。でも・・・アンダースコアのほうがいいと思う。

let g:a#b#c = 1

コマンドモードecho g:a#を入力した後tab押して補完しようとすると関数名が補完されちゃう

これ気になるから変数名に#を使うのは個人的には避けたい。

let g:# = 1

let g:## = 1

let g:### = 1

vim lingr

エンターテイメント・競技性を重視した新たな枠組みのアドバンス相撲と、伝統行事としての型にはまった行動だけをする相撲に分けてやれば解決。

この調子結婚とかもそんな感じに新旧分けて共存すれば革新的な層も保守的な層も満足できてみんな幸せ。互いの対立も煽れて幸せ

http://anond.hatelabo.jp/20160328201911

時間内で終わらせられないならそんな奴はこの会社に要らないよって言ってんだからな、それ。

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スマホゲームのVOLTAGEとか

福士蒼汰春雨を見るような感覚なんだろうか

それにしても向井理の肌男はどう狙いで作ったんだろうな

あれ男うけ絶対悪いだろ

で、結局何回セックスしたの?

大事なのはそこだよね。

ジレンマ

・やらなければならない仕事がある

・適切に終わらせるには時間外労働をせざるを得ないようだ

時間外労働冗長管理部門が嫌がる

しかしそうしなければ仕事は片付かない状況になってしまった

・そうはいってもしなくていいなら時間外労働なんてしたくない自分

上長時間外労働は認めないよ」

どうしろとw

前提がミスってます

幸せ人間は満足しているから、互助会批判しない。

不幸な人間は妬みがあるから互助会批判する。

どうやったら、こういう前提が間違ってる理論に辿り着くんだろう

従属節たる仮定文が間違っていたら、その結果はすべて真になりうるんだよね

(A「三角形内角の和は540度」→B「ハゲの毛根は復活する」;これは真になるよ)

命題A⇛Bの、Aが偽なら、命題が真になる)

自分矛盾してると感じないのかな

幸せ人間でも、満足しているという要件は充足されないし、

不幸な人間に妬みがあるとは限らない

http://anond.hatelabo.jp/20160328201239

心配しなくても

君が視界に入ったり

君の声を聞いたり

君の体臭が漂ってきたりするだけで

周りはみんな不快になるよ

副流煙を吸わされた時の仕返し

なんかないかな。

こっちはただ往来歩いてるだけで何一つ迷惑かけたわけでもないのに、マナーに欠けたヤニ中毒者の不快臭をかがされんのたまったもんじゃないよ。

一方的不快感を与えられるだけなのは納得いかないから何かちょっとした仕返しがしたい。

いや別に交番に駆け込んでもコンビニで借りてもいいし、公衆電話のおかげで助かった、では全く無いよね

http://anond.hatelabo.jp/20160328200231

あのひとは、あなたを裏切っているかもしれないし、裏切っていないかもしれません。

一度詳しく調べてみては如何でしょうか?(ひそひそ

絶対に受かるとは思わない学振申請書の書き方

ぼちぼち学振申請書の季節が近づいてきましたね。

LaTeXで書けばいいのか悩んだり、ワードで書くと名前欄が無駄に改ページされたりしていらつくやつ。

で、なんかせっかくだから、「学振申請書の書き方」ってやつをちょっと考えてみたんですよ。

なんかそういうのいっぱいあるじゃないですか。

自分もね、学振通ったことあるんです。二回。DCPD。落ちたことないの。

といっても、特定地域とか特定文化とか、ある種の「受かりやすい」テーマってわけでもなく、大分地味なテーマです。

から以前はよく後輩や先輩や同輩の申請書の相談に乗ったり添削したりしてました。

「ここ、もっとわかりやすく」とか「ここ、もっと強調したら?」とか「フォント変えてこの部分は箇条書きにしなよ」とか。

今日ネットで「学振 申請書 書き方」とかで検索すると百回くらい書かれているようなテクニックを参考にしてね。

自分申請書を書く時、その手のやつを参考にしたし。

大体自分だったら、ここらへん気をつけるかなー、みたいなことを考えたりしながらね。

アドバイスしても結構みんな落ちちゃうんですけどね。

それでどうせ増田だし、面と向かって「アドバイスして」って言われた時に言いづらいことを書いてみます


まずがテーマいまいちっていうパターン

落ちるやつって、なんかテーマがつまらないんですよね。

専門的なのはわかるし、テーマご近所さん自分が仲間としてみると「ほほう、興味深いねそれ!」って感じなんですけど、赤の他人が聞いてもワンダー感じそうにないようなやつ。

でも別にテーマを変えろ」ってわけじゃないんです。

例えば「AにおけるBーCの関係について」みたいなテーマがあるとするじゃないですか。

その時にそのまんまそれを書くんじゃなくて、そこで一捻りいれたら?ってことなんですよ。

なんていうか、メインディッシュテーマがあるとして、みなさんいきなりメインを出し過ぎなんです。

タイトルでも、申請書本文でも。

じゃなくて、「このテーマを別の角度から見ると、こういうテーマにもなるぞ」っていう観察をしてから、もう一回テーマ設定しなおしてみませんか?みたいな。

あるいは前菜になるような前置きとか問題提起をいくつか用意して、そこから入れるようにしたほうが、読み易くない?みたいな。

この点について具体的に言うなら、最初に「これまでの研究」って書くじゃないですか。

いきなり「研究」を書きすぎなんです。いきなり専門的すぎるんです。

やっぱり読む側は申請書を書く人間にも、そのテーマにも興味をもっていくれるわけじゃないんですから、読む側にも納得できそうな問題提起を明示して、そこから「これまでの研究」と「現在の状況」をつなげていくのがいいんじゃないかな、って。


あと「見通し・インパクト」が尻窄みだったり滑ってるのも多いですよね。

文系界隈だと書きづらいのはわかるんですけどね。

なんかもっと偉いこと書いてもいいような気がします。

テーマ局所だけの「この分野ではこれこういうインパクト」っていうのももちろん大切なんですけど、なんかもっとワールドワイドに、時事ネタとかもしっかり見たほうがいいんじゃないかな。

でも荒唐無稽になると困るんですけど、ぎりぎりそこは頑張ってって感じで。

「アリの目と鷹の目を使い分けて」とか言われたことがありまして。小さい所も遠い所も両方見ておけってことらしいです。

とりあえず申請書のフレームは忘れて、一度自分研究関係ない人を捕まえて、ちょっと研究の話をじっくりさせてもらったらどうだろう。

そうすると鷹の目になったり…しませんかね。


それと申請書全体にストーリーラインがまったくないのはどうかと思います

学振申請書には質問がしっかり書かれているんだから、それを読んで答えよう」みたいによく言うじゃないですか。

それを意識してるのか知らないけど、一問一答みたいになっちゃうやつ。

申請書って一問一答形式ではなくて、全体を通して読んだ時に「どういう問題意識があって」「それにはどういう意義があって」「そのために何が必要で」「自分はなにをやるんだ」っていうのが明確に示されてないとダメな気がするんですよ。気がするだけね。

申請書の質問内容にしっかり答えるのは大切だと思うんですけど、まず脳内で大雑把なラインを作っとけばいいような気がします。


業績の問題については議論がつきないところがありますよね。自分もよくわかりません。

でも観測範囲で、そこまで業績で殴りあう感じに最近なっていないように思うんですけども。

がっつり業績ある人が落ちたり、いまいちな自分が通ったりしてるんで。

スタートダッシュで業績つけなきゃ、みたいに考えた時期はあったけど、正直レベルが低い中身のない論文を量産してもなんにもならないし。

地球に厳しいだけだし。

それよりも堂々と抜き刷り渡せるようなギュッと詰まった論文をじっくり書き上げたほうが素敵ですよね。

あ、でもPDでさすがに業績欄真っ白はきついと思います。ある程度のラインみたいなものはあるような気がする。思ったよりもそのラインが高くないだけで。どこなんだろう、それ。


そんな感じで、書き出すとあまりたいしたことなかったですね。

あとこんなの書いて難ですが、「いろんな人に添削してもらう」って副作用もあるので注意したほうがいいです。

人のアドバイスって結構拘束能力が高かったりして。あんまり従って整理しきれなかったパターンもみたことがあります

どちらかというと一貫したライン大事なので、相談したりしてガタガタになるよりも、「ストーリーが通っているか」「わかりやすいか」の確認程度に見てもらう程度に抑えたほうがいいんじゃないかな、って。

自分あんまり人に相談して申請書を書いたりはしなかったんですよね。

というわけで。

>本当に裏切ったのかどうかは問題ではない、裏切られたのではと疑った時点でもう駄目だ。

意味不明。裏切った事実がないのに、疑ったという時点で2度と信用できないとか、疑い深さが仇となって真っ先に死ぬ戦国武将のよう。

自己責任なのでかまわないけど客観的に見ても、

そのままいくと真っ逆さまに人生落ちて行きそうだと思った。

http://anond.hatelabo.jp/20160327131528

スマホの普及が国民生活リスク晒す。やめよう、スマホ

もしくは、スマホでもいいが電話帳の番号入力自分でやらないといけないようにすべき。

私の中のpulushaさん

pulushaさんにスターをつける方法を教えてください

pulushaさんのナイス引用スタースターをつけたいのです

pulushaさんのブコメを読む方法を教えてください

pulushaさんのグッドブコメスターをつけたいのです

神様これがわたしの一度きりの願いです

はてブ互助会ってなくならないんかな

なくなんねえよな

まとめブログ流行ってんだから情報効率的に集めることがなんか情強なんでしょ

10ブクマもついてトップページに表示されたら、そこからはもう止められないよなあ

氾濫しちゃうわな

互助会ってどれくらいの組織なんだろう、最小単位が3ブクマかな

その輪を広げていくと、際限なくなりそうだ 20人くらいの規模かなあ

この手の話題で『資本論』へ言及するコメントがないのに驚く

お子さんの疑問は真っ当で、問題は以下の2つに切り分けられると思う。

会社事業(=金儲け)に終わりはあるのか。

従業員はなぜ何十年も働いても働かなくてもいいほど豊かになれないのか。

このテーマは150年も前にマルクスが悩んだテーマで、これを考える上で(その考えに賛同するかどうかはともかくとして)『資本論』に触れないわけにはいかない。マルクスかいうとソ連とか共産党イメージで、めちゃくちゃアレルギーある人が多いと思うけど、マルクスもそんなに間違いばっかり言っていたわけではないので、まぁ話だけでも聞いてくれ。

ということで、以下お節介ながら、この問題についてマルクスがどう言っているのか書いていく。

①の問題について

まず①の問題だけれども、その答えは「会社が金儲けを目的とする限り、その事業に終わりはない」ということになる。なぜなら、

貨幣蓄蔵に向けた衝動はその本性上無際限である」(『マルクスエンゲルス全集』〔大月書店刊〕174頁)

からだ。つまり会社はいくら金を稼いでもそれをやめることはないし、その手段である事業もやめることはないということだ。

ではなぜ貨幣蓄蔵の欲望が無際限かの理由は2つあって、(ⅰ)ひとつは他の商品(車、電化製品衣服、食料品などなど)に比べたときに現れる貨幣特殊性にある。

想像してみてほしいのだけれど、これらの商品はいくら溜め込んだところで自分が使うにも持て余す(ベンツが百台あっても置き場所や維持費で大変)し、他の商品と交換するのにも限界がある(ベンツ百台を売りさばくにはそのためのお店や人員やらを用意しなくちゃいけなくて大変)。

しかし、貨幣についてはいくらあっても困らない(銀行に預ければ利子まで付いてくる!)し、他の商品いくらでも交換できてしまうのだ。

そして、(ⅱ)理由のもうひとつは、貨幣自体社会的権力が固着していることにある。これはいちいち具体例を示さなくても分かると思う。

以上2つの理由から会社は金儲けをやめないし、そのための手段である事業も可能な限り永久に続くことになる。

②の問題について

この問題についてはマルクス資本論第1巻を全部費やしているテーマなので、とてもそれをまとめる能力も、専門家じゃない人にそれをわかりやすく伝える能力も俺にはないのだが、ポイントは2つある。

◆1つ目のポイント

ひとつは、資本家(ここでは会社)は従業員を豊かにするために事業を行っているのではないということだ(それなら何のため?と思った人は上のマルクス言葉を見よう!)。

そのため会社は利潤を上げるため、従業員に支払う給与をどんどん下げるインセンティブが働く。究極的には、従業員が一日中働いて、次の日また元気に出社するのに必要な額(つまり食費や睡眠をとるための費用)さえ支払えばいいという発想が生まれる。

労働者24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働することを妨げはしない。それゆえ、労働力価値と、労働過程において労働力が増殖させる価値とは、2つのまったく違った量なのである。この違いこそ、資本家労働力を買った時にすでに彼の念頭にあったものである」(『マルクスエンゲルス全集』〔大月書店刊〕254頁)

まり給料が低く抑えられがちな以上、従業員はいくら働いたところで豊かになんかなりっこないわけだね。

もちろんこれには例外があって、最近話題になったカルビー会長言葉(「従業員はただの道具ではない」「給料を増やし社員待遇を良くするのは一番大事」)が思い浮かんだ人もいるかもしれない。マルクスはこういう良い資本家すらばっさり切り捨てるのだけど、問題が複雑になりすぎるのでここでは触れない。気になる人は『マルクスエンゲルス全集』〔大月書店刊〕の353頁を読んでくれ。さらに興味のある人は、「モンドラゴン協同組合企業」でぐぐるちょっと面白いかもしれない。

◆2つ目のポイント

従業員いくら働いても豊かになれない理由の2つ目は、従業員は通常、資本を持たない点にある。

まり普通のその辺の人は金を稼ぐのに自分労働力を売るしかなくて、そこから得られる給料も上に書いたように低くなりがち。そしてそこから生活費子供養育費を差っ引くと、もうほとんど手許に金は残らない。運よく給料が人より高かったり、奥さんが家計のやりくりのできる人で貯金が出来たとしても、それを増やす手段資本家に比べれば全然ない。

中には株式投資をすればいいんじゃない?とか会社を興せばいいんじゃない?と思う人もいるかもしれないけれど、投資成功する人が少ないことや、会社を興すにしても起業に多大なお金必要参入障壁)なことに思いを致せば、そう簡単じゃないことが分かると思う。

◆②の問題についてのまとめ

以上2つのポイント(もちろんマルクスは他にも色々言っているんだけど)から従業員はいくら働いても豊かになれないし、働くことを止めることなんてできないんだね。

余談

ちなみにトラバの中に、

人工知能の発達により、ロボットほとんどの仕事代替してくれる時代がやってきます

というコメントがあったが、これもマルクス的には間違い。なぜなら、

機械剰余価値生産する手段」(『マルクスエンゲルス全集』〔大月書店刊〕485頁)

からだ。つまり機械資本家(ここでは会社)が利益を上げるためにしか使用されず、労働を軽減するために使用されるのではないということだ。歴史的事実としても、産業革命以来さんざん技術革新が進んできたのに、人が一切仕事をしなくて済むようにはならなかったでしょ?

おわりに

上長々と書いてきたけど、冒頭に書いたようにお子さんの疑問は至極真っ当で、これまで哲学者経済学者が延々悩んできたテーマでもある。

上に書いてきた(というか俺が強引にまとめた)マルクスの主張については異論も色々あって、明らかに間違いだと分かっている点もあるのだけど、考えの取っ掛かりとしてはいいと思う(解決策も一応示されているしね)。

そこから最近話題になったピケティ21世紀資本』なんかを読むと考えがより深まると思う。

というわけで、こんな長い文章を読んでくれてありがとう!そういうもんだと割り切らず、がんばって考えて、お子さんによりよい将来を作ってやってくれ!

ミイラ取りがミイラになる

とは言うものの、単に干からびただけで厳密にはミイラにはならないんだよね。

ものすごい手間がかかるから、それこそ王族でもないとミイラにはなれなかった。

まっつね系チルドレンは正しい答えしかさな

ミイラ取りがミイラにならぬよう、目的手段化してはいけない。

客観視ってどうあっても不可能から、そんな演繹に走ってる場合じゃねえよホント

定義から出る答えは同じ。トートロジーに陥ってしまうな。

やることは、演繹でも帰納でもいいけど、

何かの事象に対し特別意味を見出すこと、それ以外にはない。

正しい答えを出すことがやることじゃない。

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ようこそ ゲスト さん