はてなキーワード: 愛してたとは
色々、申し訳ない気持ちはひしひしと伝わってくるんだけど、月並みな言葉を送るなら「彼氏ときちんと話し合おうよ」と言いたいかな。
あと、発達障害の診断受けてなさそうなんだけど、医師からADHDの薬もらってる「発達障害疑い」ってことだろうか?もしそうなら、知能検査も含めて、自分がどういう特性を持っているのか知った方がいい気がする。
なんか文面見てると、彼氏さんに一方的に申し訳なさを感じてそうで、逆に彼氏さんは凄いいい人なんだろうと思うけど、そういう風に卑下されるのって、誠実に付き合ってる相手側はむしろ勘弁してほしいと思うことが多いので(自分が男性で、彼女がお付き合い初期に自己肯定感低すぎで卑下し過ぎで色々苦労したことがある)、正面から、自分がそういうことに悩んでいることを打ち明けたらどうかな。もしそれで縁を切ってくるようなら、彼氏さんも所詮は「発達障害」ってラベルがついた程度で見捨てる相手だったってことだから、本当に愛してたか疑わしいと思うしね。逆に、それをきっかけに「発達障害だから受け入れられない」ってのが思い込みにすぎなかったとわかるかもしれない。
言えるのはそれくらいかなと。
色々、申し訳ない気持ちはひしひしと伝わってくるんだけど、月並みな言葉を送るなら「彼氏ときちんと話し合おうよ」と言いたいかな。
あと、発達障害の診断受けてなさそうなんだけど、医師からADHDの薬もらってる「発達障害疑い」ってことだろうか?もしそうなら、知能検査も含めて、自分がどういう特性を持っているのか知った方がいい気がする。
なんか文面見てると、彼氏さんに一方的に申し訳なさを感じてそうで、逆に彼氏さんは凄いいい人なんだろうと思うけど、そういう風に卑下されるのって、誠実に付き合ってる相手側はむしろ勘弁してほしいと思うことが多いので(自分が男性で、彼女がお付き合い初期に自己肯定感低すぎで卑下し過ぎで色々苦労したことがある)、正面から、自分がそういうことに悩んでいることを打ち明けたらどうかな。もしそれで縁を切ってくるようなら、彼氏さんも所詮は「発達障害」ってラベルがついた程度で見捨てる相手だったってことだから、本当に愛してたか疑わしいと思うしね。逆に、それをきっかけに「発達障害だから受け入れられない」ってのが思い込みにすぎなかったとわかるかもしれない。
言えるのはそれくらいかなと。
タンジョウビーッス
今日は元天皇誕生日こと、元みどりの日こと、昭和の日でございますね。
間にみどりが入ってるのにちょっと戸惑いますけど、なんでも昭和天皇が植物に詳しくて自然を愛してたから、にちなむそうです。
そういえば人間宣言を行ったのもこの天皇様なんですね、そこら辺詳しく書けないしややこしいんでアレですが
でも少なくとも天皇様に対しての認識が変わったり大戦と呼ばれたものが終わったりしてからまだ百年も経ってないんだなぁと改めて。
百年って割と長いんですねぇ。
長いといえばGWが始まっているらしいです、関係がある人も関係がない人も気付けばあっという間に時間が経っていたりするので注意して過ごしましょう。
ということで本日は
クソみたいな前職場から逃げ出したいというすごくネガティブな理由です。
セクハラやらパワハラやらトイレの時間まで管理され死ぬかと思った、同期は楽しくて最高の人たちだったけど業務内容は泣くほど嫌いだった。
毎日夜にお布団の中で明日のことを考え泣いていた。通勤途中に事故に遭いたいと思ってた、そしたら労災でお金も出るし会社も行かなくていいし万々歳だよね。
業務の一環ですごく自分の強みを発揮する瞬間があったけど、全然評価されなかった。私すげーじゃんって毎日涙目で自分のこと褒めてた。すげーじゃん私。
客と仲良くなるのが得意だった、あなたでよかったと何度も言われた。今でも思い出す。元気かな。
クレームの客に怒鳴られて心が萎縮しても死ぬ気で次の現場に向かってた。夢の中でも寝言で接客してた。真面目か。
お給料はそれなりにもらえたけど非正規雇用なことや土日休みじゃないことで、プライドが邪魔して親にも友達にも職場のこと言えなかった。しんどかった。頑張っても頑張っても自分で自分のこと認めてあげられなくてしんどかった。苦しかったね。
京都の鈴虫寺で幸福地蔵に、稼げて私にぴったりの職に就かせてとお願いしたはいいものの、こんなことになるなんて困りもので。お礼参りに行ってないからこんなことになってしまったのかなあ。
畑中を初めて認識したのは中1の3学期だった。中高一貫の母校では毎年高3送別会として各学年の有志が出し物をするイベントがあった。学年が上がれば各学年のカラーが出てきてそれぞれに工夫を凝らした出し物になるのだが、高3との関係性も薄い中1はたいてい合唱と相場は決まっていた。その合唱の練習にいった多目的ホールで、なんかやけに綺麗な子がいるなと思った。すらりと背が高くて顔が小さくて、鼻筋は高く通っているけど鼻先は少し丸くて親しみがあって、真顔でも口角が上がっている猫のような顔。胸下まである長い髪が静電気で少し膨らんでいた。
いつどのように仲良くなったかはどうしても思い出せない。気が付けば毎日のように畑中と手紙を交換し、イラストの練習をし、力尽きて眠るまで長電話をし、プリクラの新しい落書きを開発し、ハリーポッターの世界に浸り、塾をさぼって何をするでもなく新宿のマクドナルドに居座り、インターネットにハマってブログを開設して高校生ブログランキングでいいとこまで行ったりしていた。私たちはたいていランキング上でも並んでいて、いつも畑中の方が上にいた。高1か高2の球技大会中、早々に負けて残りの2日間ヒマだったのでピアッサーを買いに行って次の日学校の廊下で畑中にピアスを開けてもらった。私はどこにピアスを開けるのがおしゃれかなんて分からなかったし、穴を増やすつもりもなかったので完全に畑中にお任せして場所も決めてもらった。実際にピアスを開けるときよりも畑中がハイテックで耳たぶに位置決めのマークを書いている時の方がなぜか緊張した。畑中はピアスに凝っていて、形がいいと褒められるから右の耳にはもうピアスは開けないんだと言って左耳にばかり穴を増やしていた。
畑中に話していないことは何もなかったし、お互いの人生の登場人物は全員把握していた。高2の時にくだらないことがきっかけで大喧嘩して、喧嘩の勢いでお互い言わなくていいことまで言ってしまった。引っ込みがつかなくなってしばらく初めての別行動をして、一緒に観に行きたかったなって思いながら観たロードオブザリングは全然面白くなかった。後から仲直りして、「ロードオブザリング、一緒に観たかったのに」って言ってくれたときはやっぱりうちら親友だねって思ったよ。
私は畑中が一番の親友だったけど、畑中にはもう何人か細く深い友達がいて、その子たちはみんな学校では少し浮いている性の香りのする女の子たちだった。彼氏が途切れない女バスのギャルグループみたいな男好きするムードとは違い、〇〇ちゃんの彼氏って、社会人らしいよ……と噂が立つタイプの、今にして思えばクラスメイトは幼稚で話が合わなかったんだろうなというような早熟なはぐれ狼と仲が良かった。畑中自身は何人かに告白されこそすれ試しに付き合ってみても全然ピンと来なくて別れる、みたいな感じだったので、畑中は恋愛にあんまり興味ないのかな?なんて思っていた。なんせ畑中は美人だし、そんじょそこらの男が付き合えると思ったら大間違いよ。だから大学に入ってから、予備校の仲良しグループの男の一人と付き合いだしたときは(あんまかっこよくないし背も低いのになぁ)なんて勝手に思っていた。
そうして安心して自分を委ねられる相手ができたことで、畑中のメンヘラの才能が開花した。元から畑中は時間にルーズだったり忘れ物が多かったりルールを無視したりするタイプだったけど(そういうところが私も似てたからお互い遅刻しまくりながら長く付き合っていた部分もある)なんかそういう自分本意で、自分が良ければあとはなんでもいいようなところが加速していた。畑中は受験がうまく行かなくて不本意な大学に通っていたのもあって、大学1年の時はとても不安定だった。でも1年後再受験することに決めて、無事第一志望の大学に合格した。私は畑中の受験が終わるのをすごく楽しみにしていて、受かったらお祝いに一緒に沖縄に行こう!って言って旅行を予約していた。「やっぱり行けない」と言われたのは出発の3日前。うち厳しいし旅行のことも怒られるから言ってない、今更言えない、キャンセル代は払うからと言われて落胆し、怒り、「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と詰った。「だって聞く耳持たずって感じだったじゃん。勝手に決めちゃうからさ……」と言われた。私が一人で先走って空回ってただけ。キャンセル代は銀行振り込みだった。さすがにショックだったけど、志望校に受かった畑中は明るさを取り戻し、また魅力的なやつに戻っていたのでなし崩しに今まで通りの付き合いが続いた。
畑中が受かった大学はたまたま私の家の近所にあって、私はその大学で別の友達が立ち上げたサークルの手伝いをしていた。私がグループで集まれる数少ない友人の一人が、とある企画のために入学直後から大変な苦労をして作り上げたサークルだった。畑中はそのサークルに興味を持って入ることになり、美人なのにおちゃらけた性格でもってすぐ溶け込んだようだ。前後関係は忘れたけど、前の彼氏と別れた後はサークルの仲間の一人が恋人になったようだった。その頃私はほとんどそのサークルには関わっていなかったんだけど、そこでまあよくあるサークル内の小競り合いみたいなことに発展し、畑中はサークル創立者の友達と対立して揉めた。泣かせた。その友達からこんなことがあって……と話を聞いている最中、畑中からメールがきた。「今六本木で飲んでるよー!増田もおいでよ!」
ナメられてんな~と思った。私のことも蔑ろにして、私の大事な友達のことまで傷つけるんだ。人が作ったサークルに後からやってきて我が物顔でぶち壊そうとしている。それで呑気に飲んでんの?六本木で?なんかもう限界だった。小さく積み重ねてきた「大切にされていない」という思いがここで臨界点に達し、「私が何も聞いてないとでも思ってる?もう連絡しないで」と返し、メールを受信拒否して連絡先を消した。それから今日に至るまで会っていない。
畑中は小さい頃にママを病気で亡くしている。仕事で忙しいパパと厳格なおばあちゃんに育てられて、畑中はずっと愛が足りなかった。パパには再婚したい相手がいて、多分畑中が学生のうちはやめておこうと思っていたのか籍はいれていなかったけど、その相手の女の人の影がちらつくたびに畑中は不安定になった。中学生の私ですら、畑中にはパパしかいないんだから再婚なんてしないでよと思っていた。畑中はずっと誰かに愛されたかった。そしてそれは私ではだめだったのだ。私が誰より一番畑中が好きだったのに。よく男女の恋愛で「私はあんたのママじゃない」なんて台詞があるけど、私があんたのママだったのに。本当に大好きだったのに、趣味もセンスもあんなに合う友達あれから十何年経ってるけどできないよ。でも時間や決まりごとにルーズすぎて、私との約束も適当に反故にしちゃって、ないがしろに扱っていい相手だって思ってたことが分かってるからもう会えない。大人になった今なら再会しても適度な距離感で付き合えるかもしれないけど、きっとまた同じことで私がキレて終わりなの。畑中の一番にはなれないから。畑中の愛されたいを満たすのは恋愛じゃないとだめで、ただの友達じゃそんなもん満たされなかったのだ。私が畑中が自慢したくなるようなイケてる友達だったらなんか違ってたのかな?眠くて何度も切ろうとした電話を「まだ寝ないで、もっと話そうよ」って言ってきたのはいつも畑中だったじゃん。でも恋じゃないけど愛してたよ。もう一生会いたくないけど、寂しい夜が少ないことを祈ってるよ。
俺は今、CSゲームのリードプログラマーとして某社で働いてる程度にはプログラミングを理解できてるから答えるね
「んで、結局これで何ができるの?」は勉強始めてから5年くらいは続いたよ
毎日毎日、じゃんけんプログラムやおみくじプログラムを本を見なくても書けるように写経した
でも、飽きて1ヶ月くらい離れると忘れる
書き方はなんとなく思い出しても、どうやって作り始めればいいのかという「考え方」を忘れる
「じゃんけんは3種類だから配列を3つ作ればいいんだけど他になにをすればいいんだっけ?」という感じ
頑張って写経してる期間は覚えてるんだけど、間を開けるとまた忘れるというスパイラル
こんなことを続けてて本当にプログラマーになれるのかなという不安もあるし
これで何が身についたのかという実感もわかないんだよね
俺が明確に変わったと感じたのは本に書いてあることじゃなく実際に「こんな物を作ってみたい!」っていう衝動からだった
3Dとはいえ擬似的なもので、3D風に描いた絵を前後左右に進む2Dの迷路ゲームだったんだけど
絵の道なりに進めるように処理したり、ステージが進むにつれ距離を伸ばしたり
現在の位置を表示するアイテムを用意して、画面の端に表示させたり
落とし穴を作って前のフロアに戻したり、時間が無くなると雰囲気のある音楽を流したり
やりたいことがたくさん出てきて、それを「プログラミングでどう実現するか」を積極的に探して、試して、失敗してを繰り返した
いろいろ詰め込みすぎて挫折したり、またやる気になったり技術的な壁に当たって才能がないのかと落ち込んだりね
プログラミングって本を読んで写経してるうちは成長が頭打ちになるんだよ
自分の頭で作りたいもののために必死になることが大事で、周りからみたら例え30点の完成度でも達成感が宝になる
上に書いた迷路を実現しようと思ったら、いろんな技術が必要になるよ
本で写経してるうちは「こんな技術がある」というような、専門用語だけを目にするだろうから
それで何が作れるのかピンとこないと思う
でも、実際に実現しようと手を動かすと本に書いてあるだけの言葉や方法じゃ解決できないことが多い
だから、あなたが今ピンときてないとすれば、それは昔の俺のように本の世界だけで終始してるからということ
「この言語や技術でなにが作れるかわからないから、作りたいものが想像すらできない」のだとすれば、それは順序が逆なだけなんだ
じゃんけんの勝敗を記録したい、じゃんけんを絵で表現したい、じゃんけんに音をつけたい
なにかを作りたいという欲求を大切にしてほしい
そして、自分に才能がないとか頭が悪いから覚えられないなんて考えは捨ててほしい
俺が働いてる某社は、とある雲の上の存在のようなプログラマーがいたんだ
その人は偉くなってプログラミングの仕事からは離れてしまったけど心底プログラミングを愛してた
憧れて入社して間もなく、その人はいなくなってしまったけど今でも尊敬してるし永遠に心のなかで生き続けてる
その人が俺に言ったことは一生忘れない
「プログラミングでほとんどのことは解決できる。解決できないと感じても決してあきらめるな」
才能のなさや頭の悪さで相談したときも「みんな同じだ」と言ってくれた
やっとプログラミングがわかるようになった今になって思うのは、才能や頭の悪さなんて関係ない
プログラミングが好きかどうか、これが全て
プログラミングが好きであるならば職業や肩書なんて関係なくなんでも作れるよ
ぜひ、作りたい物をたくさん作って楽しんでください!
やってらんねえええええええええええええええ
イナズマイレブンがずっと好きで度重なる開発中止や延期や日野による作品否定キャラ否定にむかつきつつもそれでも円堂守や松風天馬の物語が大好きで
ゲーム性はAC寄りのイナズマの良さがあまり無い出来だったし初期は重たすぎてこれが令和のスマホソシャゲかってびびったしバグとかガチャ確率とか色々あったけどそれでも愛してた
もはやイナズマのオタクに残されたものはこれしかなくSDの推しキャラとペラッペラのストーリーと漫画萌先生が描いた(っぽく匂わされてる)イべやガチャ連動の2コマ漫画を必死にほおばって生きていたのに
1年も持たずですか
最推しは実装されたけど季節衣装のみだしちゃんとユニを着てて彼らしい技を使うやつが欲しかった
売上推定を見たらとある月に私の課金が売上の1%だったことがありまじでこのゲーム駄目なんだなとは思っていたが早すぎ
SDキャラのフィギュアはあんまり可愛くないし正直その格好をした等身キャラを想像して楽しんでたけどSDの絵はめっちゃかわいかったし萌先生の漫画で色んなキャラが時間軸ぶっとんで絡んでたのも意外な関係とか見れて良かった
ムービックでも中外でも推しが発売されることになって2020年にまさか公式から推しがグッズ化されるなんて青天の霹靂で本当に嬉しい
最推しは通常が実装されて無いから諦めてるけど2推し3推しは中外で出してもらえたから本当にイナエスに感謝してる
戦神アニメが始まってイナズマイレブンは死んだって思ったうちの一人だけどイナエスのイベントとかの戦神キャラは普通に面白かったよ
これからイナズマイレブンの新規絵やエピを拝めるのがほのストのみなので3推しまで全員もう出てくることはないでしょう
グレートロードとかもう凍結じゃなくて中止って言ってくれればいいのに
きっぱりやめてくれれば待たなくて済むのに
そのVtuberのファンには悪いが、正直「あぁ、やっと楽になったな」と思った。
(ここから先は話が分かる人用にしか書かないけど、許してほしい。)
去年の12月の彼女たちの華やかな復活には正直興奮したし、投げ銭も少しだけ投げた。
けれど、「話し合いの決着が結局ついてないこと」だったり、「他の10人の子たちが口をそろえて批判していたこと」が引っかかって素直に推すことができず、距離を置き始めた。
よく考えればあの騒動に関しては何も解決していなかった。このまま脳死で応援することは簡単だったけど、それだといつかまた同じことが起こってしまうだろうな、と思ってた。
残された10人の子たちに降りかかる誹謗中傷や、目に見えて下がっていく同時接続数を見て心が苦しくなった。
彼女たちに全く落ち度がないかといえばそうでもないが、一度は心から愛してた彼女たちの凋落を見守るのは心苦しかった。
そのうち、「なんでこの子たちはこんなに苦しんでいるのに、あの子は人気を集めているんだろう」と思うようになった。
自分でも歪んだ嫉妬心からの感情だと分かっていたけど、どうしてもそう思う気持ちを拭いきれなかった。
一方がたくさんのファンに囲まれ、たくさんの投げ銭をもらい、いろんなVtuberとコラボをしているのを見て、本当に心が苦しくなった。
やっぱり素直に応援できなかった。
日の目を浴びないでほしかった。
そして例の炎上、そして今日の事実上活動休止ツイートを見て、すとんと心が軽くなった。ずっとずっと心を苦しめ続けていた呪縛みたいなものが消えうせたように感じた。
あの騒動の本当の原因は何だったのか、おぼろげながら真実らしきものを知ることができた。
多分、自分の気持ちに整理がついたところでもうあの残った10人の子達の配信を見ることはないだろうけど、やっと前を向いていけるような気がする。
とりあえず今はホロライブを見ているが、もうあんな騒動は二度とごめんだから感情移入しすぎないように距離を測りながらVtuberとは付き合っている。
元GIの黒人5人がベトナムに戦友の骨と金塊を掘り出しに行く話。
元GIたちは回想シーンでも今の俳優がそのまま演じてるのがおもしろいアプローチだなと思った。
音楽の使い方、過去の実在の人物や事件の挿入の方法もユニークで良かった。
メインキャラのポールはPTSDで感情のコントロールが効かず自他共に認めるクソ野郎なんだけど、
こいつ自身こそがベトナム人に対する差別丸出しで、でもその矛盾みたいなものを自分で感じてるわけでもない。
俺は壊れてる、だからしょうがないと開き直って、息子は愛してないと言い切るくせに、最後になって息子に愛してたみたいなことをぬかす。
いやいやお前40年現実的に愛してなかったくせに、愛してるよなんて言葉一つでcompensateできると思ってんのかよ。
ノーマンに依存してたくせに、俺の金は俺の金だとか言い張って仲間に牙を剥く。クソ中のクソだ。
ポールは自分たちは黒人だから、不当に虐げられて、差別されてきたという。一方で、ベトナム人に差別心を剥き出しにすることにはなんとも思ってない。
アジア人としてはむかつくが、ポールの理屈はなんかわからなくもない。
俺は国のために戦って、マッチョな男で、フィジカリーにはヒエラルキーの上にいるはずなのに、肌の色で得られるものが得られなかった。だから差別に対して怒る権利がある。
ベトナム人との関係だとそもそもなんらかの権利を主張する立場でもないし白対黒みたいなところにいないから関係なし。罵倒するけどそれはなんかの社会的な権利を剥奪してるわけじゃない、ただの嫌がらせでおれはクソ野郎だからほっといてくれ。
わからなくもないが、そう言われると白人でも黒人でもない人間は一体どんな気持ちで連帯すればいいのかよくわからなくなる。
いろんな立場の人間が出てきてそれぞれの言い分が述べられるので退屈しなくてよかった。フランス人は二人ともステロタイプだなーという感じがちょっと玉に瑕だけどまあ。
一生かけても他人は理解出来ないものだ。と確信したのが結婚10年目で妻と離婚した時。
妻が16、私が26の時に結婚し、2年後に息子が産まれ、更に3年後に妻の家事放棄が原因で2週間ほど私が家出し、離婚する1年前に妻が母親の看病を理由に実家に戻り、何度目かの嫁実家への帰省の夜に切り出され離婚した。
サークル主と妻がネット越しに喧嘩していたのを仲裁してから個人的に仲良くなり、サークルは解散し、池袋での初デートからそのまま私の家に転がり込み、母親との喧嘩を理由に家に帰らず、丸一年同棲していた。
妻はアトピー性皮膚炎であり、ストレスが高まると身体中を掻き毟って傷だらけになっていた。
その父親は親族ぐるみで母親を虐げており、妻も父親サイドの一人として母親に辛く当たっていた為、女性でありながら女性蔑視が酷かった。
また、境界性パーソナリティ障害かと思われる言動が多かった。
それでも子供が産まれた頃には母親とも和解し、攻撃的な言動も減り、精神的な成長が感じられた。
私の家出騒動があってからは家事も分担し、平穏な生活を送っていた矢先に妻は実家に戻った。
元気だった妻の祖母が入院し、祖母と一緒に暮らしていた母親は前述の家庭内虐めの後遺症で肉体的にも弱っており、心配だからと実家に戻った。
私は会社を辞めて妻の実家近くで働く事も提案したが、妻に断られた。
その後、離婚の契機となった話の内容はこうだった。
私には実家に戻った後に出会った彼氏がいる、結婚も視野に入れている。貴方との結婚生活中も2回浮気している。でも貴方とは性格が凄く合うから縁を切りたくない。セフレでも構わないから今後も度々会いたい。
母も彼氏の事は知ってる。息子とも何度か会っている。祖母には反対されている。
話の内容は把握したけど感情が追いつかず、とりあえず容認出来ないから離婚します。と答えた。
友達には慰謝料取れと言われたが、10年苦楽を共にした相手を金銭的に追い込むのはどうかと思い反対した。
妻の事は、周辺の人間関係、精神的に弱い部分、過激な部分、面白い部分、好き嫌い、性癖に至るまで理解していたと自負していた。
脳内で妻の言動をシミュレート出来るくらい理解してたし愛してた。
でも全部妄想でした。
散々泣いて、立ち直って、一年後には上記の話を居酒屋で出会った女性にしたら自分の事のように号泣されたので、その方と結婚しました。
ネットに長文載せたの初めて。
他にも子供時代の実体験ネタ(中学時代に虐められた話、母親からのDV、母彼からのDVと決別、義妹とのエッチ、父の近親相姦、義妹友人のオナニー目撃)もあるので、気が向いたら投下します。
ここまで読んでくれてサンキューでした!